「龍の一閃」/四
「―――音をできる限り立てるなよ」 鵬雲五年四月十三日、早朝。 昨夜の雨の影響で朝靄が出る中、大隅衆から選抜された中物見が進んでいた。 馬乗りの士分が五名、手槍を構えた足軽二〇名で構成された彼らは、交戦権も付与された威力偵察部隊である。 「敵さんも高城へ朝駆けはしなかったようですな」 部隊長に気軽に話しかけた武将が目を凝らしながら言った。 高城周辺は静まり返っており、銀杏軍団から立ち上る炊煙が空をたゆたっている。 「昨日で懲りたんだろうよ」 「戦死者はともかく、負傷者は多く出たようですからね」 「香月氏も存亡の危機だから必死だろう」 死にものぐるいの兵ほど強いものはない。 「だからこそ、俺たちの増援は戦の潮目を変える」 「そうです―――っ!? 前方に影!?」 朝靄の向こうに蠢く影に気づいた中物見が臨戦態勢に入った。だが、すぐに彼らに動揺が走る。 「も、物見ではないのか・・・・?」 増え続ける影は目視だけで一〇〇を超えた。 「これは・・・・」 馬の手綱を握る力が強くなる。 部隊長は人影が自分たちと同じ物見だと思っていた。 「まさか、敵主力部隊・・・・?」 その問いに敵軍は鯨波の声で答える。 鵬雲五年四月十三日、後に"高城川の戦い"と呼ばれる、龍鷹軍団と銀杏軍団の決戦が勃発した。 高城川の戦い-緒戦scene 「―――なんだと!?」 銀杏軍団本陣――梅津の下に須藤勢の突撃が知らされたのは、開戦まもなくだった。 「現在、須藤勢二〇〇〇は楠瀬勢を攻撃中。利春様四〇〇〇も後詰めせんと動かれております」 「あの者たちめ・・・・ッ」 昨夜の主戦派が独断専行で戦端を開いたのだ。 「戦況は?」 「楠瀬勢の前に出ていた敵中物見を撃破。敵中物見残存兵は楠瀬勢のただ中へと逃げ込み、これが混乱を呼んでいます」 「つまり、戦況は有利なのだな?」 「はい」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 梅津は腕組みし、考え込む。 (戦況は有利となれば・・・・・・・・・・・・) ―――ドォォォォォォォォン!!!!!!!! 「今度は何だ!?」 「も、申し上げます! 楠瀬勢にて爆発。おそらく火薬に引火したものと思われます」 「何ぃっ!?」 幔幕を跳ね上げ、外に出た梅津が見たのは、数尺にも及ぶ火柱を上げる楠瀬勢陣地だった。そして、敵軍は明らかに動揺している。 「これは・・・・いけるのか・・・・?」 そう思ったのは梅津だけではなかった。 「あれは!?」 はっきりと利春勢が須藤勢に続き、右翼軍の中でも右翼を務めていた小室勢も動き出す。 総勢七〇〇〇が高城川を渡河して楠瀬勢一二〇〇を攻撃していた。 楠瀬勢は混乱し、根白坂の麓まで追い込まれている。 右翼の戦況は根白坂の鹿屋勢次第だが、楠瀬勢が壊滅状態に陥るのは時間の問題と見えた。 「絢瀬本陣に動きあり。部隊の一部が動く模様です!」 「楠瀬勢の増援に向かうのか・・・・」 (となると、鹿屋は動かないのか?) 鹿屋家が居座る根白坂は戦略的要地であり、戦術的にも重要な場所だ。しかし、根白坂が戦術的効果を発揮するのは防衛戦である。 「おそらく絢瀬の増援は楠瀬勢を右翼に吸収するためのものだろう」 「そこまで仲が悪いんですか」 (仲、というより鹿屋の判断は戦術的だと思うが) ただ苦戦する味方に少数の増援や陣地への引き入れを行わない辺り、戦術的以外の要素も含んでいるかもしれない。 「報告します!」 梅津が沈黙する中、新たな伝令がやってきた。 「刈胤様、高城表へ進出するとのことです」 高城の正面は利春勢が進軍して空白地となっている。 今、香月勢が打って出た場合に銀杏軍団右翼は敵中に孤立する可能性があった。 それを阻止するために前に出るというのだ。 (状況の予想はできている。しかし・・・・) 銀杏国次期当主が前に出る。 それは須藤・利春の行いが正当化されたと言うことだ。 (刈胤様、他の部隊も前に出ますぞ・・・・) 「報告! 左翼田中勢、大塩勢、神前勢が渡河を開始しました」 絢瀬勢が急な陣替えで足並みが揃っていないと思っていた諸勢が、刈胤勢の動きを見て動き出したのだ。 三勢併せて七五〇〇がそれぞれの円居ごとに渡河、絢瀬勢へと襲い掛かる。 これに対し、元々備えていた絢瀬勢は遠距離戦による対応を開始した。しかし、白兵戦力の一部は楠瀬勢援軍に向かっている。 遠距離戦から白兵戦へ移行した場合、絢瀬勢の苦戦は免れないだろう。 (戦術的に間違っていないから今撤退命令を出すことはできない・・・・ッ) すでに攻撃している部隊が撤退命令を出されれば、混乱が生まれる。そして、白兵戦に優れると噂される日向衆にその混乱を突かれると小さからぬ損害が生まれるだろう。 覆水盆に返らず、とはこのことだろうか。 始まった会戦の主導権は、開始早々から銀杏軍団大将の手から離れたのだった。 「―――撃てぇ!」 絢瀬勢から出撃した救援部隊を指揮する部将は、須藤勢横面に展開した。そして、間髪入れずに銃弾を叩き込んだ。 「突撃!」 さらに一斉射撃は一斉射のみで自ら槍を取って敵に肉薄する。 その勢いはすさまじく、かつて龍鷹軍団で有名を馳せた有坂家の物頭らしい戦い方だった。 「楠瀬殿をお救いするのだ!」 南郷繁満は剛槍とも言える槍捌きで敵将のひとりを叩き潰し、大声で下知する。 その分かりやすい命令に兵は応え、横からの攻撃になかなか反転できない敵長槍足軽を蹴散らしていた。 現代のように簡単に方向転換できる散兵戦術ではなく、密集陣形を組んでいる戦国の軍勢は展開正面以外からの攻撃に弱い。 また、密集しているために長槍は使いにくく、懐に入られればそれを手放して刀を抜くしかない。 だが、足軽はほとんど長槍の訓練しか受けていないため、自衛用に渡されている刀をうまく使うことができない。 結果、手槍や刀を装備した少数の乱入部隊に追い立てられることとなっていた。そして、それが前線で戦果拡大のために戦っていた須藤武者衆に突入し、両者は混乱することとなる。 「楠瀬殿、ご無事か!?」 その混乱をつき、南郷自ら楠瀬勢本陣に到着した。 本陣と言っても、彼自身が槍を振るっていたので、合流したに等しい。 「南郷殿!? ・・・・さすが武門の有坂にその人ありと言われただけはあるな」 「お褒め頂きありがとうございます。さすれば、即刻右翼へ退きましょう」 南郷の言葉に楠瀬は眉をひそめた。 「ここを退くと、敵は根白坂に殺到するぞ?」 根白坂が奪われれば、龍鷹軍団の退路が断たれることとなり、絢瀬勢も壊滅する可能性があった。 「鹿屋殿ならば大丈夫でしょう」 「だが・・・・」 「攻め込んできているのは七〇〇〇。鹿屋勢は地の利を得た四〇〇〇。負けはしません」 特に鹿屋家は内乱以降、積極的に外征に参加してきた。 どこでも堅実な戦果を残している。 「むしろ、壊滅した楠瀬勢が根白坂の防衛線に飛び込む方が混乱するでしょう」 「・・・・なるほどな。それに我らが鹿屋を守る道理はない、な!」 突きかかってきた足軽の首を刎ね飛ばし、楠瀬は周囲を見回した。 楠瀬勢が小さくまとまったおかげで、防衛正面が縮小されている。 このため、敵攻撃正面が小さくなり、七〇〇〇の兵がだぶついていた。 「全軍、続け!」 「「「オオォッ!!!」」」 敵軍の状況を一瞬で把握した楠瀬は、敵軍の裂け目に突撃する。 というより、その方面は南郷勢が崩してきた場所なのだ。 「南郷殿、このまま絢瀬殿を攻めている敵勢に突撃せんか?」 槍の穂先から火の玉を飛ばしながら楠瀬が豪気に笑う。 「いえ、戦闘離脱後、我々は南街道の確保に向かえと指示を受けております」 「・・・・・・・・・・・・退路の確保と後備ということか」 そうこうしている内に龍鷹軍団は敵軍を突破。 そのまま進路を南に向け、戦闘離脱した。 当然追手がかかるのだが、その足を止める轟音が根白坂に響き渡る。 「鹿屋、か・・・・」 安全地帯に脱出して振り返った楠瀬が見たのは、木々の合間から立ち上る硝煙だった。 木々に隠れて近づいていた鹿屋勢は、楠瀬勢が戦闘離脱すると共に敵軍に弾丸を叩き込む。 追撃のためにまた横を向いていた敵軍はバタバタと倒れた。 突然の攻撃と追いかけるまでもなく、目の前に現れた新手に銀杏軍団は食いついた。 特に楠瀬勢攻撃の機会が与えられなかった小室勢は猛然と根白坂へと駆け登る。 鹿屋勢の鉄砲隊も陣地まで戻るために退却し、短い間だが、山中で追いかけっこが生じた。 この度重なる攻撃目標の変更で銀杏軍団の追撃が緩んだ隙に、楠瀬勢は無事に戦闘を離脱する。しかし、混乱で喪った兵は多く、ざっと見た限り八〇〇程度まで減じていた。 開戦当初は一二〇〇を超えた楠瀬勢はわずか半刻で三割強の損害を被ったのである。 緒戦の勝ちは誰がどう考えても銀杏軍団だった。 「減ったな」 「ですが、逃散しただけで、実際の損失は小さいと思えますぞ」 圧力に耐え切れずに山中に逃げ込んだものも多いだろう。 「・・・・まあ、八〇〇でもやりようはある」 楠瀬自身、一〇〇〇を超える兵を指揮したのは初めてだったのだ。 拙いところはやむを得ないだろう。 「編成を整えろ! きっとすぐにお呼びがかかるはずだ!」 楠瀬の言葉に部将たちが点呼を始める。 その様を見て、南郷はゆっくり自分の部隊へ向かい始めた。 そこでは同じように再編成している部下の姿がある。 「南郷殿もここで待機か?」 「いえ、我々は急ぎ殿の下へ戻ります。戻り方は一任されていますが」 「・・・・・・・・・・・・絢瀬殿は若いのに仕え甲斐があるお方のようですな」 現場指揮官に一定の裁量を与える。 それは放任とは違い、信頼と言う。 「楠瀬殿の主君は違うのですか?」 「・・・・・・・・・・・・そんなことはないか」 楠瀬正成の主君は、龍鷹侯国候王・鷹郷侍従忠流。 この国の最高峰にて内乱時代から仕える少年だ。 「なら、どちらも主君のために槍働きをするとするか!」 「その意気ですな」 士気の上がった楠瀬に笑いかけ、南郷はその手に持った槍で素振りする。 「では、一足先に行って参ります」 そのまま馬腹を蹴り、大声で部下に声をかけた。 それに応じた南郷勢が走り出し、一気に敵へ肉薄、防御の薄いところに突撃する。 霊術が煌めき、敵兵が宙を舞う中、南郷は有坂家時代と同じように笑っていた。 そんな光景を、特等席から眺める者たちがいた。 「―――あや~、負けていますね」 高城の物見櫓で戦況を眺めていた高知妻は呟いた。 隣にいる夫――高知はさすがに動揺していないが、眼下の兵たちにやや怯えが見える。 (無理もないかな) 激戦の最中に来た援軍が劣勢なのだ。 それに高城の前面には二〇〇〇の兵が展開している。 馬印を確認すると、何と銀杏軍団の御曹司らしい。 「あの目の前の軍勢に突撃をかければ、首の後ろが寒くなった敵さん右翼は怯みませんか?」 「首の後ろを寒くする前に俺たちの首がなくなるだろうな」 「そですか・・・・」 冷静な夫の返しにやや気落ちする。 兄のような軍事的才覚はないらしい。 「いい手だけど、香月の軍勢じゃ無理だ」 「・・・・香月以外ならできます?」 「香月勢の十倍以上の兵がいれば、な」 「・・・・・・・・・・・・目の前の援軍級の戦力が必要?」 「そういうこと」 「なるほど」 道理で打って出ようと城門前に集まっていた部隊が気落ちしているわけだ。 出撃できない以上、高城川南岸で行われている野戦を観察する他にない。 (目の前の御曹司、それが分かってて前進してきたの) 御曹司ゆえの物見遊山ではなかったらしい。 「兄が心配か?」 「ええ。指揮に失敗して無為に兵を死なせないかどうか」 「・・・・・・・・・・・・それだけか?」 「?」 夫の口元が引き攣っている理由が分からない。 夫は周囲を見渡した後、腰をかがめてこちらの耳元に口を寄せた。 「絢瀬勢が壊滅し、晴政様が討ち死にする可能性は考えていないのか?」 「・・・・ふふ」 「え?」 夫の懸念に思い当たり、彼女は口元を隠して上品に笑って見せる。 その様に夫はもっと困惑したようだ。 「兄上は死にそうになれば逃げる人です。・・・・それに」 「それに?」 「あの方が黙っていませんからね」 「あの方?」 夫が首を傾げるが、すぐにその視線は戦場東側に動いた。 「あれは・・・・ッ」 「―――申し上げます!」 高知が気付くと同時に物見櫓下で兵が片膝をつく。 「虎熊軍団二五〇〇、南岸へ向けて移動を開始しました!」 絢瀬勢の後退において、南岸にスペースができた。 間隙を突かれないために虎熊軍団が前に出たのだろう。 その虎熊軍団の後ろを守るために銀杏軍団本陣から一部の兵が回されるはずだ。 銀杏軍団は両手を大きく前に突き出したような形となる。しかし、元々戦力差があるため、これを突くことは龍鷹軍団にはできない。 戦況は着実に銀杏軍団優位に移行しつつあった。 須藤勢の抜け駆けで始まった、後世で「高城川の戦い」と呼ばれる会戦は楠瀬勢の戦闘離脱で緒戦を終えた。 須藤勢、利春勢、小室勢の計七〇〇〇に襲われた楠瀬勢一二〇〇は南郷勢二〇〇の加勢もあり、四〇〇の兵を失って高城川南岸から脱出する。 この結果、戦場西側での主戦場は根白坂攻防戦へと移り、銀杏軍団右翼軍七〇〇〇と鹿屋勢四〇〇〇がぶつかることとなった。 鹿屋勢は根白坂の地勢を生かした防衛戦術を駆使しているため、三〇〇〇程度の兵力差は吸収される可能性がある。 故に会戦は戦場東側の結果が勝敗に繋がる可能性があった。 戦場東側では刈胤勢の前進を受け、総攻撃だと判断した田中勢、大塩勢、神前勢の計七五〇〇が絢瀬勢四八〇〇に襲い掛かっている。 絢瀬勢は二〇〇を増援に出したため、当初は四六〇〇で迎撃した。 平野で迎撃したためジリジリと後退しているが、各人の奮闘と銀杏軍団の連携不足からどうにか持ちこたえている。 これが開戦一刻の戦況だった。 |