第三戦「龍炎による小熊退治」/四



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 熊本城の天守閣で、ひとりの女性が目を閉じていた。
 脇には長刀が立てかけており、長い髪は結い上げられている。
 所謂、女武者という格好だった。

(親晴様・・・・)

 十波椎。
 十波政吉の姉であり、火雲親晴の室。
 一子を授かり、大名の妻としての経験を積んでいた。
 だからこそ、彼女は逃げなかった。
 親晴と椎の息子は、精鋭一〇〇に守られて菊池城へと向かっている。
 今ここにいるのは、隈本衆四〇〇。
 臨戦態勢で城門を固く閉じていた。

「―――椎様」

 瞑想していた椎に声がかかる。
 声の主は、珠希の側近だった鈴鹿栞だった。しかし、泰妙寺の変以後は忠実に火雲親晴に仕えている。
 因みに武装侍女の頭目ではあるが、彼女自身の戦闘力は低い。
 だが、彼女も武装していた。

「何かありましたか?」
「加勢川にて両軍が激突しました。最初からの総攻撃で、敵軍を崩しているようです」
「おお!」

 椎は手を叩いて目を開く。しかし、その目をすぐに瞬かせた。

「・・・・なぜ?」

 部屋の前には、武装した侍女たちが並んでいる。
 その全てが珠希の部下だったものだ。
 いや、問題はそこではない。


「―――久しぶりだね、椎姉さん」


「・・・・う、そ・・・・」

 目の前に立っていたのは、火雲親家と戦っているはずの、もうひとりの火雲家跡取り、――火雲珠希だった。

「狼煙を上げろ!」

 遠くからこんな声が聞こえる。
 まもなく上がり出した狼煙を背景に、珠希が言った。

「"隈本城"、返してもらうよ」




「―――熊本城が見えてきましたね」
「だね」

 火雲珠希は隣を駆ける名島重綱にそう言った。
 彼女の視界には久しぶりの巨城が聳えている。
 珠希勢一〇〇〇は東回りで熊本城を目指していた。
 翻す旗印は<白地に小豆の五つ千鳥>。
 親晴勢と同じだ。
 このため、珠希勢は怪しまれることなく街道を歩いている。
 すでに早馬を出し、益城郡の兵だと熊本城に告げていた。
 如何に堅城とは言え、五〇〇程度で熊本城を守れるわけがない。
 守備隊隊長は援軍の存在を疑わず、城門を開く手はずになっていた。

(しかし、難攻不落が聞いて呆れるね)

 だが、熊本城を落とすにはこれしかない。

「今頃、加勢川で激突している頃でしょうか」
「だろうね」

 龍鷹軍団は親晴勢を迎え撃っているはずだ。
 それも不利な状態で、だ。

「野戦決戦を得意としながら、衝突力ではなく忍耐力を戦術基板に据える龍鷹軍団らしいよ」
「ですが、親晴殿も一廉の武将です」
「悔しいことにね」

 万が一、龍鷹軍団が崩壊しては困る。

「さっさと城を攻略しよう」
「はい」

 そうして、珠希はあっさりと熊本城を落とした。




「―――親晴殿に同心した者たちの捕縛、終了しました!」
「ご苦労。引き続き全周囲を警戒してくれ」

 報告に指示を返した重綱は、ため息と共に島原湾を見遣った。
 そこに浮かぶ大小様々な輸送船。
 それらは確保した熊本港に向かっている。
 珠希勢の援軍なのだ。

「珠希様、増援一五〇〇が沖合に到着しました」
「分かったよ。これで隈本城は盤石なわけだ」

 珠希は満足そうに言い、憔悴している従姉妹に視線を移した。

「送り先は菊池城でいい?」
「・・・・なぜ?」

 小さな声が発せられる。
 熊本城が占拠されたことで、椎は天守閣で呆然としていた。

「んー、戦略が理解できるかどうか、だけど・・・・」

 「まず第一に」と続けた珠希は、南の方を見て言う。

「侯王はボクたちが思っていたよりも、ずっと頭がおかしいってことかな」
「え? ・・・・え?」

 上品でよくできた女性故に、椎は珠希の毒舌に反応できなかった。

「つまり、普通じゃ考えられないことをさも当然のように考案し、かつそれを家臣に強要するんだよ」
「・・・・暴君?」
「理不尽だと良いんだけど、それが筋通っているから厄介なんだよね」

 くつくつと楽しそうに笑う。

「・・・・楽しそうね」

 椎が知っている珠希は、いつもつまらなそうだった。

「楽しい、かな。今じゃ、女の身でもよかったって思えるほど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 珠希は火雲親家の嫡女として頑張っていた。
 武道やその他の教養を身につけ、名門の娘として立派な才覚を持っていた。
 だが、それ故について回る、「性別」。

「ま、今はどうでもいいけど」
「・・・・そうね」

 椎も馬鹿ではない。
 親晴がいなくなったので、椎がくさびになったのだが、それ以上の力で引っこ抜かれただけだ。

「隈本衆の留守居は上を除いた中間指揮官はあなたと仲が良かったからね」

 だからこそ、加勢川の戦いに連れて行かなかった。
 しかし、今回はそれが裏目に出た。
 まさか珠希本人が乗り込んでくるとは。

「普通なら、侯王と轡を並べているよね」

 野戦決戦に勝利し、堂々と熊本城に挑む方が名声を手に入れられる。

「あの人は各局面において、名と実、どっちが大切かを瞬時に見抜くんだよ」

 今回は、実=熊本城だった、ということだ。

「今回の戦いの目的は隈本城を奪還すること。そのためには親晴勢を城から出す必要があること、ならば親晴にこちらの目標が隈本城ではないと思わせることが重要」

 つまり、親晴はまんまと誘き寄せられたのだ。

「・・・・でも、一五〇〇はどこから?」

 宇土城を取り囲むのは二〇〇〇、御船城に向かったのは四〇〇〇、加勢川に布陣したのが八〇〇〇。
 八代城には一万五〇〇〇が集結しており、残りの一〇〇〇は後方支援活動をしていることが確認されていた。

「あの一五〇〇は八代勢だよ」
「・・・・え? じゃあ、加勢川にいる一五〇〇って?」

 きょとんとする椎に人の悪い笑みを浮かべる。

「さあ、そろそろかな」

 珠希は視線を南へ向けた。






加勢川side

「―――来たか!」

 忠流は蒼白だった顔に喜色を浮かべ、床几から立ち上がった。
 戦が始まってから二刻、連合軍は真っ二つに切り裂かれている。
 本陣は加勢川と緑川の中州まで撤退し、川岸ギリギリで親晴勢を受け止めていた。
 だが、当初考えていた半途撃つができず、前線は今でもジリジリと押されている。
 当初は従流の能力でどうにかなっていたが、体力切れになった。
 今も隣でぶっ倒れている。

「前線に伝えろ! あと少しだとな!」

 前線を支えているのは、近衛の個人的武勇だ。
 特に信輝・郁夫妻の活躍が恐ろしい。
 比喩ではなく、あそこでは人が宙を舞っている。

「狼煙、か」

 近衛(本物)に薦められ、桐凰家の家紋入りの輿に乗った昶が空を見上げた。

「熊本城の方から」

 紗姫は輿に乗っていない。
 そもそも危険になれば、飛んでいけばいいだけだ。

「ま、そういうことだ」

 と、言いながら、忠流は紗姫に手を出した。

「?」

 とりあえず、お手をする紗姫の手を握り込み、【力】を送り込む。

「え!? ちょ!?」

 何やら抗議の声を上げようとするが、それを無視した。
 結果、紗姫が金色の光に包まれる。

「兄上・・・・?」

 青白い顔をした従流が見上げてきた。
 それにニカッとした笑みを浮かべ、告げる。

「後は任せた」
「え、僕倒れているんですけど!?」

 抗議は全無視。

『私の抗議も無視しないでよ!?』

 肉声ではなくなった紗姫の声に、忠流は強く手を握り込むことで答えた。

『答えてない!』

 無視だ、無視。

「さあて、ぶっ倒れるとしましょうか」
「なんて後ろ向きに前向きなのだ」

 昶の呆れた声がするが、それすらも無視し、忠流は魔槍・<龍鷹>を振りかぶった。



「なんだ、あの狼煙は?」

 本陣で全周囲を確認していた親晴は、熊本城の方から上がる狼煙に気がついた。
 親晴勢は特に狼煙を設定していない。
 つまり、あの狼煙は親晴勢から上げられたものではない。

(・・・・嫌な予感は当たるものだな・・・・)

 後方から使番が真っ青な顔で駆けてきた。
 もう少しで龍鷹軍団本陣を飲み込もうとしている時の顔ではない。

「申し上げます」

 馬から下りず、彼は馬を寄せてきた。
 見れば、国木田政次の馬廻だ。

「熊本城陥落。熊本港に名島勢が上陸中です」
「・・・・おいおい、想像以上だぞ、これは!?」

 てっきり、御船城を抑えていた虎熊軍団が破れたのだと思っていた。

「・・・・くそ、そういえば、内乱でもあいつは鹿児島城を落としていたな・・・・」

 敵軍総大将・鷹郷忠流は、内乱において主力決戦の場におらず、海上機動で鹿児島城を攻略し、内乱の玉である"霧島の巫女"・紗姫を奪取している。
 この戦争の玉は熊本城。
 忠流にとって、主力決戦は戦略の決め手にならない。

(分かっていたはずなのに・・・・っ)

 どうして熊本城を出たのか。
 己の判断に"鈴の音"の一押しがあったなどを夢にも思わない。

「・・・・いや、待て。名島勢が上陸だと!?」

 親晴は今までほとんど動いていない部隊を見た。
 てっきり連携不足だと思っていたが、もしかすれば・・・・

「正面霊力反応!」

 側近の霊能士が叫び、正面に防壁を展開した。
 その瞬間、敵本陣から黄金色の光が放射される。
 それは紙くずのように霊的障壁を貫き、加勢川に着弾した。
 その攻撃は川底を削り、大量の水を飛沫として巻き上げる。

「お、お!?」

(神装攻撃!?)

 前に珠希から霊装で攻撃を受けたが、それよりも強力だ。
 命中していれば、軍は隊列を維持できなかっただろう。

「これが<龍鷹>か!?」

 瀑布のような飛沫は、親晴本陣の視界から『名島勢』を覆い隠した。

「全物頭に通告! 撤退だ!」

 嫌な予感に突き動かされ、親晴は下知を下す。
 また、後方の部隊にも伝令を飛ばした。
 そんな中、十数秒も立ち上がっていた水の壁が落下する。

「な、な・・・・」

 さすがの親晴も、今度こそ絶句した。

「・・・・鹿屋・・・・ッ」

 名島勢の軍旗に変わって翻るは、≪新緑に臙脂の抱き茗荷≫。
 龍鷹軍団"翼将"・鹿屋利孝率いる鹿屋勢。
 それが『名島勢』のベールを脱ぎ、戦場に現れた。

「全てはこのためか!」

 親晴の叫びは、鹿屋勢から叩きつけられた一斉射撃の音で掻き消える。
 味方が蹂躙されるのを、指をくわえてみているしかなかった鬱憤を、今まさに晴らさんと、鹿屋勢は総攻撃に転じた。

「ええい、態勢を立て直す!」

 このままでは親晴本隊は敵中に孤立する。
 後方へ退くには、鹿屋勢を押し返す必要がある。

(できるか・・・・っ)

 鹿屋勢と戦っているのは、戦い疲れて後方に下げた者たちだ。
 彼らは率いられていると言うよりも目の前の死に抵抗している状態である。
 崩れるのも時間の問題だった。

(鷹郷忠流の目的は、俺の首か・・・・ッ)

 家督相続における内乱では、一方の頭目の首を取れば終わる。
 聖炎軍団を傷つけずに内乱を終わらせるには、それしかない。
 火雲珠希の家督相続に必要な要素は、熊本城の奪還と親晴の首である。

「そう、簡単にくたばるか!」

 馬首を巡らせ、わずかに付き従う馬廻衆を連れて北へと走る。
 本隊の指揮は側近に任せた。
 自分は戦場を離脱する。
 それができるかどうかは、鹿屋勢の進撃速度を上回れるかにかかっていた。

(今のままだとギリギリだがな!)

 というか、間に合わないだろう。
 後方に組織的抵抗ができる軍勢が現れない限り。

「・・・・おお?」

 後方から百前後の兵が流れ、鹿屋勢にぶつかった。
 本来ならば抑えきれるはずがないが、前線できらめいた霊術により、鹿屋勢は隊列を乱されたようだ。

「若殿! 早く退かれぃ!」
「堀・・・・」

 その部隊を率いていたのは、堀元忠だった。

「鳴海直武はどうした?」

 馬を寄せた親晴に、堀は返り血が飛んだ頬を撫でる。

「なあに、少し痛い目を見たらしく、隊列を整えておるわ」

(包囲殲滅は鹿屋勢に任せ、包囲外にいる国木田勢に備えるか)

 急を知った国木田勢は包囲させまいと突撃を開始している。
 先鋒であった鳴海盛武の鳴海勢だけでは支えきれないと判断したのだろう。

「残念ながら玉名衆は壊滅状態。じゃが、兵は溢れておる。壁としては機能しよう」

 攻撃力に優れた玉名勢は無理矢理鳴海父子率いる軍勢をこじ開けたが、その穴を維持するために大きく戦力をすり減らしたようだ。

「殿! 近衛衆との戦闘離脱に成功。敵軍は中州にて隊を整えるようです!」

 伝令の報告に、親晴は今が好機と感じた。
 前方と左方の軍勢は矛を収めている。
 右方の軍勢は玉名衆が抑えている。

(俺にもまだ運はある!)

 そう確信し、親晴は包囲を脱した。




「―――無事に退かれたか・・・・」

 鵬雲四年二月二〇日、申の刻。
 玉名城主・堀元忠は自軍を包囲する龍鷹軍団を見て呟いた。
 龍鷹軍団は追撃部隊を出さず、自分たちを取り囲んでいる。
 取り囲まれる自分たちは約一〇〇〇。
 それもひとつの円居ではなく、逃げ遅れた烏合無象である。
 対する龍鷹軍団は加熱した銃身も冷え、万全の態勢だ。
 万に一つも勝ち目はない。

「殿、鳴海直武殿から軍使が参りました」

 龍鷹軍団本陣からではなく、陸軍卿・鳴海直武からの軍使。
 その事実に、断れば"軍神"の指揮の下に総攻撃が加えられると判断した。
 実際に言えば、総大将・鷹郷忠流、副将・鷹郷従流は共に霊装を使った関係で倒れていたので、一番上の位を持つのは直武以外いなかったのだ。

「旗本衆侍大将・角家儀藤と申します」

 角家儀藤。
 伊予中部の一豪族出身であり、鳴海家の家臣ではない。
 生家は南予の勢力に圧迫されて滅亡し、ほぼ身ひとつで渡海。
 内乱時の忠流の応募に応じて傭兵団を率いる部将となる。
 以後、見事な働きを見せたため、旗本衆の侍大将として取り立てられた。
 今回の戦いでは、旗本衆を率いる鳴海直武に従い、二〇〇を率いている。
 名前からも分かるとおり、忠流の幼名「藤丸」から一字をもらっており、将来が期待されている武将だ。

「堀元忠殿の武勇は天下に示せました。これ以上の戦は無益、鉾を納めて我々に降ってもらえませんかな?」

 降伏勧告だ。

「なに、同盟軍の兵です。悪いようにはしません」
「同盟軍だと?」
「ええ。虎熊宗国の走狗である"虎嶼親晴"殿と国木田政次殿さえ追えば、聖炎国は我々の味方」

 「となれば、あなた方は同盟軍です」と角家は真剣な表情で語った。

「・・・・そうか、珠希様は虎熊宗国と事を構える気でいるのだな」

 小さく呟いた元忠はゆっくりと頷く。
 元忠の祖父は虎熊軍団との戦で戦死しており、思うところはあった。

「相分かった。これ以上、兵を死地に赴かせるは主将の本意ではない」

 元忠は側近に頷く。
 それに応じた側近は残りの馬廻衆と共に、武装解除するように兵に伝えに行った。

「それと、これを親家公の墓前に置いてくれ」

 腰から太刀を引き抜き、角家の前に置く。

「・・・・一度敵に組みした者が陣営の根幹にいるわけにはいくまい」

 元忠ほどの大物を要職に就けぬ訳にはいかない。
 だが、珠希方からすればいつ裏切られるか不安になる。
 そんな心配事を孫ほど年の離れた少女に背負わせたくない。

「な、ならば出家し、相談役などにつかれれば・・・・ッ」

 角家が焦り、腰を浮かせようとするが、それを残っていた馬廻が押しとどめた。
 すでに降伏は決しており、その時に元忠が自害することは決定していたのである。

「『忠君、二君に使えず』とも言うだろう」

 そう言った元忠を止めることは、角家にはできなかった。


 堀元忠。
 玉名城主・堀家三代目当主。
 初陣から自害まで生涯に出陣した全ての戦争は、対龍鷹侯国戦だった。
 「隈本を治める者を聖炎国の国主と認める」という信条で、親晴に従う。
 加勢川の戦いでは先鋒を務め、龍鷹軍団先鋒・鳴海盛武、次鋒・鳴海直武を撃破、親晴本隊に龍鷹軍団本陣への道をつけた。
 その後、龍鷹軍団の反撃を受け止めて本陣を脱出させる。
 包囲された一〇〇〇の安全を確保するため、親晴に殉じた。
 享年五九歳。










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