「龍の一閃」/九



 追撃戦。
 戦場における主力部隊の決戦が戦いの全てではない。
 決戦前に前哨戦があるように、決戦後に追撃戦がある。
 一般的に敗軍が損害を重ねるのはこの追撃戦――敗軍からすれば撤退戦――だった。
 武田氏が破滅的な敗北を喫した長篠の戦い。
 この破滅的な敗北は、一般に思われているような鉄砲によるものではない。
 織田・徳川連合軍は長篠の戦いの前哨戦として、長篠城の包囲を解かせて武田軍の退路を断っていた。
 この状況で決戦に敗北した武田軍は、危険な退路を無理して突破しようとし、織田・徳川連合軍の追撃を受けて数を減らしたのである。

 今回の高城川の戦いで、銀杏軍団は二万三〇〇〇中一万を喪失。
 戦線には他に冬峯刈典率いる三〇〇〇が残っている。
 単純計算すれば、一万六〇〇〇が残っていた。
 しかし、これを戦力化できるかどうかは刈典の手腕にかかっている。
 尤もそれを許さないために、鷹郷忠流は苛烈な追撃を命じた。






耳川の戦いscene

「―――追撃部隊は山野辺勢二〇〇〇、薩摩衆三〇〇〇」
「少なくないのではないか?」

 高城川の戦いを終えた龍鷹軍団は高城川南岸に陣所を構え、休息に入っていた。
 北岸では忠流の指揮下にあった旗本衆の内、一五〇〇が警戒に当たっている。
 そんな状況で、今後の方針を決めるための戦評定が開かれていた。

「敵は一万六〇〇〇といっても、潰走している一万三〇〇〇と都農にいる三〇〇〇だ」

 忠流は特注の床几に背を預けながら「少ない」と発現した昶に言う。

「ほとんど各個撃破。というか、追い散らして参集を妨げるだけでいい」
「落ち武者狩りも行われるでしょうからね」

 忠流の言葉に、幸盛が同意した。
 因みに忠流の背後には弥太郎と忠猛が控えている。

「しかし、万が一敵が反転攻勢に出た時、こちらが各個撃破されるぞ?」

 反論したのは鳴海直武であり、他の歴戦部将も頷いていた。
 山野辺はまだ若く、二〇〇〇も分散運用している。
 薩摩衆二〇〇〇も同じだ。
 各部隊は最大五〇〇程度である。
 だからこそ、日向国児湯郡をローラー作戦で追撃しているのだが、逆に言えば都農の刈典三〇〇〇が動けば各個撃破される可能性があった。
 追撃が失敗すれば、一万三〇〇〇を取り込み、一万六〇〇〇になる可能性もある。
 それなれば打撃を受けた日向衆では支え切れず、龍鷹軍団主力は肥後へ展開できない。

「大丈夫、大丈夫。冬峯刈典はそこまで軍事的才能はない」

 忠流は興味なさげに言った。

「調整力はあるみたいだけどな」

 刈典は前国主の息子ではない。
 男が生まれないでいた宗家に対し、分家の嫡男が婿入りしたのだ。
 その分家自体も刈典しかいなかったため、分家自体は断絶している。
 以後、分家出身として、他の分家に対して強く出られない刈典は領内経営を分国化した。
 結果、各分国を繋ぐように街道が伸び、分国拠点に堅城が築かれ、経済・防衛関連は強化されている。
 また、外交政策的にも虎熊宗国と繋がり、聖炎国とも間接的同盟国となった。
 この関係で大きな戦を経験せず、一族を率いて戦場に出たのは、先の出雲遠征と今回だけだ。

「出雲遠征でも目立った戦果は立てず・・・・というか、撤退するだけで必死だったから、統率力はないに等しい」

 そんな自分を分かっていたからこそ、高城川にも出なかったのだろう。

「そんな人物が劣勢の中で情報を整理し、追撃部隊を各個撃破する一方で、敗残兵を再編できるか?」

 そんなことができれば高城川の敗北要因になっていない。
 可能な側近がいたとしても同様だ。

「・・・・だが、統率する人間は必要か」

 相手のことを理解しているとはいえ、万が一の可能性を残していては、総指揮官として手落ちと言えるだろう。

「う~ん・・・・」

 忠流は周囲を見回した。
 この場に集っているのは、各部隊の長だ。
 この内、自分の部隊を率いて五〇〇〇を超える追撃部隊の統一指揮を採れる人物はひとりしかいない。

「直武、俺の旗本一〇〇〇を率いていけ」
「・・・・御意」

 少し前ならば本隊の指揮はどうするのかと問うていただろう。しかし、今回の戦はほとんど忠流が指揮して見せた。
 また、内乱後に若返った部将たちも文句をつけられない働きをしている。
 忠流が作った士官学校の効果もあり、龍鷹軍団の若返りは成功したと言えよう。
 今回、前線指揮を採った者たちの内、三〇歳以下なのは忠流を筆頭に、鹿屋利孝、綾瀬晴政、武藤統教、山野辺時通である。
 因みに刈胤勢を崩壊させた幸盛、弥太郎、忠猛はそれぞれ十七歳、十二歳、十四歳だった。
 もちろん、御武勢自体は五九歳になる昌盛が率いているが。

「本隊の補佐は任せたぞ」
「任された」

 直武の言葉に頷いたのは、近衛大将の加納猛政だ。
 嫡男の忠猛が手柄を立てたので機嫌が良さそうである。

「して、どこまで追いましょうか?」

 追撃と言っても敵を全て討ち取るなど不可能だ。
 また、深追いしすぎるものではない。
 実際には戦場を見て判断するが、戦略目的がはっきりしていなければそれも難しい。

「日向から完全に銀杏軍団を追い出せ」
「・・・・それは延岡を下せ、と?」
「必要ならな」

 延岡を支配する神前氏は今回の戦いに銀杏軍団として参加した。
 主将以下主だった者は脱出しており、壊滅的打撃も受けていない。
 二〇〇〇を超えるこの兵力を六〇〇〇で下せというのだ。

「この追撃戦をうまく使わなければならないな」
「大丈夫。もう一撃入る」
「・・・・どこに?」
「日知屋」

 日向国北部、塩見川河口付近の地名だ。

「神前家の領地ですな」
「正確にはその傘下の川澄家だがな」

 といっても、領主・川澄豊政は神前持豊の次男だ。

「この近辺にたむろする銀杏水軍を撃破、ついでに上陸戦も行う」

 銀杏軍団は恐れていた海上封鎖かつ後方遮断を、前線が崩壊した時点で行われるのだ。

「御館様は恐ろしいですね」

 晴政が疲れた笑みを浮かべた。
 彼ら日向衆は主に対神前家で対応策を練っている。
 そのキャパシティーを越える銀杏軍団の侵攻だった。
 この侵攻を撃退した後、間髪入れずに反撃の一手を打っていたのだ。

「刈典が都農で兵力を糾合しても、日知屋を攻撃された神前家は絶対に延岡へ撤退する」

 それを見た兵たちは不安になり、再び裏崩れを起こす可能性があった。
 敵が反撃に出る前に、戦略的にそれを潰す。
 戦いは戦場での決戦が始まる前に決しているものなのだ。

「御館様、この期に及んで戦力の分散は避けるべきですが、ひとつ許可を頂きたい」
「何だ?」

 晴政が頭を下げた。

「小室氏の領土へ香川氏が攻撃を仕掛けることをお許しください」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 小室氏は当主・真茂を失い、三三五五の状態だ。
 脅威はない。

「・・・・香月氏は龍鷹侯国に組み込まれていない。軍事行動は自由だ」
「それについても。当主・高知はこの機に龍鷹侯国に臣従したいと申しています」

 綾瀬家と婚姻を結び、半分龍鷹侯国だった香月氏。
 だが、龍鷹侯国と銀杏国と言う大国が争う舞台に日向がなった以上、その立場は中途半端だった。

「・・・・分かった。本領を安堵、後、切り取った小室氏の領土については後に沙汰する」
「はっ」

 ここで切り取り次第としなかった理由は、新家臣の膨張を防いだと言うことだ。
 それほど、小室氏は弱体化しており、香月氏の勝利は約束されていた。

「寺島!」
「はっ!」

 続いて忠流は末席に近い位置に座っていた寺島春久を呼ぶ。

「損害を受けているところ悪いが、貴様の隊を香月家の監視とする。略奪・虐殺が生じぬように見張れ」
「香月勢は五〇〇~八〇〇。当家は三〇〇も出せませんが?」
「撃滅できる戦力を用意しろとは言っていない。後方から圧力をかけるだけでいい」
「了解しました」

 真正面から銀杏軍団を迎え撃った日向衆の方が鹿屋勢よりも被害が大きい。
 特に寺島勢は途中から主将と騎兵を欠いていたのだ。
 歩兵同士の消耗戦を経た寺島勢の被害は大きい。

「もうひと踏ん張りすれば、貴様の願いは聞き届けてやる」
「―――っ!?」

 バッと顔を上げた春久と目を合わさず、忠流は口元に小さな笑みを浮かべる。

(やはり、『こちらが気付いていること』を予感していたか・・・・)

 だからこそ、高城川の戦いであれほどの働きを見せたのだ。

(この戦い、貞流兄さんについた奴らの復権も兼ねているからな)

 新体制維持のために貞流についた豪族たちは中央から遠ざけられていた。しかし、総力を挙げて虎熊-銀杏連合軍を迎え撃たなければならない以上、このような確執は邪魔だ。
 この機会に軍団をひとつにする必要があった。
 そのため、ここに連れてきた薩摩衆は全て貞流派に積極的に参加した者たちである。

「明日には肥後へ取って返す。全軍十分に休むように!」
『『『はっ!』』』

 忠流が率いてきた一万四〇〇〇中五〇〇人が死傷、約六〇〇〇が追撃に回った。
 このため、龍鷹軍団主力部隊は七五〇〇まで戦力が低下している。
 しかし、薩摩や大隅では追加召集していた。
 途中で数千規模が合流するはずである。
 また、鹿屋勢も追加兵と共に合流する手はずだった。
 これらが肥後を支える軍勢と合流した時、総勢二万を超える。
 これでも虎熊軍団に及ばないが、どうにか戦える戦力だろう。

「あ、直武」
「ぉう?」

 どのように延岡を下すか考えていた直武に声をかけた。

「早く片付けて肥後に来ないと、俺ら壊滅するからな」
「なぁ!?」
「当たり前だろ。俺が純粋な戦で虎嶼晴胤に敵うはずがない」
「そんな自信はいらないぞ!?」

 ふたりのやり取りに、部将たちが笑う。

「で、そろそろ限界?」
「たぶん。奇襲の一手は"私"をぶっ放すと思ってたのに。・・・・軟弱な主は困る」

 傍にいた昶と紗姫が言う中、両軍合わせて五万に迫る大会戦を戦略で勝利した忠流は、顔面を蒼白にしてぶっ倒れた。
 原因は長距離行軍。
 誠、現場に向かない体だった。




「―――高城攻略に向かった部隊が、壊滅?」

 鵬雲五年四月十四日早朝、銀杏軍団冬峯刈典本陣。

「そ、それは本当か?」
「・・・・はい。もうまもなく、敗残兵がこちらに到着するはずです」

 刈典の前に膝を着いているのは、壊滅寸前の梅津勢から派遣された早馬だった。

「私が戦場を脱する前の情報ですが・・・・」

 須藤利輝、冬峯利春、田中勝幸の討死。
 援将である小室真茂、江口久延の討死。
 主将の戦死から想像を絶する負け戦だったことが分かる。

「な、何故だ?」

 刈典の膝が震えはじめたが、何故自軍が壊滅したのかを知っておきたいという総大将の矜持がその質問をさせた。

「・・・・龍鷹軍団主力部隊による横撃です」
「しゅ、主力だと!?」

 思わず立ち上がる。

「っと」

 しかし、すぐに足をふらつかせ、床几に座りなおした。
 ショックが足腰に来ているようだ。

「か、刈胤は・・・・どうなった・・・・」
「若殿は高城の正面に布陣されており、高城川南岸を制圧した敵を迎え撃たれました」
「そ、それで・・・・?」
「どうなったかまでは分かりません。ですが、私の後に誰も派遣されてこないところを見ると・・・・」

 銀杏軍団主力軍はすでに組織力を失っている。
 そうであれば、刈胤の命運も決したと言えよう。

「す、すぐに物見を放て! そして、兵を迎え入れる準備をしろ!」

 龍鷹軍団の主力がどうして日向戦線に来たのかはわからないが、敵を迎撃するためには兵が必要だ。
 刈典の三〇〇〇ではそれが不足していた。

「定期物見より報告! 味方の兵多数がこちらに向かってきます。その数数千!」

 この報告を受け、刈典の表情はやや明るくなった。
 これを全て集めれば一万近くにはなる。そして、そのまま後退し、耳川を防波堤にして防ぐのだ。
 刈典もここで自軍が崩壊せずに踏みとどまる戦略的利点を理解していた。

(刈胤を失った失態はそれで帳消しだ!)

 娘は悲しむだろうが、その息子がいる。
 虎熊宗国の血を引く男だ。
 虎熊宗国の後ろ盾を得たも同然である。
 また、分家の中で絶大な権力を保持していた利春が討死したのは好都合だった。

「延岡の勝則に使いを出せ」

 冬峯勝則。
 分家のひとつを率いる杵築城主。
 刈典と同じく軍政に才を発揮するタイプで、今回も延岡に残って兵站を維持している。

「も、申し上げます!」

 忠流の予想に反して、意外とテキパキと指示していた刈典の下に新たな情報が入った。

「ろ、龍鷹軍団の追撃部隊を確認。一部隊は少数なれど、面にて平押しして参ります」

 総数は数千に上る模様だ。
 このような追撃をしている場合、後方に本隊がいる。
 前線部隊が敵と遭遇した場合、速やかにその本隊が後詰に出るのだ。
 つまり、敵は一万以上いる可能性があった。

「・・・・・・・・急ぎ、大塩を呼べ!」
「し、しかし、大塩殿は兵をまとめつつ撤退してきていて―――」
「本陣に詰めさせ、善後策を練る!」

 ただひとり生き残った重臣。
 その者と共に善後策を練るのは間違いではない。
 だが、兵と共に後退する大塩の存在が、兵の心を支えているとは露にも思っていなかった。
 この後、大塩を引き抜かれた大塩勢は混乱し、後方から迫っていた追撃部隊の影に脅えて崩壊する。そして、その怒涛が神前勢を押し流した。
 結果、曲がりなりにも統制を保っていた四〇〇〇近い部隊が、ただの烏合の衆と化したのである。
 この判断ミスは、戦線の崩壊を意味していた。

「御館様、退きましょう」

 本陣に戻った大塩の進言は切実である。
 すでに周囲には三〇〇〇を超える兵が疲労困憊で倒れ込んでいた。
 その中心に刈典の三〇〇〇が方円陣を敷いている。

「これらの兵を再編し直すなど、至難の業です」

 時間があればできるだろう。
 しかし、追撃部隊が迫っているのだ。

「苦しいか?」
「・・・・はい」

 追撃部隊はある程度敗残兵末端部を蹂躙した後に後方へ退いた。
 誰がどう考えても再編し、刈典勢と戦う準備をしているに違いない。
 確証が持てないのは、物見がことごとく潰されるからだ。
 因みに兵が退いたのは、直武が追い付き、延岡を落とすように再編成中だったからだった。

「また、神前勢も・・・・限界です」

 大塩の視線が銀杏軍団六〇〇〇よりも東方に布陣する神前勢に向く。
 数は一〇〇〇ほどに減っており、兵たちも疲れ切っていた。

「この状態で一戦交えた場合、悪夢しか見えません」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 刈典が目を閉じる。
 周辺にはこちらに合流できていない兵も大勢いた。
 そんな中で刈典が撤退すれば、彼らは落ち武者狩りに会うだろう。
 一方で、このまま踏みとどまっていては、ここにいる兵も危ない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 悩む刈典は、結局決められなかった。
 忠流の次の手が彼らを掴んだからである。


「―――も、申し上げます! 塩見川および五十鈴川河口に停泊していた水軍部隊が、龍鷹海軍の艦砲射撃を受けて壊滅しました!」


「「―――っ!?」」

 報告に刈典は仰け反り、大塩は思わず立ち上がった。

「また、地上部隊が上陸を開始。日知屋城攻略を目論んでいると思われます!」

 刈典が思わず神前勢を見遣る。
 日知屋城は彼らの重要拠点だった。

「旗が揺れている・・・・。奴ら撤退するつもりか!?」

 神前氏は銀杏国の家臣ではない。
 あくまでもその影響力に屈していただけである。
 本領が危なくなれば撤退するのは当然だった。

「御館様、撤退を思いとどまるように使者を―――」
「無駄だ」

 言ってきくようならば独断で撤退はしない。
 だが、今のタイミングでは最悪である。
 敗北で心が弱っている中、敵がさらに迫っていた。
 それでも戦うために準備している中、友軍が撤退を開始したのである。
 兵の心を折るには十分な出来事だった。

「撤退の指示を出せ」
「・・・・御意」

 こうして銀杏軍団は再び逃亡の途につく。
 それが絶望的な旅路であることは、刈典にも大塩にも分かっていた。






 銀杏軍団が撤退を開始したが、直武率いる六〇〇〇はつかず離れずの態勢で後をつけた。
 物見部隊は排除していたので、銀杏軍団はその姿を捉えていない。しかし、軍が放つ特有の圧力は誰もが感じており、銀杏軍団の兵たちは精神的に消耗していった。
 極度な緊張状態の中、石並川を超える。
 この時に敵の攻撃を警戒したが、龍鷹軍団は手を出さなかった。
 しかし、半里先の耳川に差し掛かった瞬間、龍鷹軍団は一気に勝負に出る。
 まだ渡っていなかった石並川を渡河し、銀杏軍団へと襲い掛かったのだ。
 龍鷹軍団が石並川を超えるには時間がかかると考えていた銀杏軍団は大いに驚いた。だが、そもそも川幅五~十一間(9~19.8m)程度の川、装備があれば即渡河が可能なのである。
 先を急ぐあまりに後方を疎かにした銀杏軍団が悪い。
 瞬く間に銀杏軍団は耳川へと追い落とされた。
 そして、それが悪夢だった。

 耳川は美々津川とも呼ばれており、石並川よりは渡河地点では川幅が広い。
 ここに臨戦態勢のまま、重い甲冑を付けた兵が放り出されたのだ。
 結果は火を見るより明らかだった。
 多くの将兵が溺死し、運よく川向こうに行きついた者も、武器を失って継戦能力を喪失していた。
 死者行方不明者三〇〇〇、捕虜一〇〇〇。
 それが銀杏軍団六〇〇〇、神前勢一〇〇〇が被った損害である。
 さらに犠牲者の中には最後まで兵を指揮しようとした冬峯刈典、大塩佳通、神前持豊・兼豊父子の名前があった。

 結局、耳川を渡れた無事な部将は、自城が心配で先鋒を駆け、落ち着いた状態で渡河できた川澄豊政だけである。
 ここに、日向へ侵攻した銀杏軍団は消滅した。
 後に耳川の戦いと呼ばれる一方的な虐殺劇を加えた損害は、歴史上に残る壮絶なものである。
 二万六〇〇〇を数えた侵攻軍は、死者行方不明者八三〇〇、捕虜五七〇〇だった(損耗率五割強)。
 さらに主だった部将は全員討死。
 また、迷子となって故郷に帰れなかった者も多い。
 結果、銀杏軍団は深刻な兵力不足に陥ることとなった。




 耳川の戦いの翌日、鳴海勢によって日知屋城が陥落。
 日知屋城は間に合わないとし、延岡城に帰還していた川澄豊政は、同城に在留していた冬峯勝則に退去を求めた。
 勝則はこれまでに集まった二〇〇〇を率いて陸路で豊後国へ撤退する。
 それを見届けた後、豊政は川澄姓を破棄し、神前家の家督を相続。
 同時に日知屋城の放棄を宣言し、直武に降伏した。
 神前氏に従っていた豪族も反攻の兆しを見せることなく追従(当主以下兵員を著しく損なっていたため)。

 龍鷹軍団は事後処理に山野辺時通を残し、旗本と薩摩衆を率いて撤退を開始した。
 虎熊宗国が期待した龍鷹軍団の拘束は果たせず、この戦線での龍鷹軍団の損害は高城川の戦いにおける三五〇〇がほぼ全てである。
 北日向に残置された二〇〇〇も加えれば五五〇〇程度、肥後戦線へ回される戦力を削ったことになる。
 数字だけ見ればなかなか大きい。だが、二万六〇〇〇に及ぶ大軍を喪失してまで得た戦果にしてはあまりにも寂しい限りだった。






「―――へぇ・・・・早いな」

 延岡城陥落の知らせを、忠流は肥後国人吉城で聞いた。
 日付は四月十六日である。
 この城で佐久仲綱と合流していた。
 彼の父――頼政の死は確認できていないが、忠流は暫定的に家督を認めている。
 この関係で仲綱は頼政の与力を率いることができた。

「とりあえず、これで日向は片付いた」
「おまけに豊後まで掃除した形になりましたが・・・・」

 忠流の言葉に幸盛がため息をつく。

「何ですか、総力挙げて出撃して、ほとんど帰ってこないとか」

 「悪夢ですよ」と言いながら着到帳の整理をしていた。

「大口に集結していた召集部隊も合流しました」
「数は?」
「増援五〇〇〇。総勢一万二五〇〇です」

 鹿児島を発した時とほぼ同数まで回復している。

「また、鹿屋からも連絡が来ました。戦力四〇〇〇に回復し、人吉へ向けて本日出撃予定です」
「合流すれば一万六五〇〇、か・・・・」
「鳴海殿が合流すれば二万を超えますし、他に佐敷などの長井勢もいます」
「それでも虎熊軍団は野戦軍だけで三万超えだろ?」

 ランチェスターの法則というものがある。
 1914年にフレデリック・ランチェスターによって発表された戦闘の数理モデルで、第1法則と第2法則があった。
 前者は狭隘な地形における一対一の戦闘部隊による戦闘をモデルにしている。
 後者は現代戦のような1人が多数に対して攻撃可能な戦闘を前提としている。
 戦国時代は前者に相当し、武器性能などの戦闘力が優勢な方が有利になる。しかし、列島という狭い範囲でこの武器性能の優劣はつきにくく、結局は兵力差が最大の勝敗要因になった。
 だが、これは逆に戦略で局地的に敵よりも多数の状況を作り出せば兵数の優位を生かして逆転することが可能なのだ。
 つまり、戦線全体で龍鷹軍団二万に対して、虎熊軍団三万だったとしても、戦場でこの兵力が変われば勝機はある。

「とどのつまり、ここでも御館様の頭脳次第なんですね」
「おまえも考えろや!」

 幸盛の他人任せの発言に忠流がツッコミを入れた。

「そして、あなたも私の使いどころを考えるべきです!」

 ピッと右手を挙げて紗姫が自己主張する。

「私ほどの戦略兵器はありませんよ!」
「確かにな。それは正しい」

 昶も同意した。

「ヤダよ、倒れるし」

 実際に加勢川の戦いではぶっ倒れた。

「撃ち続ければなれるかもしれませんよ?」
「というか貴様、別に撃たずとも倒れるではないか」
「「「確かに」」」
「おい」

 幸盛、弥太郎、忠猛の三人がポンッと手のひらを打ち合わせて納得する。

「御館、いっちょぶっ放しましょうぜ、開戦劈頭に」
「先制攻撃としては十分な衝撃力だと思います」
「その後に誰が指揮採るんだよ」

 忠流が顔をしかめながら言うと、紗姫がかわいらしく小首をかしげながら言った。

「そもそもその指揮が不安だから、鳴海陸軍卿は驚異的な早さで延岡を落としたのでは?」
「ぐっ」

 小首をかしげながら、その口元には嗜虐的な笑みが広がっている。

「というか、あなたが指揮したら勝てる戦も勝てないんじゃ?」
「お、おまえなぁ」

 いくら何でも傷つく。

「・・・・まあ、正直、虎嶼晴胤はこれまで戦った部将の中で最も戦上手だろうからなぁ・・・・」

 数万の兵を率いて石見戦線を戦い抜いた名将。
 忠流のように戦略で敵を追い詰め、自分自身の指揮で敵を打ち破った。

「まるでお前と陸軍卿がくっついたようだな」
「・・・・・・・・・・・・」

 忠流は想像した。

「・・・・・・・・・・・・」

 忠流は顔面蒼白になった。

「ぅっぷ」

 忠流は口元を抑えた。

「うわあああ!!! 始まる前から精神に支障が!?」
「精神どころか肉体的にも、来てね?」
「皇女殿下、あまり御館様をいじめないでください」

 慌てて背中をさする忠猛、それを眺める弥太郎、冷静に昶に苦情を言う幸盛。

「・・・・お前たちは愉快だな」
「全く変な人たちです」

 と言いつつ、開戦劈頭にぶっ放すという発言からずっと光を放ち続ける紗姫。

「お前も十分変だからな」
「あなたもね」

 紗姫は取り合わず、ぷいっと顔を背けた。


 そんな他愛もない雰囲気を吹き飛ばす報告が翌朝に入った。


『虎熊水軍により第二艦隊主力部隊壊滅。敵部隊、阿久根港に上陸中』

 肥後戦線はついに薩摩まで飛び火する。
 忠流が考えた戦力分散を晴胤も仕掛けてきた。
 それも龍鷹侯国が絶対的な自信を持っていた海軍力に風穴を開けて。











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