第二戦「竜の挫折と炎の再起」/五
鵬雲四年を、西海道の国々は奇妙な静けさのまま迎えることになった。 龍鷹侯国は、戦力の再編成と相も変わらず兵糧確保。 聖炎国は、新当主・親晴の下、戦準備が始められていた。 燬峰王国は、兵糧確保を念頭に軍備拡張が続けられていた。 銀杏国は、不気味な沈黙を続けている。 虎熊宗国は、南下してきた出雲勢力と戦いつつ、岩国でも戦端を開いていた。 そんな静かな西海道の中央で、ひとつの改名が行われた。 「―――熊本城、か・・・・」 鵬雲四年一月四日、肥後国八代城。 世間では世を去ったとされる火雲珠希は、この城を本拠にして再起を図っていた。 今日は、隈本城に新年の挨拶に行っていた城主・名島景綱が帰り、その報告を行っている。 「はっ。親晴様は隈本城を、今後『熊本城』にすると宣言されました」 「改名に何の意味があるのでしょう?」 珠希の側近・鈴鹿栞が首を捻る。 彼女は武装侍女衆の頭目であり、優秀な指揮官だ。 「意味はあるよ」 彼女の言葉に、珠希が答える。 「『熊』は虎熊宗国を示すから、聖炎国が虎熊宗国の属国になったと示すため」 語呂は変えていないが、文字を重視するこの国において、言外の意味を示していた。 「誰も反発はしなかったのかい?」 「はっ。特に誰も」 「意味を理解できなかったのか、服従を是としているか・・・・」 珠希は腕組みする。 「反抗しようにも旗印がいないからね」 「・・・・重綱殿・・・・」 名島重綱。 景綱の嫡男であり、珠希の恩人だ。 「親家公と珠希様を失い、火雲家の跡目を継ぐ人間は親晴様以外におられません」 故に反抗しても意味がない。 「ならば、ここで僕が旗揚げすると・・・・どうなるかな」 聖炎軍団はこの隈本衆を筆頭に、宇土衆、八代衆、水俣衆、佐敷衆、菊池衆、山鹿衆、阿蘇衆、益城衆に分かれている。 珠希が挙兵した場合、珠希派閥と親晴派閥に分かれることとなるだろう。 この時、珠希派に属するのは八代衆を筆頭に水俣衆、佐敷衆の残余と考えられた。 これは総勢四〇〇〇に達する。 一方で、親晴派に属するのは隈本衆、宇土衆、菊池衆だろう。 これらは合わせて一万。 残りの山鹿衆、阿蘇衆、益城衆は動向不明だ。 だが、地政学的理由で、山鹿衆は敵になる可能性が高い。 また、益城衆も同じ理由で静観する可能性がある。 阿蘇衆に至っては、対銀杏国のために動けない。 「正面から熊本城を落とすことは不可能です」 「兵力差を埋めるには、この城で迎え撃つ以外にありません」 聖炎国の領土にはいくつもの要塞がある。 同時期の欧州と同じく、戦いは長期戦になるだろう。 「そんな長期戦を虎熊宗国、龍鷹侯国が無視するはずがない」 「虎熊宗国は間違いなく、親晴殿に増援を出すでしょう」 主力軍が中国地方に出兵しているが、筑後衆が動くだろう。 二〇〇〇程度かもしれないが、十分に脅威だ。 「いいだろう」 現状を整理した珠希が居住まいを正す。 「ここで決を採ろうじゃないか」 居並ぶ名島家の重臣たちを前に、珠希が提案した。 「敵の敵は味方、という理論に賛成の者、手を挙げよ」 君主として威厳を見せた珠希は、挙兵を決意した瞳で重臣たちを見回す。 それに対し、覚悟を決めた部将たちは己の意見を行動で表した。 鷹郷忠流side (―――何も・・・・起こらなかったな) 鵬雲四年一月十七日、鹿児島城郊外。 忠流は土手に転がって空を見上げていた。 体はふとんをかぶっており、寒くはない。 (何を考えている、"鈴の音"・・・・) 龍鷹軍団が佐敷城で敗北してから二か月、南九州は平穏だ。 津奈木城-水俣城間の物資輸送に関しては、龍鷹軍団の小部隊が出撃して通商破壊を繰り返している。 だが、戦局を動かすほどではなかった。 故に"鈴の音"が何かすると思っていたのだが。 ("鈴の音"は昶なのか?) 不在だったから何もできなかったのだろうか。 (それとも、奴は容疑者を絞っていることに気がついているのか?) 黒嵐衆の報告から解析するまでもなく、"鈴の音"は近くにいる。 そうでなければならないほど、彼女は龍鷹侯国の内情を知りすぎていた。 中枢に出入りでき、かつ龍鷹侯国に縛られない存在は、ふたりしかいないのだ。 「―――また、脱走?」 「・・・・・・・・お前か」 忠流の傍に立ったのは、容疑者のひとり、紗姫だった。 「どうでもいいが、その姿で枕元に立つな」 「幽霊みたい?」 「・・・・袴の中が見える」 「―――っ!?」 「ぅお!?」 蹴りを回避し、ごろごろ転がる。 「このエロ君主・・・・ッ」 「そりゃあ、健全な十六歳だからな!」 最近調子のいい体を駆使して跳ね起きた。 背も伸び、少しずつだが、紗姫との身長差が広がっている。 「なら早くお嫁さんをもらえばいい」 「・・・・探しているんだけどなー」 "鈴の音"を正室に迎えると言ったのは、嘘ではない。 「同盟軍の結羽さんは如何?」 「あれは・・・・怖い。橘次に任す」 「・・・・南蛮の無口女?」 「それは・・・・源丸に任す」 「我が儘」 「うっせ」 忠流は側に置いていた兄・実流の形見である太刀を手に取った。そして、土手上に止めた馬へと歩き出す。 「最近は体の調子が良いようで」 紗姫の傍を通り抜けた時、彼女が声をかけてきた。 「ああ、おかげで身長も伸びてきた」 「確かに・・・・んーっ」 寄ってきた紗姫が忠流の頭へと手を伸ばす。だが、届かない。 彼女は同年代の女性の中でも小柄な方だ。 「何してんだ?」 「・・・・頭、撫でられるかなって」 諦めたのか、やや拗ねた口調で言う。 「高くなったね、本当に」 「いや、今お前がいるところの方が低いんだが」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 紗姫は立ち位置を確認し、頬を染めた。 「もうじき、皇女様が莫大な兵糧を持って帰還される」 数隻だった輸送艦は、数十隻になって帰ってくる。 同時に南方に派遣されていた第二次調達部隊も数日後に帰ってくる。 このため、二月には龍鷹軍団は遠征軍を派遣できる兵糧が揃う。 「あの皇女、そのまま京都に帰らなかったのね」 「危険なのは、畿内もこの国も変わらないのだがな」 むしろ、龍鷹侯国の方が危険と言えた。 桐凰家は周囲に潜在的な敵を抱えているが、包囲網が敷かれたわけではない。 「何かやりたいことがあるのでは?」 「やりたいことが・・・・?」 (やはり"鈴の音"?) 疑心暗鬼になっていた。 とことん平和に慣れていないようだ。 「・・・・その平和も終わったみたいよ」 「あん?」 スタスタと忠流の隣を通過し、土手の上に立った紗姫が額に手を当て遠くを眺めた。 背伸びをしてもほとんど視界は変わらないが、背伸びしたい気持ちは分かる。 「何を・・・・って、あー」 同じく土手に上った忠流は、土煙を上げて突進してくる騎馬隊を発見した。 先頭を走るのは、平時というのに甲冑を着た加納郁だ。 その後方には瀧井信輝もいる。 「平和が終わったな。これから説教の時代か?」 「そうではなく」 紗姫はそっと一歩下がり、忠流を前に出す。 「近衛の表情が切迫してる」 「よく見えるな・・・・」 「<龍鷹>の見渡す【力】の応用かな」 紗姫は肩をすくめた。 「どうでもいいけど、逃げるの? 聞くの?」 「・・・・そこまで言われて逃げるほど、職務放棄はしねえよ」 肩をすくめ返し、忠流は近衛に対して向き直る。 「どうした?」 一分後、近衛数騎は滑り込むようにして忠流を包囲した。 「はぁ・・・・はぁ・・・・いろいろ言いたいことがあるけど」 「とりあえず、陸軍卿からの伝言を」 郁と信輝が言う。 どうやら鳴海直武からの指示で動いていたようだ。 「お耳を拝借」 信輝がそっと顔を寄せた。 「聖炎国が割れました」 「・・・・その程度なら、普通に話せ。耳がくすぐったいわ」 「その程度って・・・・」 信輝が呆れる。 「じゃ、遠慮なく」 郁が紗姫をチラリと見て報告した。 「三日前、火雲親晴率いる五〇〇〇が八代城を包囲。八代城主・名島景綱は徹底抗戦を選択。両軍は激戦中」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐敷城の戦いでの不可解な行動が原因か」 忠流は腕組みして、素早く考えをまとめる。 佐敷城の戦いの最後、藤川勢の突撃で十波勢が総崩れとなった。 その原因は佐久勢が名島勢を突破して押し寄せたことによる。 本来、名島勢は佐久勢の抑えであり、敗北の原因は名島勢にあった。だが、不可解だったことは、名島勢が抑えることすら放棄し、佐敷城の攻略を重視したのだ。 まるで、十波勢が壊滅してもいいとでも言わんばかりに。 「謀反を疑われた、ってところだろ」 「の、わりには遅くないですか?」 佐敷城の戦いは二ヶ月前だ。 「その辺りはどうでもいい」 忠流はひょいっと馬に乗る。 「ほれ、行くぞ」 そう言って紗姫に手を伸ばした。 「?」 「不思議そうな顔してないで、乗れって。馬のふたり乗りくらいはできるから」 「では、失礼して」 紗姫がそっと手を伸ばしたので、それを掴んで引き上げる。 「変なところを触ったら、刺しますから」 「自虐ネタなのかどうかは分からんが・・・・変なところを触っても楽しくなさそ―――って、いってぇ!? マジで刺しやがったな」 「当然です。私は有言実行ができる女です」 「変なところを触ってないんだから、不言実行だろ!?」 「あら?」 虚空から出していた穂先を引っ込め、首を捻って惚けた。 「このアマ―――」 「楽しそうなところ、悪いけど、城に帰るなら急ぐよ」 「兵部省は軍を動かす準備に入っています。ですが、指示を待つとのこと」 「ああ、もう分かった。行くぞ!」 「ひゃあ!?」 憂さ晴らしに乱暴に馬を走らせ、鹿児島城への帰途に着く。 (今度こそ、しくじらない) そう胸に誓い、忠流は紗姫の抗議混じりの悲鳴を聞き流した。 火雲珠希side 「―――撃てぇっ」 組頭の号令の下、鉄砲が弾を放った。 それは弾道を描いて敵方の竹束に命中する。そして、応射が返され、それらは城壁にめり込んだ。 「敵を近づけるな!」 鵬雲四年一月十八日、肥後国八代城。 八代城は火雲親晴率いる討伐軍の猛攻を受けていた。 戦略的奇襲であったこの戦い、八代城は圧倒的に不利である。 籠城しているのは五〇〇人に過ぎなかった。 佐敷城の戦い終結後、名島勢は動員を解いていたのだ。 「大手門守備隊より伝令!」 本丸の本陣に定時連絡が来る。 それを甲冑姿の名島景綱が受けた。 「寄せ手は前日と変わらず、隈本衆。大将も変わりません」 伝令は片膝をつき、落ち着いた声音で話し出す。 そう、兵力差は十倍だが、そこまで戦況は逼迫していなかった。 「攻め方も単調で、寄せ手大将はこの戦に乗り気ではないと判断できます」 「やはりか」 軍を率いてはいるが、全員が全員、景綱の謀反を信じているわけではないのだろう。 火雲家の分家であり、聖炎軍団最強、宿敵である龍鷹軍団と死闘を繰り広げ、八代以北を聖域とする名将だ。 そして、無二の忠臣とも言えた。 「これは・・・・ふたつの原因が予想できるね」 景綱の隣に座っていた珠希が言う。 「ひとつは僕の存在がバレたこと。もうひとつは単純にキミが邪魔なだけか」 「後者でしょう。だが、先手を打たれましたね」 「そうだね」 戦は起こすつもりだった。 だがしかし、その前に水俣城開放のために軍事物資を要求。 それらを元にして反乱を起こす予定だったのだ。 その手順を無視し、いきなりの開戦だ。 「ま、これをどうにかしないと・・・・龍鷹軍団を頼れないね」 あの日、決議を採ったあの日に、反乱に際して龍鷹軍団を呼び寄せることを決めていた。 内乱では、絶対に虎熊軍団が介入する。 だから、それに対抗する形で龍鷹軍団を入れるのだ。 「僕たちの宿敵は、虎熊宗国だよ」 長年の宿敵である龍鷹軍団。 その原因は肥後統一。 だが、肥後統一を掲げた理由は、穗乃花帝国が虎熊宗国によって滅亡したからだ。 「得体の知れない大国よりも、気心の知れた強国を選ぶ」 そう宣言し、珠希ははちまきを締めた。 「行かれますか?」 「うん。行くよ」 鹿児島城に援軍要請に行くのではない。 (この程度、聖炎軍団如き、自分でどうにかしなくちゃ、足下を見られるからね!) この日、珠希はわずかな供回りを連れて八代城を脱出、佐敷城に向かった。 佐敷城には珠希派の太田貴鐘が入っている。 彼は元佐敷城主・太田貴久の嫡男だ。 また、津奈木城には同じく珠希派の長谷川家次がいる。 彼らの兵力を糾合した場合、約一〇〇〇となる。 さらに八代城に入れなかった八代南部の八代衆を合わせれば一〇〇〇。 合計二〇〇〇となり、後詰軍としては十分だ。 最高司令官は火雲親家。 現場指揮官は名島重綱。 そこに戦略判断を担当する珠希が加われば、火雲親晴を押し返すことができる。 尤も最高司令官である親家は寝たきりの存在で、津奈木城にとどまるのだが。 「―――この作戦、成功させるには速度が必要だよ」 同月二〇日、佐敷城で開かれた緊急評定で、珠希は開口一番にそう告げた。 「その理由は戦略段階と作戦段階のふたつ」 戦略段階の理由は、単純に他国の干渉だ。 龍鷹侯国が水俣城に再度攻撃を仕掛ける可能性がある。 事実、早馬が国中に走り回り、陣触が行われていた。 今は様子見なのか、実際に軍勢は集結していない。 しかし、動員行程をかなり短縮した龍鷹軍団の初動は早い。 全く油断ならない。 また、親晴方にも増援は考えられた。 これ以上兵力が開くのはマズイ。 この辺り、佐敷城の戦いで十波勢に打撃を与えておいて良かった。 「作戦段階では・・・・奇襲を旨とするから、ですね」 重綱の質問に頷く。 たとえ、二〇〇〇の兵を率いたとしても、相手は五〇〇〇。 八代城に抑えの兵を残され、万全な態勢で待ち受けられれば突破することは不可能だ。 勝つには、背後からの奇襲しかない。 だから、集結や出撃を悟らせてはならないのだ。 「集結は龍鷹軍団の名を使おう」 「はい?」 「水俣城に龍鷹軍団が押し寄せる可能性があるので、陣触を出して備える、と報告するのさ」 「・・・・なるほど」 重綱が頷き、視線でふたりの城主に発言を求めた。 「陣触から集結まで三日いただければ、十分です」 「佐敷城も同じです」 八代衆頭目代理として、重綱も自軍集結までの時間を報告する。 それは一日だった。 すでに各領主たちは陣触を終え、領主の砦ごとに軍勢が集結していた。 後は集結地点を指定するだけだ。 「でも、八代衆は監視されてるだろうね」 「はい。わずかに戦況が親晴殿有利になれば・・・・武装解除を求めるでしょう」 (となれば、別の場所に目を向けさせるしかないね) 「まあ、いざ戦になれば、キミがどれだけ全軍を掌握できるかにかかっているね」 珠希の言葉に、真面目な顔で頷く重綱。 その顔に、ちょっと胸を高鳴らせた珠希だが、胸に手を当てて一呼吸置いて落ち着く。 「じゃあ、時間もないから・・・・」 珠希は周囲を見回し、覚悟を求めた。 「明日から動く」 『『『オオッ!!!』』』 珠希は立ち上がり、小太刀を引き抜く。そして、それを血に塗られた大広間の板間に突き立てた。 「親晴を斃し、僕が聖炎国を統べる! その目的は虎熊宗国の打倒だよ!」 『『『オオッ!!!!!!』』』 諸将もそれに倣い、太刀を突き立てる。 ここに、新生・聖炎国が誕生した。 |