「海原に轟くカノン」/一



「―――本当に一撃で片づけましたか・・・・」

 高城川の戦いを終え、人吉城に集結する龍鷹軍団を見ながら『鈴の音』は呟いた。
 緒戦こそ大隅勢と日向勢が苦戦したが、終わってみれば圧勝である。
 それも銀杏軍団の遠征能力を一撃で葬り去った、文字通りの完勝だった。
 総勢二万六〇〇〇中一万四〇〇〇を討ち取るもしくは捕虜としている。
 この中には途中で落ち武者狩りにあった者は入っておらず、残存している一万二〇〇〇が全て豊後に帰ったわけではない。
 元々通常動員よりも多くの兵を連れてきていた銀杏軍団は、攻勢から一転して守勢に回り、それも日向‐豊後国境に配置する兵もないという、著しい兵力不足に陥ることだろう。
 この状況で再び日向を侵すなど、自殺行為でしかない。
 下手をすれば、稚拙な戦争指導を行った冬峯家に対し、各地の豪族が反乱を起こす危険性すらあった。
 尤も、反乱を起こすほどの兵力も、豪族には残っていないのだが。

 数十万石の大大名の軍団を一撃で破滅させた龍鷹軍団は勝ちに驕ることなく、慎重さを持って肥後に入った。
 現在集結している兵は一万三五〇〇。
 合流予定は大隅勢四〇〇〇、延岡を攻略した薩摩衆四〇〇〇。
 総勢二万一五〇〇。
 大軍だが、これから戦いを挑む虎熊軍団より少ない。
 そこに来ての第二艦隊主力部隊の敗北と阿久根港への敵軍上陸。
 龍鷹軍団は再び二戦線を戦う必要が出たのである。

「さてさて、いったいどうするのじゃろうな」

 『鈴の音』は戦略家・鷹郷侍従忠流を見遣った。
 その表情に悲壮感はない。
 だが、楽観できるほどでもないだろう。

(さて、この状況で我はどう動こうか・・・・)

 急遽召集された戦評定を見ながら、『鈴の音』は己の中に沈んでいった。だが、忠流はそれを許さない。


「―――阿久根港へ上陸した敵軍は無視、俺たちは北上するぞ」
『『『は?』』』


 これが、側近である御武中務少輔幸盛からの状況説明があった後の、忠流の開口一番だった。






鷹郷忠流side

「―――阿久根港へ上陸した敵軍は無視、俺たちは北上するぞ」
『『『は?』』』

 鵬雲五年四月十六日、人吉城。
 聖炎国に奪われ、その後に攻防戦を経て奪還した同城は、現在も修復中である。
 そんな城に日向から転進した龍鷹軍団主力に、増援五〇〇〇、さらに人吉城の佐久仲綱一〇〇〇を加えて、総勢一万三五〇〇が布陣していた。
 数日中に鳴海陸軍卿直武が率いる四〇〇〇、鹿屋式部大輔利孝が率いる四〇〇〇が合流予定である。
 この二万一五〇〇を持って北上、途中で長井兵部大輔衛勝が率いる部隊と合流しようとしていた。
 だが、虎熊軍団は次の手を打つ。
 無敵を誇った龍鷹海軍の一角――第二艦隊の主力部隊を撃滅し、阿久根港に上陸したのである。
 このため、出水城の村林勢、薩摩の予備部隊が動けなくなり、下手をすれば本拠陥落と言う可能性すらあった。

「・・・・北上、か?」

 それなのに、忠流の決断は阿久根港占拠する敵軍の無視。
 この判断に、御武民部卿昌盛が疑念を抱く。そして、それはこの場の者たちの大半に共通するものだった。

「阿久根に上陸した兵は多くても一〇〇〇。この程度ならば鹿児島の予備兵でどうにかなるだろう」

 現代のように大型の船もなければ港湾設備もない。
 そんな状況での揚陸作戦は困難だった。
 必然的に上陸する兵は少数となる。

「だが、放置すれば第二次・第三次の揚陸が行われるのでは?」

 一回の揚陸能力が低いのならば数をこなせばいい。
 事実、龍鷹軍団が海上機動作戦を展開する場合、時間差で揚陸しているのだ。
 第二艦隊主力部隊の壊滅で、薩摩西岸の制海権は虎熊軍団が握っている。
 再度の揚陸作戦は可能だった。

「如何に鹿児島が堅城と言えど、今の守備兵では耐えられまい」
「ま、元々今の守備隊は小荷駄の守備隊として使うつもりだったからな」

 前線で使うつもりのない兵なので訓練度も低く、第二線級の戦力である。
 揚陸部隊は少数精鋭と考えられ、質・量ともに凌駕された場合、鹿児島場では守り切れないかもしれなかった。

「それが分かっていて・・・・どうして北上など・・・・」
「また本拠を捨てるつもりですか?」

 内乱時代に重要拠点を捨て、機動作戦に出て敵軍を撃破した経験を持つ。
 だが、それは忠流が圧倒的に劣勢だったからだ。
 今この時点で鹿児島場の陥落は、そのまま世間への龍鷹侯国の敗北を意味する。
 その後に虎熊軍団を撃破し、城を奪還したと言えど、本拠陥落の汚名は一生付きまとうだろう。
 このデメリットを背負うほど、肥後戦線は急を要していなかった。

「まあ、虎熊軍団はここで俺たちの足を止めたいがためにこんな策に出たのだろう」

 忠流は周囲に分かりやすいよう、現時点での戦略的効果を言う。
 実際には姿が見えなかった主力軍を炙り出すためだったのだが、作戦発動の時期がズレた。
 それが偶然にも別の戦略的意味を持っただけである。

「だが、逆に言えばここで俺たちが足を止めなかった場合、敵に対して戦略的奇襲となる」

 兵力的に劣っているのだ。
 龍鷹軍団が虎熊軍団に勝利するためには、敵の虚をつくしかない。

「それは分かりますが・・・・鹿児島はどうするんです?」

 末席で紗姫が発言した。
 霧島神宮の巫女である彼女は、本拠の霧島神宮も心配なのだろう。
 鹿児島城陥落と同じだけのインパクトが、霧島神宮陥落にもあるのだ。
 鹿児島攻略の勢いを以て、揚陸部隊が霧島を目指す可能性があった。

「源次がどうにかするだろ」
「まさかの他人任せ!?」

 驚く紗姫を尻目に、忠流は居並ぶ諸将と同じ場所に座る幸盛に視線を向ける。
 彼は今までの定位置だった忠流の後方ではなく、戦評定出席者として列席していた。

「現在の鹿児島の戦力および海軍所属の歩兵隊の数は?」

 それでも以前と役割は変わっていない。
 だから、忠流も説明するように促した。

「宮内省管轄の予備隊が五〇〇、海軍歩兵隊は三〇〇です」

 海軍所属の歩兵とは、種子島や奄美大島などの兵である。
 集団戦よりも小部隊でのゲリラ戦を得意としている。
 個々の戦力は鹿児島守備隊よりマシだが、集団戦の戦闘力はどっちもどっちだった。

「大丈夫なのか?」
「大丈夫。あいつ、俺に啖呵切りやがったからな」

 昶に頷き、忠流は甥である鷹郷勝流の言葉を放つ。

「海の防衛に失敗した場合、『尻拭いはする』とさ」
『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 初陣もまだな少年の言葉だ。
 説得力などあるはずもない。

「第一、現在上陸した敵兵で鹿児島をどうこうできないって言ったろ?」
「え、ええ。ですから敵は追加部隊を―――」


「―――それを海軍が許すと思うか?」


『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 海軍第二艦隊主力部隊の壊滅。
 確かにそれは衝撃的な結果である。
 だがしかし、「第二艦隊主力部隊の壊滅」だ。
 龍鷹海軍には第一艦隊と第三艦隊が残っている。

「海軍の主力部隊が負けたわけじゃない」

 再び制海権を取り返せば阿久根港の兵は遊兵と化す。

「し、しかし、第一艦隊が制海権を取り戻せるとは限りません」
「だな、そこに保証はない」

 虎熊水軍がどうやって第二艦隊を撃破したのか。
 それが分かっておらず、主力艦隊で対応可能なのかも分からない。
 だが、それでも忠流の口調には自信が溢れていた。

「・・・・その自信の根拠が分からん」

 昶がため息交じりに言う。

「自信? ちょっと違うな」
「じゃあ何だ?」


「―――信頼だ」


 即答され、質問した昶は元より、他の者たちも絶句した。






鷹郷勝流side

「―――出港準備完了!」

 四月十七日、龍鷹海軍第一艦隊根拠地――指宿港。
 ここに先と同じ言葉が複数告げられていた。
 その言葉と同じ数の軍船が完全武装で待機している。

「先発隊より旗信号、湾外問題なし」

 見張り員の報告を受けた海軍卿兼第一艦隊司令官・東郷秀家は後ろをチラリと見遣った。
 そこにはいかにも副官とばかりに控える鷹郷勝流がいる。
 一門衆であろうとも、階級では東郷の方が上だ。

「第一艦隊出港!」
「出港!」

 出港命令を告げる旗が旗艦「霧島」に上がる。

「進路十一時方向、速度原速!」

 艦長が命じ、安宅船を超える大型艦がゆっくりと離岸した。
 周りを見渡せば、他の艦艇も同様に岸から離れている。

「なあ、秀家」
「なんでしょう」

 帆船である第一艦隊は湾外に出る風を捉えて速度を上げた。

「あいつは阿久根に兵を出すと思うか?」

 勝流が言う「あいつ」とは忠流のことだ。

「高城川の戦いで銀杏軍団を撃破したんです。出さないわけがないでしょう」

 海軍にも高城川の戦いの詳報は伝わっていた。
 相手が気の毒になるほどの完勝だ。
 一撃で日向戦線は整理されたと言え、主力部隊から阿久根港を占拠する敵軍を撃破する部隊も出ているだろう。

「俺はそう思わないな」
「・・・・鹿児島守備隊に任せると?」

 鹿児島には鹿屋治部卿利直、武藤式部卿晴教、絢瀬宮内大輔吉政など、そうそうたる部将が残っている。
 だが、彼らが率いる兵はお粗末だ。

「いいや、あいつは俺らに任せているんだぜ、阿久根の無効化を」
「・・・・我々は海軍ですぞ?」

 海軍に陸戦をやらせるのは、艦砲射撃に応じた強襲上陸戦のみだ。
 陣形や複雑な兵種混合が必要な本格的な陸戦は不可能だった。

「要は沖田畷の戦いの後半をやれってことだろ」
「・・・・第二艦隊主力が虎熊水軍有明海部隊を殲滅したことですか?」
「その結果、島原半島に残った虎熊軍団は降伏したろ?」

 生粋の海兵である東郷は海のことでしか物事が見られないようだ。

(海軍士官学校も必要かもな)

 と、勝流は将来の海軍改革のアイディアを心にとどめつつ、東郷に説明する。

「薩摩西岸の制海権を奪還し、阿久根港への増援と補給を途絶させる」

 それでも敵軍は阿久根周辺を略奪しつつ戦力を維持しようとするだろう。
 だが、物資強奪部隊は軍としての体裁は保っていない。
 そんな状況であれば、鹿児島の兵や海軍歩兵隊でも撃退が可能だ。
 結局、阿久根港で餓えるしかなく、揚陸部隊は戦略的に何の寄与もできないだろう。

「で、阿久根の無力化という作戦目的を達成するためには―――」

 作戦目標は薩摩西岸制海権の奪還。
 戦術目的は敵艦隊の壊滅となるだろう。

「その戦術目標を見つけるために・・・・」
「索敵船は出しています。等間隔で、左右の僚船を視界内に収めることができる密度で」
「これまでの相手とは違うと思え」
「はい」

 第一艦隊司令部でも、虎熊水軍の主力部隊が出てきたと判断していた。
 虎熊水軍は出雲遠征や倭寇討伐、時に朝鮮水軍との戦いを経験している。
 沿岸水軍である聖炎水軍や銀杏水軍とは比べ物にならないほどに実戦経験が豊富だった。
 龍鷹海軍が琉球諸島経由で列島の防衛を担っていると同じく、虎熊水軍も朝鮮半島経由の大陸国家の侵略を警戒しているのだ。
 常に技術革新が図られていることだろう。

「早く第二艦隊の残存艦と合流して、善後策を練ろうぜ」
「はい」

 第一艦隊の将兵は自分たちを最精鋭と認識していた。
 さらそれが過信に繋がらず、訓練に裏打ちされた確かな技術、敵を侮らない精神も兼ね揃えていた。
 いきなり敵艦隊に突撃をかけず、必勝の態勢で臨むのだ。






「―――で、何、お前ら」

 鵬雲五年四月十七日、人吉城本丸御殿。
 戦評定で北上が決定した龍鷹軍団だが、集結予定の部隊が未到着のために本隊は未だとどまっていた。
 しかし、先遣隊などはすでに出発し、津奈木城に到達しているはずだ。
 忠流はこれから待つであろう過酷な行軍と戦闘のために、少しでも体力を回復させようと考えていた。
 このため、残っていた雑務を幸盛たちに丸投げしてさっさと寝室に引っこんだのである。
 だというのに、特権を使って先回りしていたふたりが待っていた。

「ん? もう仕事もないのじゃし、構わんじゃろ?」
「そうそう」

 三組の布団を敷きながら返事をする妻ふたり。

「明日にも出陣するかもしれんのであろ? だったら夫婦の時間を持たねば」

 因みにふとんを出してきたのは侍女で、完璧に整えたのも侍女だ。
 ただ待っている間にぐしゃぐしゃになったので、紗姫が整え直していた。
 この皇女様は何もしていない。

「まあ、出陣しても傍にいますけど」

 整え直し、座りなおした紗姫が微笑む。
 普通の武将ならば妻は城に置いていくものだ。
 しかし、紗姫は妻と同時に武器でもある。
 一緒に行くのは当然だった。

「あ、昶はさすがについてくるなよ」
「何でじゃ!?」

 仲間外れに昶が驚愕の声を上げる。

「いや、昶連れて行っても・・・・なぁ?」
「・・・・うん、近衛数人じゃああまり戦力にならない」

 それにもし連れて行って戦死でもされれば一大事だ。
 手に入れた中央――桐凰家との繋がりがなくなるだけでなく、逆恨みした帝によって朝敵にされかねない。
 そうなれば虎熊宗国との戦いに大義名分を失い、敗北必死となるだろう。

(ただでさえ大義名分がないのに)

 名目上、虎熊宗国も龍鷹侯国も聖炎国の跡目争いに介入した形となっている。しかし、火雲親晴と親戚である虎熊宗国はともかく、珠希陣営と龍鷹軍団の間に血縁関係はない。
 本来ならば介入することはできないのだ。
 介入の根拠は珠希の援軍要請に他ならない。
 だが、朝敵となると珠希はともかく彼女に従う豪族が揺れかねない。
 それほど、「帝」の名前の影響は大きかった。

「むぅ・・・・。逆に妾がいれば虎熊軍団の攻め手が緩むのでは?」
「昶と確認するための馬印がない以上、『知らなかった』ですむ」
「だから、攻め手は緩まないね」

 昶は宮中ではなく、伊勢神宮に長くいた。
 この西海道で昶の顔を知っている者は龍鷹軍団の上層部だけである。
 尤も両軍合わせて数万の人間がひしめくのだ。
 顔を知っていたとしても見つけることは至難の技だろう。
 そんな時のためにある馬印も、武将ではない昶は持っていなかった。

「貴様は持っておるのか?」

 諦めきれない昶が同じく部将ではない紗姫に聞く。

「霧島騎士団は霧島神宮の神紋を掲げます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 あっさりと紗姫に答えられた昶が沈黙した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ならば吸い取ってくれる」
「「は?」」

 顔を伏せ、その表情を前髪で隠した昶が呟く。
 その言葉の真意が理解できず、忠流も紗姫も首を傾げた。

「あいつの精力を吸い取って、その減らず口を黙らせてくれるわ!?」
「きゃああああ!? なんで私を剥くのぉっ!?」

 飛びかかられた紗姫が悲鳴を上げるが、見る見るうちに着物を脱がされていく。

「う~ん、戦前に女に触れるのは縁起が良くないんだけどなぁ・・・・」

 そんな光景を見た忠流はこう呟きながら、増える肌色に誘われるようにふらふらとふたりに寄って行った。



―――忠流の体調不良のために龍鷹軍団は人吉城に数日立ち往生した。










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