第二戦「金色の龍による電撃戦」/五



 佐敷川の戦い。
 後に、龍鷹侯国と聖炎国で行われた戦役名は、こう呼ばれることとなる。
 名前を冠する佐敷川は両軍の決戦場ではあったが、その戦域はあまりに広大だった。
 忠史における、関ヶ原の戦いと同じく、だ。
 その戦線は大きく分けて三つ。

 佐久頼政率いる人吉城奪還軍と、人吉城勢及び火雲親晴率いる後詰勢が向かい合う人吉戦線。
 鹿屋利孝率いる天草諸島攻略軍と燬羅尊純率いる燬峰軍団が席巻する天草戦線。
 鷹郷忠流、火雲親家と双方の総司令官直卒部隊が向かい合う佐敷戦線。

 兵力は軍事同盟を結んだ龍鷹・燬峰連合軍は総勢二万余。
 通常動員力のほぼ九割と投入したと言われる聖炎軍団は総勢一万七〇〇〇余。
 兵力的に見れば三〇〇〇の違いだが、実際にはもっと開きがあった。

 龍鷹軍団の電撃的侵攻において、今や数千規模で戦力を保有している聖炎軍団は主力軍の一万余、人吉戦線の三五〇〇であり、天草戦線は崩壊していた。
 天草戦線において、重要な役割を示すはずだった、下島と上島を結ぶ要衝・本渡城は陥落し、その城主である国木田政恒も戦死。
 本拠と総大将を失った天草の聖炎軍団は効果的な反撃ができず、富岡城と壱岐城に逼塞するだけだった。
 対して、人吉戦線では佐久仲綱が球磨川渡河戦で敗北し、人吉城攻略どころかどうにか負けない戦をしているに他ならない。
 それでも天草戦線は堅城が時間を稼ぎ、人吉戦線は負けない戦で主戦場への影響を最低限にしていた。
 言い換えれば、この戦況を変えるには双方の主力決戦が必要だった。
 いや、忠流の言葉を借りるならば、

「お互いが傷つく決戦など、もっと効果的な時にするもんです」

 つまり、忠流の意志は「決戦回避」にあった。
 ならば、どうやってこの両軍併せて三万七〇〇〇にも及ぶ、大戦役「佐敷川の戦い」を終焉に持ち込んだのだろうか。






後方撹乱作戦scene

「―――新侯王、恐るべき人材だね」

 西海道屈指の堅城――隈本城の天守閣にて、ひとりの少女が城下を見下ろしていた。
 十二月八日より始まった佐敷川の対陣は今日で十日目に突入している。
 この間、人吉戦線は動いていない。
 相変わらず、両軍が数町を隔てて睨み合っており、焦れて親晴が一度仕掛けたが、川を渡りきる前に激しい銃撃を受けて撤退していた。
 天草戦線は聖炎国にとって、もはや止めようもないほど崩れ立っている。
 二日前に壱岐城が陥落し、≪朱地に黒の遠山≫を掲げた燬峰軍団は下島最後の拠点――富岡城に押し寄せている。
 富岡城は海に面した城であり、五島列島を支配下に置いた燬峰水軍が海に展開して完全包囲態勢だった。
 龍鷹軍団は上島に上陸し、部隊をふたつに分けて北と南の要衝を攻撃中だ。
 こちらは本国からの増援が間に合い、向こう数ヶ月陥落する気配はない。しかし、龍鷹海軍は八代湾を完全に支配下に置いており、一度は機敏な動きを見せた聖炎水軍は身動きを封じられていた。

「―――珠希様、夜は冷えます。お体に触られます故に、どうか中へ」

 聖炎国第一王女・火雲珠希は控えていた侍女にそう言われて振り返る。

「大丈夫。それに父上はこの寒空の中、野営しておられる」
「それは殿だから、武士だからにございます。珠希様は大事な大事な子を産む体にございます」

 男勝りな姫を小さな頃から育ててきた侍女はそう簡単に引き下がらない。
 いや、むしろ引き下がらなかったからこそ、彼女は珠希の傍に仕えていられたのだ。

(主君の意見に唯々諾々と従う臣下はいらない)

「だからこそ、父上は名島の叔父貴にも好き放題言わせている」
「は? なんぞ申しましたか?」
「なに、独り言だよ」

 侍女にそう告げ、彼女が持っていた上着を取ってやる。
 満足そうな視線を背に受けながらそれを羽織っていると、侍女は話を変えてきた。

「しかし、龍鷹軍団の街道封鎖の影響か、最近、ますます前線の情報が入ってきませんね」

 頬に手を当てため息。

「特に人吉戦線など、親晴様が後詰に成功したという報告以来、さっぱりでございます」

 親晴の名前にピクリと珠希の耳が震えた。

「親晴様のことですから、大事ないと思いますが、やはり情報がないと不安でございますね~」
「・・・・ッ」

 侍女は世間話のつもりだったのだろうが、珠希はそれどころではない。
 声を大にして言いたいほど、彼女は義兄が嫌いである。
 自身の武勇を鼻にかけ、珠希が女でありながら武芸をたしなむことを蔑み、毎度毎度留守居を命じられる度に歪む喜悦の口元など、見るに堪えぬ醜悪なものだ。

(あの者が聖炎国を継ぐなど・・・・とうてい耐えられない)

 父の後は親晴が国王になるが、彼女は彼が治める国に居座る気はなかった。

(虎熊・・・・は論外。せめて銀杏に嫁ぎたいもの。いいや、この際、龍鷹侯国でも嫌とは言うまい)

 長年戦い続けてきた聖炎・龍鷹両国は下手な同盟軍よりも両軍の部将を知っている。
 故に、龍鷹軍団は女性に寛容であり、数人の女性武士が存在することも知っていた。

(もっとも、龍鷹との婚儀が成立するには、講和して和睦条件となるしかないけど)

「そんなこと・・・・ありえないと―――」

―――ドォン!!!!!

 突然、轟音が隈本城をひっぱたき、島原湾に光が走る。
 それはすぐに広がり始め、隈本城下ではなく、白川の対岸数里、緑川河口付近を染め上げた。

「な、な、な・・・・」

 珠希は言葉にならない声を発し、目を見開く。
 闇に浮かぶ光はすぐに火と分かった。
 燃えているのは緑川河口にある住吉港だろう。
 住吉港は聖炎国の主要港湾のひとつであり、弾薬が貯蔵されている。
 それが爆発でも起こしたのだろうか。

「珠希様! あちらをご覧ください!」

 音に驚き、欄干に手をかけて火の手を見ていた侍女が、とある方向を指さした。
 そんな彼女の顔は今にも倒れそうなほど蒼褪めている。

「あ・・・・」

 視線を移せば、沖合には百を超える光源があった。

「あれは・・・・松明・・・・。海に、ということは・・・・ッ」

 少女は至った思考に驚愕し、身を震わせる。

「―――申し上げます! 沖合に見えしは龍鷹海軍の艦艇! 住吉の火は撃ち込まれた大砲を出火要因としています!」

 天守閣に第一報が入った。
 聖炎軍団は隈本城と宇土城の間に、烽火や発光信号のようなものでやりとりする機構を備えており、その情報伝達速度は当時の最高級だ。
 しかし、その精度を、珠希は疑いたくなった。

「ただの鉄弾でどうやって炎上させる!?」

 当時の砲弾は鉄の塊であり、現代のように爆発しない。

「分かりません! ですが、このままでは弾薬庫に延焼する可能性も―――」
「―――続けて申し上げます!」

 ふたりめが駆け込んできた。

「住吉港に敵軍が上陸を開始! その背には≪新緑に臙脂の抱き茗荷≫。天草を攻撃していた鹿屋勢です!」
「よ、"翼将"・・・・? ここで来る!?」

 だから、鹿屋家は"翼将"と呼ばれるのだ。
 その現実に直面した珠希は絶句し、その驚愕は隈本城をひっくり返したような大混乱と同調していた。



「―――何度も強襲揚陸訓練をしていてよかった」

 住吉港に上陸した鹿屋利孝は、混乱なく前進していく手勢に満足していた。
 彼ら大隅勢は大隅の海岸を使って、海軍と共同訓練を行っている。
 それは本来、占領された奄美大島などへの逆上陸を果たすためであったが、その敵前上陸を前提とした練度は、艦砲射撃でほぼ無人と化した夜間の住吉港でも発揮された。
 この揚陸作戦に投入された輸送艦は約五〇隻であり、平均積載量は七〇〇石だ。
 武器弾薬や馬、糧秣など全て輸送し、なおかつ二〇〇〇名もの陸軍を派遣している。
 それは利孝が率いる総戦力に等しい。
 侵攻時、二五〇〇近くいた大隅勢も牛深維持部隊と損耗によって二〇〇〇まで減っていたのだ。
 それでも、龍鷹軍団との決戦に兵力を抽出した隈本、宇土地域にこれを撃退する予備兵力はなかった。
 先遣隊は宇土城下に迫っていたが、宇土城からの反撃はなく、ただただ城門を閉じるのみということだ。
 また、気になる隈本城だが、男勝りである火雲珠希も城内の混乱を収めるに収められず、出撃する気配はないという。

「殿! 陸兵は全て上陸を終えました。海軍は一部の艦艇の残し、隈本港に駐留する水軍戦力を殲滅するとのことです」
「分かった。また、よろしくお願いします、と伝えてくれ」
「はっ」

 海軍の仕事は八代湾だけでなく、島原湾の制海権を握ることである。
 今回、西海道西方方面を担当する第二艦隊の艦艇だけでなく、西海道南方方面を担当する第一艦隊主力、西海道東方方面を担当する第三艦隊の一部が投入されており、その戦力は数百艘に上る。
 隻数だけで言えば、小舟を主力とした伊予水軍に匹敵し、一戦線に投入された隻数として最大規模となるだろう。

「―――申し上げます! 宇土城に街道封鎖の気配なし! 城門を閉じ、城を保持することに固持する模様!」
「続いて隈本城です。三桁を超える戦力の出撃は認められませんが、しきりに物見を放っており、我らの進路を見極めようとしているようです」

 南北に放っていた物見の報告を受けた利孝は両城の対応に満足した。
 おそらく、城主は元より、戦略級判断が可能な家老は残っていないのだろう。
 故に、留守居を任された部将たちは、本当に城の留守を成し遂げるという最低目標を掲げているのだ。

「これより進撃を開始する! 薩摩街道を南下、聖炎軍団主力後方を遮断する!」

 居並んでいた諸将は力強く応じ、内陸に侵攻した後、小休止していた軍勢を動かすために各々の円居へと帰って行く。

 龍鷹軍団が宇土地方に上陸し、南下を開始す。
 この情報は聖炎軍団の火雲親家、親晴親子に正しく報告された。
 それは戦線の膠着を打破する劇薬となって、両戦線を刺激する。
 親晴は人吉城に戦力を入れ、後詰部隊を引き上げる決意をした。
 八代城を封鎖されれば、三つある人吉への主要街道が全て封鎖されることとなる。
 それは後詰部隊が封じられることを意味しており、何としても阻まなければならなかった。
 龍鷹軍団の主力が佐敷川に展開している以上、人吉城攻略部隊は三〇〇〇より増えることはない。
 となれば、それだけの戦力で人吉城を攻略することはできないので、親晴率いる二〇〇〇は引き上げてもいい。
 その引き上げた戦力で鹿屋利孝を撃破するのだ。
 鹿屋勢は確かに聖炎軍団の後方を遮断した。しかし、一度破れれば敵中に孤立することになり、それはほぼ壊滅することに他ならない。
 そんな危険な戦略を実行する剛胆さに驚嘆するが、"翼将"を討ち取る絶好の機会だ。
 鹿屋家は内乱で長男・信直を失っており、この戦いで利孝を失えば、龍鷹軍団首脳部が持つ作戦指揮能力に疑問を抱くに違いない。
 うまく誘導すれば、大隅を離反させられる可能性があった。
 故に親晴は人吉城守備隊を城内へと帰し、自分たちも陣払いを始める。
 途中、佐久勢が付け入る気配はなく、ほぼ一日をかけて球磨川北岸に渡河した親晴は一気に北上を開始した。
 その決断に対する報告は事後承諾の形で親家に届けられる。
 報告が親家に届いた時、親晴はすでに球磨川を渡河していたのだから、親家は苦虫を噛み潰したような顔で唸り声を上げるしかなかった。

「若殿はいったい何を考えている!」

 聖炎軍団主力部隊の本陣で、名島景綱は膝を叩いた。

「御館様の許可なく軍勢を動かすなど、言語道断だ!」
「しかし、名島殿。親晴様の決断は的を射ています」

 国木田が地図を見下ろしながら言う。

「このまま八代城が無効化されれば、我々は退路を失います」

 このままでも人吉戦線で負けないならば、その戦力を引き抜いてもっと旗色の悪い場所に投入する。
 確かにそれの戦略的判断は正しい。
 しかし、聖炎軍団の総大将は親晴ではなく、親家なのだ。
 その総大将に話を通さずに移動するなど、越権行為である。

「景綱、今はそれを言うときではない。確かに制度上は越権だが、親晴の決断は正しい」

 親家は組んでいた腕を解き、戦評定に集まった部将たちを見遣った。

「龍鷹侯国によって断片的にしか伝わらない情報は、戦略的にきわめて不利な状況にあることを示している」

 聖炎国が掴んでいるのは、天草戦線はほぼ崩壊し、龍鷹軍団の好きにさせていること。
 龍鷹侯国と燬峰王国が同盟を結び、聖炎国の対外戦争は西にも敵を持ったこと。
 鹿屋利孝率いる二〇〇〇が住吉に上陸し、宇土城は何の手出しを出すこともできずに薩摩街道を南下させたこと。
 これらの情報が龍鷹侯国に見逃され、この本陣に届いたということは、主力軍の後方に布陣している戦略家はこう考えているのだろう。

(決戦など、不要・・・・)

 ここで聖炎軍団は主力を反転させなければ領内に大きな爪痕が残る。
 すでに住吉港は焼き払われ、人気のなくなった宇土城の城下町には放火された。
 宇土城下は隈本、八代に次ぐ重要な都市であり、その喪失は聖炎国の経済に打撃を与えている。

(龍鷹侯国の目的は『威信回復』、そのための目標が『人吉城奪還』だと考えていたのは・・・・あの子どもを甘く見ていたのか・・・・)

 鷹郷忠流の目的は『威信回復』で間違いない。しかし、その手段は『人吉城奪還』だけではなかった。
 聖炎国首脳陣が『人吉城奪還』と考えていることを予想し、その通りに兵を進める。そして、予定通り出撃した後詰部隊を人吉にて拘束する。
 さらに隙を衝いた電撃戦で水俣・津奈木・佐敷の地域を無力化、聖炎軍団主力を誘引する。
 ここで主力が拘束された聖炎軍団は急襲された天草諸島に後詰を送る余裕がなく、電撃作戦を見抜けなかった国木田政恒は敗北。
 龍鷹侯国と燬峰王国の同盟も衝撃となり、天草戦線は崩壊した。
 天草諸島を燬峰軍団に任せた"翼将"・鹿屋利孝は海軍の援護を受けて宇土地方に上陸し、南方に集中した聖炎軍団を挟撃せんと南下を開始する。
 ここが現在の状況だろう。
 そして、忠流が思い描く先は、聖炎軍団の主力反転による決戦回避。
 それは佐敷城、水俣城だけでなく、人吉城をも放棄することになり、聖炎国は南方行政区の三つを失う結果となるはずだ。
 両勢の損害は軽微だが、龍鷹侯国は領土と名声を得、聖炎国はそれを失う。

「・・・・ッ」

 最初から最後まで、聖炎軍団は鷹郷忠流という戦略家の掌に踊らされていたのだ。

「会わなければ・・・・」
「「は?」」

 ポツリと呟いた言葉に、名島と国木田は怪訝な声を返す。

「陣払いする。龍鷹軍団と手打ちにして撤退するぞ」
「な!? それは!?」

 国木田は大いに慌てたが、軍部を統括する名島は大きく息を吐いて心を落ち着けると、静かに問うてきた。

「条件は?」
「人吉城の返還及び天草諸島の放棄を条件として龍鷹軍団の撤退を要求する」
「・・・・それは佐敷、水俣を手放さず、津奈木を返還せよ、ということですか?」
「ああ」

 虫のいい条件だろう。しかし、龍鷹侯国に水俣から佐敷に至る領土を新しく統治する余裕はないはずだ。
 目的が『威信回復』ならば、この条件で十分に果たせるはずである。


「―――申し上げます!」

 佐敷川南岸、鷹郷忠流本陣。
 ここに従流勢より伝令が駆けてきた。そして、そのまますぐに忠流の前に通される。

「聖炎軍団より傘を回して軍使が到達。和議を結びたい故、川の中州にて首脳会談を行いたいとのこと」

 伝令は忠流の前に片膝を衝くと、一気に言上を宣った。

「・・・・へぇ」

 女のような顔にニヤリと笑みを浮かべた忠流は脇に立っていた幸盛を見上げる。

「思ったより早かったな」
「現実的な考えをなさる方なのでしょう」

 幸盛は兵に指示を出してから忠流に向き直った。

「この場では敵わないので、いらぬ損害が出る前に手打ちしたいのでしょうね」
「ま、この作戦自体、龍鷹軍団の限界近いからな。ここで手を打ってくれた方が今後のためになる」

 忠流は立ち上がり、太刀持ちから太刀を受け取る。
 ここ数ヶ月で成長した忠流は、どうにか兄・実流の形見である太刀を佩けるようになっていた。
 本来ならば、この太刀は源丸に授けるべきだったが、当の本人が太刀の代わりに海軍をもらいたいと言ったので、太刀は忠流の物となっている。

「さあ、敵の首領の顔を拝みに行くとしようか!」

 そう言って、一歩踏み出した忠流の体がふらりと揺れたが、彼は何事もなかったかのように歩き出した。



 鵬雲二年十二月二一日、肥後国葦北郡佐敷川にて、龍鷹侯国侯王・鷹郷侍従忠流と聖炎国国王・火雲肥後守親家は面会した。
 場所は佐敷川の中洲であり、両陣営の屈強な士分が二〇名ずつ参加する会談だ。
 両岸には両軍の主力軍が睨み合っており、緊迫感漂う会場となる。
 何せ、中洲で何かあれば、両軍がいきなり激突することとなるのだ。
 本来であれば、中立勢力である寺社仏閣の立ち会いがあるが、今回は一切なし。
 両者が集まり、会談が始まったのは申の刻だった。
 これにより、肥後南部全土に広がりを見せた戦闘は終結に向かう。
 関係者の誰もがそれを疑わなかった。



「非戦、不戦・・・・。ここまでのことをして、都合がいいにもほどがあります」

 彼女は佐敷川に布陣した、両軍併せて二万の主力軍を見下ろしていた。
 場所的には佐敷川北岸に位置し、真南に直進すれば河口に位置する場所に彼女は立っている。
 手には鈴がついた腕輪――釧を握り締めていた。
 彼女は鈴の音で人の心の闇につけ込み、いくつかの不可解な事件を起こしている。
 鷹郷貞流による鷹郷朝流暗殺事件。
 佐々木弘綱による鹿屋信直を囮にした迎撃戦術。
 <龍鷹>継承後に行われた鷹郷忠流と鷹郷貞流の一騎打ち。
 この全てが、彼女の鈴による精神操作だった。
 黒嵐衆が彼女を追い求めて捜査を進めているが、彼女は内乱以後ほとんど動いていない。
 元々、手がかりは皆無に近いのだ。
 如何に忍びと言えど、真相に辿り着くのはまだ先だと言えた。

「両軍の主力が数町を隔てて向かい合う。これは決戦しかないですよね?」

 彼女は背後に控えていた男に問いかける。しかし、男は沈黙を返すのみで言葉を発しなかった。

「にょ!?」

 代わりに彼女を抱き抱え、木々の茂る森へと駆け出す。
 木の枝を足場に移動するが、全く音を立てない移動方法で、彼女たちの気配はかき消えた。

「―――――――」

 誰もいなくなったその場所に一陣の風が吹く。
 彼女たちが姿を消してから十数秒、その場所に黒装束の人間が数人降り立ったのだ。

「頭、誰もいません」
「むぅ・・・・」

 頭――霜草茂兵衛は部下の報告に唸り声を上げる。

「確かに霊力の波動を感じたのだが・・・・」
「しかし、薩摩ならばともかく肥後にまで出張っているとなると・・・・」
「先代暗殺はやはり・・・・」

 腕組みする茂兵衛の周りにいる部下は黒嵐衆の中でも腕利きの忍びだった。
 もし、茂兵衛直卒の部隊でなければ組頭を拝命しているような逸材だが、彼らは侯王勅命の任務に従事している。
 すなわち、鷹郷朝流暗殺事件の解明と、真犯人の検挙。

「聖炎国が関わっているかどうかはまだ分からない。憶測で状況を整理するといざという時に思考の柔軟性を失うぞ」

 注意を促した茂兵衛はすぐに周囲の捜索に忍びを派遣した。










第二戦第四陣へ 龍鷹目次へ 第二戦第六陣
Homeへ