「海原に轟くカノン」/四



 甑島沖海戦。
 鵬雲五年四月二二日未明に勃発した、龍鷹海軍第一艦隊と虎熊水軍主力艦隊による艦隊決戦名である。
 位置は甑島列島北北東四里。

 戦力は以下の通りだ。
 龍鷹海軍:戦列艦二(「霧島」、「桜島」)、安宅船四、関船九、小早三三、計四八隻。
 虎熊水軍:大安宅船一二、安宅八、関船二〇、小早五〇、計九〇隻。
 戦力的に見れば、圧倒的に虎熊水軍に軍配が上がるだろう。

 だが、両艦隊とも石火矢を備えた近代海軍だった。
 このため、隻数の他に砲門数でも語らなければならない。

 龍鷹海軍は中華海軍との戦い以降、火力戦に転向したため、船首砲以外にも船舷砲も採用していた。
 このために船単位当たりの砲門数が飛躍的に増加している。
 戦列艦:片舷二段式二〇門、計四〇門。
 安宅船:片舷五門、計一〇門。
 関船:片舷二門、船首一門、計五門。
 総計、一六五門。

 一方、虎熊水軍も船舷砲を採用していた。
 大安宅:片舷一〇門、船首一門、計二一門。
 安宅船:片舷七門、船首一門、計一五門。
 関船:片舷三門、船首一門、計七門。
 総計、五一二門。

 一六五門VS五一二門。
 その開きは三倍を超える。
 ただし、片舷を向け合って撃ち合う場合、龍鷹海軍七八門、虎熊水軍二三六門とほんの少し差は詰まる。
 このため、龍鷹海軍は少しでも不利な砲門数を克服するため、遠距離砲撃戦で勝負をするべきだった。
 その戦法は状況不利と判断されれば離脱させやすいのだ。
 もちろん、離脱しやすいのは相手も同じだが。

 さて、そんなこんなで、龍鷹海軍が採った作戦は、乱戦だった。






甑島沖海戦-1 scene

「―――突っ込めぇ!」

 東郷が拳を振り上げながら叫んでいた。
 それに応えるように二隻の戦列艦が海上を走る。
 敵の大安宅に匹敵する巨体が帆を張ることで滑るように進んでいく。
 風向きは南風であり、龍鷹海軍が接近するには有利だった。
 虎熊水軍は同航戦を望み、西方へ向かっていたのだが、そこに龍鷹海軍の先頭を進んでいた戦列艦が急速転舵する。
 方向は虎熊水軍の艦列のど真ん中をぶち抜くものだった。
 しかし、安宅船以下はそれに続いていない。

「撃てぇ!」

 東郷の号令一下、デミ・カノン砲が火を噴いた。
 斜めに突っ込んでいるため、左舷前方の一〇門は射角を確保している。
 続く姉妹艦「桜島」も砲撃を開始し、合計二〇発が虎熊水軍の艦隊に飛び込んだ。
 狙いは角度的に安宅船である。
 距離半里をおいて始まった砲撃戦は、虎熊水軍の度肝を抜いた。
 和製石火矢の射程距離は一〇町ほどだからだ。
 しかも龍鷹海軍が放った砲弾の弾道安定性が高いため、狙い通りに飛んだ。
 さすがに命中弾はなかったが、安宅船の周囲を航行していた小早が、着水時に生じた水柱に飲み込まれる。
 沈みはしなかったが、甲板が洗われて、人員・武器が流出。
 さらには火薬が湿ってしまい、射撃戦不能となった。

「次弾装填急げ!」

 あまりの砲撃力に驚いた敵砲手が、射程外にも関わらず砲撃。
 かなり手前に水柱を生じさせる。

「敵の装填前に距離を詰めるぞ!」

 敵は大慌てで大安宅船が旋回して向かってきていた。だが、十分弱は安宅船が相手だ。

「準備よし!」
「撃て!」

 装填完了報告と共に射撃命令を下し、先程より大きくなった敵安宅船へと砲撃した。
 まだ遠いが、それでも近づいた分精度が上がる。
 初撃よりも小さい散布界で水柱が立ち、安宅船群を夾叉した。

「命中!」

 その内、一発が安宅船群七番船に命中。
 大型艦とはいえ、金属装甲もない安宅船の船舷が破裂音と共に砕け、船内構造を紙細工のように貫通していく。
 最後は反対側の喫水下船舷を砕いて、海中へと消える。
 船の向こう側で水柱が上がり、海水が甲板を洗う中、その安宅船は急速に傾いていく。

「敵七番戦闘不能」
「敵、発砲!」

 距離が一〇町付近まで来た時、安宅船群から砲撃が始まった。

「東郷、どこまで近づくんだ?」
「距離八町といったところですな」
「敵の射程距離だぜ?」
「射程距離なだけで必中射程距離ではありませんな」

 敵の砲弾が、やはり全て手前に落ちる。

「夜戦でこちらは斜行しています。敵はこちらに狙いを付けにくい」

 「おまけに艦隊統一射撃ができていない」と続けた東郷は、砲撃準備が整い次第砲撃を命じた。

(ただでさえ見えにくいのにこちらの正面面積が小さいってことだな)

 それでは当てにくい。

(対策としては艦隊統一射撃でこの船近くに砲弾を集中させることだけど・・・・)

 相手はそれぞれが狙いを付けて砲撃している。
 これでは公算砲撃にならなかった。
 一方、「霧島」は夜目でも目立つ信号旗で「桜島」に命令している。
 結果、同一目標向けての公算砲撃で命中弾を得ていた。

(かなり金の使う砲撃だけどな)

 第三射撃は安宅船には当たらず、空しく水柱を上げる。
 これまでの六〇発の内、命中弾は一。

「お?」

 複数の水柱にあおられ、小早が転覆した。

「お頭! 大安宅船の射程距離に入るまで、後一斉射が限界ですぜ!」
「構わん。左舷後方射撃準備」
「うっす」

 水兵の言葉に東郷が答え、第四斉射の命令を下す。
 故障したのか、一発足らずに九発の砲弾が「霧島」から発射された。
 彼我の距離は九町。
 すでに夾叉を得ていたその砲撃は、姉妹艦「桜島」も合わせて安宅船群を打ち据える。

「命中弾! ・・・・・・・・・・・・五!」

 十九発中五発命中。
 素晴らしい練度だった。
 戦果は、敵二番船一発命中(大破)、敵四番船二発命中(轟沈)、敵五番船一発命中(中破)、敵八番船一発命中(大破)。
 さらに轟沈する四番船を避けようとした五番船が避けきれずに激突(中破→大破)、さらに六番船が玉突き(無傷→小破)。
 八隻いた安宅船群は、わずか四斉射で、喪失二、大破三、小破一。
 無事なのは二隻だけとなっている。

「すげぇな、デミ・カノン砲!」
『ふふん』
「ぅお!? びっくりした!?」

 興奮する勝流の眼前に突き出される文字付き半紙。
 慌てて脇を見れば、艦内に避難していたはずのリリスがいた。
「艦内にいなくていいのか?」
 リリスが揺れる甲板で、半紙台帳にサラサラと筆を走らせる。

『見ていたい』
「う、うーん・・・・」

 勝流は首をひねって考えるが、すぐにその考えを砲撃音で吹き飛ばされた。
 安宅船群にだめ押しの第五斉射を加えたのである。
 それを受け、戦列艦は艦首を左舷方向に、艦尾を右舷方向に急速転換した。
 艪を使うため、一般的な帆船よりも旋回半径が小さい。

「うまいッ。あっという間に丁字だ!」


 艦隊機動が分かりにくいので、個別に説明する。
 「二」の形で海戦が始まったが、龍鷹海軍の先頭を走っていた戦列艦二隻が120°転針。
 見た目は「Z」の形となりそうな針路のまま、虎熊水軍の安宅船群へ攻撃。
 慌てた敵大安宅が200°転針、「∑」の形にして、両艦隊の中央で大型艦同士が殴り合おうとしていた。
 大安宅船は、単縦陣のまま進んでいた。
 そこに戦列艦が再度転針(330°)、先頭の大安宅船の船首に対して、直交する形を作り出す。
 この形のことを「丁字」という。
 敵の砲撃力が激減する船首方向に対し、こちらは片舷全力射撃が可能になる。
 敵正面が小さいが、複数の艦で敵一隻を攻撃する場合、角度が付けられるために理論上よりも攻撃正面は広い。


「撃て!」

 敵の虎の子に対し、見事な艦隊機動で有利に立った東郷は、左舷全力射撃を命じた。
 三九発の砲弾が飛翔し、敵先頭船の周囲を包み込む。
 すでに朝日の気配が東の空で覗いており、戦場の海面を照らしていた。
 さらに虎熊水軍からすれば眩しくて、戦列艦へ狙いが付けにくい。

「敵後続船、散開中」

 単縦陣から魚鱗になろうとしていた。

「安宅船へ信号旗! 『転針、目標最左大安宅船、順次攻撃開始』」

 敵安宅船群が壊滅した以上、龍鷹海軍の安宅船が相手をするのは敵安宅船ではない。
 如何に大安宅といえど、複数の安宅船に集られれば苦戦必至だろう。

(問題は大安宅船が多いってことだな)

 勝流は心の中でため息をついた。
 敵先頭大安宅の影から複数の大安宅が見え出す。

「さあ、ここからが本番だぞ!」

 リリスが勝流の手をぎゅっと握ってきた。

「不安か?」

 そう聞くと、ふるふると首を振る。

「まあ、大安宅船は不気味だもんなぁ」

 海上の城。
 そう言ってもいいほど巨大だ。
 見た目は櫓の下が船。
 巨大なマストが特徴的な南蛮の船と違い、艦上建造物が異様に大きい。
 ズラリと並んだ狭間も、南蛮人のリリスには無数の砲門に見えただろう。

「あの窓、鉄砲を撃つためで、石火矢は撃てねえぞ」
「???」

 接近戦主体の海戦で、優位に立てるように発展したのが安宅船、大安宅である。
 櫓の目的は高みから敵船を撃ち下ろすことだった。
 また、鉄砲で櫓は崩せない。
 鉄砲の口径を大きくした大鉄砲で狭間の破壊はできるが、櫓自体は崩せない。
 それが接近戦――小火器射撃戦の末に辿り着いた大安宅だった。

『石火矢では?』
「答えはあれだぜ!」

 こちらからの第三斉射。
 それが答えだ。
 命中弾三発を浴びた先頭艦の櫓が折れ曲がる。
 大きな艦上建造物は目立ち、被弾面積を増やすだけだった。
 被弾してもダメージの少なかった鉄砲と違い、石火矢――特にデミ・カノン砲――の砲弾を防ぐことはできない。
 柱を破壊された櫓が崩れ落ち、その重量で甲板を破壊。
 船内構造を破壊した後、船底を一部が突き抜けたようだ。
 激しい白波を立て、周囲へ衝撃を放った大安宅は行き足を鈍らせ、漂流を始めた。

「『桜島』へ信号旗。『順次敵左側を砲撃、「霧島」は右側担当』」
「はっ」

 艦尾で旗が振られ、了解を示す旗が「桜島」艦首で振られる。

「各員、敵はまだまだいるぞ! 奮起せよ!」
「「「オオオオオッ!!!!!」」」

 ここからは艦隊機動もなく、ただの砲撃戦だ。
 早く撃ち、装填し、狙い、撃つ。
 ただ敵よりも早く命中弾を得るための作業に徹する。
 それをなすのは日々の訓練を受けた水兵の仕事だった。

「敵船団、発砲!」

 距離は十町以上ある。
 射程外だが、撃たれっぱなしでは士気が下がると判断したのだろう。

「第四斉射!」

 徐々に敵も腹を見せ出した。
 敵が全力射撃に移る前に、数を減らしたい。
 因みに残りの艦隊に対しては関船を旗艦とした早足戦隊が挑みかかっており、今のところ邪魔は入っていない。

「着弾!」

 「霧島」の目前数間に複数の水柱が立った。

「何!?」

 明らかに和製大砲の射程距離を超えている。

「測距! 敵との距離は!?」
「・・・・・・・・・・・・十三町!」
「馬鹿な・・・・」

 東郷の唇がわなわなと震えた。

「おい、どうした?」
「想定外です」
「マジか・・・・」

 総司令官の言葉に、勝流も顔色を変える。
 東郷の戦術は基本的にアウトレンジを考えていた。
 相手の命中率の悪い場所から一方的に撃つ。
 卑怯に感じるかもしれないが、これは戦争だ。
 さらに龍鷹海軍の戦列艦は二隻しかいない。
 敵は一隻が脱落したとは言え、十一隻が健在なのだ。

「リリス、奥へ行ってろ」

 勝流はリリスにそう指示する。
 むき出しの甲板よりも装甲に守られた艦内の方が安全だ。
 リリスはそれを受け、名残惜しそうに表情を変えた。だが、周囲の雰囲気が変わっていることを察した彼女は、幼い水兵見習いに促されて艦内へ消える。

「いい判断です」
「当然だろ?」

 東郷に褒めに肩をすくめ、勝流は敵の様子を見遣った。

「・・・・撃破した先頭船は旗艦じゃなかったみたいだぜ」

 大安宅船群の末尾で、信号旗が振られている。

「どうする?」

 勝流の問いは、「今ならまだ退けるが、どうする?」だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 東郷が沈黙し、今後のことを考え出す。
 それを見た早津が、第五斉射の命を下した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 東郷は甲板を見つめたり、空を見上げたりして考える。
 第五斉射は一発だけが大安宅をかすめた。
 甲板ギリギリと飛び越えて後ろで水柱を上げる。
 この時に運悪く直撃した水兵が血霧となって消えた。
 だが、それをものともせず、その大安宅船は第二斉射を行う。
 他の大安宅とは同時射撃を行っていないので、「霧島」の周囲には断続的に水柱が立っていた。
 しかし、やはり練度の問題か、まだ着弾はない。

「撃て!」

 早津の第六斉射命令。

「勝流様」
「何だ?」
「私と一緒に地獄へ落ちましょう」

 東郷の言葉は戦闘継続を決意したものだった。だが、不利な状況であることを理解した上での決断だ。
 それに対する勝流の答えは明確だった。

「やなこった」

 それを聞いた東郷がすっ転ぶ。
 見れば、早津もバランスを崩し、船舷にしがみついていた。
 そのままの体勢で第六斉射の弾着を告げる。
「地獄へは行かねえ。勝利の凱旋をすんだ!」
 勝流の宣言と共に三発が大安宅に命中、破砕音と共に傾いた。






燬羅従流side

「―――龍鷹海軍の第二艦隊主力部隊が負けたみたい」

 鵬雲五年四月一二日夜、燬峰王国森岳城。
 その本丸御殿に設けられた燬羅従流の一室に、妻である結羽が戻ってきた。そして、開口一番が先の言葉である。

「知ってた?」
「・・・・いえ」

 祖国の悲報に、作業の手を止めてしまった従流は、正面に座った結羽と視線を合わした。
 そこには、やや心配げな妻の姿がある。

「それで、虎熊水軍はどうしたんですか?」
「継戦能力を維持しているみたいで、阿久根港を占拠したって」
「ほぅ」
「だから、勝ち馬に乗らないか、って虎熊宗国からさっき使者が来た」

 デリケートな問題だから、一門衆扱いの従流も出席は許されなかった。

「まあ、第二艦隊が壊滅したのでしたら、西海道西岸の制海権は虎熊宗国ですね」

 そこに燬峰軍団が加われば、天草諸島から八代、水俣、出水が攻撃圏内になる。
 高城川の戦いで銀杏軍団を壊滅させた龍鷹軍団は、再び多正面作戦になるだろう。
 戦略的に敗北する可能性が低く、虎熊宗国に恩を売ることのできる、いい案と言えた。

「でも断ったんでしょう?」
「ええ」

 燬峰王国は虎熊宗国の属国になるつもりはない。
 ここで龍鷹軍団と泥沼の消耗戦になることが、最も燬峰王国の利になるのだ。
 逆に言ってしまえば、燬峰王国はこの戦役で龍鷹侯国が滅び去るとは思っていないのだ。

「でも、片島は貸していたんですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 従流の言葉に結羽は視線を逸らす。
 如何に無人島で、統治していないとは言え、片島は燬峰王国の領土である。
 そこに簡易的な補給基地を作っているのに気づかないわけがない。
 これは燬峰王国と虎熊宗国の間で何らかの約束があったということだ。
 当然、従流には知らされていない事項である。
 それを知っていると言うことは、従流が龍鷹侯国から連れてきた忍衆が手に入れた情報ということだった。

「はぁ・・・・。あんまり嗅ぎ回ると、時槻さんに殺されるよ」

 時槻尊次は国主・燬羅尊純の側近中の側近だ。
 主に知略を担当しており、情報収集などもお手の物である。
 そういう仕事の中には、後ろ暗いこともやるのだ。

「それはそれとして・・・・」
「ん?」

 話題転換について行けず、結羽が小首を傾げる。

「西海道西岸の制海権は直に龍鷹海軍が取り戻しますよ」
「例の戦列艦? でも、虎熊水軍の大安宅は数が多いよ?」
「海戦は数だけではないですよ。むしろ、陸上よりも戦術が勝利に占める割合が大きいと思います」
「それは祖国の勝利を信じているってことかな? まだ未練がある?」

 結羽は従流の正面から横に移動した。そして、悪戯っぽく上目遣いをして見せる。

「いえいえ」

 従流は書いていた書状の末尾に記した「燬羅総次郎従流」の文字を示し、端的に述べた。

「ただの事実ですよ」










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