「龍虎の争い」/七
鳴海中務大輔盛武。 龍鷹軍団の若手武将の中で将来を渇望される者のひとりだ。 因みに同じく若いとされる鹿屋利孝、絢瀬晴政は二〇代後半。 盛武は二〇代前半であり、やや年代が異なる。 彼に近い者は以下の者たちだ。 鷹郷従流に付いていった真砂刻家(一つ上)。 高城川の戦いで追撃戦を指揮した山野辺時通(同い年)。 同じく高城川の戦いで高城に籠城した香月高知(一つ下)。 これらよりさらに下の年代には瀧井信輝、加納郁らが入り、鷹郷忠流、御武幸盛らへと続いていた。 忠流の側近が多く勤務している中務省の中で中務大輔の地位にある。 中務卿が空位のため、事実上のトップである盛武は、やはり側近衆の中でも抜きんでていた。 若い部将が多い龍鷹軍団の中でも、一手の大将として活躍する最年少が盛武なのだ。 彼は直武が本陣に詰めることが多くなってから一手を率い、二〇〇〇~三〇〇〇の鳴海勢をよく指揮していた。 これまでの戦でも、先鋒を構成する長井・武藤勢の後ろに布陣し、彼らをよくフォローしている。 だが、彼自身、最前線で槍を振るうことを得意とする猛将だった。 鳴海盛武side 「―――突撃ィッ!!!!!!」 盛武は本陣から受け取った命令通りに行動した。 それは佐久勢が最右翼側へ寄せて行ったために生まれた隙間――武藤勢と佐久勢の間――へ駒を進め、その正面に見えてくる晴胤勢を攻撃することである。 晴胤勢の前衛は偃月の陣を敷いており、すでに前衛先鋒は長井勢と交戦していた。 鳴海勢が目指すのはさらに後方――偃月の陣の中央部分だ。 晴胤勢の本陣は前衛の後方に置かれていた。 鳴海勢が偃月の陣中央を食い破れば、龍鷹軍団はその本陣に到達できる。 そうなれば前衛は崩壊し、長井勢や武藤勢も本陣に殺到できた。 敵がどんなに大軍であろうとも、総大将を喪えば瓦解する。 そうなれば戦役自体の勝利が確定するのだ。 「若! 少しは自重なされよ!」 鳴海勢の先頭を駆ける勢いで晴胤勢へ接近する盛武を、馬廻衆が必死に追いかける。 それを尻目に赤漆塗頭形日輪前立兜、紅糸素懸銀箔押二枚胴具足といった派手な姿で盛武は前線を駆けた。 「ぬわ!? 若に続け! 遅れるな!」 先鋒部隊を置き去りにする勢いに盛武一行に驚いた先鋒部将が周囲の兵を急かす。 結果、鳴海勢は駆け足どころか全力疾走で敵軍へと接近した。 「折り敷けぇ!」 盛武の下知に鉄砲足軽たちが一斉に片膝をつく。 彼らは鳴海勢の全鉄砲足軽であり、二〇〇余挺の銃口が晴胤勢に向いた。 対する晴胤勢は突然のことに対応できず、応射態勢は整っていない。 「撃て!」 軍配代わりの大身槍を振り下ろした。 瞬間、数百発の発砲音が鳴り響き、一〇〇を下らない数の敵兵が倒れ伏す。 「玉込め! 目当てつけた者から順次発砲!」 鉄砲組頭たちがそう指示し、彼らの後ろで足軽頭たちが兵の隊列を整えていた。 鉄砲戦が一段落したら突撃するのだ。 「放て!」 弓組頭たちが叫び、ザァッという音を立てて数百本の矢が飛翔した。 放物線を描いて敵陣に突き立ったそれらは、地面との間に数十人の兵を縫い付ける。 続いて再装填がなった鉄砲が銃撃した。 鉄砲の二連射、弓の斉射で与えた損害は甚大だ。 (見た感じ、二〇〇~三〇〇が死傷しただろうか) 鳴海勢だけの戦果ではない。 いつの間にか武藤勢の鉄砲隊が掩護射撃していたのだ。 距離四〇間(約70m)から射撃を開始した長井勢に対し、武藤勢は八〇間(約150m)と倍近い距離があった。 それだというのに命中率は圧倒的に武藤勢の方が上だ。 (武藤さんが掩護してくれないと、ここまで減らせなかったかな?) 鳴海勢は龍鷹軍団の主力軍を構成する部隊であり、練度は非常に高い。 かつては一翼を担う部隊として、敵の部隊と正面から激突したものである。 (親父が指揮していた時は良かったなぁ。何も考えずに槍を振るえばよかったんだし) 射撃戦の経過を見ながら盛武は過去を懐かしんだ。 盛武の師匠はあの"槍の弥太郎"である。 長井衛勝は槍を振るいながら戦闘指揮を執るタイプで、盛武はそれに憧れを持って師事していた。 本人も才能があったのか、最前線での指揮官として有名を馳せるまでになる。だが、それは内乱が終わるまでだった。 内乱が終わった後、父である直武が陸軍卿に就任。 家督を盛武に譲り、鳴海勢の指揮を任せたことで盛武は安易に最前線に出ることができなくなる。 鳴海勢の布陣場所も翼部から中央部へと変わり、定位置は強力な長井・武藤勢の後方だ。 役目としては両者の掩護と両者が前進した時に本陣と隙間が空き、そこを突かれないように展開する緩衝材だった。 そのために必要なのは戦場を見渡す広い視野とそれを可能にする落ち着いた場所である。 つまり、最前線から距離を取ることだった。 (つまらん。実につまらんかった!) 盛武は与えられた役目を期待通りに果たしていたが、本人は不満を持っていたのだ。 「だが、今はいいな!」 目をキラキラさせながら最前線で叫ぶ盛武。 百を超える鉄砲から発生して漂う硝煙。 春風に乗って漂う血臭。 突撃命令を待つ兵たちが持つ鋼の煌めき。 (これだ、これ) これぞ戦場。 これが戦場。 「お、敵もようやく対応してきたな」 血飛沫を上げて倒れる兵の向こうから竹束が出てくる。 それらは立てられるなり命中した弾丸を弾いた。 (そろそろかな) さすがにまだ反撃まではできないのか、飛んでくる矢玉はない。 このまま一方的に叩くことは可能だが、竹束のせいで銃撃の効果は薄れた。 だが、敵の態勢はまだ整っていない。 白兵戦を挑むのは今だ。 「よし」 盛武は鳴海勢先鋒部隊を指揮する部将に視線を向けた。 彼も盛武を見ていたのか、すぐに視線が合う。そして、アイコンタクトで意思疎通が完了した。 「鉄砲隊一斉射撃後、突撃!」 彼が下した命令に長柄足軽たちが槍を持ち上げる。そして、速射性の高い弓攻撃で敵を牽制する中、ゆっくりと前進を開始した。 彼らの前面には竹束を構えた手明衆が展開しており、敵からの反撃に備えている。 「撃て!」 順次射撃から一斉射撃に切り替えさせた鉄砲組頭の号令一下、鉄砲足軽たちは引き金を握り込んだ。 一層大きな発砲音が轟き、竹束に隠れていなかった兵を薙ぎ倒す。 「突撃ィッ!!!」 それと同時に鳴海勢は吶喊した。 長柄が振り下ろされ、もしくは突き出され、敵兵へと襲い掛かる。 遠距離戦で崩れた陣形を立て直せていなかった晴胤勢は、その一撃で崩れた。 「よし、乗り切りだ!」 戦果拡大のために騎馬突撃を決定した盛武が馬腹を蹴る。 自分もその突撃に参加しようとしたのだ。しかし、その勢いは背後から振るわれた拳に止められた。 いや、勢いはそのままで馬上から弾き飛ばされたのだ。 「ゲハッ!?」 大将が馬上から落ちたのに、前線に動揺はない。 というか、戦いに夢中で気付いていなかった。 「よ、米倉さん?」 痛む体に鞭打ち、よろよろと体を起こした盛武が見たのは、顔を真っ赤にした側近だ。 「さすがに殴るのはひどいと思うんだが?」 「ハッ!? 暴れ牛は殴らないと止まらないだろう!」 「主を鼻で笑った上に暴れ牛とかどうよ?」 クキクキと首を鳴らしながら立ち上がる。そして、徒歩武者の側近――米倉直繁にジト目を向けた。 「妥当な言葉」 「ひでえな、おい!?」 それこそ生まれた頃からの付き合いだが、家臣が主君に言う言葉ではない。 「あのまま敵陣に乗り込んだら若のことだから武勲を立てるだろう」 「ああ、それが目的だからな」 武人が敵陣に突入する理由などそれ以外にないだろう。 「口惜しいがそれが止める理由ではなく」 「口惜しいとか口にしている時点でダメだろ、お前」 もう何でもありな家臣に呆れ声でツッコミを入れた。 「ただ、それは一騎駆けの武者がやるべきだ。―――私のように」 「さりげなく自己主張しているし・・・・」 この老臣、敵陣に突入しようとする盛武が羨ましく、尤もらしい言葉で邪魔しただけのようだ。 「コホン。―――冗談はさておき」 「冗談じゃねえだろ。思いっきり本気だったろ?」 「さておき!」 米倉が苦しい言い訳で無理やり話の軌道を元に戻す。 「今回我らが賜った命は突撃して敵を撃破することではないじゃろうに」 「・・・・・・・・・・・・あー」 そう。 盛武は昏倒する前に忠流から直命を受けていた。 その内容は確かに敵軍の撃破ではない。 「日の入りまで後どのくらいだ?」 すでに日は大きく傾き、夕暮れも夕暮れだ。 兵の一部には見えづらくなっている者もいるだろう。 「半刻、といったところか」 もちろん、日没を過ぎたとしても視界はゼロにならない。 薄暮という時間があり、行動は可能だった。 だが、例えそれは勝ち戦の追撃戦であろうとも危険な時間である。 敵部隊からの思わぬ奇襲や足元不安定による転倒、滑落を原因とした怪我で被害を受ける可能性があった。 また、暗闇の中で追撃に夢中になった場合、容易に人は遭難する。 現代のように目印となる明かりが多くなく、地図も持っていない兵が部隊からはぐれる可能性も高い。 さらに周囲には兵の遺骸を漁る火事場泥棒と化した農民や死肉を漁る野犬も出没し、夜間ではこれらも危険な要素だ。 このため、軍事行動――特に大軍――は日没までに終了するのが普通だった。 (半刻じゃあ、中途半端もいいところだな) 戦況は龍鷹軍団の優勢だが、さすがに半刻で撃破は無理だろう。 「・・・・やっぱ、ダメか?」 槍を握り、米倉を見遣った。 自分が突撃すれば敵の崩壊が早まるかもしれない。 「ダメだ」 そんな視線を米倉は一刀両断した。 尤も彼自身武器を握り締めているのであまり説得力がない。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 ふたりが睨み合うというより見つめ合うとも言える視線の交換をしていた時、戦況が動いた。 「さっすが翼将」 ドッと歓声が沸いた最右翼を見ると、筑前衆が大きく崩れている。 それを攻めていたのは鹿屋利孝だ。 戦況を己の行動で主戦場以外から変える。 それが翼将と言われる所以だった。 利孝本人の異名ではなく、鹿屋勢の異名だが、それでも彼が己の役割を理解して成し遂げた戦果には違いない。 「筑前衆、敗走を開始」 音もなく盛武と米倉の前に降り立った黒嵐衆が報告した。 撤退ではない。 敗走だ。 (これは崩れるか?) 逃げる味方を見て、踏みとどまっていた戦線も崩壊することを「見崩れ」という。 「敵左翼が崩壊したとなると、片翼包囲ができるな」 盛武は本陣を振り返り、父の指示が出ていないか見遣った。 「?」 筑前衆の崩壊を見ても本陣から出てくる使番の数は変わらない。 特に伝えるべき指令はないようだ。 (どういうことだ?) すでに鹿屋勢には伝えているのか、と思い、右翼に視線を向ける。 そこには戦果拡大のために追撃部隊を派遣しつつ、陣形を整える鹿屋勢・佐久勢があった。 どうやら筑前衆敗退で空いたスペースに陣を進め、そのまま晴胤勢へと攻めかかろうという腹積もりらしい。 典型的な片翼包囲だが、それは戦術的に晴胤勢を崩そうとする姿勢だった。 (全面追撃に移ればいいのに・・・・?) 鹿屋勢と佐久勢が筑前衆を追撃に移れば、退路を断たれる可能性に晴胤勢は動揺する。 そうすれば直接ぶつかるよりも容易に晴胤勢を崩せるに違いない。 尤も晴胤勢にはまだ兵力に余裕がある。 右翼部隊が追撃に回れば、その背後を突く部隊を送り出すことも考えられた。 (そろそろ晴胤殿が起きると考えているのか?) 盛武は円居を預かる部将のひとりとして、忠流の策を聞いている。 自身を犠牲にした敵将撃破だが、その効果は一時的だ。 <龍鷹>が命中すれば文句なしの討ち死にだが、その可能性は低いと忠流自身は見ていた。 面倒くさいのでその辺りを紗姫に説明していなかったので、彼女は落ち込んでいる。 しかし、それでも得られる効果に忠流は満足していた。 (『気絶に追い込めても精々一~二刻』と言ってたか) 今は一刻半(3時間)というところだろう。 そろそろ覚醒していてもおかしくない。 (判定勝ちを狙っているのか?) 虎熊軍団に与えた損害は四〇〇〇といったところだろうか。 これに逃散した国松勢、筑前衆を加えればおそらく七〇〇〇近い損害を与えている。 これは後方で再編した先の二勢が戦力になると判断した場合だ。 彼らの再集合に失敗すれば、八五〇〇に達するかもしれない。 (大戦果だな) 短期間に挙げた戦果と言えば破格と言えよう。 (こちらは少ないし) 多少無理な力攻めだったが、損害が大きく出る初期の遠距離戦で完全勝利した影響は大きい。 龍鷹軍団の損害は一〇〇〇前後だろう。 開戦前の兵力差が四〇〇〇だった。 今はこれが逆転し、その差は三〇〇〇~四五〇〇まで開いている。 (とりあえず、ここでは勝ったと言えるか、今現在でも) ここで戦闘を止めても、部隊配置的に片翼包囲していた。 虎熊軍団にとって極めて不利な状況である。 (殲滅せずとも和睦を願い出てくる可能性はあるだろう) 龍鷹軍団としてもここで敵を殲滅するのは得策ではない。 不可能ではないだろうが、相応の損害を被るだろう。 「ま、俺らは指示があるまで目の前の敵を叩く!」 そう結論付けて盛武は馬腹を蹴った。 「って、行くな、言うに!」 素早く盛武の馬の尻を叩く米倉。 「ぅおわ!?」 驚いた馬が前足を上げて急停止し、その背から盛武が放り出される。 さすがに背中から落ちる無様なまねはしなかった。しかし、受け身を取った上から米倉に抑え込まれる。 「ぐ、く、この・・・・ッ」 「ええい、まだまだ負けぬ!」 顔を真っ赤にして取っ組み合いを始めるふたりを尻目に、馬廻衆が周囲を囲んだ。 「おい、お前ら助けろ!」 彼らも本心では敵陣に突入したいが、それを禁じたのが侯王・忠流とあっては逆らえない。 だから、彼らは無言で背中を向けることで答えた。 まるで盛武の目から前線を隠すように、隙間なくピッタリとした壁である。 「くそ、お前ら―――って、おい! どこ触ってやがる!? 俺にはそんな気はねえ!?」 「儂にもないわ! ほら、取った。ほれ、槍も太刀もなければ戦場へ行けまい!」 ペイッと槍と太刀を放り投げて勝ち誇る米倉。 それを悔しそうに睨みつける盛武。 それらを見て、馬廻衆は心をひとつにした。 (((―――いやいや、ここもう戦場だから))) 主と重臣の姿に彼らは肩をすくめ、ふたりの代わりに前線を眺める。 そこでは急速に隊列を整える晴胤本隊がいた。 虎嶼晴胤side 「―――ふん、やってくれたな、あの餓鬼がッ」 開戦から一刻半、晴胤勢本陣で忠流に対する罵声が轟いた。 発したのはつい先ほど覚醒した晴胤である。 「最初からこれが目的で会談を組んだのだな!」 「ということはあの提案も嘘か」と続けた晴胤は幔幕を跳ね飛ばして外に出た。 そこに見える光景は和睦を望んだ忠流の提案とは大違いだ。 轟く銃声と兵馬の喊声。 夕闇に煌めく霊術の閃光。 入り乱れる紺と白の旗指物。 (本気で攻めておる・・・・ッ) 直に侵攻を受けている聖炎軍団の名島勢より龍鷹軍団の方が苛烈だ。 「しかし、盛大に負けているな」 一目見て戦況を理解した。 それも戦いの流れ込みで、だ。 (右翼・・・・白石勢が崩れていないのはさすがだが、左翼はどうしようもないな) 国松勢と筑前衆が崩壊し、すでに大半が緑川を渡って逃げようとしている。 慌てているためか、水流や川底に足を取られて転倒している者もいた。 重い甲冑を身に着け、背後から次々とやってくる味方に踏まれては助からないだろう。 こういう溺死や圧死により、敵兵が手を下さずとも被害は拡大中だった。 「―――起きたか」 「・・・・貴様か」 周辺の確認を終えた晴胤の前に姿を現したのは、布で顔を隠した男だ。 彼自身も中州に行っており、<龍鷹>の攻撃に巻き込まれたはずだった。 「貴様はいつ起きた?」 「少し前だ。お前と同じように戦況を確認していた」 「ほう? ならば進言せよ、どうすればよい?」 このように混乱した戦況で的確な指示を出すには、晴胤の経験だけでは十分と言えない。 一方、男の経歴からすれば今の状況こそ最も馴染みのあるものだろう。 「ここはダメだ。即刻兵を退け」 「何?」 だからか、さっさと勝負を投げた男の言葉に晴胤は驚いた。 「勝ち目のない戦を続けても意味がない。さっさと退いて態勢を立て直し、再度挑む方がいい」 「・・・・・・・・・・・・貴様らはそうだったな」 記憶を呼び起こした晴胤は苦虫を噛み潰したような顔で呟く。 「ええい、どうせすぐに日没だ。まずはこちらに向かってくる敵を砕かねば」 見た限り、晴胤の命令で動きそうなのは晴胤本隊だけだ。 晴胤勢は一万三〇〇〇を数えたが、前衛として二〇〇〇ずつの円居に分けて前備六〇〇〇――偃月の陣――とした。 その後方に本隊として五〇〇〇を置き、これを晴胤が直卒する。 残りの二〇〇〇を後備として緑川北岸に置いた。 この内、前備はそれぞれ長井・武藤勢、鳴海勢、鹿屋・佐久勢との戦いを始めており、いずれも劣勢だ。 晴胤の指令を受け入れる余裕があるのは本隊の五〇〇〇だけだった。 (だが、五〇〇〇もあれば十分!) 龍鷹軍団のどの部隊が突破してきても戦える戦力だ。 「日没まで時間を稼ぎ、隊列を整え次第闇にまぎれて後退するのが得策か・・・・」 やる気満々の晴胤にため息をつき、男も太刀を引き抜いた。 「ほお、貴様もやる気か?」 「ここでは俺が逃げようとすれば後ろから斬るくせに」 「はっは、当然! 武人たる者戦場では堂々とせねばな」 「堂々と逃げるだけなのに」と呟く男を無視し、晴胤は麾下の兵士に槍衾を作らせる。 頑強に戦う白石勢に背後を任せて陣を整えた晴胤本隊は、鉄砲の火縄に火を点けた状態で待機した。 外から見る分には堅固に見えるが、それを構成する兵たちは恐慌一歩手前だった。 それは無理もない話である。 虎熊軍団の兵は自軍が圧倒的に有利だと考えていた。 この肥後戦線において、虎熊軍団本隊は熊本城攻防戦で苦戦するも、宇土城攻略戦、砂川の戦いで勝利を収めている。 続く八代城攻防戦も勝ち戦の雰囲気が漂っており、撤退時には不満を持つほどだった。 龍鷹軍団主力軍が姿を見せても、兵力差は明らかであり、脅威を感じていない。 そんな心境だったというのに、蓋を開けてみれば大苦戦。 本隊を構成する兵たちは、まさかこのような状況で最前線に立つとは思っていなかった。 「く、来るぞ・・・・ッ」 「ど、どうする!?」 「や、やるしかねえべ!」 それでも槍を構える兵たちは動揺しながらも覚悟を決める。 前線の旗が激しく揺らめき、味方が苦戦しているのが分かった。 もうまもなく、味方の人垣を突破して敵が出てくるに違いない。 ―――そんな、晴胤も兵たちも一当てを決意した時だった。 ―――ドーン、ドーン、ドーン。 「・・・・お?」 間隔の長い太鼓の音。 それは一般に退き太鼓――撤退命令である。 太鼓の音が戦場を支配するなり、激しかった龍鷹軍団の攻勢が緩んだ。 止んだ、ではないあたり、龍鷹軍団の兵たちも突然の撤退命令に不満を持っているようだ。 それでも武藤勢の掩護を受け、長井勢、瀧井勢、鳴海勢が浜戸川南岸へ撤退を開始。 それは名島勢と絢瀬勢も同じだった。 一方、佐久勢、鹿屋勢は攻勢を止めるも南岸へ退避せず、その場に留まっている。 南岸への撤退命令に抗命しているのか、その位置を確保することが命じられているのかは不明だ。 だが、火縄に点火された火は、薄暗くなってきた中ではよく目立った。 これは言うまでもなく戦闘態勢であり、この日の戦いが終結したとはまだ言えない状況である。 「一難去った、か・・・・?」 だが、晴胤が呟いた通り、それでも「今日の戦は終わり、無事生き抜いた」と考える虎熊軍団の兵たちは多かった。 夕闇を前にして両軍の兵たちは次のような気持ちを抱いていた。 龍鷹軍団の兵たちは、勝ち戦に水差され、闘志がくすぶっていた。 虎熊軍団の兵たちは、九死に一生を得られたことに安堵していた。 ―――シャンッ そんな中、戦場全体に鈴の音が響き始めた。 |