第三戦「龍炎による小熊退治」/三



 加勢川。
 熊本県緑川水系で一級河川に指定され、宇土城と熊本城の間を流れる四つの河川の内、北から二番目に位置する。
 現水前寺成趣園の湧き水より南に流れ、加勢川支流と合流して西に流れを変え、緑川と合流し、海へと繋がるのだ。
 途中、江津湖を始めいくつかの三日月湖を形成していた。
 龍鷹・珠希方は薩摩街道(現国道3号)を扼する形で布陣しており、天明新川の渡河ポイントに少数の物見を配置していた。
 防衛線のメインは一重の空堀と土塁だ。
 しかし、まだ作りかけの部分が多く、完成まで二日以上はかかるだろう。
 鵬雲四年二月二十日、この不完全な陣城に親晴方が最初から総攻撃をかけたことで、後に加勢川の戦いと呼ばれる、決戦が始まった。






加勢川の戦いscene

「―――怯むな! 押し返せ!」

 二月二十日、巳の刻。
 龍鷹軍団先鋒・鳴海勢のただ中で、鳴海盛武は大身槍を振るいながら兵を鼓舞していた。
 戦いが始まって半刻、盛武勢は乱戦のまっただ中にいる。

「とにかく支えなければ・・・・ッ」

 半刻前、親晴勢は連合軍の前に姿を現すなり、長蛇の陣で突撃してきたのだ。
 普通なら、行軍陣形から戦闘陣形への陣替えが行われる。だが、長蛇の陣は行軍陣形と一緒なので短縮できる。
 その特徴を最大限に生かし、親晴勢はタイムラグなしで攻撃したのだ。
 結果、陣城での防衛態勢が整わないまま戦闘に突入した連合軍は大苦戦していた。
 何せ敵の鋭鋒は先鋒の盛武勢を貫き、鳴海直武率いる鳴海勢に突入している。

「これで負けたら、鳴海家の終わりだな」

 龍鷹軍団の陣形は偃月の陣だ。
 左前に盛武率いる鳴海勢一五〇〇、右後ろに鳴海勢から米倉直繁五〇〇、さらにその右後ろに立石元秀率いる水俣衆五〇〇が布陣している。
 西洋では斜形陣と呼ばれるものだ。
 この背後には鳴海直武率いる旗本衆一五〇〇が左側に、右側には名島景綱率いる八代衆一五〇〇が布陣している。
 そして、その後ろに『龍頭』、『黒の釈迦梵字』の馬印を掲げる二〇〇〇が控える。
 馬印は鷹郷忠流と鷹郷従流のものだ。
 また、本陣であるため、珠希もいるのだろう。
 後陣は藤川晴崇率いる旗本衆五〇〇である。
 計八〇〇〇の軍勢に、聖炎軍団七五〇〇が突撃していた。




「―――苛烈だな・・・・」

 忠流は本陣で親晴勢の突撃を見ていた。
 鋒矢の陣を組んで突撃してきた玉名衆は迎撃態勢整わぬ鳴海勢を引き裂く。
 その鋭鋒は鳴海直武の陣まで届いていた。
 先鋒の鳴海勢は中に潜り込んだ玉名衆と戦いつつ、敵の第二陣・菊池衆とも干戈を交えている。
 一部だけ土塁などが未完成だった。
 その隙をつかれるであろうから、一五〇〇の鳴海勢を置いたのだ。
 だが、兵の厚みをものともしない突撃だったのである。

「損害を無視しているのでしょう」
「だろうな」

 従流の言葉に忠流は頷いた。

(だけど、その考えが効いているようだ)

 思わぬ猛攻に、兵がタジタジとなっている。

「他の部隊は?」
「鳴海支隊、水俣衆は逆に撃ちすくめられています」

 偃月の陣は前線のどこかが攻撃されれば、攻撃されたところが後退するか、されていない部隊が前進して敵を攻撃する陣である。
 しかし、米倉直繁も立石元秀も土塁から駆け下りようとすれば、前面に布陣した宇土衆に邪魔されていた。
 結果的に土塁が連合軍の足枷になっているのだ。

「ほぉー、それは大変だ」
「棒読み」

 紗姫がお茶を飲みながら言った。

「全くじゃ。少しは緊張感を持て」

 昶も彼女の対面でお茶を飲む。
 というか、ふたりは地面に布を敷き、笠を立てて、お茶会に興じていた。

「・・・・おい、緊張感のない奴に緊張感を持て、と言われたんだが、どうすれば良いと思う?」
「え、えーっと・・・・」

 忠流の問いに従流は苦笑いする。

「緊張感を持てば良いんでしょ」

 面倒くさそうに応じたのは、護衛隊長を務める加納郁だ。
 その隣で、瀧井信輝が笑いを噛み殺している。

「夫婦で戦場にいる奴に緊張感持て、とか言われてもねー」
「な!? ~~~っ!?」
「まあまあ」

 一瞬で顔を真っ赤にした郁が大斧槍を振り上げるが、その手首を信輝が掴む。
 もちろん、その程度で郁の膂力を抑えられるわけないのだが、郁は止まった。

「信輝がいてくれると、俺の生傷が減って嬉しいよ」
「・・・・生傷を作らない努力をしましょう」

 ポンポンと低い位置にある郁の頭を撫でながら信輝が言う。

「しかし、本当に借りてきた猫状態になるのだな」

 昶が別の意味で顔を赤くしている郁を覗き込んだ。
 その視線から逃げるように背を向けるが、信輝の手からは逃げない。

「何度か手合わせして、勝てない相手、と刷り込まれたんでしょ」

 紗姫は涼しい顔をしてお茶を飲んだ。そして、チラリと視線を郁に放つ。

「まるで恋する乙女ですね」
「もう十八なのにな」
「~~~っ!?」

 忠流相手ならば、主従関係なく怒鳴り散らすのだろうが、ゲストである紗姫や昶を罵倒するわけにはいかない。
 恥ずかしさに肩をふるわせるしかない郁の頭を、信輝は優しく撫でた。

「ほらほら、指揮しないと突破されちゃいますよ?」
「大丈夫。実戦指揮は橘次に任したから」
「・・・・えー」

 傍観者でありたく、さりげなく離れていた従流に、とんでもない役が回ってきた。
 いや、回っていたようだ。

「何せ、この戦略が成功するかどうかは、直武とお前にかかっているからな」
「よ、役立たず」

 茶々を入れる紗姫だが、考案した段階で忠流の仕事は終わっている。

「結局、本陣で緊張感を持っているのは、僕だけですか」
「・・・・意外と図々しい」
「だな」

 発言主を探すように従流は視線を巡らせ、幔幕出口の傍に控えていた若武者を見た。
 その視線から逃げるよう、御武幸盛と長井弥太郎はそっぽ向く。そして、弥太郎がわざとらしく音の出ない口笛を吹いた。
 「バカ」と幸盛が肘で突っつくが、すでに発言者の割り出しは終わっている。

「兄上の側近は・・・・やはり兄上の側近ですか」
「どういう意味だ、おい」

 兄の言葉を無視し、従流は兵を呼んだ。
 彼は従流が移動する時に乗る輿の持ち手である。

「ちょっと肩車してください」

 高低差がないため、戦場がよく見えない。

「その姿も間抜けだな」
「・・・・兄上・・・・」

 茶々を入れる兄を軽く睨み、従流は前線に視線をやった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・これは・・・・」

 思っていた以上に悪い戦況に、従流は絶句する。
 親晴勢は突っかかる鳴海支隊、水俣衆を左腕で押さえつけ、右腕を使って全力で鳴海勢と旗本衆をぶっ叩いているのである。
 時折、霊術が煌めき、両軍の将兵が宙を舞う。
 そもそも白兵戦に移行しているというのに、霊術を使うのだ。
 まっとうな戦いではない。

「これは突破されるかも・・・・」

 直武・盛武父子が必死に抑えているが、玉名衆、菊池衆の勢いは止まらない。
 それどころか、本来どっしりと構えているべきの親晴本隊も突撃していた。
 鳴海勢は完全にふたつに割れ、旗本衆も同様の状況になる寸前と言える。

「兄上、たぶん、後半刻もしないうちに近衛衆と敵先鋒は激突します」
「早いな!?」

 戦が始まって、ようやく一刻になろうという頃である。
 もう、敵軍はこちらの本陣に達しようとしているのである。

「旗本衆の隣の一五〇〇は動かさないのか?」

 昶が言った。
 右側から親晴勢を抑えようとしているのは五〇〇の円居ふたつだ。
 それでは宇土衆二〇〇〇を突破することは無理だろう。

「橘次、作戦通りだ」
「・・・・分かりましたよ」

 昶の言葉を無視した形になったが、忠流の言葉に従流は頷いた。そして、側近である後藤公康を呼ぶ。
 その光景と「作戦」という言葉に、昶は一五〇〇を動かさないのに訳があると悟ったようだ。
 怒ることなく、再び茶を口に含んだ。

「戦闘準備」

 その姿にほっとしながら、従流は公康に命じる。
 二〇〇〇の本陣の実戦指揮官は、加納近衛大将猛政・忠猛父子、後藤公康、"瀧井信成"だ。
 前線の順番も先の通りであり、後藤は従流の指示を聞き終えると、大急ぎで自分の部隊へと走って行った。

「では、兄上。行って参ります」
「おう、お前のがんばりが勝敗を分けるからなー」

 と、あまりやる気のない仕草で手を振る。

「全く」

 苦笑いとした従流は輿に乗り込むと、その表情を引き締めた。
 ついに親晴勢が旗本衆を突破したのだ。




「―――抜けたぞ!」

 親晴は大身槍を振るいながら、開けた視界に思わず叫んだ。
 親晴勢は先鋒の玉名衆が、押しのけた旗本衆をさらに西へと押し込むように攻撃している。そして、次鋒の菊池衆が、東に押しのけられた旗本衆を攻撃し、名島勢を牽制していた。
 その空いた中央を親晴本隊二〇〇〇が突撃する。
 残りの五〇〇と宇土衆の主力が鳴海勢を相手にしながら、退路を確保していた。

(思った通りだな)

 親晴は目前まで迫った敵本陣を見ながら思う。
 陣地を構築した連合軍は、逆にその陣地に縛られ、陣地内で思うように動けない。
 名島勢も方向転換しようにも狭い陣地で手間取り、現在まで効果的に隊を運用できていなかった。
 親晴勢が馬鹿正直に正面から攻撃を仕掛けた場合、陣城は大いに活躍したことだろう。だが、不完全な状態では逆に連合軍の足枷になった。

(城を造るものたちには城の弱点も見えている、か・・・・)

 攻撃ポイントを進言したのは、歴戦の強者・堀元忠だ。

「折り敷けぇっ!」

 前線を指揮する物頭の声が響く。
 その命令に従い、百人弱の鉄砲兵が次々と片膝立ちとなった。そして、その前には手明が持っていた竹束が並ぶ。

「撃て!」

 腹に響く銃声が鳴り響き、弾丸が近衛衆へ向かった。

「さすがは近衛衆だな・・・・」

 弾丸は竹束だけでなく、霊術の障壁にも阻まれた。
 二〇間ほどの距離でもほとんどダメージを与えられない。

「だが、こちらも当主直轄軍だ!」

 親晴の声と共に至るところから攻撃性霊術が放射された。
 それは障壁に着弾するなり大爆発を起こし、一部の霊術はそれを突破して近衛衆のただ中で爆発する。
 だが、近衛衆も黙ってはいない。
 川原の砂が舞う中、それを貫くように複数の霊術が飛翔した。
 それらは親晴本隊の障壁をいくつか貫き、本隊の衝突力を削ごうとする。

「止まるか! 蹴散らせ!」

 ドンッと衝撃を伴い、両軍が激突した。
 両軍とも本隊の最終防衛部隊である。
 一兵一兵の質が高く、装備も一級品だ。
 だからこそ、兵力差が物を言った。

「押し込め!」

 親晴本隊の物頭が叫び、その通りに親晴本隊は近衛衆を押し込んでいく。だがしかし、近衛衆は龍鷹軍団の最精鋭。
 部隊としては長井勢に最強の名を譲るが、個々人の【力】は他の部隊の追随を許さない。

「この光は・・・・ッ」

 近衛衆を覆う金色の光。
 それは都濃合戦や人吉城攻防戦で見られた、霊装の【力】。

「鷹郷従流・・・・ッ」

 親晴は翻る「黒の釈迦梵字」を睨みつける。
 霊力を糧に何らかの能力を発動する霊装の保有率は、近衛衆がダントツだ。
 その中でも、強力なのが、従流が持つ数珠・<鷹聚>である。
 その効果は金色の光で兵を包み、その防御力を高めるというものだ。
 決して万能ではないが、全軍に影響する、補佐に優れた能力。
 暴走しがちな忠流を支える従流らしい、地に足が付いた【力】だ。

「・・・・ッ!?」

 従流の光を受け、近衛衆の一部が突出した。
 霊術を中心にした突撃で、足軽の多くが跳ね飛ぶ。
 そこを一騎が突き進んできた。

「近衛衆、植草憲光、推参ッ」

 名乗りと共に防ぎに出た親晴の馬廻衆を蹴散らす。

「火雲親晴、覚悟ぉっ!」
「・・・・ッ」

 本来ならば戦死しているであろう傷を受けても、彼は親晴に槍を突けた。
 これが従流の【力】だ。

「舐めるな!」

 一合打ち合っただけで傷口から血を噴き出した相手を押し返し、咄嗟に腰の太刀に手を伸ばす。

「葉武者が、身の程を知れ!」

 自身の霊力を流し込み、発光した太刀を振りかぶった。
 植草と名乗った武者は、傷で自由が効かない体でそれを見上げる。だが、すぐに従流の光を思い出し、差し違える覚悟で槍を突き出した。

「ガッ!?」

 その幻想を脳天唐竹割りで打ち砕く。
 いくら強化されていようとも、霊装である親晴の太刀からは守れなかった。
 己の防御力を過信した哀れな武者を一瞥し、親晴は声を上げる。

「落ち着いて討ち取れ! 確実に仕留めろ!」

 従流の能力の長所は「仕留めたと思ったら仕留め切れていないこと」だ。
 ある意味、達人である士分からすれば、致命傷を見切ることは難しくない。
 その見立てを、あの数珠は狂わせる。
 だから、確実にとどめを刺すことを目指せば、その誤差は修正される。

「『龍頭』、後退していきます!」
「何!?」

 側近の言葉に、親晴は敵本陣を見遣った。
 確かに親晴勢の圧力に耐え切れず、近衛衆が後退を始めていた。

(加勢川南岸に布陣し、仕切り直しをする気か?)

 戦線立て直しの撤退だとしても、他の円居から見れば敗走に見える。
 それは見崩れ、と呼ばれる現象を引き起こしかねない。

(そんな危険を犯さなければ、この戦線を支えきれないと判断したか)

 つまり、敵は苦しいのだ。

(ならば・・・・ッ)

「押し切れ!」

 「黒の釈迦梵字」は前に出ている。
 しかし、「龍頭」は下がっていく。
 きっとあそこに珠希がいる。

「数はこちらが上。宿敵との因縁を断ち切れ!」
「「「オオゥッ!!!」」」

 隈本衆は親晴の声に応え、数の優位を以て押し込んでいく。
 従流が出てくる前よりはその浸食速度は遅い。
 だが、それでも確かに進んでいた。
 加勢川での連合軍の崩壊は近い。
 しかし、戦場は加勢川だけではなかった。






「―――≪朱地に黄の豺羆≫・・・・」

 長井兵部大輔衛勝は眼前に翻る旗指物の名前を呟いた。
 龍鷹侯国が南九州の雄ならば、虎熊宗国は北九州のそれだ。
 いや、西日本一の大名と言って良い。

「虎熊軍団約三〇〇〇。久留米城の部隊です」

 筑後方面軍だ。
 主力は肥前にいるとはいえ、虎熊軍団の正規部隊である。

「ほぼ同数で負けることはないが・・・・」
「勝ってはいけない、は難しいですか?」

 衛勝の隣で、武藤統教が言った。
 彼らの中で、勝利は決まっている。だが、この戦場での戦略目的は違う。
 衛勝と統教に課せられた任務は、御船城後詰部隊をここに足止めすること。

「このまま待ちで、撃ちすくめるのもありですかね」

 統教は自軍を見ながら言った。
 龍鷹軍団は虎熊軍団の接近を察知し、陣替を行っていた。
 すでに虎熊軍団の前面には武藤鉄砲隊が展開している。
 数百挺の銃口は敵軍に向けられていた。

「ただ、相手も同じ事を考えているな」

 虎熊軍団の目的も、長井・武藤勢の足止めだからだ。

「じゃあ、睨み合いに始終する可能性が高い、と?」

 統教は衛勝の顔を窺った。

「いいや、一当てする」

 虎熊軍団正規軍の実力を知るチャンスであり、戦略目的を達成するにはこの方がいい。
 龍鷹軍団の戦略目的は、「御船城後詰部隊が主戦場に達するのを防ぐ」だ。
 このために「敵軍を御船周辺の拘束する」のである。

「御船への抑えは十分だな?」

「五〇〇を当てています」

 となれば、二五〇〇。

「五〇〇の差など、大したものではないわ」

 衛勝は自信を滲ませて笑う。

「龍鷹軍団最強の槍、受けてもらおうか」
「その前に、たっぷりと鉛弾をごちそうしましょうか」

 さわやかな笑顔で物騒なことを言う統教。
 龍鷹軍団を支えるふたりを相手にする虎熊軍団も自信を滲ませていた。
 南北の大国の精鋭が、中間点の肥後で初めて激突する。
 その興奮に、辺りは異様な雰囲気だった。
 そんな中で、虎熊軍団の将校はひとりとして気がつかなかった。
 龍鷹軍団から一〇〇〇、欠けている事実に。










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