前哨戦「若き鷹の飛躍」/一



 佐敷川宣言。
 龍鷹侯国の鷹郷侍従忠流と聖炎国の火雲親家との間に取り決められた佐敷川の戦いの停戦条約である。だが、それは突然佐敷川に響き渡った鈴の音によって破壊された。
 両軍の足軽が暴走して激突する中、忠流は佐敷川戦線総大将である弟――鷹郷従流の進言に従って撤退。
 従流は士分をまとめて右往左往していた聖炎軍団本隊を撃破し、佐敷城をも占拠する。
 当然、和議は破棄され、年が明けても多数の部隊が戦地で行動していた。
 現在、龍鷹軍団は佐久頼政率いる人吉城奪還軍が人吉城を臨んでおり、武藤晴教率いる水俣城封鎖軍が水俣城を包囲している。
 佐敷川方面では佐敷城に村林信茂を大将とした二〇〇〇が駐屯しており、後詰め先遣隊として津奈木城に一五〇〇が待機していた。
 佐敷川を戦場とする戦いが終結したとはいえ、龍鷹軍団は約一万人の兵力を敵地に展開させている。
 それは北薩の戦いや内乱、佐敷川の戦いで疲弊した龍鷹軍団にとって重荷でしかなく、早急に事態を収拾する必要があった。
 忠流が倒れたことで、政治首班は従流を筆頭とした重臣たちに委ねられる。しかし、佐敷城を落としていたことが宣言履行に二の足を踏ませた。
 佐敷川宣言はほぼ占領下に置いた水俣地域と主力が展開する佐敷地域から撤退する代わりに、人吉地域と天草諸島の領有を基本骨子としている。
 占領比の違いはあるが、ふたつの地域の合計は同じとされていた。
 だが、佐敷城が陥落したことで、この力バランスは崩壊する。
 聖炎軍団にとって、兵站線の維持が困難になった水俣-人吉地域を開放するには佐敷城を攻略するしかなく、龍鷹軍団にとって、それこそ総力を結集して水俣城、佐敷城を陥落させてしまえば、肥後の二割近い領土が転がり込むことになる。
 戦略的に非常に難しい場面に直面した従流は、現状維持を選ぶしかなく、各方面に命令を下した。
 そんな時、『鈴の音』によって、忠流が覚醒する。
 物語は鵬雲三年に突入した。






鷹郷従流side

「―――お久しぶりです、兄上。お加減は如何ですか?」

 鵬雲三年一月七日、大隅国国分城。
 龍鷹軍団を支える鳴海氏の主城に、侯王代理である鷹郷従流が訪れていた。
 訪問理由は、侯王である兄・鷹郷侍従忠流の見舞いである。

「・・・・おお、橘次か。久しぶり」

 忠流は床に伏せったまま弟を迎えた。

「すまんな。政治を任せて」
「いえ、僕がすることなんてほとんどありませんよ」

 佐敷川の戦いから二〇日近い月日が経っているが、終息の目処は立っていない。
 事後処理などに追われる役人たちをとりまとめる役職にある各卿はもちろん、軍事関係者も鹿児島城などの主要城に展開したまま武装解除を行えない有様だった。

「兄上、ようやく佐敷川の戦いの計上ができましてございます」

 ふわりと優しく笑ってみせた従流だったが、次の瞬間には真面目な顔に戻っている。
 この公私の分け方こそ、従流が寺で学んだことだった。

「死者行方不明者は約二〇〇〇。戦役全体での総計ですと二五〇〇を数えます。これに負傷者を混ぜますと、その数は八〇〇〇近くになります」
「・・・・そうか」

 この数値は大損害を表していた。
 今回動員した戦力は約二万を投入していた。
 死傷者が四割、内戦死率が一割二分五厘(約12.5%)。

「限界だな・・・・」

 この損害比を忠実にあった戦いに当てはめる。
 戦死率が12.5%を超える戦闘(永禄年間後期以降に限る)は木原原の戦い(島津vs伊東)、山崎の戦い(羽柴vs明智)、中富川の戦い(長宗我部vs十河)、賤ヶ岳の戦い(羽柴vs柴田)などが上げられる。
 これらに共通することは、敗者はその敗北が原因で滅亡していることである。また、局地戦ではあるが、長久手の戦い(徳川vs羽柴)、第一次上田城の戦い(真田vs徳川)も12.5%を超えており、どちらもこれ以上、戦役自体を続けることができずに撤退している。
 つまり、戦死率一割を超える損害は、その軍勢における経戦能力の限界を意味していた。
 通信や兵站において、著しい発展を見せた近代軍隊においても、この数値は部隊の壊滅を意味している。
 この考えからすると、佐敷川の戦いにおいて、龍鷹軍団は壊滅的打撃を被ったことになる。
 佐敷川の戦いは通常の戦いではなかったため、聖炎軍団も龍鷹軍団に匹敵する損耗率を叩き出している。
 このため、即両陣営のどちらかが滅亡するということはない。
 それでも、向こう数年、最低でも数ヶ月は軍勢を動かすことができない損害だった。

「兵部省からは再編のことも考え、人吉城より撤退させようという案が出ています」
「んー・・・・」

 軍略上、これ以上の軍事行動は百害あって一利なしだが、政略上はそうはいかない。
 だからこそ、兵部省は兵力のやりくりを提案したのだ。

「人吉戦線、か・・・・」

 佐敷川の戦いにて、人吉城の後詰め部隊であった火雲親晴勢が撤退したため、人吉城戦線における野戦場は解散していた。
 聖炎軍団は人吉城に入城しており、球磨川北岸には簡易的な陣城を築いて防備を固めている。
 この戦線より撤退しても、佐敷城を確保している限り、人吉勢は動けない。
 戦局の打破に繋がらない枝葉に貴重な戦力を振り分ける必要はないはずだ。

「うん、任せる。まあ、難事は佐久を説得することだけどな」
「そういうなら書状を書いてくださいよ」
「やだ。筆持つのめんどくさい」
「兄上~」

 ガクッと項垂れる従流は畳についた手から伝わる震動に気が付いた。
 その震動は床に伏せっている忠流にはよく伝わっており、彼の表情が歪む。

「あに―――」

 そのことを尋ねようとした瞬間、部屋の障子が勢いよく開けられた。

「相も変わらず辛気くさく伏せっている方に爽やかになってもらおうとやってきました」
「臣下の窮状を救うのは主の務めだしな」

 振り返った先で仁王立ちしていたのは、ふたりの少女だ。
 龍鷹侯国にとって大事なふたりは、その身分にそぐわない格好をしている。
 その肌を隠すはずの袖をたすき掛けによってまくり上げており、手にはお湯の入った桶と手ぬぐい。
 誰がどう見ても、体を拭こうという姿だった。

「断る」
「「それを断る!」」

 気持ちよく拒否したふたりは従流を押し退け、忠流の傍に座る。そして、衣服を脱がそうと手を伸ばした。

「止めろ!」
「「だから、嫌だと・・・・ッ!?」」

 バタバタと揉み合いになってしまう。
 その様を呆然と見つめていた従流は思った。

(まさか、兄上が回復しないのは・・・・これが原因ですか?)

「橘次! 見ていないで助けろ!?」
「お断りします。僕は兄上に任されたことを成し遂げる義務があります!」

 そう言って、従流はくすりと笑って背を向ける。

(まあ、本調子までに英気を養っていると考えれば、いいでしょう)

「おいこら! この不忠者ぉぉ!」
「「いい加減、観念しなさい!」」

 忠流の姿が障子の向こうに消えた時、従流の顔に笑みはなかった。

「公康」
「はっ」

 従流は控えていた側近にそう伝え、公康は部下に視線で命じる。そして、その部下は出発の触れを出すために走り出した。

「兄上、しっかり療養してください」

 従流は再び優しい笑みを浮かべ、後ろを振り返る。

「従流様、鹿児島へ?」
「ええ、帰りますよ」

 従流は本人以外ではじゃれ合っているようにしか思えない声を背に、歩き出した。

「この戦争を、終わらせるために」



「―――門を開けぃっ、出陣するぞぉっ」

 野太い声が鹿児島城大手門に響き、黒鉄門が重厚な音を立てて開いていく。そして、そこをくぐり、≪紺地に黄の纏龍≫を描いた軍旗が屹立した。
 足並みを揃えて行軍するのは鹿児島城を本拠に、薩摩-大隅-日向-肥後に跨る領土を有する南九州の雄、龍鷹侯国の軍勢だ。
 極東最大、最強を誇った中華帝国の軍勢を相手に一歩も退かず、ついには撃退した軍勢もこの一年で消耗していた。そして何より、相次ぐ戦争に民は厭いていた。
 この出陣も、城門近くに集まった者たちは出撃する軍勢をやや冷たい目で見ている。
 士分や専従足軽は戦争が職業だが、徴発される足軽は農作業が本業だ。
 連続する出陣はそれらの人手が取られる上、生きて帰ってくる保障がないのだから仕方がない。

(絶対に、終わらせなければなりませんね・・・・)

 中軍の総大将に位置する場所にいた従流は辺りを見回すなり、改めてそう思った。
 この人吉撤退援助軍を率いるのは彼である。
 これは現政権において、家臣の専横に見られないために一族を配するやり方が崩壊すると重臣連中から止められたが、珍しく従流が我が儘を通したのだ。
 曰く、「この戦いは極めて政治的な判断が必要になる可能性があり、現最高指揮官が出陣して現場の判断を後押しするため」と。
 これには重臣たちも閉口するしかなかった。
 藤丸方を原型とする現政権において佐久頼政の説得は難事である。
 頼政は本来大封を得てもおかしくない立ち位置だったが、人吉領奪還を掲げていたために仮の石高しか与えていない。
 それなのに、せっかく始まった奪還作戦を中止するなど、彼の矜恃に関わる大事だった。
 それを説得できるのは、忠流か、それに匹敵する重鎮でなければならない。

(ま、僕は所詮御輿ですから、鹿児島にいてもやることがありませんよ・・・・っと)

 街道に出ると、軍勢の速度が急に上がった。
 鹿児島城を増援部隊が出撃したことは、明日中にでも隈本に伝わるだろう。
 聖炎軍団が対応策に出る前に、龍鷹軍団は作戦を終了させる必要があった。



 人吉戦線は佐敷川の戦い以降も膠着状態にあった。
 火雲親晴率いる後詰部隊が引き上げた後、人吉勢は城へと帰還し、龍鷹軍団も緩やかな包囲網を構築している。
 一時領国との連絡が途絶した人吉衆は本国に帰還しており、佐久頼政の手にあるのは龍鷹侯国から連れてきた軍勢だけだった。
 だから、鷹郷従流率いる増援軍が鹿児島を発ったと報告を受けた時、全軍の士気が上がったのだ。だが、その士気も到着した従流が努めて無表情に言い放った言葉にて粉砕された。

「早急に兵を引き上げます」

 幼い声が居並ぶ男どもを凍り付かせる。
 従流は佐久勢の本陣につき、開口一番にそう宣った。

「・・・・何故ですか?」

 頼政は声高に非難しようとした諸将を目で抑え、自身も声を抑えて問う。

「龍鷹軍団は内乱以後の戦いで消耗しています。現在、三戦線を維持するだけの戦力や備蓄などありません。このため、佐敷-水俣維持のために人吉から撤退します」
「これは異な事を仰りますな。人吉から我々が撤退すれば、佐敷城は南北から挟み撃ちにあいます」

 確かに地勢的に言えば、佐敷城は八代城と人吉城の中間にあり、双方から軍勢を出されれば窮地に陥る。

「大丈夫です。その場合、水俣城を包囲する軍勢および川内の軍勢が海上輸送にて佐敷に展開します。また、大口城より人吉城を落とします」
「・・・・それが容易に想像できる故、人吉勢は動けない、か」

 さらに地勢的に言えば、人吉地方は龍鷹侯国勢力圏に孤立した形となる。
 人吉城の聖炎軍団が脱出するために兵を動かせば容易に抜け出せるが、人吉を保ったまま各地を転戦するには人吉地方の戦力が少なすぎた。

「このままでは人吉勢は死兵と化します。その場合、いらぬ損害を出すのはこちら。ここは周囲の抑止力に任せ、我々は撤退するべきです」

 それに田植えの時期まで長引けば、人吉盆地の農民が困る。
 最悪、怨みを持たれて奪還した後の統治に影響する可能性があった。

「人吉城を奪還するのが最良ですが、それができぬ以上、事前の、やや歪な平和に戻すしかありません」

 歪な平和と従流が表現した通り、この撤退によって訪れる秩序は不安定だ。
 両国がその気になれば粉微塵に吹き飛ばしてしまえるほどの火種を抱え込むことになる。
 それでも、現状よりは随分ましなはずだった。

「撤退、してくれますね?」

 これまで無表情だった従流が少しだけ笑みを見せる。しかし、それを額面通りに受け取った武将は誰ひとりいなかった。

「は、ははっ。すぐに陣払いの支度を致します」

 感情論だった抵抗を理詰めによって突破され、事務的だった口調に人間味が戻る。
 それはこれ以上駄々をこねるのならば命令違反で指揮権を剥奪し、強制送還するという意志が見え隠れしていた。

「・・・・して、従流様、増援部隊はこれだけですか・・・・?」

 陣払いとなれば、人吉勢が打って出てくる可能性がある。
 現在、人吉勢とほぼ同数である佐久勢にそれを押し返すことができない。
 これが従流が部隊を率いてきた理由ではあるのだが・・・・。

「ええ、僕も新参者で、子飼いの部将と言えば後藤公康くらいしかいないんですよ」

 従流が連れてきた増援は後藤公康を実質的な総大将とする五〇〇名の旗本だ。
 確かに両軍併せて五〇〇〇以下の戦線において、一割に匹敵する数値だが、聖炎軍団が攻撃に躊躇うほどの軍勢ではない。
 敵の撤退戦ほど付け入りやすいものはないからだ。

「大丈夫ですよ、大丈夫。あ、殿は公康が引き受けますから」

 そう言って、従流は先程と同じ笑みを浮かべて見せた。






人吉城撤退戦scene

 鵬雲三年一月十二日、肥後国人吉盆地。
 佐久頼政率いる人吉城奪還軍約二五〇〇が撤退を開始した。
 殿を務めるのは増援軍である後藤公康率いる五〇〇だ。
 彼らは簡易の柵や空堀を構築した野戦陣地に籠もり、撤退する佐久勢を横目に人吉城を睨みつけていた。
 ここは人吉城奪還軍の後方陣地に位置し、退路を確保するために造られている。
 このため、急造とはいえ、敵を迎え撃つには最適な場所だった。
 黒嵐衆の見立てでは、城内では出撃態勢がほぼ整っており、いつ出陣してもおかしくない状況らしい。

「―――従流様も無理を言う・・・・」

 後藤公康は布陣して自軍を頼もしそうに思うも、不安を隠せないでいた。
 人吉城に籠もる戦力は一五〇〇~二〇〇〇と思われる。
 それがほぼ全て追撃に回ることが予想された。
 北薩の戦いから続く戦略的敗北。
 それは聖炎軍団の矜恃を傷つけまくる。だがしかし、人吉城からの撤退は、準備された籠城戦において、聖炎国の築城術は未だ有効であるという証明となった。
 それに聖炎軍団は元々、城に寄った戦術を展開する。
 城に攻めあぐね、撤退する敵軍を追撃することで戦果を拡大してきたのだ。

(来る・・・・)

 前方の圧力が増した。
 冬の凍てつく空気に熱気が混ざり出し、軍馬が落ち着かず、逸り出す。

「戦闘用意!」

 公康が命じずとも、歴戦の強者たちは足軽に指示を飛ばした。そして、鉄砲兵はやや銃口を上に向け、試射を放つ。
 轟音が弾けると共に、霊力の猛りを背景として聖炎軍団が姿を現した。
 こちらに殿がいることが分かった進軍だ。

「報告します!」

 前線に派遣した物見が帰ってきた。

「聖炎軍団約一五〇〇! 三隊に分かれています。先鋒が八〇〇、次鋒が三〇〇の騎馬中心!」
「先鋒でこちらを退かせ、次鋒が怒濤の追撃、か・・・・」

 残りの四〇〇は退路を確保しておくものだろうか。

「このまま陣地戦で迎撃する! 遠戦用意!」
「し、しかし、このままでは次鋒に迂回されますが・・・・」
「気にするな。俺たちに必要なのは敵戦力を引きつけることだけだ」

 寄せ太鼓が聞こえ出す。
 後藤勢の手前で簡単に隊列を整えた聖炎軍団が進撃を開始するのだ。

「敵攻撃重心はこちらの右翼だ! 本陣の予備鉄砲隊は右翼へ展開せよ!」

 右翼に攻撃を集中させ、後藤勢の右を抜けていく次鋒の邪魔をさせないようにすると判断した公康は本陣の予備隊を早期に投入する。そして、両軍併せて一〇〇挺近い鉄砲が一斉に咆哮した。
 今年になって初めてとなる軍事衝突は流動的な機動戦として幕開ける。
 ひとつの戦役を終わらせるための戦闘が始まった。



「後藤勢、交戦開始! 両軍共に射撃戦です!」
「両者共、ただの牽制だ」

 吉井忠之は物見の報告にそう独りごちた。そして、すぐに背後に向き直る。

「従流様、敵は追撃を重視した模様です」
「みたいですね。よかった、敵将が公康の部隊を潰しただけで喜ぶような人ではなくて」

 輿に乗った従流は兜を着けていないが、具足を着ていた。しかし、太刀打ちするわけでない。
 従流は自身の霊装から乗馬を諦めたのだった。

「まあ、それでも敵中に孤立することに変わりませんが」

 忠之は視線で副将に命じ、従流との会話を続ける。

「それでも、ある程度要塞化された陣地は主攻ではない限りなかなか落ちません」

 従流も視線で従者に命じ、輿が持ち上がった。

「公康は見事、側方陣地の役目を果たします。岩剣城攻防戦における、吉井直之殿のように」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 忠之は何も言わず、静かに頭を垂れる。

「軍の指揮をお願いします」
「はっ」

 鷹郷貞流の子飼いとして活躍し、内乱では忠流に諭されて藤丸方に付いた吉井直之の弟は短く応じると、やってきた馬に飛び乗った。

「征くぞ! 敵追撃部隊を粉砕し、撤退戦を勝利に変える!」

 指揮官の宣言だがしかし、兵たちは雄叫びを上げない。
 彼らは伏兵。
 知らずにつっこんでくる敵兵を打ち倒すために伏した罠だ。

「鉄砲隊は一斉射撃後、各自射撃を許可。弓隊も同じだ。長槍隊は全面に展開して槍衾を組め、敵の進軍が止まると同時に徒歩武者隊が仕掛ける」

 先程決まった作戦を端的に述べた忠之は屈強な近衛に守られた従流を見遣るなり、霊力を上乗せした声で全軍に通達した。

「喜べ。貴様らには神の加護がついている」

 言葉と同時に従流を中心に霊力の波動が放たれる。そして、それを感じ取った次鋒追撃部隊が道の脇を見るなり、鉄砲物頭の刀が振り下ろされた。
 様々な射点についた鉄砲兵が引き金を引き、弾丸が吐き出される。
 それらは密集隊形で突撃する騎馬隊を横殴りに吹き飛ばした。
 思わぬ奇襲に混乱する敵兵を頭上から襲った矢の雨が襲い、鬨の声と共に≪紺地に黄の纏龍≫が屹立する。

「伏兵だ! 皆、周囲に注意しつつ撃破しろ!」

 血気盛んな敵指揮官は槍をしごき直すと、銃撃と同時に全面に展開し始めた歩兵に向かって突撃を開始した。
 援護するように聖炎軍団の鉄砲が撃ち込まれ、悲鳴と共に長槍の穂先が乱れる。だがしかし、龍鷹軍団を包み込む黄金色の光がその威力を減衰した。
 霊力の塊と化した騎馬突撃に跳ね飛ばされた歩兵たちが立ち上がり、槍を構えて立ち向かう。
 そんな規格外の耐久力を目にし、敵指揮官の顔が歪んだ。

「金色の守護!? そんな、まさか!?」

 彼は佐敷川の戦いという地獄を体験している。そして、狂気の坩堝と化した最前線でこれと同じ光を見ていた。
 そこに突き立てられていた馬標は―――

「周囲は森林で迂回できません! また、物見は“黒の釈迦梵字”を確認したと!」
「くそ、侯王の弟が出張っているだと!?」

 思わず硬直した馬上の指揮官を、目聡い鉄砲兵たちは思い思いに狙撃した。

「・・・・山は越えましたね・・・・」

 従流はそっと息をつく。
 それまで冷静に指揮を執っていた指揮官が無数の弾丸に貫かれて落馬するのを、従流は輿の上から見ていた。
 従流の本陣はやや丘陵となった場所であり、何の陣地も気付かれていない。
 もし、霊術に詳しい者がいれば、ここが龍鷹軍団に与えている加護の発信源だと分かっただろう。だがしかし、従流は鉄砲物頭にそのような地位にいる者、気付いたような者を優先的に撃ち倒せと命じていた。
 このため、従流の陣地を発見した物見、その報告を受けた指揮官が密かに忍び寄った鉄砲兵の狙撃を受けたのだ。

「報告します! 追撃を断念、敵騎馬部隊は撤退を開始しました!」

 物見の報告に従流はやり遂げたため息をつく。

「また、従流様の名が流布し、一部が恐慌を起こし潰走状態にあります」
「・・・・素直に喜べませんね・・・・」

 自分の名前が相手に恐怖を与えることは名誉なことだが、その内容が従流本人ではなく、霊装なのだから喜べない。
 従流はただの使い手だ。

「伝令!」

 またひとり、本陣に駆け込んできた。
 それは伝令を表す≪菖蒲色に黄の纏龍≫の旗指物を差している。

「吉井殿より意見具申。このまま追撃し、人吉城に付け入りを狙ってはどうか、と」
「え・・・・?」
「後藤殿が攻勢に出れば、敵軍はさらに混乱。一五〇〇が雪崩を打って城内に逃げ込むのと同時に攻め入れば、人吉城を落とすことも夢ではない、とのこと。どうか、御決断を」

 付け入りとは城外に出て戦った兵が城内に入る時に、共に城内へと入って城内戦を挑むことを言う。
 自分たちには絶対に開かない門扉でも、味方を引き入れる時には必ず開く。そして、味方を引き入れた後、閉じる暇もなく雪崩れ込む戦術だ。
 これは敵将が非情であった場合には途中で門扉を閉じる場合があるが、効果的な戦術として古今東西問わずに使われている。

「佐久殿はまだ、久七峠を越えていない・・・・」

 佐久勢の殿は勇将である佐久仲綱が率いている。
 人吉城攻防戦初期で活躍しており、今回の撤退に一番反対した人物だ。
 敵崩れ、追撃すると報告すればすぐさま攻勢に転じるだろう。
 従流が連れてきた軍勢は後藤勢五〇〇と本隊三〇〇だ。
 後藤勢はともかく、本隊は隘路でのゲリラ戦を元に構成された戦力であり、城攻めには向かない。
 ただ、城内戦などの白兵戦においては無類の強さを発揮するだろう。

「佐久勢と併せれば三三〇〇。・・・・兄上が企図した短期攻略作戦とほぼ同数」

 従流はそう呟くと、顔を上げた。
 意識の奥底に響く鈴の音を聞いたような気がしたが、従流は大して気にすることなく、全軍に通達する。

『人吉城を攻略せよ』

 崩れ立った敵勢に龍鷹軍団が牙を剥いたのは、そのすぐ後だった。






鈴の音side

「―――あら?」

 戦場を見下ろすもうひとつの丘で、鈴を持った少女が首を傾げた。
 眼下では撤退していた佐久勢が反転し、守勢に回っていた後藤勢が攻勢に出ている。
 三段に分かれていた聖炎軍団はそれぞれ混乱状態に陥り、人吉城に向かって怒濤の潰走を始めていた。

「そうですか、あなたは敢えてそちらを選びますか」

 その発言は、少女の幻術が失敗したことを意味している。

「珍しく、侯王と意見が一致したというのに・・・・。第一の側近を制御できないほど求心力が低下しているのですかね」

 少女は鈴をしまい、戦場に背を向けた。

「行きましょう。最近、侯王の回し者が多くて活動しにくいですから」
「はっ」

 そう応じ、“霜草久兵衛”は少女を抱え上げる。

「ふふ、これはお互いに戦略の立て直しが必要ですね」

 まさにこの時、龍鷹軍団の先鋒が人吉城の城門を踏み越えた。










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