「猛虎襲来」/一



 鵬雲五年三月二〇日、筑前国福岡城。
 西国九か国にまたがる広大な領土を持ち、博多を中心とした大陸貿易で栄える虎熊宗国の本城。
 梯郭式平山城として福崎兵陵に位置し、縄張は約25万平方メートルと西国一の巨城だ。
 ここに聖炎国征伐軍の本隊が展開していた。
 数的主力軍はさらに南の久留米城に集結している。

(―――鷹郷侍従忠流、か・・・・)

 その遠征軍を率いることとなった青年武将は、物見櫓から軍を見下ろしていた。

(出雲の奴等よりも、岩国の奴らに近いな)

 小勢ながら虎熊軍団を翻弄した岩国勢。
 それと同じ気質の大軍を擁する龍鷹軍団。
 今回の計画は、薩摩まで攻め下るものではない。だが、確実に龍鷹軍団は出てくるはずだ。

(本来なら、福岡衆も加えるはずだったのにな)

 宗主である虎嶼持弘が出陣しないため、福岡城には数千の留守居部隊が残る。
 西海道全体の総予備だと言えば聞こえはいいが、持弘の事だから自分で軍を率いるのが面倒なだけだろう。

「―――晴胤殿」

 己の思考を左右に頭を振って追い出した青年――虎嶼孫太郎晴胤は、己を呼ぶ声に振り返った。

「羽馬か」

 後ろに立っていたのは、西海道方面の虎将である羽馬修周だ。

「本来であれば儂が率いる軍を、代わりに率いてもらってありがたく思う」
「なあに、羽馬は出雲崩れの後、虎熊宗国の政務を取り仕切っている」

 出雲崩れ。
 これは虎熊軍団だけでなく、銀杏軍団も参加した出雲遠征の失敗をさす。
 今回同様、連合軍を組み、石見を経由して一気に出雲へと乗り込んだ。
 出雲は籠城策を取り、本城の出雲杵築城や月山富田城に展開。
 連合軍も分散してこれらの攻略に当たった。
 結果、月山富田城攻めに失敗し、一気に反撃に出た出雲勢力の前に大敗を喫したのだ。
 この戦いで次男を喪った持弘は、政務への興味を失って逼塞した。
 出雲の反撃にさらされた晴胤は福岡に戻らず、結果的に羽馬が宰相的地位について国を支えている。

「戦は我に任せろ」
「うむ、貴殿の武勇は知っているが・・・・」

 羽馬が言いにくそうに口の端をゆがめる。

「戦略家、か・・・・」
「左様。龍鷹侯国の鷹郷忠流、熊本の火雲珠希、共に稀代の戦略家だろう」
「下らん」
「晴胤殿・・・・」

 羽馬の懸念を一刀両断した晴胤に気づかわしげに視線を送る羽馬。
 その眼前に掌を突き出した晴胤は、彼の発言を止めた。

「そのような小作、正面から飲み込んで撃破するのが我ら虎熊軍団」

 左手で太刀の柄頭を叩いた晴胤は踵を返しながら宣言する。

「もう一度言う、戦は任せろ」
「・・・・御意」

 自信に溢れる名将の背中を、羽馬は同僚としてではなく、次期当主に向ける尊敬の念を以て見送った。


 鵬雲五年三月二二日、虎熊軍団主力軍が久留米城を出発した。
 先備、小瀬晴興三〇〇〇。
 次備、国松貞鑑三〇〇〇。
 三備、豊前熊将・白石長久九〇〇〇。
 中備、中国虎将・虎嶼晴胤一万二〇〇。
 後備、長門熊将・加賀美武胤六〇〇〇。
 計三万三〇〇〇。
 この他に筑後国柳川の田花勢四〇〇〇、筑後衆七〇〇〇、肥後北部の親晴勢六〇〇〇の一万七〇〇〇が加わる。
 総勢五万。


「これだけで出雲征伐を超える軍勢だ」

 晴胤は馬に揺られながら呟いた。

「だが、これだけではないぞ」
「豊後の方も出立した頃合いでしょうか」

 隣で馬を進める加賀美武胤がその呟きを拾う。

「ああ、まあ、当主は凡庸だが、刈胤の奴は見所がある」
「若よりも早くにお世継ぎをこしらえておりますからな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 流し目と共に告げられた言葉に、晴胤は視線を逸らした。

「このような大戦を前に後継者不在は不安ですなぁ」

 今回、晴胤と火雲親晴が戦死した場合、持弘の直系は全て絶える。
 この場合、豊後に婿入りした従兄弟か戻るか、筑後の田花家から養子を貰うことになるだろう。
 それはここ数十年続いた虎嶼家の政略結婚戦略の崩壊を意味していた。

「うるさいわ、この息子製造器」
「ほっほっほ、男として褒められたとしか思いませんなぁ」

 五男の父親は軽く笑っておどけてみせる。

「この野郎・・・・ッ」

 顔を引きつらせる晴胤の周りに霊力が弾けた。

「・・・・な、なあ、いつもこんなんか?」

 ふたりのやりとりを近くで聞いていた筑前衆馬廻は、隣に長門衆馬廻に訊く。

「いつものことだ。大丈夫大丈夫」
「軽いな、おい!?」

 虎熊軍団は始終リラックスした、言えば戦慣れした雰囲気で行軍し、三日後に筑後-肥後国境を越えた。




「―――見事なものだ」

 虎熊軍団が久留米城を出立した頃、豊後国臼杵城でも軍勢が集結していた。
 銀杏軍団の遠征は数年ぶりだ。
 ここ数十年でも大きな戦もなく、平和に過ごしていた銀杏国。
 最近版図に加えた北東肥後や北日向も外交戦の結果である。
 それも、裕福な石高が裏打ちする大軍を持ってこそだ。

「刈胤様~?」
「ああ、ここだよ」

 冬峯刈胤は背後からの声に振り返り、笑顔を見せた。
 笑顔の先には最愛の妻と息子がいる。

「ちちうえ~」
「おぉ、よしよし」

 小走りに駆け寄り、こちらの足にしがみついた息子の頭を撫でた。

「ぅぐっ。・・・・ちちうえ、かたい・・・・」

 具足の金属が腹を押したのか、息子が顔をしかめる。

「こらこら」

 そんな息子の手を引いて刈胤から引きはがした妻――律は優雅に一礼する。

「ご武運を」
「分かっているよ」

 ぽんっと彼女の小さな頭の上に手を乗せ、優しく撫でる。

「行ってくる」

 同日、銀杏軍団は臼杵城を出港。
 沿岸海域を移動し、二日後には日向延岡城に到着し、翌日に南下を開始した。


 先備、神前勢二五〇〇。
 次備、須藤利輝二〇〇〇。
 三備、冬峯利春四〇〇〇。
 四備、田中勝幸二〇〇〇。
 中備、冬峯刈典・刈胤六〇〇〇。
 五備、梅津正典四〇〇〇。
 六備、江口久延二五〇〇(虎熊軍団増援)。
 後備、大塩佳通二〇〇〇。
 計二万五〇〇〇。
 南下に従い、中日向の小室勢一〇〇〇が加わることになっている。
 総勢二万六〇〇〇。


 鵬雲五年三月二五日、虎熊-銀杏連合軍七万六〇〇〇はそれぞれ肥後と日向で敵勢力圏へと侵入する。
 迎え撃つ龍鷹-聖炎軍団も陣触れを発していた。
 一方、西肥前は東に漂う戦雲とは無関係で、傍観の態を崩していない。
 それは鷹郷改め燬羅従流となった少年も同じだった。






唯一の傍観者scene

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 鵬雲五年三月二六日、肥前国森岳城。
 燬峰王国の本城二の丸で、燬羅従流は空を見上げていた。
 春になり、温かくなってきた風がその法衣をはためかせる。そして、共に運んできた匂いに表情を引き締めた。

「刻家、どうしました?」
「・・・・ついに連合軍が動きましたよ」

 火薬の匂いをまとわりつかせた真砂刻家は、彼の後ろで片膝をついて報告する。

「そうですか。・・・・兄上は?」
「まだ鹿児島に」
「でも、前線には誰かが出張っているのでしょう?」

 刻家は従流の側近として情報を統括しており、その情報網に両軍の情報が引っかかったのだ。
 というか、彼が従える忍びは黒嵐衆で、元々霜草久兵衛の部下だった者たちだ。
 忠流は従流追放時に彼らも龍鷹軍団中枢から排除したのである。

「水俣城に長井衛勝殿が入り、佐久頼政殿、村林信茂殿が補佐」

 これは肥後方面の最前線。

「宮崎は絢瀬晴政殿が日向衆の集結を呼びかけています」

 これは日向方面の最前線。
 両方面とも数千は動いているようだ。

「侯王はどうされるんでしょうね」
「・・・・さあ? 僕には分かりません」

 従流は立ち上がり、本丸へと歩き出す。

「まもなく燬峰王国も戦評定に入るでしょう。それに参加します」
「了解。まあ、待機でしょうけどね」
「ええ、今回、燬峰王国は中立です」

 燬峰軍団も兵を集めているが、どこかに出兵する予定はない。
 それは村中城に集結している虎熊軍団もそうだろう。
 今回の戦、どう転ぶかは分からないが、今後の西海道の趨勢を決める一戦だ。
 結果次第では肥前の情勢も大きく動く。
 その激変に備え、燬峰軍団も臨戦態勢に移行した。



「―――さて、皆も知っての通り、ついに虎熊軍団と龍鷹軍団が衝突する」

 森岳城の天守閣で、燬峰王国国王・燬羅尊純が口を開いた。
 虎熊軍団の総帥・虎嶼晴胤とほぼ同い年の青年武将で、同じく戦場での戦闘指揮を得意とする勇将だ。
 自信と似たタイプが一手の総大将である今回の大戦に興味を持つな、というのは無理な話だ。
 だが、目を輝かせている姿はまるで子供のようだ。

「尊純様、あまり悪ふざけはしないように」

 当主側近である時槻尊次がため息交じりに指摘した。

(まるで兄上と幸盛殿を成長させた姿ですね)

 結羽の夫と言うことで一門衆に列せられた従流は近くに座る彼らを見て思う。

(経験は段違いですが)

 竜造寺の変で軒並み当主を喪った西肥前と燬峰王国は泥沼の戦闘に突入した。
 燬峰軍団は尊純の叔父・燬羅紘純の活躍もあって窮地を脱し、頭角を現した尊純・尊次のタッグで一気に盛り返している。
 先の武雄遠征などはその最たるものだ。

「婿殿、龍鷹侯国はどう動く?」
「分かりません。僕如きでは兄上の考えを悟ることはできません」

 話を振られた従流は首を振って答える。

「ですが、天草に兵を入れておいた方が良いでしょう」
「天草? 我が軍は中立だぞ?」

 軍団長・燬羅紘純が問う。

「ええ。"虎熊宗国とは"です」
「まさか龍鷹軍団が天草を占領するというのですか?」

 尊次の問いに従流は頷く。

「肥後戦線において天草諸島は側方陣地の役割を果たします」

 元々、龍鷹軍団が天草を聖炎国から奪い取ったのは肥後全体に圧力をかけるためだ。
 契約で燬峰王国に渡したが、燬峰王国が対聖炎、対肥後戦線から脱退した以上、この地を燬峰王国に渡しておく必要はない。

「天草諸島を占領すれば、強大な海軍の下に肥後沿岸に対する上陸作戦ができます」
「肥後沿岸が危機となれば虎熊軍団は留守軍を置かなければならなくなりますね」

 尊次はそれだけ呟き、顎に手を当てて考え込む。
 それだけ前線に展開する戦力が低下すると言うことだ。
 実際に天草諸島に一〇〇〇しかいなくとも虎熊軍団は数千の兵力を割くしかないだろう。
 それは戦力的に劣る龍鷹軍団が敵戦力を削減する最もいい手であろう。

「天草に兵力が展開すれば、兄上とて本格戦闘の末に占領しようとは考えていないでしょう」

 下手をすれば燬峰軍団が敵に回り、村中城にいた虎熊軍団すら動きかねない。

「兄上は戦略家です。戦略的に効果的な手を打つでしょう」
「なるほどな」

 尊純は小さく頷き、紘純を見遣った。

「分かった。兵を捻出しよう。本渡城に五〇〇ほど入れれば良いか?」
「そうですね。牛深は普段通りで良いと思われます」

 紘純は燬峰軍団の全権を担っている。
 龍鷹軍団の陸軍卿・鳴海直武と同じ立場だ。

「しかし、龍鷹侯王はどちらに主力を展開するのでしょう」

 結羽が首を傾げながら言う。
 日向表は銀杏軍団二万六〇〇〇。
 肥後表は虎熊軍団五万。

「肥後には熊本城と聖炎軍団がいますから、それを防壁にするならば全力で銀杏軍団を叩きますね」
「ですが、その場合、撃破後に虎熊軍団を相手にする体力が残っているか、ですね」

 従流の言葉に尊次が発言する。

「ええ。元々銀杏軍団は虎熊軍団の援護が目的でしょうから日向に抑えを残し、残りで虎熊軍団に当たる方法もあります」

 実はこの方法を採るだろうと虎熊軍団が考えていた。

「如何に五万であろうとも熊本城を落とすのは容易ではありませんからね」

 従流は熊本城にも入ったことがあるが、あれを落とすには兵糧攻めが最も効果的だと思った。
 結局、正攻法で落とすことはできないのだ。

「聖炎軍団は小競り合いの遅滞戦術で兵糧を入れようとするだろうからなぁ」

 尊純は天井を見上げながら言う。
 聖炎軍団も自分たちの弱点は分かっている。しかし、今回は電撃作戦ではなく、正規の動員と侵攻だ。
 聖炎軍団も準備しているだろう。

「逆に言えば、虎熊軍団はもうほとんど選択肢を有していないんです」

 それでも優位に立てるのは、絶対的な兵力差だ。
 これこそが虎熊軍団の強さである。

「そんな相手と講和したのは英断です」

 本来であれば、虎熊宗国は総力を挙げて燬峰王国を潰しに来たのだ。
 その矛先が転じたのは、聖炎国の政変があったからである。
 虎嶼持弘の三男である火雲親晴に反旗を翻した火雲珠希の後ろ盾に龍鷹侯国が付いたことで、虎熊宗国は戦略転換を行った。
 石高こそ隔絶しているが、後顧の憂いなく全戦力を投入できる龍鷹軍団とは違い、虎熊軍団は背後に敵を持っている。
 今ここで燬峰王国と事を構えるべきではない、としたところにすかさず講話交渉に赴いた燬峰王国の首脳部は外の情勢をよく分かっていると言えた。

「・・・・えへへ」

 小さく結羽が照れくさそうな笑みを浮かべる。
 この外交交渉を手掛けたのは彼女なのだ。
 交渉の席には元武雄城城主もいたが、その反対を押し切って彼女は筑後熊将と話をまとめた。
 結羽は肥前熊将の島寺を討ち取った張本人だったのだが、虎熊宗国はそこを重視しなかった。
 その事実だけで虎熊宗国の大国ぶりが分かる。

「なんにせよ、せっかく得た時間だ。有意義に使わせてもらおう」

 尊純がまとめにかかると、幾人が頷いて席を立った。
 領土拡大に伴う内政と西肥前の国人衆との折衝など、文官的仕事が山積みなのである。

「俺も新妻を愛でるっかなぁ」
「・・・・仕事しろ、馬鹿者」
「ぅお!? 尊次、テメェ!?」

 従流と結羽を眺めて目を細めた尊純はウキウキと席を立つが、尊次に裾を掴まれてすっ転んだ。

「ほら、書類に名前を書く、単調で面倒な仕事が山積みだぞ~」
「嫌な仕事じゃねえか!?」

 そのまま襟首を掴まれて引きずられていく。

「・・・・いつ見てもすごい光景です」
「ふたりは乳母兄弟ですから」

 呆然と見送る従流の手を取り、結羽は幸せそうに微笑んだ。

「さ、あなたは私を愛でくださいね♪」










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