第二戦「金色の龍による電撃戦」/六



 火雲親家。
 火雲親時の嫡男として、玄楠十一年(皇紀二一九〇年)に隈本城で生まれた。
 その後、父に従い、虎熊宗国との激戦や調略によって反旗翻した肥後衆との戦いで体制を強化し、「聖炎国」二代目国王として武威を示す。
 第四次隈本城攻防戦にて虎熊宗国九州方面軍に致命的打撃を与えた後、虎熊宗国とは肥後-筑後国境線を境界線として和睦した。
 虎熊宗国の南進を阻止したのである。
 これは穂乃花帝国の系譜を継ぐ聖炎国にとって、快挙であり、列島中に火雲氏の名前が駆け巡った。
 強大な軍事力に屈しない不屈の闘志とそれを支える城郭群は聖炎国の誇りであり、この戦果に感銘を受けた時の帝より「肥後守」の官位を賜った火雲氏は「肥後統一」を掲げる。
 その後、どさくさに紛れて人吉地方を領土化していた龍鷹侯国と幾度も干戈交えることとなった。
 それは親家の父の代から続き、双方が代替わりしても続いた、もはや宿敵と言っていい戦いである。
 そして、龍鷹侯国のみ代替わりし、両国の首脳は佐敷川にて会談した。






佐敷川の戦いscene

「―――お初にお目にかかります。龍鷹侯国侯王、鷹郷侍従忠流です」

 鵬雲二年十二月十八日申の刻。
 忠流は用意された床机に座るなり、年長者である火雲親家に名乗りを上げた。

「うむ、聖炎国国王、火雲親家だ」

 さすがは数十年、大国同士に囲まれながらも外交や戦争を以て肥後を守り続けた御仁だ。
 圧倒的な劣勢にあっても、その威厳は一切衰えなかった。

「こちらは宰相として、国木田政次が出席させる」

 親家の隣に、初老の武将が立つ。
 今回の会談では、双方の首脳が示す条件を家老級の家臣同士が言葉を交わすのだ。

「先に謝っておきます。こちらの治部省要人は誰も参陣しておりません」

 治部卿である鹿屋利直は後方で小荷駄隊の指揮を執っている。
 治部大輔である南雲唯和は宮崎にいる。
 治部少輔を任せた鷹郷源丸は天草諸島にいる。
 治部大丞、小丞は定めておらず、階級を持つ治部省の役人はこの場にはいない。
 故に、忠流が交渉役に任じたのは治部省以外の人間だった。

「側近の御武幸盛を出します」

 忠流の側に立っていた幸盛は親家と国木田の双方に頭を下げる。

「時間が惜しい。さっそく始めよう」
「はい」

 親家の言葉に忠流が頷き、双方の代弁者が視線を交わした。

「まず、こちらが提示した講和条件の確認から行います」

 親子、下手をすると孫ほど年の離れた幸盛に向かい、国木田は敬語を発する。

「こちらかの要求は一つ」

 龍鷹軍団の撤退。
 それは筑紫島の聖炎国内に打ち込んだ龍鷹軍団は総撤退すること。
 対価として、聖炎国は人吉地方から撤退および天草諸島の領有権放棄、だ。

「ええ、確認しています。ですから、言わせてもらいます」

 幸盛は自分よりも経験豊富であろう国木田をまっすぐに見た。

「到底、受け入れられるものではありません」

 当然のことだ。
 龍鷹軍団は優勢にある。
 天草諸島は聖炎国が放棄するまでもなく、龍鷹・燬峰連合軍がほぼ占領に成功していた。
 筑紫島においても、宇土地域に上陸した鹿屋勢によって突破寸前であり、人吉戦線に至っては膠着状態を脱し、再び城攻めを行える状態にある。
 龍鷹侯国が退く謂われは、戦況を見回す限りは存在しなかった。

「確かに戦況は当方の不利であります。しかし、補給の面ではどうですか?」

 武器弾薬に限れば、両軍の消費量はそう多くないのでまだまだ余裕がある。しかし、兵糧面において、龍鷹軍団は先天的な不安があった。
 龍鷹侯国は農作業が重視された初夏から夏にかけ、内乱に興じていた。
 その範囲はほぼ全国に至っており、特に重点的農業地域であった川内川周辺は北薩の戦いで荒廃した後に立て直しすらされていない。
 宮崎平野に限って言えば、戦火に晒されていないので、例年通りの収穫を得ているが、一地域だけの収入で遠征を支えられるほど、糧秣というものは優しくはないのだ。

「電撃戦を行いましたが、主力軍行動開始からすでに半月ほどが立つ。一万数千の軍勢を食わす兵糧輸送は辛いだろう?」

 『雑兵物語』によれば兵ひとり当たり、一日に米を六合食すという。
 これを基準とするならば、一万三〇〇〇の一日当たりの消費量は七八〇〇〇合(=七八〇斗=14,040㍑)だ。さらにこれを米俵に換算すると約十一俵。
 半月で一六五俵消費したことになり、これを輸送した折に小荷駄隊が食べた量まで換算するならば、それは膨大な量になる。
 それに、人間に必要なのは米だけではないのだ。
 内乱で今期の収入が絶望的となり、二ヶ月にわたる内乱の軍事行動はその備蓄を確実に減らしていた。
 それは事実であり、この事実を根拠に聖炎国は人吉地方だけでの限定的な攻勢と、龍鷹軍団の作戦を見誤ったのだ。

「別段、無謀に突撃してくれるだけならば、別に講和はならずともいいですが」

 強気の態度を崩さない国木田にも根拠がある。
 先程、名島重綱率いる数百の軍勢が八代城向けて出撃した。
 八代城も追加の動員令を発しており、火雲親晴と合流して鹿屋勢を撃破する算段だ。
 どうせ、龍鷹軍団には知られているだろうが、関係ない。
 すでに鹿屋勢に対して対応をしている聖炎国にとって、この講和は次善の策である。だが、次々と戦略的作戦を打ち出してくる龍鷹軍団に対し、仕切り直しをしたいだけだった。
 故に、これは敗北宣言ではない。
 一時的に、龍鷹軍団に勝ちを譲ってやるだけなのだ。
 聖炎国首脳部は忠流の覚悟を見誤っていた。
 確かに、忠流率いる龍鷹軍団は歴代の龍鷹軍団とは一線画している。

(これが若い世代というものか・・・・)

 国木田と幸盛の舌戦を聞きながら、親家は郷愁にも似た淋しさを覚えていた。
 龍鷹侯国の侯王となったのはわずか十四歳の忠流だ。そして、国木田と言葉で戦っているのも同い年の幸盛。
 対岸で主力軍を率いているのはさらに年下の従流。
 これら三人は例外としても、天草諸島を席巻して宇土に上陸した鹿屋利孝も二十代。
 聖炎国も負けてはいない。
 鹿屋勢上陸す、の報に冷静に対処した親晴は二四歳、増援に向かった名島重綱も一八歳だ。

(これからの戦、年寄りは必要ないということか・・・・)

 そう言うが、親家自体、未だ四二歳であり、働き盛である。だが、周りの後進があまりに早く育っているため、年寄りの気持ちになっていた。

(特に・・・・こやつは・・・・)

 寒さのためか、頬を赤らめている女顔の忠流は可憐な容姿に似合わぬ戦略家だ。

(儂の命と引き替えに・・・・ここらで屠るのもいいかもしれん)

 親家の後継者、親晴は人間的に成熟を必要とするも、軍事面に関しては一廉の武将である。
 対して、忠流の後継者となるであろう従流はあらゆる面で経験不足だ。
 ここで忠流を葬れば、また聖炎軍団の攻勢へと戦況は移り変わるだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 剣呑な光が親家の眸に宿ったのに気付いたのか、忠流がこちらに視線を向けた。
 その視線に、親家は別の意味で戦慄した。

(こやつ・・・・ッ)

 虚ろな眸は焦点が合っておらず、こちらを向いたとしても親家の眸を見てはいなかっただろう。だがしかし、その病状が親家の精神に大打撃を与えた。

(この状態で大人顔負けの読み合いをやってのけたというのかっ!?)

 龍鷹軍団が見せた覚悟よりも、病弱と聞く少年が見せた覚悟に親家は動揺する。
 確かな戦略眼とそれを可能にする行動力、そして、周囲を引きつけて止まない壮絶な覚悟。
 それが鷹郷忠流という人間なのだろう。

「・・・・もういい、政次」
「・・・・・・・・・・・・はっ」

 少しでも有利な条件にしようとしていた国木田は親家の言葉に、不承不承ながら鉾を納めた。

「幸盛」
「・・・・はい」

 高熱に侵されているとは思えない口調で忠流も幸盛を制す。

「先の条件にひとつ追加しよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「三ヶ月の相互不可侵条約、というのはどうだ?」
「御館様!?」

 親家が提示した条件は極めて聖炎国の不利になる。
 龍鷹侯国はますます傷を癒し、天草諸島などを領土化するだろう。
 対して聖炎国は混乱に乗じることができず、逼塞するだけとなる。

「どうだ?」

 詰め寄る国木田を手で制し、忠流の顔を覗き込んだ。

「・・・・なるほど。つまり、もはやこの戦は龍鷹と聖炎だけで済まない、ということか」

 敬語を使う余裕はないのだろうが、頭の回転はさすがだった。
 忠流は意外な対応策を練ってきた親家を睨みつける。しかし、彼は「先に外国勢力を持ってきたのはそちらだろう?」とでも言いたげにこちらを睥睨していた。

「違いない」

 忠流は口の中で、自虐気味に呟く。
 これまでの龍鷹侯国と聖炎国の戦いは、どこか児戯的な要素を含んでいた。
 双方とも、両者の滅亡を望まず、あくまで限定的な勝利を欲していたのだ。
 それが変わった。
 龍鷹侯国は燬峰王国と結ぶことで、本格的な領土侵攻を開始した。
 これに対し、聖炎国も武力だけでなく、外交を駆使して迎え撃とうというのだ。

「分かった。当方としてはその条件で異論はない」
「では、正式な誓詞は後日、どこかの寺を仲介にして行うと言うことで」
「ああ、夜通しで準備し、明日には陣払いする」

 ふたりは、ふたりのみに分かる視線を交わし、居並んだ護衛たちに向かって宣言した。

「「これより撤退する」」

 護衛たちは言葉なく、ただただ頭を垂れる。
 それは主力同士の決戦を回避したという宣言であり、新しい戦争を開始したという宣言でもあった。


―――しかし、「不戦」に納得しない者がいた。


―――シャン、シャン


 鈴の音が、佐敷川全体に響き渡る。
 その音色に乗せられた思念が佐敷川に集った両軍の間を駆け巡る。


『戦エッ・・・・敵ハ直グ其処ダッ』


「―――っ!? これは!?」

 忠流は響いた声音に血相を変えて立ち上がった。

「あ、う・・・・」

 しかし、すぐにふらつき、幸盛に支えられる。


『最早遠慮ハ要ラヌ! 踏ミ潰セ!』



―――オオオオオオオオオオオオオォォォォォォッ!!!!!!!!!!!!!!



「「―――っ!?」」

 大気を、大地を震わす雄叫びが両岸から上がり、闘志が膨れ上がった。
 それと同時に両軍から轟音が鳴り響き、対岸に向けて弾丸が飛翔する。

「申し上げます!」

 幔幕の外にいた近衛兵が幔幕を跳ね上げた。そして、忠流の前に膝をつく。

「足軽衆が組頭の指揮を離れ、進軍を開始しました!」
「な!?」
「それも滅茶苦茶です! 鉄砲兵は射撃しながら進軍を開始。槍衆も隊列を組まずに突撃です」

 急報は龍鷹軍団だけではなかった。

「殿! お味方は勝手に進軍を開始しました! 龍鷹軍団と佐敷川のど真ん中で激突!」
「どういうことだ!? 名島は何をしている!?」

 国木田が悲鳴のような声を上げる。

「陛下! このままでは両軍に揉み潰されます! 急ぎ南岸へ!」

 近衛たちが幔幕内に進入し、忠流たちを守るように立ちはだかった。
 その視線には敵意が含まれ、睨みつけるように聖炎軍団代表に向いている。
 聖炎軍団も聖炎軍団で護衛の武士たちが近衛たちに武器を向けていた。
 号令があれば、すぐに両者は殺し合いを始めるだろう。

「・・・・親家殿、どうやら兵が暴走したようです。約定は交わした故にそれを果たすため、急ぎ兵を鎮めましょう」

 意識が朦朧とする中、忠流の頭脳は目まぐるしく回っていた。
 これは、龍鷹侯国の敵、通称『鈴の音』の仕業だ。

「・・・・・・・・・・・・ああ、そうだな。そうしよう」

 突然の不可解な事象に、茫然自失の聖炎軍団からすれば、龍鷹軍団の対応は早かった。
 十数名の近衛が忠流を取り囲み、幔幕から脱出。
 押し寄せてくる聖炎軍団足軽衆に霊術を叩きつけて自軍の中へと入る。
 『鈴の音』の言葉から現象を推理するに、双方の軍勢は無差別に攻撃しているのではなく、一応、味方の認識はあるようだ。
 ならば、中間にいるよりも龍鷹軍団内部にある方が安全だった。

「―――陛下!」

 先鋒に飛び込んだ忠流はすぐに馬に乗せられ、本陣へと移動を開始する。そして、その途中で先鋒を指揮する長井兵部大輔衛勝と出会った。

「衛勝、か・・・・ッ」

 熱い息を吐きながら、忠流はとりあえずに策を授ける。

「武者衆は突撃せず、一箇所に集めろ。通常のやり方では足軽衆を正気に戻すことはできない」

 両軍の足軽は佐敷川の流れに足を取られつつも戦いを続けていた。
 それに混じり、とりあえず攻撃を開始した武者衆たちもいるが、犠牲を省みない足軽の攻撃で早くも十数名が戦死している。

「しかし、聖炎軍団も武者衆を出しております。足軽のみでは損害が馬鹿になりません」
「ならば、足軽衆を守るように言え! 武者衆のみで戦っても状況は打開できない!」

 視界の端を鳴海家の指揮下にある兵士が前線に突撃していくのを捉えた。
 どうやら、足軽の異変は第一陣だけでなく、全戦線に影響しているようだ。
 忠流は無茶な命令を衛勝に下し、主力軍本陣へと飛び込む。

「橘次!」
「兄上!? ご無事で!? 先程、中州へ向けて公康を向かわせましたが・・・・」

 本陣には鳴海直武の他、主な部将たちも集まっていた。
 彼らはこれが聖炎軍団の仕業ではないとし、先鋒以外を集めたのだ。そして、中州の忠流救出部隊を編成して派遣したのだろう。
 残念ながら、その部隊と出会うことはなかったが、忠流は脱出に成功して主力軍の本陣に到達した。

「面目もございません。兵部省の頭目を任されながら、暴走する足軽衆を留め置くことはできませんでした」

 直武は戦場故に土下座こそしなかったが、今にも腹を切りそうなほど思い詰めている。

「仕方ない。敵は・・・・『鈴の音』だ」
「・・・・ならば、兄上。先程の鈴と声は・・・・」
「ああ、俺たちの敵だ」

 近衛が用意してきた床机に座り、忠流は熱い息をついた。
 末席に座す形となったが、彼がいるならば、上座など逆転する。

「まず、状況の報告を」
「はっ」

 直武が立ち上がり、ついさっき従流相手にしたであろう言葉を口にした。

「足軽衆の暴走は主力軍全てに影響しています。報告では一部の足軽は士分同様に正気を保っており、同時に一部の士分も暴走しております」

 故に龍鷹軍団は円居の態をなしておらず、足軽だけが突出した力攻めに以降。
 佐敷川を無駄に赤く染める消耗戦に興じている。

「なるほど。―――陛下、霊術のカラクリが読めました」

 忠流の隣に立っていた幸盛は直武の話に頷き、忠流に進言した。
 幸盛は高位の霊能士であり、忠流の霊的護衛を任される逸材だ。

「ここはきっと結界になっているんです」
「結界?」
「思い返してください。これまでの『鈴の音』の音は特定の人物にのみ作用しました」

 内乱では鷹郷貞流がそれに当たる。

「非常に強い干渉力を以て貞流様の霊力を突破。精神に作用したものと考えられます」

 だが、今回、鈴の音に狂わされた人間は万を超える。
 足軽衆と言えど、霊力は保有しており、その総量は貞流個人を上回るに違いない。

「【力】を作用させるものを点から面にする場合、必要なことはひとつです」

 それは効果範囲だ。
 どれだけの範囲にその能力を及ばせるかによって、放射する【力】が変わる。

「ただ、拡散した【力】は個々人に対する影響力が減じます」

 例えば、『鈴の音』の【力】が10000であった場合、貞流の抵抗力5000を突破するのに5000使う。
 これはピンポイント攻撃の場合であり、一万人に作用する面攻撃の場合では個々人に対して1しかダメージを与えることができない。
 これでは面の中にいる貞流レベルはもちろん、2以上の抵抗力を持つ者に作用することは不可能だ。
 故に―――

「足軽衆が中心に暴走している理由は、足軽衆個々人が持つ霊力が少ないせいです」

 霊力は血筋はもちろん、生まれてからの訓練次第でその総量は変化する。
 士分は生まれてから訓練を行っているので、総じて保有量は多い。しかし、足軽は普段農作業をしており、霊力を向上させる訓練など行っていない。また、血筋の面でも平々凡々であり、決して総量が多いとは言えない。

「足軽衆のことは分かった。それで、どうして結界なのだ?」
「拡散式ならば、足軽衆の暴走傾向に指向性が見られるはずだからです」

 例えば、佐敷川の中心で【力】を放射した場合、両軍の前線は影響が大きいだろうが、後方までは拡散する間に【力】は弱まるはずである。しかし、現状では佐敷川に集った全軍に作用しており、指向性は見られない。

「ならば簡単です。周囲に基点を作り、その点を結んだ領域内にて【力】を反射、増幅させているんだと思います」

 イメージは水を張った容器に物を落とした場合、落下点を中心に放射状に波紋が広がる。だが、容器の壁に当たった瞬間から水面全てのエネルギーが散って、見た目上はどこが落下点か分からなくなる。そして、エネルギー自体は平滑化される。

「効果はまんべんなく、戦場に【力】が行き渡ることと―――」
「術者の位置を掴ませないため、か・・・・」

 後を引き継いだ忠流はチラリと南方を見遣った。
 その方向には霧島騎士団・紗姫と近衛府・昶の陣がある。
 結論から言えば、『鈴の音』は長い対陣の間に、佐敷川周辺を霊術の基礎で取り囲み、忠流と親家が会談している間に術を起動、両軍を暴走させて激突させたのだ。

「これが結界の概念です」

 結界。
 仏教概念ではあるが、神道でも使われる概念であり、簡単に言えば「内と外を区切るもの」だ。
 『鈴の音』は佐敷川を他の外界から切り離し、その内部だけに作用する鈴の音を鳴らしたのだ。

「なんという・・・・」

 事象を引き起こすことができる有能な霊能士揃いである諸将も、そのスケールの違いに驚いた。
 武将ひとりの精神を操るとは格が違う。

「だったら、その結界の要を壊せばいいな?」

 忠流はふらつく体を太刀で支えながら立ち上がった。

「理論上は・・・・そうなります」

 しっかり頷いた幸盛に頷き返し、忠流は命令を下そうと息を吸い込む。しかし、その瞬間、忠流の喉が掻き毟ったかのように痛んだ。

「ゴフッ」

 そうして、忠流の口から出たのは言葉ではなく、鮮血だった。

『『『―――っ!?』』』

 諸将が思わず立ち上がる中、忠流は踏ん張って体勢を立て直す。

「この戦、勝つぞ」

 手で血を拭い、吐き出された言葉は、重病人とは思えない力を持っていた。
 その壮絶とも言える状況に歴戦の猛者たちは言葉を失う。
 "軍神"と呼ばれる鳴海直武ですら、瞠目するしかなかった。

「黒嵐衆たちは結界の要を探して知らせろ」

 忠流は紗姫の陣を見遣る。

「知らせたら・・・・俺が<龍鷹>で狙撃する」

 <龍鷹>の射程、威力共に忠流の言葉を実行に移すに申し分ない。
 黒嵐衆たちが見つけても、その要とやらが破壊できるかどうか分からない。
 ならば、最大攻撃力を保有する忠流が攻撃した方が早く済む。
 早く済めば、それだけ命を落とす兵を少なくできるのだ。

「さぁ・・・・時間がないぞ・・・・ッ。士分は士分をまとめて混乱を抑えろ。前線に出ようとする足軽を昏倒させてでも引き戻せっ」

 血を吐く勢いを地で行く忠流の命令に諸将は行動を開始しようとする。しかし、その行動を、冷徹とも言える冷ややかな声が縫い止めた。


「―――ふざけないでください」


 兄が血を吐いたというのに立ち上がらなかった従流が立ち上がり、テクテクと忠流の前まで歩いていく。

「どういう・・・・ことだ?」

 ぼやける視界の中、弟の表情を伺うが、弟は何の表情も浮かべていなかった。

「兄上は後方に避難してください」
「・・・・ダメだ。結界の要は―――っ!?」
「その結界が兄上の体を蝕んでいるのが分からないんですか!?」

 従流は忠流の襟首を掴み、グイッと引き寄せる。

「ずっと佐敷川に到着して兄上の体調が優れなくなったのは、結界の要とやらが佐敷川周辺の霊的均衡を崩していたからでしょう?」

 普段と違う霊力の流れになっていたのは間違いない。
 普通の人間であれば、全く影響のない状況だったろうが、忠流は霊力に敏感な体質である。

「そんな状態での戦域規模での霊力暴走です。血を吐いてもおかしくはありません」

 従流は引き寄せた忠流を床机に戻した。

「ですから、兄上は早急に後方へ退避するべきです。また、紗姫様、昶様の陣を津奈木城まで下げることを進言致します」

 理由はふたりとも龍鷹侯国にとって重要な人物だからだ。
 『鈴の音』に囚われたこの戦域に留めて置いて言い訳がない。
 また、佐敷城にまで効果が及んでいれば、退路にまで侵攻してくる可能性がある。

「だけど・・・・結界は・・・・」
「結界? そんなの早急に対処すべきものではありません」
『『『は?』』』

 従流の宣言に忠流以下、諸将がポカンと口を開けた。

「直武殿は兄上が言った通り、士分を集めて編成してください。そして、激戦地を迂回し、敵本陣へと突撃してください」

 それは決戦回避を選んだ忠流とは正反対の決断だ。

「この無駄な消耗戦を幕引きさせるには、まずは敵士分部隊の撤退が不可避です。同時に忍び部隊による要の捜索を行います。それぞれの地域には霊能士を派遣し、要破壊に尽力します」

 別に<龍鷹>による攻撃だけが解決方法ではない。
 というか、今の状態で無事に<龍鷹>を召喚し、要に着弾できるかどうかは賭でしかない。
 むしろ、霊能士を現地に派遣して対応させる方が堅実なやり方と言える。
 問題は、時間がかかるだけなのだ。
 忠流はその時間に被る損害を気にしていた。

「解決までの時間は、僕が稼ぎます」

 従流は視線だけで従者に合図を送る。
 彼らは戸惑いながらも近づき、彼の前に持っていた輿を置いた。

「僕のこれで・・・・」

 輿に座った従流は懐から数珠を取り出す。

「僕が前線に行き、前線の兵士たちを守ります」

 従流の考えは、要を破壊するまでの時間に被る損害を可能な限り、自分の【力】で抑え込む、というものだった。

「橘次、それは・・・・っ」
「危険なことは承知しています」
「だったら―――」
「この国にとって、なくてはならないのは兄上の方です!」
「―――っ!?」

 従者たちが立ち上がり、忠流を見下ろすようになった従流は西日を浴びながら続ける。

「兄上は自分の代わりが務まるように僕を呼び戻したようですが、日々の雑務はともかく、戦略に関しては兄上の代わりなどできるはずがありません」

 ちょうど前線から帰ってきたのか、後藤公康が幔幕の中に入ってきた。
 彼は異様な雰囲気に思わず足を止める。

「もう、龍鷹侯国は兄上なしでは生きられません。兄上はこの遠征で容易に退けない状況にこの国を進めたんです」

 もう、走り始めた覇道は止まらない。
 従流はそう宣言していた。

「『鈴の音』は兄上だけの敵じゃない。僕たち、龍鷹侯国の敵です。なら、僕たちにも戦わせてくれませんか? それとも、任せられないくらい、僕たちは頼りないですか?」

 幔幕の外は足軽たちが上げる喊声が響いているが、この幔幕は沈黙が支配する。

「・・・・・・・・・・・・・・・・分かった」

 忠流は疲れたようにため息をつき、従流を見上げた。

「万事、任せる。思えば、佐敷川戦線の指揮官は橘次だったな」

 力ない笑みを浮かべた忠流に対し、黙礼した従流はすぐさま指示を飛ばす。

「兵部省はすぐさま各円居にて士分部隊を編成してください! 旗本衆は組頭単位にて数名の部隊を編成し、足軽衆を襲う敵武者衆に対処してください!」

 矢継ぎ早に繰り出される命令に、諸将は慌てて対応に走った。

「後方の霧島、朝廷の陣に撤退要請を。津奈木城の守備兵にも士分にて構成される迎えの部隊を編成するように。絢瀬勢についても、暴走した足軽は捨て置き、とりあえず、士分にて彼女たちの陣を守るようにと」

 バラバラと本陣から使番が吐き出される。
 それは足軽暴走開始から四半刻が経っていたが、聖炎軍団よりは早かった。

「―――申し上げます! 佐敷城より敵軍が突出! 暴走した我が勢と激突しました。しかし、後方からも敵勢が寄せており、我が軍は苦戦中!」
「旗本衆の士分隊を後方の部隊に投入してください。村林殿には無理に佐敷城を攻めることなく、ただただ防衛に専念せよ、と」
「分かりました!」

 駆けてきた武者は差し出された水を一飲みするなり、すぐに回れ右をする。

「さあ、後は鳴海殿にお任せします。僕よりも冷静に判断を下せるはずです」
「・・・・充分に指揮を執られていたと思われますが?」
「多少興奮状態にあるだけですよ。―――兄上」

 一緒に幔幕の外へと出た兄弟は共に輿の上で視線を合わせた。

「どうかご無事で」
「・・・・お前もな」

 片や最前線へと赴く身。
 片や軍勢を置いて後退する身。
 だが、どちらも危険だ。
 佐敷城の兵が暴走したと言うことは、軍勢の退路にも押し寄せているに違いない。
 そこは近衛衆の突進力で突破してもらうしかない。

「戦後処理のことはお任せしますよ?」
「テメェ・・・・」

 チロリと舌を見せて戯けて見せた従流は次の瞬間には表情を引き締めていた。

「公康、行きますよ!」
「はい!」






 鵬雲二年十二月十八日、肥後国葦北郡佐敷川にて龍鷹軍団、聖炎軍団の主力部隊が激突を決戦に、対聖炎国侵攻戦役「佐敷川の戦い」は終結した。
 日没直前に勃発した決戦は、日没後数刻に渡って続き、両軍に甚大な損害を与えた。
 足軽衆の暴走が解けてからも惰性で続いた白兵戦は、鷹郷従流と名島景綱による休戦宣言において両軍は鉾を納める。そして、聖炎軍団は佐敷地域から撤退した。
 結果、最後まで戦場に居続けた龍鷹軍団の勝利となる。
 佐敷城は暴走した足軽衆と共に突出した太田貴久が旗本衆の奇襲を受けて戦死。
 聖炎軍団の撤退を期に城兵は降伏し、城兵たちは主力部隊と共にこの地を去った。
 佐敷城には村林信茂率いる一五〇〇が駐屯することとなるが、正確な国境線については両国の使節団による外交活動及び軍事活動によって決することとなる。
 結果として、佐敷川の戦いは戦略・戦術的に龍鷹侯国の大勝となった。
 龍鷹侯国は津奈木城、佐敷城を攻略し、聖炎軍団主力部隊の撃破に成功する。そして、人吉城・水俣城を完全包囲していた。
 聖炎国は水俣・人吉地域の後詰が絶望的となり、佐敷・天草地域を喪失。西方に燬峰王国という敵を抱えることとなる。
 途中までは両国の指導者の思惑に沿った展開だったが、最後の最後で狂いを生じた幕引きは、両国に禍根を残すこととなった。










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