「猛虎襲来」/七



「―――存外に堅かったな」

 八代城に帰還した柳本は兜を脱ぎながら呟いた。
 一息つくと、戦っている時には感じなかった疲労感が襲ってくる。

(崩せなかったか・・・・)

 夜襲は夜明けとともに終わった。
 連合軍夜襲部隊は戦線を離脱し、それぞれ再編中だ。
 開戦当初は混乱した筑後衆だったが、崩壊せずに数百ごとに固まって防衛態勢を調えた。
 結果、龍鷹海軍陸戦隊と柳本勢による攻撃は、虎熊軍団に三〇〇弱の死傷者を与えただけだったのだ。
 主将がいないからこそ、個々の部隊でまとまっていたということなのだろう。
 しかし、夜襲自体は成功し、八代城は随分士気を上げていた。

「柳本殿、筑後衆はどうだ?」
「なかなかに手ごわい。さすが筑前衆と共に虎熊軍団の旗本衆を形成するだけはある」

 柳本は隣に並んだ景綱に言う。

「まあ、九〇〇〇を二〇〇〇で撃破できればここまで苦戦しないさ」
「確かにな」

 柳本勢の死傷者は三〇程度。
 死者はその内、四名だ(行方不明含む)。
 戦果としては上々である。

「しかし、あれが不気味だな」

 柳本が指すのは敵本陣で空高く上がった狼煙。
 合図には間違いないのだが、意味が分からない。

「だが、明らかに呼応しているな」

 先程、それに応えるように北方、西方から狼煙が上がった。
 西方には天草諸島があるので、燬峰軍団が呼応したのだろうか。

「嫌な予感がするな」

 ふたりの予感を裏付けるように、不知火海に展開していた龍鷹海軍が慌ただしく動き出した。






八代沖海戦scene

 虎熊水軍。
 虎嶼家は元々長門国を本拠としており、関門海峡を本拠地にした水軍を抱えていた。
 その水軍は穂乃花帝国制圧時に活躍し、その後、対馬国・壱岐国併呑に合わせて拡大。
 朝鮮への倭寇取り締まりなどの実戦経験を経て精強さを誇っている。
 最近では朝鮮を通して中国に接近し、交易を実施していた。
 凌波性のいい設計をしており、排水量当たりに必要な人員も他の水軍より少ない。
 龍鷹海軍とは少し違った意味での近代的な水軍だった。
 そして、何より大軍だった。
 有明海に復活した艦隊は小早だけで三〇〇。
 安宅船や関船も五〇隻は下らない。
 それらが晴胤本陣から上がった狼煙で動き出したのだ。




「―――斥候船より狼煙! 『敵見、大軍』!」
「同じく西方の斥候船より狼煙。文言も同じです!」
「南方へ退避路確保に向かった斥候船も全く同じです!」

 不知火海の龍鷹海軍は混乱の極みにあった。
 虎熊水軍に完全に包囲されたのである。

「・・・・南方へ退避する。邪魔するものは蹴散らせ」

 第二艦隊司令官・井上道景は思ったよりも冷静な自分に驚いていた。
 彼は男女沖海戦後に第二艦隊司令官に就任している。
 戦時でもその才は忌憚なく発揮されているが、今のような事態は初めてだった。

「敵はどこから湧いたと思う?」
「三角ノ瀬戸を超えたものと思われます」

 副官は迷わず答える。しかし、表情を見る限り、納得がいっていないようだ。
 三角ノ瀬戸とは、宇土半島と天草諸島の間に流れる瀬戸で、かつて聖炎水軍の拠点があった三角港があった。
 ここを抜ければ島原湾であり、宇土半島に沿って制海権を握る熊本港に出る。

「しかし、早すぎます・・・・」

 夜襲をかけたのは数時間前だ。
 急報を受けて熊本を出発した場合、もっと時間がかかるはずだった。
 もし、三角港に展開していたとしても、これだけの戦力は展開できない。
 何せ三角港は佐敷川の戦いで破壊されたままなのだから。

「斥候が報告できないほどの大軍が展開している事実と我々が包囲されている事実から、嫌な予感がしますね」
「・・・・ああ、そうだな」

 副官の予感は分かる。
 自分も感じていたのだから。
 艪が唸り、急速に方向転換する安宅船の視界に、ついに三方から現れた敵船団が現れる。

「おいおい・・・・」

 三方とも一〇〇は下らないだろう。
 つまり、全軍で三〇〇隻以上。

(やはり、"待ち構えて"いたのか)

 副官の顔は真っ青だ。
 戦力的に劣勢と言うのに、第二艦隊は輸送船団を守りながら戦わなければならない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その至難さに井上は頭を抱えたかった。

「・・・・敵は関船らしき船が最大だな」
「・・・・そうですね」

 それでも歴戦の井上は敵の編成から光明を見出す。
 安宅船は強力な戦闘力を持っているが、速度が遅いという欠点がある。
 龍鷹海軍の出撃を予想していたとはいえ、宇土城陥落から砂川の戦い、八代城包囲まで目まぐるしかった。
 この短期間で安宅船が進出できなかったのだろう。

「得意の遠戦は不可能だろうが、敵に接触する前に減らすぞ!」
「砲撃戦用意!」

 井上の言葉に応じた副官が叫ぶ。
 すぐさま大砲を持つ安宅船と関船が前に出て、その砲門を南方の艦隊に向ける。

「輸送船団をやや陸寄りに走らせろ」
「はっ」

 軍船よりも喫水の浅い上陸用船団は陸地に近い場所を航行しても座礁の心配はない。
 防衛網が突破されても、敵船が近づくのは勇気がいることだろう。
 また、損傷してもさらに陸地に近づいて座礁、兵員は陸地に逃げ込める。
 船を失うのは辛いが、兵を失うよりマシだ。

「撃て!」

 合わせて十七門が火を噴き、射程内に入った小早の周辺で水柱が立った。
 複数の水柱が立った小早など、その衝撃だけで転覆している。

「・・・・ん?」

 遠目にそれを見た井上は、違和感を抱いて首を傾げた。

(小早にしては小さすぎないか?)

 龍鷹海軍の艦艇は大型化しており、周辺国の艦艇はどれも小さく見える。しかし、虎熊水軍の小早はそれらと比較しても小さかった。

「もう少し近づいてから判断するか・・・・」

 小早に帆が張られ、遠目では様子を窺うことができない。
 井上は判断を先送りにし、砲撃を集中させるために指示を出し始めた。



 井上の違和感が嫌な予感に変わったのは、敵の小早が半減した時だった。
 普通、船が転覆すれば、乗組員たちは海へ投げ捨てられる。
 現代とは違い、ほとんどが甲板にいるのだ。
 船に閉じ込められて沈むことはほとんどない。

(海を漂流する敵が少ない。・・・・ということは、元々ほとんど乗っていない)

 小型だから乗組員が少ない、というレベルではない。
 軍船として致命的なレベルまで少ない。

(ならば・・・・これは軍船ではない!?)

「全船回頭! 進路を西へ執れ!」
「それでは輸送船団とはぐれますが!?」

 副官が異を唱えるが、すぐにその顔が朝日とは違う明りに照らし出された。

「な!?」
「燃えた!?」

 突然、五〇隻ほどの敵船が炎上したのだ。そして、風と海流に乗ったそれがどんどん迫ってくる。

「火船攻撃!?」

 自船を燃やして敵へ突撃させる、ある意味自爆攻撃。
 双方の船が木造である以上、燃えやすいという特徴を持っていた。

「回避ィ! 回避ィ!」

 一隻の関船が叫びを上げながら回頭する。しかし、勢いに乗った火船はちょうど横を向いた関船のどてっ腹に突き刺さった。
 衝角が左舷を砕き、半ばまで関船の中に埋まりながら火船は止まる。
 衝突の瞬間、衝撃で火が消えたように見えたが、双方を中心に波紋が広がる中、関船は火柱を上げて炎上した。

「チッ、火薬でも込めてあるのか」

 衝撃で起爆装置が発動し、爆発したのだろう。
 真ん中から爆発力を全身に行き渡らせた関船が、竜骨や帆を砕かれて沈んでいく。
 五〇隻近くの火船が突入したが、命中したのは先の関船だけだ。
 他は見事な操舵で回避した。しかし、起爆装置は時限式だったのか、引火したのか。
 どちらにせよ、絶妙なタイミングで火船が次々と爆発し、四散した木材等が周辺の船を襲った。
 それらは散弾となって甲板上の兵を殺傷する。
 安宅船は船舷が高いために限定的だったが、小早では死傷者が続出していた。

「恐ろしいな」

 数が半減していたから良いものの、全て向かってきていればそれだけで壊滅したかもしれない。

(だが、金持ち戦術だな)

 小さいとはいえ船を木端微塵にできる爆発力だ。
 使用された火薬量は相当なものだろう。
 というか、あれだけで陸戦における万余の兵力がぶつかる決戦で使用される火薬量を上回るのではないだろうか。
 非常に有効な戦術だが、費用対効果が悪すぎる。

「だが、回避したならばこちらの・・・・ッ」
「西方より敵大軍!」
「くっ」

 座礁を恐れて西へ退避した第二艦隊を待っていたのは、西方の一五〇隻である。
 それとの会敵の報告に井上は歯噛みする。
 火船によって被害は出たが、全体的に見れば被害は軽微だった。
 だがしかし、虎熊水軍の火船戦術はまだ終わっていなかった。
 この攻撃には直接的な攻撃力の他に、大きな作戦的影響力を持っていたのである。

「陣形調いません! 白兵戦になります!」

 それは敵陣形の破壊だった。

「大鉄砲、放てぇ!」

 組頭が自ら大型の鉄砲を構えて叫ぶ。
 次の瞬間、輸送船団を護衛する小早と離された安宅船と関船から、数十の弾丸が放たれた。
 通常の火縄銃は三~十匁弾を発射するが、この大鉄砲は五十~一〇〇匁弾を撃つ。
 鉄砲と名がついているが、実際には攻城兵器だ。
 それが当たった敵船に大穴が穿たれ、運悪く命中した兵は血塵となって絶命する。だが、大鉄砲は龍鷹海軍だけが持つ兵器ではない。
 ある程度の経済力を持つ勢力には常備された、一般兵器だった。
 双方の間で壮絶な銃撃戦が展開され、船の性能から次々と虎熊水軍の小早が沈んでいく。しかし、龍鷹海軍側も多勢に無勢で囲まれてしまった。

「ええい! 輸送船団に狼煙だ!」

 井上が乗る安宅船の大砲が咆哮し、こちら向けて回頭していた敵関船の横腹を貫く。
 喫水近くを撃たれた関船はその穴から海水を吸い込み、傾斜が一度も回復することなく転覆した。
 多くの水兵が海に投げ出され、慌てて数隻の小早が救助に向かう。

「輸送船団は水俣へ狼煙を上げて座礁、陸路より帰還せよ、と」
「分かりました」

 副官が頷き、狼煙を上げさせるために走り出した。

「お、お・・・・」

 ズズンと腹に響く轟音が両弦で発生する。
 それは焙烙火矢がさく裂した音であり、続いて敵兵の悲鳴と共に木々が砕ける音がしてきた。
 接舷しようとした敵小早が沈んでいくのだ。

「個々船は生き残りのために行動自由とする!」

 井上は霊術を発動し、飛んできた矢を焼き払いながら叫ぶ。
 もう組織だった戦いは不可能だ。
 守るべき輸送船団を切り離した以上、暴れるだけ暴れる。
 そう思った井上は敵旗艦らしき関船へ向けて舵を切らせた。
 それに応じ、周囲に群がっていた敵小早が一斉に旗艦を守ろうと動き出す。

「反転!」
「「「「そぉれっ!」」」」

 艪走の優れた点として、旋回半径の小ささがある。
 現代でもサイドスラスターを利用した旋回半径を小さくする方法があるが、方法は全く同じだ。
 単純に一方の弦がもう一方と違う方向に進むために艪を動かせばいいだけである。
 例えば右舷が前へ、左舷が後ろへ進むために艪を動かせば、両弦はその通りに動く。そして、船を中心にして反転するのである。

「帆を張れ!」
「はい!」

 安宅船は鈍重だが、それは大きさに見合う重量を動かすのが大変だからだ。
 また、大きさの割に喫水が低く、船首の凌波性が悪いことも挙げられる。
 しかし、龍鷹海軍は沖合で使用するために様々な改良を施している。
 帆走航行、船首・喫水部改良。
 結果、海岸近くでの戦闘には不向きになったが、航行能力は飛躍的に向上した。

「戦線を離脱しろ!」

 後ろを見れば、慌てた敵小早が追いかけようとしている。しかし、密集してしまったために逆に身動きが取れず、初動に失敗。
 井上を乗せた安宅船は南方から来た船団の西側を抜けて不知火海を南下した。

(何隻逃げてこられるか・・・・)

 井上が振り返った向こうでは、一隻の安宅船が囲まれて集中砲火を受けている。
 北方の船団も逃げようとする小早を追い回していた。




 後に「八代沖海戦」と呼ばれる龍鷹海軍と虎熊水軍の戦闘は、一刻半ほどで終結した。
 龍鷹海軍は安宅船三、関船八、小早四〇、輸送船三〇、虎熊水軍は関船四五、小早一五〇、火船三〇〇で構成されていた。
 大砲の数では龍鷹海軍十七門、虎熊水軍四五門と虎熊水軍が有利だったが、虎熊水軍が船団を三つに分け、龍鷹軍団が南方船団に突撃したため、開戦直後は十七対十五と拮抗する。
 また、練度では龍鷹海軍が圧倒的に優っており、完全包囲できるかどうかが勝負の分かれ目だった。
 しかし、虎熊水軍南方船団が放った火船攻撃の結果、龍鷹海軍は回避行動の末に大型船と小型船が分離され、大型船は西方船団と戦闘に入ってしまう。
 持ち前の練度で次々と敵船を沈めるが、編隊行動が不可能になった時点で、龍鷹海軍は戦線離脱を選択した。
 輸送船団は放棄の上、陸上から退避。
 他の軍船は出来うる限り海上を撤退の上、どうしようもなければ座礁して陸上へ退避する。
 もちろん、途中で撃沈・拿捕される船もあり、両軍の砲火が消えた時、龍鷹海軍が保有していた戦力は安宅船一、関船三、小早一〇と開戦当初の27.4%まで激減していた。
 全損した輸送船団も加えるならば、損耗率は82.7%という驚異的な数値である。
 死傷者・行方不明者も全体の半数に及んでいた。
 陸戦隊の大半は陸地へ上陸し、後に水俣から急行した長井勢に救出されたが、手痛い敗北である。
 圧倒的戦力差だったものの、戦略と作戦次元で龍鷹海軍は虎熊水軍に完膚なきまでに叩き潰されたのだった。
 龍鷹海軍にとっての慰めは、虎熊水軍も甚大な被害を受けていたことである。
 虎熊水軍の残存艦隊は関船三〇、小早五〇、火船二〇〇である。
 火船は西方、北方が攻撃に参加しなかったために残存したものであり、実質戦闘参加数の二九五隻中二一五隻喪失。
 ここから南方船団の火船一〇〇隻を抜いても一九五隻中一一五隻喪失と、損耗率が59.0%と決して低くはない。
 八代沖海戦の結果、龍鷹軍団は海上機動のために必要な輸送船団を喪失し、第二艦隊の主力が壊滅した。
 虎熊軍団は当面の安全確保に成功したが、水軍の損耗大きく、不知火海全域の制海権を得るには至っていない。



「―――どちらが勝ったかは、後の歴史家が決める、か・・・・」

 八代沖海戦の翌日、龍鷹海軍本拠地――指宿軍港は慌ただしく戦闘準備をしていた。
 ここに停泊するのは第一艦隊だ。
 また、阿久根港、川内港に残存する第二艦隊も出撃準備に追われていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ん?」

 出港準備を眺めていた鷹郷勝流は、その袖を引く力で我に返る。そして、その方向を見れば、無表情のリリス・グランベルがいた。
 出会った時よりも成長して目線は同じ位置にある。
 二か月前に叔父の妻のひとりである紗姫に会った時、紗姫が彼女を認めると共に崩れ落ちていた。
 後で聞けば「あのお人形さんのように可愛かったリリスちゃんが・・・・時って残酷・・・・」と呟いていたらしい。

(あいつの関係者は変な奴ばっかだ)

 自分の事を完全に棚上げした勝流は、リリスに向き直った。

「どした?」
『出陣するの?』

 差し出された紙に書かれた文字は、達筆な日本語だった。

「ああ。初陣として出ていいってあいつに言われたしな」

 勝流は元服もすませ、後は初陣を経験するだけ、という段階である。
 実際には訓練などで派手な戦闘経験があったりするのだが、実戦は初めてだ。
 今回は第二艦隊の安宅船が沈められるほどの敗北を喫しているらしい。
 "海将"・鷹郷実流の跡取り息子として、しっかり敵討ちをしなければならない。

『気を付けて』
「了解了解」

 くしゃくしゃとリリスの髪を掻き乱し、勝流は旗艦「霧島」へと歩き出した。

(虎熊水軍は大陸と交易するほど海に精通した水軍だ)

 これまで相手にしていた聖炎水軍とは比べ物にならない。
 まだ報告は受けていないが、勝流は始終主導権を握られていたと予想していた。

(戦略・・・・いや、作戦次元での優位さを確保する、てか・・・・)

 砂川の戦いで連合軍が敗北したのと同じ敗因だ。

「くふふ」
「・・・・源丸様、不気味です」

 彼を待っていた海軍卿・東郷秀家が若干身を引く。

「うっさいなぁ。・・・・でも、俺たちはこれから中華帝国と同じぐらい骨がある敵と戦えるかもしれんぞ」

 龍鷹海軍は国内では無敵と言われていた。

「戦を好み過ぎるのは感心しませんぞ?」
「分かってる。・・・・でも、な」
「・・・・・・・・・・・・ふふ。まあ、分からないでもないですな」

 しばらく耐えていたが、体の奥から湧き上がる感情に耐え切れなかったのだろう。
 東郷がニヤリと笑みをこぼした。

「あいつに海軍のヘマは海軍が返すと約束したからな」
「候王に・・・・」
「全力で叩き潰すぞ!」
「ははは、分かりました!」

 ハイテンションな主将ふたりを眺める海兵たちに気味悪がる表情はない。
 そこにあったのは、海の男としての闘志だけだった。










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