「龍の一閃」/六
高城川の戦い、と後に称されることになるこの戦いは、開戦から二刻を過ぎても趨勢は決していなかった。 当初こそ銀杏軍団の猛攻で高城川南岸から楠瀬勢が駆逐されるなど、銀杏軍団有利に進む。 しかし、銀杏軍団主戦派の須藤勢、冬峯利春勢、小室勢が根白坂に籠る鹿屋勢を攻撃したことで、銀杏軍団右翼の進撃速度が低下した。 地の利を生かした山岳戦で大軍を迎え撃った鹿屋勢は攻勢に出られない代わりに守勢で戦線を支えている。 一方、右翼軍の善戦を見て攻撃を開始した左翼軍は、数に劣るも奮戦する絢瀬勢に怯みを見せていた。 数的有利を得た銀杏軍団が、一気に敵軍を押し潰すという主戦派の思惑が外れた形となっている。 戦略的見直しが必要になる中、それをなすはずの総大将・冬峯刈典が不在。 代役の梅津も統率しきれず、今、銀杏軍団は惰性で攻勢を続けていた。 それでも兵力差は如何ともしがたく、じわりじわりと龍鷹軍団を押し込んでいる。 趨勢の決定は時間の問題と言えた。 根白坂の戦いscene 「―――ハァァッ!!!!」 気合と共に手槍が一閃し、斜面を登ろうとしていた足軽が数人転げ落ちた。 「地の利を生かせ! 回り込まれそうになれば後退しろ!」 「「「はい!」」」 利孝の命に旗本たちが元気に答える。 予備戦力と言える彼らの投入で、これまで前線で戦っていた兵は後方で休息をとっていた。 白兵戦能力に優れた士分のおかげで、鹿屋勢は一時的に敵軍を押し返している。 (長くは続かないだろうけど・・・・ッ) 木の枝に手をかけ、一気に斜面を登ろうとした足軽の喉を槍で突く。 足軽は悲鳴すら上げられず、血の泡を吐きながら落ちていった。 「殿、冬峯勢が下がり、須藤勢が来ました!」 側近が言う通り、足軽が後退し、明らかに雰囲気の違う集団が駆け登ってくる。そして、その前にいるのは――― 「伏せろ!」 「「「―――っ!?」」」 細長い筒を持った兵が折り敷くなり、筒の先端から閃光が放たれた。 一瞬後に轟音が響き、空気を裂いた弾丸が木々に命中する。 「くっ」 藪の中での斉射である。 命中率は高くない。 それでも至近弾を受けた鹿屋勢は怯みを見せた。 『『『オオオオ!!!!』』』 その隙に須藤勢士分が距離を詰めてくる。 先程まで防衛線にしていた斜面を超え、やや平坦になった場所で白兵戦が展開された。 「なかなか、強いな!」 さっそく槍を突けられた利孝は、霊力を孕んだ穂先で敵を吹き飛ばしながら側近に言う。 「はい、さすがは岡城勢というところでしょうか」 側近も危なげなく最初のひとりを血祭りに上げていた。 「似たような地勢だからな」 鹿屋氏が支配する大隅国鹿屋地域は、肝属平野や笠野原台地が広がっている。しかし、その北西部に高隈山地が、南東部には肝属山地がそびえていた。 鹿屋氏の兵は平野部での訓練の他に山岳戦の訓練も行っていたため、今のような白兵戦に手馴れている。 一方、須藤氏の支配する豊後国竹田地域は、周辺にくじゅう連山、阿蘇山、祖母山、傾山などの山岳に囲まれた竹田盆地が中心である。 古くから対阿蘇戦線の最前線であり、山岳戦に秀でた兵を要していた。 「押し込め!」 「させるか!」 そこかしこで武術や霊術を駆使する士分同士の戦いが展開され、木漏れ日が支配していた戦場に別の煌めきが生まれる。 乱戦と言ってもいい中での霊術は同士討ちの可能性もある。 このため、威力や範囲を抑えた個人戦闘に限られたが、足軽同士の白兵戦では見られない高度の戦いだ。 (まずいか・・・・) 如何に山岳戦の訓練経験があるとはいえ、その道のエキスパートには分が悪い。 討ち死には少ないが、徐々に押し込まれつつあった。 「高隈か国見の士分を投入した方が良いのでは?」 側近が竹田と同じ地勢を持つ山岳戦の得手を呼ぼうと提案する。 彼らは鹿屋家家臣ではないが、与力として鹿屋勢に加わっていた。 「ダメだ。奴らでは数が少なすぎる」 また、兵を入れ替えている間に須藤勢に食い破られかねない。 「後方の足軽を戻せ。槍衾で叩き潰す」 「承知!」 側近が霊術で敵を吹き飛ばしながら道を作る。 話を聞いていた伝令兵がその道を通って後方へと走った。 だが、その行動が鹿屋勢の指揮系統がここにあることを敵に知らしてしまったようだ。 「鹿屋利孝殿と見た! "翼将"と名高き貴殿と槍合わせ願う!」 須藤勢の先手を率いる部将なのだろう。 立派な甲冑を着た士分が、立ちはだかろうとした馬廻衆を霊術の一撃で弾き飛ばした。 「・・・・承ろう」 今の一撃での死者はいないようだが、軽傷でもない。 攻撃を受けなかった馬廻衆が慌てて彼らを後方に下げていく。 「名は?」 「これは失礼」 漆黒の甲冑を着た青年が周囲を睥睨するように見回した後、己の名を告げた。 「豊後竹田、岡城が城主・須藤利輝」 「・・・・これは驚いた。まさか大将自らやってくるとは」 「それはこちらも同じだ」 両軍の余力はまだあり、本陣は後方に設置されている。 それなのに両軍の部将が出会ったのは、ふたりとも前線指揮官として最前線で采配を振るおうとしたからに他ならない。 「指揮はいいのか?」 利孝は前に出たものの積極的に大将首を狙ってはいない。 これは前線全体を見て、的確な指示を飛ばすためだ。 一方、須藤は指揮を放り出し、一騎駆けの武者の如く利孝の首を取りに来ていた。 「義兄殿にお願いしたからな」 「義兄・・・・冬峯利春殿か・・・・」 冬峯宗家の分家であり、日出城主。 彼の妹が須藤の正室であり、両名は銀杏軍団の武の象徴だった。 前聖炎国崩壊の後に阿蘇地方を占領したのは彼らの軍勢である。 「ここで貴殿を討ち取れば、根白坂は落ちたも同然。後は旋回して絢瀬勢の腹背を突けばいい」 須藤は霊力を宿らせた穂先を利孝に向けながら言った。 それは正論であり、利孝の狙いでもあった。 (かかった。・・・・が、思ったより大物だ・・・・) 利孝も同様に霊力を槍に送る。しかし、その背には冷や汗を滲ませていた。 (この男、強いぞ・・・・) 利孝の個人戦闘力は平均的な士分である。 一騎駆けを得意とする武勇の士を相手にするには役不足だった。 それでも前に出たのは、自身の身を持って敵の注意を引きつけるためである。 それは成功したのだが、須藤のような部将と戦うことは想定していなかった。 「いざ、勝負!」 「―――っ!?」 突き出された穂先に、ほとんど反射的に己の槍を叩きつける。 圧縮した霊力がぶつかり合った轟音が響き、その衝撃に両人がたたらを踏んだ。 「ほう、さすがは名門鹿屋家の当主。見事だ」 (いやいや、偶然偶然) 霊力の総量に関しては同等らしいが、やはり武術の技量が違いすぎる。 (だが・・・・) 霊力を込めた槍で、敵の槍を弾くという防御に徹すれば、すぐに首を取られることはなさそうだ。 もう少し耐えれば足軽たちがやってくる。 「・・・・・・・・・・・・ふぅ」 戦略を立てた利孝は大きく息をついて呼吸を落ち着けた。そして、再び霊力を槍に宿らせる。 (俺がここまでしているのだ。成功させろよ!) やけっぱちに心の中で叫び、利孝は須藤の穂先に全神経を集中させた。 寺島春久side 「―――ふぅ・・・・脱落者はいないな」 高城川の戦いが始まって、二刻半。 寺島春久率いる日向衆騎兵隊は高城川を越えて北岸に到達していた。 全兵が騎馬武者で構成されるこの部隊の移動速度は、当時にしては別格である。しかし、敵に気付かれないように速度を落とし、財部の渡を渡った後も大きく迂回したために時間を食っていた。 「戦況は?」 「変わっていない、とは思いますが、喊声がやや南方へ移動しています」 絢瀬晴政の側近の言葉に、春久は顔をしかめる。 彼の言ったことが事実なら、戦線が押し込まれることで移動しているのだ。 「ですが、その関係で敵東方軍の全てが渡河しています」 「それは好機だな」 春久の視線が放置された陣地の跡を捉える。 東方軍は田中勢、大塩勢、神前勢、江口勢の計八五〇〇だ。 この内、田中勢と大塩勢、神前勢が絢瀬勢を攻めたてており、虎熊軍団の江口勢は渡河した地点で待機していた。 「一気に敵陣地を打ち破る!」 春久が馬腹を蹴り、逆落としに敵陣地群東方から攻めかかる。 「て、敵襲! 敵襲ゥ!」 対岸へ攻め込んだとはいえ、非戦闘員などは陣地に残っている。 何より物資の大半がそこに放置されており、春久たちからすれば宝の山だった。 「焼き払え!」 炎系統の霊術を発動し、正面にあった幔幕に叩きつける。 着弾と共に爆発的に広がり、すぐに崩れ落ちた。 続く騎兵が放った炎が中に置いていた物資に引火する。 (手柄が立て放題だ!) わずかな守備兵の抵抗を蹂躙しながら春久は心の中で叫んだ。 (もしかしたら、忠流様に直訴する機会が得られるかもしれない・・・・ッ) 春久は内乱の勝利者である忠流に後ろめたいことがある。 それは内乱時に寺島家が貞流側に付いたことではない。 (姉上・・・・ッ) 春久の姉は、貞流陣営の重鎮――有坂秋賢の正室だった。 同じく重鎮だった相川貞秀と共に自刃している。 しかし、その後の両家は対照的だった。 相川家相続が許され、舜秀が当主となって大名の地位も守っている。 一方、有坂家は嫡男が幼少であったこと、その嫡男が行方不明になったことから領地没収・断絶を言い渡されていた。 (ここで手柄を立てれば・・・・ッ) 有坂秋賢が自刃する前に、有坂家の人間を春久がひそかに受け取り、匿っている。 その中には姉はもちろん、姉の子もいた。 事が露見すれば姉親子ともども寺島家は改易だろう。 訴え出るには目に見える手柄が必要だった。 春久はこの数年、ずっとこの機会を狙っていたのである。 「次の陣地へ行くぞ!」 一息にひとつの陣地を駆け抜けた春久は反転攻撃をしようとする者たちに叫んだ。 ひとつの陣地で上がった火の手は、南岸でも確認できているだろう。 その火の手が次々上がれば、混乱するに違いない。 「そこな若武者! 勝負!」 陣地の留守を任されていたわずかな兵が打って出てきた。 騎馬隊の突撃に立ちすくんでいては蹂躙されるだけと分かっているのだ。 その戦略判断は間違っていない。 だが、彼我の戦力が圧倒的過ぎた。 「邪魔だ!」 馬上槍を一閃し、騎馬武者の首を刎ね飛ばす。そして、翻した槍で敵従者を突き崩した。 続く臨時騎兵隊も彼らを一蹴し、ふたつ目の陣地を焼く。 「三つ目はこのように行きませんよ」 「分かっている」 副将の地位にいる晴政の側近の言葉に、春久は頷いた。 東方陣地の最東方とそのやや北西の陣地を落としている。 最東方は大塩勢、北西陣地は神前勢だった。 さらに西に広がる陣地は田中勢だろう。 江口勢の陣地は確認できないのは、山中に簡易な陣所があるだけなのだろう。 「部隊を二つに分ける」 「ふたつに? 戦力の分散は・・・・」 愚の骨頂だろう。 空き巣に近い状況だが、ここは敵陣地なのだ。 ただでさえ少ない兵を分けるのは得策ではない。しかし、それは平野の場合だ。 「陣所が集中しているここで騎馬が固まっていても効果は発揮できない」 「なるほど」 騎馬の突撃は細木で作った馬防柵や逆茂木で簡単に止まってしまうものだ。 障害物が多い陣地では騎兵隊は不利だ。 特に今、ふたつ目の陣地を潰したことで、突撃前に持っていた奇襲性と衝突力を失っていた。 「で、半分に分けるので?」 「いや、七〇騎と三〇騎だ。七〇はこのまま高城川の川岸へ進出する」 「敵に姿を見せるわけですね」 元々敵を動揺させるのが目的だ。 その行動はその目的に沿っていた。 「残り三〇騎はこのまま山中を行軍、田中陣地の背後から攻撃を仕掛ける」 「・・・・その勢いで七〇と合流するわけですね」 「その通り」 春久は頷き、山中に数騎の斥候を出す。 「その三〇を率いるのは・・・・」 「俺だ。あなたには別働隊を率いてほしい」 予想していたのか、側近は異論を唱えずに頷いた。 時間はない。 敵がこちらの正確な数を把握する前に動かなければならない。 部隊分けは素早かった。 元々、少数の班で行動していたのだ。 その班を指定するだけで、騎兵隊は本隊と支隊に分かれた。 尤も数だけで見れば、支隊こそが本隊だったのだが。 「殿、どうやって山中を?」 側近が率いる七〇騎を生き残った幔幕の中で眺めていた春久に、自身の家臣から声がかかった。 春久と同い年で準家老の地位にある青年だ。 「俺たちは下馬して隠密行軍する」 騎馬隊の長所は、その移動速度と衝突力である。しかし、行軍状態に置いて蹄が鳴らす音や馬の息は騒音となった。 隠密行動には向かないのだ。 しかし、下馬して馬を歩かせ、口元を持って誘導するならば意外なほど静かになる。 長所を丸潰しにすることになるが、攻撃開始地点で騎乗すればその長所は復活するのだ。 「別働隊に敵の目が向いたら移動を開始するぞ」 「はい」 すでに斥候は戻ってきており、江口勢の陣地は確認できなかったという報告をもらっていた。 さらに田中勢陣地北方までの道に敵兵はいない。 「絢瀬家の者、なかなかですな」 「ああ。羨ましい」 七〇騎はそのまま高城川北岸に進出するのではなく、田中勢陣地を攻めるように見せかけていた。 陣地からは盛んに鉄砲や弓矢で牽制されており、近づけていない。 一見攻めあぐんでいるようにみえ、完全に陣地の意識は七〇騎に向いていた。 「行くぞ」 「はい」 静かに三〇騎が動き出した。 この三〇騎は寺島勢と日向国那珂郡櫛間城、北諸県郡梶山城の騎馬武者で構成されている。 その櫛間および梶山は寺島家の与力だった。 指揮系統に問題はない。 よどみない動きで山中を移動した春久たちが田中勢陣地の後背に出た時、戦況はやや銀杏軍団側に傾いていた。 鹿屋勢を攻めていた須藤勢、冬峯利春勢の過半が根白坂の山中に消えている。 時々見える霊術の閃光も、随分山頂近くに達していた。 「絢瀬勢の方がもっと危ないな」 田中勢、大塩勢、神前勢の計六〇〇〇から半包囲されている。 死傷者も多いのか、戦っている兵数も随分少なくなったように見られた。 「ただ、陣地を攻撃した意味もあったみたいだ」 敵軍が北岸を気にしているのが、遠目でも分かる。 「もっと動揺させてやる。―――騎乗!」 春久以下三〇騎が一斉に馬に乗った。そして、馬腹を蹴る。 「突撃!」 長所である移動速度と衝突力を取り戻した騎兵隊は、付かず離れずを繰り返す七〇騎に気を取られていた田中勢陣地の背後から襲い掛かった。 奇襲を受けた陣地はものの数分で陥落。 寺島勢が北岸東方陣地を攻撃し始めてから四半刻、東方陣地は壊滅、炎上する。 大量の物資が焼かれ、その煙を背に受けた銀杏軍団東方軍の兵たちは動揺していた。しかし、絢瀬勢を攻める三将は攻撃を優先する。 騎兵隊による迂回作戦は成功。 だが、東方軍を撤退させるだけの効力は発揮できなかった。 東方陣地群に放った火から発生する煙は高く高く立ち上っている。 この煙は戦場から離れた場所でも良く見えた。 ―――まるで、狼煙のように。 「―――東方で煙! 高城方面です!」 目ざとく煙を発見した兵が走り込んできた。 周囲の兵たちがその指差された方向を見遣る。 確かにそこには数条の細い煙が立ち上っている。 「高城、ですか?」 まだ少年とも言える武将が輿に乗る祖父に聞いた。 「分からん。だが、落城したのならばもう少し大きく、黒い煙になるだろう」 「となれば、戦で発生した煙・・・・火事ですか?」 「十中八九な」 祖父が指揮棒を振って止まっていた行軍を再開させる。 戦場に近いことが分かった兵たちが徐々に緊張していく中、少年は後ろを振り返った。 自分たちが指揮する以外の部隊も続くその向こう――本陣が進んでいるであろうその場所を。 そこにいる同い年の少年も空を見上げているだろう。 (一撃で屠ってやりましょう) 彼らが戴く軍旗に誓った。 その思いに応えるように強い風が吹く。 その風に煽られた紺地の布に描かれていたのは、黄金色の龍だった。 |