「宣戦布告」
「―――何だってこんなことに・・・・ッ」 鵬雲五年五月四日夜、筑前国福岡城。 虎熊宗国の本城であるこの城を、甲冑も脱がずに虎嶼晴胤は急ぎ足で歩いていた。 福岡―熊本間は約二五里(100km)ある。 五月二日夜に熊本城にいたことを考えると、脅威の移動速度だった。 二日深夜に金峰山系から陣払いした虎熊軍団は、火雲親晴勢(玉名・菊池)を殿に北上。 先の二勢がそれぞれの領地で守りを固め、さらに田花勢も柳河城に、筑後衆もそれぞれの領地に帰還している。 残りの虎熊軍団の内、白石長久は豊前衆を率いて久留米城に、加賀美武胤は筑前・長門・周防衆を率いて福岡城を目指していた。 これらに先行する形で晴胤と親晴はわずかな護衛を連れて福岡城へ帰還したのである。 「父上はどこにおる!?」 「ヒッ!? ・・・・御館様は自室にっ」 鬼の形相で迫れた女中は蛇に睨まれたカエルのようだったが、どうにか言葉を絞り出した。 「そうか、大義である」 それだけ言い残し、晴胤たちは戦塵も落とさず、完全武装のまま本丸御殿を目指す。 「親晴、何か策はあるか?」 「はぁ・・・・と、言われましても」 ズカズカと歩きながら後ろに控える弟に問うた。 彼は福岡城に入ってからどこか虚ろな表情を浮かべている。 きっと事態の悪化に混乱しているのだろう。 そういう時は整理して考えるのが大事だ。 だから、晴胤は話題を振った。 「全ては佐賀にいた肥前方面軍の動きだ」 鵬雲五年四月二八日、浜戸川の戦いと同じ日。 筑後熊将・杉内弘輝率いる肥前方面軍八〇〇〇は、肥後国松浦郡東部の唐津領へ侵攻したのだ。 唐津領は独立領主ではあるが、虎熊宗国の陣営と言っていい勢力である。 その領地へ侵攻したと早馬で知らされた晴胤は、肥後戦線の持久を諦めたのだった。 「何故、この時になって敢えて肥前に兵を進めるのだ」 「・・・・はぁ」 親晴も首を捻る通り、戦略的意味が分かっていない。 もう一度言うが、唐津は味方なのだ。 今は和平状態を保っているが、肥前での仮想敵は燬峰王国である。 対燬峰王国を想定した場合の軍事行動は、燬峰王国本国もしくは燬峰王国派の松浦郡東部へ兵を進めるべきだった。 もちろん、肥前で兵を動かすこと自体論外だが、その相手が問題だ。 「唐津を攻撃したことにより肥前全体が不安定になった」 休戦中の燬峰王国は元より肥前全体の豪族が虎熊軍団の動きに動揺した。 燬峰王国側はいつでも戦できるように臨戦体制に移行。 虎熊宗国に従う豪族は自分も攻撃されるのではないかと戦々恐々とする。 「肥前は我らにとって柔らかい横腹だ」 「・・・・横腹?」 親晴はピンと来ないのか、ぼんやりと首を傾げるだけだ。 「この福岡を本拠とする場合、最前線に一番近いのは肥前だということだ」 そこが乱れることは、国防上致命的な事態になる。 だから晴胤は引き返した。 虎熊宗国にとって致命的な事態にならぬよう、兵を率いて帰ってきた。 そして、その事態を招いた宗主・持弘を問いただすために彼の自室に向かっている。 杉内は任務に忠実な男だった。 彼が軍を動かしたと言うことは、持弘が指示を出した以外に考えられない。 「父上!」 スパーンと音が鳴るくらいの勢いで障子を開けた。そして、入室許可も取らずに部屋の中へと入っていく。 「此度の肥前侵攻、我は何も聞いて―――」 父――虎嶼持弘の自室に踏み入れた晴胤は見た。 首のない父の遺体とその傍らに立つひとりの侍女を。 「―――な、ッ・・・・ッ?」 さすがの晴胤も声が出ない。 「―――おや、晴胤様でしたか」 そんな晴胤を侍女が血刀を持ったまま首を巡らせてみた。 その体にはべっとりと返り血が―――なかった。 「?」 (この女がやったのではないのか・・・・?) 「いや、妾じゃよ」 ガラリと雰囲気と口調を変えた侍女が嗤う。 「どういうことだ・・・・?」 首を切り飛ばされた場合、その傷跡から噴水の如く血が噴出して辺りにまき散らさせるはずだった。 だが、この部屋にそれほどの血はない。 「簡単じゃよ」 そう、簡単だ。 晴胤はその答えにすでに辿り着いている。しかし、だからこそ分からない。 「貴様はいったい・・・・」 すでに死していた父を動かしていたこの女は何者なのか。 「ゴッ!?」 その答えを聞く前に、首筋に衝撃が走った。 目の前に注視していた晴胤はその衝撃に耐えきれずに膝をつく。 「貴様の影響力は強すぎる。かといって殺してしまってはそれこそ本末転倒というものだ。―――のう、虎将殿?」 「く、ぅ・・・・」 女の言葉を無視し、首筋を押さえて背後を振り返り、己の首筋に鞘を叩き込んだ者を見遣った。 予想通り、そこには虚ろな眸をした弟がいた。 「ちか、はる・・・・貴様も、か・・・・」 延髄への打撃で徐々に麻痺していく体を動かし、痺れる舌を叱咤して女に問う。 「―――貴様の・・・・目的は何、だ・・・・?」 西国一の大国を自由にし、何をしようというのか。 「なあに、昔約束したことを果たすのみ」 「約束、だと?」 すでに視界は暗闇に包まれ、女の言葉しか聞こえない。 「そう、約束じゃ」 それでも女が愉悦に満ちた声音を聞いた。 「―――約束通り、一日に一〇〇〇人殺すのじゃ」 その言葉を最後に、晴胤の意識は闇に呑まれた。 薩摩国鹿児島城。 その天守閣から鷹郷忠流は城下を眺めていた。 城下には集結した兵たちが鹿児島の夜に溢れている。 先日発された総動員令に従って集結したのだ。 出立は明日。 皆、最後の平和を楽しんでいるのだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 忠流は城下に向けていた視線を右へと向けた。 「―――来た、か・・・・」 「"呼ばれた"からな」 天守閣の最上階まで飛び上がってきた者は、鈴の音を鳴らしながら欄干に降り立った。 いや、実際に降り立ったのは彼女のしもべである霜草久兵衛だ。 声の主は彼の背中にしがみついていた。 「『鈴の音』・・・・」 忠流は口の中で呟き、己の中の疑念を確信に変えた。 『鈴の音』候補である紗姫と昶は不在である。 紗姫は霧島神宮で政務を、昶は宮崎を訪れた朝廷の要人と会っている。 それを承知で、忠流はふたりに鈴を送り付けたのだ。 『鈴の音』と会うというメッセージとして。 そして、『鈴の音』は「呼ばれた」と表現した。 それは『鈴の音』の正体がふたりの内、どちらかだと宣言したようなものだ。 「さて、何の用?」 『鈴の音』の口調は紗姫と昶のものを使い分けているようで、忠流には判断できない。 また、顔自体も何らかの霊術が働いているらしく、はっきりと見ることはできなかった。 黒嵐衆を潜ませているが、おそらく彼らでも無理だろう。 だからこそ、彼女はここに現れたのだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ならば、することはひとつである。 「『鈴の音』」 「何じゃ?」 「―――お前は、龍鷹侯国の敵ではないな」 「・・・・ほぅ?」 見えないが、『鈴の音』が目を細めたのが分かった。 「どうしてそんな結論に至ったのか、聞かせてよ」 笑い声を噛み砕いたような声音で忠流に説明を求める。 「最初、俺はお前が龍鷹侯国を潰そうとしているんだと思っていた」 龍鷹侯国の前侯王・鷹郷侍従朝流の暗殺とこれを起因とした内乱。 これによって龍鷹軍団は著しく弱体化した。 中華帝国への抑止力である海軍も艦艇こそ欠けはしなかったが、首脳陣の大半が喪われた。 国土が荒廃し、軍事力も激減していたあの頃ならば龍鷹侯国を滅ぼすなど容易だったろう。 「でも、何か違うなって思ったのは佐敷川の戦いからだ」 「だが、あの時、妾は戦いを望まぬ貴様に業を煮やし、両軍を焚き付けたぞ」 聖炎軍団との決戦回避を選択した忠流の意志に反し、両軍は激突。 双方に甚大な被害をもたらした。 「だけど、"両軍に被害を与えた"んだ」 龍鷹侯国を滅ぼしたいならば、聖炎軍団にも大きな被害を与えるのはおかしい。 戦場全体を包み込んだあの【力】ならば一方的に龍鷹軍団を蹂躙することなど容易かったに違いない。 「お前が考えていたのは西海道における戦争の激化だ」 忠流が継ぐまで、西海道は比較的安定していた。 大国である虎熊宗国は対出雲戦線に注力。 銀杏国も対出雲戦争で受けた被害から回復途上。 龍鷹侯国は対中華で海の外に目を向ける。 聖炎国は肥後統一を掲げども小競り合いに終始。 肥前・日向では一部は大国の影響下にあれど小豪族がひしめく。 「言わば、膠着状態だった」 この膠着状態を打破するために、『鈴の音』が取った策が劇的過ぎただけだった。 (まあ、父上の仇であることに変わりはないんだけど) 変えられない事実を脇に置き、忠流は『鈴の音』を見遣る。 「だから、それを確かめるための浜戸川の戦術だった」 「・・・・・・・・・・・?」 ピンと来ないのか、しばらく考えた末に首を傾げた。 「夕刻から始まったことで時間的制限があった戦いだ」 戦況は龍鷹軍団の優勢であり、ここで虎熊軍団が壊滅すれば西海道の勢力図が大きく変わる。 だと言うのに薄暮となり、継戦時間が過ぎたと判断した龍鷹軍団は翌日の戦いに備えて兵を退いた。 「だから、妾は千載一遇の機会を逃さんとばかりに―――ッ!?」 「―――【力】を使ったな? 砂川の戦いと同じ【力】を」 「・・・・まさか」 驚いた気配が伝わり、それに忠流はニヤリと笑う。 「そうだ。"利用した"」 耐えきったとホッとした虎熊軍団とせっかくの好機に兵を退いて不満を持つ龍鷹軍団。 そこに感情の増幅と歯止めを外されるとどうなるか、『鈴の音』の動きを予見できていたのならば結果も容易に予想できるというものだ。 結果、戦意を喪失した虎熊軍団は崩壊。 無理な攻撃をした龍鷹軍団も被害を受けたが、敵を壊滅させるために払った代償としてははるかに小さい。 「私を誘導し、【力】を使わせたってわけか」 「お前が動かなかった場合も策は考えていたけどな」 「その場合、俺たちはまだ戦場にいただろうが」と続けた。 今は鵬雲五年の十月だ。 浜戸川が五月に起きたので、次善の策の場合、肥後戦線は実に半年近い期間も軍を動員することになるだろう。 両軍に与える打撃はもちろん、経済的損害も馬鹿にならない。 それを回避できたのだ。 『鈴の音』は勲功大、と言ったところだろう。 (本人に言っても喜ばないだろうけど) どことなくふてくされた感を漂わせる『鈴の音』を前にして思った。そして、彼女を前にして忠流自身もずいぶん余裕だと思う。 (奴らのどちらかだと分かって、安心しているか?) 自分の感情を分析しつつ、忠流は本題に入るために姿勢を正した。 「―――で、だ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 こちらの空気を感じ取った『鈴の音』もこちらの言葉を待つ。 「―――お前は俺たちの敵じゃない」 冒頭に口にした言葉を放ち、忠流は脇息に体を預けたまま言った。 「お前の目的はなんだ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 問いに対し、『鈴の音』は俯き、考えをまとめるように無言となる。 「そうじゃの・・・・」 『鈴の音』の顔にかかる靄が揺らぎ、右目が忠流の視界に入った。 「その、目は・・・・?」 途端に増した重圧に胸を圧迫される。 それでも目を離すことができない紫色の輝き。 「この目で視た世界を否定する。それが妾の目的よ」 『鈴の音』は瞬きして瞳の輝きを抑えながら続けた。 「―――神を殺す。それが妾の目的よ」 鵬雲五年十月。 龍鷹軍団は再び兵を挙げた。 今度は迎撃ではなく、侵攻である。 |