「銀杏の落葉」/六



 鶴賀城。
 佐賀関半島を構成する泥質片岩ではなく、大野川西岸に広く分布する海成層の礫岩上に築かれた山城だ。
 比高150mという山稜上にあり、尾根伝いに二の丸や三の丸が東方に伸びる。
 南側に向かっては斜面や三段構造の横堀で区切られ、北方に向かって穀倉や狼煙台が広がる。
 主な攻略口は東方や北方で、南方や西方や小筒井川や大野川によって遮られている。
 このため、南方より侵攻している龍鷹軍団はどちらかの川を渡る必要があった。
 なお、鶴賀城南方には応当城があったが、現在は破却されており、利用不可能である。






鶴賀城攻防戦side

「―――ということらしいが、俺は渡らない方向で。―――ズビッ」

 鵬雲五年十一月二九日、豊後国鍋田城。
 龍鷹軍団はここに本営を置き、周辺地域の平定作戦を進めている。
 そんな中で行われた方針会議で、総大将である忠流は言った。
 鼻を垂らし、着膨れした姿は病人の一歩手前だ。
 いや、薬湯をもらってすすっている時点で、もう病人と言えるのかもしれない。

「思わぬ敗北を喫した場合、今の御館様では逃げ切れませんからね」

 薬湯を渡した幸盛が肩をすくめた。
 劣勢の勢力が狙うのは敵総大将の首だ。
 鶴賀城の周囲は山林で奇襲攻撃にはうってつけだった。
 不覚を取って忠流が討ち死にでもすれば龍鷹軍団は崩壊する。

「というより体調が回復するまで休止してはどうでしょう?」

 提案したのは軍監を任せている藤川晴祟だ。

「小休止とともに陣替を実施し、諸侯の不満を解消するべきです」
「不満?」

 藤川の言葉に忠流は首を傾げる。

「今回の侵攻戦で手柄を立てたのは肥後口の佐久勢、村林勢の他、佐伯郡西部を制圧した鹿屋勢、臼杵城を落とした海軍、神前勢。それに本隊を形成する鳴海、長井、武藤以下旗本衆だけです」
「それってほとんどだと思うんだが?」

 藤川の説明を聞いても首を傾げる忠流。

「ええ、ほとんどです。ですが、ここに含まれない部隊もいる」
「・・・・・・・・・・・・?」

 微熱のためか頭が回っていないようだ。

「御館様、日向衆です」
「・・・・・・・・・・・・あ」

 幸盛に指摘されて気が付いた。
 日向衆は緒戦で佐伯城を囲んだまま動いていない。
 佐伯城へ攻め寄せるのは禁じているため、野営しているだけで武功も何もない。

「いや、だって、高城川の戦いでかなりの損害を出しているんだぞ?」

 その後に肥後戦線へも連れ出した。
 数か月前とはいえそう簡単に回復する傷ではない。

「なら出兵自体をさせなければよかったじゃろうに」

 武藤晴教が言う。

「出兵自体も負担。それなのに武功を立てられずに恩賞を受けられないとなれば不満がたまるのは当然」
「あー、そういう考え方もあるのか」

 「せっかく兵を出したというのに手柄を立てられないのでは出した意味がない」ということだ。
 確かに人命という損害はないが、銭という損害は今も発生しているのだ。
 領主としては頭の痛いことである。

「しかし、日向衆を前線に持ってくるのは良いとして、抑えはどうする?」
「鹿屋勢でよいのでは?」

 鹿屋勢は松尾城にあって、陸路での平坦維持および周辺慰撫を続けている。
 この地から佐伯までは東方に十里ほどだ。
 山道なので、三~四日もあれば移動できる。
 佐伯からこの鍋田城までならば臼杵経由で二~三日だ。
 現地での引継ぎがあったとしても十日以内に戦力の転換は可能だった。

「十日もあれば体調は戻るでしょう」

 鍋田城を本営としているため、他の兵士の宿舎も建設中だ。
 十日もあれば仮設宿舎が完成し、兵たちも十分に休めるだろう。

「問題はその小休止の間に事態がどう変わるかだ」

 こちらから攻めない以上、岡城も佐伯城も落ちることはないだろう。
 問題は不気味な沈黙を続ける大分の銀杏軍団主力だ。

「銀杏軍団の打つ手としては岡城への後詰が考えられると思います」

 発言したのは鳴海盛武だ。
 彼は鳴海家当主として鳴海勢の指揮を執る他、戦略的視点を身に着けるために軍議にも出ていた。

「鶴賀城で大分平野への出口を押さえておけば、四〇〇〇ほどは岡城へ出せる」

 岡城周辺は六〇〇〇の兵がいるが、周辺制圧を進めたために佐久勢も村林勢も野戦軍は一〇〇〇ずつまで減少している。
 聖炎軍団との指揮権問題もあるため、五〇〇〇が一丸になれるものではない。
 各個撃破される可能性があった。

「それはどうだろうか」

 異議を唱えたのは武藤統教。

「敵軍の進撃はこちらに側撃を食らわないよう西方に移動した道となろう」

 統教は中央に置かれた豊後街道図を指さしながら言った。
 示した道は現国道442号で岡城がある竹田盆地へ北方から入るルートだ。

「途中で我が軍が鶴賀城を突破した場合、大分平野は蹂躙されることになる」

 そうなれば銀杏国は終わりだ。

「そのような危険を犯して岡城を開放する意味はないだろう」
「意味はあるだろう。岡城から東方に進めば松尾を下せる。そうなれば仮に我らが鶴賀城を攻めていた場合、我が軍は大野川周辺で包囲される」

 臼杵方面への撤退は可能だろうが、追撃されて多大な犠牲を伴うのは必至だ。さらに佐伯城の存在で補給路が途絶する可能性もある。
 主だったものは海路で逃げられるものの、兵たちは屍をさらすことになるだろう。
 それは虎熊軍団の出雲崩れ、銀杏軍団の高城川の敗北に匹敵する大敗を意味していた。

「奥深くに侵攻させておいての包囲殲滅戦か・・・・」

 肉を切らせて骨を断つという、縦深防御の典型だ。

「だが、それを狙うには兵が少なすぎるだろう?」

 長井衛勝が発言した。
 先にも述べた通り、龍鷹軍団が鶴賀城を陥落させるか、抑えを残した場合、大分平野はがら空きとなる。
 これに対抗する戦力を銀杏軍団が残せるかどうかは、かなり怪しい。

「「「う~ん・・・・」」」

 そこで三人は腕組して悩みこんだ。
 そんな三人を直武はにこにこしながら見ている。

「気色悪いな」

 そんな直武を見て忠流は一言で切って捨てた。
 体力がないために抑揚がない口調だったが、それ故にその言葉が冗談でないことが分かる。

「ひどっ!? 温かく見守っていたというのに!?」

 老将の域に入りつつある直武からすれば次代が育っているのは心強いのだ。

「ま、一番あり得るのは鶴賀城の強化だろう」

 堀を深め、その土で土塁を高くし、柵や逆茂木を配置する。
 さらに矢玉や兵糧の搬入、農民兵の調練なども行って、戦力の増強に努めるはずだ。
 十日程度でどのくらい強化できるかは未知数だが、寡兵を持って大軍を牽制できることは間違いないだろう。

「まあ、それは十分の想定内ですな」

 とはいえ、たかが十日程度でできることは限られる。

「では、"問題ない"ですね」
「ああ、"問題ない"」

 直武の確認に、忠流は頷いた。




 十一月三〇日に鹿屋勢二五〇〇が東方へ移動を開始し、十二月二日に佐伯城に到着した。
 続いて十二月三日に日向衆三〇〇〇と旗本衆五〇〇が北上を開始。
 十二月六日午前に鍋田城へ到着した。
 龍鷹軍団本隊から五〇〇が後方守備に動いたため、日向衆を加えた本隊は一万三〇〇〇となる。
 これで銀杏軍団本隊の二倍となった。




「―――さて、敵はどう動くかな?」

 十二月七日、龍鷹軍団はついに鶴賀城攻略のために動き出した。
 神前豊政勢一〇〇〇を先頭に、絢瀬晴政率いる日向衆三〇〇〇が吉野原犬養線(現県道637号線)を北北東へ進む。
 これと分離して長井・武藤勢合わせて三五〇〇が野津川を渡河し、大野川東岸を北上した。
 鳴海勢と本隊、後備の五五〇〇は一日遅れで神前勢・日向衆を追う。
 先発した両勢は七日中に鶴賀城を窺う地点に進出していた。
 神前勢・日向衆は鶴賀城東南東の堂上石塔群付近に布陣。
 長井・武藤・鳴海勢は城南方の大野川と吉野川の合流地点南東に陣を敷く。


 翌八日には神前勢が城東方を抜けて北方に展開し、東方――城北東に日向衆が進んだ。そして、城東方正面には御武勢、瀧井勢が合わせて布陣する。
 これで北方から時計回りに神前勢一〇〇〇、日向衆三〇〇〇、御武・瀧井勢一〇〇〇、鳴海勢・本隊・後備四五〇〇、長井・武藤勢三五〇〇が展開した。
 時計で言うならば0~8時までとなる。

「結構緩い包囲じゃな」
「まあ、大野川の西岸に進出すると、陣城を攻略する必要があるからな」

 城北西に鏡城という小規模な城がある。
 吹けば飛ぶような小城であるが、ここを攻略した場合、防衛するのも難しい。

「西岸に敵兵が在番しているようです」

 物見からの報告を幸盛が言った。

「ほお? どのくらいだ?」
「概算で一〇〇〇ほど。今は鏡城を起点とした陣城を作っています」
「一〇〇〇が一〇〇〇、全て兵じゃないだろ?」
「はい。おそらく過半数は徴発された農民かと」

 こういう土木工事も地域住民に課された役だ。
 危険な仕事と言えるが、その分免除される税負担も多く、村によっては積極的に協力する。

「陣城を作るってことは、やる気か」

 やる気=後詰決戦だ。
 戦う気がないのに陣城を作ることはないだろう。

「想定戦場は神前勢正面の大野川河畔ですか・・・・」
「順当というところだろうな」

 川幅はあるが、渡れないこともない。
 さらに少数が渡河して神前勢に攻撃を仕掛ければ神前勢は城攻めどころではない。
 そうすると鶴賀城への圧迫が緩み、城も戦いやすくなる。
 いきなりの野戦決戦にはならないが、両軍の主力が集まるのであれば、その戦略的勝利は決戦となって戦役の趨勢を決めるだろう。

「撃破するッスか?」

 長井忠勝が槍を片手に言う。
 敵は一〇〇〇程度なので、少数による夜討ち朝駆けで打撃を与えることは可能だ。
 敵がやる気ならばその陣所を先に構築させてやる道理はない。

「いや、逃げられたら困る」

 戦術的に成功する可能性はあるが、忠流はそれを拒否した。
 龍鷹軍団の目的は一貫して後詰決戦である。
 ここで敵の進撃拠点となる西岸――鏡城を攻撃してしまえば、また亀のように閉じこもってしまうかもしれない。
 大分平野にはいくつもの城砦があり、これらに抑えを振り分けるとさすがに兵力が足りなくなる。
 さらに言えば銀杏軍団の詰めの城――高崎山城は大規模な山城だ。
 攻略に数か月かかると思われ、そのような長期間ずっと囲めるほど周辺情勢は好転していない。

「となると、まずは鶴賀城を攻めるってこと?」
「ま、囲むだけだと餌にはならないからな」

 後詰決戦を決意する要素として次のふたつがある。
 ひとつは、敵が隙を見せること。
 もうひとつは、味方が危機に陥ること。

「ただ囲んでいるだけではふたつ目には該当しませんからね」

 幸盛の言う通りだ。
 すでに龍鷹軍団は大分にいる銀杏軍団に背を向ける形で布陣している。
 さらにその部隊を救援するために進出可能なスペースが限られていた。

(まんま、神前勢は囮なんだよな)

 鶴賀城と敵本隊に挟まれ、最も危険なのは神前勢だ。
 だが、これは降ったばかりの外様にとって仕方がないことである。

「府内城からこの陣城までの距離は?」
「まっずぐ南下して大分川を渡河する経路であれば約四里といったところでしょうか。朝に出れば昼には到着する距離です」
「ただそのまま戦うには少ししんどいか」

 そうなれば昼に出て夕方に着陣し、夜の内に準備を整えて朝に押し出してくる、というのが正攻法だろう。

(問題は寡兵の敵が正攻法で来るかどうかだ)

「では、御館様、攻撃命令を出しますぞ?」

 直武に言われ、忠流は頷いた。

「あまり損害を受けないようにな」




 十二月八日、龍鷹軍団は全方向から一斉攻勢に出た。
 鶴賀城の南方に位置する旧応当城は守備兵もおらず、瞬く間に制圧される。
 長井・武藤勢はさらに北上して本丸に攻めかかったが、三段構造の横堀に阻まれて進撃を停止した。
 東方から攻め寄せた御武勢は三の丸からの矢玉を防ぎつつ前進するも、正面の二の丸と三の丸の弾幕が厚く、損害が増える前に撤退する。
 東北から攻め寄せた日向衆は自然地形のいくつかの曲輪を奪取し、北北東への伸びる尾根筋を制圧した。
 北方から攻め寄せた神前衆は北西尾根筋の堀切で狼煙台からの弾幕に阻まれたが、強引に突破。
 さらに北北東の尾根線が陥落したために兵を退いた狼煙台も占領し、日向衆と合わせて両尾根筋が交わる地点に築かれた穀倉曲輪を窺う位置を占拠する。
 南方および東方からの攻略は失敗したが、北方は順調と言えるだろう。

「やはり対南方を意識しているのか、北方の防備は薄いですな」

 一日の戦闘報告を受け、直武が呟いた。
 本丸、二の丸、三の丸は手入れされているが、北方は土木作業量が足りず、自然地形に任せた防衛構想だ。
 射撃線や火点の意識も低く、攻防戦は主に白兵戦となる。
 こうなった場合、兵力に乏しい守り手は二の足を踏み、ズルズルと防衛線を下げざるを得ないのだ。

「狼煙台が陥落する前に散々狼煙を上げていたから、大分にも状況は伝わっただろう」

 このまま兵力で押せば明日か明後日には陥落するだろう。
 ここが陥落すれば龍鷹軍団は大分平野を蹂躙できる。
 それを阻止するためには後詰決戦で排除するしかない。

(さあ、ここまで追い詰められればさすがに動くだろう)

「明日も攻めて、穀倉曲輪とできれば二の丸と三の丸くらいは落としたいな」
「二の丸と三の丸には工夫が必要そうです」

 北方とは違い、この東方は鶴賀城にとって主要迎撃路だ。
 三の丸の火力は侮れないし、二の丸にも敵軍主力が展開しているだろう。

「攻め口も小さいですからね」

 攻めを担当した幸盛がため息をついた。
 隘路なのに正面と右側から攻撃されては、盾を持っていたとしても押し出される。
 結果、何人もの兵が道から転落していた。
 幸い崖ではないので死者はいなかったが、転げ落ちた際に岩や木に体をぶつけ、打撲や骨折で戦線離脱を余儀なくされている。
 その狭い道は兵力差を打ち消して余りあるほどの効果があったのだ。

「定石としては三の丸を先に攻略するか」
「山登りですよ?」

 鶴賀城は二の丸の傍にある虎口から三の丸へ向かう道と二の丸へ向かう道に分離するのだ。
 このため、三の丸を攻略しようと思えば険しい自然地形を上り、三の丸の外壁を越えなければならない。
 幸い、三の丸は城壁ではなく、柵で覆われているため外周部からの侵入は可能だった。
 とはいえ、そのような状況は外周部からの攻撃など想定できないほど険しいということを意味している。

「無理か?」
「絶対に無理とは言いませんが、損害は馬鹿になりません」

 指揮を執るのは幸盛であり、傷つくのは彼の手勢だ。

(山岳戦等の不正規戦闘に秀でた旧岩国衆でも無理か・・・・)

 幸盛は出陣前に正式に旧岩国領主・椋梨宏元の妹――加奈を正室に迎えていた。
 この結果、加奈の甥――宏元の嫡男――を当主とする岩国衆を配下に組み入れている。しかし、この岩国衆は若者が中心であり、戦力にはならなかった。
 一緒に脱出した年寄りが指導する形で御武衆の強化が図られているが、成果が出るのはまだ先だろう。

「霊術でもぶち込むか?」
「高低差がありますので、効果は薄いと思われます」

 放つ術が三の丸内に着弾する可能性は低く、いたずらに霊力を失うことになるだろう。

「北方からの攻略がうまくいけば、戦力集中のために三の丸や二の丸から兵を退くでしょう」

 簡易的な縄張り図を見ながら盛武が発言した。

「御武勢は北方攻略まで敵を引き付けておけばいいのでは?」
「うーむ、二の丸まで落としておいた方が城東方の移動は楽なんだけどな・・・・」

 龍鷹軍団の目的は後詰決戦。
 そのために敵正面に兵力を繰り出す必要がある。
 敵軍移動の兆候があれば城南東に位置する本隊も城北東部へ進出する予定だった。
 この時に三の丸に敵がいると、行動が逐一把握されてやりにくい。

「とはいえ無理攻めして円居が壊滅しても意味がありませんから」

 御武勢は六〇〇名ほどだ。
 今日の攻撃で十二名の戦死者と二〇名の重傷者を出している。
 この他にも負傷者が出ており、無理攻めした場合、この数倍の損害が予想された。
 いざ後詰決戦になった場合、戦力に数えられずに後方警備となる可能性がある。

「んー・・・・まあ、明日も様子見でちょっかいをかけてみよう」
「そうですね。北方の戦果もあるので、状況が変化しているかもしれませんし」

 攻めを担当する幸盛が頷いたことで、今日の軍議はお開きとなった。

(さてさて、亀のように閉じこもる敵本隊はどう動くかな)

 大分平野南口という甲羅の真ん前。
 言わば亀の口元まで迫った脅威に、銀杏軍団本隊はどうするのだろうか。

 とにもかくにも、十二月九日も挑発のために鶴賀城攻めが決まった。
 これに備えて最低限の人員を残して兵たちは就寝する。
 鶴賀城も寡兵故の防衛戦の忙しさでクタクタであり、夜襲に出ることはなかった。

 そう。
 十二月八日の夜に動いたのは、銀杏軍団本隊だけだった。




「―――行ってまいります」

 冬峯勝則率いる一〇〇〇が府内城を出陣しようとしていた。

「お気をつけて」

 挨拶を受けた律は硬い表情のまま答える。
 女の身ではそう言うしかなかった。
 幼少だが当主である千若丸は子供用の甲冑を着て城を出ようとする兵を見送っている。
 兵たちはその姿に感動しつつ、決意を新たにし、武器を握りしめていた。

「ご武運を」
「もったいなきお言葉」

 府内城を中心に守備を固めるのは一〇〇〇であり、残り四〇〇〇は後に合流する予定だ。
 銀杏軍団は龍鷹軍団が停止している間、四〇〇〇の兵を外に出し、代わりに兵の姿に変装した同数の領民を受け入れた。
 これは城を監視していた龍鷹軍団の諜報集団をごまかすことになる。
 結果、龍鷹軍団はまだ六〇〇〇の兵が府内城に駐屯していると考えていた。
 六〇〇〇の兵の出撃は目立つし、誰がどう見ても主力軍出撃だ。
 だが、一〇〇〇程度ならば先遣隊や威力偵察に見える。
 このため、諜報集団――黒嵐衆も「先遣隊出撃」しか報じなかった。
 それだけ銀杏軍団は巧妙だったのである。

「いざ出陣じゃあァッ!!!」
「「「ォォゥッッ!!!!!」」」

 盃を叩き割った勝則が軍配を振り上げ、大音声で命じた。
 それに深夜の極秘出陣ゆえに声を抑えた兵は意思だけで答える。
 ついに始まる、故国を守る戦闘に彼らの士気は天を衝かんばかりだった。










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