「炎の統一」/七



「―――そろそろ決着が付く頃合か」

 鵬雲六年六月三〇日、熊本城。

「・・・・優雅にお茶を飲んでいるところ申し訳ありませんが、脱走の許可は得たので?」

 お茶を飲んでいるのは前聖炎国国王・火雲親家。
 そして、彼に半眼のまなざしを向けるのは、熊本城留守居・火雲親泰だ。
 かつて、泰妙寺で住職をしており、親家・珠希親子が襲われた時に親家を助けた人間である。
 幼い頃より寺に預けられたが、歴とした一族であり、珠希から還俗を命じられた。
 その折に火雲家の通り字である「親」と寺の名前から「泰」を取ったのだ。

「"脱走した"と分かっているのであれば、許可など得ていないと分かっているだろうに」

 親家はとぼけた口調で返し、親泰に視線を向ける。

「貴様こそ、軍事の勉強はどうだ?」
「この年になって勉強しても無駄です。私は血を持って、蓋をするだけです」

 初老の域にかかるまでずっと仏教に帰依してきた。
 今更俗世の、しかも、戦の指揮の勉強など不可能だ。
 ならば、「一門衆が熊本城にいる」という文言だけで、細かいことは下の者に任せる。

「できるのは交渉ごとくらいですね」

 "外交僧"という立場がある。
 高名な僧侶もしくは有名な寺院の僧がその教養を持って大名間の交渉に当たる仕組みだ。
 メンツにこだわる戦国大名がそう簡単に切り捨てられない第三者的立場から交渉するが、この時世になるとほぼ家臣化していた。
 親泰は還俗しているが、僧侶であったことから外交交渉をまとめることもある。

「その口八丁の技術を珠希にも仕込んだんだろう?」
「珠希様はお話が好きな方なので・・・・」

 親家のからかうような視線から目を逸らす。そして、話題を逸らすためにそっと手を動かした。

「では、弟子の成果を楽しみにしているんだな―――って、待て、何故それを持って行く?」
「重傷を負って今でも食事制限されている人が贅沢の塊である砂糖菓子を食べてはいけません」

 湯飲みの傍にあったお茶菓子を掴み取り、それを口に入れようとする親泰。

「ならば貴様こそ煩悩の塊である砂糖菓子に手を伸ばす出ないわ、生臭坊主」
「ええい、もう戦場に立てん体なのに、いやに機敏に手を伸ばしてくるな」

 親家の手が邪魔で口に入れられない親泰は親家の手を払う。

「ああ!? 敬語を止めたな、この不忠者め」
「何の。私の忠誠は珠希様のもの。若い者の手を煩わせる老害など眼中にないわっ」
「ハァッ? 貴様は私とほぼ同い年だろうが。私が老害なら貴様も同じじゃぞ!」
「ハッ、老害結構。故に茶菓子を食う」
「やらせるか!」
「ぐわっ!? 飛びついてくるな!? 娘っ子にされるのならばともかく!」
「貴様、本当に敬虔な僧侶だったのか!?」

 ついにはドッタンバッタンと取っ組み合いになった。
 方や体が思うように動かせない元・大名。
 方や武器は念仏、抜刀に一苦労の元僧侶。

「「くぬぅ!?」」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 そんなふたりが茶菓子を巡って争う姿を見つけた小姓たちは顔を見合わせた。
 元々、親家を探すために城中を駆け回っていた若者たちは、お互いの感情が同じだとわかり、視線をふたりに向け直す。そして、能面のような無表情が貼りつけ、捕獲用にと渡されていた刺股を構えた。

「「「・・・・・・・・・・・・ッ」」」

 上役の少年が掲げた手を振り下ろす。

「「イテェ!?」」

 小姓たちが一斉に突き出した刺股は又の部分でふたりを動けなくするのではなく、容赦なく切っ先でふたりを突いた。

「はい、確保」

 ダメージで動けなくなったふたりを改めて又の部分で床に固定したのを見た上役の少年は無感情のまま呟き、視線を捕獲作戦担当者に向ける。

「任務完了です、ご母堂様」
「はい、ありがとう」

 捕獲作戦担当者――親家の正室は握り込んだ拳に息を吹きかけた。そして、笑顔を貼り付けて夫の元へと歩み寄る。

「あ、これは違―――」
「ふんッ」

 気合いと共に振り下ろされた拳骨は見事に親家の額に吸い込まれ、衝撃で親家の後頭部が床を打つ。
 ふたつの打撃音が響き、親家は動かなくなった。

「・・・・死んだか、南無」

 一部始終を見ていた親泰が思わず合掌する。そして、次に目を開けた時、奥方の拳は彼の眼前に迫っていた。
 再び鳴り響く打撃音がふたつ。

「全く、大人げない」

 制裁を終えた彼女は両腰に手を当てて呟く。

「さ、連れて行って」
「「「ハッ」」」

 完全に気絶したふたりの一門衆を小姓たちが床を引きずるようにして連れ出していった。






火雲珠希side

「―――で?」

 熊本城にのどかな空気が流れていたのと同時刻。
 菊池城内に用意された会談場に聖炎軍団と菊池勢の交渉団が座っていた。

「『で?』と言われてもね」

 半眼でこちらを睨みつける政吉に珠希は苦笑する。

「城村城は降伏した。旗頭を失った菊池衆、玉名衆に降伏を求めているわけだよ」

 珠希はそう返し、視線を椎と政智に向けた。

「それとも彼らがここにいる理由を聞いているのかな?」
「・・・・その通りです」

(だよね)

 ここまでの立ち回りができる政吉は暗愚ではない。
 城村城の重要性も理解しているし、それが落ちた以上、聖炎軍団が降伏を求めてくることも予想できただろう。
 だから、城村城を包囲した時に打って出てきたし、その後に菊池城に主力を引きつけもしたのだ。

「まず、時系列的に説明しようか」

 珠希の視線が政智に向く。
 それに気が付いた彼は頷き、政吉に向かって平伏した。

「それは、それがしから報告させていただきます」
「・・・・ああ」

 政智の土下座を政吉は感情のない目で見たが、彼の背後にいる吉元は今にも脇差を抜きかねない形相だ。

「十波が親晴殿に付いた時点で、政道と密約を交わしました」
「政道と?」

 十波政道は先の戦いで台城にて討ち死にしている。

「政道とそれがし、どちらかが討ち死にした場合、どちらかは珠希派に降伏し、十波の家名を残すために尽力すると」
「なんだと!? 無礼な!?」

 激高したのは吉元だった。
 政智の言葉を正しく変換するのであれば、十波氏の命運は政吉ではなく、政智と政道が握っている。
 彼ら二頭のどちらかが倒れたら、このまま親晴派についていても十波氏は滅亡するだけであり、それを回避すると言ったのだ。
 その回避方法は「十波家当主の座から政吉の追放」に他ならない。

「貴様、おめおめと生きて帰っただけでなく―――」
「止めろ」

 激高したまま政智に詰め寄ろうとした吉元を止める政吉。
 彼も怒ってはいたが、有力な家臣を制御できなかった自分の否も認めていた。
 十波氏が親晴派から珠希派に鞍替えする機会はあり、その度に先の両名は進言していたのだ。
 それを拒否し、姉のために親晴派に居続けたのは政吉である。
 弟としては合格でも、一族の命運を握る当主として失格と言われても仕方がない。
 もちろん、筑前に向かった親晴に同行しなかった椎にも落ち度があった。

(もう、戻ってこないだろうからね)

 筑前に向かった親晴から音沙汰がないということは、親晴は肥後を諦めたのだろう。
 今頃、新しい嫁と暮らしているかもしれない。

「政智、続けろ」
「・・・・・・・・殿を務め、政吉殿の戦線離脱を見届けて降伏しました」

 だから、政智の部隊は帰らなかったのである。

「その後、珠希様の指示で城村城へ同行しました」
「同行?」

 政吉の視線が珠希に向いた。

「当然。交渉ごとを決断するのは頭の役目だよ」
「・・・・乗り込まれたこっちはたまったものじゃなかったわ・・・・」

 椎がため息をつく。

「なあに、初めてじゃないじゃないか」
「屈辱的にも、ね・・・・」

 椎は熊本城の留守を務めていたが、珠希率いる奇襲部隊に落とされた経験がある。
 敵の大将が堂々と本拠地を訪れる体験というのは、少なくとも名誉なことではない。

「ここからはボクが言おうか」

 説明を引き継いだ珠希は書状を着物のたもとから出した。

「それは?」
「椎さんに渡したのと同じものだよ」

 小姓経由で書状を受け取った政吉はその内容を見て眉をしかめる。


 ひとつ、城村城に降伏を勧告する。
 ひとつ、降伏後、未だ抵抗を続ける堀氏、十波氏への降伏勧告に協力する。
 ひとつ、上記を許諾した場合、聖炎国は両氏の改易は求めず、臣従を許可する。
 ひとつ、各当主は助命する。


「なんと寛大な」
「私もそう思ったわ」

 政吉の呟きに椎が同意した。
 十波、太田の両氏は親晴に協力し、主力として聖炎軍団と戦っている。
 先の熊本城攻めでも内部の情報を虎熊軍団に渡し、聖炎軍団苦戦の要因を作っていた。
 その責任は当主の交代で取らせるというのだ。
 もちろん、書かれていないが、減封もあるだろう。
 しかし、普通ならば当主の切腹もしくは当主および主立った一門の切腹が言い渡してもおかしくない。
 非情なのではなく、勝者として当然の戦後処理だ。

「で、こっちが十波氏用の降伏条件だよ」
「・・・・・・・・これは・・・・」

 受け取った政吉は絶句した。


 ひとつ、十波氏に降伏を勧告する。
 ひとつ、菊池城は十波氏に安堵する。
 ひとつ、菊池十八城の西側は割譲する。
 ひとつ、十波政吉は隠居の上、熊本に移住する。
 ひとつ、十波氏次期当主は十波氏内で合議の上に擁立する。


(これも破格だよね)

 十波氏はこの北伐において、最も能動的に聖炎軍団に楯突いた。
 実際に両軍の戦闘による被害が突出している。
 この戦争の責任を十波政吉に求めず、十波氏の改易を求めないことは先述の通りだ。
 だが、可能性として、政吉が隠居した後に珠希の命令で誰かが養子に入る形で十波氏を継ぐというのもあった。
 だが、これも否定されている。
 十波氏は判断を誤った政吉を排斥するだけでいいのだ。

「・・・・政智、お前が継ぐか?」

 政吉は力ない視線を政智に向ける。

「それは・・・・」

 十波政智は有力な分家の当主であり、一門衆の中でも人望があり、戦経験も豊富だった。
 裏切り者と見る人間もいるかもしれないが、菊池を戦火から救った救世主とも言える。
 当主になれば、きっとうまくまとめるだろう。

「・・・・いえ、お断りさせていただきます」
「・・・・そうか」

 しかし、政智は断った。

「まあ、そんな話をするってことは、降伏するのかい?」

 珠希が政吉にそう言うと、政吉は視線を珠希に固定する。そして、ゆっくりと頭を下げた。

「降伏いたします。後の当主はそこな政智が中心となって決めるでしょう」
「それは―――ッ!?」


「―――やれ」


 反論しようとした政智を一言で黙らせた政吉は、背後で静かに涙を流していた吉元の肩を叩く。

「よく仕えてくれたな。これから新当主に仕えてくれ」
「・・・・っく。・・・・いえ、お供します。竹崎家は弟に継がせます」
「・・・・そうか」

 吉元の意思を確認した政吉は念押ししなかった。
 吉元は政吉に従っただけとは言え、十波氏の中では急進派とも言える人材だ。
 有能とは言え、残っても周囲からの視線が痛いだけだろう。

「「・・・・グスッ」」

 主従の思いやりに感化され、椎と政智も涙ぐんでいた。

(あー・・・・感動的なところなのだろうけどな)

 珠希は少し冷めた目でこれを見ている。
 戦略家の目線で言えば、珠希の温情をかけられている時点で失格なのだ。

「じゃ、後は武装解除とかの細かい流れは任せたよ、元秀」
「承りました」

 珠希は立ち上がり、背後に控えていた男の肩を叩いた。
 共に菊池城に乗り込んでいた立石元秀は、戦役開始時から菊池方面の抑えを担当している。
 このため、この方面の戦後処理を珠希は彼に任せたのだ。

(当主が降伏を宣言したから、菊池城よりも奥の城も降伏するよね)

 十波氏が降伏すれば、玉名衆も戦う意義や勝ち目を失って降伏するだろう。

「・・・・やっとかぁ」

 重綱を従えながら珠希は小さく呟いた。

「ようやく、肥後統一かな。・・・・ふぅ」

 そして、やり遂げたようにため息をつく。

「あの、水を差すようですが、天草や水俣、人吉は別領土ですよ」
「・・・・本当に水を差すなぁ・・・・」

 重綱のツッコミに珠希はげんなりと肩を落とした。




 鵬雲六年六月三〇日、菊池城降伏。
 これを受け、十波勢は全面降伏して菊池郡は聖炎軍団に屈した。
 この情報を受けた玉名・堀氏も七月二日に全面降伏する。
 結果、火雲珠希と火雲親晴との間で行われた家督争いも終結し、珠希が正式に聖炎国の国主として名乗りを上げた。
 この北伐の特徴は目立った決戦が惹起しなかったことである。
 龍鷹軍団は戦役の終結に決戦を選び、如何にして敵をその決戦場に誘引するかが戦略の根幹にあった。
 それ故に野戦軍は強力であり、己が力で難局を切り抜けている。
 だが、珠希率いる聖炎軍団は違った。
 機動戦に打って出るのは変わらないが、徹底的に決戦を回避する。
 内線の利を使って主力軍は巧みな機動を展開。
 敵をそれぞれの本拠地に押し込め、連動を阻止。
 両軍の死傷者を最小限に抑えたのだ。




「―――うまいことやったな」

 鵬雲六年七月六日、熊本城。
 凱旋した珠希は父・親家に会っていた。

「熊本城での籠城戦などで我が軍の結束が高まっていたからね」
「ふむ。それぞれの衆が独立した機動をしていた私の時とはもう違うか」
「それはそれでいいものでしたけどね」

 珠希は苦笑して肩をすくめる。しかし、すぐにその視線を半眼に変えた。

「で、父上は何を?」
「うむ、ちょっと、な」

 布団に縛り付けられている父を見下ろす目を冷たいものに変える。

「は、はは。・・・・しかし、十波姉弟はどうするのだ?」
「降伏勧告通り、殺さないよ」
「では、出家か?」
「それももったいないかな。まあ、まだあんまり考えていないから、ぼちぼち考えるよ」
「なんだ、考えていないのか?」
「うん。殺さないってだけ」

 珠希は人差し指で父の腹を突きながら続ける。

「ウチは人材不足だからね。数千を率いられる人材をそう簡単に失うわけにはいかないさ」
「うぐっ、ぬぐっ。・・・・物頭級はずいぶん発掘できたが、その上か。ふぐっ―――って、止めんか!?」

 腹を突かれながらも答えていた親家も、さすがにしつこく感じたのか、娘に向かって一喝した。
 それを受け、珠希は肩をすくめて手を引っ込める。

「ま、元から衆を率いていた人材はいるけど、ね」

 衆は二〇〇〇人台が多かった。
 珠希が考える軍団のためには三〇〇〇以上を率いられる部将が複数人必要だ。
 現時点でこれに該当するのは名島景綱、立石元秀だけだ。

(そもそもボクにはそんな統率力がないからね)

 そうなれば本隊を率いるために景綱か元秀が珠希の傍にいなければならない。
 その場合、別働隊を率いられるのはひとりだけとなる。

「見つかったか?」
「うーん、ってところかな」

 今回の戦役で、太田高鐘や瀬堂且元がその片鱗を見せているが、まだまだである。

「一番近いのは十波政吉クンだよ」
「・・・・なるほど。一度はお前を出し抜いたし、三〇〇〇名近い軍兵を率いた経験を持つか」
「うん。だから、いつかはボクのためにその手腕を振るってもらいたいと思ってね」

 珠希はそう言うと、再度かつ先程より強く指を親家の腹に押し込んだ。
 「ぐえっ」という声に笑い声を殺して立ち上がる。

「また来るよ」
「・・・・ああ、あいつにも顔を出せよ」
「父上より母上の方が頻繁に会っているよ」
「・・・・そうか」

 少ししゅんとした父に苦笑して背を向けた。

「まあ、次は遠征の前かな」
「遠征か?」
「うん。今度はもっと北だろうね」

 肥後北部遠征よりももっと北。
 そこは虎熊宗国の勢力圏に他ならない。

「行くか」
「行くだろうね、あの御仁なら」

 ふたりの脳裏に浮かぶ、少女のような顔をした戦略家。
 彼の見据える先を同じ思想から見通せる珠希は予見していた。

(そう、遠くないから準備しておかないとね)

「・・・・呑み込まれるなよ?」
「はは。―――誰に、ものを言っているのかな?」

 肩越しに振り返る珠希。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 口元は弧を描いていたが、目は笑っていなかった。






 鵬雲六年七月、長年の懸案だった聖炎国の内政問題は片付いた。
 これで龍鷹侯国と聖炎国は憂いなく、虎熊宗国と真正面から対峙できる体制を整えたと言える。
 虎熊宗国は謎の沈黙を続けているが、その復活を待つほど、ふたりの戦略家は優しくはなかった。
 その決断は、両当事国とは別のところで、大きな風を起こすことになるのだが、それはまた別の話である。











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