前哨戦「若き鷹の飛躍」/二



 戦国日本水軍の艦艇は主に安宅船、関船、小早の三艦種に分類される。
 安宅船は一〇〇〇~二〇〇〇石積の大型艦(ただし一五〇〇石積を超える船は稀)。船首から船尾まで総櫓に覆われており、そこから銃眼が開けられて射撃戦に従事する。船首は大砲を撃つために総櫓部分は平面である。
 また、三層構造であり、上甲板は水兵が主に展開して白兵戦に備える。二層目は射撃戦部隊が展開し、三層目には水夫が艪を用いる。

 人員及び兵器は水兵六〇、水夫八〇、大砲三、鉄砲三〇(ただしこれは平均的な数値であり、二〇〇〇石積ではもっと数が多い)。
 関船は五〇〇石積程度の船。安宅船よりも細長い船形をしており、速度が出せる。構造は安宅船と同じ三層構造。総櫓の装甲は安宅船よりは薄い。
 人員及び兵器は水兵三〇、水夫四〇、大砲一、鉄砲二〇。
 小早は小型の関船を略した小型艦。ただし、総櫓ではなく、半垣造りと呼ばれる足を隠す程度の低い垣立しかない。偵察や伝令などに使われた他、他の船への乗り入れなどにも使われた。
 人員及び兵器は水兵一〇、水夫二〇、大砲〇、鉄砲八。
 安宅船、関船、小早はそれぞれ、二〇世紀前半における艦種、戦艦、巡洋艦、駆逐艦に相当すると言われる。
 確かに安宅船は砲戦や銃撃戦を行う最強艦だ。
 関船は遠戦もでき、白兵戦も可能という快速高性能艦。
 小早は木端のような存在だが、艦隊には欠かせない汎用艦。

 戦国水軍で有名な瀬戸内、東海、関東などは全てこれらの艦種を用いていた。だが、これらは全て沿岸船であり、戦国日本が初めて経験した対外戦――文禄・慶長の役――では安宅船が渡海できず、朝鮮水軍に対して不利な戦いを強いられることとなる。
 朝鮮とですらそれだったのだから、当時の欧州諸国と戦っていたのならば、制海権などあっという間に失っただろう。
 当時の欧州海軍を支えたのが、膨大な大砲を搭載したガレオン船である。
 これに対抗するには龍鷹海軍も膨大な大砲を搭載できる艦を建造する必要があった。






鷹郷源丸side

「―――よし、決めた」

 薩摩国指宿港。
 龍鷹海軍第一艦隊の根拠地として有名で、内乱に際しても水兵を中心に鷹郷貞流に抵抗した港である。

「新型艦の名前は『霧島』にして、以後、この地位にある船は火山の名前で統一しよう」
「「「「「は?」」」」」

 現在、龍鷹海軍の首脳陣を集めた建艦計画会議の真っ最中であったため、多くの海の男が反応した。
 それもそうだ。
 言い放ったのが、もはや伝説と化した男女諸島沖海戦の英雄・鷹郷実流の忘れ形見・鷹郷源丸だったからである。

「何を藪から棒に・・・・」

 制度上、龍鷹海軍のトップに君臨する海軍卿兼第一艦隊司令長官・東郷秀家が発言した。

「今までのように艦長の名字から『誰々艦』というのではなく、艦自体に名前を付けた方が効果的だ」
「しかし、防諜の関係から、個艦情報が漏れるのはマズイですが?」
「でも、どうせ統一運用するんだから一緒だろ? なら分かりやすい方がいい。つーか、艦長が誰か分からない場合、呼べないぞ?」
「そんな乱戦にならないことを祈りますが・・・・」
「無理だね」

 ポンポンと交わされる会話に重鎮たちは沈黙する。
 軽いノリだが、話している内容は高度だ。

「艦自体に名前があると乗員は愛着を感じるから、名前をつけるべきだ」
「・・・・まあ、いいですけどね」

 東郷自体、別に反対する理由も賛成する理由もない。
 ならば、源丸の言う通りに名前も付けたらいいだろう。

「それで、もう一隻は?」

 実験艦は統一運用を目的としており、最低二隻の建造が必要だ。
 大砲の鋳造門数の関係があり、龍鷹海軍が建造する戦列艦は二隻。
 このため、一隻が「霧島」ならば、もう一隻は何になるのだろうか。

「『桜島』でいいんじゃね?」

 霧島に桜島、双方が龍鷹侯国を代表する山であり、軍艦の名前をつけるには相応しいと言えよう。

「では、そのように」

 こうして、何気なく、後の歴史に威名として語り継がれる戦列艦姉妹の名前が決定した。


 霧島型安宅船(後に戦列艦に変更)。
 二〇〇〇石積の大型戦闘艦。
 竜骨及び帆を持つ和洋折衷艦であり、外洋作戦を念頭に置いた設計がなされている。しかし、浅瀬の活動も視野に入れ、漕走設備も残っており、安宅船と帆船の中間に位置する高性能艦だ。
 主兵装である大砲は船首ではなく、船腹に設けられている。だが、後の世に活躍する主力戦列艦のように大砲列は二層、三層ではない。
 大砲は上甲板に車輪付で運用される。
 これは忠流が内乱末期に行った岩剣城攻防戦において艦載砲が上陸させた戦訓に基づいていた。
 船腹には後の装甲艦に通じる装甲板が取り付けられており、乗り込もうとする敵の鉤爪などを跳ね返す。
 徹頭徹尾、列島古来の戦闘である白兵戦を否定し、大砲戦術に秀でた設計だった。
 しかし、上甲板に牽引式艦載砲を搭載したことで、射程の伏角が犠牲になり、接近した敵船を沈めるには投げ焙烙を用いなければならず、護衛艦艇が必要となっている。
 乗員は水兵一二〇人、水夫六〇人、大砲十六門(両舷合わせて)、鉄砲五十。
 霧島型安宅船は龍鷹海軍がイスパニア帝国ガレオン船に刺激を受けて開発した実験艦であり、同型艦は「桜島」のみとなった。
 それでも現役にあった期間は龍鷹海軍の主力であり続けた傑作戦闘艦である。

「本当はもうちょっと人数と砲を揃えたかったんだけどな・・・・」

 翌日、源丸は鹿児島港に赴いていた。
 鹿児島港の海軍造船所では、昨日艦名が決まった安宅船「霧島」が進水式に向けて最終調整中だった。
 本日、安宅船「霧島」は進水し、艤装工事に着手する。
 以後、一~二ヶ月で就役する予定だった。

「仕方ありません。水兵の訓練に時間がかかりすぎますし、喫水が浅いまま艦上建造物を増やせば、帆がある分転覆する可能性が増しますから」

 実際、ガレオン船は構造的に転覆しやすく、その事故も多数発生していた。
 それでもカラックより使われてきた理由は、その搭載能力の大きさに他ならない。
 遠洋航行日数が列島とは段違いである欧州において、この搭載能力は経戦能力に直結するからだ。

「龍鷹海軍は侵略海軍ではありません。自衛のために最低限の戦力を有するだけでいいんです」
「まあ、過剰防衛になるけどな」

 東郷の言葉に源丸は首を傾げながら言う。

「そこはそれ。『挑むことすら烏滸がましい』という理論で」
「最強海軍じゃなく、無敵海軍かよ・・・・」

 軍隊にはふたつある。
 常に戦いの場に身を置き、周囲の敵を軒並み斃していく常勝の軍隊。
 突けば一瞬で敗北することが分かっている故に誰も手を出さない孤高の軍隊。

 戦国時代であれば、前者は織田家や島津家、後者は武田家、上杉家に相当するだろうか。

 尾張統一から美濃・伊勢征服、上洛から続く包囲戦などで勝利を重ねた織田家。
 薩摩統一から大友・龍造寺と鎬を削った九州三国時代を制した島津家。

 彼らには常に敵がおり、攻めることもあれば攻められた。まさに周囲全てが敵と言っていい状況だった。

 対する武田家は信玄という英雄によって攻め戦ばかりであり、上杉謙信も関東侵略を繰り返した。しかし、両者共本国を侵されるという自体には陥らなかった。周囲に織田家、北条家という強大な戦国大名が存在したのにも関わらず、だ。
 しかし、武田家と上杉家の場合、唯一と言っていい自身と並び立つ軍勢が直近にあったために領土を拡大することができなかった。
 まさに、龍虎相打つだったのである。

「事実問題。白兵戦に慣れた水兵に砲撃戦もやらせるのは長期的な経戦能力に難があります」

 遠距離では砲撃を行い、いざ乗り込みの場合は白兵戦もできる。
 これが水兵の理想だが、現実の海軍も兵種分けされているように、龍鷹海軍もふたつの兵種に分けた。
 白兵戦能力を専門する場合を水兵、砲撃戦を主力とする場合を砲兵というようにだ。

「しっかしでかいなー」

 話に飽きたのか、源丸は建造が続く巨船を見遣る。
 二〇〇〇石積の安宅船ならば、龍鷹海軍は三隻保有している。
 それぞれ第一、第二、第三艦隊の旗艦を務めており、戦歴も素晴らしい。
 だがしかし、建造中の安宅船はそれらよりも大きく見えた。

「対大砲の装甲が持つ厚みと安宅船よりも喫水が深いことによる視覚情報でしょうね」

 東郷は感嘆の息をつく源丸の印象を補足する。

「実際に水に浮かんでいる姿は変わらないと思いますよ」
「その分、大きな帆が体を大きく見せる、か・・・・」

 巨艦の中央後方にはマストと呼ばれる帆を支える柱を立てる穴が開いている。
 そこに巨木が立つ勇姿は想像しただけで身震いした。

「お前の国にはこんな船がいっぱいあるのか?」

 源丸が問い掛けたのは、志布志湾に来てからずっと彼の袖を握っていた少女だった。
 金髪碧眼の彼女――リリス・グランベルは源丸と視線を合わせるとそっと首を傾げた。

「悪ぃ、忘れてた」

 源丸は懐から筆と紙を取り出すと、さらさらと漢語を書く。そして、それをリリスに渡した。
 それを一読したリリスは源丸と顔を合わせると頷く。
 さらに源丸の手から筆を奪うと、漢語で返答した。

『イスパニアの船は遠洋用と沿岸用がある。でも、列島の船のような物はない』

 おそらく、複雑な海岸地形と瀬戸内海を持つ地勢が和船という独特な造船技術を成長させたに違いない。

「海軍卿! いらっしゃいますか!?」

 造船所に突然、東郷を呼ぶ声がした。
 三人が振り返ると、造船所の入り口には肩で息をする青年の姿が見える。そして、彼は東郷が返事する前に気付き、こちらに駆け寄るなり片膝をついた。

「陸軍卿より伝令です」

 陸軍卿とは鳴海直武のことだ。
 二頭体制である兵部省における、もうひとりの頭である。

「陛下が急ぎ帰還するとのこと。そのため、国分港に向けて連絡船を派遣して欲しいとのことです」
「・・・・陛下が?」

 龍鷹侯国の侯王・鷹郷侍従忠流は先の戦いにおける霊的重圧で倒れ、未だ快復していないはずである。

「状況はここでは話せません。船の手配をした後、兵部省の屋敷まで来て欲しいとのことです」
「・・・・分かった。―――源丸様、船の手配をお願いします。私は急ぎ、兵部省へ赴きます」
「・・・・チェッ、分かったよ」

 東郷は何が何でも着いてこようとする源丸を牽制した。
 船の手配を任せる間に東郷が移動してしまえば、さすがの源丸も兵部省には入れない。
 如何に一門衆と言えど、元服していない源丸の威光が届くのは海軍の中だけだった。

「すぐに出港できる関船を手配しろ!」

 源丸が指示を出す中、リリスは視線を感じて振り向く。
 そこには建造中の巨艦「霧島」を睨みつける父――ゴドフリート・グランベルがいた。そして、彼は娘に気付き、鋭い視線を送ってくる。
 それにリリスは小さく頷いた。

「源丸様! 一三一号が即時出港可能です!」

 そんなリリスの挙動に気付かなかった源丸は水兵の報告に頷く。

「第一艦隊第三戦隊一番艦、か・・・・。旗艦だが、随伴する小早はいいのか?」
「共に出ます!」
「分かった。俺も行く!」
「「「え!?」」」

 緊急出港の命に慌ただしく動き回っていた水兵たちが一様に固まった。

(何があったのかは兵部省に行かねえとわからねえわけじゃねえ。直接あの叔父様に訊いてやるぜ♪)






鷹郷忠流side

 人吉城攻防戦。
 これは龍鷹軍団が撤退する、ということで決着を見るはずだった。しかし、鷹郷従流率いる撤退援護軍の奮闘が、その決着をねじ曲げる。
 軍団の威信を賭けて追撃に移った聖炎軍団は、従流率いる伏兵部隊に急襲されて人吉城に撤退。そして、その時、従流は素早い判断を下して撤退から攻撃に作戦を変更した。
 この結果、龍鷹軍団は人吉城への付け入りに成功する。そして、二の丸まであっという間に陥落させたのだ。
 本丸だけとなった聖炎軍団に従流は降伏勧告を行ったが、城将は即刻拒絶。
 すでに日は落ちていたが、従流は総攻撃を命じ、夜明け前に人吉城は陥落させた。
 城将は最後の最後まで戦い、最後は再建途中だった本丸御殿に火を放って自刃する。
 その後、物頭単位で降伏してきたが、それらの数は勧告前の三割程度であり、実に七割の将兵が露と消えたのだ。
 その道連れに五〇名近い将兵を龍鷹軍団は喪った。
 負傷者を混ぜれば二〇〇人近い損耗である。
 だがしかし、龍鷹軍団にとって、最高の形で人吉戦線は消滅した。
 従流は佐久頼政に人吉城を預け、一部の旗本を佐敷城へと派遣して凱旋の途につく。
 途中、国分城より放たれた早馬の「すぐ鹿児島城へ帰還せよ」の命も、何の疑問も抱かずに足を速めることで応えた。



「―――申し開きを聞こうか」

 鵬雲三年一月一六日薩摩国鹿児島城本丸御殿大広間。
 久しぶりに鹿児島城に帰還していた侯王・鷹郷侍従忠流は、肘置きに右肘を乗せ、その拳に右頬を当て、さらに足は崩した状態と、リラックスした状態で凱旋した弟を迎えた。
 背後には御武幸盛が控え、従流との間には左右には各官省の卿たちが座している。
 重臣たちは忠流の不機嫌さを怪訝に思いつつも、見事に人吉城を落として見せた従流をねぎらうはずだった。
 それが、平伏して帰還の報告を述べる前に忠流が発言したことで吹き飛んでいる。

「・・・・は?」

 その冷たい声音に、従流は部屋に入った体勢で固まった。

「何故、撤退せずに人吉城落とす愚行をしたのかと訊いているんだよ」
「陛下・・・・」

 苦言を呈そうとした鳴海直武を視線で制し、忠流は顎で従流に座るように指示する。

「橘次、お前は言ったよな?」

 首を傾げつつも従流が座ったのを確認した忠流は言葉を続けた。

「『人吉城より撤退させよう』、と」
「は、はい。・・・・ですが、追撃してきた聖炎軍団に予想以上の打撃を与えることに成功し、付け入りも可能であると判断し―――」
「誰が許可した」

 従流の言葉を低い忠流の言葉が遮る。
 小さく低い声は忠流の体調が万全でないことも影響しているが、内に怒りを留めていることが大きい。
 それに気付いた従流はようやく事態の深刻さに気が付いた。

「確かにお前には一定の裁量を与えている。しかし、大戦略に影響する判断をひとりで決めさせるほどの権限を与えた覚えはないぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 如何に従流が一門衆筆頭と言えど、軍部を預かる鳴海陸軍卿直武や東郷海軍卿秀家、伝統的に越権行為が許されている鹿屋利直・利孝親子とは違い、何の官職もない部将である。
 政権に関わっていない以上、独自で国家方針を無視する判断をすることはあってはならない。

「し、しかし、兄上」

 思わぬ制度上の問題に、従流は慌てつつも説明した。

「人吉城攻めは上首尾に終わり、統一後悲願としてきた人吉城を奪還できました。これは本国の判断を仰いでいたのではなしえなかったことです」

 従流の言い分ももっともだ。
 通信設備が発達した現代ならばともかく、情報伝達を人馬に頼る戦国時代では現場の判断をある程度許されている。だが、その判断も大戦略に沿う、という大前提があるのだが。
 そして、その大戦略こそ、「人吉城の奪還」であったはずだろう。

「ああ、落ちたな、人吉城は」

 忠流は肘置きから肘を離し、周囲を見渡した。

「誰か、今後の聖炎軍団の行動を予想できるものはいるか?」

 始めは異様な雰囲気に首を引っ込めていた諸将だが、話を振られて思案顔になる。そして、鹿屋治部卿利直がおずおずと意見を述べた。

「・・・・失地奪還作戦に出るのではないでしょうか? 水俣城は未だ包囲されたままですし」

 それで勢いを得たのか、武藤式部卿晴教が続く。

「左様。そのために佐敷城を奪還するために出陣してくるじゃろ」
「となれば、急ぎ佐敷城に兵力を派遣する必要がありますな」

 御武民部卿昌盛が述べ、これらをまとめるように鳴海直武が言った。

「・・・・戦線縮小どころか、さらに軍備拡張が必要になったことでお怒りなのですか?」
『『『『『・・・・ッ!?』』』』』

 直武の言葉に諸将は「そうか!」と膝を叩かん思いで目を見開く。

「いいや、違う」

 忠流は疲れたように首を振り、視線だけで幸盛を促した。

「では、失礼して・・・・」

 幸盛は持っていた地図を広げ、扇子を指示棒にして解説を始める。

「まず、現状の確認を致します」

 地図には聖炎国本拠――隈本城に向かう道筋が描かれていた。
 佐敷城の次に立ちはだかるのは、聖炎軍団一の武勇を誇る名島氏の居城――八代城だ。
 その規模、防御力は支城であった津奈木城はもちろん、水俣城や佐敷城とは比べものにならない。
 そして、その背後に控えるのがさらに大規模である宇土城だ。

「人吉城が陥落したことにより、佐敷城の防衛基盤は向上しました。聖炎軍団は佐敷城を落とすためには人吉方面から送られてくる後詰軍を意識しなければなりません」

 そんなこと、戦力的に劣る聖炎軍団がするとは思えない。

「このため、聖炎軍団は水俣城を放棄し、これ以上領土を失わないよう、八代城防衛に回ります」
『『『『『なんと・・・・ッ!?』』』』』

 肥後統一を宿願に上げていた聖炎国が自ら領土を手放すなど、諸将には考えられなかったのだろう。

「人吉城が健在であったなら、佐敷城への増援は困難だ。だからこそ、聖炎軍団は佐敷城に押し押せる可能性があった」
「ですから、それを阻止するために・・・・」

 復活した従流が言葉を発するが、忠流に睨まれて尻すぼみとなった。

「だ・か・ら、それを待ってたんだよ。聖炎軍団がやや強引な侵攻作戦を展開するのをな!」

 抑えられなくなったのか、ついに忠流は声を荒上げた。

「確かに人吉城を確保しておかなければ陸路は難しいぞ。だが、それは地図上でのことだ」

 幸盛から扇子をひったくり、忠流は叩きつけるように地図を示す。

「だが、球磨川の渡河権さえ確保しておけば軍勢は北上できるし、その時に人吉勢が襲いかかってきてもそれこそ返り討ちにすればいい。そして、何より!」

 忠流の手が動き、扇子の鋒は陸地より離れた。

「八代湾を北上すれば佐敷周辺に数千の戦力を展開させることが可能だと言うことは先に示しただろ!」
『『『『『!?』』』』』

 佐敷川の戦い初期に、すでに八代湾南部の制海権は龍鷹海軍が握っている。
 聖炎軍団が侵攻作戦を開始してから数日以内に津奈木地域に三〇〇〇~五〇〇〇の兵力を陸揚げすることは可能であり、佐敷城はその数日さえ守り抜けばいいのだ。
 聖炎国も龍鷹軍団が海路を使うことは分かっているだろう。しかし、聖炎国が保有する輸送船と龍鷹侯国が保有するそれは、性能が段違いだ。
 おそらく、物資輸送速度は数日の開きが出るに違いない。
 その差違が、第二次佐敷川の戦いにおいて影響してくることは想像に難くない。

「俺の目的は聖炎国との因縁を開放することだ。人吉城奪還はそのひとつに過ぎない」

 佐敷川の戦いという戦役は終わったが、それで対聖炎国戦争が終わったわけではない。
 この戦役の結果で生じた火種を元に再び大火が発生することは目に見ている。
 ならば、その次の戦いを有利に展開するための火種を残すため、忠流は人吉城からの撤退を命じたのだ。

「橘次、お前は下手をしたら数年近い戦略的後退を行ったんだぞ。だから、橘次、お前はしばらく謹慎だ。寺にでも引きこもってお、け?」

 忠流はとても血を分けた兄弟に向ける目とは思えぬほど冷たい目を従流に向ける。しかし、その目はすぐに見開かれた。
 従流はこの場の者たちに目を配り、国家機密を元より知っている者ばかりだと言うことを再確認する。
 そもそも忠流がこの戦略会議を国家機密と見ていたからなのだが、今は都合が良かった。
 知らされつつも触れることが出来なかった問題に、従流は踏み込む。
 その決意が表れた眸を目に、忠流はやや怯んだのだ。

「兄上には時間がない。だから、多少強引な方法で事を為そうとしているのでしょう?」
『『『『『―――っ!?』』』』』
「・・・・・・・・・・・・何?」

 そう、忠流には時間がない。
 だからこそ、重臣たちは忠流の花嫁を必死に探しているし、今忠流の傍にいる娘たちには密かに打診もしていた。
 後七年。
 それが、忠流に残された時間だ。

「兄上が為そうとしていることに文句を言うつもりはありません。確かにこのままでは列島は中華帝国に呑み込まれます」

 中華帝国の侵攻を阻んだ、とよく表現するが、これは正しくはない。
 正しくは中華帝国南方方面軍の分遣隊による琉球王国侵攻作戦を頓挫させただけであり、中華帝国の主力軍を撃破したわけではないのだ。
 中華帝国の総兵力は少なく見積もっても一〇〇万近く、渡海させられる戦力としても、一〇万以上となるだろう。
 龍鷹海軍によって東シナ海に沈めることができれば、その数の猛威は相手にしなくてもいい。だがしかし、龍鷹海軍が展開できない、例えばかつて侵攻があった海岸線にでも上陸されればどうしようもない。
 中華帝国の侵攻を阻むには、少なくとも九州は一丸である必要があった。
 もちろん、これは従流の考えだ。
 忠流は領土拡大の目的をただ一度も語ったことがないために分からない。しかし、現状、対中華帝国戦線を考えると、領土の拡張は不可欠だった。

「だがしかし、現状のままでは兄上が力尽きると共に龍鷹軍団も力尽き、列島の西の守りは崩壊します」
「そうならないようにするのが俺の仕事だ」

 忠流も従流が考えていることくらい戦略的に分かっていたのだろう。だがしかし、従流の感情というものを理解していなかった。

「・・・・ッ」

 従流の隠された訴えに気付かず、気怠そうに肘置きにもたれかかった忠流に対し、従流は一瞬で畳を蹴る。

『『『『『なっ!?』』』』』

 従流はずっと寺で生活しており、武勇自慢ではない。しかし、忠流もずっと療養生活を送り、今も微熱に侵された状態だ。
 故にふたりは揃って畳に転がり、健康体であった従流が上になった。

「兄上はそれまでに何人の兵を殺すつもりですか!?」
「な、何を・・・・っ」
「僕は報告しましたよね!? あの電撃作戦における死傷者を!」
「それは・・・・『鈴の音』が・・・・」

 襟首を掴まれ、揺さぶられる忠流は従流の強い眸から視線を逸らす。

「ええ、僕たちは正規の軍勢だけじゃない、得体の知れない敵をも相手にしていますよ」

 従流は逸らされた視線を戻すため、己の額を忠流に押しつけることで首を固定した。

「兄上ならこの難敵を撃破してくれると信じています、ええ、信じていますとも!」

 「でもね、」と従流は続ける。

「兄上はそれで亡くなってしまうかもしれない。ですが、残される者たちがいるんですよ!」

 従流の言葉に、ハッと重臣たちが顔を上げる。

「兄上亡き後、秩序と平和を守るために尽力しなければならない。その時、龍鷹軍団がガタガタじゃあどうしようもないんです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・それは・・・・」
「兄上が子をなしたとしても、元服するまで少なくとも十年、下手をすれば二〇年の間、僕が後見人になります」

 再び逸らした忠流に額をこすりつけてその視線を戻させた。

「ですから、あまりに損害が過ぎる戦略を立てた場合、僕は断固として反対しますからね!」

 従流は言いたいことを言ったのか、襟首から手を離す。そして、立ち上がって衣服の乱れを直すと外へと歩き始めた。

「幸盛」
「は、はっ」

 後一歩で廊下というところで従流は足を止める。

「兄上の補佐、先の言葉に反しないよう、よろしく頼みます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・心得ました」

 おそらく、忠流亡き後、ふたりで戦略部門を担当することとなるふたりは視線を交わすことなく、誓い合った。






「―――こうして、侯王は自らの傍にひとつの火種を抱えた、か・・・・」

 謹慎先へと向かう従流一行を見下ろす巫女装束の少女は難しい顔をした。
 戦国大名において、親族は最大の味方であり、敵である。
 鷹郷貞流が家督を継ぐために、兄を殺し、藤丸と戦ったのがいい例だ。

「さて、この国が荒れるなら、もうひとつの方へ行くとしますか」

 そう呟き、"鈴の音"は身を翻した。











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