第三戦「龍炎による小熊退治」/一
「―――大軍よの」 鵬雲四年二月十二日、肥後国八代城。 ここに火雲珠希を総大将とする聖炎軍団四〇〇〇と鷹郷忠流を総大将とする龍鷹軍団一万一〇〇〇が集結していた。 両軍合わせて一万五〇〇〇。 海上には龍鷹海軍第二艦隊を主力とした艦隊も展開している。 これらは主に有明海から南下する虎熊宗国側の輸送船団を襲う部隊だった。 「久兵衛、圧巻じゃな」 「はっ」 西海道の大名たちから"鈴の音"と呼ばれて警戒される少女は、対火雲親晴で結集した軍勢を見下ろしていた。 「龍鷹軍団は主力軍、か」 久兵衛は龍鷹軍団が翻す軍旗からそう判断する。 鷹郷忠流・従流兄弟の近衛衆、旗本衆。 他に鳴海勢、長井勢、武藤勢、佐久勢、村林勢が控えていた。 「大隅の軍勢は参加していないの」 鳴海勢は大隅国国分城を本拠としているため、厳密に言えば大隅衆だ。しかし、大隅の太守・鹿屋氏の息がかかった者はいなかった。 「"翼将"として、第二戦線に投入されるのでは?」 かつて、鹿屋利孝は天草諸島を電撃作戦で席巻している。 十分にあり得ることだった。 「ま、龍鷹侯国が拡大策を採ったのはいいことじゃ」 シャランと鈴を鳴らし、満足そうに少女は頷く。 (佐敷川の戦いのように、怖じ気づくようなら・・・・) 鈴を握り締め、覚悟を決めた。 (本当にこのような女を正室にしようというの?) 病に冒されながら、少女の術に操られながらも宣言した病弱の少年。 「・・・・久兵衛」 「はっ」 「龍鷹軍団は、必ずこの機にこちら側を捕捉せんと仕掛けてくるはず」 忠流もこちらが能力を使う場面は知っているはず。 それに最近は、容疑者を絞り込んでいるようだ。 「怠るな」 「御意」 「行くぞ」 ちょうど、八代城方面からホラ貝が鳴り響く。 龍鷹・聖炎連合軍――龍炎連合軍は、西海道屈指の堅城・熊本城に挑むために出撃する。 かつて、三万の虎熊軍団を押し返した名城。 西海道を北と南に分けてきた交通の要衝に、南九州の覇者が挑もうとしていた。 鷹郷忠流side 「―――さてさて、熊本城の前に、宇土城のわけだが・・・・」 鷹郷侍従忠流は、八代城で肥後の地図を見ながら言った。 「宇土城も難攻不落ですからね・・・・」 龍鷹軍団が武力で落とした城は、天草諸島の本渡城のみだ。 水俣城は明け渡し、八代城はそのまま味方になった。 「実質、この宇土城攻防戦が、決戦になるのではないですか?」 忠流の弟――鷹郷薩摩守従流が発言する。 「宇土城主・国木田政次は親晴公の宰相ですから」 「いや、留守居を置き、宇土城の防御力に頼んで時間を稼ぎ、親晴勢本隊と共に後詰に出る可能性もある」 忠流は宇土城を睨みながら言った。 「こちらの策のひとつとしては、抑えを残して北上する手があります」 佐久頼政が言う。 「留守居軍といっても、一〇〇〇は上回らないでしょう」 「退路確保も含め、二〇〇〇ほど残せばなんとかなるだろう」 他の将もこれに同調した。 主力軍とは別に住民慰撫などを目的とした旗本衆が後方に展開している。 これをまとめるのは御武民部卿昌盛だ。 彼ならば、直接的な抑え軍と連携して、うまく事を進めるだろう。 「北上しても熊本城に籠られれば厄介だぞ?」 落とせない、とは言わない。 だがしかし、中国地方の岩国、出雲を動かして得た時間をいたずらに浪費する可能性が高かった。 現実問題、熊本城に籠られれば、この戦役は敗けである。 「茂兵衛、虎熊軍団は発したか?」 「いえ、しかし、久留米城に三〇〇〇がいたのは分かっています」 これが肥前に送られるか、肥後に送られるか。 肥前国はこの一年、飢饉に悩まされつつも安定していた。 元々、大した穀倉地帯もなかった土地であり、火山活動にも慣れている。 このため、大規模軍事行動を起こさなければなんとかなるほどの蓄えはあったのだ。 尤も、だからといって増援を頼めるわけではないのだが。 「この三〇〇〇が肥後に派遣される軍勢だったら最高なんだがな・・・・」 そうなれば、兵力の開きはない。 「どちらにしろ、熊本城に籠られれば辛い、か・・・・」 「うー」と唸りつつ地図を眺める。 「妾が思うに・・・・」 同じように地図を覗き込んでいた皇女・昶が発言した。 「ならば、籠らせなければいいのであろ?」 「・・・・簡単に言いますね」 さすがに皇女ともなれば、忠流も敬語を使う。 「ですが、その通りです」 「城に籠もらせなければ、得意の野戦決戦で撃破できる、か?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 皇女に返答できるのは、官位持ちだけだ。 この場で官位を有しているのは、侍従兼権少納言である忠流と薩摩守である従流のみ。 これに従い、軍議はこの三人だけの発言となった。 「龍鷹軍団は勇敢と聞く。ほぼ同数の戦力となれば、勝ちを拾うであろ?」 「その戦場のみならば、拾いましょう。ですが・・・・」 従流が兄の顔を見遣る。 「戦役全体、というには少々不安が残ります」 結局、敵主力を野戦で撃破したとしても、熊本城が残っている限り、絶対的な勝利を得られるかが分からないのだ。 「熊本城とは、そないに難攻不落か?」 関西にも難攻不落と謳われる城がある。 近江国北部にある小谷城、大和国南部の信貴山城などだ。 これらは大規模な山城で、熊本城のような平山城ではない。 「大坂の石山寺は?」 元僧らしく、従流は関西や中部地方で広く信仰される仏教派の本拠地を上げた。 「・・・・難攻不落じゃが、城ではない」 近年、昶の実家・桐凰家との関係が悪化している石山寺は、軍備拡張を続けている。 宗教集団にあるまじき姿に、昶は表情を歪めた。 (・・・・皇族も元々祭祀一族だがな) といっても、現在まで政治も行ってきたのだから、やはり石山寺とは違うだろう。 「ま、話を戻すと・・・・」 いつも脱線させる忠流が、軌道修正したことに諸将は驚愕した。 そんな彼らに「後で覚えとけよ」と視線を向けると、彼らは視線を逸らす。 中には空口笛を吹いて誤魔化している奴もいた。 真面目な軍議が一転して、コメディーと化している。 その事実に、聖炎軍団諸将は絶句した。 (これが鷹郷忠流の持つ求心力、ってやつかな) 珠希は思い、自分につき従う諸将を見遣る。 果たして、何人が自分とバカ話をしてくれるのだろうか。 「熊本城に関しては、詳しい者たちがいるので、その者たちに・・・・」 「単に説明が面倒なだけでしょ」 紗姫の言葉を無視し、忠流は珠希を示した。 「・・・・隈本城は―――」 『熊本』とは使わない。 これは意地でもあった。 熊本城(旧称、隈本城)。 聖炎国の本拠地になる前は、穂乃花帝国の南方拠点だった。 元々、肥後国は豪族の独自性が強く、たびたび反乱が起きていた。 それを憂慮した帝国は、帝国築城術の粋を集めて隈本城を築城する。 自分たちには不可能な圧倒的な城を見た豪族たちは、反抗する愚かさを思い知って恭順した。 それでも一部の豪族が糾合して連合軍を編成する。 それはちょうど帝国軍主力が上方へ遠征している時だった。 少数の守備隊は隈本城に籠もって奮戦、これを撃破したことから難攻不落と呼ばれる。 以後、拡張を続けて現在に至るが、一番の見せ場は虎熊軍団三万の侵攻を食い止めたことにある。 筑前・豊前を席巻し、破竹の勢いを続けていた虎熊軍団は隈本城に襲来し、これを攻撃。 三日三晩続いた力攻めの結果、ひとつの曲輪も落とすことができなかった。 以後、数ヶ月に渡って虎熊軍団は攻撃を続ける。しかし、数千の死傷者を出しただけでほとんど被害を与えることができなかった。 結果、中国地方で出雲勢力と衝突したために撤退する。 この時、隈本城に籠もっていたのが、火雲氏だった。 火雲氏は動揺する肥後衆をまとめ、聖炎国を築いたのである。 「虎熊軍団を押し返した時の兵力は?」 「約三〇〇〇」 「十倍を相手に・・・・」 もし、野戦に持ち込めたとして、その野戦の敗残兵を一〇〇〇でも城に入れれば、攻略は絶望的となる。 「野戦にするならば、殲滅しなければならない」 龍鷹・聖炎連合軍は一万五〇〇〇の大軍だが、火雲親晴も八〇〇〇は動員できると考えられていた。 野戦を諦める兵力ではないが、野戦決戦を挑む兵力でもない。 「こちらの兵力を分散させ、本隊を剥き出しにして誘引。本隊が耐えている間に方々から別働隊が駆けつける、というのはどうでしょう?」 従流が提案した。 戦略の骨子は龍鷹侯国の内乱初戦、えびの高原の戦いのようだ。 「分散する兵力はどうする?」 「うーん・・・・」 従流が地図を見ながらしばし考える。 「こうですね」 加勢川北岸に忠流・従流と鳴海直武などの本隊五〇〇〇。 宇土城抑えに佐久頼政・村林信茂率いる二〇〇〇、長井衛勝・武藤統教・瀧井信成率いる四〇〇〇が御船城へ。 「名島勢は八代城に残って貰います」 「・・・・ッ」 何か発言しようとした名島景綱を珠希が止める。 「背水の陣で親晴勢の猛攻を耐える、か」 忠流が顎をさすりながら地図を見下ろした。 「佐久勢が別の場所で渡河、長井・武藤勢は背後に回る」 戦術としては分進合撃だ。 本隊が耐えている間に、佐久勢が横槍を入れ、退却に移っても長井・武藤勢が退路を断つ。 こうすれば、親晴勢は逃散するに違いない。 「戦場だけでなく、大きく軍を動かす戦略のよ」 戦国史において、似たような戦法は「啄木鳥戦法」だ。 第四次川中島の戦いで上杉謙信を誘き出すため、武田信玄は八幡原に布陣して自らを囮としたのである。 「問題は、別働隊が来るまで本隊が耐えきれるかどうか、ですね」 第四次川中島の戦いでは名将・上杉謙信が作戦を見破り、逆に武田本陣へ総攻撃をかけた。 上杉軍を誘い出し、別働隊と挟み撃ちにする作戦は成功したが、武田軍は多数の死傷者を出し、崩壊寸前となっている。 「私がいるのに・・・・」 紗姫が呟きつつチラリと忠流を見遣る。 その視線に答えず、忠流は脇息に体を預けながら言った。 「こちらの精鋭である長井、武藤を引き離すのは、誘引するための策か?」 「はい」 従流が頷く。 「ふむ。―――陸軍卿」 「陣城を築く期間があるのならば、耐えて見せましょう」 実質的に指揮を執る直武が頷いた。 「橘次、もし、誘引できなかった場合は?」 「長井・武藤勢にはそのまま御船城を攻略してもらいます」 御船城。 小規模だが、堅城として名を馳せている。 益城郡の中でも主要な城だ。 また、益城郡の城だが、地勢的な理由から親晴方についていた。 「ここを落とせば、益城衆の行動を制約することができます」 益城衆を管轄する岩尾勢は中立らしいが、いつ参戦するか分からない。 熊本平野に繋がる要衝を押さえようというのだろう。 「ふむ・・・・」 つまりは誘引作戦が失敗しても、旨味はある。 言い換えれば、順当な作戦とも言えるため、親晴勢が誘引と看破されない可能性があった。 「で、名島勢はどう使う?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 従流は黙り込んだ。 分進合撃を行うには、八代城は遠すぎる。 このままでは名島勢は戦役に関わることができない。 (だが、提案しにくいだろうな) 忠流は従流の考えを理解していた。 数的主力とは言え、この龍鷹侯国と聖炎国は互角である。 対等の国の戦力を勝手に論じるわけにはいかなかった。 「名島勢は岩尾城を目指さればよろしかろう」 発言したのは、佐久頼政だった。 「連合軍とはいえ、我々は共に訓練を受けたことがない」 そのような軍勢は烏合の衆と同じ。 戦術的には別行動し、大戦略で同じ目標に向かえば良い。 「しかし、それでは・・・・ッ」 名島景綱が膝を打って前に出た。 「そもそも、これは我らの戦、我らが前線に出ないわけにはいかない!」 何より敵主力軍撃破の功績を盾に、龍鷹侯国がどのような要求を突きつけてくるか分からない。 もちろん、佐久はその事も考えているはずだ。 彼が一番、聖炎軍団によって痛い目に遭わされていた。 「兄上、如何なさいますか?」 裁定を求めるよう、従流が忠流を見遣る。 紗姫や昶はおもしろそうに忠流を見ていた。 他の出席者はひとりを除いて真剣だ。 「―――彼が結論を言う前に、いいかな?」 忠流が口を開いた時、彼の横から声がした。 声の主はただひとり、真剣ではなく、呆れていた少女だ。 「龍鷹軍団は拙速を尊ばないのかい?」 忠流と対等である少女――火雲珠希だ。 「と、言うと?」 「すでにキミの心の中にはとある戦略が思いついているはずだ」 「その戦略は鹿児島で陣触を発した時から決まっているはず」と続ける。 「へぇ、どうしてそう思う?」 「どうしてそう思わないのかな?」 ふたりは上座で見つめ合った。 「・・・・えーっと」 「どうにかしろ!」という諸将の視線を受けた従流が、背中に汗を流しながらふたりの戦略家に話しかける。 「いったい、どういうことです?」 「失礼。鷹郷侍従殿はすでに戦略を決めているのに、諸将に話し合いをさせるなんて時間の無駄じゃないか、と聞いたのだよ」 珠希は言い聞かせるように、指を振りながらウインクする。 「そこはほら、意見を聞いておかないと角が立つだろ?」 忠流の言葉は、すでに戦略が決していることを認めたものだった。 「それに俺の戦略に聖炎軍団が賛成するとは限らないだろ?」 「心外だね。言ったよ?」 従流に向けた仕草を、今度は忠流に向ける。 「『鹿児島から決まっている戦略』だ、と」 「・・・・言葉はその通りじゃないけどな」 「細かいことはいいよ。とにかく、そんな前から『分かっていた』ことに文句を言わないことが、どういうことか理解して欲しいな」 「・・・・・・・・・・・・えーっと、それで?」 「どうにかして!?」という悲鳴じみた視線を受けた従流は、こめかみに指を当てながら促す。 傍で紗姫と昶が「苦労人」「将来は禿げるか?」「坊主ですから気にしないでしょう」という会話をしているが、全力で無視する。 「ああ、悪かった」 忠流は諸将を見渡した。 脱力していた龍鷹軍団諸将と訝しげな聖炎軍団諸将の顔を覗き込むように、楽しそうな笑みを浮かべる。 「さ、一世一代の大勝負と行こうぜ」 「とりあえず、赤い顔しても格好つかないよ」 座ったまますーっと距離を詰めてきた紗姫が忠流の額に手を当てた。 あまりに自然な動きかつ人間離れした速度に、誰も対応できない。 一瞬だけ、紗姫は神装としての【力】を発揮したのだ。 「・・・・よく分かったな」 「私と繋がっているからね」 紗姫の声は完全に呆れている。 「んで、止めに来たって事は、限界?」 「後に響くと思うよ?」 「・・・・後、頼む」 「無理です!」 八代までの行軍で熱が出た代わりを任されかけた従流は、全力で拒否した。 「やれやれ。まどろっこしいまねをしたのは、単に体調が悪かっただけ、か」 忠流がふらふらと退出し、議事進行の代わり――というか、結論――は、珠希の口から語られる。 その内容に、聖炎軍団諸将は複雑な顔をしたが、自らの頭目が提案したことである。 故に不承不承ながらそれを了承した。 「―――で、貴様は大丈夫なのか?」 珠希の指揮で、八代城が慌ただしくなる中、忠流は用意された寝室で横になっていた。 顔は赤く、熱があることが分かる。 「二、三日で治るんだって」 昶の質問に、忠流の傍にいた紗姫が答えた。 「・・・・最近、妾にも言葉遣いが気安くなってきたな」 「気の長い神と同化が進んだのか、格式とかどうでもよくなっちゃって」 「格式を重んじられて奉られる神に近づいたのにか?」 昶はため息をつきながら紗姫の隣に座る。 「体は人間みたいだよ?」 「まあ、見れば分かるが?」 「正確に言えば、女の体だよ?」 「・・・・・・・・・・・・そういうことか」 「側近に言われて、『あ~、まだ人間だ』と思っちゃった」 少し照れくさそうにしているが、本当に羞恥心を持っていれば、そもそもこんな発言はしないだろう。 やはりどこかずれている。 「皇女様もどこか人間じゃないよね?」 「・・・・さあな」 紗姫から視線を逸らし、忠流を見下ろした。 その右手は無意識に眼帯に触れている。 「しかし、今回の遠征軍は・・・・対霊能士とも言える布陣じゃの」 「佐敷川の戦いでは痛い目に遭っているしね」 龍鷹侯国は親晴側聖炎国と虎熊宗国を相手にするほか、"鈴の音"とも戦っている。 また、燬峰王国の温泉神社を襲った者も特定できていない今、そういう方面の備えも必要だった。 「霧島神宮が全面的に支援しました」 えっへんと胸を張る霧島の巫女に、昶はため息をついた。 「軍事的均衡が崩れるぞ?」 誰でも使える鉄砲が普及して以来、元々数が少なかった霊能士の地位は落ちている。 それでも数を揃えれば、小競り合いなどの戦では絶大な力を発揮する。 元々、霧島との付き合いが長い龍鷹侯国には霊能士の比率が高く、簡単な霊術を使える武者も多い。 何より、侯王の証からして、<龍鷹>なのである。 因みに、<龍鷹>は他国から『魔槍』と呼ばれている。 「便利なものは使うもの。理解できないからと言って嫌悪するなど、自分の狭量を誇示しているもの」 「全く同意だな」 「ただ、この世界の戦術的方向転換を決めた人は、この通りポンコツだけど」 ツンツンと頬をつつく紗姫の顔には、優しい笑みが浮かんでいた。 |