「龍の一閃」/一



 日向国。
 北部-西部は九州山地が占め、南西部には霧島火山群が、南部には標高1,000m内外の鰐塚山地がある。
 これらから五ヶ瀬川、耳川、一ツ瀬川、大淀川などが南東流し、日向灘へと注いでいる。
 古くから大勢力が存在しない土地で、小豪族が割拠してきた。しかし、薩摩一国に任じられた鷹郷家が対中国・琉球に対する後背地を求めて侵攻。
 小林盆地、都城盆地など、宮崎以南を領有する。
 また、北部では神前氏が台頭し、次第に中日向地方を圧迫するようになった。
 中日向地方の豪族たちの増援要請を受けた龍鷹軍団がこれに介入し、都農合戦が生じる。
 結果、龍鷹侯国は高城香月氏を従属させ、力を失った神前氏は豊後・銀杏国に従属した。
 龍鷹侯国と銀杏国の勢力圏は接した形となったが、どちらも従属勢力が緩衝地となる。
 しかし、鵬雲五年三月下旬、銀杏軍団の侵攻によって、日向国情勢は風雲急を告げていた。




高城攻防戦scene

「―――急げ! 敵はすぐ来るぞ!」

 鵬雲五年三月二六日、日向国高城。
 日向国の豪族・香月氏の本城であるそこは、目下籠城準備中だった。
 香月氏の兵力は一〇〇〇。
 これに龍鷹侯国からの援軍五〇〇が加わり、一五〇〇名の戦闘員が籠城する予定である。
 その他に志願兵を募ってはいるが、城下町の民衆は別の町へ逃がすため、その他の人間を入れても二〇〇〇は超えないだろうと予想された。
 それでも兵糧や武器弾薬の備蓄、堀の掘り下げや土塁の整備、城門の強化などやることはたくさんある。

「物見からの報告は?」

 その工事を見ていた当主・香月高知は傍らの老臣に訊いた。

「定時連絡が一度。行軍速度は変わらずのようです」
「虎熊軍団の肥後侵攻と歩調を合わせているのか」
「おそらくは」

 厳密に言えば香月氏は龍鷹侯国の家臣ではない。
 と言っても同盟国と言うにはおこがましいほど力量差があった。
 元々、忠流の代になっても龍鷹侯国は日向での領土拡張には乗り出していない。
 都農合戦はあくまでも強大化した延岡神前氏の戦力削減が目的だった。
 それはひとえに豊後の銀杏国を刺激しないためである。
 だが、今回はそれが崩れ、銀杏国は大挙として日向へと押し寄せている。
 豪族の立場であるならば、本領安堵を条件に銀杏国に降ってもいいのだが、敵の先鋒に神前氏がいるために無理だろう。
 また、高知にも龍鷹侯国を裏切れない理由があった。

「昼ご飯の時間ですよ~」

 天守閣がない小さな城である高城では、城の周囲を見渡そうと思うと本丸の簡素な物見櫓に上るしかない。
 そんな櫓の下から女のやや間延びした声がした。

「~♪」

 下を見下ろせば、笑みを浮かべて小さく手を振っている女性がいる。
 傍には侍女たちがいて、警備の兵たちに昼食を配っていた。

「奥方もよく働いてくれますな」

 都農合戦の後に高知の正室になった娘は、龍鷹侯国日向衆頭目・絢瀬民部少輔晴政の妹だ。
 父は宮内大輔の絢瀬吉政。
 日向の小領主から内乱を経て龍鷹侯国の重臣になった絢瀬家の長女である。
 龍鷹侯国の有力一族と結びついた以上、銀杏軍団は高城を無視して進むことはありえなかった。

「・・・・本当は宮崎に帰ってもらいたかったんだけどなぁ」
「断られたんでしょう?」
「『高城が落ちれば宮崎も落ちたも同然。ならば、高城が落ちぬよう頑張ります』だと」
「はっは! 素晴らしき覚悟」

 龍鷹侯国の日向の拠点は、宮崎である。
 だが、ここは貿易港・軍港であり、攻防戦のための城はない。
 近くの城は高鍋城、綾城などがあるが、どれも一地方を代表する城ではなかった。
 このため、高城川北岸にある高城が突破された場合、龍鷹侯国は高鍋城や綾城で抵抗しつつ、小林城や飫肥城、都城まで戦線を押し下げる必要があった。

「高城川が龍鷹侯国にとっても防波堤であることを理解しているとは、なかなか」

 老臣がしきりに感心する中、高知は梯子を伝って地面に降りる。

「はい、どーぞー」

 にこにこと昼食を差し出す姿に緊張感はない。
 高城はここ数か月の改修工事で随分防御力を上げていた。
 それでも熊本城など、聖炎国の城とは比べ物にならないほど貧弱だ。

「怖く、ないのか?」
「怖い・・・・?」

 高知の問いに、きょとんとした。
 高知は都農合戦で窮地を脱した後、主に小室氏との戦いに明け暮れている。
 歴戦、とは言わないまでも十分な戦闘経験を積んでいた。
 それでも今回はさすがに怖い。
 片方だけでも数万規模の軍勢が集うのだ。
 数の暴力の前に身がすくむのは当然であろう。

「大丈夫、高知様が守ってくださいますから~」

 えへ~と笑う妻に、肩の力が抜けた。

「何なんでしょう、この信頼には応えなければならないという緊張感は・・・・」
「?」

 高知の呟きに小首を傾げる。しかし、すぐに満面の笑みで距離を詰めてきた。

「高知様、食べさせてあげましょう!」

 むんずと握り飯をわし掴み、高知の口へ押し込もうとする。

「それはある意味殺そうと―――モガモガモガッ!?」

 香月氏は、命運をかけた一戦の前に、危うく当主を失いかけた。




「―――あれが・・・・高城・・・・」

 鵬雲五年三月二七日、高城郊外北方。
 ここに銀杏軍団が姿を現していた。
 総勢二万三〇〇〇。
 延岡を出撃した兵より若干する少ないが、大軍である。

「若殿、小さいがなかなか堅固そうな城ですな」

 若殿――冬峯刈胤は、話しかけてきた梅津正典の顔を見て、小さく頷いた。
 刈胤は銀杏国出身ではない。
 嫡子のいなかった現当主・刈典の娘と婚姻する形で婿養子となった虎嶼家の者だ。
 傍に立つ梅津は、その婚姻交渉での銀杏国側代表であり、婿入り後も何かと世話をしてくれた。

「旗がきれいに立ち、寸前まで改修していた跡がある」

 梅津は高城の様子を見ながら呟き、満足そうに頷く。

「香月氏はやる気のようですな」
「こちらが神前氏を先鋒に立てていますし、香月高知の室は龍鷹侯国出身、一当てもせずに降伏はないでしょう」

 香月家の前当主は神前家との戦で討死している。
 今回はその弔い合戦も兼ねているのだろう。

「定石通り、城下を焼き払って孤立させ、完全に包囲します」
「はい」

 刈胤は経験豊富とはいえない。
 戦の経験自体は賊の退治と言う小さなものから山陰方面への増援と言うものまでこなしていた。
 だがしかし、銀杏軍団自体、万を超える兵を動員したのは出雲崩れ以来なのだ。
 さらに虎熊軍団の依頼に奮起し、通常動員数以上を動員している。
 その結果、一部の備えには訓練不足の兵もいた。
 そんな状況では刈胤が緊張するのも無理はない。

「若殿、まずは一当てし、落とせそうなら落とす。頑強ならば長期戦とする、です」
「後詰が来るのでは?」
「もちろん。その辺りは物見を放ち、いつでも迎撃できる態勢を調えておくのです」

 経験不足の刈胤に"定石"を説明する梅津は歴戦の猛者である。
 万余の軍勢を動かした経験も持っていた。

「本陣は桐原川北岸に置き、先遣隊は高城前面に布陣せよ」

 梅津は先鋒部隊に指示を出し、続いて馬廻衆数人に声をかける。

「馬廻衆は交代で高城川南岸を物見。敵の後詰を警戒せよ」
「「「はっ」」」
「布陣が完了すれば、戦評定を開く。各円居の将は本陣に集まるように」

 伝令を終え、銀杏軍団は高城を包囲するために兵を進めた。
 高城側ではしきりに狼煙が焚かれ、銀杏軍団来襲を告げている。
 戦う気満々だ。だが、あまりの兵力差のためか、小さな城下町が焼き払われても打って出てこなかった。



「―――さて、評定を始める」

 一刻後、銀杏軍団は周辺地図を中心に戦評定を開いていた。
 すでに日は落ち、松明が焚かれる中、十数名の部将が集っている。

「まずは地形・縄張説明だな。―――小室殿、頼めるか?」
「承知した」

 日向国の豪族・小室真茂が大きく頷いた。

「それでは―――」

 高城は桐原川と高城川に挟まれた岩戸原の標高60mほどの台地の縁辺に築かれた山城である。
 ふたつの川はすぐ東方の竹鳩ヶ淵で合流し、高城川となって東方へ流れる。
 その合流地点までに小さな城下町が広がっていた。
 城の縄張は、四方の内、西側以外は崖である。しかし、その西側には七つの空堀が設けられ、堅固な造りになっている。
 本丸と二の丸が存在するが、二の丸は曲輪と言うより本丸の丸馬出しとも言えた。
 防御と攻撃、両方に対応した豪族の本拠らしい造りだ。

「どう攻める?」

 問うたのは、一門衆である冬峯利春だ。
 日出城主であり、今回は四〇〇〇の兵を率いている。
 妹婿である岡城主・須藤利輝二〇〇〇と共に城東方の旧城下町地域に布陣していた。

「崖と言っても登れないことはない」
「それに南側には城門もある。そこを起点にすればいいだろう」

 西側に兵を集中するという手もあるが、敵の防御密度が上がり、銀杏軍団は大軍の利点を出せない。
 多少危険ではあるが、全方位から攻め込み、敵の対応力を飽和させてしまうのがよかった。

「明日は西方から小室殿が、南方から須藤殿、東方から利春殿、北方から若殿が攻め寄せ、一息に落とすことに致そう」
「うむ、あのような小城。一捻りじゃ!」

 こうして、三一日に銀杏軍団による高城総攻撃が決定した。




「―――撃てぇ!」
「怯むな、撃ち返せ!」

 三月二八日、高城では銃撃戦が続いていた。
 銀杏軍団の総攻撃に参加している兵力は一万。
 投入されている鉄砲は八〇〇挺程度だ。
 一方、香月氏は一五〇〇を総動員し、鉄砲は約四〇〇挺に達した。
 鉄砲比率が異なるのは、龍鷹軍団の援兵が大半鉄砲兵だったことによる。
 戦力差は二分の一だが、銀杏軍団は斜面下からの撃ち上げでほとんど効果を上げていない。
 だが、戦力の引きつけには成功しており、銀杏軍団が主攻と見る南側では早々に城門を突破していた。

「押し返せ!」

 高知の声と共に放たれた霊術が須藤勢の只中で弾け、たたらを踏んだ敵兵が槍に突かれて転げ落ちていく。
 高城の城門を突破してもすぐに本丸と言うわけではない。
 入ってすぐに右に曲がって斜面を登る必要があった。
 そこでは城の内部から一方的に射線に晒される。
 援護射撃もほとんどなく、撃ち下ろしで叩き込まれる弾丸に、須藤勢は数十人の死傷者を出していた。
 香月勢は基本的に遠距離射撃で対応し、崩れたところで白兵戦に移るので損害は小さい。

(豊富な弾薬が高城を支えている・・・・)

 香月勢単体ではこの攻撃で陥落しているだろう。
 高城の地勢と龍鷹軍団の鉄砲が、高城を支えていた。

「小室勢の勢いは弱い。また、空堀の防御力があるから弓衆と長柄が残り、鉄砲衆は南へ向かえ!」

 物見櫓から全周を見渡し、的確な指示を出す高知が額の汗を拭う。

「もう少し耐えよ! 敵の猛攻もいつまでも持たないぞ!」
「「「おお!」」」

 彼自身気が付いていなかったが、高城が持ちこたえているのは指揮が的確だからでもあった。
 必要なものを必要な数だけ必要な場所に回す。
 少ない戦力をやりくりする高知の指揮は、開戦から五刻ほど続けられた総攻撃でも陰らなかった。




「―――堅いな」

 その日の戦が終わり、野営する銀杏軍団の一角で、刈胤は呟いた。
 聞けば守将は刈胤よりもやや年下らしい。

「連合軍には若い武将が多い、か・・・・」

 両国の当主は十代半ば。
 彼らを陰ひなたに支える側近も同年代が多い。
 もちろん、戦で指揮を執るのは相応の年齢に達した者が多いが、それでも他国まで名前を轟かす人物たちで若いのが多いのも事実だ。

(この軍で、勝てるのか?)

 特に特徴もないが、兵数だけは多い。
 そして、その兵数故にどこか楽観視した雰囲気を持つ。
 当主である刈典は延岡と高城の間に布陣していた。
 強力な海軍を持つ龍鷹軍団が主力軍後方に海上機動しないとも限らないので、その備えをしなければならないのもわかる。

(だが、義父上がそこに居座らなくてもよいと思う)

 連合軍は当主が陣頭に立って頑張るタイプ。
 一方、こちらは当主が後方から操るタイプだ。
 どのタイプにも一長一短がある。
 前者は前線との距離が近く、的確かつ迅速な判断が可能だ。しかし、いったん負けてしまえば、威信がガタ落ちになるだけでなく、最悪戦死してしまう。
 後者は判断にやや遅れが生じるが、大勢を見た落ち着いた判断が可能だ。また、敗北しても致命的打撃にはならない。

「あの人ならどうするかな・・・・」

 思い浮かべるのは、虎嶼家の御曹司。
 持弘に冷遇されようと、持ち前のカリスマで重臣一同の期待を一身に背負う麒麟児。

「あんまり、難しいことを考えていなさそうだ」

 気まぐれのくせに思いついた作戦の準備は恐ろしく緻密。
 肥後口の総大将だが、今回も何らかの奇策を持っているのだろう。

「まあ、この戦で高城を落とし、敵の一部でも誘引できればこちらの目的は果たす」

 「だから無理して手柄を立てる必要はない」と続けた刈胤は高城に背を向けた。
 明日も総攻撃は続く。
 今晩に陣替があったが、刈胤勢は明日も攻撃担当だった。

「まずは徹底的に締め上げる、か・・・・」

 香月氏は龍鷹侯国の臣下ではない。だが、似たようなものである。
 ここで後詰を出さずに見捨てたとあれば、主に豪族で構成される日向衆に動揺が走るに違いない。
 銀杏軍団はそれを狙っていた。
 後詰決戦など、今の銀杏軍団には荷が重すぎる。

「若殿」
「梅津殿」

 大量の篝火に照らされる高城を眺めていた刈胤の背中に声をかけたのは、梅津だった。

「四月とはいえ、夜はまだ冷えますぞ?」
「分かっています。・・・・ですが、眺めずにはいられません」

 高城の兵たちはどんな思いでこの篝火を見下ろしているのだろうか。

(一日耐え切ったという事実に闘志を燃やしている? それとも明日に死ぬかもしれないという運命に悲観している?)

 ここまで考え、刈胤は首を振った。

(いや、信じる主将の言葉を信じ、後詰を待って冷静に待機している、だろうな)

 それに引き換え、こちらは一部で宴会を開いている。
 もちろん、相応の警戒はしており、息抜きは士気を維持するには絶対に必要なことだった。
 特に今日だけで見れば負け戦だ。
 曲輪のひとつも奪取できず、一〇〇人を超す死傷者を出している。
 高城側は大きく見積もって十数人程度だろう。
 ただでさえ故郷から遠く離れた場所まで遠征しているのだ。
 兵の士気は高くない。

「梅津殿、龍鷹軍団は出てきますかね?」
「出てくるでしょうな」
「また、若武者ですか」

 日向衆を率いるのは絢瀬晴政だ。
 内乱で成り上がった絢瀬家の当主であり、混乱なく南日向をまとめる名君だろう。

「絢瀬晴政の軍事の才能は未知数です」

 無能ではないだろう。だが、有能と判断する材料は少なかった。
 一軍の指揮を執ったのは都農合戦であり、それも戦役的には窮地に陥っている。
 都農合戦が引き分けで終わったのは、鷹郷忠流の増援と鷹郷従流と鳴海盛武の奮戦だった。

「だが、日向衆が来るということは・・・・数千がやってくるということですね?」
「でしょう。かき集めても一万弱。そして、布陣するのは根白坂でしょう」

 根白坂は高城南方、高城川の南岸に位置する高台だ。

「先に占領した方がいいのでは?」
「あそこを占領するとあの場所が後詰軍との戦場となります」

 梅津はそれだけ言って黙り、刈胤をじっと見つめた。

「・・・・その場合、根白坂の本隊、高城攻囲部隊、退路ならび食糧庫護衛部隊の三つに分割しなければならない」

 現在はその全てが同じ場所に展開している。
 だが、根白坂を戦場に選んだ場合、先の通りに軍を分ける必要がある。

「そうすれば後詰に対する正面戦力が低下する。そして、後方を迂回された場合にも対応できない」
「そうです。二万を超える我らでも、敵勢力圏内ではまだまだ数が不足しています」

 この戦線で龍鷹軍団を相手にして兵を分けるには少なくとも五万は必要だろう。

「この戦、高城を落としても落とさなくても、ここに留まるべきですね」
「左様。これは虎熊宗国の戦。無理をする必要はありません」

 梅津は刈胤の意見に満足そうに頷いた。そして、孤高の存在とも言える高城を見遣る。
 倒さなくてもいい存在で、木端のような存在。
 それに翻弄された銀杏軍団の将校は怒り狂っている。

「我々の戦は、味方が相手ですね」
「・・・・まことに、その通りですな」

 それらを抑える立場となる刈胤と梅津は、その困難さにため息をついた。










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