「龍虎の争い」/三
宇土城。 西岡台の東方に位置する小高い独立丘に築かれた城だ。 元々西岡台に城があったのだが、城下町との距離を考え、聖炎国の時代になって移動したのである。 城は本丸、二の丸、三の丸と主郭が展開し、これを内堀と外堀で囲む。 その城郭規模は南北約500メートル、東西550メートル、面積約20万平方メートルと広大だった。 ただ広いだけでなく、対鉄砲を意識した堅固な縄張・作事となっている。 それを覆したのが約ひと月前の虎熊軍団による攻撃だった。 虎熊軍団は一夜にして宇土城を落とした。 それから一か月。 宇土城はさらに南下した虎熊軍団のための物資集積地として活用される。 だが、その南下部隊の北方撤退によって放棄された。 龍鷹軍団がその"跡地"に達したのは、鵬雲五年四月二八日である。 そこで彼らが見た宇土城は、見事に焼け落ちていた。 対陣・龍鷹軍団scene 「―――ひどいことをするな」 「ええ、全くです」 鵬雲五年四月二八日未二つ刻(午後2時)。 主力を城外に待機させた龍鷹軍団は、御武幸盛と瀧井信輝の部隊を城内に送り込んでいた。 「これでは再建もままならないのではないでしょうか」 「確かに巨額を投入する意味はないよなぁ」 幸盛の言葉に信輝も同意する。 宇土城の役割は北方から熊本城に押し寄せた敵軍のさらなる南下を防ぎ、南方の軍が後詰をするための駐屯地だった。 このため、惣構が築かれたのだが、その内側が完全に焼け落ちている。 縄張の基礎は破却されていないが、作事部分は壊滅していた。 「俺たちに利用させないためかね?」 「それもあるでしょうが・・・・」 幸盛は眼を閉じて思考に沈む。 (そう言えば、宇土城が一晩で陥落した理由がまだ不明なんですよね) もしかすればその要因解析をさせないための証拠隠滅なのではないだろうか。 (とは言え、そんな城攻めの秘策があるのならば熊本城も落とせるのではないのでしょうか) 熊本城と宇土城の違いはいったいなんなのだろうか。 (籠城兵力? 陥落後の用途? それとも別の何か・・・・) 幸盛は何かを探すように周囲を見渡す。 だが、この本丸に見えるのは本丸御殿(全焼)くらいで、特筆するものは何もない。 「あるとすれば、三の丸もしくは二の丸の城門か・・・・」 城が瞬時で陥落する場合、城が城としての機能を損なっていたと考えるのが早い。 例えば、どんな難攻不落の城でも城門が開放されていれば容易に落ちる。 城はあくまでも外敵を城内と城外で拒絶することによって撃退する。 城の中で戦って押し返すこともあるが、そういった場所も基本的には門などの障害物で敵を止め、そこに攻撃を加えるのだ。 (想定外の攻撃で城門を破壊され、混乱に陥ったところを兵力差で押し切られた、というところでしょうか) 幸盛が至った結論はほとんど正解だった。 だが、問題はその"想定外の攻撃"である。 (それが野戦でも使えるとなると・・・・危険ですね・・・・) 堅固な城を破壊する攻撃力が生身の人間に向けられた場合、その結果は悲惨以外の何物でもないだろう。 (<龍鷹>が兵に振るわれた場合、血すら残らない一本道ができますからね) 忠流が戦場で<龍鷹>を振るっていない理由は、何も使ったら自身が倒れるだけではない。 その結果が生み出す恨みや恐怖が害となることを懸念したためだ。 大きすぎる力は味方も畏怖する。 今でこそ一強に見える忠流政権もどこでひっくり返されるかわからないのだ。 「幸盛、見てみろよ」 「? はい、何でしょう?」 「壮観だな」 「・・・・全くです」 信輝は北方を見ていた。そして、その方向を確認した幸盛も頷いた。 浜戸川北岸に布陣する虎熊軍団主力軍約三万一〇〇〇。 それに対抗するように南岸に布陣するのは龍鷹軍団約二万四〇〇〇。 これに並ぶ形で聖炎軍団三〇〇〇が西側に布陣する。 総勢五万八〇〇〇が一堂に会しているのだった。 高城川の戦いも戦場には四万六五〇〇が集まり、戦史上まれにみる大軍だ。 同じ戦争でこれを上回る規模が集まったことに、おそらく世界は驚くだろう。 (御館様の頭脳と将兵の奮闘がなければ見られなかった光景ですね) ≪紺地に黄の纏龍≫と≪朱地に黄の豺羆≫が翻り、まさに「竜虎相打つ」の構図。 虎が繰り出した数々の手を薙ぎ払い、逆に巻きつこうとしたが、その包囲から抜け出された。 それでも追撃してようやく捕まえたのだ。 虎熊軍団の戦略方針上、兵力が拮抗した状態での主力決戦など考慮の他だったに違いない。 いや、考えたくないので様々な手を打ち、龍鷹軍団を分散しようとしたのだ。 「後はあれをぶっ叩くだけでいいってのは気楽だな」 「それはそれで難しいんですけどね・・・・」 さわやかに笑う信輝に応じつつ、幸盛はため息をついた。 「―――いやぁ、すげぇなぁ」 幸盛と信輝と同じ光景を、忠流は龍鷹軍団の本陣から見ていた。 ただ本陣の標高は宇土城の本丸ほど高くない。 その高さを埋めるため、忠流は忠勝に肩車してもらっていた。 「はっは、どうぞ狙撃してくださいと言わんばかりの的だな。いっそ奴らを挑発してみるか? 一斉に川を渡ってくるかもしれんぞ」 「その高さからの視点にはちょっと憧れを感じますが、我慢します」 今日はその左右を妻が固めている。 昶は毒を吐くし、紗姫は恨めし気な視線を向けていた。 「御館」 「なんだ?」 「超居心地悪いっス」 「安心しろ、俺もだ」 「・・・・安心する要素ないっス!」 年下の大男の非難を浴びつつ、忠流は視線を先に戻す。 (虎熊軍団、か・・・・) 忠流が虎熊軍団を見るのは初めてだった。 沖田畷の戦いでは従流が、岩国城攻防戦では幸盛がそれぞれ敵と戦っている。 今回の戦役でも衛勝が戦っており(砂川の戦い)、高城川でも一部隊と戦っている。 銀杏軍団の援兵として派遣された高城川の戦いを除いた場合の単純な戦績で言えば一勝一敗一引き分けといったところだろうか。 沖田畷の戦いは完勝。 岩国城攻防戦では救援は失敗したが、若い世代の脱出に成功。 砂川の戦いは完敗。 特に敵主力軍と激突した砂川の戦いで敗北しているのは大きい。 だが、砂川の戦いでは緒戦を有利に進め、兵力差で押し切られた感が強い。 実際に刃を交えた時、意外ともろいのが虎熊軍団だ。 (それを圧倒的戦力でねじ伏せてきた。・・・・だけどな) 忠流は視線を自陣に向ける。 そこには龍鷹軍団二万四〇〇〇がおり、少し離れた場所には聖炎軍団三〇〇〇がいた。 (四〇〇〇の兵力差なんてここまでの大軍を集めれば大したことないんだよ) 忠流が侯王に就任して以来の最大動員数だ。 これまで一戦場に二万を超える兵力を展開したことがないのだ。 総兵力は二万を超えていたが、別戦線の手当や留守を差し引くと精々一万五〇〇〇がいいところだった。 内乱の決戦である湯湾岳麓の戦いが両軍に分かれていたとはいえ、最大戦力が一戦場に終結したと言える。 この兵力が、両軍合わせて二万なのだ。 (・・・・あれ?) とあることに気付き、忠流は首を傾げる。 「どわぁ!?」 「いきなり重心変えないでほしいッス!?」 首だけでなく、体も傾いたために危うく落下しかけた。 慌てて忠勝の頭を掴んでずり落ちそうになった体を支える。 「ふぃー、危ない危ない」 「御館、とりあえず、手離して。目隠し止めて」 「おおう」 どうやら忠勝の視界を塞ぐ形で手を回していたようだ。 「で、何か気が付いたのか?」 昶がこちらを見上げながら言う。 太陽がまぶしいのか、眼帯に覆われていない瞳を細めている。 「あー・・・・まー・・・・なー・・・・」 「はっきりしない人ですね。一回貫こうか?」 「怖いな!? 発光すんなよ!?」 紗姫がにっこりと光る。 「いや、何だ、ひとつ思ったことがあってな」 「「?」」 妻ふたりが小首を傾げる。 言動はどうあれ容姿の整ったふたりがそれをするとなかなかに絵になる。 (って、そうじゃねえよ) 小さく首を振って雑念を払う。 「なあ、忠勝」 「『あつかつ』じゃないッス。ただかつッス」 「固いこと言うなよ。俺の偏諱を受けたんだろ?」 「読みは違うッス」 「・・・・むう」 そうなのだ。 長井忠勝も加納忠猛も、「忠」の読み方は「ただ」だった。 このため、厳密に言えばふたりは忠流の偏諱を受けたとは言えないのだ。 「わっきみち、くっしざっし、ぶっぱなせ~」 「「ヒィッ」」 やたら楽しそうに目が笑っていない紗姫(発光中)に脅され、脱線した話を戻す。 「龍鷹軍団に、俺以外にこれだけの大軍を指揮できる奴は誰がいると思う?」 「そうッスね~」 忠勝の視線が自軍へ向いた。 釣られたのか、妻ふたりもそちらを向く。 「鳴海陸軍卿だけじゃないッスかね、ウチの軍団で唯一」 「おい、さりげなく俺を抜くな」 ペシリと軽く忠勝の頭を叩いた。 「戯言を」 「止めて!? 『何この人面白い冗談を』みたいな目で見るの!?」 昶の辛辣な視線に反論した後、忠流は忠勝に下すように命じる。 「まあ、ウチの軍団で直武に次ぐ大軍指揮経験者は、長井衛勝、鹿屋利孝、絢瀬晴政くらいだろうな」 とはいえ、先の三名はよくて五〇〇〇~八〇〇〇と言ったところだろう。 一万以上の兵力を操れるとは思えない。 (そう考えると、貞流兄さんや有坂を喪ったのは軍団的には痛いんだよな) 内乱で喪った中間指揮官の教育は進んでいる。だが、龍鷹軍団の拡張から指揮下に入る兵力の絶対数が増加した。 結果、最上級指揮官の能力が不足しているのだ。 (これからはもっと上の奴らにも経験を積まさないとな) 決戦が始まっていないのに得られた教訓を旨に、先程思い至った質問を続いて投げる。 「虎熊軍団はどう思う?」 「そりゃあ、あれだけの大軍。部将も綺羅星の如しでしょう」 紗姫が言う。 「そうッスね。曲がりなりにも西国一の大国ッスからね」 虎熊宗国の石高は約一八〇万石。 これは農産高(表石)であり、博多の収益などを含めれば軽く二〇〇万石を超えるに違いない。 領国面積も大きく、人口も多い。 母数が多いということは優秀な人材の数も多いということだ。 「・・・・いや、それはどうだろうか」 昶が首を捻りながら言う。 確かに人材は多彩になるが、大軍の指揮とは才能よりも経験がものを言う。 鳴海直武の場合、ここ数年の戦闘経験が全て実質的指揮官としてのものだ。 「やっぱりそう思うか?」 「貴様から聞いた虎熊軍団の戦い方からすれば、もしかしたら、と思ってしまうの」 忠流の言葉に昶は小さく頷いて答えた。 「どういうこと?」 「ええっとだな」 紗姫の問いに忠流が説明する。 「虎熊軍団ってのは―――」 虎熊軍団は大軍を率いて戦場に現れるが、分進合撃や複数の戦線を同時侵攻することが多い。 つまり、一戦役に投入される兵力は数万単位だが、一戦場に現れる兵は一万を下回ることが多いのだ。 沖田畷の戦いでも島寺胤茂が率いたのは八〇〇〇である。 「ってわけで、もしかして虎嶼晴胤くらいしか三万を統率できる奴がいないんじゃないか、と思ったんだ」 (さらに言えば、奴自体もこれほどの大軍を制御できないかもしれない) 大軍を使う敵軍のまさかの弱点。 その可能性を見出したのは敵軍の布陣だった。 (基本陣形はこちらと同じ) 虎熊軍団は龍鷹軍団と同じく、中央と両翼を持つ典型的な陣形を組んでいる。 中央。 先鋒、小瀬晴興三〇〇〇。 次鋒~本陣、後備まで虎嶼晴胤一万三〇〇〇。 右翼。 白石長久八五〇〇。 左翼。 先鋒、国松貞鑑三〇〇〇。 次鋒、筑前衆三五〇〇。 ただし、本陣はやや左翼寄りであり、見方によっては左翼と中央は同じ備に見えるほどだ。 攻撃主担当は中央先鋒の小瀬勢、左翼先鋒の国松勢だろう。 右翼は全体の戦況を見ながら白石に指揮が一任されていると考えられる。 これは白石が熊将であることから予想される流れだ。 一方、龍鷹軍団もお馴染みの陣形と言えた。 中央。 先鋒、長井衛勝三〇〇〇。 次鋒、武藤統教二五〇〇。 第三陣、瀧井信成一五〇〇(瀧井信輝含む)。 第四陣、鳴海盛武二〇〇〇。 本陣、鷹郷忠流五〇〇〇(鳴海直武、加納猛政、御武幸盛含む)。 左翼。 最左翼、名島景綱三〇〇〇。 左中翼、絢瀬晴政三五〇〇。 右翼。 先鋒、佐久仲綱一五〇〇。 次鋒、鹿屋利孝四〇〇〇。 後備。 薩摩衆一〇〇〇。 正面はほぼ同数。 両翼も総兵力こそほぼ同じだが、統一指揮を執る者がおらず、直武の指揮次第では容易に崩れる可能性があった。 このために直武は中央を分厚くしたとも言える。 中央を分厚くする。 この判断は直武も晴胤も同じだ。 もしかすれば、その理由も同じかもしれない。 ―――自分が倒れればこの軍勢が瓦解する。 という理由が、だ。 「会ってみるか、敵の大将に」 忠流はひとつの決心をし、それを伝えるために直武を呼んだ。 対陣・虎熊軍団scene 「―――伝え聞く龍鷹軍団の典型的な布陣、だな」 一方その頃、虎熊軍団でも晴胤以下主要部将たちが龍鷹軍団の布陣を見ていた。 「両翼を持ち、先鋒に長井、武藤を配する、というですね」 晴胤の呟きに白石長久が応じる。 熊将として晴胤に続く地位にある部将だ。 今回は麾下の八五〇〇を持って右翼を担当している。 「私の前にいるのは聖炎軍団と日向衆ですな」 「気をつけよ。聖炎軍団の名島景綱は手ごわいぞ」 「ええ、砂川の戦いでも見ていますから」 晴胤の忠告に頷く白石。 「それよりも日向衆が気になりますね」 「・・・・だな」 同盟軍である銀杏軍団を破砕した龍鷹軍団本隊による奇襲は、銀杏軍団の攻勢を日向衆が耐え切ったことに起因する。 さすがに傷が大きいのか、数は三五〇〇ほどだが、それでも侮れない。 「それぞれ別の円居を形成していますから、こちらも二手に分けて対応します」 「うむ」 八五〇〇対七五〇〇だ。 それほど兵力差はなく、なかなか決着がつかないだろう。 二手に分けた部隊の連携が勝敗を握りそうだ。 「左翼もまあそんな感じだろう」 左翼はもっと複雑だ。 国松勢はひとまとまりだが、筑前衆は明確な頭がいない。 晴胤が背後から指揮しなければならないだろう。 「ご安心を。すぐに中央に穴を開けてやりますわ」 そう言って呵呵大笑するのは小瀬晴興だ。 晴胤の子飼いとして有名であり、戦場で槍働きをしながら指揮を執る闘将だった。 おそらく龍鷹軍団はそれを知っているので、いつもの先備えの長井勢、武藤勢に瀧井勢を追加しているのだろう。 瀧井勢は白兵戦闘能力に優れ、龍鷹軍団の旗本衆でも指折りの攻撃力を持っていた。 特に乱戦になった折の戦闘力は凄まじく、決戦戦力とも言える。 それらを投入し、小瀬勢を叩こうというのだ。 「だが、敵は七〇〇〇にもなる。後方の鳴海勢も状況に応じて動くだろうから遮二無二に戦っては痛い目を見るぞ」 「はっはっ、分かっております」 小瀬は白石の心配を笑い飛ばし、晴胤を見遣る。 「ちゃんと総大将の指示には従います故」 そう言っても小瀬は興奮を抑えきれないでいた。 砂川の戦いで戦えなかった長井衛勝が目の前にいるのだ。 それも敵が退くとは考えられない戦場で、である。 「ぐふふ、楽しみだ」 「「はぁ~」」 その姿を見て、晴胤と白石はため息をついた。 「晴胤様、頼みます」 「よいよい、いつものことだ」 ふたりは苦笑を交し合う。 そんな姿を少し離れた場所で顔を布で隠す男が見ていた。 「おや?」 何ともおかしな雰囲気になった中、国松が声を上げる。 「どうした?」 晴胤が国松の視線を追い、同じものを見つけた。 「あれは・・・・」 川を渡る一団。 手に持つ槍の穂先は鞘に覆われており、臨戦態勢ではないことを示している。 「軍使か?」 「の、ようですな」 陽光が反射する水面を眩しそうに眺めながら白石が同意した。 「決戦前の挨拶か?」 龍鷹宗国は歴史のある国だ。 儀礼を重んじていてもおかしくはない。 昔は合戦前に儀式があり、予定調和的に戦いが始まったものだった。 「時間的にも今日の戦闘はないでしょうし、何らかの交渉を持とうというのでしょう」 現時刻から戦い始めても夕刻までに決着はつかない。 故に虎熊軍団の首脳陣は、決戦は明日になるだろうと見ていた。 「とりあえず、迎え入れろ」 「うっす」 小瀬勢の部将が兵を率い、彼らを包囲している。 小瀬勢もその辺の豪族上がりの軍勢ではないので、しっかりとした手順を踏むだろうことは疑っていなかった。 (よしよし、ちゃんとしている) 晴胤はうんうんと頷き、本陣の幔幕へと歩き始める。 小瀬勢から早馬が本陣に向かって放たれた。 龍鷹軍団からやってきたのは、藤川晴祟と名乗った。 鷹郷忠流の言葉を伝えに来ただけで、特に交渉事ではなかった。 伝言内容はただひとつ。 ―――限られた者だけで浜戸川の中州で会おう。 晴胤は快諾。 半刻後、両軍が見つめる中、両軍の総帥が顔を合わせることとなった。 |