第三戦「龍炎による小熊退治」/二



 熊本城。
 筑前福岡城、薩摩鹿児島城と並ぶ巨城として西国に名を馳せる名城である。
 しかし、福岡城と鹿児島城が、大軍を収容するための、一種の後方策源地であるのに対し、熊本城は戦闘のための城だった。
 大きい城は、その分守備兵も揃えなければならない。
 だが、熊本城は縄張だけで敵を押しとどめることに優れており、少数戦力でも防戦は可能だった。
 故に一定以上の兵力があれば、五倍の敵でも余裕で迎え撃てるのである。
 それは城を建てるには軟弱な地質が関係していた。
 熊本城が建つ茶臼山は京町台地に位置しており、その地質は阿蘇4火砕流による未溶結凝灰岩でできている。
 これは軟弱な地盤であり、建造物を建てるにはしっかりとした基礎が必要となった。
 故に熊本城は大規模な石垣を用いた建築物となったのである。
 交通の要衝で、戦略的な要地であるが、地質的に恵まれなかった地域に、穂乃花帝国は独自の築城技術でこれを建てたのだ。
 天然の要害ではなく、人工の要害。
 これが熊本城である。
 因みに福岡城は支城群を配備し、交通の要衝という立地条件に建てた経済拠点。
 鹿児島城は強力な海軍を背景に建てられた軍事拠点。
 九州三名城と呼ばれつつ、その性格は築城目的から違うのである。
 このため、「西海道最強の城は?」という質問には、どの兵法家でも、「熊本城」と答えるのである。






火雲親晴side

「―――若様、如何致しましょうか?」

 鵬雲二月十一日、熊本城。
 龍鷹・聖炎連合軍が八代城に集結していた時、親晴方の軍勢も熊本城に集結していた。
 故に戦評定が行われている。

「政次、当方はいかほど集められた?」
「着到帳によりますと・・・・」

 宰相・国木田政次は隈本衆、玉名衆、菊池衆の台帳をめくる。

「約六〇〇〇」

 内訳は熊本衆三〇〇〇、玉名衆一五〇〇、菊池衆一五〇〇だ。

「この他に宇土城には三〇〇〇がいます」
 熊本衆と宇土衆は、通常動員力を上回る動員を行っている。
 菊池衆は先の八代城攻防戦で行方不明者を続出させたため、やや少ない。
 玉名衆は通常動員と言える。

「次に物見の報告ですと、八代城には一万五〇〇〇余の戦力がある模様です」
「五割増の戦力か・・・・」

 親晴は唸り声を上げた。

「若殿、安心めされい。元々、龍鷹軍団と聖炎軍団はそれだけの違いがあり申した」

 発言したのは、玉名城主・堀元忠だ。
 彼は熊本城を持っていることが聖炎国の当主、という認識がある。
 このため、今回は迷わず親晴に付いた。

「熊本城に籠り、抗戦すれば必ず勝ちを拾えましょう」

(それは後詰の期待がある場合だ)

 楽観的な老将に、親晴は内心毒づいた。
 堀は戦場でこそ猛将ぶりを発揮するが、戦略面ではからっきしだった。
 龍鷹軍団と綱渡り的なやり取りをする南部、戦になると兵を率いて南下する北部では、必要とされる部将の質が違うのだ。
 北部の部将は実戦指揮に強い。
 これは万が一、虎熊軍団が南下してきた場合、単独の兵でも十分に戦える部将、とも言えた。

「久留米の三〇〇〇が増援、か・・・・」

 親晴がため息交じりに呟く。
 龍鷹侯国には伝わっていないが、虎熊軍団の山陽・山陰戦線は、膠着状態だった。
 特に岩国城の健闘が素晴らしい。
 岩国勢は虎熊軍団の増援が来ると、さっと自国に引き上げた。
 そして、押し寄せた虎熊軍団を相手に奮戦している。
 虎熊軍団の応援物資を搭載した船団が、岩国勢に協力した瀬戸内水軍に襲われたのも大きかった。
 岩国と瀬戸内水軍を繋げたのは龍鷹侯国である。
 これまで国外にしか興味がなかった大国が、西国に影響を与えているいい証拠だった。
 こんな状況で、虎熊軍団は予備戦力である七〇〇〇の投入を決定する。しかし、盤石と思っていた聖炎国に変事があったため、三〇〇〇を久留米城に残したのだ。
 その決断をしたのは、中国戦線を一括して取り仕切っている虎将の長兄である。

(兄上には頭が上がらないな)

 兄は村中城の対燬峰王国用の兵力を転用しようと考えていた。
 如何に西国一の動員力を誇ると言えど、龍鷹-燬峰連合軍と出雲勢力を相手に二正面作戦を展開していては、兵が足りなくなる。

(豊後に動いてもらうのが一番だな)

 単独の国でどうしようもないならば、他国を動かす。
 きっと虎熊宗国はそう考えるだろう。

(それより、こっちだな)

「龍鷹軍団はこちらが熊本に籠ると考えているよな?」
「でしょうね。そして、こちらが打って出ても迎撃できるように備えるでしょう」

 国木田の言葉に、諸将は頷いた。

「基本的に熊本に籠るとして・・・・宇土城はどうする?」
「維持できるほどの留守を残し、主力は熊本に集結させます」

 宇土城主である国木田だが、宰相でもある。
 領地が戦火に彩られようとも、最終的な勝利のために行動する。

「宇土城に一〇〇〇を残し、二〇〇〇を熊本へ」

 つまり、熊本城の籠城に八〇〇〇を使うということになる。
 単純計算では連合軍は二万四〇〇〇が必要。
 その他の部隊を合わせ、熊本城の防御力を考えるならば三万以上の兵が必要だろう。
 それは現在の連合軍の二倍だった。

「こちらが動かないでいれば、二か月ほどで敵軍は諦めて帰国するでしょう」

 親晴方の勝利条件は、熊本城の維持である。
 敗北条件はこの逆で、熊本城の失陥である。
 その理由は熊本城が聖炎国にとって、精神的支柱であることだ。
 つまり、ここを維持しているということは、聖炎国の国主であると同義なのだ。
 龍鷹侯国における<龍鷹>と同じである。

「連合軍も自分たちの勝利条件は分かっているはず」

 ならば宇土に抑えを残し、北上してくるはずだ。
 結局、連合軍は熊本城の前に屍を重ねるか、時間を浪費するしかない。



―――そう、考えていた。



「―――申し上げます!」

 二月十七日、熊本城。
 ここに前線視察を行っていた物見が帰ってきた。
 前日に龍鷹・聖炎連合軍は宇土城を包囲している。
 おそらく、そこに珠希もいるだろう。

「連合軍は緑川および加勢川を渡河、北岸にて陣城を築城中です」
「・・・・何?」
「さらに一部が東へ進軍を開始、目標は御船城と思われます」

 聞けば、佐久頼政を大将とした二〇〇〇が宇土城の虎口を抑え、主力が緑川と加勢川を渡河した。
 その主力から分離した一部隊は御船城を攻略するつもりらしい。

「益城郡の出口を抑え、同時に側撃を封じる構えですな」

 一緒に聞いていた国木田は、親晴の方を見て答えた。

「すでに御船城の方には早馬が走っています」
「うむ」

 御船城は他の城に比べては、堅城ではない。
 しかし、それは聖炎国基準である。
 他国では十分足止めを期待できる縄張だった。

「因みに御船に向かったという一部の軍勢とは如何ほどだ?」

 御船城に配備しているのは三〇〇。
 他に近隣住民などを取り込み、五〇〇ほどになっているだろう。

「はっ。約四〇〇〇。大将格は長井衛勝、武藤統教、瀧井信成にございます」
「「何だと!?」」

 長井・武藤の円居は、龍鷹軍団最強部隊である。
 特に武藤の鉄砲隊はマズい。
 しっかりとした石垣と塀を配備した、対鉄砲築城でなければ紙くず同然だ。
 聖炎軍団が築城術に優れるため、龍鷹軍団は鉄砲配備を進めてきた歴史がある。
 その行き過ぎが、武藤鉄砲隊だ。

「というか、その部隊は主力だろう?」

 龍鷹軍団において、主力軍の先鋒は長井勢と武藤勢が務めることが伝統的である。
 精鋭部隊で敵の突進力を押さえ込み、敵が疲れたところに予備兵力を投入して突き崩すのが、龍鷹軍団の十八番だった。

「はい。現在、加勢川北岸に布陣するは、約八〇〇〇。馬印から―――」

 鷹郷侍従忠流、鷹郷薩摩守従流、鳴海直武、鳴海盛武、加納猛政、藤川晴崇と言った龍鷹軍団。
 名島景綱(八代城)、立石元秀(水俣城)、太田貴鐘(佐敷城)、長谷川家次(津奈木城)がいる。
 龍鷹軍団は五〇〇〇、珠希勢は三〇〇〇だ。
 珠希勢は四〇〇〇と考えられていたが、残りの一〇〇〇は占領地域に分散しているようだ。
 確かに龍鷹軍団の兵が闊歩するよりも珠希勢が動く方が、領民慰撫になる。

「精鋭部隊を欠いた、八〇〇〇・・・・」
「好機・・・・ではあります」

 川のこちら側に布陣しているため、川を防御には使えない。
 さらに陣城も未完成だ。

「長井と武藤を御船に拘束できれば・・・・」

 すぐに到着するであろう援軍を御船城方面に展開し、主力軍を率いて一気に敵主力を叩く。
 総勢八〇〇〇とはいえ、共同訓練もしたことのない連合軍だ。
 各個撃破は可能なはず。

(だが、どうしてこんな隙を?)

 親晴でも分かる、戦略上のミスだ。

「もしかすれば、連合軍の勝利条件が違うのかもしれません」
「何?」
「この戦役で、連合軍が目的としているのは、熊本城の確保ではなく、支配権の確立なのではないでしょうか?」

 それはつまり、八代を中心に、水俣、佐敷、宇土、御船に至る地域を支配し、組織化すること。

「この熊本城にこだわらなければ、十分に独立勢力としてやっていけます」

 何せ後見人として、龍鷹侯国がいる。
 二〇万石ほどになるであろうし、親晴勢とも十分に渡り合える。

「だが、二〇〇〇では宇土は落とせんぞ?」

 主力軍の目的が、後詰めの阻止だとしても、二〇〇〇では宇土城を落とせない。

「・・・・龍鷹軍団はまだまだ兵力を残しています」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 鹿屋利孝率いる大隅衆三〇〇〇。
 絢瀬晴政率いる日向衆四〇〇〇。
 さすがに総勢九〇〇〇で攻められれば、宇土城も危ない。
 宇土城に残っている兵は、不慮の出来事で城が落ちないように配備されたのだから。

「宇土城と御船城が落ちれば、こちらが取り戻すことに難儀するだろう」
「評定、召集しますか?」
「ああ、頼む」

 国木田は一礼し、立ち上がる。
 そして、物見を連れて退出した。

「・・・・先鋒は玉名勢か」

 呟きつつ、冷めてしまった茶を口に含む。
 評定にかけると言いつつ、親晴の心はもう決まっていた。
 その耳朶を「シャン、シャン」という鈴の音が叩いていることを自覚しながら。






鈴の音side

「―――ふむ、最近、鈴の音の効きが悪いか?」

 『鈴の音』と呼ばれる少女は熊本城の郊外で首を傾げた。
 元々、この音色は深層領域に働きかけ、人々の意志決定を変えるものだ。

「のう、久兵衛」
「はっ」
「親晴公は、心の底では野戦をしたいと思っておったのか?」
「左様かと。親晴公は虎熊宗国生まれ、堂々とした野戦による勝利に憧れていらっしゃいます」

 別に虎熊軍団が野戦に強いわけではない。
 というか、幾度も小戦で負けており、苦手にしているとも言える。
 それでも領土拡大ができるのは、圧倒的兵力とそれを運用する戦略部門での優秀さからだ。
 小さな負けを飲み込んでしまえる戦略の前に、敵国は疲弊するしかないのだ。
 それでも、大国に生まれたと言うからには、戦いにも堂々としたものを求めてしまうものなのだろう。

「親晴公は、籠城戦は最終手段と考えておいでです」

 そして、聖炎軍団の基本戦術骨子は、城を軸にした守勢防御戦だ。
 だが、元々野戦重視の龍鷹軍団と戦ってきた背景があり、軍団としては野戦も強い。

「なるほど、そういう下地があるから・・・・」

 鈴の音の目的は、野戦を行わせることである。
 だが、それは龍鷹軍団を勝たせたいからではない。
 熊本城攻防戦は下手をすれば数年単位になる。
 そんな停滞は許されない。

「どちらにしろ、これでようやく、佐敷川の戦いでの失態を取り戻せる」

 あの時は、戦わせればどうにかなると思っていた。
 結果的に忠流の戦略を不完全にしてしまい、佐敷川体制と後に呼ばれることになる、長期的な停滞を生んでしまう。
 さらにその停滞が、龍鷹軍団の食料庫を圧迫、さらに停滞は長期に及んだ。
 皇女の昶が上方から大量の物資を届けなければ、今の軍も維持できていないだろう。

(反省反省―――)

「―――っ!?」

 久兵衛が急に彼女の腰を掴み、跳躍した。
 すると、次の瞬間に今までいた場所に人影が降り立つ。

「いた!」

 それらの視線は油断なく動き、すぐに鈴の音たちを発見した。

「くっ、逃げて」
「御意に」

 着物のたもとで顔を隠し、彼女は命じる。
 その姿を目撃した人影の長――霜草茂兵衛は確信した。

「・・・・やはり、我々が知る人物が『鈴の音』・・・・」






火雲親晴side

「―――親晴、様?」

 親晴勢の出撃が決まった夜、熊本城は慌ただしく出撃準備を調えていた。
 だが、親晴は自分の妻――十波椎を訪ねる。
 出陣に際し、女を絶つというのがこの世の習わしである。
 それを知る彼女は、我が子を抱きしめながら夫の無事を祈っていた最中だった。

「よろしいので?」

 眠る我が子を布団に寝かせ、彼女はゆっくりと親晴に近寄る。
 その問いは慣習を無視し、ここにやってきたことに対するものだ。

「よい」

 親晴は短くそう言い、自分の息子を眺めた。
 甲冑のすり合う音や軍馬のいななきが聞こえているだろうに、息子は穏やかな寝息を立てている。

「暢気なものだな」
「この歳からこの音に慣れるなど、将来有望な証拠ですわ」

 袖の裾を口に当て、上品に笑う。
 親晴は田舎大名家出身に似つかわしくない上品さを持つ彼女が好きだった。
 だからこそ、親晴は彼女にこう告げる。

「こいつを連れて、菊池城へ帰れ」
「え・・・・?」

 きょとんと、彼女は瞳を瞬かせた。
 だが、その瞳が徐々に潤んでいく。

「そ、それって、離縁・・・・?」
「何でそうなる」

 時々思い込みが激しいのがおもしろい。

(いや、今はおもしろがっている場合じゃないか)

「この熊本城が戦場になる可能性も高い」

 親晴勢が破れた場合、敵軍が戦略を変更して熊本城に押し寄せる可能性が高い。
 主力軍を失った場合、熊本城の防御力は激減するからだ。

「だから、お前はこいつと疎開しろ」
「・・・・・・・・・・・・・・はい」

 聡い娘だ。
 ほとんど軍事の情報を知らない状況で、親晴の言葉だけで状況を察したようだ。
 そう、今回の戦、勝てる保証はない。
 元来、戦とはそういうものだが、今回のはちょっと違う。
 聖炎国が熊本城攻防戦を経ずに連合軍を撃退するには、今この時しかない、ということだ。
 戦略的に敵軍に有利な状態で、こちらが戦術的に互角になる瞬間が、今だ。

(手を出さなければ絶対に後悔する)

 熊本城に籠もれば、熊本城は保てるだろう。
 だが、国主としての能力は、珠希の方が上だと決定づけてしまう。
 そうなれば、宇土衆や隈本衆に脱走兵が出て、親晴方が瓦解してしまうだろう。
 この辺りが現代軍事学と戦国軍事学の違いだ。
 現代軍事学では兵は国民兵で敵国と戦う。
 だが、戦国軍事学は国家観に乏しい民が、隣の領域と戦う言わば内乱だ。
 「異敵排除」ではないことが、兵の戦争に対するモチベーションを根本から違えている。
 戦国の兵は敵国から自国民を守るのではない。
 言われたから戦うのだ。
 そして、指揮官たちも自分の将たちに大義名分があるから従うのだ。
 ない、と判断された時、それは版図の広さに関わらずに崩壊する。
 桶狭間で父・今川義元を失った今川氏真は、西三河の松平家の離反を招いたが、駿河、遠江、東三河を領する大大名だった。
 それが徳川・武田の同時侵攻であっけなく敗北した。
 そんな武田家も武田勝頼が甲斐、信濃、東美濃、西上野、駿河、遠江の一部と最大版図を築いた。
 それが長篠の戦い以降に人心の信頼をなくすと、織田・徳川の同時侵攻で崩壊した。
 理由は同じ。
 領民や家臣が、大名本人を見限ったのだ。

(勝てるかもしれない戦に出ず、安全圏に閉じこもった奴には誰も付いてこない)

 この考えこそ、大国主義に囚われたものだが、親晴はそれに気付かない。

「菊池城は筑後にも近い。どうしようもなくなれば、虎熊へ逃げろ」

 「兄上ならば悪いようにしない」と続けた親晴は、妻に背を向けた。

「・・・・ご武運を」

 わずかな沈黙で不安や不満を飲み込んだのだろう。
 声に振り返った先では、平伏した彼女がいた。

(本当にできすぎだな)






 二月十九日、龍鷹軍団が御船城を攻撃したという狼煙が上がった。
 これを受け、二十日に親晴方は熊本城を発する。
 先鋒・堀元忠一五〇〇、次鋒・十波政吉一五〇〇、中陣・火雲親晴二五〇〇、後陣・宇土衆二〇〇〇。
 計七五〇〇。
 熊本城には隈本衆五〇〇を残すつもりである。
 堂々とした出陣ではない。
 戦術的奇襲を行うための駆け足の行軍だ。
 それと前後して、熊本に上陸した虎熊軍団三〇〇〇は御船城を攻める龍鷹軍団を抑えるために進撃した。
 こうして、熊本城を起点とする攻撃線が、宇土と御船に伸ばされる。
 忠流が想定した通りの状況。
 だが、その行動の早さは、忠流の予想以上だった。
 もっとうじうじ悩み、出陣が一日、二日遅れると思っていたのである。
 この辺りに、鈴の音の影響が出ていた。











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