「炎の統一」/三
菊池十八外城。 肥後国菊池郡を支配し、中心地である隈府を守護するために整備された城塞群である。 本拠地である菊池城を始め、以下の城塞がある。 菊池北方――迫間川上流の葛原城、鷹取城、五社尾城。 菊池東方――菊池川上流の市成城、掛幕城、元居城。 菊池西方――菊池川下流の神尾城、増永城、台城、正光寺城。 菊池南方――菊池川南岸山岳域の黄金塚城、城林城、戸崎城、菊の池城。 菊池南方――菊池川南岸平野域の古池城、亀尾城、馬渡城、打越城。 十波氏は菊池郡をほぼ全域支配しているが、与力を含めた支配領域はさらに広がり、合志郡、山鹿郡、山本郡にまで広がっている。 それぞれの最前線は、十波氏側は竹迫城、火雲氏側は楠原城が最前線である。 熊本城以南は対龍鷹侯国のために大規模な城が築かれているが、北方は城塞群で地域を防衛する形である。 これは丘陵地が多いことと熊本平野を形成した多くの川が流れていることに起因する。 その防衛戦略は複数の城塞と連携したゲリラ戦術と縦深防御。 この地を攻略する軍は大軍と長期間それを維持する経済力が求められた。 それに苦戦する内に後詰がやってくるのである。 ―――ならば、その後詰が来ない場合、彼らはどう戦うのであろうか。 戦評定scene 「―――熊本城に兵力が集結しつつあるようです」 鵬雲六年六月一日、肥後国台城。 ここに十波政吉を初めとした十波氏の重鎮と山鹿を本拠とする火雲親晴の郎党が集まっていた。 「同時に楠原城、妙見城で兵の受け入れ準備が始まっています」 受け入れ準備とは兵たちの臨時宿舎の建設だ。 つまり、熊本城に集結している軍勢は後々にこの両方の城に押し出してくることになる。 楠原城は言うまでもなく、対十波氏(菊池郡)。 妙見城は対堀氏(玉名郡)だ。 (攻める側から守る側になると、途端に不安になるものだな) こう心の中で呟いたのは十波氏当主・政吉である。 彼は火雲親晴の有力与力であり、政吉の姉――名前は椎――が親晴の正室として嫁いでいる。 まだ若いが、同じく親晴派である堀晴忠よりは年長であるため、今や政吉が頭目と言っていい状況だった。 いや、そもそも政吉が頭目にならざるを得なくなっている理由は、日肥の乱以降親晴が肥後に戻ってきていないからだ。 「・・・・義兄上はまだ?」 「「「・・・・・・・・・・・・はい」」」 答えたのは親晴が支配する山鹿郡の豪族だ。 親晴は城村城を本拠として領地整備を行っていた。 ここに来た彼はその与力として尽力していた部将であり、今現在も城村城を管理している。 (いったいどうしたというのか・・・・) 虎熊軍団が肥後から引き上げると同時に親晴とその郎党――虎熊宗国から連れてきた家臣――も筑前へと引き上げた。 これは今後の対応を協議するためだと思われるが、その後も帰らず、何の反応もない。 当然、筑前へ使者を派遣しているが、誰一人有益な情報を持ち帰れずにいた。 (そうこうしている間に着々と珠希殿は足場を固めている・・・・) 熊本城を支配する火雲珠希は龍鷹軍団の豊後侵攻に合わせて阿蘇を攻略、続いて豊後西部への侵攻に協力し、龍鷹侯国との同盟を堅持している。 南方や東方に不安のない珠希が北方に目を向けたのは当然の流れだった。 政吉たちにできるのは、侵攻に対して迎え撃つだけである。 「どのように考えるか?」 「・・・・野戦はもっての外と考えます」 十波氏家老が発言した。 「加勢川の戦いでの傷も癒えていませんし、先の熊本城攻めでも損害を受けています」 虎嶼晴胤による肥後南部侵攻には同行しなかったが、熊本城攻めに参加し、自らの体を持って難攻不落を体験している。 その時の損害からはまだ回復できていなかった。 「さらに我ら菊池、山鹿、玉名は統一戦闘訓練を受けておらず、集結しても烏合の衆です」 これまでは親晴というまとめ役がいたが、今はいない。 政吉が代わりを務めようにも、堀氏は納得しないだろう。 (結局、バラバラに対応するしかないか・・・・) ここに対応するとすると、基本は籠城戦に出て、どれかが攻められれば後詰に出て珠希勢の背後を付くなどの邪魔をするしかない。 敵主力軍の撃破ではなく、攻めあぐねて撤退するのを待つという作戦だ。 (受け身だが、仕方ないか・・・・) 山鹿郡は政吉が代わりに指揮するとしても、堀氏まで指揮はできない。 だから、結局は連絡を取り合い、連携するしか道はない。 (そんなこと、珠希様は百も承知だろうな・・・・) 詳しい迎撃方法や取り決めなどで話を詰める武将たちを尻目に、政吉は敵である珠希を思い浮かべた。 珠希は昔から聡明だった。 聡明すぎるが故に先代・親家の後継者と目された時期もあった。 入り婿を取り、珠希が国家を指揮し、入り婿が軍を指揮するのだ。 その候補に政吉の名前が挙がったこともあるが、今でもそうならなくてよかったと思える。 聡明ゆえの理解しがたさが、彼女にはある。 常人である政吉はきっとついていけなかっただろう。 虎熊宗国より親晴を養子に取った時、家中の大半は珠希を忌避していた。 だから、親晴の正室には分家ながらも上品な十波椎が選ばれている。 珠希は分家に嫁入りすると予想されていた。 だが、親晴が先代から強引に家督を継ごうとして家督相続は拗れる。 結果、珠希がその聡明さを発揮し、まさかの龍鷹侯国と同盟を組み、肥後北部を圧迫しているのだ。 龍鷹侯国の侯王が先代のままではきっと実現しなかったであろう現実。 (時の流れは残酷ということか) 政吉もまだ若年と言われる年齢だが、ここ数年の目まぐるしい動きについていけていない。 その結果、滅亡の危機に瀕していたのだ。 「―――さて、みんな集まったかな?」 同日、熊本城。 ここに聖炎軍団を構成する部将たちが集結していた。 聖炎軍団は伝統的に各地区を支配する支城を支配する部将がその地区の軍勢を率いる。 ここ数年で版図に変化や戦死者などが発生したため、再編された。 南から、 八代衆:名島景綱(八代城) 与力に名島景光(岡城)、桑原宗林(田川内城)、八丁義興(古麓城) 益城衆:柳本長治(岩尾城) 与力に柳本則治(堅志田城)、甲佐惟前(陣内城) 宇土衆:立石元秀(宇土城) 与力に立石元広(豊福城)、田平則直(田平城) 阿蘇衆:太田貴鐘(内牧城) 与力に高森武重(高森城)、関田吉安(鐘ヶ城) 隈本衆:火雲珠希(熊本城) 与力に工藤吉親(御船城)、若宮正親(玉岡城) これらの他に重要拠点を守備する旗本として、三浦雅俊(楠原城)、野村秀時(妙見城)、長谷川家次(大野矢城)がいる。 それぞれが国境の城とも言え、歴戦の部将が配されていた。 これに加え、一門衆かつ外交的窓口も兼ねる火雲親泰や瀬堂且元が熊本城を守る。 「あの、珠希様・・・・」 先に上げた部将たちが一斉に居並ぶ中、肩身が狭そうに上座に座る若武者が同じく上座に座る珠希に声をかけた。 「なんだい、重綱」 名島重綱。 名島景綱の嫡男であり、将来有望な戦闘指揮官である。 龍鷹軍団の鳴海盛武と比較されることが多いが、まだ一円居を指揮したことがないので、過剰な評価だと本人は話していた。 「私は下座の方が良いのではないでしょうか?」 重綱は城主ではない。 明らかに部将たちより格が劣るはずだ。 「いやいや、キミはもうただの分家じゃないだろう?」 そう、珠希の言う通り、重綱はもう分家ではない。 言ってしまえば名島家の次期当主は重綱の弟――信綱が継ぐ予定となっていた。 「キミはボクに婿入りし、火雲重綱となったんだ。だから、上座に座るんだよ」 早くも腰を浮かせていた重綱の肩を掴み、再度座らせる。そして、居並ぶ諸将を見渡した。 「別に、重綱がここにいることに異論はないよね?」 「まあ、私の心労が減ることに異論があるはずがありません」 家臣を代表して親泰が言う。 重臣とされる諸将はあくまで、地方武士団のまとめ役である。 "家老"とされるのは親泰ただひとりだ。 彼がそう言ったのであれば、それが家臣の総意だった。 「理由に文句があるけど、まあいいよ」 珠希の視線に下手な口笛を吹いて見せる親泰から重綱に視線を戻す。 「あと、美姫もボクに懐いているからいいじゃないか」 重綱の前室は産後の肥立ちが悪く、娘を出産して半月後に亡くなった。 その娘が美姫であり、本年五才になる。 重綱が珠希に婿入りしたことで、彼女も珠希の養女となっていた。 「それとも、ボクのことが嫌いかい?」 「・・・・・・・・・・・・御冗談を」 瞳をうるうるさせて上目遣いに見てみれば、重綱は分かりやすく視線を彷徨わせる。 戦場では鬼の形相で敵兵を蹴散らす男でも、平時はこんなものだ。 「ま、対外的にもちょうどいいのさ」 聖炎国が他国から後継者を招いたために、今現在のことが起こっていると言えるのだ。 ほぼ聖炎国主の座が珠希に決まった以上、次代のことも考え、彼女の婿は国内から取る必要があった。 その選択肢の中で、勲功第一である名島氏から婿を取るのが最善と言えるのである。 (とまあ、対外的には説明するけどね) 重綱のことを珠希が気に入っているのは聖炎国の上層部の共通見解だ。 婚姻に何の障害もなかった。 「さて、話が逸れたけど―――状況を説明してくれるかな?」 珠希が意識的に低い声――それでも高いが――を出すと、場の空気が変わった。 「ハッ。では、僭越ながら私が説明いたします」 書類を手に立ち上がったのは、長谷川家次だ。 居城の大野矢城は三加国会談の場所となり、それをやり遂げたことで家中の序列を上げていた。 「八代、益城、宇土、隈本の四衆の集結が完了し、阿蘇衆も内牧城へ集まっています」 今回の動員は支配地域全域に発令されている。 「うん、どれだけ集まったかな?」 「熊本城および前線の楠原、妙見の兵を合わせて約七五〇〇。これに阿蘇の一二〇〇を加え、今回の動員兵力は八七〇〇です」 「まだ少し少ないか・・・・」 石高に対して二五〇名の動員である。 ここ数年続く肥後を戦場とした影響が色濃く出ていた。 「敵の動きは?」 名島景綱が聞く。 「ほとんどありません」 「ということは虎熊軍団の援軍もないか」 虎熊軍団が動かないのであれば、敵は北部五郡(菊池郡、山鹿郡、玉名郡、合志郡、山本郡)だ。 「敵は五〇〇〇といったところかな」 「ええ、向こうも損害はあるとはいえ、防衛戦なのでそれくらいは繰り出してくるでしょうね」 珠希の試算に景綱が頷く。 「具体的には堀晴忠の玉名衆二〇〇〇、十波政吉の菊池衆が三〇〇〇かな」 「親晴殿が福岡から戻ってきていない様子ですから、山鹿の兵も十波殿が率いるでしょうからな」 親泰が同意し、さらに発言した。 「して、どちらから叩く?」 珠希方も十波、堀が合流して押し出してくるとは思っていない。 両方とも自領に引き込み、徹底抗戦に出るはずだ。 「まあ、まずは田原坂を抑えたいね」 「十波と堀の連絡を断つのですね?」 「ああ。ずっと北方ではまだ繋がっているけど、菊池川沿いの道は狭いからね」 田原坂~吉次峠まで確保できれば、地形を生かして玉名勢を拘束できる。 「それと同時に竹迫城を落とす」 田原坂と竹迫城を手中に収めれば合志川以南は聖炎国の勢力圏となる。 どんな手段に出るとしても、第一段階はこれだろう。 (そして、相手もそれが分かっているはず) 積極策に出るのであればここで激戦となるはず。 ならないのであれば、十波も堀も籠城策に出たとみていいだろう。 「相手の出方次第だけど、複数の案を同時進行しないとね」 兵力、部将の質、拠点防御力において珠希派が全て上回っている。だが、それは侵攻作戦でも絶対的有利となるわけではない。 (見本とすべきは龍鷹軍団の電撃戦かな) 慎重かつ大胆に。 戦域をめいいっぱい使った作戦が、肥後北部攻略戦には必要になるだろう。 「―――申し上げます!」 鎧の音を鳴らしながら廊下を駆け抜けてきた武者が戦評定を開いていた広間の外に片膝をついた。 「龍鷹軍団の増援、到着いたしました」 「ほう」 珠希が目を細めながら呟き、末席に待機していた侍女衆頭目・梨に視線を向ける。 梨は珠希の視線に頷き、障子を開けて武者から着到帳を受け取った。 着到帳には龍鷹軍団の部将や兵数などが記載されている。 「将、角家儀藤。兵、九八八」 角家儀藤は家督争いであった内乱時に応募に応じて忠流に仕えた浪人衆の出身だ。 伊予の豪族であり、これまで旗本衆として大いに活躍していた。 長く出水城を守っていた村林信茂が豊後国岡城に異動したことで空席となった出水城に城代として守りにつく。 (ふーん、まあ、いい人選じゃないかな) 梨から着到帳を受け取り、与力についた部将たちを見る。 そのどれもが浪人出身であり、軍監としてついてきた部将のみが譜代格と言えた。 (あの人はこの機会にこの浪人衆を完全に取り込もうとしているのかな) 内乱以来、浪人衆は忠流の私兵扱いである。 如何に軍功を上げようともなかなかのし上がれなかった。 忠流はその流れを変えようと、大きな国替えのどさくさに紛れて角家を頭目として重要拠点を任せたのだ。 (国内で不満も出るだろうけど、これまでの功績で黙らせるんだろうね) そして、角家自身が実力で黙らせるしかない。 そのために単身で聖炎軍団の増援に出るのはいい策と言えた。 外交、軍事の両面での勲功が稼げるからだ。 (ただ、家中がゴタゴタしているから『使うな』っていうことかな) 角家は浪人衆の頭目であり、率いる兵も借り物に近い。 そんな戦力でできることと言えば拠点防衛くらいだろう。 (まあ、元々これは聖炎の戦、援軍を最前線に立たせるつもりはないけど) これは肥後一国を支配する聖炎国の再統一戦争である。 これに過度に龍鷹軍団が関われば今後の統治に影響する。 熊本城攻防戦の増援分は龍鷹軍団の豊後侵攻戦に協力することでチャラにした。 ここからの戦いで龍鷹軍団が関わった場合、今後は龍鷹侯国が内政干渉してくるだろう。 だから、肥後北部征伐に龍鷹軍団を関わらせてはならないのである。 鵬雲六年六月三日、聖炎軍団は熊本城を出陣した。 総大将:火雲珠希。 副将:名島景綱。 部将:立石元秀、柳本長治。 侍大将:瀬堂且元、三浦雅俊、野村秀時。 聖炎軍団は総力を挙げて北部を征伐するのだ。 これに呼応するように玉名衆、山鹿衆、菊池衆もそれぞれの集結場所に兵が集った。 菊池城:十波政吉。 城村城:十波椎。 玉名城:堀晴忠。 聖炎国の主・火雲親家が死去してから続く家督争いに終止符を打つため、聖炎軍団による最大の内乱の火蓋が切って落とされたのである。 |