「龍虎の争い」/一



 日肥の乱。
 後世にそう呼ばれる龍鷹侯国と虎熊宗国の戦いは、虎熊軍団側の侵攻で幕開けた。
 虎熊軍団はほぼ同時に以下の三戦線を構築した。
 主力軍による肥後戦線。
 同盟相手である銀杏軍団が担当する日向戦線。
 虎熊水軍が西海道西岸を南下した海上戦線。
 それぞれが大軍であり、飽和攻撃に近いが、戦略的に言えば両翼包囲だった。
 虎熊軍団の戦略目標は熊本城であり、その奪取のために東西戦線を設けることで龍鷹軍団の戦力を拘束・包囲しようと考えたのである。

 これに対し、龍鷹軍団は乾坤一擲の決戦主義を貫いて包囲網を突破した。
 日向戦線においては主力軍が高城川の戦いで銀杏軍団を粉砕。
 海上戦線においても海軍第一艦隊が甑島沖海戦で虎熊水軍を殲滅。
 どちらも相応の損害を被りつつも、敵軍を完膚なきまでに叩き潰した。
 だが、どれだけ勝っても先の戦は副次戦線である。

 両軍の戦争は双方の主力軍が直接対決することによって、初めて決着する。
 このため、両軍の主力は行動を起こさなければならない。
 虎嶼晴胤を総大将とする虎熊軍団三万一〇〇〇。
 鷹郷忠流を総大将とする龍鷹軍団二万一五〇〇。
 この戦役を終えるには、この主力同士の決戦が不可欠だった。






鷹郷忠流side

「―――西の重りも取り除いた、と」

 鵬雲五年四月二三日、肥後国佐敷城。
 ここで鷹郷忠流は甑島沖海戦の詳報を聞いた。

「その代償として海軍卿を喪いました」
「それが誤算だな」

 側近である御武幸盛の言葉に、忠流は脇息に肘を預けたまま鼻を鳴らす。

「東郷が討ち死にか・・・・。虎熊水軍の実力を見誤ったな」

 海軍卿・東郷秀家の戦死。
 これは龍鷹軍団の首脳部を揺さぶった。
 重臣の討死は忠流体制になって初である。
 また、海軍は内乱初期に多くの幹部を喪っており、東郷が欠けたことによる人的影響は計り知れない。
 艦艇の損傷も大きく、戦力が大きく目減りしたことは否定しようもなかった。

「ですが、戦果として虎熊水軍主力艦隊は全滅。八代海の制海権も取り戻しました」
「ふん、天草の燬峰水軍が出てこれば分からんだろ」

 忠流は面白くなさそうに言う。
 甑島沖海戦で龍鷹海軍は大勝を収めたが、残存艦隊では燬峰水軍が敵に回った場合、勝つことは難しいだろう。
 そんな事態が"ない"とは言い切れない。
 甑島沖海戦は燬峰王国が虎熊水軍に協力していない限り生まれなかった戦いなのだ。

「とりあえず、海軍は八代海の警戒行動を継続、源次は陸に上げさせろ」
「勝流様は立派に大将を務められていますが?」

 忠流の言葉に幸盛が首を捻った。
 指揮官不在の第一艦隊を実質的に動かしているのは勝流だ。
 今回の戦闘詳報も勝流の名前で提出されている。

「第一艦隊の副司令官は健在なんだから、さっさと指揮を引き継がせろ。これ以上あいつが艦隊にいる意味がない」

 勝流の持つ鷹郷氏一門衆という肩書は海軍将兵にとって非常に大きい。
 東郷は忠流に認められた海軍トップという肩書で対抗できたが、他の者には勝流の言動影響は大きすぎる。
 万が一、勝流がさらなる戦いを望んだ場合、それに抵抗できる人員は今の海軍にはいないのだ。

「あいつには海戦の事後処理よりも陸戦で象徴として働いてもらう」
「象徴?」

 忠流の後ろで長井弥太郎忠勝が声を上げる。
 小姓として褒められたことではないが、この場には同じく小姓である加納忠猛しかいない。
 幸盛も苦笑するだけで、誰も咎める者はいなかった。

「阿久根を奪還する。港を海より封鎖、鹿児島留守居部隊にて圧迫させろ」

 実質的に陸戦の指揮を執るのは絢瀬吉政になるだろう。だが、鷹郷家の一門衆が加わっているといないのでは、阿久根に籠る敵軍に対する圧力が違う。
 忠流としては無駄な戦いを避け、無血降伏させたいと考えていた。

「あいつには海ばかりではなく、陸も知ってもらわないとな」

 忠流は真っ黒に日焼けした甥を思い浮かべ、意地悪く笑う。

「勝流様が陸戦も経験されれば、無理して御館様が戦場に赴く必要がありませんからね」
「ってことは、バタリと倒れて行軍が遅れるってこともなくなるわけっスね」
「・・・・おい」

 忠猛と忠勝の解析に忠流は脇息の上で肘を滑らせた。
 自身の偏諱を受け入れたふたりからの言葉に、憮然として振り返る。
 すると、忠猛は恐縮したように肩を縮め、忠勝は何を思ったかふんぞり返った。

「よく自己理解ができてるっスね!」
「全然悪びれてねえ・・・・」

 忠勝の言葉にうめく。

「でも、否定できませんよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 幸盛の言葉に、忠流は沈黙した。
 忠流が主力二万を率いてこの城に入り、水俣に退いていた長井勢一五〇〇と合流したのは二〇日だ。
 それ以後も佐敷城に待機しているのは戦力の回復もあるが、忠流の体調がすぐれないからである。
 人吉を発した時も発熱していたが、今も微熱が続いていた。
 とてもではないが、乾坤一擲の勝負に出られない。

「まあ、できることをさせているがな」

 人吉城で二万一五〇〇だった兵力のうち、一五〇〇は佐久仲綱に預けた。
 これは虎熊軍団が八代から球磨川沿いの人吉街道を通り、直接人吉城を狙った場合の備えだ。
 だが、龍鷹軍団が薩摩街道を北上して八代を目指した折、佐久勢もこの人吉街道を北上する手筈となっていた。
 これは八代に至るまでの間に虎熊軍団が進出、迎撃戦闘を行うことを抑止するための措置でもある。
 とは言っても、たかだか一五〇〇で拘束できる兵力は限定的で、戦略的にほとんど寄与しない。
 やはり、人吉を空けることに対する備えが大きい。
 こう考えると虎熊軍団は八代を確保することで(城は攻略していないが)、龍鷹軍団に兵力分散を強いていた。
 これは八代が戦略的要衝であることを示している。

「で、幸盛、正面はどうだ?」

 正面――八代城は攻防戦の真っ最中だった。
 虎熊軍団は三万を超える兵で城を囲んでいる。
 籠城するのが聖炎軍団一の名将・名島景綱であろうと、四〇〇〇に満たない戦力で長期間支えることは困難だった。
 先日もひとつの曲輪が城門を抜かれ、城内で白兵戦になったという。
 幸い、撃退したようだが、限界に近づきつつあることは確かだった。

「状況に変化はありません。というか、よくなることはないと思われます」
「劇的に変化。・・・・例えば陥落はしていない、ということだな?」
「ええ」

 八代城は聖炎国の城らしく、難攻不落だ。
 熊本城ほど大きくはないが、それでも簡単に落ちる城ではない。

「包囲網を突破し、城内との繋ぎは回復しているんだったか」
「はい。我々が佐敷に展開していることは伝わっています」
「なら、もうしばらくはいいか・・・・」

 忠流はだらけるように脇息へ身を預けた。
 後詰があると知れば、士気も高いだろう。

「ですが、いつまでも待っていられませんよ?」

 龍鷹軍団が佐敷にいるのに動かない。
 その事実を悲観した八代城が崩れないとも限らない。
 それ以前に熾烈な攻防戦を繰り広げる熊本城もどうなるのか分からないのだ。

「やっぱり、いらない子・・・・」
「うっさいな!」

 忠勝がぼそりと呟いた言葉にツッコミを返し、忠流は咳き込んだ。
 先も述べたが、龍鷹軍団の動きが低調な理由は忠流の体調不良にある。
 無理な行軍に従軍すれば、すぐに倒れてしまうだろう。

(この戦いは絶対に神装の出番がある・・・・ッ)

 虎熊軍団が多数の霊装を配備していることは分かっていた。
 龍鷹軍団も相応の数を用意しているが、押し切れるとは限らない。
 むしろ互角だった場合、決戦を左右するのは兵力と霊装の上を行く"神装"の存在だろう。
 岩国城攻防戦であったという川の氾濫。
 それはおそらく神装の能力と考えられた。
 虎嶼晴胤が率いる軍が保有していたことを考えると、今回の遠征軍にも使い手が参加している可能性が高い。
 龍鷹軍団が保有する神装は忠流が保有する<龍鷹>のみ。
 つまり、忠流が不在の場合、龍鷹軍団は戦局を左右する兵数も神装数も負けた状態で戦わなければならないのである。

「今回の俺は総大将、というより兵器なんだよ」
「飾り物の総大将じゃないだけ、いつもより格上っスね」
「・・・・貴様、いい加減にしねえと左遷すっぞ」

 口の減らない忠勝に睨みを入れる。
 ただ元来の女顔に微熱で赤く染まる頬のまま睨んでも怖くない。
 角度的に真正面から見た忠猛が目を逸らした。
 その頬がほのかに赤いところを見ると、たいそうかわいらしかったようだ。

「・・・・そう言えば、ここぞとばかりに茶々を入れそうなお二方はどこに?」

 平時だろうと戦時だろうと忠流の傍にまとわりつくふたりの妻がいない。
 それ気が付いた幸盛が首を傾げた。

「あいつらは調練中」

 気にした理由にやや泣きそうになりながら忠流が答える。

「調練?」
「ああ見えて霊術の玄人だからな、新しく霊装を持った連中とかに使い方やら注意点やらを指導中だ」

 忠流は視線を外に向けた。
 彼らがいるのは本丸御殿。
 天守閣のような櫓ではないため、本丸区画を見下ろすことはできない。
 だが、開け放たれた部屋には外からの空気が入ってきていた。
 春らしい朗らかな陽気に混じる、爆音やら悲鳴。

「あれ、あのお二方のせいだったんですね」
「・・・・ああ」

 幸盛は悲鳴を上げているのは訓練でしごかれる兵だと思っていたようだ。
 まさか歴とした武士たちが少女たちに上げさせられているとは。

「ちょっと見てみたい気もしますが、武士の情けですね」
「・・・・そうしてやれ」

 げんなりした表情でそう言った忠流はため息交じりに続ける。

「行けばお前も巻き込まれ―――」
「全力で拒否します」

 食い気味に拒絶した幸盛に苦笑を返し、忠流はそのまま突っ伏した。

「あー、体が熱い・・・・」

 火照った頬を脇息の足に押し付ける。
 忠流の気質を知っている重臣たちにも見せられない、本当にだらけた、弱った姿だった。

「あー、もどかしい・・・・」

 心底から呟かれた言葉にさすがの側近三人も沈黙する。

「・・・・ですが、さすがにこれ以上は待てないと思うので、別のことを考えなければ―――」

 年長であり、側近筆頭でもある幸盛が言葉を発したが、その途中で口を閉じた。
 バタバタと廊下を走る音が聞こえたからだ。

「―――も、申し上げます!」

 案の定、慌てた様子の武士が飛び込んできた。
 八代城の虎熊軍団を見張っていた物見のひとりだ。

「どうした?」

 気を利かせた忠猛が忠流を起こしていた。
 その助けを借り、どうにか脇息に体を預けた忠流が部屋の外で平伏する武士に声をかける。

「ハッ。虎熊軍団、八代城より退き陣の模様!」
「「「は・・・・?」」」
「・・・・・・・・・・・・ん?」

 ポカンと口を開けた三側近と違い、忠流の反応は鈍く、ゆっくりと小首を傾げただけだった。






「―――良いのか?」

 同日、八代城北方。
 ここで虎嶼晴胤は脇からかけられた声に視線を向けた。

「良い、とは?」

 晴胤たちは馬に揺られながら隣で馬を進める男に言う。
 彼は相も変わらず布で顔を隠しており、ややくぐもった声で晴胤の質問に答えた。

「むろん、八代城攻略を放棄して後退することが、だ」

 男はチラリと後ろを振り返る。
 確かに八代城の頑強さは群を抜いていた。だが、数日に及ぶ攻防戦の結果、その鉄壁も揺るぎ始めている。
 曲輪での白兵戦も始まり、このまま続けていけば城方は次の防衛線に撤退するはずだった。

「城を落としても損害が大きければ龍鷹軍団の主力と戦えん」
「ほう?」
「高城川の戦いで銀杏軍団が敵軍に与えた損害は微々たるものだ」

 この時期になれば銀杏軍団が受けた被害の詳細も手に入っている。
 銀杏軍団は被害を過少に伝えてきたが、それでも大損害に違いなかった。

「龍鷹軍団の主力は少なく見積もっても二万以上だ」
「こちらは三万一〇〇〇だろう?」

 野戦において一万の兵力差は絶対だ。

「八代城が健在の場合、我らが龍鷹軍団を迎撃するのは球磨川北岸だ」

 球磨川とは人吉地域から八代まで北方に流れ、八代地域で西方に流れを変えていた。
 八代城はその北岸に位置しており、佐敷-田浦-日奈久と進んだ場合、八代城の南東で球磨川を渡ることとなる。
 迎撃するとすればその渡河地点だった。
 そうすれば半途撃つで、有利な状況で戦に臨むことができる。

「だが、この場合、我らは八代城に警戒部隊を配置しなければならん」

 八代城勢が打って出た場合、虎熊軍団の背後が脅かされるからだ。
 故に虎熊軍団は全体の退路として八代城北方、迎撃部隊の後方警戒として西方に抑え部隊を配置しなければならない。
 さらに龍鷹軍団の別動隊が八代城に入り、それが抑えを突破して背後をつく可能性もある。
 このため城南方にも部隊を配置し、球磨川を防衛線にして別動隊の機動を抑制する。
 それぞれの部隊が八代城勢に撃破されない兵力を持たなければならず、それを三〇〇〇強と見た場合、八代城の抑えは一万となるのだ。

「そうすると野戦軍は二万一〇〇〇」
「敵軍とほぼ同数になるな。それはマズイ」

 男が深く頷いた。
 龍鷹軍団の野戦の強さは分かっている。
 砂川の戦いで白石長久率いる豊前衆が窮地に陥ったのは記憶に新しい。
 一方、虎熊軍団はそう強くない。
 岩国戦線では小勢の岩国衆に随分と痛めつけられたものだ。

「・・・・なんだ?」

 過去の記憶を掘り起こした晴胤は思わず男を睨みつけてしまった。
 それに気付いた男は素知らぬ顔――と言っても見えない――で首を傾げてみせる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ、いい」

 正直、気持ち悪さに鳥肌が立ったが、晴胤は無理やり話を続けた。

「後方に退けば、敵は八代勢を糾合するが、それでも二万三〇〇〇~五〇〇〇だろう」

 対して虎熊軍団は三万一〇〇〇の戦力を発揮できる。
 野戦での有利を取り戻せるのだ。

「では、どこまで下がる?」

 男の質問に晴胤は思案顔を見せた。

「それが問題だ。あまり悠長に撤退していると、すぐに後ろから追いついてくる」

 龍鷹軍団の主力が佐敷城でグズグズしているのも、もしかすれば別動隊の動きを待っているのかもしれない。

("翼将"・鹿屋利孝の旗印も確認されているが、所詮は旗だしな)

 旗を巻き替え、他の旗を揚げる先例など枚挙にいとまがない。
 実際に鹿屋勢は加勢川の戦いでこれをした。

(我を混乱させるために逆のことをしていてもおかしくはない)

 また、鹿屋勢ではない、他の部隊が迂回している可能性もある。

「宇土まで下がるぞ」

 何せ宇土城南東には未だ健在の堅志田城があった。
 ここを抑えている部隊が蹴散らされた場合、晴胤たちの退路が脅かされる。
 確実な補給路を維持し、後顧の憂いなく龍鷹軍団の主力と向き合えるのは宇土城近辺だけだ。

「そこまで下がるのか、と言いたいが、仕方がないな」

 男もその可能性に行きついていたのか、特に異論はないようだった。

「ただ問題は間に合うか、だな」
「ああ」

 龍鷹軍団が佐敷に布陣した段階で堅志田城解放に動いていれば、今頃は抑え部隊は蹴散らされているかもしれない。

(龍鷹軍団の勢力圏は情報が得にくい)

 虎熊軍団も忍び衆を保有しているが、龍鷹軍団の黒嵐衆には地の利がある。
 未帰還になる忍びも多く、敵軍の動きは掴めていない。
 数騎程度の物見が襲われることもあり、かなり活動が制限されていた。

「とにかく戦線の整理だ」
「そうだな」

 主力部隊こそ健在だが、両翼はもう存在しない。
 万が一にも晴胤率いる虎熊軍団が壊滅すれば、虎熊宗国全体の戦略が崩壊する。
 それだけは避けなければならなかった。

「さっさと熊本城が落ちてくれんか」
「あちらもかなり痛めつけているはずだしな」

 ふたりは淡い期待を抱く。

「貴様がさっさと落としてしまえ」
「馬鹿な。自分でやればいいだろう」
「何と、我に逆らうか?」
「だったらどうだって言うのだ?」

 ふたりは馬上で顔を突き合わせ、止まることなく北方へと駆け続けた。










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