「龍虎の争い」/六



 白石長久。
 豊前国中津城主である熊将だ。
 虎熊軍団の本隊では虎将・虎嶼晴胤、熊将・加賀美武胤(長門)に続く地位にあり、加賀美が熊本城の抑えに残ったため、次席指揮官となっていた。
 普段は沈着冷静だが、いざ自らが刀槍を振るうとなると勇猛果敢な猛将に変わる。
 武装も大金棒と決まっている。
 霊装使いでもあり、身に着けた小刀型霊装は宇佐神宮の【力】を受け、幸運を授かる。
 これは効果範囲内の誰にでも幸運を授けるという代物で、彼が率いる白兵戦部隊は無類の強さを発揮した。
 曰く、彼ら向けて放たれた矢が、突風で逸れた。
 曰く、夜襲前に豪雨が降り、彼らの足音をかき消した。
 曰く、長久と共に戦った者は子宝に恵まれる。
 最後のはやや戦から逸れるが、戦闘段階における幸運は勝敗を分けかねない重要な要素だ。
 だが、この浜戸川の戦いではそれが封じられたと見るべきだった。






白石長久side

「―――敵の勢い、弱まりました・・・・」

 開戦から半刻、前線からもたらされた情報に白石長久は胸を撫で下ろした。

「ようやくか・・・・」

 白石勢八五〇〇が相手にするのは名島景綱三〇〇〇と絢瀬晴政三五〇〇の計六五〇〇だ。
 六五〇〇と言っても敵軍はふたつの円居に分かれている。
 このため、白石勢もふたつの梯団を組んで対峙していた。
 敵軍最左翼に布陣する名島勢に対して三段、名島勢と中央軍の間にいる絢瀬勢に対しては四段で対応。
 それぞれの段は一〇〇〇程度で、国衆が多い豊前衆の標準的な布陣と言える。
 先の砂川の戦いで先鋒を務めた岡本勢がやや変則だったのだ。

 本来は岡本勢が敵軍を拘束、その後から他の豊前衆が次々と攻撃を開始して敵軍を粉砕する。
 それが豊前熊将・白石長久の戦い方だった。

 だが、砂川の戦いの結果、岡本勢が半壊している。
 さらに岡本勢は宇土への撤退途中に追撃を受けて数を減らしていた。
 故に白石本隊に吸収し、部隊としての岡本勢は消滅している。
 未だ八五〇〇を誇るが、先鋒を司る部隊が欠けたことは、白石勢にわずかな影を与えていた。

「まったく冷や冷やさせる」

 白石は大金棒を肩に担ぎ、前線を見ようと首を伸ばす。
 それでも怒号と悲鳴が上がる前線は遠く、詳細は分からなかった。
 攻撃を得意とする豊前衆が守勢に回ったのは、龍鷹軍団が一斉攻撃に出たからだ。そして、それに対して第一陣はなすすべもなく崩れた。
 晴胤が倒れたことを目撃した将兵の動揺を衝いた名島・絢瀬勢はさらに第二陣へ突撃する。
 これは第二陣が食い破られる寸前でどうにか止めた。
 白石は自らの武勇もさることながら采配を振るっても熊将らしき才を発揮している。
 だが、それは前線に行けないこと、その前線がふたつに分かれていることで、彼個人の武勇を封じられたことは間違いなかった。
 同時に彼と戦う兵たちの幸運もなく、被害は甚大となる。

(それでも止めたぞ)

 現時点での死傷者は一〇〇〇というところだろうか。
 内三〇〇ほどは治療次第で復帰可能だろうが、緒戦の躓きで開戦前にあった兵力差はなくなったと言えるだろう。

(ああもどかしい)

 先にも述べた通り、ふたつの梯団に分けているということは、前線はふたつあるということだ。
 それぞれの前線に部隊を振り分けているとはいえ、白石は常にそれぞれの状況を把握していなければならない。
 敵軍の勢いを止めたが、これからも白石は本陣で指揮を執り続けなければならなかった。
 それが白石には重荷となっている。

(晴胤様に指揮権を委譲し、戦場で暴れ回れると思っていたのに・・・・)

 恨めし気に本陣を見遣った時、こちらに向けて馬を走らせる使番を見つけた。

(本陣からの伝令!? ということは晴胤様が気が付かれたのか!?)

 晴胤が覚醒し、状況を把握、そして、対応策を伝令に託したのではないか。
 そう白石は考えた。

「伝令!」
「おう!」

 だから、伝令を喜色満面で迎えた。

(よし、これで前線に行ける!)

「白石様、虎将に代わって全軍の指揮を執っていただけないでしょうか?」
「・・・・は?」

 だから、伝令の言葉にポカンと口を開け、間抜けな返事しかできなかった。

「そ、それは晴胤様が身罷られたということか?」

 震えながら問うた白石に、伝令は慌てて首を振る。

「いえいえ! そんなことは!」

 伝令の言葉で白石の言葉に凍りついた周りの兵たちが再起動した。

「・・・・・・・・・・・・すまない、不用意な言葉だった」

 今の虎熊軍団はデリケートだ。
 少しのことで崩壊しかねない。

「ではどういうことだ?」

 問う白石に伝令の若武者は距離を詰めて囁くように言った。

「命に別状はないのですが、当面目を覚まされる気配はありません」
「なんと・・・・」

 遠目ではそれほどの事態になるとは思えなかった。
 ちょっと倒れただけですぐに復帰するだろうと思っていたのである。

「医師の見立てでは急な霊力消費とその後の衝撃波による脳震盪、らしく」
「急な霊力消費、か・・・・」

 晴胤が持つ霊装は白石が持つものとは比べ物にならないほど強力だった。
 故に必要とする霊力も多く、その欠乏症から昏倒することもないものではない。だが、これまではそれをコントロールし、昏倒するほど霊力を注ぎ込まなかった。
 今回はそんなことをしていられないほぼ切羽詰まった迎撃となり、あらんかぎりを注ぎ込んだのだろう。

(そうでなければあの攻撃は晴胤様だけでなく、その後ろにいた軍兵も吹き飛ばしていたはずだ)

 総大将の討死と先鋒部隊に甚大な被害を与えていれば、龍鷹軍団は今の時点で追撃戦に移っていてもおかしくない。

(相手の総大将もぶっ倒れたみたいだが・・・・)

 元々病弱という情報の鷹郷忠流だ。
 家臣たちもよくそれを知っているのだろう。
 だから、動揺する兵を士分が素早くまとめた。
 逆に虎熊軍団は士分が動揺したので全体が混乱した。

(後からなら分かるが、とんでもない奴だ)

 故に晴胤本隊の残った部将たちが、事態打開のために白石を本陣へ呼んだのだろう。
 この部隊にいる中で晴胤の次に続く役職は熊将・白石長久だ。
 全軍の指揮を執ることに問題ない。

(だが・・・・)

 白石は自軍の前線を見遣る。
 そこでは食い止めたとはいえ未だ苦戦する家臣たちがいた。
 敵軍はここが勝負どころと分かっているのか、あの手この手で猛攻をかけてくる。
 今は凌いでいるが、白石が本陣に行けば白石勢が大将不在で瓦解するだろう。

「今は本陣へは行けない。ここで敵を押しとどめる手当をしたら向かう」

 そう言わざるを得なかった。
 白石が本陣で指揮を執っても白石勢が瓦解したら全軍が崩壊する。しかし、晴胤勢は大軍であり、正面の小瀬勢は敵軍を食い止めている。
 そうすぐに全面崩壊にはならない、と判断した。

「それに敵軍の攻勢はそう続くものではない」

 白石は西の方を見遣る。
 そこには大きく傾いた太陽があった。
 日の入りまでまだ時間があるが、視界の悪さはそれよりも前から発生する。
 龍鷹軍団の攻勢は持って後半刻(1時間)程度だろう。

(それまでは耐えられるはず・・・・)

 龍鷹軍団は総攻撃に出ているが、虎熊軍団は開戦前の場所から動いていない。
 結果、浜戸川を渡河できた龍鷹軍団は少なく、兵力差もあることから虎熊軍団に対し、局所的数的優勢を正面以外で確保できなかった。
 正面はその状態でも小瀬勢が頑強に抵抗しており、その奮闘が他の部隊にも影響している。
 このため、虎熊軍団は総大将不在という危機的状況でも崩壊せずに戦えていたのだ。



―――開戦から一刻程度までは。



「―――い、いかん・・・・ッ」

 国松貞鑑は思わず軍配を放り出しそうになっていた。
 すでに三〇〇〇いた戦力の半数近くが死傷している。
 正面から攻めてくる佐久勢は苛烈だが、それ以上の損害を与えているのは側撃してくる武藤勢の攻撃だった。
 武藤勢は一貫して鉄砲戦を展開し、盾に隠れていない国松勢を薙ぎ倒す。
 途中で防衛態勢が整い、国松勢も対佐久戦線とは別の戦線を構築。
 鉄砲戦を展開しながら白兵戦に持ち込もうと隙を窺った。
 虎熊軍団の鉄砲装備率は龍鷹軍団よりもやや高いため、前線をふたつに分けたとしても一定の火力支援を与えられたはずだ。

(奴らも片手間だったはずだ・・・・ッ)

 武藤勢は晴胤勢と戦う長井勢を援護しており、こちらは副次戦線だった。
 だから、国松は白兵戦に持ち込めば抑えられ、それが戦局を左右するほどの戦いには発展しないと推測する。

(だというのに・・・・ッ)

 その考えを武藤勢は銃弾で撃ち砕いた。
 前に出た白兵戦部隊を貫く。
 盾から顔を出した鉄砲兵を砕く。
 豊富な弾幕と圧倒的な腕前で、国松勢の対武藤勢を粉砕したのだ。
 ものの四半刻で対応に出た部隊が壊滅したことに動揺した国松勢は、正面の佐久勢にも押し切られようとしていた。

「ええい! しっかりせんか!?」

 国松は思わず地面に軍配を叩きつける。
 佐久勢の正面で閃光が走り、次の瞬間に爆音とともに炎が上がった。
 悲鳴と共に兵が宙を舞い、その空いた隙間に敵の武者衆が乱入する。
 戦線を突破された国松兵は恐慌を起こし、事態収拾に乗り出した国松武者衆も狂乱に阻まれて近づけない。

(これは精神に作用する霊装が使われているな!?)

 兵の混乱具合が不自然なことから国松はそう判断したが、ここからでは何もできなかった。
 効果範囲は限定的なのか、突入場所以外で恐慌は起きていない。だが、他の場所でも兵たちは動揺しており、全面崩壊に至るまでほとんど間がないように思えた。

「馬を引け!」

 国松は自分自身を含む馬廻衆が行かなければ事態の収拾は見込めないと判断。
 すぐさま馬上の人となる。そして、正面向けて馬を走らせた。

「しっかりせい! 敵は若輩者が率いる軍勢ぞ!」

 国松は佐久勢の大将が仲綱であることは知らない。
 だが、砂川の戦いで佐久勢を率いていた頼政でないことは知っていた。

(こんな短時間で軍をまとめられるなど、弟か息子と言った奴が指揮を執っているに違いない)

 そして、そういう者が弔い合戦に出る時、まずやろうとするのは自軍への自身のアピールだ。
 一番手っ取り早いのは戦場での槍働きである。

(霊装を持っているということは、きっと敵指揮官がそこにいる!)

 ならば討ち取ってしまえば、この劣勢を挽回することができる。
 そのためには足軽に任すよりも国松を含む馬廻衆が相手にした方が確実だった。
 国松は己が返り討ちに合う危険性を理解しながらも、逆転の望みをかけて前に出る。
 土煙を上げながら前線へ走る国松たちへ、味方の兵士たちが希望の眸で見つめた。

「見つけたぞ!」

 国松の視線の先には、足軽たちを追い散らす集団がある。
 その中心に同じく槍を振るう若武者がいた。
 周囲を固める武者を見ても、その若武者が相当な地位にいることが分かる。

(きっと佐久頼政の嫡男だな)

 国松は頼政の顔を知っており、そこから予想される年齢ならば仲綱ほどの息子がいてもおかしくないと思っていた。そして、この若者を討ち取ることができれば、正面の佐久勢は瓦解すると判断する。

(許せ、これも乱世のせいよ)

 槍捌きを見ても、一騎駆けの武者ではない。
 ただし、一定の水準には達しており、足軽数人程度ならば蹴散らせる腕前だ。
 だからか、若者は寄せてきた国松たちに対して、逃げる素振りを見せることなく、迎え撃つ構えだった。

「む?」

 若武者を睨む国松が、わずかな違和感に首を傾げる。
 その若者の傍に降りている影。
 それは日光の向きとは関係のない動きで膨れ上がった。

「なっ!?」

 瞬く間に人の形を取ったソレは、驚く国松に急接近する。
 それと同時に押し寄せる恐怖心。

(ぐ、ぅ!?)

 忍びの出現に動揺した国松たちを襲ったそれは、やがて馬に伝播した。

「どうわ!?」

 結果、急停止したり暴れ出したりした馬から放り出された国松たちはゴロゴロと敵の眼前で転がる。
 普段ならば受け身を取って起き上がるのだが、恐怖に支配された体の動きは鈍かった。

「う、ぐぐ・・・・」

 震える手で地面を叩き、国松は起き上がる。
 周りを見れば、明らかに異常な状況とあり、味方はもちろん敵兵も槍を向けたままこちらを凝視していた。

「ほう、起き上がるか」
「・・・・ッ!?」

 耳元で囁かれた声音にビクリと肩を震わせる。しかし、振り返ることはできなかった。
 首筋に小刀が突きつけられており、抵抗しようにも腕の関節が極められていたのである。

「し、忍びなんぞに・・・・ッ」
「主命故、恥を忍んでもらう」

 そう言って、霜草茂兵衛は小刀を引いた。

「――――――――――――――――――」

 こふっと小さな息を吐き、国松は脱力する。そして、茂兵衛が手を離すとバタリと倒れ込んだ。

「「「う、うわあああああああああああっ!?!?!?!?!?」」」

 注目していた分、その光景を目撃した兵は多い。
 それ故に恐慌が大恐慌となり、崩壊に至るまでほとんど間がなかった。
 わずか開戦から一刻と少し。
 この短時間で虎熊軍団の一角が崩れる。
 だがしかし、それは全面崩壊への序章でしかなかった。






鈴の音side

(―――ふむふむ、なかなかにいい具合)

 戦況を眺める『鈴の音』は内心でにんまりとした笑みを浮かべた。
 今は能面のような無表情を張りつけて『鈴の音』ともうひとりを監視する霜草茂兵衛がいないとはいえ、他の監視がいないとは限らない。
 容易に尻尾を見せてはならないので、表情も取り繕わなければならない。

(それにこの昏倒しているこいつも油断ならないからな)

 視線の先には倒れ伏す忠流がいる。
 さすがに近衛の誰かが不憫に思ったのか、体勢を変えられていた。
 背もたれ付の床几に座らされ、ガクリと首を垂れる姿はまるで暗殺されたようだ。
 おまけに顔面蒼白なので、やはり死体にしか見えない。
 先程も名島勢からやってきた使番が血相を変えて指差していた。しかし、すぐに周りの近衛に諭され、引き攣った笑みで直武に報告をした後に去っている。

(戦況は龍鷹軍団有利。・・・・問題は時間、か・・・・)

 空を見上げると随分と暗い。

(雲や風が出てきたか)

 どうやら日没の他に雨まで降るらしい。
 両方とも戦闘を停止するには十分な理由だった。

「だが、そうはさせん」

 口の中でそう呟き、たもとの中で鈴を握る。そして、視線を上げた先、右翼前線では国松勢を押し潰した佐久勢が敵最左翼の筑前衆へと雪崩れ込んだ。
 そうしてポッカリ空いた中央右翼寄りを猛然と進撃する部隊がいる。

 <京紫に白の剣木瓜>。

 若き勇将・鳴海盛武率いる鳴海勢だった。



 夕闇迫る浜戸川河畔の喚声は、まだまだ止みそうになかった。










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