「猛虎襲来」/八



 鵬雲五年の春の訪れとともに始まった龍鷹・聖炎連合と虎熊・銀杏連合の戦争は、開戦一週間ほどが経った今、虎熊・銀杏連合軍優位で進んでいた。
 元々、投入兵力で勝っていたこれらは一気に肥後と日向に侵入する。
 虎熊軍団は名将・虎嶼晴胤を総大将に、聖炎軍団の遅滞行動を経て熊本城を包囲した。しかし、堅牢な熊本城を見て作戦変更し、大軍とは思えない速度で南下を継続する。
 結果、宇土城を落とし、砂川にて龍鷹・聖炎連合軍を撃破、八代城を包囲した。
 一方で龍鷹・聖炎連合軍は、宇土城失陥、砂川での敗北を経ても熊本城は死守、八代城で持ち直す。
 そして、八代夜戦で反撃の狼煙を上げた。
 夜戦は一定の効果を発揮し、龍鷹海軍の登場は八代城を勇気づける。たが、その後に起きた八代沖海戦で龍鷹海軍第二艦隊八代派遣船団が壊滅的打撃を受けて敗北。
 龍鷹・聖炎連合軍の肥後戦線はことごとく虎嶼晴胤という名将の下に苦杯を舐めていた。


 晴胤が優れていたのは、作戦術である。
 鷹郷忠流、火雲珠希といった戦略家たちが得意とする戦略とは一線を画する概念だ。
 戦略と戦術を繋げる重要な項目で、戦略目的を達成するために必要な作戦を指揮・統括する術である。
 虎熊軍団の戦略目的は熊本城の攻略である。
 このためには龍鷹・聖炎連合軍の撃破という戦術目的が挙げられるだろう。だがしかし、 晴胤は戦術目的の前に置いた作戦段階で、主導権の確保を掲げる。
 宇土城攻略により肥後南部への足掛かりを構築することで、敵の出鼻をくじく。
 砂川の戦いに置いては大軍が南下するわけがないという固定観念を破壊した。
 八代沖海戦では「無敵龍鷹海軍」の看板を打ちこわし、側方の安全を確保する。
 戦争の主導権を得ていれば、必ずしも戦術的勝利――すなわち、龍鷹・聖炎連合軍を撃破する必要がないのだ。
 これまでの南九州の戦いでは戦略→戦術にリンクし、最終決着点は決戦に及ぶことが多かった。
 戦術(決戦)を重視しなかった忠流でも戦略に重きを置いて作戦次元の指揮をほとんど採っていない。
 結果、未知なる概念を前に、龍鷹・聖炎連合軍は敗北を重ねたのである。






「―――うまくいっているようだな」

 鵬雲五年四月五日、八代城北方虎熊軍団本陣。
 ここで南西に上がる爆炎を見ていた晴胤は、背後からかけられた声に振り向いた。
 そこにはこの遠征に付き従わせている顔面を布で隠した男が立っている。

「当然だ。この俺を誰だと思っている」
「山陽・山陰方面の虎将」
「それだけではないだろう」
「・・・・戦役全体を見通す名司令官、か?」
「ふははっ、いい響きだ」

 晴胤は満足そうに頷き、視線を不知火海に戻した。

「やはり龍鷹軍団とはいえ、『作戦』を理解しているわけではなかったな」

 戦争はいくつもの戦役の積み重ねである。
 そして、その戦役はいくつもの作戦の積み重ねである。
 これらの作戦の下、実際の部隊が干戈を交える戦術があり。
 そして、個々の兵士の戦闘があるのだ。

「如何に強かろうと、作戦を理解していなければ烏合の衆よ」

 佐敷川の戦いのように戦略がピタリとはまれば、龍鷹軍団は混乱する敵軍に対して無類の強さを発揮する。
 一方で、珠希によって崩された佐敷城攻防戦は、一転して苦戦した。
 強みであった戦略的主導権を奪われたためである。

「だが、その戦略で敗北するなよ?」
「・・・・むう、確かにそれは言えるな」

 八代沖海戦までは、晴胤の戦略・作戦勝ちだった。
 だがしかし、龍鷹軍団本隊の反撃を前にしてどこまで優位に立てるか。

「しかし、ここまでやって、龍鷹軍団本隊の動向が掴めんとは」
「・・・・案外、領内に分散しているのでは?」
「・・・・・・・・・・・・ほぉ?」

 男の発言に、晴胤は目を輝かせた。そして、顎で幔幕内に戻ることを示す。

「詳しく話せ」

 幔幕内で床几に腰を落ち着けた晴胤は、何事かとこちらを見る白石にも席に座るよう示しながら言った。

「何、虎熊軍団の透波衆がこれだけ探しても龍鷹軍団の本隊を見つけられないわけについてだ」

 話についていけない他の幹部陣への説明を兼ね、議題を口にした男を幹部陣は驚きを持って見つめる。

「・・・・・・・・この熱い視線に対して冗談を言ったら―――」
「ぶっ殺されるだろうな。いや、むしろ我がぶち殺す」

 男は悪戯心を覚えたようだが、晴胤に言われて口をつぐんだ。

「・・・・・・・・・・・・龍鷹軍団は黒嵐衆という優れた諜報集団を有している」

 その言葉に幹部陣は頷く。

「その本拠地である薩摩、大隅は現在厳戒態勢にあることが予想される」
「だから、こちらもなかなか情報が取れないのだろう?」
「そうだ。だが、忍びたちが全く帰ってこないならまだしも、帰ってきている者たちも存在する」

 これは事実だ。
 というか、かなりの人員が定時連絡のために帰還している。

「つまり、敵軍情報が守られているのではなく、敵軍自体が希薄の可能性がある」
「「「?」」」

 男の物言いに幹部陣が首を傾げた。

「はっきり言えば、龍鷹軍団本隊は集結していない」
「「「―――っ!?」」」

 その発言に誰もが驚愕の表情を浮かべる。
 不敵な笑みを浮かべていた晴胤も、その笑みを少しだけ引き攣らせた。

「龍鷹軍団の本隊となれば万を下ることはない。それだけの兵力が集結していれば、行商や遊女なども集い、軍団よりも多くの人間でにぎわうことになる」

 虎熊軍団が布陣するエリアにもそのような者たちは姿を見せている。
 敵に対してもそうなのだから、味方に対しては顕著にその兆候が表れるだろう。

「こういう徴候を隠すことは可能だが、大変な労力を伴う」
「だろうな。したいとは思わん」
「ましてや諜報集団から守り通すなど想像を絶するほど困難だ」

 晴胤の言葉に頷き、男は続けた。

「そんな労力も、そもそも主力がいないのであれば、一気に解決する」

 幹部陣は分かったのか分かっていないのか、微妙な顔をしている。
 自分たちを前にして、主力が集結していないという推論を受け入れにくいのだろう。

「ひとつ、よろしいでしょうか?」

 白石が挙手しながら晴胤の顔色を窺う。

「よい」

 晴胤が小さく頷き、白石は頷き返して口を開いた。

「龍鷹軍団の主力が集結していないとして・・・・・・・・・・・・それは何故ですか?」

 うんうん、と幹部陣が頷く。
 普通は動員をかけて迎え撃とうとするはず。

「我々を熊本城と後詰部隊で撃破できると考えているのですか?」

 舐められている、という事実に殺気が振りまかれるが、男は首を振って否定した。

「動員はかけられているだろう」
「・・・・今、主力集結はしていない・・・・・・・・・・・・そういうことですか」

 言葉の途中で、白石は合点がいったようだ。
 動員とは戦に備えて各部将が麾下の兵を集めることを言う。
 その後にどこそこへ集結せよ、という命令が届くのだ。
 龍鷹軍団は動員令を下してはいるが、続く集結命令を下していない。
 このため、兵は各地に分散した形となり、虎熊宗国の透波はそれぞれの兵を見つけてもそれを主力だと判断しなかったのだ。

「でも、どうして?」
「そりゃこちらに主力の位置を悟られないためだろう。小癪なことだ」

 言葉の割に、楽しそうな晴胤。

「ですが、主力の位置を隠すということは・・・・・・・・・・・・」
「十中八九、戦略的奇襲を狙っているな」
「狙いは理解できますが・・・・」

 「できるのか」と白石が首をひねった。
 軍勢の集結・移動といった行動は非常に難しい。
 予定通りに進まないことが普通であり、些細なトラブルで軍自体が崩壊することもある。
 それなのに、龍鷹軍団は集結・移動・戦闘といった行動を一気にやってのけようとしているのだ。

「分進合撃、ですか」

 先の戦術の名前だ。
 だが、普通はふたつないし三つの部隊が行う。
 龍鷹軍団の主力を二万とするならば、それぞれの部隊は最低でも六〇〇〇を超えることとなる。
 それほどの軍勢を確認していない以上、龍鷹軍団は三つ以上の部隊でそれをやってのけようというのだ。

「優れた管理体制がなければ無理です」
「それをする自信があるんだろう」

 白石の否定的な意見を、晴胤は真っ向から両断する。

「むしろ、それくらいしてもらわなければ張り合いがない」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、彼は楽しそうに体を揺らしていた。
 主将の余裕が移ったのか、驚異的予想におののいていた幹部陣も余裕を取り戻していく。

「これが・・・・名将、か・・・・」

 どことなく自嘲気味な呟きを残し、男は立ち上がった。

「ならば、これを元に対策を立てるんだな」

 彼は虎熊軍団の武将ではない。
 これ以上、軍議にいる意味はなかった。

「待て」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 だが、やはりというか、晴胤が彼を引き留める。

「ついでだ。知恵を出していけ」
「・・・・・・・・・・・・はぁ」

 これまでと違うのは、幹部陣が嫌がっていないことだろうか。
 得体のしれない奴だが、使える奴は大歓迎。
 つまらないプライドを持たない彼らは、さすが大国の部将と言える。
 人間的に優れた人物たちであることは分かるが、男にはあまりうれしくない事実だった。





鷹郷忠流side

「―――八代城の虎熊軍団、哨戒線をこれまでと変更しました」

 鵬雲五年四月六日、薩摩国鹿児島城。
 ここに虎熊軍団の最新情報が届けられた。

「ほぉ?」

 その報告を鷹郷忠流は、脇息に体を預けながら聞く。
 態度は尊大だが、その顔色は悪かった。

「気付かれましたか?」
「だろうな」

 共に報告を聞いた御武幸盛に頷きを返し、忠流は報告――霜草茂兵衛に向き直る。

「八代城は?」
「小競り合い程度です」
「ふん。一気に攻め落としてこちらに備えるかと思ったが・・・・」

 虎熊軍団は龍鷹軍団主力の狙いに気が付いた。
 龍鷹軍団は、主力を敵に悟られず、ひそかに敵に接近して一気に攻め潰す戦略を立てていたのだ。
 それに気が付いたからこそ、虎熊軍団は哨戒線を広げ、奇襲を受ける前にこちらを見つけようとしているのだ。

「茂兵衛。敵哨戒線への嫌がらせをしろ」
「はっ」

 哨戒線は数十人程度の小部隊を分散配置している。
 その部隊からさらに数人程度の物見が出ているはずだ。
 それを黒嵐衆がちまちまと襲うのだ。
 全体から見れば微々たる損害だが、虎熊軍団は嫌がるに違いない。

「これで、敵の南下は止めましたね」

 虎熊軍団は龍鷹軍団主力に警戒するあまり、八代城へ攻勢に出られない。
 攻撃中に背後から襲われてはたまったものではないからだ。
 だが、八代城を捨て置いて南下はできない。
 不知火海の制海権を得ているとはいえ、龍鷹海軍は健在であり、いつ制海権を失うか分からない。
 そうなれば八代城は橋頭保となり、上陸してきた龍鷹軍団に南北で挟まれることとなる。
 補給面での心配もあり、虎熊軍団は動くことができなくなったのだ。

「これが戦略だよ、晴胤君」

 忠流は得意げに笑う。
 熊本城が健在な今、虎熊軍団がさらに優位に立つには、八代城を落としてさらに南下を継続するしかない。
 それこそ龍鷹軍団が狙いなので、それに気付いた虎熊軍団はその策を取れなかった。
 虎熊軍団が動けない以上、戦局を動かすのは龍鷹軍団となる。
 忠流は龍鷹軍団を一歩も動かさずに、戦役の主導権を握ったのだった。

「だが、気付かれたから効果半減じゃな」
「うぐっ」
「おまけにこちらも動けないんじゃないの?」
「はぐっ」

 部屋の隅で聞いていた嫁ふたりの容赦ない発言に、忠流は倒れ込んだ。そして、そのまま畳にのの字を書き出す。

「そうですねぇ」

 使えなくなった主人の代わりに幸盛が答えた。
 本来ならば、八代城攻めを行う虎熊軍団主力を背後から叩き、追撃戦で熊本城を解放する予定だった。
 それが見破られた以上、龍鷹軍団も虎熊軍団主力に対して真正面から挑むほかなくなっている。
 そうなれば一万近い戦力差での野戦となり、苦戦必至だった。
 だが、このまま待っていると、八代城はともかく熊本城解放までずいぶん時間を要する。
 さらに宇土城が修理されれば話はもっとややこしくなるのだ。

「宇土城が虎熊軍団に取り込まれる前に、当方は敵を肥後から排除する必要があります」
「なのに攻勢に出られないとか・・・・」
「・・・・もう詰んでおるのに奇策で悪あがきしているだけじゃの」
「悪あがきちゃうわ!?」

 昶の言葉に身体を起こしてツッコミを入れる。しかし、すぐに立ちくらみが来たのか、バタリと倒れた。

「全く」

 昶が寄ってきて、忠流の体を起こす。

「戦に行く前から体調不良とか、アホか?」
「・・・・睡眠不足は誰のせいだ?」

 半眼で昶を睨むが、彼女は素知らぬ顔でそっぽ向いた。

「さての。どこかの槍娘のせいではないか?」
「ひどっ!?」

 「裏切り者!?」という表情で紗姫が叫ぶ。しかし、彼女もまるで腰が抜けているかのように動かない。

「あー・・・・・・・・・・・・霜草殿」
「・・・・何でしょう?」
「さっきの命令、お願いします」
「了解しました」

 幸盛と茂兵衛はお互いに疲れた笑みを浮かべ、退出するために立ち上がった。

「御館様」
「・・・・どーした?」

 昶に抱きかかえられたままの忠流がぼんやりとした返事をする。

「策はあるんですよね?」
「・・・・漠然としたものなら」

 少し自信がなさそうだが、戦略家としての矜持か、忠流は頷いた。

「分かりました。後で教えてください。関係各所に話を通します」
「おー、やっぱお前いると楽でいいわ」
「ありがとうございます」

 これが幸盛の側近としての役割だ。

「でも・・・・」

 本当に退出しようとした幸盛の背中に声がかかる。



「―――今度はお前も隊を率いろよ」



「え?」
 幸盛が振り返った先、昶に腕の中で寝息を立てる忠流がいた。





鈴の音side

「―――ふむ、動かんのぉ」

 忠流が蒼い顔をしてぶっ倒れていた夜、「鈴の音」はつまらなそうに呟いた。
 龍鷹軍団主力は臨戦態勢にある。だが、肥後にも日向にも出陣することなく、薩摩と大隅に展開していた。

「貴様はどう見るかえ、この状況を」

 傍らに控える霜草久兵衛に問う。

「・・・・当代様は内線の利を利用しようとしていると思われます」
「内線の利?」

 「鈴の音」は紫色に輝く瞳を久兵衛に向けた。

「・・・・虎熊-銀杏連合軍の総勢は七万五〇〇〇です」

 この大軍は一か所に固まっているのではなく、肥後方面に五万、日向方面に二万五〇〇〇に分かれている。
 一方、龍鷹軍団は先遣隊に五〇〇〇を出しているが、書面上はまだ三万一〇〇〇を動かすことができた。

「敵連合軍は間に九州山地があり、容易に合流できません」

 このため、龍鷹軍団は敵戦力が集中する前に各個撃破することが可能だ。
 包囲しようとする敵よりも少ない移動距離で多数の敵軍に接触することが可能な利点。
 それを「内線の利」という。

「だが、各個撃破できれば、だろう?」
「・・・・はい」

 南下する虎熊軍団は三万三〇〇〇弱、銀杏軍団は二万六〇〇〇。
 確かに総力を挙げ、各方面部隊と合流した龍鷹軍団は局地的に数的優位を確保できる。
 だが、それは一戦線に限ったことである。
 その乾坤一擲の強襲作戦が失敗し、戦線が膠着した時、他の方面から攻め込んできた敵軍が柔らかな横腹を食い破る。
 それを阻止したいならば戦線を支えるだけの兵力を割く必要があった。

「そんなものを割けば、ますます各個撃破は無理よ」

 内線の利は虎熊軍団もよく知っていることだろう。
 先の岩国攻め。
 椋梨家は内線の利を利用し、西方から迫る先遣部隊、南方から来た奇襲部隊、北方から迫る別働隊を撃破した。
 だが、そんな戦術面での勝利を帳消しにするほどの大軍で虎熊宗国は押し潰している。
 西国において虎熊宗国を超える勢力がない以上、この作戦は常勝作戦とも言えた。

「まあ、奴の作戦の骨子は電撃作戦じゃ。じきに慌ただしく動くだろうて」

 だら~と畳に身を押しつけて春の柔らかな空気を堪能する。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そんな「鈴の音」を見ていた久兵衛が天井を見上げた。

「・・・・どうやら、日向戦線が一歩進んだようです」
「・・・・ほ?」
「銀杏軍団が香月氏の領地に侵攻しました」

 鹿児島城が慌ただしくなる。
 おそらく、久兵衛の言った情報が届いたのだ。

「動く、かな?」

 肥後で膠着状態に入ったところに、銀杏軍団の襲来。
 それは龍鷹侯国にとって、弱り目に祟り目・泣きっ面に蜂だろう。
 だが、ピンチをチャンスにしてこその英雄である。

「よいっしょっ」

 「鈴の音」はまだ痛む身体を起こし、身支度をする。
 また勝手に戦評定に出席するためだ。

(長年膠着していた西海道の戦局が動く。・・・・いや、動かす)

 そのために、彼女はここにいるのだから。










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