第二戦「竜の挫折と炎の再起」/六
鵬雲四年一月二一日、薩摩国鹿児島城。 内乱で荒廃したこの城は未だ完全な修理を終えていない。断続的な修理で見栄えするようにはなってきているが、所々に残る傷跡は様々な影響を与えていた。 主に東南アジアから交易に来る商人たちが城を見て、商談をまとめていいのかと不安そうな顔をするのは変わらない。 だが、逆に生々しい戦争の爪痕を残すことで、周辺諸国への威圧になった。 平和な時代に繁栄しているのではなく、戦乱の時代に繁栄しているのだ。 それは「強国」としてのイメージを鮮烈に植えつける。 さらに、集結する兵を前に、東南アジアの商人――欧州人はすくみ上っていた。 「―――で?」 そんな完全武装の最重要区画で、忠流は脇息に頬杖をついた姿勢で、とあるところからの使者を迎えている。 態度が悪いのは、非公式な訪問だからだ。 「兄上、そう威嚇しなくて・・・・ッ」 兄の態度を注意しようとした従流の声が途切れたのは、隣に座る少女の口を抑えたからだ。 だが、その甲斐なく、忠流は少女――燬羅結羽が呟いた毒をしっかり聞き取っていた。 『大人げない』と。 「あはは」 「もごもご♪」 誤魔化し笑いを浮かべる従流と、口を押えられてちょっと嬉しそうにしている結羽から視線を外し、忠流は使者を視界に捉える。 「で、なんだって?」 「え? え、あ、その・・・・」 アットホーム(?)な雰囲気に唖然として使者は、きょとんとしてしまった。 緊張で強張っていた顔よりも、若く見える。 「お前が火雲珠希殿の使いで間違いないのか?」 「・・・・それは間違いないです」 そう発言したのは、評定で発言することなど滅多にない霜草茂兵衛忠久だった。 「かつて、隈本城に潜入した折、脱出させて佐敷城に送り届けたのが、このおなごです」 「・・・・ほぉ。ってことは、泰妙寺の変の黒幕が、火雲親晴だということを教えてくれた奴か」 目を細め、使者を観察する忠流。 「奴が抱える侍女隊ってやつか?」 「の、割には場慣れした様子は見られねえけど? ・・・・って、アタ!?」 一緒になって覗き込んでいた弥太郎に、飛んできた印籠が命中する。 「おなごをじろじろ見るな。情けない」 「うぇ~い」 父親――衛勝に怒られ、弥太郎は忠流の後ろに戻った。 「そんで、その珠希殿の側近が何の用だ?」 敵討ちでも頼むつもりなのだろうか。 「まず、大前提を述べさせていただきます」 宿敵の首脳部の雰囲気に毒気が抜かれていた彼女だったが、すぐに自分の職務を思い出したようだ。 「珠希様および御館様はご存命です」 『『『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』』』 その場の誰もが目を瞬かせ、次の瞬間に諜報担当の茂兵衛を見遣った。 「・・・・・・・・申し訳ございません」 情報を掴んでいなかった茂兵衛は素直に頭を下げる。 「・・・・なるほど。それに気が付いた親晴殿は、名島家に謀反の疑いをかけて今度こそ珠希殿を葬り去ろうとしているのだな?」 「それは違います。親晴殿は気付いておられないでしょう。ただ単に、自身の権力基盤を固めるために、名島家が邪魔なのです」 「ふむ? 自国最強部将が邪魔?」 わからない考えに、忠流は首を捻った。 「兄上、誰しも兄上のように利用すればいいと考えるわけではありませんよ」 「あれ? 俺って少数派?」 不思議そうに首を逆側に傾げた忠流に、使者を除く全員が頷く。 「ええっと・・・・話を続けても? といっても、ここからは親書を渡すだけなのですけれど」 忠流はもうひとりの小姓――御武幸盛に視線を向けると、彼は立ち上がって使者へと歩き出した。 「へえ・・・・」 幸盛から受け取った親書を一読した忠流は、おもしろそうに呟いた。 「いいだろう、乗った」 そう使者に返事した忠流は、兵権を司る陸軍卿――鳴海直武に命じる。 「八代城攻防戦は待機。だが、すぐ動けるようにしておけ」 「・・・・すぐ、とは?」 「半月以内か?」 「・・・・本当にすぐですね、分かりました」 直武が頷き、視線を後ろに向けた。 そこに控えていた兵部省の下級役人が頷き、その情報を兵部省に伝えるために走り出す。 「しかし、介入するならば、八代城攻防戦からではないのか?」 式部卿である武藤晴教が質問する。 確かに、後詰に行くなり、両軍とも叩き潰すなり、攻防戦に介入する方が簡単だろう。 尤も、これが龍鷹軍団を引き寄せる罠である可能性も捨て切れないのだが。 「しゃあねえだろ?」 忠流は戦略家だ。 言われずともわかっている。 「あちらさんが、この程度自分でどうにかするってよ」 「俺らは虎熊宗国が出てきた場合の、保険ってわけだ」と続けた忠流は、おもしろそうにくつくつと笑った。 火雲珠希side 「―――気づかれた様子はないんだね?」 一月二四日、八代城南方二里。 ここに珠希勢は集結していた。 佐敷城や津奈木城の佐敷衆に、八代城に入れなかった八代衆を併せ、総勢二〇〇〇。 普通、これだけの兵力が集結していれば、物見に気付かれるはずだ。 「立石殿に目を向けられているようで」 この二〇〇〇を率いる名島重綱が言った。 「見事な陽動ですね」 津奈木勢三〇〇を率いる長谷川が続く。 「ふふ、まあ、この時期に水俣衆が動く意味は分からないだろうからね」 珠希は龍鷹侯国との会談首尾が分からないうちに、水俣城主・立石元秀に出陣を命じたのだ。 立石は珠希が生きていたことに驚いたが、命令文に火雲親家の花押が連記されていたこと、使者が同じく討ち死にしたと伝えられていた重綱だったことに、命令を快諾する。 翌日の二一日――奇しくも、鹿児島城で八代城攻防戦に不介入と決まった日――に、兵六〇〇を連れて出撃した。 水俣勢は津奈木城を経ることなく、直接海岸線を北上し、八代を目指し出したのだ。 これに気が付いた八代城攻略軍は、水俣勢の動向を気にするあまり、警戒していた八代衆を見逃していた。 「立石勢に向け、軍勢が動けば、さらに本陣が手薄となる」 寄せ手は火雲親晴率いる一〇〇〇が合流し、六〇〇〇となっている。 数は増えたが、親晴が来ている。 その事実に、本陣への猛攻は意味を持った。 「ここで親晴殿を討ち取ることができれば、聖炎国はこちらに取り戻せますな」 「そういうわけにはいかないね」 楽観的な言葉を放った重綱に、珠希は首を振る。 「親晴には、昨年生まれた嫡男がいる」 そう、親晴と十波室との間には、第一子が誕生していた。 まだまだ指揮を執ることはできないが、歴とした跡取り息子である。 ここで親晴が戦死したならば、虎熊宗国はこれ幸いに聖炎国の乗っ取りに出る。 おそらくは後見人として、虎熊宗国から家老級が送り込まれるだろう。 「だから、ここで親晴を討ち取るわけにはいかない。でも、挫折してもらう」 親晴自ら出張ったのは、聖炎軍団最強部将である名島景綱を討つことで、自身の名声を得ることだ。 そこで無様に敗北したとしたら、名声は地に落ちる。 「この戦で僕の存在を公言し、信頼勝負にかける」 聖炎軍団がしてやられた鷹郷忠流に勝利し、佐敷地域奪還の足掛かりを作った前当主の嫡子。 実戦指揮には定評があったが、政策を誤って当主父子を喪った養子。 その直接対決で、前者が買ったならば、予想中立であった勢力が珠希につく可能性が高くなる。 (問題は、主敵を虎熊宗国にし、同盟国に龍鷹侯国を選ぶことに反発しないか・・・・) 時勢を見れば、それしかないのだが、頭の固い連中には理解されないかもしれない。 (彼らは龍鷹侯国の属国ないし一家臣に成り下がるのではないかと心配するんだね) そうではない、と示すためには、親晴勢を単独で撃破しなければならない。 「しかし、本当に龍鷹軍団は動かないので?」 「大丈夫大丈夫」 家臣団の心配を笑顔で一蹴するが、彼らの心配も無理はなかった。 会談の結果はまだ、珠希たちに届いていないのだ。 珠希は、龍鷹軍団が水俣城を襲うことがないと決めつけていた。 自分と同じ戦略家である忠流が、判断を誤って目先の水俣城に食らいつくわけがないのだ。 龍鷹侯国の目は、すでに聖炎国から虎熊宗国へと向いている。 兵力的劣勢である龍鷹軍団が、何もせずに数千の味方を作れるという条件に、同意しないわけがない。 (この戦、戦略家じゃないと理解できない展開になりそうだね) クスリと笑った珠希は、父から受け継いだ軍配を握った。 「さあ、行こうか」 戦場まで二里。 ここから一息に駆け抜け、珠希勢は親晴勢に襲い掛かる。 呼応して名島勢も打って出るだろう。 緻密な戦略の割には、戦術はおざなりだ。 戦術はあまり考えなくていいほど、今回は戦略で勝っている。 (ふふ、楽勝だよ) そう、思っていた。 (・・・・時があったね・・・・) いざ蓋を開けてみれば、激戦だった。 珠希の考えでは、反撃が始まればこの戦争に疑問を抱いていた隈本衆が崩れると思っていたのだ。 攻撃を受けた親晴勢の対南部警戒部隊は一瞬で潰走した。しかし、親晴は冷静に部隊を運用する。 珠希勢は警戒部隊を撃破した後、名島重綱を主将とする八代勢が主攻を担当し、佐敷の太田勢、津奈木の長谷川勢は戦果拡大に動いた。 だが、結局は重綱が攻め切れず、他の部隊もそれぞれ抑えられてしまった。 奇襲の効果が抑えられた以上、兵力差が物をいう。 「まさか・・・・親晴が戦場で力を発揮する部将だったとは・・・・」 戦略や政略方面の親晴しか知らない珠希は、戦術方面で親晴が受けていた評価を信じていなかった。 所詮はおべっか。 実際は腹心に助けられたに違いないと思っていたのだ。 「崩れ立った前線を自ら立て直した、か・・・・」 八代勢による平押しに崩れた前線に出てきた親晴は、馬廻衆と共に八代衆の前線を荒らし回った。 隈本衆が崩れ立ったのは、同じ聖炎軍団の攻撃に怯んだからである。だが、同時に八代衆も隈本衆への攻撃に二の足を踏んだ。 しかし、虎熊宗国出身の親晴と馬廻衆には関係ない。 思い切り霊術を叩き込み、容赦なく八代衆を殺傷した後、親晴は叫んだのだ。 「八代衆は戦を選んだ! 戦わねば死ぬぞ!」 これまで八代城は自衛のために戦っていた。だが、今度は攻撃してきた。 それは生きるための戦いから、殺すための戦いに変えた、ということ。 自分を、明確な理由をもって殺そうとするならば、抵抗しなければ死ぬ。 自衛戦闘。 そう割り切った隈本衆は、元気を取り戻したかのように、一気に攻勢に移った。そして、それを受け、八代衆も応戦する。 結果、遠慮なんてなく、両軍が双方を撃滅するために戦い出す。 ここで、珠希が想定していた、内乱後の戦力維持、という概念が砕け散ったのだ。 「申し上げます!」 前線から伝令が来た。 「親晴様、本陣に引き上げられましたでございます。お味方、陣を整え、再度を寄せましたところ、隈本衆の抵抗強く、攻めあぐねております」 先鋒を任された軍は、八代衆の精鋭だ。 だがしかし、隈本衆は聖炎軍団の本隊を形成するエリート集団だ。 足軽のお貸し具足を比べると、レベルの差は歴然としていた。 「もうひとつ、なんらかの突破口がなければ、ジリ貧です」 つまりは戦術的手を打ってほしいと、前線から頼まれたのである。 (んー。・・・・何も考えていないね) 「鉄砲隊を前に出せ。近距離から射撃を浴びせ、敵の熱を冷まさせろ」 静かに混乱していた珠希の横から、冷静な指示が飛び出した。 「太田、長谷川両勢は攻勢から守勢へ。我らの進路に新たな敵が入らないように維持しろと伝えろ」 目をパチクリさせ、隣の青年を見上げる。 「戦は俺に任せて」 ふっと優しく微笑んで見せた重綱は、槍持ちから大身槍を受け取って素振りした。 「仕切り直し後、俺が突っ込む。隈本衆の物頭級ならば俺の顔は覚えているだろう」 「なるほど、死んだはずの若が生きていれば、物頭は混乱しますな」 そうすれば、指揮どころではなくなる。 物理的奇襲に失敗したならば、精神的奇襲をかければいい。 そう判断した重綱は、ひらりと馬に飛び乗った。 「それでは珠希様」 「・・・・?」 放心状態で重綱を見ていた珠希がわずかに反応する。 「道をつけてきます」 それに重綱は安心させるようにっこりと微笑んだ。そして、すぐに真剣な顔をすると、馬に鞭入れて前線に走り出す。 ちょうど前線では、重綱の指示を受けた鉄砲隊が銃撃を始めていた。 「行くぞ!」 頃合いやよし、と見た重綱は馬廻衆と共に突撃を開始する。 至近距離から銃撃を受けた敵勢は大いに崩れており、乗り切りに最適だ。 向こうも慌てて武者衆が出ようとしているが、先ほど前線で戦い、休憩していた彼らの動きは鈍い。 戦国の戦いは数時間続くのが普通だ。 そんな数時間、ずっと武装した状態でいるのは疲れるため、最低限の武装で休息に入る部隊もある。 この状態だと、奇襲を受けた場合に即応できない。 武者衆はそんな状態だったのだ。 (こちらの前線が向こうの武者にやられていた時、こちらの武者衆を出さずに前線に耐えさせたのは、これかな?) 重綱は最初から簡単に行くとは思っておらず、最初から戦術を考案していたのだ。 「頼りに、なるね」 命の恩人であり、従兄である重綱の後ろ姿を眺め、ぽつりと呟く。 その頬は、かすかに赤く染まっていた。 「―――なに!? 名島重綱が生きていただと!?」 自身が立て直した戦線が、半刻で再び悪化した理由を聞き、親晴は叫びを上げた。 「ははっ。前線で大暴れしているようです」 「・・・・なるほど、大した頭目のいない八代、佐敷、津奈木の兵力が集結したのも奴の仕業か・・・・」 若手筆頭とも言える優秀な部将である名島景綱。 親晴政権にとって、重臣になるであろう義弟・十波政吉よりも名声が高い。 自ら陣頭指揮を執る戦で、無類の強さを誇る。 戦術家としてのタイプは、親晴とほぼ同じと言えた。 (負けるものか・・・・ッ) と、意気込むも、すでに戦略的優位は向こうにある。 元々、隈本衆は名島家を攻めることに疑問を持っていた。 そんな中に、死んだはずの名島景綱が生きていて、さらに自分たちを攻撃しているのだ。 黄泉で怒り狂った重綱が現世に出てきたと信じる者が、兵だけでなく、武者衆にもいた。 それは急激な士気低下へと繋がり、戦局は大きく動き出している。 八代城勢の介入は、抑えの兵がよく防いでいるが、それも時間の問題だった。 (チッ、烏合の衆がこちらの背後を突き、本命の八代城勢が攻めてくると考えていたが・・・・) どうやら、本命は後詰勢だったようだ。 (読み違えたな・・・・) こちらの戦略的奇襲は、八代城の頑強な抵抗に阻まれた。 あちらの戦略的奇襲は、こちらの奮戦で持ちこたえた。 だがしかし、あちらの精神的奇襲に、こちらは耐えられそうにない。 「撤退だ。・・・・戦略を練り直す」 「はっ」 副将がてきぱきと撤退準備を調え出した。 後陣が殿となるために前に出る。 (父上、失敗しましたね) 虎熊宗国宗主・虎嶼持弘から託されたという親書を持ち、ひとりの女性が隈本城を訪れた。 大国の当主となる教育を受けている途中だった親晴は、確固とした行動方針を持っていない。 だから、親書に書かれていた通りに行動することにした。 その親書の目的は、聖炎国の完全な属国化。 旧勢力の代表とも言える名島家を滅ぼし、それに呼応して出ていた龍鷹軍団を叩く。 龍鷹軍団の兵糧問題は解決しておらず、好機と思ってひょいひょい出てきたのならば、大した戦略もない。 数千規模の龍鷹軍団を叩き、後の大規模攻勢時の抵抗戦力を減らす。 これが今回の八代攻めだった。 (だから、今回は、名島家が開城勧告に従わなかったという事実があればいい) 八代城が健在で、聖炎国に裂け目があると感じた龍鷹軍団は、近いうちに攻勢に出る。 (そして、隈本城周辺で、虎熊軍団の大軍を見て挫折するのだ) 龍鷹侯国vs聖炎国ではない。 もはや、龍鷹侯国vs虎熊宗国なのだ。 「後陣、展開終了しました」 「よし、撤退するぞ」 すぐさま本陣から伝令が走った。 親晴の指示の下、軍勢は一斉に後方へと走り始める。 五分五分の戦をしていた名島勢が思わず顔を見合わせるほど、見事な撤退だった。 正当防衛で戦った名島家だ。 きっと追撃はない。 そう決めきった親晴は、名島勢に背を向けて、悠々と撤退しようとする。 「親晴様!?」 悲鳴交じりの声に振り向いた親晴は、楽々と後陣を超えて飛翔する火矢を見た。 「なっ。―――っ!?」 駆け寄ってきた護衛の霊能士が、親晴の頭上向けて防御障壁を展開。 火矢はそれを貫通して爆砕。 衝撃波で数十人が吹き飛ばされる。 その中に、火雲親晴も混じっていた。 |