「海原に轟くカノン」/七
リリス・グランベル。 この国の者達が言う南蛮――ヨーロッパの大国、イスパニア帝国出身の少女だ。 武装商人である父――ゴドフリート・グランベルト共に海を渡り、嵐に遭遇して龍鷹侯国に流れ着いた。 そこから数年。 ゴドフリートたちは自分の知識を龍鷹侯国の技術者に分け与え、その命を繋いでいた。 これは遙か南方でも行われていたことだ。 だがしかし、この島国の人間は他と違った。 確かな技術を持ち、有用と判断したものを複製・量産する技術を持っていた。 彼らよりも早くにこの地に上陸したものたちが伝えた鉄砲は、すでに主力武器となっている。 しかも、それだけではない。 この島国が保有する全鉄砲は本国を上回るのではないだろうか。 尤も彼らが"火縄銃"と呼ぶ鉄砲は、本国では狩猟銃で軍用ではない。しかし、本国の軍用銃はこの国の人間には体格的に不相応だ。 結局、こちらが主力になっていただろう。 話は逸れたが、リリスは同年代よりも知識を持ち、かつ話せないというだけで普通の少女だった。 だというのに、リリスは今現在戦場にいた。 この国で一番仲が良く、諸侯の一門衆である鷹郷橘次郎勝流と共に。 彼は龍鷹海軍にその人ありと謳われた鷹郷橘次郎実流の後継者として、海軍に強い影響力を持つ少年だ。 今回の戦いでもグランベル一家がもたらした技術で建造された戦列艦「霧島」に乗り込んでいる。 初陣だというのに元気に甲板で指揮を執っていた。 実際に知識と経験で艦隊を動かすのは海軍卿・東郷秀家だったが、重要な意志決定は勝流に委ねられていると言ってもいい。 この国の諸侯の特徴として、その血族は全て軍人であり、幼い頃からの英才教育があるからだ。 一方、リリスが本国を離れたのは、父の他に身寄りがなかったからだ。 さらに乗っていた武装商船はこの東方では敵なしと言って良い戦力を誇っていた。 例え海賊に襲われても大砲数発で撃退できている。 だから。 だから――― 甑島沖海戦 -4scene (―――こんな戦場知らないぃぃぃぃっっ!!!!!) リリスは船倉の奥深くで蹲っていた。 普段は密閉されていて暗いのだが、今は明るい。 それは先程飛び込んできた砲弾が艦を貫いたからだ。 今は艦の両側に大穴が空いており、潮の匂いや喧噪が聞こえてくる。 喧噪は大砲や鉄砲の射撃音、水兵が上げる喊声や悲鳴だ。 潮の匂いには血の匂いも混じっている。 ここは戦場だ。 気を抜けば次の瞬間死んでいる戦場だ。 それも五体が砕かれる暴力が飛び交う死地。 兵たちが己の力量で生き残るのではなく、これまでの訓練の成果と運が物を言う海戦。 そこには後方支援要員など存在しない。 今そこに虚ろな目をして転がっている幼い水兵見習いのように、流れ弾で死ぬこともあるのだ。 「―――ッ!?」 木々が折れる音と共に「霧島」が震えた。 また着弾したのである。 (ガ、ガレオン船を模したこの船が揺さぶられるなんて・・・・ッ) 確かに西洋の武装商船ほど大きくはない。 未発達な港湾設備に着岸するために喫水線を浅くしている。 その関係で艦体はどうしても小さくなる。 それはそのまま大砲の衝撃力に対する防御性能にも表れる。 だとしても、この国の軍船の中では群を抜いて大きいはずだった。 艦体の大きさは防御力だけでなく、搭載できる大砲の大きさ・数にも影響する。 それが攻撃力となる。 小さな軍船が持つ攻撃力で、この艦がここまで叩かれることはないはずなのだ。 (さすがは大国・・・・?) 今回の相手は勝流曰くこの地域で一番大きな国とのことだ。 だが、西洋の技術を以てしても撃破できないとなると、この国の技術力――戦闘力は西洋国家を超えるのではないだろうか。 今はあくまでも西洋が技術的に進んでいるだけで、未来はどうなるか分からない。 「―――ッ!?」 今度は腹に響く轟音が船内を駆け巡った。 それは頼もしいデミ・カノン砲の砲撃音。 開戦当初よりずいぶん数を減らしたが、大威力を発揮する龍鷹海軍の切り札だ。 「―――リリス! ここにいたか!」 砲弾の飛翔音に耳を傾けていたリリスの背に声がかかった。 「姿が見えねえから探したぜ」 荒い息づかいと共に零れる安堵の声音。 振り向いた先にいたのは、何人かの水兵を伴った勝流だった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 床に這いつくばっていたリリスはそろそろと彼を見上げる。 「どっか行く時は言ってもらわねえと、この艦はでかいから迷子になるぞ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 その姿は海水に濡れ、いくつかの傷を負っているようだ。 だが、その生命力溢れるオーラのようなものをまとっていた。 (この人は死なない) そう感じさせるオーラだ。 「大丈夫か?」 無言で反応がないリリスの状態に気付いた勝流がリリスの手を取って立ち上がらせる。 船倉は薄暗く、よく見えないのだろう。 顔を近づけてリリスの表情を確認しようとする。 (あ、う・・・・) 恥ずかしい。 今の顔は汗と涙とでドロドロだ。 血も付いているかもしれない。 腕で顔を隠そうとするも勝流がそれを許さなかった。 「ん、怪我はしていないな」 やや乱暴な手つきで手ぬぐいをリリスの顔に押しつけ、それを動かして汚れを拭う。そして、船倉で戦死した少年兵に手を合わせた。 「甲板の方が安全だ、行くぞ」 (いやいやいや! 甲板の方が危険!) 顔を蒼褪めて抵抗するもズルズルと引かれる。 元々力の強くないリリスと鍛えている勝流とでは勝負にならなかった。 勝流付きの水兵も止めるつもりはないらしい。 「大丈夫、守ってやるから」 「―――ッ!?」 不意に言われた言葉に抵抗する力を失い、あっという間に甲板へと連れてこられた。 (ぅわ・・・・ッ) 先程から嗅いでいた匂いに追加される火薬の匂い。 そして、それ以上に圧倒されたのは視覚の情報だった。 「撃て!」 三発の砲弾が号令一下に撃ち出され、敵の大きな軍船――大安宅へ向かっていく。 敵船の周囲に水柱が立ち、その波濤に浚われた敵水兵が海に落下した。 距離は七町といったところで、中距離砲撃戦だ。 「戦況は敵大安宅がどうにか残り一隻だ。まあ、もう一隻手負いがいるが、それは別の部隊がトドメを刺す」 光景に圧倒されたリリスが仰け反ったので、その背を支えていた勝流が言う。 砲撃戦の喧噪でも聞こえるよう、リリスの耳元に口を近づけて、だ。 「で、だ。頼みがある」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 頬に血が上ったのが分かったが、リリスはそれを無視して勝流の言葉に集中した。 『なに?』 着弾した船倉で失った筆や紙を用意されたリリスは、早速それを使う。 「さっき言ったように敵は残り一。これを片付けたい」 「霧島」参戦後、どうにか一隻を撃破していたが、もう一隻はなかなか撃破できないとのことだった。 龍鷹海軍もボロボロだ。 未だ戦闘を継続していることが不思議なくらい、甲板で動いている兵が少ない。 「あの一隻を潰す方法を知りたい」 「どうにもデミ・カノン砲を我々はうまく使いこなせていないようなのです」 東郷もやってきて困り顔で言った。 「逃げる敵を撃っているので照準が難しいのは分かるのですが、どうも散布界が広すぎる」 さっき撃ったのも当たっていない。 大砲の数が揃っていた場合は良かったが、数が減ると個々の命中力の低さが露呈していた。 『たぶん、遠すぎる』 「「遠い?」」 砲弾は届いている。 だが、それだけだ。 『デミ・カノン砲の有効射程距離は約1,600feet(フィート)』 「「ふぃーと?」」 聞き慣れない単位に勝流と東郷が首を傾げた。 『・・・・・・・・・・・・五町?』 リリスもやや自信なさげに単位を訳した。 因みに1,600フィートは約490メートル、五町は約535メートルだ。 「え、そんなに短いのか?」 今の砲戦距離は八町。 後三町を詰めなければならない。 『デミ・カノン砲が発射する砲弾は重い』 「ああ、重いな」 『砲弾重量は約32lb(ポンド)。・・・・約四貫弱』 重量にして14.5kg。 和製大砲は一~二貫目ほどだ。 『弾丸の形状は同じ球形弾。だけど、砲身の長さと装薬量が違う』 どちらもこれまで龍鷹侯国が使っていた方が長い。 長銃身の特徴を持つ火縄銃から発達した和製大砲は、射程半里に及ぶ。 『今までの装薬量まま撃っていた?』 「・・・・・・・・・・・・」 「はい」 リリスの質問に勝流が東郷を見て、それに東郷が頷いた。 「砲身を取り替え、それ相応の弾丸を用意しました」 そして、その重量増加比率分の火薬量を用意し、これまで使用していたのである。 『ダメ、減らして』 「だけど、飛ばないぞ?」 『火薬量が多い。"強薬"状態では弾道が安定せず、あらぬ方向へ飛んでしまう』 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 勝流と東郷が沈黙した。 さらに砲身への負担も大きいことから、その命数も激減する。 そうこうしている内に、発射と共にデミ・カノン砲一門が沈黙した。 『それに和製大砲は砲身が長い』 砲身の長さは弾道の安定、超射程に影響する。 和製大砲の長砲身は、火縄銃から発達したからである。 一方、デミ・カノン砲はやや短い。 元々のカノン砲の軽量版だからだ。 射程こそ短いが、威力は抜群。 元々、肉を切らせて骨を断つ、という戦法に使用する。 西洋は今でも衝角突撃と乗り込み戦法が用いられていた。 大砲は主力兵器だが、決戦兵器ではないのだ。 西洋の大砲とは全く異なる進化を経ていたため、龍鷹海軍はそこに気が付いていなかった。 「砲弾重量のことは気にしていたけど、砲身の長さはあまり考えてなかったな」 「帰ったら技術開発部門に砲身の研究をさせねばなりませんな」 「材質もな。こうも実戦で次々と使用不可能になってちゃ使いにくいぜ」 勝流は壊れたデミ・カノン砲に手を置く。 すでに沈黙して久しく、砲身の熱は去っている。 砲身命数の少なさから龍鷹侯国製デミ・カノン砲は実戦に使用するには不安があった。 ここまで戦えているのも揃えた砲門数の多さとそれを補ってあまりある威力があったからだ。 「虎熊水軍の数がここまで多くなければ表面化しなかった問題だな」 「確かに。ですが、いずれ継戦能力の短さ、という欠点が浮き彫りになったはずです」 「それは問題だな」 戦略的欠点がたった一海戦で浮上したのだ。 解決できれば全体に与える影響は計り知れない。 「―――ッ!?」 着弾。 話しながらも当然戦闘は続いており、大安宅から放たれた砲弾が命中した。 甲板ではなく、艦舷に命中したそれは木製の装甲を砕き、その奥の艦体構造物を破壊。 勢いを失いながらも艦内へ突入する。そして、艦内で破壊エネルギーを解放して沈黙した。 「右舷中央被弾!」 「浸水なし!」 「水兵二名討死! 一名不明!」 素早く被害確認が行われ、それを受けた勝流と東郷は一秒ほど黙祷を捧げる。 「敵の針路変わらずか?」 「変わりません!」 東郷の質問に副官が応えた。 「勝流様、距離を詰めるのならば急がねばなりません」 「このまま追いかければ追いつけると思うが?」 大安宅は帆走船ではない。 艪を漕ぐ水夫が疲れ果てればその速度は損なわれる。 「いえ、まもなく、燬峰水軍の勢力圏です」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 燬峰水軍は五島列島を本拠地とする諸侯を中心とする沿岸型水軍だ。 だが、龍鷹侯国と同盟を結んでいた時に近代的な天草部隊を組織している。 それらの勢力圏に近づいているのだ。 「距離五町まで詰めれば弾道は安定するんだな?」 『そう』 リリスは頷きつつ、不安そうな顔色が浮かぶのを止められなかった。 彼らは軍人だ。 勝機があるならばそこに突っ込む。 例え、そこが死地であろうとも、だ。 「ふーむ・・・・」 勝流は顎に手を当てて考え込んだ。 問題はリリスの話を信用し、そこを勝機とするかどうかだ。 リリスの本音から言えば、小娘の戯言として蹴って欲しい。 戦列艦「霧島」は大安宅を超える巨艦だ。 だが、浴びた命中弾は両手両足の指を合わせても足りない。 艦体を貫く命中弾もある。 継戦能力の限界にあることは明らかだ。 (だから、帰還するという選択肢もある) 「リリス」 「―――っ!?」 勝流の手が伸びてきて、きゅっとリリスの手を握った。そして、そのまま引き寄せるようにして口をリリスの耳に寄せる。 「震えんなって」 「・・・・ッ」 その言葉で、手が、脚が震えていたことに気が付いた。 自覚した瞬間、脚から力が抜けて崩れ落ちたリリスを勝流が支える。 「悪ぃけど、もうちょっと我慢な」 勝流の胸に顔を埋めながら、上目遣いで勝流の顔を見上げた。 汗と血、煤と潮に汚れた顔。 しかし、その内面に宿っていたのは闘志と、心配。 「大丈夫、お前のことは守ってやるから」 「・・・・ッ」 ハッと息を呑むのと勝流がリリスの腰に手を回したのとは同時だった。 そのまま腰を引き寄せられ、左腕に抱かれる形となる。 「東郷、生き残ってる砲はいくつだ?」 「全く・・・・」 一部始終を見ていた東郷がため息をついた。そして、勝流の質問に答えてやれとばかりに顎で副官を促す。 「ハッ、両舷合わせて三門です」 「三門か・・・・」 右舷に二門、左舷に一門。 両舷合わせて四〇門あったことを考えると、戦力低下著しい。 「なら二門で牽制射撃して接近、温存した一門でトドメを刺すぞ」 「・・・・仰せのままに」 方針を決めるのは勝流だ。 それを実現するのが東郷である。 幸い、速度的に距離を詰めるのは難しくない。 問題は射点につくまでに、敵からの攻撃だった。 「さてどうしたもんか・・・・」 逃げているから大安宅の前部分の砲は使えていない。 微妙に針路変更するジグザグ航行で後部砲門を射線に入れて砲撃していた。 この方法は「霧島」も同じである。 「さあてさて・・・・・・・・・・・・フフ」 何かを思いついたのか、東郷がニヤリと笑った。 「速度を上げよ!」 東郷はそのままの笑みで手を振り、大音声で指示を出す。 「土足で我らの海に踏み入った敵はお帰りを希望のようだ!」 訓練された水兵は「速度を上げる」という指令を果たすために動きながら聞いていた。 「しかし、遠路はるばるやってきたのだ。帰りの旅路も長いのは辛いだろう!」 話す間も砲弾が飛んでくる。 だが、誰もそれを恐れていなかった。 「遠慮はいらん。最短でお帰りいただこう」 速度が上がった「霧島」を捉えきれず、大安宅の砲弾は艦尾後方で水柱を上げる。 「奴らの仲間が待っているであろう、海の底へな」 「「「おおう!!!!!」」」 後に甑島沖海戦と呼ばれる龍鷹海軍と虎熊水軍の一大海戦。 両軍に大打撃を与えた海戦も残るは最後の大安宅と戦列艦「霧島」との一騎打ちのみ。 一方の主役である「霧島」は決着をつけるために動き出す。 残る大砲は三門。 それでも十分だった。 |