「龍の一閃」/三



 鵬雲五年四月十二日、日向国児湯郡高城川。
 この地に築かれた高城を巡り、銀杏軍団主力軍二万三〇〇〇と龍鷹軍団日向衆・大隅衆連合軍一万が向かい合っていた。
 兵力差は一万三〇〇〇。
 野戦を行うには厳しい兵力差である。だがしかし、高城には未だ香月勢が健在だった。
 銀杏軍団は戦力の全てを野戦に振り分けるわけにはいかない。
 それでも銀杏軍団が圧倒的優位であることは変わらなかった。






銀杏軍団scene

「――― 一気に押し潰すべきだ!」

 鵬雲五年四月十二日夕刻、銀杏軍団本陣。
 ここで、銀杏軍団はふたつに割れていた。
 高城川対岸の龍鷹軍団増援に攻撃を仕掛けるか否かである。

「敵は一万。それも二翼に分かれた烏合の衆だ」

 主戦派・冬峯利春は力強い声音で告げた。

「後詰軍が粉砕されれば、高城も意気消沈して降伏するに違いない」

 そうだそうだ、と主戦派が同意する。
 本日も総攻撃をかけたが、戦意が回復した高城は頑強に粘り、いたずらに犠牲者を出しただけだった。

「敵がこちらの総攻撃に応じて後詰してこなかったのは、敵主力軍を待っているからに違いない」

 普通に考えて二万六〇〇〇いる銀杏軍団を押し返すのに一万で挑んでくるわけがない。
 今回の大隅衆、日向衆は後詰先鋒であろう。

「今ならば、敵を砕くのもそう難しくはない」

 銀杏軍団は高鍋城に送り込んだ諜報部隊から情報を得ていた。
 龍鷹軍団の大隅衆と日向衆で亀裂が広がっている。
 数的主力と日向衆頭目の絢瀬晴政、彼の上役である鹿屋利孝の間の確執だ。
 家柄、役職、兵力。
 その全てがいがみ合ってくれとでも言っているようなものだった。
 原因が原因だけあって理解しやすい。

「敵は戦力の逐次投入を犯しているのだ。今叩かんといつ叩く!」

 利春の大声に主戦派は意気を上げた。

「落ち着かれよ、利春殿」

 保守派・梅津正典は掌で立ち上がっていた利春を座らせる。

「そもそも今回の遠征は虎熊軍団の肥後侵攻の援助ですぞ」

 龍鷹軍団の主力から一定以上の戦力を日向戦線に貼り付けることが目的である。

「この目的はすでに完遂しています」

 龍鷹軍団の兵力は約三万と見られており、この日向に一万が展開している。
 ならば肥後に展開できるのは約二万。
 敵戦力の三割を引きつけたのだ。
 虎熊宗国から銀杏国への援軍要請はすでに満たしている。

「この期に及んで会戦に挑む必要はないでしょう」

 敵の増援がさらに来るならば、銀杏軍団は高城川、桐原川を防壁にして持久すればいい。
 そうすれば龍鷹軍団の援軍を得られなかった熊本城は陥落。
 孤立無援になった龍鷹侯国も虎熊軍団本隊に押しつぶされて終わりだ。
 派手ではないが、銀杏軍団の武勲大であり、日向一国の領有は認められるだろう。

「つまり、ここで我々が山のように動かないことが、最終的な勝利への近道なのです」

 梅津は相手が一門衆であるからこそ言葉を選んで、丁寧に説明した。
 ここで冒険に出て万が一敗北でもしようものなら、西海道全体の戦略が崩壊する。
 すでに勝利条件を満たしているのだ。
 この辺りの考えを指して、彼を保守派と呼ぶのだろう。

「甘いですぞ、梅津殿」

 実質総大将である梅津に、利春も敬語を使う。

「ここで敵を叩いておかなければ、敵の主力の攻撃を受ける」

 利春の考えは先と変わらない。
 龍鷹軍団は二正面作戦を強いられているため、どちらかの戦線を整理する必要がある。
 肥後戦線は熊本城、八代城、水俣城など難攻不落の城がある。
 このため、虎熊軍団が如何に大軍であろうとも時間を稼ぐことができる。
 この時間に銀杏軍団を叩き、その後に虎熊軍団を迎撃するのだ。

「この場合、龍鷹軍団は残りの主力・・・・まあ、一万五〇〇〇ほどを一気にこちらに投入するだろう」

 龍鷹軍団二万五〇〇〇。
 これを相手にするには高城を包囲しながらは辛い。
 現在対岸に布陣しているのは先遣隊であろうし、これを先に撃破して少しでも漸減しておく必要がある。
 積極的に攻撃を仕掛け、しかし、戦略的には守勢。
 これが利春の主張である。

「・・・・御両名とも。まずは敵後方に物見を出し、敵主力の動向を確かめるべきでは?」

 軍の重鎮を前に意見具申したのは刈胤だった。
 そして、その意見は尤もなものである。

「若殿、当然物見は出しています」
「ですが、苦戦しています」

 日向は日向衆の庭であり、日向衆は小戦の名手が多い。
 一定位置まで入り込むと、どこからともなく敵が現れて妨害されていた。

「この事実が敵本隊が来ることを示していますな!」

 利春が自信満々に言う。
 確かに否定できない。だが、肯定もできない状況だった。

「父上は如何なされているのでしょうか?」

 後方に残置した三〇〇〇が加われば、銀杏軍団は二万六〇〇〇となる。
 龍鷹軍団の予想数と同数であり、守備に徹する分負けはしないと思う。

「・・・・・・・・龍鷹軍団は海上機動が得意です。後方の警戒を怠ることはできません」
「そう、仰られたか・・・・」

 これも一理ある。
 事実、加勢川の戦いでは深入りした火雲親晴勢が背後を突かれて熊本城を失陥したのだ。

「梅津殿、対岸の敵はどのようなものなのだ?」

 日向衆と大隅衆とは聞いているが、大将の詳しい戦歴を知らない。
 利春も知らなかったのか、視線を梅津に向ける。

「根白坂に布陣するのは鹿屋利孝。父・利直から"翼将"の名を受け継ぎ、内乱では敵方についた兄を撃破し、肥後電撃戦では天草諸島を瞬く間に平定して宇土半島に上陸しています」

 若いのに赫々たる戦歴と言える。

「極めつけは加勢川の戦いで火雲親晴勢に痛恨の一撃を与えています」
「名将、というわけですか」
「ですな。鷹郷忠流の戦略を理解し、実行する才覚を有しています」
「相手にとって不足はないな!」

 利春が拳を打ち合わせ、闘志をにじませた。

「もう一方の大将は絢瀬晴政。高城に籠る香月高知の義兄であり、日向衆の頭目です」

 主な戦歴はえびの高原の戦い、湯湾岳麓の戦い、都農合戦。
 都農合戦では総大将として軍を率いている。

「配下には楠瀬正成、寺島春久など大身の大名もいます」
「意思疎通が難しそうですね」

 刈胤は顔を歪めてため息をつく。
 非常にややこしく、面倒な編成だった。

「そこは同じ日向衆と言うことでうまくやっているようです」
「うまくいっていないのは大隅衆と日向衆だな」

 利春が口を挟み、地図を指さす。

「元々、根白坂には日向衆の先遣隊が布陣していた。これを追い出し、大隅衆が布陣したのだ」
「味方を追い出した?」

 刈胤はその頃、後方に赴いていたので知らなかったのだ。

「根白坂はこの地における要地、そこを抑えたかったのだろう」

 仮に銀杏軍団が押し寄せてきても、勾配でその勢いを殺すことができる。
 また、周辺地域を見渡すこともできる。
 少しでも軍事をかじっていれば、必ず押さえるポイントだった。

「敵は一万と言えど、連携は取れていない。ただの六〇〇〇と四〇〇〇だ」
「利春殿は対岸に攻め入る場合、どのようにされるおつもりで?」

 利春の予想が本当ならば、戦術次第では大勝利を上げることが可能だ。
 戦略的決め手が欠ける今、戦術で評価してもいいだろう。
 利春の積極性具体策が稚拙なら、刈胤は何としてでも攻撃を控えるように命じるつもりだった。

「それは須藤に説明させよう」
「・・・・・・・・・・・・」

 精悍な顔つきの青年は一礼し、地図に示された高城を超えるように自軍の駒を南に動かす。
 彼の率いる軍勢は高城南面に布陣しているのだ。

「まず、高城南岸西側に布陣する楠瀬勢へ我が軍が渡河攻撃を仕掛けます」

 須藤勢は二〇〇〇。
 これに冬峯利春四〇〇〇が続く。

「高城の抑えは若殿にお任せしたいと思います」

 桐原川を越えて刈胤勢が高城前面へ進出。

「楠瀬勢を蹴散らした後、鹿屋勢に対して抑えを残し、軍を東へと旋回させます」
「片翼包囲、ですか」
「はい」

 須藤は高城川北岸東側に布陣していた大塩佳通勢二〇〇〇を前進させた。
 正面と左翼から攻撃された日向衆は大きく崩れることが予想される。

「可能であればそのまま追撃。逆に根白坂を包囲することができます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 希望的観測も含んでいるが、戦っているのは銀杏軍団八〇〇〇、龍鷹軍団六〇〇〇だ。

「根白坂の鹿屋勢が動いた場合は?」

 不仲である故に助けない、という予想だが、それが本当とは限らない。

「高所から降りてきた軍勢は隊列が乱れています。そこを撃ち竦めれば敵の損害は馬鹿にならないでしょう」

 高所を陣取って有利になるのは、重火器の射程距離が飛躍的に伸びた近世以降の戦争である。
 火縄銃の有効射程距離はせいぜい100m。
 撃ち下ろしの利点を考慮しても150mを超えることはないだろう。
 このような射程では高所故に行動の不自由さの方が目立つ。
 高所の陣地では守るには適しているが、攻撃には向かないのだ。

「高所に引っこんでいるのであれば、引っ込めておけばいい」

 利春は自身と婿が考えた戦術に絶対の自信を持っていた。

「この場合、我々は如何すればよい?」
「江口殿・・・・」

 発言したのは江口久延。
 虎熊軍団の豊前衆であり、約二五〇〇を率いていた。
 また、陣地は大塩勢の隣だ。

「戦況に利あり、と判断されれば攻撃されればよいだろう」
「梅津殿」

 利春たちの戦術を聞いた刈胤は両陣営の折衷案とも言える提案をする。

「明日に中物見を西方に派遣。敵本隊の動向を探り、その結果敵が発見できなければ攻撃。発見すれば陣地構築の上に持久戦というのはどうでしょう」
「明日もう一日待つ、というのか・・・・ッ」

 利春が激昂しかけるが、梅津が制して場を見回した。

「最早、今現在の情報で審議できることもあるまい。ここは若殿の提案を受け入れようと思う」

 総大将としての言葉だ。

「攻撃を命じられたお三方はもちろん、それ以外の諸将も戦闘準備を怠ることないように」
「「「はっ」」」
「では、解散!」

 梅津の言葉に諸将は自軍に命令を持ち帰るために立ち上がった。






日向衆scene

「―――あのお転婆め」

 一方、銀杏軍団本陣で戦評定が行われていた時刻、日向衆本陣で晴政は苦笑していた。
 すでに戦評定は終え、明日も今日に引き続いて陣地建設と決まっている。
 また、大隅衆のことは知らない。

「面白いことでも書かれていたのですか?」

 兄妹を幼い頃から知っている家老が、笑みをたたえながら聞いてくる。

「ああ、嫁いでも性格は変わらないらしい」

 ひらひらと振る手紙は、妹からだった。
 銀杏軍団の総攻撃の隙をついて包囲を突破した使者が届けてきたものである。

「しかし、高城の戦意は旺盛。すぐに落ちるようなことはないらしい」
「高知殿は都農合戦の混乱でも自力で生還されたお方、さもありなん」
「・・・・そうだな」

 都農合戦の混乱を招いた晴政としてはなかなか頷けない事項だ。

「高城に苦戦している銀杏軍団の出方はどう思う?」
「こちらの排除でしょう」
「高城を生殺しにし、我々をここに引きつけておくことが虎熊-銀杏連合軍にとって有益であってもか?」

 龍鷹軍団にとっても、その結果が日向全面崩壊に繋がる高城攻防戦に後詰を出すのは当然のことだ。しかし、この当然が戦局全体に与える影響が大きいことも理解していた。

「敵が現れれば排除したくなるのは人の心理です。危険源を放置しておけるはずがありません」
「何よりこちらは戦力の分散、逐次投入の愚挙を犯しているしな」

 晴政は自軍の危険性を認識していた。
 だが、ここで後詰に出ていなければ、高城は陥落。
 日向戦線が崩壊していた可能性が高い。

「危険はあるが、まだ負けていない。この危険を機会に変えられれば・・・・ッ」

 手紙を握っていない手を握り込み、晴政は闘志を滲ませる。

「・・・・・・・・・・・・それで、手紙には何と?」

 当主を頼もしげに見ていた家老は、場を和ませようと訊いた。

「・・・・・・・・・・・・今日も矢を五百本作りました」
「はい?」
「昔から手先は器用だったからなぁ」
「いや、そういう問題ではないでしょう」

 どんだけの熟練工なのか。

「ですが、それだけの矢を投入する事態になっているのですね」
「だな。こちらが送った鉄砲兵の鉄砲も多くが使用不可能になっているようだ」

 高城が銀杏軍団を支えているのは、鉄砲の存在があったからだ。

「まあ、今日のような総攻撃はもうできないだろ」
「同感です」

 総攻撃が高城に弾き返されたことで、銀杏軍団としては高城を攻め落とすよりも後詰軍を撃破して高城の心を折る方が早道だと思ったはずだ。
 そうなれば高城へは抑えだけ残すはず。

「後はこちらが崩れないようにするだけだ」

 晴政は目を閉じ、迎撃策を考え始めた。






大隅衆scene

「―――高城の様子は分からんか」

 一方、根白坂。
 ここに布陣した大隅衆は見えぬ戦況に焦りを感じていた。

「物見の報告では銀杏軍団に四方を包囲され、城の外郭では柵が引き倒されている箇所が数多く見られたようです」
「善戦しているが、苦しい、といったところか」

 利孝は腕を組み、戦況の不利さに唸る。
 高城が健在であれば、敵軍を多く引きつけてくれる。

「敵軍は約二万三〇〇〇。小室勢が加わっているため、周辺地理にも明るいでしょう」

 小室勢は都農合戦の緒戦では香月氏と同盟を組んでいた。
 兵の協同訓練も行っていたらしい。

「迂回しての奇襲も難しいか」

 利孝の呟きに大隅衆の幾人かが膝を打って前に出た。

「と、なれば、やはり敵は仕掛けてくるでしょう」
「根白坂を要塞化し、高城失陥後も日向戦線が全面崩壊しないようにするべきです」

 すでに野戦築城は始めている。
 本日だけで麓に柵を立て、胸壁程度の土塁も築いていた。
 敵が目の前の楠瀬勢を蹴散らして迫ってきても、十分に射撃戦を展開できる。

(この数か月で随分軍制改革が進んだからな)

 薩摩衆は内乱後の改革でほとんどが旗本と呼ばれるものに変わった。
 日向衆は独自の軍を率いているが、内乱に勝利した者たちがやはり軍制改革を進めている。
 一方、大隅衆は内乱の決定打を与えた部隊であり、兵部省の影響が小さい。
 結果、旧態依然の軍制のままだった。
 だが、加勢川の戦いで薩摩衆を中心とする部隊の戦いを見て、大隅衆の意識が変わる。

「鉄砲兵はほとんどが前線に出ています」
「数は七〇〇といったところですね」

 円居ごとに配備されていた鉄砲兵を統一運用する軍制。
 これが代表的な改革だった。

「七〇〇もあれば敵の第一陣を砕くことは容易でしょう」

 大隅衆の頭目として長年認識されている鹿屋氏。
 明確な頭がいるため、日向衆よりも大規模にそれが進んでいる。

「敵の先手衆は・・・・須藤勢二〇〇〇、冬峯利春勢四〇〇〇ですね」
「忌々しいことに楠瀬勢が前にいますが、一二〇〇で支えきれるものではないでしょう」

 そうなれば楠瀬勢との戦いで消耗した敵軍が押し寄せてきた場合、鉄砲兵で砕いて一気に反撃に出る。

「基本は守勢でしょう。高城が崩れていても根白坂を確保していれば戦線崩壊はありえない」

 日向衆は同じ日向衆である高城を救うことを前提と考えているが、大隅衆は戦線全体を考えている。
 どちらが正しいとは言えないが、大隅衆と日向衆の考えは戦略で異なり、迎撃戦術で一致していた。

「明日は中物見を出しましょう。一当てし、敵の情勢を探りつつ高城の様子も探るのです」
「なるほど。それはいいな」

 大隅衆の提案に利孝は膝を打つ。
 今、大隅衆に欠けているのは情報だ。
 それを得るために中物見を出すのは戦略的に正しい行為だろう。

「ならば、見繕っておきます」
「頼む」

 こうして野戦築城を続けつつ、中物見を出すことを決定し、大隅衆の戦評定は終わった。






???scene

「―――お待たせしてしまいましたか?」
「いやいや、特に待ってはいない」

 鵬雲五年四月十三日、高城川南岸。
 日付が変わった頃、ここでふたりの部将が顔を合わせていた。
 彼らの傍には護衛数人のみ。
 しかし、周囲は忍びたちが固めている。
 ふたりとも若いが、口調から先に来ていた部将が上役と窺えた。

「肌寒いな」
「春とはいえ、雨が降っていますからね」

 昨夜から降り始めた小雨は九州の四月と言えど周囲の気温を下げる要因となっている。

「作戦は聞かれていますね?」
「ああ。全く、相変わらず無茶な作戦だ」
「私はあまり本隊と行動を共にしていませんから・・・・っと、そう言えばあなたも」
「ああ。私も別働隊を率いてばかりだよ」

 ふたりは揃って苦笑した。

「まあ、明日は存分に采配を振るおう」
「ええ。・・・・もう、今日、ですが」

 若い方が訂正し、それに苦笑したやや年上の部将が背を向ける。

「健闘を祈る」
「お互いに、です」










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