「銀杏の落葉」/十



 高崎山城。
 由布岳、鶴見岳等が連なる火山群の南東端に当たり、別府湾に迫り出すようにしている屹立している。
 このため、この高崎山を境に南北で別府湾の支配権が異なると言っていい。
 この高崎山を確保しない限り、南方から攻める軍勢は国東半島や豊前へ動けない。
 故に古から重要拠点とされ、その山頂部には防衛施設が築かれていた。そして、冬峯氏によって数次に渡って拡張された結果、西海道を代表する山城となっていた。
 しかし、普段は少数の留守部隊が展開し、別府湾とその両翼である国東半島と大分平野を見張っている。
 だが、鵬雲五年一二月には数千の大人数が展開していた。






停戦交渉scene

「―――龍鷹侯国が臣、兵藤信昌と申します」

 鵬雲五年一二月一五日、豊後国高崎山城。
 ここに龍鷹侯国の交渉者として入城したのは神前氏の目付として従軍していた兵藤信昌だった。
 神前勢は先の戸次川の戦いで一番被害を受けた軍勢だった。
 このため、今更目付も何もないということで、日向衆の調整役でもあった彼が交渉者として抜擢されている。

「銀杏国主、冬峯千若丸と申す」
「後見人の冬峯律です」
「陣代の冬峯勝則だ」

 兵藤が連れてきた者は事務官や護衛である一方、使者を迎えている高崎山城は主だった者が会談に臨んでいた。しかし、先の臼杵城攻防戦で自害した田中信幸や戸次川の戦いで戦死した梅津正俊、岡城で籠城中の須藤千徳丸、冬峯利邦は不在だ。
 しかし、ただひとり、立場を変えてここにいる男がいた。
 その男は平伏したまま顔を挙げない。

「・・・・面を上げなさい、大塩殿」

 冬峯家の者たちの視線から逃げていた元佐伯城主・大塩佳秋に兵藤が声をかけた。
 身綺麗に整えているが、長い籠城戦の影響か痩せこけた頬は隠せない。
 また、その姿が精いっぱい戦ったのだと冬峯家の者たちに伝えていた。

「勝負は時の運です、大塩・・・・殿」

 律が慰めるように言い、もはや家臣ではない彼に「殿」をつける。
 その時に苦渋に表情が歪んだのは仕方ない。

(芯の強いお方だ)

 兵藤はその姿に感心した。
 癇癪を起してもおかしくない事実を目の前でありありと見せつけられたのだ。

(しかし、大塩殿を道案内にするなど、むごい仕打ちをする)

 鹿屋勢による大分平野席巻。
 それができたのは、日向衆の代わりに佐伯城を包囲した鹿屋勢に対して、佐伯城を守備していた大塩勢が降ったからだ。
 佐伯城を落とした鹿屋勢は海軍と協力し、別府湾入り口の佐賀関城を攻略。
 その後に銀杏軍団が鶴賀城救援のために出撃して空となっていた大分平野に上陸した。
 まさに"翼将"の本領発揮と言える大戦果だ。
 また、佐伯城の陥落は、包囲中にも兵糧攻めに出ていた日向衆の功績も大きい。
 佐伯城は多くの領民を城内に避難させ、その結果備蓄を食い潰してしまったのだ。

(後は臼杵の陥落もあって、佐伯城の救援は銀杏軍団主力軍が龍鷹軍団を撃退しても難しいことが決定打になったのでだろう)

 兵藤は大塩が降伏した理由を考察する。
 その大筋は間違っていないだろう。
 銀杏軍団主力が龍鷹軍団を撃破しても、龍鷹軍団が占領した地域の開放には時間がかかる。
 佐伯城が解放されるまでに兵糧が底をつくことを見越したのだ。
 自分たちの降伏によって主家の戦略が崩壊することは分かっていたが、領民たちの命には代えられない。
 純軍事施設ではなく、地域拠点であったことが佐伯城の命運を決めたのだ。
 さらに鹿屋勢が送った降伏勧告の条件が「武装解除」、「城の明け渡し」、「全員の助命」だったことが大きい。
 ここで主だった者の切腹などがあればもう数週間は粘ったはずだった。
 結局は明確なリーダーを確立できなかった大塩家、ひいては冬峯家の責任である。

「さて―――」

 律に声を掛けられ、大塩が恐る恐る顔を上げた後、兵藤は用意していた書状を広げた。

「こちらからの要求をお伝えします」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 ゴクリと冬峯家側が息を呑む。
 書状の両端を手で広げ、腕を水平にして伸ばした。
 相手に書状の文字は見せず、代弁スタイルを取る。


「ひとつ、岡城から退去し、直入郡・大野郡・海部郡を割譲すること」

 上の三郡に含まれる岡城は徹底抗戦中であるが、そこからの撤退要求。


「ひとつ、大野川以東の大分平野は龍鷹侯国に割譲すること」

 大分平野は大分川と大野川によって形成されており、地区も大分川西岸、大分川東岸-大野川西岸、大野川東岸に分かれる。この内、大分川東岸を割譲せよ、という要求である。
 因みに龍鷹軍団は大分平野をほぼ占領下に置いているため、大分川西岸および大分川東岸-大野川西岸からは撤退することを意味している。
 つまり、府内城や千歳城などは返還される。


「ひとつ、府内城下から撤退する龍鷹軍団に戦を挑まぬこと」

 大分平野からの撤退中には戦を挑むなということ。
 これは冬峯家の首脳陣はともかく、家臣団が暴発しないよう抑え込みの徹底を要求している。


「ひとつ、虎熊宗国との同盟関係を解消すること。また、その証拠に人質を差し出すこと」

 虎熊宗国との関係解消および龍鷹侯国への従属勧告。


「以上四点が龍鷹侯国から要求する事項の骨子です」

 「細かい要求はこれらをなすために出てくると思いますが」と続けた兵藤は供の者のひとりに書状を渡す。
 すると、その供の者が冬峯家側から進み出てきた小姓にそれを渡した。
 このような経由で書状を受け取った律と勝則が書状内容を目視で確認する。

「・・・・確かに、これが骨子のようですね」

 ため息をつきながら律が言った。
 そこに安堵が含まれるのは思い違いではないだろう。

(まあ、当主の切腹なども要求しようと思えばできるからな)

 冬峯家は分家が多い。
 現在の嫡流から血が遠くなっても、出自を共にする者は多いのだ。
 このような首のすげ替えはよくあることだが、忠流はそれだと滅亡まで戦が続く要求だと分かっていた。
 ブラフで要求する交渉術もあるが、今回は悪手であろうことは兵藤も同意する。

「・・・・ただ、これだけですか?」
「これだけ、とは?」

 律の質問に対し、兵藤はとぼけて見せた。
 それに噛みつこうと前のめりになった律を勝則が制す。

「兵藤殿、いくつか確認したい儀があるが、まずは一点」

 勝則は挑むような視線を兵藤に放った。

「先の使者が持ってきた書状にあった"貴きお方"とは貴国の侯王ではないだろう?」
「そうですね」
「では、誰なのか。返答次第によってはこちらの判断も変わろう」

 それが分からぬ限り交渉はしない。
 勝則はそう言ったのだ。

(さて、ここで言ってしまうのがいいのか・・・・)

 兵藤は無表情のまま思案する。
 彼は宮崎代官時代に多くの通商交渉をまとめた経験があった。
 だからここに派遣されたのだが、その経験をもってしても難しい交渉だ。
 銀杏軍団は戸次川の戦いで主力決戦に敗れ、領国南部だけでなく、本拠と言える府内城を占領されている。
 それでも未だ高崎山城には戦力が残っており、まだ力を残しているのだ。

(ここで交渉を蹴っても銀杏軍団は高崎山城で数か月粘ることができる)

 そうなればどうなるのか。
 龍鷹軍団は増大する戦費によって疲弊する。
 さらには沈黙している虎熊軍団が救援に乗り出す可能性がある。
 こうなれば窮地に陥るのは龍鷹軍団であり、そうならないために講和を結びたいのは龍鷹侯国の方なのだ。

(見透かされているのか・・・・?)

 龍鷹軍団に余裕があるのであれば、高崎山城まで兵を進めているだろう。
 それがない時点で銀杏軍団は龍鷹軍団の実情を正確に予想していると考えられた。

「して、誰なのか?」

 沈黙を続ける兵藤を急かすように勝則が言う。

「・・・・・・・・・・・・・・・・ふぅ」

 圧力をそらすように目を閉じ、一息ついた。

「冬峯利胤殿です」
「・・・・ッ、アア・・・・」

 律が震えた声を漏らし、口元を覆う。そして、すぐに隣の息子の手を握った。
 そんな"大名家の子女"としてではなく、妻であり、母である姿を見せた律を一瞥し、勝則も息を吐く。

「生きておられるのですな?」
「はい。高城川にて捕縛させていただきました。その後は丁重に監禁していました」
「・・・・五体無事か?」
「当然。ただまあ、多少運動不足ゆえに武勇の方は陰りがあるかもしれませんが」

 鍛錬ができないのだ。
 当然と言える。

「・・・・では、貴国が今回の条件として挙げている"人質"とはどういうことか」

 勝則の言葉に息子の手を握る律の手に力が入った。
 普通に考えれば、利胤が返還され、千若丸から家督を譲られて冬峯氏の当主となる。そして、その跡取りに戻った千若丸が人質として龍鷹侯国に渡る。
 すでに確固たる自我を持った青年よりも少年の方が人質として価値がある。
 少年時代に他国で過ごしていると、その国に対して親近感を抱くものだ。
 そうすると千若丸が成長して銀杏国に帰った折、銀杏国は龍鷹侯国の友好国になる可能性もあるのだ。

「それは・・・・」

 だが、それは千若丸と律の別れを意味する。
 利胤が生きていたとしても、千若丸と離れるのはつらい。

「まず、利胤殿はお返しします」

 兵藤は無表情のまま言う。

「そして、人質の指定ですが―――」

 律がゴクリと唾を飲む。

「―――特にありません」
「「?」」

 律と勝則の頭に「?」が浮かんだ。

「当方としては人質要求の度合いはそれほど大きくありません」

 兵藤は勝則に視線を合わせて言う。

「一族の子女でも、有力者の子女でも構いません」
「『銀杏国が龍鷹侯国に人質を出した』という事実で十分というわけか・・・・」

 これだけで虎熊宗国との同盟は解消され、銀杏国は龍鷹侯国への従属が周辺諸国に広がるだろう。

「・・・・では、この老いぼれでも構わないな?」
「・・・・勝則殿?」

 勝則の言葉に律は驚愕した表情を浮かべるが、兵藤は思案顔になった。
 勝則の身柄に価値があるかどうか。

(此度の戦役、敢えて戦犯を挙げるとすればこの冬峯勝則殿だ)

 銀杏軍団の消極的な姿勢を指揮し、臼杵城の陥落と佐伯大塩氏の誘降を招いた。
 さらに自ら指揮を執った主力決戦に敗北し、大分平野を失う失態を犯している。

(利胤殿が戻った時に粛清すれば、体制変更を印象付けられる)

 だが、それは諸刃の剣だ。
 利胤がいないから勝則が奮闘したのだ。
 その努力を知る者たちから反発を受ける可能性がある。
 ならばどうすれば丸く収まるか。

(そこで人質にして、事実上の追放か)

 龍鷹侯国は銀杏軍団の陣代を人質に取れる。
 銀杏国は嫡流継続と体制変更を告知できる。
 どちらにとっても損はない人選と言えた。

(まあ、利胤殿は統治に苦労するだろうが)

 高城川の戦いから今回の戦いで家老級の重臣が全て代替わりすることになるのだ。
 しばらくは領内維持で戦などできるものではない。
 さらに残る領地が削られ、生産高は大幅に低下したのだ。

「悪くないですな」

 兵藤は損得計算した結果、得と見てそう答える。

「これからのことは追って連絡します」

 そう言うと兵藤は立ち上がった。

「では、今後は仲良くいたしましょう」




 鵬雲五年一二月十六日、龍鷹侯国と銀杏国は講和した。
 これを受け、府内城にて捕虜交換を実施後、龍鷹軍団は撤退を開始。
 大野川を越えた段階で、本国帰還組と新領地慰撫組に分かれる。
 また、岡城勢は完全武装のまま城門を開け放って日田方面へと撤退。
 それを見送った村林勢が岡城を接収した。




「―――あー、心配かけた、すまない」

 府内城の本丸では困り果てた青年の声がしていた。
 彼は必死に宥めるが、彼の体に噛り付く様に抱き着く律と千若丸は声を殺して泣いている。
 彼――冬峯利胤は妻の背中と息子の頭を撫でながら視線を居並ぶ家臣団に向けた。
 その数はずいぶん減っている。
 そして、今からも減ろうとしていた。

「勝則殿」
「はっ」
「よく守ってくれた」

 銀杏国が崩壊せずに、今もその命脈を保っているのは勝則のおかげだ。

「父祖以来の豊後を守ることができず、誠に―――」
「だが、守れた土地もある。そなたがいなければ全てを失っていたはずだ」

 そこで利胤は顔をしかめた。

「これからも迷惑をかける」
「・・・・もったいなきお言葉」

 勝則は平伏して声を震わせた。

「梅津殿」
「・・・・はっ」

 戸次川の戦いで討死した梅津正俊の嫡男である少年が平伏したまま答える。

「そなたの伯父上を連れ帰れぬばかりか、留守の内に父を失わせて申し訳ない」
「いえ、これからはそれがしが両名の名に恥じぬ働きを致しますので」
「うん、よろしく頼む」

 しっかりと頷き、視線をもうひとりに向けた。

「勝信」
「はっ」
「戸次川での武勇、見事であった」
「ご覧になられておりましたか。無様をさらしまして」

 利胤は龍鷹軍団の後備にいたが、勝信以下の突撃は目にしていた。そして、その戦いぶりもだ。

「龍鷹軍団の本陣に討ち入りなど、晴胤殿も敵わなかった誉だ。恥じることはない」
「・・・・はっ」
「これからも支えてくれ」

 利胤はそう声をかけ、自らが背負う冬峯家の重みに小さくため息をついた。


 戸次川の戦いを決戦とした一連の戦役で、銀杏国は海部郡、大野郡、直入郡、大分郡の一部を喪失した。
 これは十六万石近くとなり、約五割の領土を失ったことになる。
 軍団への打撃も大きく、冬峯勝則を人質で出したため、頼れる重臣もいなくなった。
 これから豊後南部に新たに龍鷹侯国の部将が入封してくるだろうが、その軍団とも戦いは難しいだろう。

(誰が入るのかは分からないがな)

 岡、臼杵、佐伯など主要城に誰が入るのか。
 さらにそれをまとめるのは誰になるのか。
 大きな関心事と言えるが、利胤にとって豊後北部をまとめることの方が重要だった。




「―――利孝、よくやってくれた」
「いえ、お役に立てたようで何より」
「うんうん、"翼将"の面目躍如だな」

 撤退する龍鷹軍団は大分川南岸の守岡城で隊列を整えていた。
 この時に忠流は大分平野東部を席巻した鹿屋利孝を呼び出している。

「で、だ。その功績に応えて、だな」

 忠流は祐筆が記した書状にサラサラと己の花押を記した。そして、それを利孝に差し出した。

「加増の上、転封だ」
「転、封・・・・ッ!?」

 鹿屋氏は大隅国鹿屋を本貫地とする豪族だ。
 その名を冠する土地を守るために戦ってきたと言っても過言はない。
 如何に加増されるとはいえ、本貫地を離れることは厳罰とも言える命令だった。

「勘違いするなよ」

 怒りと失望とで目の前が真っ暗になっていた利孝に忠流は言う。

「鹿屋城主は鹿屋家のままだ。まあ、さすがに削る分は削るが」
「?」
「本貫地はそのまま。飛び地として大野郡を治めてほしい。どう統治するのかは利直と相談してくれ」

 利孝が受け取った書状にはこう記してあった。

『豊後国松尾城以下大野郡を加増する。また、豊後南部の旗印として軍権を与える』

 それは豊後大野郡約六万石を直轄地とし、直入郡や海部郡、大分平野東部に封じられる領主の盟主として君臨することを意味する。
 約十六万石の軍勢は五〇〇〇名近くなり、弱体化した銀杏軍団とも戦える。

「肥大化して、家臣団が手薄になるので、希望する大隅衆の与力たちもつけてもいいと思っている。その辺りも仲間で相談しろ」

 因みに他の地域は以下の通りだ。
 岡城:村林信茂(加増転封:薩摩出水城→岡城、直入郡領主)
 佐伯城:大塩佳秋(減封処分、豊後栂牟礼城→没収)
 烏帽子岳城:兵藤信昌(加増転封:日向日知屋城→烏帽子岳城。大野川東岸差配のため新城築城予定)
 臼杵・津久見・佐賀関:海軍差配
 尾平鉱床群:直轄地、鉱山奉行および鹿屋氏を代官

「薩摩からずいぶん離れているから。信頼のおける大身に統治してもらいたいんだ」

 利孝は若いが、幼少から一手の大将としての教育を受けている。
 さらに言えば大隅の名族として、貴公子然とした振る舞いも可能だ。
 軍事的才能であれば日向衆をまとめる絢瀬晴政や鳴海家を継いでいる盛武も可能だろう。だが、安定して数千を率いた経験で利孝の右に出る者はいない。

「鹿屋郷は隠居城とすればよいと思うぞ」

 つまり、利直が鹿屋城を管理し、利孝は松尾城に移れという。
 領地経営としては利孝が大野郡に入ることは当然と言えた。

「また、現在は松尾城に封じているが、統治上問題があるのであれば移動や新城を築いてもいい。築城する場合は国として援助もしよう」
「・・・・早速測量部隊を編成して確認します」
「うん、頼んだ」




 こうして、龍鷹侯国による銀杏国の征伐は銀杏国の縦深防御とも言える守勢のため、滅ぼすことはできなかった。しかし、豊後南部の切り取りに成功し、虎熊宗国との同盟を解消させることには成功する。
 心理上や血筋上はまだまだ虎熊宗国寄りと言えるだろうが、単独で龍鷹軍団に立ち向かうことはないだろう。
 こうして龍鷹侯国の本国を脅かす勢力を駆逐し、残る西海道の難敵――虎熊宗国と向き合う態勢が整ったのだった。






「―――うー」

 鵬雲五年一二月二〇日、龍鷹軍団主力は豊後-日向国境を越え、延岡を馬で通過しようとしていた。
 延岡を治める神前氏は今回の戦いでも比較的損害が大きい。
 このため、すでに城に帰って傷を癒していた。
 また、高城川の戦い後に召し上げられていた日知屋城――旧川澄氏、現当主・豊政の入り婿先――を再び与えられている。
 これで神前氏は日向南下を始める前の勢力にほぼ回復していた。
 連戦の傷が癒えれば大きな戦力になるだろう。

(だから、負けていない。負けていないんだッ)

「―――負け、じゃな」
「違うぞ!?」

 傍らの昶から発せられた言葉に忠流は反射的に言い返した。

「負けじゃろう? 銀杏国は存続し、人質として得られたのは銀杏国からすれば処断しても痛くも痒くもない老臣。返って国をまとめる手伝いをしたようなものじゃ」

 だからこそ、銀杏国は人質を出したのだ。
 また、形式上の人質とはいえ、銀杏国が人質の価値を感じていないのであれば意味がない。
 確かに銀杏国の半分を切り取ったが、元敵国の領土を安定に治めるのは至難の業だ。
 この支配のために送り出す諸侯は龍鷹軍団の主力を占めた者たちであり、龍鷹軍団の野戦軍が縮小したとも言えた。

「緩衝地帯と言えば聞こえはいいが、虎熊宗国に攻め入る経路の開削も失敗したしの」

 龍鷹侯国と虎熊宗国の国境はまだ接していない。
 両者が戦うには聖炎国か銀杏国を経由しなければならなかった。

「・・・・どうして俺が虎熊宗国と戦わなければならない?」

 「龍鷹侯国の国是は南海の鎮守だぞ?」と忠流は昶に言う。

「ほぉ? 本国まで軍靴に踏みにじられ、何もしないと? 南方の同胞はずいぶん弱気じゃの」

 昶は扇子で口元を隠した。しかし、細められた目から口元が弧を描いていることは容易に想像できる。
 さらに言えば、その笑みが「嘲笑」であることも分かった。

「・・・・好戦的な姫君だことで」
「妾とて、皇族・桐凰家の娘、西海の安定は気になるからな」

 昶はそう言って、北西を見遣る。

「特に今のような沈黙は、な」
「・・・・まあ、そうだよな」

 二か月にも及んだ戦役で、ただの一兵も援軍を出さなかった虎熊軍団。
 その沈黙は"不気味"の一言だ。
 龍鷹軍団が各城に抑えを残しつつ北上して決戦を急いだ理由は虎熊軍団の介入を避けたかったからだ。
 銀杏軍団本隊もなかなか決戦に応じなかったのは虎熊軍団を待っていたからに違いない。

(虎熊宗国はいったいどうなっているのだろうか・・・・)

 昶の視線の先――虎熊宗国の方を見遣る。

「―――ぅおわ!?」

 そして、馬が石を踏んでよろめき、忠流は落馬しかけた。

「講和を結んで撤退中に落馬とか、勘弁してください」

 馬を寄せて支えてくれた忠猛が安堵の息をつく。
 「忠流が落馬して負傷!」などと銀杏軍団に伝わると、和議を破棄して追撃してくるかもしれない。

「そなたの敵は遠くの人より近くの馬のようじゃな」
「・・・・その馬に乗れずに輿に頼る奴に言われたくない」
「ほっほ。危険予知というやつじゃ」

 昶はサラリと躱し、後ろに下がっていった。
 街道の幅が狭くなり、並んで進めなくなるからだ。

(さあて、と。どうするかなー)

 対虎熊宗国の露払いは済んだ。
 後はどう戦うかだ。
 それは戦場までの道筋を用意する、戦略家としての腕の見せ所だった。










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