第一戦「泰妙寺の変」/五
「―――奪え! 全て奪え!」 一揆を動員した壮年の男が怒号を上げた。 彼は肥後国北部の出身であり、若い頃はお雇い足軽として各地を転戦した経験を持つ。 怪我で戦場から引退したが、最後は足軽組頭相当の扱いを受けていた。 彼の下知に答えて集まったのは、戦の経験のある男たちだ。 この時代、戦を知らない男の方が少ない。 現代のデモと違う点はここだ。 そして、決起したならば、成功しなければ意味がない。 「泰妙寺には俺たちを貧困に導いた親家がいるぞ!」 火雲親家。 佐敷川の戦いで大敗し、農業の担い手であった男たちを多く喪失。 だというのに、不作で苦しむ農村をさらに苦しめ、己の復権のために軍を起こした。 物資収集拠点はいくらでもある。だが、そこを襲っても現況をどうにかしなければ意味がない。 だから、親家が難攻不落の隈本城から出て、泰妙寺に移ったという情報を得た彼たちは決起したのだ。 泰妙寺は要塞の作りだが、隈本城には劣る。 それに普段はほとんど戦力がおらず、教徒として入ったことのあるものが何人もいた。 これ以上なく、取っつきやすい。 事実、山門は攻撃と同時に陥落。 そこら中で僧を追い回す農民がいた。 「親家を探せ!」 (俺たちはもう助からない) 隈本城は目と鼻の先だ。 現在、聖炎軍団は佐敷城を攻めている。 その関係で、隈本城は臨戦態勢にあるのだ。 攻撃速度を速めるために松明を点けさせたために、隈本城にはもう伝わっているだろう。 「ここが居住区に通じる門だ! 撃て撃て!」 抵抗が激しい場所には鉄砲隊を投入した。 高価な鉄砲だが、狩猟を生業とする者たちには型落ち品が支給されることが多い。 戦ではこうした者たちが、狙撃兵となって活躍するからだ。 「僧兵じゃないぞ!? 兵だ!」 抵抗していたのは、僧兵ではなく、兵のようだ。 となれば、その向こうに聖炎国にとって重鎮がいることになる。 「寄せぇっ!」 すぐさま他を攻めていた組に集結を命じた彼は、自身も刀を抜いて突撃した。 珠希side 「―――父上!」 事が起こってすぐ、珠希は親家の寝室に飛び込んだ。しかし、彼はぼんやりとした視線を彼女に向けるだけだ。 (くっ) 後悔しないか、という問いの意味は、親家の廃人化が進んでいることだった。 隈本城にいた時は最低限の生活はできていたのだ。だが、珠希が出陣して一定の成果を収めたと報告を受けると、一気に症状が進んだらしい。 「もう、聖炎国にとって自分は必要ないと感じたのでは?」と住職は言っていた。 この姿を周りに見せたくはないと、親晴が菩提寺行きを進言し、実際に様子を見た住職がそれを引き受けたという。 「―――珠希様、こちらにいましたか」 すぐに鋼がこすれ合う音がして、重綱がやってきた。 「賊?」 「いいえ、一揆のようです」 「一揆!? では、民が?」 賊ならば殲滅すればいいが、民ならば別だ。 「龍鷹侯国に煽動されたのかな」 だが、民ならば戦い方を知っていても、戦の戦術を知っているとは思えない。 「申し訳ないけど、民をあしらいつつ、煽動者を倒す。それしかないね」 「・・・・いえ、そういうわけにはいきません」 「え、どういう―――」 『―――来るわッ』 闇を裂き、いくつもの火矢が飛んできた。 咄嗟に命中するものだけ、重綱が切り払う。 「は、早すぎるよッ」 ここには数十人の僧兵がいるはずだ。 「僧兵は僧兵。戦を経験した足軽たちより場数は少ない」 重綱の下に、最後の山門が突破されたと報告が来た。 「御館様の護衛を含めても、戦力は約二〇。支えきれません」 「ど、どうするんだい?」 「白川に船を用意させました。すぐに脱出しましょう」 火矢から燃え移った炎が周囲を舐め、黒煙が立ち上る。 襲撃から十数分で、泰妙寺の三割は炎に包まれていた。 「御館様、失礼します」 布団に上半身を起こした親家の脇に肩を回し、重綱は彼を立たせる。 「脱出するぞ!」 戦場でよく通る声が黒煙に包まれた最深部に響いた。 その声を受け、重綱の兵が一斉に河岸へと移動を開始する。 「―――行かすかよ!」 だが、移動しようとした三人の前に、飛んできた槍が突き刺さった。 「くっ」 『賊かッ』 珠希が黒煙を爆発で吹き飛ばす。 「見つけたぞ!」 至る所に傷を負った男は額から流れ出る血に構わず、打刀を引き抜いた。 「構え!」 重綱がいることに警戒したのか、男は白兵戦ではなく、遠距離戦を選択したようだ。 男の命に後ろから五人の男が現れ、片膝をついた。 「鉄砲!?」 黒煙が再び辺りを包もうとするが、それより早く引き金が引かれそうだ。 位置的に珠希に弾丸が集中する。そして、重綱、親家も逃げられないだろう。 「くっ」 神装――弓矢を構えようとした。だが、慌てたのがいけなかった。 「あ・・・・」 『何をしているの!?』 ポロリと矢を落としてしまう。 神装もどうしようもないのか、慌てた声を出した。 「撃てッ」 「あ」 重綱が後ろで声を上げる。だが、振り返る余裕もなく、珠希は呆然とその銃口が赤熱した玉を撃ち出すのを見ていた。 「・・・・ッ」 瞬間、目を閉じる。 黒色火薬が燃焼した音を発し、いくつかの、肉を裂く音が聞こえた。 続いて激痛が――― 「・・・・・・・・え?」 目を開ければそこには、広い背中。 「重綱! 殺れ!」 「は、はい!」 黒煙に包まれる視界の中、重綱が太刀を構える。 「く、そっ。ええい、親家には鉛玉を馳走した。あの傷では助からない! 引き上げるぞ!」 鉄砲は連射できない。 武勇では重綱に敵わない。 そう判断した男は、火に巻かれないように逃げ出した。 「ち、父上・・・・」 「ぐ、ごふっ。・・・・珠希、無事か?」 数発の弾丸を受けたというのに、親家は珠希の前に仁王立ちしている。 足下はややふらついているが、声は往年のそれだ。 「全く、女子どもを前に容赦なく撃つとは・・・・武士の風上にも置けぬ」 「御館様」 珠希の頭を数回撫でたところで気力が尽きたのか、重綱に支えられた。 「とにかく脱出しましょう。火の周りが予想以上に早い」 「ならば・・・・置いて、いけ。この傷では・・・・助からん」 こふっと血を吐き、親家が言う。 「そんな・・・・」 珠希は親家のそばに行き、彼の手を取った。 「ここで父上が倒れられては困んだよっ!?」 ここで親家が倒れれば、聖炎国は聖炎国ではなくなるだろう。 珠希が生まれ、珠希が育ち、守りたいと思ったこの国が、滅ぶ。 「ううん、そうじゃない! 父上には死んで欲しくないんだよ!」 「我が儘を・・・・言うな。戦略家とし、て・・・・目覚めつ・・・・あるお前なら、分かる、だろう?」 一揆の意味。 一直線に親家を狙った意味。 ここで、脱出が遅れ、ふたりとも死ぬ意味。 (そんなの分かってるよ!) 心の中で叫ぶ。 だが、分かるだけで、どうしたらいいかは分からない。 「やはり、父上が必要です」 「だから・・・・無理、というに・・・・」 どこかで建物が崩れる音がした。 いつの間にか剣戟の音はなくなり、はるか遠くから鯨波の声が聞こえる。 時間的に、隈本城から出撃した部隊が到着したのだろう。 援軍だ。 だが、それは遅すぎたのだ。 左太ももと右肩に一発ずつ。 腹にもう一発。 残りふたつは外れたのか、見当たらない。 それでも左太ももは動脈を傷つけているらしく、血が止まらない。 腹の一発は内臓を傷つけているために、食道に血が溢れているようだった。 誰がどう見ても重傷だ。 「なあに・・・・儂が死んでも・・・・お前が、いる・・・・」 ゆっくりと手を動かし、血に塗れた手で珠希の涙を拭う。 「そんな・・・・」 親家はもう、死を受け入れていた。 武士ではない珠希には、その覚悟を覆すことはないできない。 「馬鹿なこと言わないでください、よ」 「あ」 「お、おい・・・・」 ぐいっと力を込めて重綱は親家を簡単に肩に抱えた。 その時、重綱の腕から血の飛沫が舞う。 「亡くなられるにしても、その遺骸も失わせるわけにはいきません」 そう言い、部下の自分を呼ぶ声に応え、歩き出した。 途中、再び辺りを支配した煙を霊力で吹き飛ばす。 「あ、重綱・・・・?」 「ほら」 先に歩き出していた重綱は、呆然として動かない珠希に手を差し出した。 珠希の視点からは、彼は背後に炎を背負っている。 銃創を抱えながらも自分を安心させるために微笑んでいる。 自分とは違う、圧倒的な強さを内包する、優しさ。 それを感じ取った瞬間、珠希の鼓動が跳ねた。 「あ、れ?」 「どうかしました?」 「う、ううん・・・・」 瀕死の父親が前にいるというのに、頬を染めた珠希がその手を取る。 「脱出します!」 左肩に親家を、右手に珠希を繋いだ重綱は全力で霊力を叩き込んだ。 次代の聖炎国を担うと嘱望される青年が放った一撃は、見事に黒煙を振り払う。 だが、その代償として、本殿が倒壊した。 「―――周囲に敵影はありません」 「船を隠せ。上陸したことを知られてはいけない」 重綱たちは泰妙寺から脱出し、白川の対岸に達していた。 北岸では寺が煌々と燃えており、消火しようと兵たちが動いているのが分かる。 戦っていないところを見ると、一揆勢は鎮圧されたようだ。 「どうやら、脱出できたのはこれだけのようですね」 重綱ともうひとり、騎乗していた武者が報告する。 「元々、脱出に使った道は秘密だったようだからな」 状況は最悪に近い。 重綱と珠希の部下に死者二名、負傷四名を出しており、共に脱出した寺の関係者も怪我人がいた。 何より、重傷者には火雲親家がいるのだ。 「派手に動くわけにもいかない・・・・」 葦の影から対岸を確認した重綱の視線が、漁師の小屋へと向いた。 「後は、火雲一族を信じるのみ、か」 (―――無責任なこと言わないでくれるかな) 漁師の小屋は粗末な物だ。 隙間が所々に空いており、重綱たちの会話は丸聞こえだった。 もっとも、聞けたのは珠希だけだろう。 他の者は必死に読経を行っており、溢れる霊力が物理的質量を得たかのようで、息苦しかった。 『まさか、人が作り出したる宗教に、これほどの【力】があるとは驚いたわ』 神装が言ったとおり、瀕死の親家を繋ぎ止めているのは、住職を中心とする僧たちだ。 読経によって増幅された霊力が親家の新陳代謝を高め、傷の治癒を促す。そして、指向性を持たせた霊力が体内に残った鉛を丁寧に除去していく。 『あの住職、何者ですか?』 「祖父の弟の息子です」 幼くして仏門に入り、修行のために上京。 桐凰家発足による混乱の中、肥後に帰還。 しばらくして泰妙寺の住職に落ち着いた。 その後、武家出身として、僧兵団を組織する一方で、効率的に情報収集する術を聖炎国に授けている。 『親家が復活するのが先か、僧が力尽きるのが先か』 (父上が力尽きる、はないの?) 訊きにくいことをズバッと訊く。 『周りの僧がしているのは人命維持よ。何もしなくても親家は生きていられる。本人が生きるために必要な生命力を使って、傷を癒やしにかかっている』 人は一〇〇の生命力を持っているとする。 その内、生命維持に五〇、残りは傷の治癒や外敵との戦闘に備えている。 怪我を負った時、残りの五〇で対応できなかった時、人は死ぬ。 とすれば、外部から生命維持を補ってやれば、人は五〇の生命力を傷の治療に投入できるのだ。 生命力はそう簡単に枯渇しない。 エネルギーが尽きれば、と思うかもしれないが。 人のエネルギー源は炭水化物――特に糖分――だけではない。 他の栄養素、脂肪、タンパク質も立派なエネルギー源だ。 水だけで一週間生きられると言われるのは、ちゃんとした根拠があるのだ。 『あとは生きる意味。こちらの世界にとどまる意志さえあれば大丈夫よ』 (でも・・・・) 親家は心を決めていた。 『後事を託した娘が未練がましく手を握っているのよ。還ってこない父親はいないわ』 「その通り、親家様は子宝に恵まれなかった故に、珠希様を大切にしておられた」 「住職・・・・」 全身から湯気を出した住職が珠希の側に座る。 「もう、いいので?」 「鉛玉の摘出は終えました。後は僧たちと親家様次第です」 自分は大したことをしていないとばかりに首を振る住職。 『そんなわけがないでしょう? 傷を癒やそうにも、その場所に異物があれば治るものも治らない』 神装は謙遜を指摘し、素直に賞賛した。 「神に褒められるとは、恐縮ですな」 「・・・・で、何用かな?」 声に、もはや震えはない。 時間と神装の説明で落ち着きを取り戻した珠希は、聡明な頭脳から住職がただ話をしにきたのではないと分かっていた。 「親家様が命を長らえても、二度と戦場には出られないでしょう」 「―――っ!?」 ビクリと体を震わせる。 「胴体を貫通した弾丸が、何故珠希様に届かなかったのか」 「・・・・そうだ」 親家は珠希をかばって前に出た。だが、親家は鎧も着ていなければ、霊力で弾道をそらす余裕すらなかった。 ならば、当然、親家を貫通した弾丸が珠希に命中しているはず。 「幸か不幸か分かりませんが、弾丸は親家様の背骨に命中し、弾道を変えて明後日へと飛び去りました」 「背骨を・・・・」 読めた。 背骨には脊髄がある。 「麻痺が残る、ということかな?」 「十中八九。こればかりは新陳代謝を高めようとどうしようもありません」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「つまり、今後、何かを成すために先頭に立つのは珠希様です」 「ボク、が・・・・」 避けたかった事実。 回避したかった役職。 それでも、状況は否応がなく、珠希を追い詰めていく。 大義名分は十分。 珠希は嫡流だ。 珠希は神装使いだ。 珠希は戦略家として鷹郷忠流に対抗できる。 親家は親晴の政策失敗によって危険にさらされた。 「・・・・・・・・・・・・分かったよ」 ガクッと頭を垂れ、両手を床についた珠希が声を絞り出す。 「女城主はいるんだ」 だが、女大名――国王は未だいない。 「多少大きくたって、いいよね」 女王になる覚悟を決めた一族に対し、住職は平伏して応えた。しかし、すぐに顔を上げ、質問する。 「まずは、隈本に帰るか帰らないか、ですな」 「・・・・それは、帰らない。義兄上・・・・いや、親晴と一揆の関係性を洗い出し、その本心を特定するまで、ボクは隈本に帰らないよ」 『では、どうするの?』 「うん、ボクたちは死のう」 こうして、火雲父子は『死んだ』。 鵬雲三年九月十六日、泰妙寺陥落により、火雲親家及び火雲珠希が戦死す。 この報が西海道に流れると同時に、半年に及ぶ代理執政を務めた火雲親晴が跡を襲うことを宣言した。 さらに親晴は泰妙寺を襲った一揆勢の統率が執れていたこと。 出身地から遠く離れた泰妙寺を攻めたこと。 機密であった親家の居場所を知り、正確にその命を狙ったこと。 これらから一揆の黒幕は龍鷹侯国であると断じた。 理由としては、苦戦する佐敷戦線を後方から攪乱するため。 当主が討たれれば、葬儀や喪に伏すために軍を退かざるを得ないからだ。 それを看破した親晴は、葬儀はまだしも喪に伏す前の弔い合戦として、佐敷城攻撃続行を命じた。 一方的な主張に対し、鷹郷忠流は各国に声明を出す。 『当国が一揆を誘引したという戯言はともかく、一揆が起き、その結果当主を失った武家など相手にならん』 自分より年上の人間を、子ども扱いした物言いに、親晴は激高した。 親家と自分を脅かした珠希が消えたというのに、まだ立ちはだかるものがいる。 佐敷戦線という比較的小規模な戦線が、両国にとって決戦となる可能性が高まった。 |