「龍の一閃」/五



「―――空が青いなぁ・・・・」

 鵬雲五年四月十三日の昼前、鷹郷忠流は馬に揺られながら空を見上げていた。

「そんな・・・・っとと。空を見上げている落ちるぅよ?」
「・・・・前を見てても馬から落ちそうな奴に言われてもなぁ」
「そうじゃ。諦めて輿に乗ればよかろうに」
「・・・・それもどうかと思うんだけどなぁ」

 "霧島の巫女"・紗姫と皇族・桐凰昶にツッコミを入れる。
 紗姫はおっかなびっくりと気性の大人しい馬に揺られ、昶は御簾付きの輿に乗っていた。
 紗姫の落下防止要員の衛士と昶の輿要員が街道の道幅に広がり、その隣で駒を進める忠流がまるで護衛の武士のようである。

(本当は俺が主役なのに・・・・)

 と思わないでもないが、ド派手な輿の前に何を言っても説得力はない。

「でも、私が言うのもなんですけど・・・・こんなにゆっくりでいいの?」

 のろのろと進む紗姫とペースを合わせているということは、忠流が率いる部隊も同様の速度と言うことだ。

「あー、まー、なー」
「棒読みじゃのう。もうちょっと隠そうとしろぃ」
「もう必要ないから」

 昶は忠流の策略に気付いているのか、やや笑みを滲ませながら言った。


「―――申し上げます」


 忠流の言葉を裏付けるように、木々を揺らして黒装束の人影が忠流の前に降りた。
 すかさず槍を向ける近衛たちを手で制し、忠流は直答を許す。

「銀杏軍団、高城川を超えて根白坂へと進軍。途中で鹿屋ならび絢瀬勢と槍交ぜ中」
「部隊の詳細は?」
「南岸にあるのは小室真茂、冬峯利春、須藤利輝、田中勝幸、大塩佳通、神前持豊、江口久延。高城前、桐原川と高城川の間に布陣するは冬峯刈胤、北岸に残るのは梅津正典」
「ふむふむ」

 忠流は名前を聞きながら頷く。
 近くに側近とされる幸盛がおらず、全ての報告を忠流が理解するしかない。

「郁さん、誰か分かりますか?」
「いいえ、さっぱり」

 何せ近衛大将の娘である加納郁がこの調子である。
 質問した紗姫も少し呆れていた。

「伝令!」
「「「うっす」」」

 ひょっこり現れた伝令兵にいくつか伝え、忠流は馬のペースを上げる。

「あ、ちょっと!? わきゃああああ!?」

 慌ててついていこうとして落馬しかけた紗姫を郁が腕一本で持ち上げた。

「はい」

 そして、そのまま忠流の後ろに乗せる。

「おい」
「ふぎゅ~」

 落馬しかけたのが怖かったのか、必死にしがみつく紗姫を見下ろし、忠流は半眼で郁を見た。

「急ぐんでしょう」

 素知らぬ顔でそっぽ向いた彼女にため息をつき、予定通り速度を上げる。

「ふむ、それなかなかいいな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 御簾の向こうから聞こえた言葉を、忠流は全力で無視した。






高城川の戦い―前期

「―――撃てぇ!」

 高城川の戦いが始まって一刻。
 根白坂攻防戦はともかく、戦場東側の戦況は銀杏軍団に傾いていた。しかし、絢瀬勢は急造の柵で敵軍を何とか押しとどめ、いくつかの柵が崩壊しつつも戦線を支えていた。

「もう鉄砲の限界が近い・・・・」

 前線で戦う日向衆の一人――寺島春久は、鉄砲組頭のしかめっ面を見て呟いた。

「騎馬隊騎乗!」
「「「おう!」」」

 春久の声に二〇人程度の兵が応じる。
 もちろん、春久自身も騎乗し、その眼で敵軍の切れ目を探す。
 元々飫肥城勢は騎馬隊に重点を置いていた。
 その神髄は迂回攻撃や騎馬突撃だと思っている春久の目は、容易に敵の裂け目を発見する。
 そもそも相手にしている田中勢はその隣の大塩勢と連携しておらず、両者の間には埋めようもない間隙が空いていたのだった。

「突撃!」

 本陣からその間隙に進撃した春久は、そこから敵の横っ面に突撃する。
 横合いから自動車に匹敵する威力を持った騎馬隊に攻撃された田中勢が大きく動揺し、足軽たちの戦意が失せた。
 ここで気を持ち直させるのが武士であり、それゆえに武士をもっとも見つけやすい瞬間でもある。

「士分を討ち取れ!」

 自身も見つけた士分に槍をつけながら指示を出した。
 相手の士分は経験が不足しているのか、春久の相手をするので精一杯。
 結果、麾下の足軽は統制を失い、士分を助けるどころではなくなる。
 退路が断たれたと悟って動きが鈍った敵を討ち取り、春久は周囲を見遣った。
 近くでは騎馬隊の突入で戦況が一変したが、田中勢の本陣から新たに部隊が派遣されてきている。

(戦果を拡大したいが、あれと正面からぶつかるわけにはいかないか・・・・)

 歩兵の密集陣形は、騎馬隊の天敵である。

「撤収!」
「撤収だぁ!」

 春久の言葉に、戦っていた騎兵が次々と応じ、馬首を返してついてきた。
 見た限り、誰も欠けていない。
 そのまま騎馬隊は戦場を迂回。
 再集結した後に元の位置に帰還した。
 その間に敵の騎馬隊による襲撃はもちろん、寺島騎馬隊用に編成された追撃部隊の攻撃を受けていない。
 未だ指揮系統が混乱しているのだろう。

「どうやら銀杏軍団はそう強くないようだな」

 春久は具足内に溜まった熱を、具足を緩めることで排出する。

「でしょうね。兵力に勝るというのに、押し切れない」

 水筒から水を飲んでいると、側近が傍に寄ってきて言った。

「神前勢が一番強いですよ」

 そのまま側近は手拭いを渡してくる。
 それを受け取って汗を拭った春久は、霊術の煌めきが瞬く東側を見遣った。
 そこでは神前勢と絢瀬勢が激闘を繰り広げている。
 神前勢としては、都農合戦で戦力を削がれた恨みがあり、絢瀬勢も神前勢を仮想敵にしてきた。
 この東側において最も苛烈に干戈交えている。

「こちらの敵はやや腰が引けているようだけど?」
「こちらが崩れたと見て寄せてきた敵です。頑強に抵抗され、怯んでいるのではないでしょうか」
「なるほど」

 簡単に勝てると思ったら意外としぶとかった。
 それに驚いているというのだ。

(なら、態勢を立て直してくると・・・・辛くなるな)

 今こそ互角に戦っているが、彼らが腰を据えてきた場合、兵力差は歴然。
 日向衆はすりつぶされてしまうに違いない。

「しっかし、こういうのはすぐに立て直されるものなんじゃないのか?」
「そうだと思いますけどね。・・・・総大将は何をやっているのでしょうか」

 春久は側近とふたりで首をひねった。
 春久の合戦経験には、駒のひとりとして参加した会戦がある。しかし、今回のように会戦で一手を率いたことがなかった。
 一手を率いる将として飛躍的に向上した戦場視界には、銀杏軍団が陥っている隙がよく見える。
 だがしかし、その理由までは分からなかった。
 この辺りに気付く才覚は見事だが、圧倒的に経験が足りない。

「とりあえず、『士気が低く、連携に欠ける』と本陣に報告しておくか」
「そうですね」

 側近が頷き、伝令兵を呼んだ。そして、この伝令兵は敵に邪魔されることなく、日向衆本陣へと到着する。
 この時、晴政の下には同様の報告が届いていたのだった。




「―――『士気が低く、連携に欠ける』か・・・・」

 晴政はもたらされた報告を前に、虚空を見上げていた。
 昼に近づくにつれて霧が晴れ、蒼穹が広がり出している。
 そんな空に映った主君の顔は顔面蒼白だった。

(いや、青空を背景にしているから蒼白。・・・・・・・・いや、あながち、蒼白でも間違いはないか・・・・)

 病弱な主君が頭の中でツッコミを入れたが、晴政は無視する。

「戦場から離れても戦場を支配する、か・・・・」
「は?」

 呟いた言葉に側近が反応するが、晴政は首を振って何でもないと伝えた。

「お前はこの報告、どう思う?」
「至極まっとうな観察結果かと」
「だよなぁ。まあ、仕方がないだろう」
「なぜでしょう?」

 側近が首をひねる。
 敵の現状は理解できても、その原因までは考えがいたらぬようだ。

「俺たちが相手している戦力はおそらく積極的主戦派ではない」

 積極的主戦派は冬峯利春と須藤だろう。

「敵右翼の抜け駆けを見て、勝ち馬に乗りたい奴が前に出てきた」

 だというのに日向衆は硬く、なかなか抜けない。
 その事実に将兵が戸惑っているのだ。

「つまり、耐えていれば敵が自壊すると?」
「自壊する前にこちらが圧潰すると思うが」

 晴政のため息交じりの言葉に、側近は言葉を失った。

「戦は数、そう思いたくないものだけどな」

 敵の勢いは言うほどでもない。
 しかし、圧倒的兵数差は存在するのだ。
 このままでは敵の心が折れる前にこちらが壊滅する。

「何かいい手はないか?」
「そんなこと言われましても・・・・」

 主君の無茶ぶりに、側近が困った顔をした。

(まあ、その気持ちは分かる)

 元々絢瀬家は小戦が得意である。
 小戦とは山野を駆け、藪や林を利用した神出鬼没な奇襲戦術である。
 側近は小林城時代からの譜代で、現家老の嫡男だ。
 小さい頃からこういう戦を教えられてきていた。だがしかし、現代で言うゲリラ戦とも言えるそれは、このような大戦には何の役にも立たない。

「そうは言っても、俺たちはもう小身じゃないんだからな」

 日向衆頭目・絢瀬家。
 表石は二万七〇〇〇石程度だが、民部大輔の給金や与力の石高を合わせれば実石は九万石近い。
 実石一〇〇万石以上という龍鷹侯国において、晴政の権限でその一割を動かすことができるのだ。
 そんな大身大名が大戦の指揮ができないなど、成り上がりを自覚する晴政からすれば致命的だった。

「何より、本当の大身に負けたくないだろう?」
「―――っ!?」

 笑み混じりの挑発に、側近の目がはっきりと厳しくなる。
 その視線が一瞬西に向かい、すぐに晴政に返ってきた。

「提案があります」

(おお、すごい)

 効果覿面とはこのことだろうか。

「聞こう」

 わざわざ大仰に頷き、本陣に設置された床几に腰かける。

「各部隊から騎馬武者を召集。戦場の東を迂回して敵後方へ出ます」
「うむうむ」
「その後、敵軍背後を襲って、敵の注意を後方にも向けるのです」
「・・・・裏崩れを狙うのか?」

 裏崩れとは、前線で戦う兵士が後方の脅威に耐え切れなくなって潰走する現象だ。

「裏崩れまでは起こせないでしょうが、気を散らせることができるでしょう」

 つまり、後ろが気になるから前に集中できない、ということだ。

「時間は稼げるな」
「・・・・その程度ですが・・・・」

 側近が己の作戦の小ささに、肩を落とす。

「いや、素晴らしい」
「え?」

 側近が最初に言った「各部隊から騎馬武者を召集」は画期的だった。
 これはこの時代の日本にはない、「騎兵隊」の概念なのである。
 戦国日本における騎馬武者は兵種ではなく、ただの地位だった。
 士分階級にある者の一部が馬に乗ることを許されている。
 それらの突撃を「騎馬突撃」と言うが、彼らの徒士従者も同行するため、純粋な意味での騎馬突撃ではない。

「問題は誰がその部隊を率いるかだ。・・・・お前、できるか?」
「・・・・自信がありません」

 この部隊を統率するのにはふたつの能力が必要だ。
 ひとつ目はもちろん統率力。
 本来バラバラの騎馬武者を統一運用する才能が求められる。

「ですが、指揮官に心当たりがあります」

 もうひとつは、地位。
 誇り高い騎馬武者を従わすことができる絶対的な地位が必要だ。

「飫肥城城主・寺島春久殿です」
「・・・・なるほど」

 先も自身で騎馬突撃し、冷静に引き際を確認して見せた手腕は、この作戦を任せるのに足るだろう。

「お前は寺島殿の下へ走って説得してこい。俺は各部隊に伝令を出す」
「はっ」

 側近は修正なしに己の献策が採用された喜びと、それを実行するのが自分でない悔しさが混ざった顔で立ち上がった。

「ああ、それと、お前はその部隊の副将として参加しろ」
「・・・・は?」
「寺島殿の指揮を間近で見て、それを吸収しろ」

 晴政は立ち上がって側近の傍を通り抜ける。
 その際に、彼の肩をポンッと叩いた。

「今度はお前自身が率いるために、な」

 そのまま側近と顔を合わせることなく、晴政は幔幕から外に出た。

「伝令兵!」
「「「ここに!」」」

 晴政の声に若武者が駆けてくる。
 今回が初陣の者もいるが、全員が最精鋭である伝令兵としての使命感に満ちた表情だった。

「各部隊に次の内容を伝えろ」

 伝令兵に言伝を頼む晴政の視界に、己の馬を駆る側近の姿が入る。
 その表情はやる気に満ちた晴れ晴れとしたものだった。


 寺島春久は絢瀬勢の提案を快諾。
 四半刻の後には絢瀬勢後方に約一〇〇騎が集結した。
 これは日向衆の騎馬武者全てではない。
 各部隊を維持するだけの戦力は今も尚部隊に残っていた。
 寺島勢は副将が指揮を採っている。
 何はともあれ、日向衆による臨時騎兵隊が誕生した。




「―――しかし、思い切った作戦だなぁ」
「す、すみません」

 思わず春久が呟いた言葉に、絢瀬家の部将が恐縮してしまった。

「ああ、違いますよ、責めているわけではありません」
「というと?」
「俺はどちらかと言うとその場で思いついた戦い方をして、ここまで大きな作戦は思いつかない」

 春久は騎馬武者が欠けても歩兵だけでどうにか耐え忍んでいる絢瀬勢を見遣る。

「さすが絢瀬家。急に大きくなるだけはある」

 元々の地力がなければここまで成長しないだろう。
 絢瀬親子の実力もそうだが、それを支える家臣団も層が厚いのだろう。

(羨ましい限りだ)

 寺島家は内乱で貞流派についた。
 春久の姉が貞流派の重鎮・有坂氏に嫁いでいたからだ。
 その後、日向国宮崎に流れ着いた藤丸勢と戦った。
 野戦に打って出た父率いる寺島勢は討伐軍の前に壊滅。
 多くの部将が鉛玉に沈んだ。

(今も部隊を維持しているのは忠流様のおかげだけど)

 戦後の中間指揮官不足を解消するために開かれた兵部省士官学校。
 ここに多くの部下を送り出した寺島家は内乱終結一年でどうにか持ち直したのだ。

「再編完了!」
「おし、行くぞ!」

 全ての騎馬武者の編制が終了した臨時騎兵隊はそのまま絢瀬勢の背後の森の中へと消えた。
 そのまま林野を東方へ駆け、切原川と合流した高城川を渡河。
 一気に敵の後方へ出るのだ。



 この動きを把握できた者は銀杏軍団の中にはいなかった。
 軍団の主力が平地に出ている中、たった一〇〇騎程度の動きに感づけるものではない。
 ならば、誰か気付いたのか。



「―――なるほど。面白い手に出る」

 根白坂の山頂で戦場を俯瞰していた鹿屋利孝は視界の端で動き出した騎兵隊を見て呟いた。

「騎馬だけでどうするつもりでしょうか」

 同じく気づいた側近が首をひねる。

「我々の十八番、だろうな」
「は?」
「見ていれば分かる」

 そう言って利孝は地面に突き刺していた手槍を引き抜いた。そして、一振りして手ごたえを確かめる。

「? 殿、いきなり何を―――」
「そのためには派手に暴れてやらねばな!」
「殿!?」

 利孝はそのまま山野戦が交わされる前線へと駆け下りていった。










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