「龍の一閃」/七



 冬峯刈胤。
 虎熊宗国の虎嶼家出身であり、冬峯刈典の婿養子。
 次期、銀杏国当主と目され、今でも刈典の書状に名を連ねることが多い。
 沈着冷静な青年武将と知られ、正室との仲も良好なことから、銀杏軍団の若手将校の中でも人気だった。
 戦経験は少ないが、訓練などで統率力を発揮しており、一廉の武将として才覚を表している。
 今回の日向国侵攻では旗本衆三〇〇〇を率いて桐原川北岸に布陣。
 本陣の西を守っていた。
 しかし、高城正面に布陣していた須藤勢、冬峯利春勢が高城川を越えて根白坂を攻撃。
 高城西方に布陣していた小室勢も攻撃に加わった。
 これに際し、刈胤は高城包囲を続けるため、五〇〇を城西方に、五〇〇を現陣地に、そして、二〇〇〇を率いて桐原川を越えて高城付近に進出していた。
 布陣するのは高城正面ではない。
 桐原川と高城川の合流する竹鳩ヶ淵を背にし、高城と根白坂の両方を見張っていた。
 背水の陣ではあるが、東方軍が高城川南岸に布陣している限り、守りは万全である。
 そう、まさかの騎兵隊奇襲攻撃があるまでは。






反撃scene

「―――大塩、神前、田中の陣地炎上中!」
「敵は騎馬隊。歩兵は確認されませんが、山中に潜んでいる可能性あり」
「梅津勢、支隊を東方へ派遣中!」
「高城に動きあり! 旗が動いています!」

 春久による東方陣地群奇襲作戦により、刈胤の部隊も動揺していた。
 各方面の情報収集とその結果を伝える使番が行き来し、それを兵たちが不安そうに見つめている。

「若殿、後備を反転させた上で、部隊を前進させましょう」
「後備は北岸奇襲部隊に対するものと分かるが、我々が前進する意味は?」

 刈胤勢が高城の城門に蓋をする形で布陣していないのは、打って出た高城勢に横撃するためだ。
 前進しては高城勢と真正面からぶつかってしまう。
 数的有利は持っているが、正面衝突ではこちらにも損害が出る。

「高城勢が出撃すること自体が問題です」

 刈胤の質問を受けた部将は、経験の浅い刈胤に言い含めるように話し出した。

「東方陣地が壊滅したことで、南岸へ攻め込んでいる部隊の兵たちは後ろを気にしています」

 戦術眼を持ち、戦に慣れているもしくは覚悟がある士分たちはこの程度で動揺したりしない。
 未知の脅威を取り除くために情報収集と言う手を冷静に打っている。
 だが、戦術眼のない兵は後ろに現れた敵、急に動き始めた味方部隊。
 それだけで不安材料になる。

「ここに、高城勢が打って出た場合、戦力的に脅威でなくとも兵に与える衝撃は多大なものになります」

 例え刈胤勢が高城勢を撃破しても、一度植えつけられた恐怖は消えない。

「兵が恐慌を起こす、この場合、裏崩れと言う事態が発生する可能性があります」
「・・・・だから、我々が高城前面に布陣し、高城勢が打って出られないようにするわけか」
「その通りです」

 また、明確な指示を出すことで動揺している刈胤勢の兵を落ち着かせる効果もあった。

「では、そのように」
「はっ」

 部将の指示で刈胤勢が動き出す。
 後備を増強して現地点五〇〇を残置。
 残りの一五〇〇を率いて高城正面に展開した。
 それでも高城の慌ただしさは止まらない。
 銃撃戦で崩れ落ちた城壁の隙間から、走り回る敵の姿、城壁越しに城門周辺へ流れていく旗指物の姿が確認できた。

(一〇〇、いや、二〇〇程度は打って出るか)

 最悪、敵は城門を開け、自軍鉄砲隊の有効射程距離に留まったまま喊声を上げるだけかもしれない。
 この場合、こちらが手出ししようとすると鉛玉が飛んできて、さらに出撃部隊を捕捉できない可能性が高い。

(一〇〇~二〇〇の喊声で崩れるほど、士気が低下していないことを願うしかない、か)

 完全に受け身となった刈胤勢は、その耳目の全てを高城へ注いでいた。
 それが致命的な隙となる。
 刈胤がそれを理解した時、すでにそれは始まっていた。
 鵬雲五年四月十三日、辰の刻(午前7時)より始まった高城川の戦いは、今現在の未の刻(午後13時)になっている。

 三刻もの間戦い続け、周辺への警戒も散漫になった頃、それが来た。






「―――撃てぇっ!」

 鉄砲大将の号令一下、数百挺もの鉄砲が咆哮した。
 銃口から飛び出した六匁弾は約一町(約100m)の距離を瞬く間に疾走し、前ばかり見ていた敵兵を打ち倒した。

「繰り出し始め!」

 悲鳴と怒号が敵陣に満ちる中、鉄砲兵は冷静に次弾を装填する。そして、再び号令一下で一斉に射撃した。
 それは一発目よりも少ない。
 射撃しなかった鉄砲兵は射撃後に前に出て、再び射撃。
 さらに射撃後に別の鉄砲兵が前に出て射撃。
 それが鉄砲隊前面で繰り返され、上空から見れば少しずつ鉄砲隊が前進していた。
 「繰り出し」と呼ばれる鉄砲戦術である。
 腹に響く轟音が五回も続くと、鉄砲隊の周りは硝煙で覆われて視界が効かなくなった。
 黒色火薬であるために、粉塵も多いのだ。

「突撃ィッ!」
「「「オオ!」」」

 そんな煙を吹き飛ばし、長柄隊が走り出した。
 長柄の穂先が日の光を反射し、槍衾が作り出す光の波が混乱した敵軍にぶち当たる。
 敵の血肉を割いた穂先は即座に輝きを失い、後は深紅の飛沫を辺りに散らすだけだった。

「敵軍は大混乱だな」

 敵軍を奇襲した部隊を率いる青年が馬を最前線に進めながら呟く。
 その手には通常の火縄銃よりもやや銃身が短い銃が握られていた。
 馬上筒。
 歩兵武器である火縄銃を騎馬武者も使えるように銃身を短くしたものである。
 武将が持つものも全長二尺(約60cm)ほどだった。

(見つけた・・・・)

 長柄隊が敵の柔らかい横腹をしこたま叩いている最前線付近に進出した彼は、必死に部隊の統制を取り戻そうとしている騎馬武者を見つけた。
 距離約三五間(約60m)。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 青年は馬を止め、馬上筒を構える。
 片眼を閉じ、開いた方で照星を覗く。そして、優しく引き金を引いた。

―――ドンッ

 銃身が短いため射程距離を維持するために装薬を増やしている。
 故に一般的な火縄銃よりも大きな音が鳴った。
 銃身の短さは射程距離だけでなく、命中率にも影響していたが、彼には関係ない。
 発射された三匁弾は白兵戦に移行しつつある長柄隊の頭上を突き抜け、敵将の眉間を撃ち抜いた。

「よし」

 青年が呟くと共に敵将が馬から転げ落ちる。
 それを見た青年は残心を終え、胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「敵将、小室真茂討ち取ったぁ!」

 大音声で告げられた内容に、敵軍の士気は完全に崩壊。
 小室勢一〇〇〇は主将を失い、我先にと潰走し出す。

「他愛もない」

 先鋒を仰せつかった武藤統教は、逃げる敵勢に見向きもせず、手慣れた動作で馬上筒に再装填した。




「―――武藤統教殿より伝令。『小室真茂討ち死に。小室勢潰走』です」
「へえ、早いね」
「どうせ、奴自身が撃ち殺したんだろ」

 決戦場から高城川上流方向一里(約3.8km)。
 ここに龍鷹軍団主力軍は本陣を敷いていた。
 指揮するのは当然、鷹郷侍従忠流である。
 傍には先程発言した紗姫や昶もいた。

「時は満ちた、と・・・・思う」

 忠流は自信なさげにそう呟く。しかし、その声は誰にも届かなかった。

「どうするの?」

 郁が判断を仰ぐように忠流に聞く。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 それを受け、忠流は一瞬だけ横を見た。
 決戦場において、常にそこにいた百戦錬磨の指揮官は、いない。
 また、側近である御武幸盛、長井弥太郎、加納忠盛もいない。
 いるのは郁が指揮する近衛衆のみだった。
 それを願ったのは彼自身だ。

(この戦、立案から戦闘指揮まで俺がやる)

 そう言った時、いつも全軍を指揮していた鳴海陸軍卿直武は笑った。そして、忠流の肩を叩いて自分の部隊の下へ向かったのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 状況は圧倒的に有利。
 これまで耐えていた高城と鹿屋勢、絢瀬勢を救うには今しかない。
 そう分かっていても、命令を下すのは怖かった。

(いろいろ、謀略で事を動かしたが・・・・やっぱり軍を動かすのは違うな)

 緊張で動悸が高鳴るが、血液が届いていないのか、指先はひどく冷たい。

「「大丈夫」」

 その指先が、熱に包まれた。

「え?」
「大丈夫」
「そうじゃ、大丈夫。勝てるぞ」

 聞き慣れた声で、自分を励ます言葉が耳元で囁かれる。
 左右を見ると、紗姫と昶がそれぞれの手を握ってくれていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ふたりの瞳を見返し、大きく深呼吸する。そして、ふたりの手を握り返した。

「全軍突撃! 総攻めだ!」
「「「オオウ!」」」

 控えていた使番が愛馬に飛び乗り、緩やかに移動していた各部隊に総攻撃命令を伝えに行く。

「言葉だけね、かっこいいのは」
「うるせぇ・・・・」

 その背を見送りながら、郁の言葉に文句を返した。

「さあ、やってやれ」

 いつも通り、自信に満ちた声。
 それを聞いた紗姫と昶は、視線だけで語り合い、同時に肩をすくめる。
 何はともあれ、忠流の命で後詰部隊による銀杏軍団への総攻撃命令が下された。



 高城西方に現れ、初っ端に小室勢を壊滅させたのは、忠流が率いる大軍だった。
 忠流直卒三〇〇〇、鳴海直武二〇〇〇、武藤統教二〇〇〇、御武昌盛・幸盛一〇〇〇、藤川晴崇一〇〇〇、瀧井信成一〇〇〇、薩摩衆二〇〇〇の計一万二〇〇〇。
 総勢一万二〇〇〇。
 肥後の虎熊軍団が血眼に探していた、龍鷹軍団の主力軍である。
 ずっと息を潜めていたこの軍が、必死に抵抗する鹿屋勢と絢瀬勢を攻撃する銀杏軍団の側方に現れたのである。
 銀杏軍団がこれを迎撃するには、あまりにも陣形が乱れていた。



「―――突撃ぃ!」

 高城川南岸への進入路に蓋をする形で布陣していた小室勢が壊滅した今、その道を阻むものは存在しなかった。
 武藤勢を先頭に怒涛の勢いで龍鷹軍団は雪崩れ込んだ。
 武藤勢と鳴海勢の四〇〇〇が須藤勢と冬峯利春勢の背後を駆け抜け、江口勢と田中勢に突撃する。
 さらに続いた瀧井信成、藤川晴崇の計二〇〇〇は須藤勢、冬峯利春勢の背後に進出。
 これを後ろから攻め始めた。
 薩摩衆二〇〇〇は山中に入り、小室勢が欠けて空いた須藤勢右翼から攻撃を開始している。
 高城正面に布陣した利胤勢にも御武勢一〇〇〇が攻撃を加えていた。
 待ちに待った後詰に、高城、鹿屋勢、絢瀬勢は最後の力を振り絞って反撃へと転じる。
 今や高城・桐原川南岸に進出した銀杏軍団一万八〇〇〇は総勢二万二〇〇〇に包囲された。
 疲労困憊の銀杏軍団に、この戦略的奇襲と言うべき猛攻を跳ね返す力はない。

「―――須藤利輝殿、御討ち死に!」

 必死に抵抗する冬峯利春の下に悲報が入ったのは、龍鷹軍団主力軍の総攻撃が開始されてから四半刻経った頃だった。

「何だと!?」

 妹婿の討ち死にを受け、利春の手から軍配が落ちる。

「何かの間違いではないか?」
「・・・・いえ」

 情報を持ってきたのは、利輝の側近だった。
 彼は首を振って、主君の討ち死に状況を報告する。

「鹿屋利孝との一騎打ちに足軽隊が水を差した後、殿は本陣へ退かれました」

 須藤勢の過半が根白坂の山中に侵入し、本陣もここに置かれていた。
 利孝の必死の防戦に疲れていた須藤は、甲冑を緩めて休息を取る。
 そこに山中を進撃していた薩摩衆の一部隊が突入したのだ。

「乱戦の末、殿は敵集団の長、向坂鎮種という者に討たれました」

 銀杏軍団は知らなかったが、須藤を討ち取った向坂鎮種というのは、龍鷹侯国の内乱で貞流側に付き、その先手として獅子奮迅に活躍した向坂由種の弟だった。
 向坂由種は湯湾岳の戦いから撤退。
 本拠地に戻った後、相川貞秀、有坂秋賢が自害したことを知り、自身も自害した。
 当主の切腹により、向坂家は減封されたが、鎮種への家督相続が許されたのである。
 以後、旗本の一員として忠流が出陣した主要合戦に参加。
 今回の戦いでは三〇〇の兵を率いることが許され、須藤利輝を討ち取るという大功を上げたのである。

「・・・・そう、か。甲冑を緩めていては、十分な動きができなかったのだろうな・・・・」

 一瞬遠い目をした利春が、黙とうをささげるように目を閉じた。

「・・・・仇を討つぞ」

 利春は掌握した部隊に命じ、自身と共に北方へ突撃を開始する。
 今この時に仇を討つことはできない。
 今できるのは高城川を越えて友軍と合流するのみである。
 朝からの戦闘と奇襲攻撃でかなり数を減らしたが、利春が直卒できる戦力として一〇〇〇は残っていた。
 こちらに向けて攻撃しているのは、馬印から瀧井信成だと分かっている。
 瀧井流槍術を駆使する部将らしいが、一〇〇〇を相手に個人武勇で勝てるわけがない。

「高城川に追い落としてやる!」




 そう意気込み、瀧井勢への突撃を開始した利春勢が壊滅したのは、その四半刻後であった。
 背後からの鹿屋勢の猛攻、須藤勢残党を無視して突破してきた薩摩衆の横撃、正面でしっかりと利春勢を受け止めた瀧井勢。
 三方から攻めたてられた利春勢はなすすべもなく主だった者が討ち死にして消滅した。
 高城川を超えて根白坂に攻め寄せた冬峯利春、須藤利輝、小室真茂以下七〇〇〇。
 龍鷹軍団主力軍の攻撃から半刻も経つと、その三将全てが討ち死した状況となる。
 ここに至り、残存部隊は効果的な反撃を企図するものはなく、次々と降伏し始めた。




「―――押し潰せ!」

 東方戦線で鳴海直武は思う存分に采配を振っていた。
 すでに左翼方向で武藤勢が江口勢を撃ち竦めている。
 江口勢はほとんど戦っていない元気な軍勢だったが、春久騎兵隊による後方遮断。
 龍鷹軍団による戦場横断で動揺していた。
 ここに数百発の鉄砲射撃である。
 元々士気が低い銀杏軍団の中で、特に士気が低かった。
 主将の江口自身が主戦場(肥後戦線)から遠ざけられたと不満をぶつけていたのである。
 そんな中での奇襲攻撃に、江口勢は崩壊。
 我先にと高城川を超えようとし、最大の悲劇が待っていた。
 潰走する江口勢が飛び込んだのは、桐原川と高城川の合流点――竹鳩ヶ淵。
 長さ三町(300m)以上、川幅一町(約100m)。
 川の向こうには壊滅した田中勢陣地がある。しかし、騎兵隊はそこに展開しておらず、川向うは安全に思えた。

(統教もなかなか戦上手だな)

 鉄砲隊の射撃を利用し、江口勢をそこに追い込んだのだ。
 何故、そこに追い込んだのか。
 それは竹鳩ヶ淵の水深が三間(5.4m)以上だからだ。

(足軽の装備とはいえ、鉄を使っている・・・・)

 我先へと飛び込んだ兵が沈み、踏みとどまろうとした兵も後ろから押されて沈んでいく。
 身動きが取れなくなった江口勢は背後から襲われて壊滅した。
 死者行方不明者一〇〇〇、捕虜一〇〇〇と後々に報告されている。
 甲冑を脱ぎ捨てて泳いで逃げた者もいたが、被害率八割という驚異的な数値だった。
 北岸へ逃げた者たちはもはや部隊としての体裁を保たず、一目散に逃げ出している。
 主将・江口久延は馬で竹鳩ヶ淵へ飛び込み、そのまま浮いてこず、溺死した。

「こちらも一気に潰すぞ!」
「「うおおおお!!!!!」」

 槍を持った馬鹿息子と大太刀を持った馬鹿世話役が真っ先に突撃する。
 今日は直武が全軍の指揮を採るので、存分に槍働きができるのだ。

(派手にやりおって)

 さっそく霊術の爆発が前線で轟き、敵軍がみるみる崩れていく。

(しかし、絢瀬勢は限界か?)

 耐えに耐えた絢瀬勢は反転攻勢に出たが、その勢いは鈍いと言わざるを得ない。
 神前勢は戦闘離脱し、渡河を開始。
 その前面に迂回した一部隊が布陣しようとしているが、戦力差は圧倒的だ。
 突破されるのは確実である。
 また、大塩勢も絢瀬勢の攻勢をさばきながら神前勢に続いていた。

(いや、攻撃に回す余力を迂回させていたのか)

 対岸にいるのは騎馬武者を中心とした部隊だ。
 騎馬武者は攻撃にこそその効力を発揮する。
 騎馬武者を欠いた状態で攻勢に出ても、敵軍を崩すことはできないだろう。

「殿! 田中勢から鉄砲隊が―――」

 鳴海勢の攻勢を受けていた田中勢から分離された鉄砲隊が絢瀬勢に弾丸を撃ち込んだ。
 数十の弾丸を撃ち込まれた絢瀬勢が大きく崩れ、その隙に大塩勢は戦闘離脱する。
 絢瀬本陣では晴政が必死に采配を振っているが、日向衆の攻撃意志は低下した。

(限界だな)

「伝令!」
「ここに!」
「絢瀬勢へ田中勢への攻撃に参加するように伝えろ」

 直武は大塩勢の撃滅を諦めるよう絢瀬勢に使いを出す。

「あ、待て!」
「はい?」

 馬に飛び乗って走り去ろうとした伝令を慌てて呼び止めた。

「さっきの命令はなし。待機していろ」
「は、はあ・・・・」

 よく分かっていない顔で馬から降りる伝令兵。

(危ない危ない。今日は忠流様が指揮を採っているんだった)

 ここで直武が絢瀬勢を動かせば、絶対に拗ねるに違いない。

「殿、武藤勢が盾板を繋げて即席のいかだを作っています」
「竹鳩ヶ淵を越えるつもりか・・・・」

 この戦を完全勝利に終えるためにはさっさと対岸に拠点を作ることが重要だ。
 そのために武藤勢は敢えて難所を越える決意をしたのだろう。

「あ、作業が中断されました」

 西方からの伝令兵が武藤勢に駆け込み、しばらくしていかだを作っていた兵たちの動きが止まった。

「武藤勢が旋回します」

 江口勢を潰走させ、当面の脅威を除いた武藤勢が攻撃正面の向きを変える。
 その先には高城川の向こうにいる冬峯利胤勢がいた。

(なるほど、そうやって北岸の軍勢を拘束するか)

 敵を一網打尽にするには梅津勢四〇〇〇を撃破する必要がある。
 そのために武藤勢は北岸へ渡ろうとしたが、その渡河地点には五〇〇程度の梅津支隊が布陣しつつあった。
 如何に火力に優れた武藤勢とはいえ、強制渡河は損害が増えたであろう。
 それを対岸から利胤勢への射撃に切り替えさせた。
 すると、利胤勢は高城川南岸も気を付けなければならない。

(尤も、そこだけじゃないがな)

 利胤勢へは高城から打って出た香川勢、最初から高城川を越えて進撃した御武勢の攻勢にさらされていた。

(御曹司軍を拘束。救出するまで梅津勢は撤退できない、か・・・・)

 戦術的に見れば、梅津勢は北岸に脱出した兵をまとめて撤退するべきである。
 利胤勢の場所はすでに死地であり、まとまった数での脱出は不可能だ。
 利胤が単騎で脱出するしか道は残されていない。

(それをするか、させないのか。・・・・それぞれの若手武将次第だな)

 直武はそう思い、自分の下へと駆けてくる使番を待った。
 それは後方で采配を振る、忠流からの使者だ。

「申し上げます!」

 使番は馬から飛び降りるなり片膝を着いた。

「鳴海勢には、絢瀬勢と協力して田中勢を攻撃せよとのこと」
「承知した」

 直武が頷き、側近に視線を飛ばす。
 それに頷いた側近が指示を出す中、馬に乗って本陣へ帰ろうとする使番に声をかけた。

「他に殿から仰せつかっているのではないか?」
「・・・・・・・・・・・・その通りです」

 近衛である彼は馬を巧みに操って振り返る。

「『敵将を、確実に屠れ』と・・・・」

 やや疲れた表情を浮かべながら忠流の言葉を伝えた。

「それも承知した。高城川を敵の血で染め上げて見せよう」

 直武は走り去る使番を見送り、采配を振り上げる。

「全軍、突撃!」

 二〇〇〇からなる鳴海勢が猛然と走り出し、田中勢を高城川へと突き落とした。
 竹鳩ヶ淵とは違い、しっかりと渡河できる浅瀬である。
 それでも水に足を取られた敵兵がすっ転んだ。

「覚悟ぉっ!」

 そこに鳴海勢と絢瀬勢が容赦なく襲い掛かる。
 田中勝幸は踏みとどまることを決意し、まさに背水の陣でこれを迎え撃った。
 意地の抵抗は四半刻も続いたが、最後は名もなき足軽たちに貫かれて田中は絶命。
 残りは散り散りとなって田中勢は壊滅する。
 死者行方不明者一〇〇〇。
 田中以下主だった部将たちも軒並み戦死し、田中勢は部隊としての体をなさなくなった。
 残りは怒涛となって北を目指すだけである。
 ここに東方戦線も終結した。




 後に高城川の戦いと呼ばれる戦いは五段階に分けられる。
 第一段階は高城攻防戦。
 第二段階は高城川を越えた銀杏軍団と鹿屋・綾瀬勢の戦い。
 そして、第三段階は龍鷹軍団主力部隊による高城川南岸の駆逐戦である。
 この駆逐戦の結果、銀杏軍団は破滅的な損害を受けた。
 参加した部隊は以下の通りである。
 冬峯利春四〇〇〇、須藤利輝二〇〇〇、小室真茂一〇〇〇の西方軍七〇〇〇。
 田中勝幸二〇〇〇、大塩佳通二〇〇〇、神前持豊二〇〇〇、江口久延二五〇〇の東方軍八五〇〇。
 計一万五五〇〇。
 これが龍鷹軍団主力軍の奇襲攻撃で壊滅した。
 後に龍鷹軍団が把握した銀杏軍団の損害は以下のようになる。
 西方軍七〇〇〇中、死者行方不明者二〇〇〇、捕虜三〇〇〇と、損耗率は約七割。
 東方軍八五〇〇中、死者行方不明者二五〇〇、捕虜一〇〇〇と、損耗率は約四割。
 総勢一万五五〇〇中、死者行方不明者四五〇〇、捕虜四〇〇〇と、損耗率は約五割五分と驚異的な数値である。
 一方、龍鷹軍団も鹿屋および絢瀬勢は大打撃を受けている。
 両軍合わせた一万中、死傷者三〇〇〇。
 銀杏軍団に比べればまだマシだが、損害は大きかった。
 龍鷹軍団本隊にほとんどダメージはなく、死傷者二〇〇名程度に収まっている。
 ただ、戦闘自体はまだ終結しておらず、戦いは高城川北岸へ移っていった。










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