「龍虎の争い」/四



 浜戸川。
 緑川水系に属し、現代では第一級河川に登録されている。
 水系の本流である緑川は日向との国境にある向坂山および小川岳の西麓を源流とし、熊本平野に至り、宇土半島北側基部から有明海に注ぐ。
 浜戸川は緑川の南方を流れ、河口に近い部分で合流する。
 龍鷹軍団と虎熊軍団が向かい合ったのは、そんな合流点に近い地点だった。

 虎熊軍団は緑川を背にしているため、一見背水の陣に見える。だが、これは龍鷹軍団による海上機動戦を警戒した布陣だった。
 八代海の制海権を奪還した龍鷹海軍が宇土半島に、もしくはさらに北に上陸。
 さらにこの軍勢が虎熊軍団本隊を目指した場合、必ず緑川を越えなければならない。
 その場合、虎熊軍団は緑川を防衛線としてこれに対処するのだ。
 そうしている間に熊本城を囲んでいる部隊から増援が来る。
 肥後戦線に五万を投入しているからこそできる、贅沢な戦略だった。
 一方で、南方に向けてはやや脆弱な備えと言える。
 防衛線としての能力は浜戸川より緑川の方が圧倒的に高い。
 普段の川幅も水深も浜戸川の方が狭く、浅いのだ。
 特にここ数日でまともな雨が降っていないためか、水深が下がって中州が生まれていた。

 鵬雲五年四月二八日未四つ刻(午後3時)。
 鷹郷忠流と虎嶼晴胤の会談が行われたのは、そんな中州のひとつだった。






会談scene

(―――へぇ・・・・)

 忠流は晴胤を見るなり感心した。
 恵まれた体格を鍛え上げ、理知的な眸を持つ晴胤は見るからに「できる」武将と言った姿だ。

(実流兄さんにどことなく似ているな)

 晴胤に「豪快さ」を足せば鷹郷実流に似る、それが忠流の第一印象だった。



(―――なるほど)

 晴胤は忠流を見るなり得心した。
 見た目はかわいらしいひ弱な少年だ。
 一騎駆けの猛者でも優れた戦場指揮官でもないだろう。だが、それでも"総大将"という威厳に満ちた、自信を感じる。
 戦働きではない点で当主としての役目を果たしているのだろう。

(危険だな・・・・)

 忠流自身ではなく、彼が率いる龍鷹侯国への危機感、それが晴胤の第一印象だった。




「―――鷹郷権少納言忠流だ」

 忠流は朝廷から許された正式な名乗りで自己紹介した。
 龍鷹侯国の当主は代々"権少納言"と"侍従"の官位を賜る。
 故に歴代の当主は"薩摩侍従"などと呼ばれたものだった。

「我は虎嶼孫太郎晴胤」

 対する晴胤は通称込みで名乗る。
 こちらも正式な名乗りと言えば名乗りだが、官位を口にしなかった。
 晴胤も大国・虎熊宗国の嫡男として官位を持っている。だが、さすがに権少納言を上回ることはなかった。
 ここで官位名を名乗った場合、必然的に忠流の下になる。
 故に晴胤は通称で名乗ったのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
「お前の下ではない」という言外の言葉に忠流は頬をひきつらせた。

 立場上で言えば忠流は国主。
 一方、晴胤は嫡男でしかない。
 並列の立場ではないのだ。

「・・・・き、貴様の勇名は薩摩にも轟いているぞ」

 それでも忠流は国主の意地からか上から目線を変えずに言葉を紡いだ。

「こちらにも鷹郷忠流の名前は届いている」
「ほぉ?」

 お世辞とも言える忠流の言葉に晴胤は表情を変えずに言う。

「女顔で病弱だ、とな」
「・・・・あ゙?」

 ビシリと忠流の表情と周囲の空気が固まった。

「随分と小細工が得意らしいな。容貌が女々しいと行いも女々しくなるということか」

 自らの言葉が面白かったのか、晴胤は両腰に手を当てて呵々大笑する。
 その姿を己が幕僚たちも絶句して見ていた。
 それは忠流の家臣たちも同じだ。
 誰もが忠流の背を不安そうに見ていた。
 だが、言われっぱなしの忠流ではない。

「小細工をするのはそっちも同じだろう? 尤も細工が稚拙すぎて話にならないが」
「・・・・むぅ」

 忠流の言葉に眉間にしわを寄せる晴胤。
 小細工とは、銀杏軍団の南下や阿久根への海上機動戦のことだ。
 どれも龍鷹軍団が完膚なきまでに打ち砕いている。

「少し抑えてください」

 真っ青になっていた幸盛が忠流の袖を引いて黙らせた。
 向こうでも顔面に布を巻いた男が晴胤を宥めている。

「・・・・で、本題だがな」

 意地でも敬語は使わない忠流はさっそく本題を切り出した。

「このまま旗を巻いて筑前に帰らないか?」
「・・・・・・・・・・・・それはどういう意味だ? 我の軍は負けていないぞ?」

 挑発とも取れる言葉に晴胤は拳を強く握りしめることで我慢する。そして、忠流の意図を知ろうと質問した。

「いやいや、そもそもどうして俺たちが戦っているんだ?」
「・・・・何?」
「発端は聖炎国の家督相続問題だろう? 確かに現当主・珠希は俺が支援しているし、親晴は貴様ら虎熊宗国が支援している」

 家督相続の後ろ盾になっている勢力が直接干戈交えるのは当然と言えば当然だ。
 忠実でも応仁の乱は将軍家の跡目問題が山名氏と細川氏をトップとする両軍が激突している。

「両軍が一気に手を引き、後は両者が勝手に潰しあえばいい」
「そのような不義理―――」
「っていうか、肥後南部を龍鷹侯国が、肥後中部を聖炎国が、肥後北部を虎熊宗国が抑えて講和すれば緩衝地帯もできて万々歳じゃないか」

 直接勢力圏が接することによって様々な摩擦が生まれる。
 ならば直接接しなければいい。
 それが緩衝国家である。

「今回は介入したからこそ俺たちがぶつかった。なら、両者とも介入しないと盟約を結べば戦う理由がないだろう?」

 忠流は晴胤の顔を覗き込むように言う。
 双方の代表者は椅子を用意することなく、未だ砂が湿る中州に立っていた。
 付き従うのは側近数名であり、各円居の大将は参加していない。
 年若い彼らは赤裸々に話す忠流をやや蒼褪めた目で見ていた。
 今は忠流の独壇場だ。

「虎熊宗国も南の問題が片付けば総力を挙げて出雲を叩けるだろう?」

 対出雲。
 これが虎熊宗国の基本戦略である。
 今回は本来押さえておかなければならない南方で、火雲親晴がしくじっただけなのだ。

「貴様らはどうする?」

 晴胤が訊く。
 対肥後戦線が落ち着けば、龍鷹侯国は領土を拡張する対象を失う。
 虎熊宗国と講和するということは銀杏国とも講和するということだ。
 他に手を出せるとしたら肥前くらいだが、現状から考えて龍鷹侯国が攻撃する利点がない。

「四国に行ってもいいな」
「四国だと?」

 龍鷹侯国は四国・伊予の時宗氏と良好な関係を結んでいる。
 今も部隊の一部はこの援兵として南伊予攻略戦に参加していた。
 これに本格介入するというのだろうか。

「はたまた琉球に手を出すか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 琉球国は龍鷹侯国と南方諸国との交易中継地として栄えていた。
 この中間貿易分、龍鷹侯国は損益が引かれている。
 もし琉球を直轄支配できれば、売り上げの全てが手に入るのだ。
 尤も琉球統治に使用する資金が必要になるのだが。

「桐凰家への増援として畿内へ進出、というのもある」

 かつて忠流の父――朝流は手勢を率いて上陸、京周辺の制圧に尽力していた。
 桐凰家は一時期の膨張期が終わり、今は各方面のどこに重点を置くか決めかねているように見える。
 百戦錬磨の龍鷹軍団が加勢すればどこの勢力に攻勢をかけるにしても力になるはずだった。

「俺たちは別に貴様と戦う必要はない」

 忠流はそう言い、こう続けた。

「貴様に俺たちと戦う理由はあるのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・」

 虎熊軍団が龍鷹軍団と戦う理由。
 それは大義名分と言い、それが正当でないとなかなか将兵は従わない。
 己の命を懸ける理由なのだ。
 曖昧なままでは許されない。

「・・・・・・・・・・・・いろいろな建前があるが、我はこれだけは確信している」
「?」

 小首を傾げる忠流に晴胤は言った。

「どうせいつかはぶつかるのだ。それが早いか遅いかだけの違いだろう?」
「・・・・ッ」

 獰猛な笑みと共に放たれた言葉に、忠流は息を呑む。

「貴様が先に言った三つ選択肢。それはそれで貴様の真面目な回答であろう」

 晴胤は手のひらを上にして右手を前に出した。そして、それをゆっくりと握りこむ。

「貴様はそれをなした後、確実に北上する」

 「伝え聞く限り、何かを企まないと死んでしまうらしいからな」と続けた晴胤は宣言した。

「故に我らの将来の敵を、今ここで討ち果たす。それが貴様らと戦う理由だ」
「「「・・・・ッ」」」

 晴胤の殺気を感じ、忠流の側近――幸盛・忠勝・忠猛――が身構える。
 それに応じて晴胤の側近も一歩前に出た。

「晴胤よ」

 それらを手で制し、忠流は晴胤を見遣る。

「いい判断だな」
「・・・・何?」
「確かに俺は聖炎国を緩衝地にしようなんぞ、毛ほども考えていない」

 忠流はくつくつと楽しそうに笑った。

「ただ貴様が『本国に問い合わせる』とか言い出す輩かどうか見極めたかっただけだ」

 すでに龍鷹軍団と虎熊軍団は幾度も戦火を交えている。
 両軍の主力軍が向かい合ったのは初だが、先の海戦では双方の主力水上部隊が死闘を演じていた。

「ほお? 我を知りたかったと?」
「ああ」

 忠流は首肯し、ニヤリと笑う。

「俺の手で叩き潰す相手を知りたくてな」

 晴胤の側近が殺気をまとった。
 その殺気を忠流は苦もなく受け流す。
 武勇の士でなくとも、間近で殺気を向けられた経験ならあった。
 いや、自ら武器を取って斬り結んだこともある。

「貴様は兵を指揮せず、家老に一任していると聞いたが?」
「俺だって一軍を指揮したことはあるぞ?」

 忠流はすかさず言い返すが、苦い記憶に顔を歪める。
 彼自身が直卒した戦いは苦戦した記憶しかないのだ。

「ならば我が直々に叩き潰してやろう」
「ふん、貴様だってどうせ隠れた指揮官がいるんだろう?」

 自信満々に見下され、忠流はふてくされたように言い放つ。

「ハッ。貴様とは違い、全てが我が武功である」

 晴胤が忠流の言葉を鼻で笑って続けた。

「今回も我が手で貴様を・・・・いや、鳴海直武を踏みにじってくれるわ」
「ほ、ほぉ・・・・?」

 「お前など歯牙にもかけない」と言われた忠流のこめかみに青筋が生まれる。

「貴様など、戦場に現れた時点で神輿以外の役割は残っておらんだろう」
「―――――――――」
「あ・・・・」

 主からプッツンという音を聞いた幸盛が思わず吐息と共に声を漏らした。
 同時に忠流の顔から表情というものが抜け落ちる。
 頬に差していた赤味も引き、まるで能面のような顔だ。
 そっと主の顔を覗き見た忠猛が上げそうになった悲鳴を押し殺して一歩退いた。

「ふっ」

 その変化を特等席で見ていたはずなのに、晴胤は鼻で笑う。そして、わざわざ胸を逸らして忠流を見下ろした。
 年頃になって相応に成長した忠流だが、同年代と比べるとまだまだ小柄だ。
 別に身体的特徴など軍の采配には関係しないのだが、晴胤が優れた体格と指導者にふさわしい覇者たる風格を備えていることは事実だ。
 目の前で倒れでもすれば圧倒的優勢なのにその軍勢が動揺しそうなほど、晴胤はカリスマ性に溢れていた。

「・・・・もう言葉はいらないようだな」
「ふむ、そのようだ」

 忠流の会談打ち切りの発言に、晴胤も満足そうに頷く。
 最後の一場面だけ見れば、忠流は晴胤にやり込められた。
 それに晴胤は満足したようだ。

「じゃあな」

 それだけ告げ、忠流は背を向ける。
 こうして、両軍の総大将が相見えるという歴史的会談は終わりを告げた。




(―――呆気ないものだな)

 晴胤は去っていく忠流の背中を見ながら思った。
 戦いの結果と共にこの会談は後の語り草となるだろう。
 そんな場面を演出したというのに、会談内容はひどく淡白なものだった。
 建設的な話し合いなどなく、お互いの顔合わせ的なものだ。

(奴もそう考えていたのだろうか)

 やや落としていた視線をもう一度忠流に向ける。
 さすがに護衛の側近たちは警戒しながら下がっていた。しかし、中州をテクテクと歩く忠流の背中は無防備である。
 それを見て、討ち取る機会と考えたのだろう。
 晴胤の側近たちが殺気を出した。

「止めろ、我らの品格を落とす気か?」

 公式な会談ではないとは言え、首脳会談である。
 お互いの安全は確保されていなければならない。



―――少なくとも、会場である中州から去るまでは。



 晴胤は側近たち手で制し、背を向けた。
 両軍が固唾を飲んで見守る中、両首脳はスタスタと、護衛たちはジリジリと後退する。



「―――ああ、そうそう」



 そうしてお互いが中州の端に着いた時、忠流がおもむろに振り返った。
 声に応じ、晴胤も振り返る。
 両者の足はすでに中州の砂から川底の砂を踏み締めていた。

「楽しみだ、貴様がいない虎熊軍団がどう戦うのか」

 可憐とも言える満面の笑み。

「・・・・ッ」

 忠流が右手を挙げた時、龍鷹軍団から一条の光が飛来した。
 同時に晴胤もその手に三叉槍型の神装・<海包>を握る。

(油断した・・・・ッ)

 忠流の手に顕現したのは、一振りの片鎌槍。

(間に合うか!?)

 龍鷹侯国の神装が槍型であることは有名だった。
 だから、それらしきものを持っていなかった忠流に安堵していたのは事実だ。
 会談に神装を持ち込まぬことに好感を得た晴胤もまた、川中で待機する者に槍を預けていた。
 その者が会談終了を悟って近くに寄っていなければ、迎撃すらできなかっただろう。
 しかし、その迎撃が効果的かどうかは別問題だ。

「はぁ!!!!!」

 気合一閃。
 膨大な霊力を元に振るわれた一撃が、浜戸川の水を集めて凝縮した。そして、次の瞬間には津波となって中州を呑み込み出す。

「―――ッ!!!」

 対して、忠流はあまり誉められた槍捌きで刺突を放った。
 両者の距離は数十間。
 しかも、津波という水の壁が立ちはだかる中、"それ"は来た。

 黄金色の光。

 穂先から放射されたそれは、津波と接触するなり大爆発する。
 それは水蒸気爆発に似たものだったが、それだけでは止まらなかった。
 津波を貫通した光はそのまま北岸の岸辺に着弾。
 川石を散弾の如くまき散らす。
 放射状に射出されたそれらは、小瀬勢の最前線を薙ぎ倒した。

(く、そ・・・・)

 霞む視界の中、晴胤は"敵"を睨みつける。
 爆発の衝撃波に強かに打ち据えられた晴胤も、北岸の岸辺近くまで吹き飛ばされた。
 浅瀬のために溺れることはないだろうが、脳震盪からか意識が遠のいてくる。

(最初から・・・・これを、狙って・・・・・・・・)

 真っ青な顔でニヤリと笑う忠流が、ガクリと首を落として倒れた。
 それを側近のひとりが首根っこを掴んで馬の上に引っ張り上げる。
 槍から少女の姿に戻った巫女がその馬の背に乗ろうと飛び上がるも、飛距離が足りずに地面に落ちた。
 慌てたもうひとりの側近が彼女を抱え上げて馬に乗せる。
 そうして龍鷹軍団の使節団は難なく中州地域を離脱した。

(頼む、ぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 薄れゆく意識の中、事態打開を任す部下の名を呟こうとする。

(・・・・・・・・・・・・・・・・誰か・・・・・・・・―――――――――)

 結局、思いつかず、晴胤の意識は闇に落ちた。
 後に残されたのは、指揮官不在の大軍だ。
 まさかの事態に硬直する虎熊軍団向け、同じく指揮官不在の龍鷹軍団が雄叫びを上げながら突撃を開始した。
 最初から総攻撃である。
 鵬雲五年四月二八日申一つ刻(午後3時30分)、決戦の火蓋が切って落とされた。










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