「炎の統一」/二



 豊後松尾城。
 豊後南部に位置し、城域は三重川と松尾川の合流地点に聳える標高276mの山頂および北麓の谷間に広がっている。
 古来より豊後-日向を繋げる街道が走る交通の要衝であり、山頂からは北西に緒方、北東に府内、東に臼杵方面を眺望できた。
 日向を後背地とし、豊後南部を支配するのにまさに打って付けの立地と言える。
 しかし、府内を中心に勢力を広げた銀杏国はこの重要性に気づけども海岸線を重視し、地域拠点とするような大規模な築城は行わなかった。
 その結果、山頂部の小規模な山城と北麓部の兵力駐屯地という形で縄張りが作られている。
 それを新たな支配者となった鹿屋家が大改修を行っていた。






鹿屋利孝side

「―――あー・・・・、終わらない・・・・」

 豊後松尾城。
 数ヶ月前はひっそりとした小城だったが、今は切り開かれて土木工事や建設工事が行われて地域の拠点としての姿に変わりつつある。
 麓でも城下町の町割りが行われており、様々な人が出入りしていた。

「終わらん、終わらんよ~・・・・」

 肥後国大矢野城で歴史的な会談が行われている中、龍鷹侯国の"翼将"・鹿屋利孝は床机に崩れ落ちている。
 彼がいるのは本丸御殿だ。
 真新しい本丸御殿は新築らしい木の匂いに包まれていた。そして、周囲には建設現場を象徴する木槌の音と人足たちのかけ声が響いている。
 爽やかかつ熱気のある雰囲気の中、彼の周囲だけ澱んでいた。

「何で俺がこんな目に・・・・」

 床机の両脇には膨大な書状や木札が積まれており、小姓たちがせっせと仕分けしている。
 利孝の確認を終えた物は持ち出され、それとほぼ同じ量が持ち込まれていた。
 つまり、彼が手を止めた分だけ確認待ちが増えることになる。

「大身の気苦労ですな」

 利孝のぼやきに応じたのは元銀杏軍団陣代・冬峯勝則がゆっくりした動きで書状に目を通していた。そして、書状の脇に内容の補足説明を入れた木札を置く。
 彼の領地は杵築だったが、一時期は全軍団をまとめ、南部防衛線を指揮した関係で土地に明るい。
 新領主の補佐としては最適な人選と言えた。

「尤も、何故に人質の私がこんなことをしているのかという疑問の方が大きいですが」
「猫の手でも借りたいと思う状況であることは理解できるでしょう?」
「人質より猫の手を借りる方がまだ現実的と言えると思いますが・・・・」

 利孝の言葉に勝則は呆れたようにため息をつく。

「しかし、鹿屋家は根っからの武闘派なのですか? 中央集権化された龍鷹侯国の中でも一定の地方自治権を持った豪族だと認識していましたが」
「その認識に間違いはないですが、配置換えと石高がほぼ倍増しましたからな・・・・」

 豊後攻め以前の鹿屋家の領地は大隅国鹿屋を中心とする大隅中央部だった。
 戦では大隅南部の兵をまとめ上げていたが、平時の支配領域はそう大きくない。
 このため、吏僚担当者も少なく、突然倍増した領国支配に四苦八苦していた。
 おまけに大隅から国替えされたのは鹿屋家だけではなく、与力衆も一緒のため、これらからの陳情も豊後南部の旗頭である利孝の下に持ち込まれている。

(新領地であることや元敵地であること、さらには先住民である豪族や地主がいることなどが事態を複雑化させているんだよな・・・・)

 利孝は盛大なため息をついた。
 侯王である忠流は豊後南部の早期領国化と戦力化を期待している。
 鹿屋家を中心とした大隅衆は約二五〇〇~四〇〇〇の戦力を持っていた。
 現在、これらは大隅衆転封後に加増された居残り組や新領主が率いる。しかし、旗頭はおらず、旗本衆として取り込まれていた。
 兵は動員後に兵科ごとに部将に率いられる形となったのだ。
 一方で、豊後衆は一部を除き、ほとんどが鹿屋利孝の指揮下となる。

(まだ兵力の算出まではできていないが・・・・)

 臼杵城自体は海軍管轄下だが、戦前まで臼杵城が管理していた農村の大半は鹿屋家が支配している。
 概算戦力は三〇〇〇~四〇〇〇と言えた。
 これに佐伯、岡などが加われば六〇〇〇近い軍事力を有することになる。
 これは決戦戦力の一備というよりも方面軍に近い。
 事実、利孝は豊後方面の全権を任されていた。

(この全権も厄介なんだよな・・・・)

 豊後攻めの結果、日向北部と豊後南部には以下のような領主配備となっている。


 延岡城(日向国臼杵郡):神前豊政
  高城川の戦い後に降伏した際に没収されていた日知屋城を豊後侵攻戦後に回復し、神前氏の版図をほぼ取り戻した。

 烏帽子岳城(豊後国海部郡):兵藤信昌
  旗本出身。宮崎代官、日向日知屋城を経て佐賀関半島から大野川東岸を預かる。烏帽子岳城から領地経営は難しいため、旧海部郡郡衙周辺に城の適地がないか調査中。

 佐伯城(同国海部郡):大塩佳秋
  龍鷹軍団を佐伯城で迎え撃つも孤立無援で降伏。
  その後に大分平野の道案内などを通して、減封されながらも城主の座を維持する。

 臼杵城(同国海部郡):松井秀勝
  海軍第三艦隊関船船団を率いて豊後侵攻戦に参加。
  その後に臼杵城の海軍拠点化の担当者として在番。

 岡城(同国直入郡):村林信茂
  肥後口方面からの侵攻を担当。
  岡城より須藤氏退去後に城主として出水城(薩摩国)より移る

 豊後松尾城(同国大野郡):鹿屋利孝
  豊後侵攻戦では大野郡の制圧の他、佐伯城攻略、大分平野侵攻などの軍功があり、豊後南部の旗頭となる。

 田中城(同国大野郡):今掛清次
  鹿屋氏の与力であった大隅衆。鹿屋氏移封に従い、交通の要衝・田中城を預かる。

 烏岳城(同国大野郡):宮之原利照
  鹿屋氏家老。日豊国境鉱山地帯の豊後側入り口を守る。

 鶴賀城(同国大分郡):瀬川利長
  鹿屋氏家老。大分平野の出入り口である鶴賀城を守る。

 水ヶ城(同国大分郡):中谷直時
  鹿屋氏の与力であった大隅衆。鹿屋氏移封に従い、臼杵の後背・水ヶ城を預かる。

 栂牟礼城(同国海部郡):吉永幸治
  鹿屋氏の与力であった大隅衆。鹿屋氏移封に従い、要害・栂牟礼城を預かる。

 朝日嶽城(同国海部郡):田北吉秀
  鹿屋氏の与力であった大隅衆。鹿屋氏移封に従い、交通の要衝・朝日嶽城を預かる。


 その他の城にも小さな城はいくつかあるが、おおよそここに挙げた者の与力となっている。
 鹿屋氏の領地とされているのは大野郡だけであり、鹿屋氏の与力は海部郡(兵藤を除く)である。
 それでも利孝が豊後周辺の軍勢を糾合して出陣する場合、村林、兵藤、大塩は利孝と行動を共にするのだ。
 この状態を豊後南部の旗頭という。

(面倒な・・・・)

 "翼将"と呼ばれる用兵方法は阿吽の呼吸から繰り出される鹿屋氏伝統の戦略にある。
 本隊とは別に自由を与えられているからであるが、鹿屋家の意向に従う大隅衆があったからできたことだ。
 村林や兵藤、大塩にもそれを強いるのは酷と言えよう。

(決戦の趨勢に影響を与えるのではなく、戦略的に戦役の趨勢に関与しろってことなんだろうな・・・・)

 それができたのが豊後侵攻戦だ。
 今度は豊後方面でどうにかしろということなのだろう。

「・・・・はぁ~」
「ため息をついているところ悪いですが、手が止まっている間に書状が天井に届きそうですぞ」
「は? ・・・・・・・・ハッ!?」

 勝則の言葉に視線を上げる。
 そこでは天井近くまで積み上がった書状の上に、さらに積もうと小姓が足場の上に立って手を伸ばしていた。そして、いきなり顔を上げた主君に驚いたのか、小姓の手が書状タワーに触れる。

「どわぁぁぁぁッ!?!?!?」

 バランスを崩し、崩壊した書状に呑まれる利孝。

「殿ぉっ!?」

 ちゃっかりと足場から飛び降りて回避していた小姓の慌てた声がした。そして、必死に書状の山を退かしてくれる。

「やれやれ。はい、これで一枚追加っと」

 一方で、勝則は一連の騒動の中でも継続していた書状の補足書きの結果に仕上がった書状を山に積んだ。

(こいつ・・・・ッ)

 紙とは言え、重量で動けない中、利孝は勝則に向けて殺気を放った。
 その殺気が自分に向けられたものと勘違いした小姓が半泣きで紙を退ける中、別の人物の声が聞こえた。

「―――ぅわ、人が埋もれている。こんな光景あの野郎以外で久しぶりに見たな」
「まあ、滅多に見られるものではありませんからね」

 楽しそうな声音と呆れた声音。
 それは龍鷹海軍の麒麟児・鷹郷勝流と臼杵城代・松井秀勝のものだった。




「―――失礼しました。勝流様はどのようなご用件でいらしたのでしょうか?」

 利孝は上座を勝流に譲り、勝則を退席させた。
 さらに城内にいた家老も呼びつけている。
 部屋にあった大量の書状は仕方がないので、部屋の隅に寄せておいた。
 護衛を兼ねる小姓以外の者がせっせと分類している。

「特に要件はないぞ。臼杵の査察に来たので、この地域の旗頭である鹿屋殿の下に挨拶に来ただけだ」
「は、作用で・・・・」

 勝流は一門衆筆頭の立ち位置におりーーというか、忠流以外の一門衆は彼しかいないーー、海軍の事実上の責任者だ。
 新拠点である臼杵の査察は十分にあり得ることだ。

(御館様が監査に向かわせた、ということはないだろうな)

 監査に来るのであれば、この地域の軍監でもある兵藤か、刑部大輔の藤川晴祟だろう。

「どうだ、豊後は?」
「山がちで平地が少ないことは大隅と変わりませんが、豊後と日向の国境地帯にある鉱山管理はなかなかに骨ですね」

 操業管理自体は現地の代官が行っているが、出荷するための港とそこまでの輸送路は鹿屋家が管理しなければならない。
 重量物を運搬するために道は傷みやすく、台風や大雨でも来ようものならば整備も必要になるのだ。

「反乱の兆しはないか?」
「それはありませんね。確かに領民の目は厳しいですが、まとめ役がいません」

 高城川の戦いで銀杏軍団は大打撃を受けた。
 結果、出兵した多くの豪族が戦死したことで、まとめ役がいない。
 また、出兵した農民兵の多くは捕虜となり、その後に戻ってきているので、人口が減少した状況ではない。
 領民の厳しい目は恨みのものではなく、新参者に対する不信感だ。
 ならばその疑念を解消してやればいい。

「善政を敷き、任じる代官の不正をなくすことが近道です」
「なるほどな。俺は領地を持たないからそういうことには疎い。・・・・こいつもな」

 勝流が顎で示したのは松井だ。

「漁業権の海の交通権などには詳しいが、陸のことはさっぱりだ」
「はは。確かに臼杵城をもらっていますが、籠城戦以外できそうにないですからな」
「というわけで、水ヶ城からの増援を期待しているからな」

 日焼けした真っ黒な顔にやけに白い歯を光らせながら笑う松井。

「まあ、中谷は戦上手ですから安心してください」

 毒気が抜かれた利孝は与力である水ヶ城・中谷がカバーすると言った。

「ま、防御はいいんだ。当分、銀杏軍団は復活しないだろうしな」
「向こうも再編中ですからね」

 従属しているとはいえ、敵性国家でもある銀杏国には変わらず諜報部隊を送り込んでいる。

(再編に忙しくて、失地回復戦を仕掛けるなんてことはないけどな)

 これまで平時は府内城を、戦時は高崎山城を使用していたが、府内城は鹿屋氏と勢力圏が近すぎる。
 このため、大分平野は守備隊こそ置くが、高崎山城を前線要塞とするようだった。
 本拠は別府湾の北岸の日出城に置き、戦時には鹿鳴越城を詰めの城として用いるようだ。
 なぜ詰城が必要なのかというと、日出城が海に面した平城だからだ。
 臼杵城のように海上から攻撃される可能性もあるので、鹿鳴越城を利用するということだ。
 そんな危険性があるのに本城を日出に置く理由は、弱点でもあった立地だ。
 日出城はもうひとつの重要拠点である杵築城も近く、国東半島の戦力を集結させるには良い立地なのである。
 また、後方はすぐに豊前であり、いざとなれば退去も可能だった。

(だけど、この位置だと大分郡や日田郡からは離れてしまうがな)

 銀杏国と龍鷹侯国の国境は内陸部では主に神角寺、鎧ヶ岳、烏帽子岳などの山岳地域である。このため、大分川上流や七瀬川上流は銀杏国が支配しており、右下に直角を持つ直角三角形のような形(?)が今の銀杏国の領土だ。
 この直角部分に府内城が位置しており、日出城はこれよりも北のため、西の領地から離れている。
 よほどの代官を置かない限り、東西で分断される可能性があった。

「ふーん。それで、銀杏国の東側は冬峯利胤が支配しているんだろう? それじゃあ、西側の旗頭は誰なんだ?」
「前日出城主で、岡城に籠城していた冬峯利邦ですな。由布は戸次川の戦いで見事な戦いを見せた梅津家が変わらず支配しています」

 戸次川の戦いで緒戦に猛攻を仕掛け、殿軍を務めて討死した梅津正俊。
 その嫡男・胤正が家督を継ぎ、変わらずに権現嶽城から由布地域を支配している。

「・・・・大丈夫か? 俺ですら割れる未来しか見えないんだが・・・・」

 梅津家はともかく、冬峯利邦は現状に納得しているわけがない。
 もし謀反に走った場合、幼い当主が率いる梅津家では支えきれないだろう。
 あっという間に領国の西を失陥し、反乱は長期化するだろう。

「割れて、何か困ることでも?」
「・・・・ま、ないか」

 そのままの勢いで利邦勢が戦いを挑んできても、返り討ちにして逆に領地を占領してしまえばいい。
 そうなれば龍鷹侯国は合法的に日田郡を占領できる。

「むしろ煽っているのか?」
「さあ、どうでしょう?」

 ニヤニヤしながら聞いてきた勝流に利孝はとぼけた回答をした。

「ふん。まあいい、安心した」
「安心?」

 勝流の言葉の意味が分からず、利孝は首を傾げる。

「せっかく領国のど真ん中である鹿屋から最前線の豊後に来たんだ。男児たる者、領土拡大を夢見ないとな」

 パチリと片目を閉じて見せ、茶目っ気たっぷりに笑う勝流。
 「人タラシ」と呼ばれ、海軍将兵を魅了した父親と酷似した笑みだ。

「御館様が私に与えた指令は『切り取り次第』ではなかったと思いますが?」
「機会を得て領土を拡張したことを咎めるあいつじゃないとも思うな」

 そこに忠流を教師とした強かさが加わると、将来末恐ろしい部将になりそうだ。

(この少年も少年で、南九州の片隅に終わる人間ではないな)

「そのくらいの気概がないと、豊後の海軍を指揮する権限を与えることはできないな」
「・・・・今、なんと?」

 勝流の言葉に再度首を傾げた。
 海軍は鷹郷家直轄であり、その指揮権は陸上部隊と異なる。
 それを利孝に委ねるというのだ。

「豊後は薩摩から遠すぎるし、配備している船団規模も小さい」
「小規模・・・・?」

 安宅船三隻、関船七隻、小早五〇隻は決して小規模ではない。
 半壊した銀杏水軍を凌駕するし、伊予水軍を初めとした瀬戸内水軍の一団とも戦えるだろう。
 だが、瀬戸内海西部のパワーバランスを崩すほどではない、絶妙な戦力だ。

「豊後の戦況に合わせて、進出・撤退をしなければならないからな。だから、その戦線の大将であるお前の指揮に従うのが自然だ」
「海軍が勝手に戦い、敗北して、海岸線を失うのを避けるためってことですか?」
「陸軍が敗北して、背後から策源地を攻撃されたら堪らないから、かな?」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
「ふふふ」
「ふはは」

 不敵な笑みを交換し合うふたりに、怯えたように背筋を震わせる小姓。
 だが、ただひとり、堂々と茶を入れる者――松井秀勝はこの光景を前に呟いた。

「お、茶柱が・・・・・・・・沈んだ、か」

(しょぼんとしたァッ!?!?!?)

 驚愕の光景に無言でツッコミを入れた自分を褒めたいと、後にその小姓は振り返る。
 今日この場で見聞きしたことは恐怖と「茶柱沈没」の衝撃でほとんど覚えていなかったのだが。




 南に鹿屋氏を始めとする龍鷹侯国、北に銀杏国が割拠する豊後国。
 講和から数か月経った今、両方の勢力は地盤固めに邁進していた。
 このため、西海道の不安定箇所は東ではなく、西となる。
 その西とは肥後北部と肥前北東部。
 この地で戦端が開かれ、それが西海道全体にどのような影響を与えるのだろうか。










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