「猛虎襲来」/五



 砂川の戦い。
 後にこう呼ばれることとなる、鵬雲五年四月一日の虎熊軍団と龍鷹-聖炎連合軍の戦いは、時間にすればわずか一刻半で決着した。
 勝敗を決めたのは、虎熊軍団の後続部隊だ。
 虎熊軍団は豊前衆九〇〇〇だけが南下していたわけではない。
 これらは前進部隊であり、本隊は後方にいた。
 それを連合軍は知らず、九〇〇〇もの大軍を正面から迎え撃ってしまったわけである。
 戦況は一進一退、いや、先鋒の岡本幸康を討ち取ったところからも連合軍がやや有利だった。
 だが、連合軍が奇妙に思った豊前衆の総攻撃は、三万四〇〇〇に上る虎熊軍団の先鋒攻撃であった。
 虎熊軍団はやすやすと別の渡河点から砂川を渡り、連合軍を横撃したのである。
 こうして、連合軍の戦線は容易に崩壊した。
 だが、戦局は決まっても、戦いは終わらない。
 軍としての勝敗が決した後に待つのは、集団としての生き残りをかけた生存戦争となる。
 野戦において、最も死傷者が出るのは本戦ではなく、敗走した後だ。
 敗者が壊滅的打撃を受けたことで有名な長篠の戦い(織田・徳川連合軍vs武田家)もこれにあてはまる。
 約8時間に及んだ長篠の戦い本戦で戦意を著しく低下させた武田軍は、整然とした退却を行うことができず、我先にと逃走した。
 これを追撃したことで、連合軍は重臣を含む多数の首を上げたのである。
 砂川の戦い後半戦。
 それは長篠の戦いのような、壮絶な追撃・撤退戦だった。






撤退戦scene

「―――ふんむ!」
「「「ぎゃあああああ!?!?!?」」」

 霊力が弾け、それに巻き込まれた足軽たちが吹き飛んだ。
 それは後方の者に当たり、さらに多くの兵が倒れて止まる。

「今だ! 走れ!」
「「「「「はい!」」」」」

 龍鷹軍団の殿軍を務めるのは、佐久頼政だった。
 村林勢は国松勢の攻撃を受けた段階で崩壊、バラバラになって逃走している。
 この村林勢の崩壊と迫りくる大軍に動揺した他の龍鷹軍団も連鎖的に崩壊した。そして、それを抑えるはずだった衛勝が本陣不在も相まって、止めようのない流れとなって敗走している。
 名島勢は平野部の西側が敵に抑えられたと知るや、東側の山間部に入り、小さな集団となって撤退した。
 この判断は見事で、聖炎軍団の損害は最小限に抑えられる結果となる。
 だが、問題は龍鷹軍団だった。
 正面と左翼の猛攻に耐え切れず、潰走する軍勢は、この地のことをよく知らない。
 結果、蜘蛛の子を散らすように逃げられず、ある程度まとまった形で撤退せざるを得なくなった。
 もちろん、一兵一兵はそんなことに考えが至らず、兵の逃散は生じている。
 攻撃による被害、兵の逃散で、龍鷹軍団は加速的にその数を減らしていた。

「鉄砲隊、放てぇ!」

 号令と共に轟音が響き、三〇発弱の弾丸が敵軍を穿つ。
 悲鳴と共に前線が崩れ、何人かの足軽が味方に踏み潰された。

「駆け! 駆けぇ!」

 頼政が殿軍になったのは偶然だ。
 戦線崩壊があまりに早すぎ、殿軍の指定ができなかっただけでなく、村林勢に続き、長井勢が崩れたのだ。
 勇猛でなる長井勢でも浮足立った時に適切な指示がなければ崩壊する。
 頼政は衛勝が敵先鋒の部将を討ち取ったことは知っていたが、あまりにタイミングが悪かった。

「奴が本陣にいれば、こうも簡単に崩れなかったものをッ」

 再び寄せてきた敵兵をさばきながら呻く。
 頼政に戦局を左右させる武勇はないし、それを誘引することもできない。
 できるのは、ひとりでも後方に逃がすことだけだ。
 それも十分に戦局に影響を与えていたが、ひっくり返すほどではない。

(長井ならば、ひとりで数百を相手にし、追撃を断念させることもできるかもしれんが・・・・)

 おそらく、乱れに乱れた自軍の収拾に追われているのだろう。
 その段階で前線に来て槍を振るえとは言えない。
 彼自身も部下の命がかかっているのだから。

「名のある武者とお見受けする! いざ、勝負―――ぐぶあ!?」
「邪魔だぁ!」

 突きかかってきた騎馬武者の槍を手に持った大太刀で両断。
 すれ違いざまに拳を振って殴り飛ばし、敵集団に叩きつけた。

「殿、仲綱様は無事に戦線離脱、一里の場所で兵を整えておいでです」

 後方から駆けてきた物見が報告してくる。

「そうか・・・・」

 嫡男が無事だったことに息を吐き、物見を率いた男に向き直った。

「では、貴様も離脱しろ。仲綱と合流し、八代城へと向かうように伝えろ」
「・・・・御意」

 男は何か言いたそうだったが、静かに目礼する。そして、掌に火の玉を生み出し、前線へ投げつけて後方へ馬を走らせた。

(一里後方でも安心できん。虎熊軍団一部はきっと海岸沿いを南下しているはずだからな)

 その目的は明白だ。
 手薄の八代城を陥れ、連合軍を東へ追いやろうと言うのだろう。
 東には堅志田城があり、軍勢を収容することができる。しかし、この場合、連合軍は沿岸部から山奥に追い詰められる可能性があった。

(八代が落ちれば、我らは佐敷まで後退しなければならない)

 例え龍鷹軍団本隊と合流しても、虎熊軍団主力を撃破した上で無傷に近い八代を攻略、その後、熊本城の後詰などできるわけがない。

「ここで踏ん張れば、未来は楽になる」


「―――ああ、その通りだな。だから、そうさせるわけにはいかない」


「―――っ!?」

 殺気を感じ、その方向に目をやれば、ひとりの派手な部将が馬を進めていた。
 甲冑は野郎形獅噛前立兜に日月竜文蒔絵仏胴具足とそう珍しいものではない。だが、陣羽織が金色だった。

「見事だな。戦いつつ、ちょっとずつ逃がして、今お前の周りには一〇〇人くらいしかいねえ」

 一二〇〇を数えた頼政勢は死者を除く一〇〇〇名超がすでに離脱している。
 ここに残っている者も、今から全力疾走で離脱するはずだった。
 だが、彼の殺気にすくんでしまい、その機会を失っている。

「虎熊軍団、小瀬左馬之助晴興だ」
「・・・・龍鷹軍団、人吉城主・佐久式部大輔頼政」
「おお!? 大物じゃねえか!?」

 晴興の声に、取り囲んでいた兵たちの目が光った。
 一手を預かる大将であり、名のある城の城主。
 それはどう考えても討った者には恩賞が与えられるだろう。

「なあ、佐久殿や。いっちょ勝負しねえ?」
「・・・・何?」
「ここで俺とお前さんが一騎討ちして、お前さんが勝ったら他の全員見逃してやるよ」

 それは魅力的な提案だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そんで、負ければ同じ運命を他の奴らにも、ってのはどうだ?」

 それは、この場にいる兵たちの命を頼政が預かるということ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よかろう」

 逡巡したが、勝つ以外に頼政たちが生き残ることはできない。
 頼政は籠手に埋め込んだ霊珠に霊力を通し、それを増幅した。


 霊装。
 それは神が与えた装備としての神装と、人が作って奉納することで神に認められた霊装の二種類が存在する。
 後者は優れた霊能士が作る装備品だった。
 そして、その霊装を作る過程で生まれる失敗作、もしくは奉納されなかった物も普通に使用できる。
 使用用途は霊術の補助器具である。
 霊力の増幅や特定霊術の発動補助などなど、用途は多岐に渡った。
 だが、これらの補助器具に名前はなく、今でも霊装と呼ばれていた。
 つまり、霊装とは広義の意味で霊術を発動する器具である。
 生成者が神である場合は、神装。
 生成者が人である場合は、狭義の霊装。
 狭義の霊装の中でも神に奉納されて【力】を得た物、そうならなかった物がある。
 当然、その能力・希少価値は神装 > 奉納された狭義霊装 ≫ それ以外となる。
 例えば、神装は鷹郷忠流が持つ片鎌槍<龍鷹>で、奉納された狭義の霊装は燬羅従流の数珠<鷹聚>や御武幸盛の扇子<松竹梅>だ。
 先の戦いで言えば、衛勝が持っていたのは奉納された霊装。
 岡本幸康が持っていたのがその他である。
 これら人工の霊装は量産が効かず、材料も高価なために一定数を揃えるのも一苦労である。
 このため、大量動員が可能になったこの時代、戦は霊術ではなく、集団戦が勝敗を決するようになっていた。
 だが、一個人の武勇に関してはまだまだ現役、というか最高峰の地位にある武器だった。


「へっ」

 頼政が霊装で霊力を増幅したのを見ても、晴興は特に動きを見せなかった。
 手に持った斬馬刀も微動だにしない。

(というか、本当に斬馬刀か?)

 先端は平坦で、刃の部分も刃紋が見えなかった。
 見た目はただの鉄板である。

「行くぞ!」

 頼政は霊力を身体強化に使い、馬腹を蹴った。
 馬の勢いと膂力で晴興を両断しようというのだ。

(勢いに乗った騎馬突撃を止めるのは容易ではな―――)

「―――っ!?」

 濃密な殺気を感じ、必死に馬から転げ落ちた。

「ほぉ、いい読みだ」

 晴興は一刀で頼政の馬の首を刎ね飛ばし、その地を浴びながら頼政を見下ろす。

「く、あ・・・・ッ」

 だが、頼政は顔をゆがめて見上げるしかできなかった。

「ぐ、ふ・・・・」

 引き戻された晴興の斬馬刀の先端が、胴丸関係なしに頼政にめり込んでいる。

「残念だったな」

 濃密な殺気を周囲に放った晴興の顔がぼやけ、頼政の視界は暗転した。






戦後scene

「―――城門を閉じろ!」

 砂川の戦いの後、八代城は堅く門を閉じた。
 命じたのは八代城主・名島景綱。
 名島勢は五〇〇〇中三五〇〇まで収容したが、残りは行方不明である。
 しかし、堅志田城からは兵の収容を告げる早馬が来ていた。
 実際の損害は小さいはずだ。

(・・・・だが・・・・・・・・)

 景綱は天守閣から北方を見ていた視線を隣に向ける。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そこには目を凝らして北方を眺める衛勝がいた。
 すでに日は暮れており、視界も悪い中、逃げてくる味方が見えるわけがない。だが、物見の情報では虎熊軍団は追撃を中止し、砂川付近で野営しているということだった。
 結果、今なお八代城には少しずつだが兵たちは帰還している。

(しかし、龍鷹軍団の集まりは悪いがな)

 龍鷹軍団は五〇〇〇中三〇〇〇を収容している。しかし、領国である聖炎軍団と違い、龍鷹軍団の兵に土地勘はない。
 日が暮れた中で八代城、ましてや堅志田城に到着することなど不可能だった。
 その場合、敵の追手にかかるか、最悪落ち武者狩りにあう可能性は非常に高い。

「・・・・・・・・・・・・失礼した、軍議をしよう」

 衛勝もそれは分かっていた。
 だけれども未練がましく北方を見ていたのは、龍鷹軍団が編成上の苦境に立たされていたからである。

「心中、お察しする」
「忝い」

 現時点の龍鷹軍団は兵二〇〇〇を喪失し、相応に組頭や物頭を喪っていた。
 喪われた物頭には長井友勝も含まれている。
 崩壊する長井先鋒部隊の中、最後まで踏みとどまった結果、敵討ちを称する岡本勢に討ち取られた。
 また、最初に崩壊した村林信茂も血路を開いて帰還したが、重傷のため床に伏せっている。
 最悪なのは佐久勢である。
 主将である佐久頼政は行方不明、実質的な殿軍を務めていたことから討死したと考えられる。
 佐久勢、村林勢ともに当主が死傷したため、その指揮は嫡男が引き継いでいる。
 佐久仲綱は佐久勢の中でも一手を率いる青年武将であり、隊も譜代で構成されている。
 軍をまとめることは容易いだろう。
 一方、村林信茂の嫡男・定信は内乱が初陣だった十五歳だ。
 当然、重臣が軍をまとめることになるだろうが、村林勢は北薩摩衆の集合体である。
 陪臣がまとめられるものではない。

「長井殿、一度本国に帰還されては如何か?」

 景綱は龍鷹軍団の惨状からそう提案した。

「これから逃げ延びてくるものはもちろん収容するし、明日になれば捜索隊も派遣する」

 物見が確認した虎熊軍団は、信じられないが、三万四〇〇〇を数える。
 砂川の戦いで損害を与えたが、あの大軍からすれば微々たるものだ。
 連合軍が予想した虎熊軍団の南下不可論は、宇土城が陥落したことで根拠が失われている。
 虎熊軍団は宇土城にも物資集積所ができ、戦術物資を八代まで届けることが可能だった。
 この場合、八代城は包囲され、野戦戦力として優秀な龍鷹軍団が遊兵と化す場合がある。
 それを避けるため、龍鷹軍団は本国に帰還し、再編することを薦めたのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 衛勝は腕を組んで目を閉じた。
 大名二人が死傷し、一門衆まで失った衛勝にできることは、軍団を崩壊させないことと本国への敵軍侵攻を避けることである。

(ならば、このまま八代に留まっても仕方ない)

「分かりました」

 衛勝は目を開け、景綱に言った。

「私は水俣城に入らせていただきます。また、佐久勢は人吉、村林勢は出水にそれぞれ帰還せよ」
「「はい」」

 父親の代わりに出席していた若武者二人が頷く。

「しかし、八代城は大丈夫ですか?」
「うん?」

 これから増えるかもしれないが、四〇〇〇以下の兵力で三万四〇〇〇を相手にするのだ。

「一晩で宇土城を陥落させるほどの相手です。八代城も危ないのでは?」
「可能性はあるな」

 八代城は輪郭式の平城で南に前川が流れ、東側に堀を備えている。
 宇土城よりは大きな縄張りでより堅固に作られていた。
 だが、虎熊軍団が城攻めに対して切り札があるならば安全とは言えない。

「薩摩衆のいくらかを残していくことも可能ですが?」
「必要ないですな。切り札があるならば数百増えても大して変わらぬでしょう」

 「それよりも一日でも早く後詰が来ることが大切だ」と続けた景綱は、快活な笑みを浮かべながら言った。

「今日はゆっくり休み、明日に出立されるとよかろう」
「・・・・そうさせていただく」

 衛勝は深いため息をつく。
 豊前衆のひとりを討ち取るという大功を上げたが、戦自体は手痛い敗北を喫した。
 それを主がどう思うか。

(功のあった弟君を容赦なく切り捨てるお方だからな)

 いきなり追放はないだろうが、何らかの罰はあるだろう。
 やや陰鬱な表情を浮かべ、衛勝は年少組を引き連れて天守閣を辞した。




「―――岡本家は、幸路が継ぐか」

 一方、砂川に布陣する龍鷹軍団も再編と休息を実施していた。
 二日に渡る強行軍だったのだ。
 熊本城攻防戦、宇土城攻防戦(一部のみ)、砂川の戦いなどイベント盛りだくさんだった。

「はい、豊前衆の死傷者は四〇〇といったところですが、やはり幸康の穴を埋めるための再編が必要ですな」

 白石が自軍の損害状況を記した紙から顔を上げる。

「先鋒部隊を交換されますか?」

 白石は熊将で九〇〇〇の兵を預かる部将だ。
 しかし、話しかける相手は次期当主で格上の虎将。
 遠征軍の総大将である晴胤の意向が全てである。

「次は八代だったな」

 晴胤は即答せず、物見に出ていた者に問う。

「はっ。敵軍は八代城に収容されています。また、一部ですが東方の堅志田城にも集まっているようです」
「・・・・・・・・白石、岡本勢を堅志田城の抑えに回してもよいな?」
「・・・・なるほど。それが良いでしょう」

 代替わりしたばかりの兵力は、野戦では使いにくい。
 ならば城を包囲するためだけに使う方が有効だ。

「益城郡には目立った戦力はないので気にせずとも良いだろう」
「ならば、さらに南下ですかい?」

 晴興が目を輝かせる。

「今回は紙一重で"槍の弥太郎"に逃げられた。あっさりと岡本の旦那を討つってことは大した奴だろう」
「左馬之助、会敵を心待ちにするのは自由だが、白石の前で口にする言葉ではない」
「・・・・いえ、そんなことは」

 晴胤の苦言に白石は恐縮した。
 小瀬左馬之助晴興の武勇は虎熊宗国に響き渡っている。
 今回も宇土城の早期攻略、龍鷹軍団の名のある部将を打ち倒していた。

「さて、まあ、小龍の手先は切り落とした。本体がどう出るか、楽しみだ」

 晴胤がくつくつと笑う。

「案外、日向戦線で困っているかもしれませんぜ」

 日向には銀杏国が二万を超える兵力で攻め込んでいる。

「・・・・龍鷹軍団の主力がどこにいるか分からないのは懸念事項ですね」
「ああ」

 白石が言う通り、虎熊軍団は龍鷹軍団主力の位置を掴んでいない。
 砂川の戦いは、連合軍が正確な虎熊軍団の位置を把握していなかったことが原因で、大敗を喫している。
 同じ轍を踏むわけにはいかない。

「なあにこちらの忍びが掴めないのならば、まだ前線に出ず、本国に居座っているのだろう」

 日向に現れたという情報もないので、黒嵐衆の守りが固い薩摩ないし大隅にいる可能性が高かった。

「案外、鹿児島で震えているのかもしれませんなぁ」

 誰かが放った言葉による嘲笑が場を占める中、晴胤は別の事を考えながら酒を口に含む。

(たった三年で西海道を動かした男だ。ここで終わるわけがない)

 宴会の体をなしてきた軍議をよそに、晴胤は思考の海へと沈んでいった。










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