「炎の統一」/四



 聖炎国。
 かつて北九州地方に覇を唱えた穂乃花帝国の肥後方面部隊を前身とし、西国から侵攻した虎熊軍団を弾き返した迎撃の雄。
 独立した後はどさくさに紛れて奪われた人吉地方を奪還するために龍鷹侯国と戦争状態に入った。
 結果、対龍鷹侯国用に発達した城郭群は肥後南部に集中し、肥後北部は肥後―筑後に広がる山地といくつもの城塞群のままである。
 だが、小規模な城塞がいくつもあり、かつ、隈本城(現熊本城)までの補給路の側背に位置したことで、大規模な城郭は必要としなかった。
 その後、龍鷹侯国との戦に集中するために本来の仇敵であるはずの虎熊宗国から婿を取るという迷走ぶりを見せる。
 その後に当主機能が失われ、暴走した婿と当主の娘が相争う家督争いが勃発。
 それぞれの後見として名乗りを上げた虎熊軍団と龍鷹軍団が激突した。
 今、西海道を駆け巡っている戦乱の発端である聖炎国の家督争いを終わらせるため、娘――火雲珠希は北伐を開始した。






火雲珠希side

「―――ふーん、やる気だね、堀は」

 鵬雲六年六月九日、聖炎軍団主力は楠原城(現熊本市北区楠野町)に集結していた。
 先鋒はさらに北西の轟館(現熊本市北区植木町)に達している。
 先鋒を率いるのは瀬堂且元で、その指揮下には一〇〇〇を加えていた。

「まあ、想定通りだけどね」

 堀晴忠は自ら兵を率いて田原坂を守るように小森田城まで進出している。
 両軍の距離はわずか一里。
 すでに両軍の物見は接触しており、激しい主導権争いが生じていた。

「田原坂を越えられると、玉名城下ですからね」

 名島景綱が言う通り、田原坂を越えると菊池川にぶつかり、そこが堀氏にとっての最終防衛線である。
 いきなりここに大軍を迎えたくはないだろう。
 野戦となるが、要害の地である田原坂で防ぎたいのは当然と言えた。

「因みに吉次峠周辺にも敵軍は布陣しています」
「んー、両方の軍勢はどんなもんだい?」
「小森田城に一五〇〇、吉次峠周辺に五〇〇。さらに後方でも動員しているようですな」
「そっか。とすると、後五〇〇は増えるかな」

 聖炎軍団本隊は六〇〇〇。
 無理に通れない兵力差ではない。

「で、肝心の十波の動きは?」
「山鹿の軍勢と合流し、菊池川を渡河して打越城、馬渡城、亀尾城に駐屯しています」
「ボクたちが田原坂に攻め込んだら一気に押し出して退路を断つつもりだね」

 想定通りだが、厄介な戦略である。
 十波勢の動きを抑えたまま田原坂に攻め込めば、さすがに兵力差を前面に押し出すことはできない。

「やっぱり、竹迫城方面への攻勢が陽動だとバレたかな」
「そうでしょうな。政吉殿は若いが、暗愚ではない。優秀な部将ですから」

 聖炎軍団は別働隊として立石元秀率いる一五〇〇が竹迫城(現合志市上庄字)を囲んでいる。
 竹迫城は徹底抗戦の構えで、地域住民も巻き込み、約一〇〇〇で籠城していた。
 十分な備えがあるようなので、そう簡単には落城しないだろう。

「相手が徹底抗戦で来るからなかなか兵力差が開かないね」
「地域での徹底抗戦。聖炎国の国是が発揮されているのは皮肉なものですな」
「その地域に住んでいる民たちのお上はボクらではなく、彼らだからね」

 同じ国民だ。
 力攻めなどして、後々に禍根を残したくない。

「ただあんまり攻めあぐねる姿は見せたくないね」
「では?」
「ああ、やろう」




 六月十日午後。
 最前線から南西に位置する金峰山系から狼煙が上がった。
 これと同時に、戦局は急展開を迎える。
 それを時系列に追っていこう。


 合志―菊池戦線。
 十一日、竹迫城が珠希派に寝返る。
 十二日、竹迫城勢を加えて立石勢が北上。飛隈城(現菊池市泗水町)に迫り、飛隈城は戦うことなく自落。守備隊は菊池十八外城の古池城(現菊池市出田)に撤退した。
 同日、阿蘇勢が菊池郡東部の市成城(現菊池市原)を奇襲して攻略、さらに西へ進んで掛幕城を囲む。
 十三日、菊池十八外城のひとつである市成城が陥落したことで、十波勢の主力は菊池城へと撤退を開始した。


 玉名戦線。
 十一日、玉名平野南部の小天城、横島城(両方とも現玉名市南部)が珠希派に寝返る。
 同日、聖炎水軍に護衛された大野矢城・長谷川家次以下三〇〇が上陸して横島城に入城。
 退路を断たれた吉次峠に布陣した玉名衆は崩壊。
 それぞれの拠点へ向かって撤退を開始。
 それを追うように三浦雅俊五〇〇が吉次峠を占領し、さらに玉名平野南部へ進出した。
 十二日、玉名平野南方を占領され、その占領軍が北上すると退路が断たれるため、堀晴忠は田原坂から撤収。
 菊池川を渡河して一門衆を高瀬城(現玉名市高瀬町)、高道城(同市岱明町)に入れ、自身は主力と共に玉名城(日嶽城)へ立て籠もった。
 同日、聖炎軍団の瀬堂且元一〇〇〇が田原坂西方の稲佐城(現玉名郡玉東町木葉)を占領。
 聖炎軍団は玉名衆を菊池川北岸へと追いやった。




(―――兵力に絶対的な差があり、大義名分もボクにあるんだ)

 珠希は四方から報告される内容に、想定通りだと頷く。

(上の者は名誉の戦いだと意気込むかもしれないが、下に付く豪族は生き残ることに必死)

 だから、本領安堵と共に内応したのだ。
 これは外国に寝返ることとは違うので、精神的な障壁も低い。

(さて、戦わずして玉名を押し込んだ。次は―――)

「―――全軍反転! 一気に菊池川を押し渡るよ!」


 十三日、国見山を挟んで田原坂の反対側にあった萩原城(現玉名郡和水町萩原)が寝返ったのを皮切りに国見山東方の菊池川南岸域が珠希派の勢力圏に入る。
 十四日、聖炎軍団の主力四五〇〇が合志川北岸(現泗水町田島)に到達すると、十波勢は古池城、亀尾城、馬渡城、打越城といった菊池川南岸の四城から守備兵を撤退させる。
 古池城の守備兵は戸崎城に、残り三城の守備兵は正光寺城と増永城に入って守りを固めた。
 十五日には菊池川南岸に残っていた拠点も全て陥落し、聖炎軍団の行動開始からわずか十二日で山本郡、合志郡、玉名郡南部が落ちた。
 しかも、大半の豪族は寝返りという形をとったので、その戦力はほぼ全て聖炎軍団の強化に使われる。
 結果、大橋城に本陣を構えた聖炎軍団本隊は五〇〇〇となり、ここに龍鷹軍団が加わって六〇〇〇が滞陣した。
 将兵は近くの平島温泉(現植木温泉)で疲れを癒やし、次の行動のための英気を養う。
 それは高級将校たちも一緒だった。


「―――はぁー、いいお湯だね」

 十五日夜。
 珠希は厳重に警備させた露天風呂に浸かっていた。
 傍に控えるのは梨を中心としたくノ一衆だ。
 後、ただひとりだけ珠希とお湯に浸かっているのは重綱である。

「こんなにのんびしていて、いいのだろうか・・・・」

 と言いつつしっかりと肩まで浸かっている重綱。

「いいんだよ。寝返りの連鎖反応はここまでだからね」
「・・・・やっぱり準備していたんですね」

 重綱は隣に座る珠希を見遣る。
 彼女は手ぬぐいを頭に乗せたまま小悪魔的な笑みを浮かべていた。

「当然。内応するにしても効果的にしないと。ただ寝返るだけじゃあ鎮圧されるからね」

 味方の中には珠希が有利になった瞬間に裏切った卑怯者だと言う者もいるだろう。
 だが、珠希が北伐する前にこちらに裏切っても鎮圧されて終わりである。
 ならばこちらが攻めている時に裏切り、敵に兵数減以上の精神的打撃を与える方が効果的だ。

「本来、調略に応じなかった領主も裏切ったからね」

 萩原城主がその典型だ。
 おかげで想定よりも早く菊池川南岸を抑えることができた。

「与力だからって人質を取っていなかったのが甘かったね」
「まあ、人質を取ろうとして裏切られる可能性もありますからね」

 人質を要求する=信頼していない証拠なのだから。

「その点、今回寝返った者たちが進んで人質を出してくるのには笑えるけどね」
「本領安堵すると言ったとはいえ、後ろめたさもあるので、それを解消するためでしょうがね」

 人質を出したのだから、珠希は約束を守るに違いない、ということだ。

「で、重綱クン、次にどういう行動をしたら良いと思う?」
「何故にからかい口調なのかは置いておくとして。―――さらに裏切りを誘発なら敵主力軍の撃破ですかね」
「それは裏切りどころか戦争が終わっちゃいそうだけど・・・・」

 重綱の言葉に苦笑し、珠希は北方を見遣る。

「ただまあ、精神的支柱をへし折るのは変わらないかな」


 聖炎軍団が戦っているのは菊池衆や玉名衆ではない。
 これらを束ねているのは火雲親家だ。
 彼自身が不在であっても、彼の家族は城村城(現山鹿市城)にいる。
 聖炎軍団の主力が展開する大橋城(現熊本市北区植木町)から二里半。
 間に菊池川本流とその支流である岩野川が立ちはだかっているとはいえ、一息に辿り着ける位置にいた。
 そして、その前に立ちはだかるのが菊池川本流の北岸に築かれた山鹿城(現熊本県山鹿市山鹿字)だ。
 一時期は親家も本拠としていたが、周辺に町や寺社があり、大規模な城郭を築けないことから本拠を移した経緯がある。
 防御力は大したことなく、聖炎軍団主力が襲いかかれば一日も持たないだろう。


「山鹿に兵を進めるとなると側背が開きますよ」

 菊池衆が西進して菊池川を越えれば退路が断たれる。
 玉名衆が菊池川を上ってきたら横腹を衝かれる。
 戦力的劣勢に立たされている両勢力が乾坤一擲の決戦を挑んでくる可能性は高い。

「分かっているよ」

 ただそれを防ぐための手立ては打っている。
 菊池衆の背後には阿蘇勢が展開し、本拠地である菊池を衝ける位置に立石元秀一五〇〇がいる。
 玉名衆の目と鼻の先には瀬堂且元、長谷川家次、三浦雅俊ら歴戦の部将たちが総勢二〇〇〇で展開している。

「嫌だね、数っていうのは」

 虎熊軍団によって叩き込まれた数の優劣。
 今回それを利用するのは珠希側なのだ。

「念のためここには工藤を残す」

 隈本衆のひとりである工藤吉親に五〇〇を任せて退路を確保し、その支援として後方に残置していた龍鷹軍団を前進させる。

「山鹿城を落とした後に守備隊を置いても、主将のいない城村城を落とすなんて簡単さ」

 精神的支柱になるのは親家の正室・十波椎だろう。
 気丈な女性だが、戦の指揮はできない。
 そして、城村城を落とせば、親家派は瓦解し、菊池衆や玉名衆も珠希に逆らう理由はなくなる。

(頭目であるふたりは戦おうとするかもしれないけどね)

 そうなったとしても従う兵は少なく、鎧袖一触で撃破できる。

「守りの堅い菊池城、玉名城を攻略する必要はないんだよ」
「それは楽でいいですなぁ」

 重綱が息を吐きながら背を湯船の縁に預けた。
 兵を進めるだけで勝てる。
 それは決戦をせずとも良いと言うこと。
 武人には物足りないかもしれないが、「戦わずして勝つ」は兵法家を志した者が憧れる領域だ。

「キミは戦場で華々しく戦う気質ではないからね」

 聖炎軍団の若大将とも言われる名島重綱。
 彼は龍鷹軍団の若手筆頭――鳴海盛武とよく比べられる。そして、盛武は槍働きをしたくても側近に全力で止められることで有名だ。

「私は楽できるなら楽をしますよ」

 そう言い、重綱は後頭部を石に預け、上を見上げる。
 そのうっすらと漂う湯気の向こうに、大きな月が輝いていた。




 鵬雲六年六月十六日、聖炎軍団がついに菊池川を越えた。
 その渡河点は豊前街道と菊池川が交差する山鹿郡山鹿。
 そこを扼するように築かれた山鹿城を聖炎軍団は取り囲む。
 籠城するのは山鹿衆で、旧城村城城主・中田家満。
 親家から偏諱を受け、重臣のひとりとして山鹿衆を率いた。
 取り囲む聖炎軍団は約四五〇〇。
 対する守り手は五〇〇。
 絶望的な兵力差だが、中田は開城することなく、堅く城門を閉じる。
 籠城こそ聖炎軍団の真骨頂。
 そう言わんばかりだった。




「―――悲劇だよね」

 珠希は炎に照らされた赤い頬を歪ませた。
 出火場所は山鹿城だ。
 聖炎軍団は力攻めを選択。
 早朝からの総攻撃によって、物の数刻で山鹿城を攻め落とした。

「技巧を凝らしても兵数差には勝てない、か・・・・」

 山鹿城は平凡な城ではない。
 低丘陵に位置し、東側には南北方向の堀切が設けられ、残る三方向は崖だ。
 南側急崖の外側には大規模な空堀と土塁がある。
 守将である中田も勝算はあっただろう。

「兵数というよりここでも裏切りですよね」

 同じく炎で頬を赤く染めている重綱が言う。

「ま、ね。当然立ちはだかるであろう城に調略を仕掛けていないボクではないよ」

 ふふんと鼻を高くし、腰に両手を当てて胸を張る珠希。

(ま、裏切り方は完全に内応者に任せたんだけど)

 聖炎軍団の総攻撃と同時に城南方の土塁群が寝返り、さらに城門が開いた。そして、雪崩れ込んだ精鋭部隊が城兵を蹴散らす。
 裏切りの動きを見て見事な連携を見せたのは景綱の采配だ。
 なすすべもなく、瞬く間に本丸まで迫られた中田は城に火を放ち、燃え盛る炎の中で自刃した。

(中田家満。主君に恵まれなかったけど、最後の最後で意地を示したね)

 落城を覚悟し、彼は準備していたのであろう。
 炎は瞬く間に城全域に燃え広がった。
 聖炎軍団は火を消そうとしたが、火勢が強く、山鹿城は全焼する。
 中田は意地でも聖炎軍団に城を利用させなかったのだ。

「城主一族を探して」
「なで斬りにするので?」
「ボクに楯突いたから一族郎党皆殺しーって?」

 珠希は冗談のつもりだったが、重綱は真顔で頷いた。

「・・・・ボクがそんなことするように思える?」
「恐怖政治は円滑な統治のひとつの正解なので」
「それ、恐怖に耐えかねた家臣が裏切る未来もあるよ」

 裏切り者に死を。
 それはひとつの手段として有効であることは間違いない。

「でも、それは今回に限っては悪手だよ」

 これから裏切るかもしれない者たちに「裏切者はこうなる」という見せしめは有効だ。だが、今回はすでに裏切った者が相手である。
 ここで中田一族を根絶やしにする動きを見せると、親晴に属した者たちは自分もそうなると思って、徹底抗戦に出るはずだ。
 内乱を早く終わらずどころか、長引く結果になる。

「アッパレ! って、褒めてあげるよ。さすがに側近にすると『一族の仇!』とか言って殺されそうだからやらないけど」
「そうしてください」

 珠希の真意が分かり、重綱は安堵の息を付いた。

(ん~、いまいち以心伝心にはならないなぁ)

 珠希の脳裏には鷹郷忠流とその妻たちのやり取りが浮かぶ。

(あそこまで軽く、とは思わないけど・・・・。家臣、というより、年の差かなぁ)

 珠希は御年十八歳。
 一方、重綱は二七歳だ。
 九歳の差は大きいだろう。
 だからか、重綱はまだどこか年下の女の子に対する遠慮のようなものが見えた。
 因みに親晴は二六歳であり、その妻に分家の十波椎が選ばれた理由の一つに年齢差があった。

(だというのに、ボクと結婚する男は奴より年上とか・・・・。皮肉だよね)

 ただ、親晴と珠希が婚姻していても、夫婦仲はうまくいかなかっただろう。

「早く慣れるんだよ」
「? はぁ・・・・」

 ポンポンと重綱の肩を叩く珠希の言葉の真意が分からず、首を傾げる重綱。
 その様子に苦笑し、珠希は視線を北に向けた。

「さて、明日が正念場かな」




 鵬雲六年六月十七日、聖炎軍団は親晴派の本拠――城村城の眼前に布陣した。
 菊池川渡河点の防衛に野村秀時一〇〇〇を割いたため、主力軍は三五〇〇まで減少している。
 それでも城村城には領民を合わせても一〇〇〇程度しかいないとの情報だった。
 城攻めには守り手の三倍を用意せよ。
 聖炎軍団はその鉄則をすでにクリアしていた。

 聖炎軍団が熊本城を出陣したのは鵬雲六年六月三日。
 それからわずか二週間で対立勢力の本拠地まで攻め込んだ。
 家督争いが勃発してから二年と少し。
 圧倒的劣勢であった珠希が熊本城を奪還し、ついに国家統一を目前とする。
 戦略家である彼女の前に戦いらしい戦いが起きずに喉元に刃を突きつけられた親晴勢は―――


―――十波政吉が菊池郡で気を吐いていた。










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