第二戦「竜の挫折と炎の再起」/三
「―――へぇ、義兄様・・・・親晴もなかなかの策略家だね」 鵬雲三年十月十一日。 火雲珠希は報告を受け、壮絶な笑みを浮かべた。 その笑みに、目の前で平伏する梨がビクリと体を震わせる。 「やっぱり、真の敵は穂乃花帝国を滅ぼした虎熊宗国だったんだね」 彼女たちがいる場所は、名島勢の本陣だ。 つまり、珠希は佐敷城に戻っていたのである。 「ならば、姫様」 梨が顔を上げ、彼女の顔色を窺った。 「うん、証拠は揃った」 その言葉に、名島景綱・重綱父子や名島家重臣、還俗した泰妙寺の元住職・火雲親泰が殺気立つ。 居並ぶ偉丈夫たちの殺気を受け、梨は再び背筋を震わせたが、珠希は笑みをさらに深めた。 「後は時期を―――」 ―――ダダーンッ!!! 『『『『『―――っ!?』』』』』 夜陰を貫く銃声に、部将たちは立ち上がる。 「何があった!?」 「夜討ちか!?」 「どこからだ!?」 侍大将はすぐさま幔幕を翻して外に出る。そして、配下の物頭に問うた。 「わ、わかりません。前面の佐久勢に動きなし!」 前線からかけてきた物見の知らせに、彼らは胸を撫で下ろす。しかし、すぐにその顔を十波勢に向けた。 「旗が・・・・揺れている・・・・」 霊力で夜目を利かせた部将のひとりが呟く。 「間違いない! 十波勢が夜討ちを受けている!」 緩んだ空気が再び引き締まった。 十波勢が奇襲を受けたというならば、兵は佐敷城から向けられたものに違いない。 数日前、恐ろしく強い一団が包囲網を突破していた。 彼らによる攻撃ならば、侮れない。 「申し上げます! 佐久勢に動きあり! 」 前線から報告が来た。 「松明を盛んに焚き、夜襲に乗じると思われます!」 「チッ、まあいい。迎撃するぞ!」 名島が命令を飛ばし、幔幕の中に戻る。 「珠希様、やや危なくなりますが、ご安心ください」 景綱は戦場故に片膝をついて報告した。 聖炎軍団最強と噂される名島勢はすでに大半が戦闘態勢に移行している。 奇襲に乗じる佐久勢を迎撃する準備は整っていた。 「それなんだけど、僕に策があるんだ」 「・・・・え゙」 にっこりと笑みを浮かべた珠希は、ゆっくりととある方向を指差す。 「佐久勢には抑えだけでいいよ。本気で攻めてこないし」 「し、しかし・・・・」 「大丈夫だって」 念を押すように笑みを深めた珠希は、般若のようだった。 佐敷城外夜襲戦scene 「――― 一五〇か・・・・」 夜討ち朝駆けのために集合した藤川勢の数だった。 「おおよそ五〇が逃散したか・・・・」 集合率75 %。 「悪くない数字だ」 生還の可能性はほとんどなく、意地だけで突撃する藤川家に一五〇もついてきてくれるのだ。 「皆、感謝する」 林に身を隠す兵たちに頭を下げ、藤川は敵を睨みつけた。 まず、藤川勢に立ちはだかるのは、三〇名の警戒部隊だ。 十波勢の脇を固め、奇襲攻撃があれば耐え、本隊の増援を待つ部隊である。 一五〇で襲い掛かれば負けない相手だが、その間に敵本隊は態勢を整えるだろう。 故に、瞬時に撃破する必要があった。 「黒嵐衆がいてくれてよかったな」 藤川は策通りの展開に、安堵の息をつく。 藤川勢が夜闇にまぎれて警戒部隊の陣地に辿り着くと、彼らは眠りこけていた。 黒嵐衆が先行し、眠り薬で眠らせたのだ。 三〇名程度ならば、風向き次第で殲滅できる。 「首は捨て置け! ここからは一気に攻めるぞ」 一応、指揮官らしき男を討ち取ってから藤川が言った。 煌々と篝火が焚かれている十波勢本隊は、警戒部隊がいるので油断しきっている。 一気に畳み掛ければ本陣に届くはずだ。 藤川勢が真正面から攻めていれば難しいが、今から攻めるのは横腹なのだ。 「物見の結果、本陣までに三〇〇ほどが展開している、と」 その大半が寝ているとなれば、やはり本陣に届く。 「十波政吉か、相手にとって不足なし」 十波政吉の姉は、火雲親晴の側室だ。 親晴入嗣の折、珠希が幼かったために彼女が選ばれた。 十波氏は火雲氏の分家なのだ。 菊池地方を治め、虎熊宗国とも近いために外交を担うこともあった。 尤も、親晴入嗣から二年後に当主が死去したため、今の外交は親晴と共に聖炎国に移った国木田が担っている。 「将来の重臣を討ち取れば、聖炎軍団も弱体化しよう」 そう呟き、槍袋を外した。 篝火の光を一瞬だけ反射したが、敵は気付かなかったようだ。 「全軍、突撃!」 号令と共に矢が一斉に放たれる。 それが頭上を通過した瞬間、匍匐前進で先行していた兵たちが走り出した。 敵陣との距離は二〇間もない。 「―――て、敵・・・・ガハッ!?」 警備の兵は闇の中から浮かび上がった兵に、驚きの声を上げるもそれが他の兵に聞こえる前に斬り倒された。 「篝火を倒せ!」 先鋒を司った侍大将が敵兵を馬蹄で踏み潰し、自らも篝火を倒す。 あっという間に暗闇が陣地に広がった。 その面積は、龍鷹軍団が侵食した面積に等しい。 その侵食はあまりに早く、本陣に急報が入り、十波が具足を身に付けた時には、すでに本陣境界で戦闘が勃発していた。 「―――くそっ、警戒部隊は何をしていた!?」 慌てているので、なかなか太刀が佩けない。 十波政吉はまだ二〇歳になったばかりの若武者だ。 大きな戦は先の佐敷川の戦いのみ。 その戦いでも勝手に戦い始めた足軽たちを前に右往左往するだけの人間だった。だがしかし、十波家の侍大将は粒揃いだ。 元々、南進傾向がある聖炎軍団の北方に領土を持ち、決戦兵力と用いられたために武闘派が揃っている。 (それも裏目に出たがな!) こんな時、積極的に戦う部将ではなく、一歩引いたところから敵戦力を見極められる智将が必要だ。 残念ながら、十波家にはそれが抜けていた。 「吉元、敵をどう見る?」 傍に控える乳母兄弟に問う。 彼は一隊を率いて、北薩の戦いに従軍した経験を持っていた。 十波よりは経験豊富である。 「攪乱目的ではないと思います」 「と、いうことは・・・・?」 「殿の首を狙っています。・・・・・・・・自分たちの命を引き換えに」 「相打ち覚悟の決死隊か!?」 名門の御曹司である十波からすれば、そんな行為はお伽噺だ。 名門故に逃げないと思われるかもしれないが、名門故に家名を絶やしてはいけないのだ。 危ない橋はできうる限り避け、生還を目的とする。 それが十波の武士像だった。 「名島勢はどうした?」 「佐久勢も動いているようで、増援に動くと逆に危ないと言ってきました」 「・・・・佐久勢の方が多いし、仕方がないか」 十波はため息をつき、ようやく太刀を装着する。 「敵は寡兵だが、油断するなよ!」 本陣は馬廻衆五〇で固めていた。しかし、敵に強力な霊能士がいた場合、蹴散らされる可能性がある。 「これが正面からの突撃なら・・・・縦深防御ができたんですけどね」 「だな」 城から打って出る行為を繰り返していたことから、城正面に対する防御は整っている。だからこそ、薄くなった翼部を補完するために警戒部隊を編成したのだ。 「さて・・・・私も行きますか」 乳母兄弟が手槍を持って幔幕の外へと向かう。 話している間に、喊声が近づいていたのだ。 「た、頼むぞ」 「はい、いざとなれば逃げてくださいね」 震える主君に微笑みかけ、彼は幔幕を跳ね上げた。 「囲め! さすれば―――おお!?」 命令が途中で途切れ、爆音とともに彼が幔幕を倒して戻ってくる。 「―――辿り着いたぞ・・・・ッ」 乳母兄弟の生死確認をする暇もなく、十波は視線を前方に向けた。 そこには返り血で真っ赤になった武士団が居並んでいる。 その壮絶さに、馬廻衆も唖然としていた。 「ここが本陣だな?」 乱戦で兜を失い、まげを結っていたひもも切れたのか、髪を振り乱した部将が問う。 その問いで、十波は相手の正体を知った。 「藤川・・・・晴祟、か・・・・」 「いかにも。そして、そちらは・・・・」 太刀の切っ先を十波に向ける藤川。 「十波政吉だな?」 鋭い眼光に、一瞬名乗りを躊躇する。しかし、すぐに名門の血が湧き上がった。 「いかにも火雲家分家・十波家が当主、政吉だ」 精一杯胸を張り、名乗りを上げる。 「互いに名乗りあった。後は殺し合いのみだな!」 藤川勢から殺気が膨らみ、それに呼応して馬廻衆も殺気を迸らせた。 「いく―――っ!?」 藤川の声が途中で止まる。 それは今まで転がっていた乳母兄弟が電光石火の勢いで襲い掛かったからである。 「チィッ、これが若さか!?」 そう言いつつも、彼の猛攻をさばく藤川。 なし崩し的に始まった本陣の戦いは、朝日が山の向こうから顔を現すまで続いた。 ―――逆に言えば、朝日が顔を現した時、本陣の戦いは無理矢理停止させられたのだ。 「―――申し上げます!」 激戦が続く十波本陣に、伝令が駆け込んできた。 まだ槍を構えただけで、誰にも槍をつけられていない十波は、彼をチラリと見る。 袖印を見れば、後陣を任せた部隊のものだった。 (嫌な予感がする) 「お耳を拝借したく・・・・」 それは的中したのだろう。 伝令は戦況に影響しないように、小さな声で十波に言った。 「佐久勢が迫ってきています」 「何!?」 ありえない情報だった。 確かに佐久勢は長年、聖炎軍団を阻んできた軍勢だ。だがしかし、こんな短時間で聖炎軍団最強である、名島勢が敗れるとは思えない。 「どうやら、名島殿は読み違えた模様」 「どういうことだ?」 後陣の部将が解析した結果は、こうだ。 名島景綱は藤川晴祟の玉砕と読んだ。 このため、佐久勢が積極的に呼応することがないと判断したのだ。そして、抑えの兵を残して佐敷城へと出撃したという。 佐敷城を早期に確保し、佐久勢に引き上げてもらおうと考えたのだろう。 結果、佐久勢は積極的に抑えを攻撃し、それを食い破って十波勢へと迫りつつあるらしい。 「・・・・無理だ」 十波勢は藤川勢を包囲するために陣形を維持していなかった。 この乱れきった陣形で佐久勢を迎え撃つなど不可能だ。 だからと言って、整然と撤退するのも無理だ。 (頼みの綱は・・・・名島勢・・・・) ほぼ総勢を連れてきただろう藤川勢。 となれば、佐敷城は空城だ。 (早く占領して戻ってくるというのは・・・・) そこまで考え、十波は首を振った。 (佐久頼政ともあろうものが、佐敷城に兵を割いていないはずがない) 佐敷城は平山城だ。 しかし、すでに平城の部分は焼き払われ、跡形もない。 佐敷城を占領した名島勢は山から駆け降りるようにして進軍する。そして、その前面に鉄砲を中心とした遠距離部隊が布陣した時、攻撃側は屍の山を築くしかなくなる。 高所側が攻撃の主導権を握るには、その高所を活かすだけの射程距離を持つ火器が必要だ。 残念ながら、この時代の火縄銃ではその火器になれない。 (遠距離を主体とした部隊を抑え込まれる可能性が高い・・・・) 「・・・・ええい、ダメだダメ!」 十波は叫ぶなり、その身に宿る霊力を活性化させた。 「全軍撤退だ!」 そう言って、未だ戦っている馬廻衆に向け、霊力を解き放った。 「「「どわぁっ!?」」」 敵味方もろとも吹き飛ばし、自身を戦線離脱させる。そして、駆け寄ってきた後陣の部隊と合流した。 名門とは、血を遺すこと。 それを実践するため、容赦なく敵もろとも馬廻衆を吹き飛ばした十波は、馬に飛び乗る。 「全軍撤退だ!」 こうして、十波勢は崩壊した。 結果的に言えば、聖炎国は佐敷城攻防戦に勝利した。 名島勢が佐敷城を固めたことで、佐久勢は手が出せなくなる。 元々、佐敷城の放棄を視野に入れていた龍鷹軍団は奪還を断念。 藤川勢の残党を収容した佐久勢は撤退を開始。 激戦の翌日には、人吉領へと帰還した。 聖炎国は火雲珠希の戦略によって佐敷城と津奈木城を奪還し、北薩の戦い以降、初めて鷹郷忠流を出し抜いた。 龍鷹軍団は未だ水俣地方を侵略しているが、基幹となる水俣城は陥落していない。 聖炎軍団本隊が後詰めに出れば、簡単に駆逐できる。 一方で、聖炎軍団は不安の種を抱えた。 藤川勢の突撃で、名島勢は十波勢を救うよりも戦略的勝利を選択した。 結果、十波勢は壊滅。 当主である十波政吉は生きて帰ったが、兵の多くは逃散する。 二〇〇〇名の内、再集合場所として設定していた地点まで帰ってきたのは、一五〇〇。 五〇〇名が死者行方不明者となった。 撤退したのだから、生き残った兵力に含まれる重傷者は少ない。だがしかし、それでも三割近い損害を出したことになる。 この名島景綱の判断ミスを十波政吉は、激しく断罪した。だが、夜討ち朝駆けを受けた油断は十波勢にあった。 また、十分の一以下の戦力が本陣まで迫れるとは考えなかったという名島の意見に、歴戦の重臣たちが失笑したことで、十波は顔を真っ赤にして引き下がるしかなかった。 火雲親晴は、佐敷城の再建および水俣地方の監視と兵権を名島景綱に任せた。 名島景綱は八代領と佐敷領のふたつを支配し、水俣城への指揮権を得たことで、その支配兵力は四〇〇〇となった。 「―――ふふふ」 鵬雲三年十月二十日夜、肥後八代城。 ここで、火雲珠希は燭台に照らされた肥後国地図に指を走らせていた。 八代、佐敷、水俣。 この三地方を抑えた名島家は聖炎国の約25 %を抑えたことになる。 「親晴・・・・」 浮かべていた笑みが消え、ぎゅっと拳が握り込まれた。 「あと少し・・・・あと少し彼の兵力を削り取れれば・・・・」 泰妙寺を襲った一揆を煽動した事実。 それだけでは、各地域の領主は動かない。 前提条件として、聖炎国の宿敵は龍鷹軍団だ。 聖炎国が内乱に陥れば、今の龍鷹軍団は黙っていない。 全力で攻めてくる。 (こちらの兵力を損なわず、聖炎軍団が消耗する方法は・・・・) 戦略を考える珠希は、火の光に照らされ、復讐に囚われた悪鬼のように見えた。 (―――鬼になられようとも・・・・私は支えよう) 部屋にひとりいた、名島重綱は笑い続ける彼女を見てそう思った。 (大願が成就された時、元の珠希様に戻られるよう・・・・) 重綱は小さく頭を下げる。 そんな大広間に、どこからか鈴の音が響いていた。 ―――シャラン、シャラン 、と。 |