「銀杏の落葉」/九



 海上機動作戦。
 これは強力な海軍を保有する龍鷹軍団が得意な戦法だ。
 陸地を移動するよりも海上を移動する方が速かった時代。
 船の物資輸送力を活用したその作戦は忠流が率いる軍団の十八番とも言え、先の肥後戦線でも虎熊軍団は警戒していた。
 だが、主戦場が内陸に移った豊後攻防戦では封じられたような気配がある。
 故に銀杏軍団は大野川を自分たちの防波堤のように考えていた。
 しかし、川――自然とはどちらの味方ではない。
 等しく平等に、その恩恵と脅威を与えるだけの存在だ。


 忠流は平時において水運として利用されている大野川に早くから注目していた。
 佐賀関半島から南西へ続く丘陵地域の穴としてだけでなく、この大野川の経路と重なる戸次地区は忠流以下軍団司令部の決戦予定地筆頭だったのだ。
 よって、ここでの決戦が現実味を帯びてくると、忠流は鍋田城在城時に命令を下していた。そして、自身の体調不良期間にそれを整えようとしたのだ。
 軍団休止を命じる際、忠流は直武とこういう会話をした。


『ま、一番あり得るのは鶴賀城の強化だろう』

 堀を深め、その土で土塁を高くし、柵や逆茂木を配置する。
 さらに矢玉や兵糧の搬入、農民兵の調練なども行って、戦力の増強に努めるはずだ。
 十日程度でどのくらい強化できるかは未知数だが、寡兵を持って大軍を牽制できることは間違いないだろう。

『まあ、それは十分の想定内ですな』

 とはいえ、たかが十日程度でできることは限られる。

『では、"問題ない"ですね』
『ああ、"問題ない"』
 直武の確認に、忠流は頷いた。


 "問題ない"。

 それは鶴賀城がどれだけ強化されようと"端から攻略する気がないのだから問題ない"という意味だ。
 銀杏軍団にとっての鶴賀城と龍鷹軍団にとってのそれは、同価値ではなかったのだ。
 龍鷹軍団にとって、鶴賀城は敵主力軍を誘き寄せる餌でしかない。


 奇襲による思わぬ被害を受けたが、食いついたのならば問題ない。
 後は用意した作戦を実行に移すのみである。
 それを長井・武藤勢は淡々と実施した。







攻守逆転scene

「―――馬鹿な・・・・」

 鵬雲五年一二月八日巳の刻(午前10時頃)、大野川東岸戸次地区。
 ここに本陣を置く銀杏軍団は大混乱に陥っていた。

「か、鏡城落城・・・・」
「敵騎馬集団、判田川合流地点の味方部隊を蹴散らしましたッ」
「判田川周辺を占拠した敵は≪茶褐色に黒の丸柊≫・・・・長井勢です」

 つい先程、冬峯勝信率いる精鋭部隊が敵本陣に喰いついたという連絡を受けたばかりだ。
 本陣は勝利の予感に一気に色めき立ったのだが、その気持ちはどん底に叩き落されている。

「このままでは磨り潰されてしまいます・・・・ッ」

 龍鷹軍団は川を挟んだ合戦――半途討つが使える――が得意と聞く。
 これはいつも敵の大軍を相手にしてきたこともあるのだろうが、先鋒を司る長井・武藤勢が強力ということもあった。
 だから、銀杏軍団は敢えて大野川を渡り、敵にとって背後とも言える戸次地区から攻め寄せたのである。
 事実、龍鷹軍団は鶴賀城の存在により分断されていた。
 この状況で鶴賀城北方にいる軍団を襲えば、敵は城東方を通って前に出るしかない。
 その時に鶴賀城東方虎口から本陣を襲えば、総大将を討ち取ることができると思っていたのだ。

「日向衆、攻勢に出ました!」

 前線から銃声と喊声が聞こえてきた。
 隊列を整えた日向衆が、銀杏軍団の動揺を捉えて佐柳川の渡河を開始したのだ。

「チッ。鶴賀城西北部で神前勢を攻めている部隊を呼び戻せ」
「し、しかし、それでは鶴賀城はまた孤立しますが・・・・」
「致し方ない・・・・ッ」

 鶴賀城の失陥は大分平野に対する脅威増大に他ならないが、すでに判田川を抑えられた以上、それは変わらない。
 このままでは主力軍が壊滅するし、鶴賀城との連絡路も大野川から攻撃されればひとたまりもなく途絶するだろう。

「―――父上!」

 動揺する部隊を鎮めるために矢継ぎ早に指示を出していた勝則の下に嫡男・勝信が顔を見せた。

「おお? そなた何故・・・・。いや、そうか」
「ハッ。敵大将に手間取っているところに半鐘が聞こえたので・・・・」
「討つより先に全面崩壊が先と判断したか・・・・」

 勝信が忠流を討てていればこの苦境は脱せたかもしれないが、討つ前にこちらが崩壊しては意味がない。
 そして、その討ち取りを信じてここで戦っていた場合、軍団は壊滅していたかもしれない。
 それを思って撤退してきた勝信を責めることはできない。

「鶴賀城の者も脱出を開始して撤退。神前勢は再編に忙しいようで追撃はありません」
「・・・・今なら退けるか・・・・」

 勝則は小さく呟いた。
 北方の松岡地区は確保している。
 判田川で待ち受けている長井勢を突破することは不可能であり、寒田地区を失陥してでも高尾山東方を経由して府内城に戻るべきだ。
 早く退けば大分川南岸の守岡城に入れるはず。
 また、大分川東岸と大野川西岸の明野・鶴崎地区は確保しなければならない。

(問題は殿だ・・・・)

 このまま整然と退けるとは思えない。
 確実に足止め――殿が必要となる。

(そして、その者は確実に討死するだろう)

 数千を超える兵を押しとどめるためには数百では話にならない。
 貴重な部将をまたここで喪うのだ。

(引き際か・・・・)

 高城川の戦いでおめおめと生き残ってしまったことに対する引け目があった。
 勝則は主力軍敗北を受け、延岡から南下はしなかった。
 神前勢の動向が分からず、延岡に待機しておかなければ丸々包囲される可能性もあったからだ。
 だが、大分からは見捨てたように見えたのだろう。

(律様の視線も痛いことだしな)

 臆病者という汚名を返上するために働いたが、それが逆に権力にしがみつくように見えたのだろう。
 当主後見人となってピリピリしている律もどこか疑いの目を向けていることには気が付いていた。

「殿は私が―――」
「―――伝令!」

 「―――務めよう」との言葉をかき消す勢いで使番が本陣に転がり込んでくる。
 敵襲かと慌てた武士たちが立ち上がる中、その若者は勝則の前で片膝をついて言上した。

「僭越ながら我が主・梅津正俊が殿を引き受けまする故、皆々様はよろしくご帰参されたしとのことです!」
「「―――っ!?」」

 勝則と勝信は息を呑む。
 それは先鋒として日向衆を抑えている梅津勢一〇〇〇の玉砕宣言だった。

「いやしかし、梅津殿はすでに先鋒として多大な軍功を上げておられる。それでは他の者と差が生まれてしまいますぞ」

 旗本として二〇〇を率いる老将が言う。
 殿は名誉だ。
 梅津勢の軍功は抜きんでているために他の者に譲るべきだと言っているのだ。
 本音を言えば梅津ほどの人材をなくすに惜しいということでもある。

「すでに敵の攻勢が始まりました。ここでの陣替は全面崩壊を意味します」

 若者は涙をこらえながら言葉を続けた。

「我が主は『先の敗戦の責、雪ぐにはまだ足りぬ』とのこと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか」

 梅津家の先代は高城川の戦いで指揮を執った正典だ。
 敗因は諸将の暴走とはいえ主力軍の壊滅、御曹司の生死不明、後方の当主自身も討ち死にする大敗を喫した責務は彼にあった。
 それは彼自身が戦死していてもあまりにも大きい。
 本来ならば取り潰しものだというのに、律と勝則は枠組み維持を掲げて梅津家を存続させていた。
 正俊からすれば御家存続の恩があるのだ。

「承知した。ここは梅津殿の武勇に縋ろう」

 そう言うと勝則は床机から立ち上がり、馬を呼んだ。

「退き陣じゃあ!」
「退き太鼓を鳴らせ!」

 それを見た側近たちが命令する。
 梅津勢全てが死兵となろうとも龍鷹軍団を押しとどめられるかは分からない。
 だが、一分一秒も無駄にできないのだ。
 今は迅速に動くべきだった。




 後に戸次川の戦いと呼ばれる龍鷹軍団と銀杏軍団の主力決戦は龍鷹軍団の勝利で終わった。
 龍鷹軍団は奇襲を受け、本陣まで戦闘に巻き込まれる。しかし、大野川を下った長井・武藤勢が大野川西岸の鏡城を落とし、さらに銀杏軍団の退路まで断った。
 退路を断たれた銀杏軍団は撤退を決意。
 先鋒である梅津勢をそのまま残置する形で撤退する。
 梅津勢は裏崩れすることなく、日向衆の全面攻撃を相手に奮戦した。だが、御武・瀧井勢に横腹を衝かれて壊滅。
 主将・梅津正俊以下首脳陣は最後まで秩序だった抵抗を見せるも力尽き、討ち取られる。
 戦後の首実検で、忠流より最高位の持てなしをされ、丁重に弔われた。
 また、鶴賀城は城兵脱出の結果、自落する形で龍鷹軍団の手に落ちている。
 戦略的および戦術的に龍鷹軍団の勝利だった。

 両軍の損害は以下の通りだ。
 龍鷹軍団は鶴賀城攻防戦を含めて約一五〇〇の死傷者を出した。
 一方、銀杏軍団も壊滅した梅津勢を含み、約一五〇〇の死傷者を出す。
 損害だけで見れば同数だが、彼我の戦力差からすれば銀杏軍団は善戦し、先の高城川の戦いで失った名誉を幾分か回復させた。
 だが、勝者は龍鷹軍団であり、同軍団は銀杏国の本拠地――大分平野への道を"またひとつ"、こじ開けたのだった。






真価発揮scene

「―――なんだ?」

 鵬雲五年一二月八日の夜半、冬峯勝則率いる銀杏軍団主力は府内城に帰還した。
 梅津勢の壊滅を始めとする損害と退却中に離散した兵も含め、約三〇〇〇を失っている。
 だが、それでも二〇〇〇をまとめて帰還した手腕は褒められるものだった。

「騒がしいな」

 敗北の報が届く中、まとまった軍団の帰還は歓喜されるはずだ。しかし、今の城の雰囲気は"それどころではない"というものだった。

「父上、兵は休ませますので、早く本丸へお行きください」
「・・・・頼んだ」

 その雰囲気に嫌な予感しか抱けない勝則は勝信の申し出を受けて本丸へと急いだ。

「―――とにかく物見を増やすのです! 状況を知らなければ何もできません!」

(おや?)

 本丸で指示を出していたのは高崎山城に向かったはずの律だった。
 彼女は小袖の上から皮防具を身に着け、袖もたすき掛けにして動きやすい格好でいる。
 どう見ても「籠城中の女」だった。

「律様、ただいま戻りましてございます」

 勝則は指示を出し終えて一息つく彼女の前に進み出ると、片膝をついて首を垂れた。
 ここは板間なので平伏してもよかったのだが、彼女の格好から戦時と判断したのだ。

「勝則殿ですか。よくご無事で」

 吐息交じりに返事をした律からは隠し切れない疲労の色が見える。

「はっ。不覚を取りましたが、二〇〇〇ほどは連れ帰りました。もう少し経てばさらに帰還兵は増えるでしょう」

 龍鷹軍団の追撃は大野川までだった。
 大野川西岸を進んだ部隊も小岳城を攻略して止まっている。
 小岳城から一里弱に存在する西寒多神社は非戦闘地域宣言を出していた。
 このため、勝則は兵の一部を守岡城に入れ、大分川周辺を何とか確保させている。
 それぞれの拠点にたどり着いた兵は明日には府内城に戻ってくるだろう。

「いいえ、待てません」

 律は力なく首を振った。

「・・・・何故でしょう?」
「大分は捨てざるを得ません。今は物資の搬出作業中です」
「なんですと!?」

 律たちが高崎山城に移動したのはここより安全だからだ。しかし、戦略に府内城放棄は含まれていない。

「まだ大分川は防波堤として機能しますぞ?」
「その情報は古いです」

 律は暗い表情で勝則の言葉を訂正した。

「本日早朝、佐賀関の烏帽子岳城が急襲されて陥落しました」
「なっ!?」

 烏帽子岳城は佐賀関半島の中核であり、ここの失陥は佐賀関半島だけでなく、別府湾の入り口南側を失ったに等しい。

「さらに昼頃には大野川河口西側に龍鷹軍団が上陸。迎撃に出た鶴崎城勢は敗北し、城も失陥しました。龍鷹軍団はさらに乙津川西岸の千歳城を夕方に落としています」

 後に乙津川の戦いと呼ばれる戦闘であり、この結果を受けて銀杏軍団は大野川東岸域の主要拠点を失陥したことになる。

「いったいどの部隊が・・・・」

 龍鷹軍団に新手を繰り出す暇はなかったはずだ。

「千歳城から知らせに来た者は鹿屋勢の旗と・・・・・・・・佐伯の旗を見たと」
「・・・・なん、だと・・・・・・・・」

 勝則は多大な衝撃を受けた。
 鹿屋勢は佐伯城に向かったとの情報を得ていた。
 その鹿屋勢に交じって佐伯の旗――大塩氏の旗が見えたということは、佐伯城が陥落しただけでなく、大塩氏が道案内を買って出たに他ならない。
 つまり、大塩氏は冬峯氏を見限ったのだ。

「平城の府内城では支えきれません。高崎山城を最前線にし、豊後北部を確保するしかありません」

 豊後北部と言っても、大分郡西半分、国東郡、玖珠郡、日田郡だ。
 山岳地帯であり、防御に適してはいるが、平野部を失うため生産能力への打撃は大きい。

「どうにか岡城も講和に持ち込み、城兵を退去させなければなりませんが・・・・」

 岡城の須藤氏も豪族出身の家臣だが、今は一門衆の冬峯利邦が城代として立て籠もっている。
 裏切ることはないだろうが、主力軍の敗北によって意気消沈しているだろう。

(いや、奴ならば自棄を起こして突撃しかねない)

 利邦の父は高城川の戦いで渡河決戦を主張した利春だ。
 血気盛んなのは父親譲りである。

「とにかく落ち着くには高崎山城に移動しなければなりません」

 勝則が連れ帰った兵と府内・高崎山城に残した兵を合わせて三〇〇〇。
 佐伯城という楔がなくなった龍鷹軍団は兵站に不安がなくなっている。
 その戦力は戸次川の戦いで打撃を受けたとはいえまだまだ一万を上回っていた。






「―――さー、どうしよ」

 翌一二月九日、龍鷹軍団は大分川を臨んでいた。
 早朝に長井勢が大分川南岸の守岡城を攻撃したが、もぬけの殻ですぐに陥落している。
 忠流はここに本陣を置き、対岸を観察していたが、敵軍らしきものは見当たらなかった。

「伏兵を置いているのでしょうか?」

 忠猛が言う。

「分からん。こんなことなら鹿屋勢を大分川東岸域の制圧行動を指示しなければよかったな」

 占領活動以外の選択肢として、府内城の東側への進出があったのだ。
 ただ忠流は以下のふたつの理由から大分平野東部の制圧を優先した。
 本隊と鹿屋勢の連絡線を確保すること。
 大分平野東部を通って大野川を渡って本体の背後に銀杏軍団が進出することを防ぐこと。
 ただし、銀杏軍団が大分川を防衛線にしないのであれば必要のない措置かもしれない。

「―――失礼します」
「おお、来たか」

 守岡城の本丸に姿を見せたのは霜草茂兵衛を連れた藤川晴祟だった。
 彼らには大分川北岸の様子を探らせていたのだ。
 その報告に来たに違いない。

「銀杏軍団主力の位置が分かりました」

 藤川は忠流の前に置かれた地図に視線を落とした。

「ここに、おおよそ三〇〇〇がいます」
「高崎山城か・・・・」

 大分府内城は平時の政治的中心であるが、この高崎山城は詰めの城である。
 どちらを本拠地と見るかは意見が分かれるが、銀杏国はこの高崎山城を本拠地と公言していた。

「戦略的には想定内だが、一戦もせずに府内を捨てるとはな・・・・」

 府内城に立て籠もっても防御力の低い立地では龍鷹軍団を防げない。だが、政治的中心であるということは銀杏国を支える経済基盤でもある。

「焼きますか?」

 藤川が無表情で言った。
 城下町を焼き払うのは常套手段だ。
 銀杏国民への強いメッセージになるし、高崎山に籠る敵軍の士気も挫けるかもしれない。

「・・・・いや、止めておこう」

 軍事的に意味のある行動でも、統治するようになればいらぬ恨みを買うことになる。

「鹿屋も平和的に制圧しているようだし」

 鹿屋利孝による制圧は、基本的には拠点包囲→降伏勧告→降伏後に人質を取るのみ、というスタイルだ。
 兵がほとんどいないこともあり、ほとんど抵抗はない。

「二五〇〇では足りないので、五〇〇の旗本を送っています」

 傍にいた鳴海直武が言う。
 このため、この守岡城に展開している龍鷹軍団は約一万だった。
 先の五〇〇の他に戸次川の損害と鶴賀城の守備に割いている。

(高崎山城の兵力は三〇〇〇だから、こちらは攻め手三倍の法則は達成している)

 攻城戦に際し、攻める側は守る側の三倍の兵力を用意しろとよく言われる。
 龍鷹軍団はこれをクリアしているのだ。

「進撃しますか?」
「・・・・府内までは進もう」

 高崎山城を攻めるかどうかはその時考える。

(今日は一二月九日かぁ。伏兵に警戒しながらの府内制圧を終えるのに二~三日)

 鹿児島を発した時はまだ十月だった。
 薩摩から豊後までの距離もあるが、動員による国力疲弊は確実にある。

(ここで難攻不落の高崎山城攻めをする体力があるかなぁ)

 兵站路の確保と兵の休養は問題ない。
 問題は兵糧の貯えと軍資金だ。
 龍鷹侯国は比較的財源が豊富だが、それでも今年は戦い尽くめで出費が多かった。

「う~む・・・・」

 攻勢限界、という言葉が忠流の脳裏に浮かぶ。
 これを回避するために龍鷹軍団は銀杏軍団主力との決戦を臨んだのだ。
 しかし、戸次川の戦いに勝利したが、銀杏軍団に致命的な打撃は与えられなかった。

(戦の終わり方を考えないとダメか)

 高崎山城を攻略して銀杏国を滅ぼしても、龍鷹侯国の勢力が著しく減退すれば意味がない。
 最悪、豊後の統治に失敗して内乱が発生するだろう。

(冬峯氏を滅ぼすのではなく、何らかの形で取り込むしかない、か・・・・)

 いくつかの構想はあるが、失敗すれば冬峯氏を旗頭にした独立運動となるだろう。

「―――私の使いどころですか?」

 末席に座っていた青年が忠流に言葉をかけた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 忠流はそちらに視線を向け、表情を消す。
 そこにいたのは冬峯家の現当主の父であり、前当主の婿養子――冬峯利胤だった。






 鵬雲五年一二月一二日、龍鷹軍団が府内城に入城す。
 龍鷹軍団は大分平野をほぼ完全に制圧すると、物資の一部を領民に配った。そして、盛大な祭りを開いたのである。
 大分平野の支配者であった冬峯家は高崎山からその光景を見下ろしていた。
 龍鷹軍団はこれまでの占領域に軍政を敷くために府内城に展開した戦力は七〇〇〇まで減少する。
 そうした上で高崎山城に使者を向かわせた。
 言上は以下の通りである。

『"本拠地"である府内城を制圧したことで、当方の勝利は確定した。
 これ以上の戦闘は無意味と考え、終戦交渉を行いたい。
 代表者を送るので対応されたし

 なお、貴家判断を貴きお方もお待ちしていることだろう』

 最後の文言と共に花の種のような絵が描かれていた。

 種=胤。
 つまり、冬峯利胤を意味していることは明白だった。










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