終戦「鈴の音」



「―――月が・・・・赤い・・・・」

 巫女装束の少女が空を見上げて呟いた。
 常人が同じ視界を共有したとしても、月は赤くない。
 彼女が持つ視覚のみが月を赤く染め上げていた。

「でも、いい月夜ですね」

―――シャンッ

 彼女が鈴を鳴らす。
 その音色は不思議とかき消えることなく、やや喧噪が響く霧島山を駆け巡っていった。

―――シャンッ

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 鈴の音に釣られるように、彼女の背後にひとつの影が立つ。

「首尾は?」
「上々」

 短く問うたものにまた短く答えられ、彼女はにっこりと笑みを浮かべてとある屋敷を見下ろした。

「ならば、あなたはもう用済みですね」




 霧島山。
 大隅国と日向国の国境にまたがる火山群の総称であり、霧島連山や霧島火山群などと呼ばれる。
 古くから聖地として整備され、温泉が発見されてからは観光地としても名を馳せていた。しかし、霧島神宮が管轄している領域については一般人の立ち入りは厳禁とされ、龍鷹侯国と言えど、無許可で入ることができない。
 言わば、戦国時代に入って無視されてきた不入の権利を未だ行使している領域である。
 内乱で壊滅しても、それは変わらず、薩摩や大隅、日向などから集めた寄付金を元に、復興工事が行われている。
 最も、資金の過半数は滅ぼしてしまった龍鷹侯国が支払っていた。
 代替わりして、ほぼ実力で侯位を継承した龍鷹侯王でもそれは変わらない。

「―――いい社じゃ。伊勢にも匹敵しようぞ」
「お戯れを。所詮は田舎神社です」

 鵬雲二年の年の瀬が迫った今日、霧島神宮の境内に、昶と紗姫の姿があった。
 ここは龍鷹侯国の聖域として、もっとも霊力が安定している場所である。
 故に、肥前派遣部隊を見送る時に倒れた忠流が再び霧島に収納されていた。

「いやいや。社の造詣ではない。この地に流れる気は心地よい。これならば侍従もすぐに回復するであろ」

 隻眼の少女は気持ちよさそうに風に当たっている。
 彼女はこの列島国家におけるトップの巫女だった経歴を持つ。
 半身が神装である紗姫とは違い、生身の高位巫女だ。

「・・・・だと、いいですね」

 そっと目を伏せ、紗姫は忠流が眠る屋敷へと視線を向ける。
 そこは近衛衆による厳重な警戒態勢にあった。
 参道の入り口から要所要所には近衛衆の部隊が駐屯し、この本殿近くにも加納近衛大将猛政率いる本隊が駐屯している。
 さすがに聖域管理地域などには進出していないが、霧島騎士団は不満を露わにしていた。

「医者の話では霊力は落ち着いているのだろう?」
「霊力面は大丈夫でも・・・・体力面はどうしようもありません」
「早く起きてもらわねばのぉ・・・・」

 昶は眼帯で隠れていない目を細め、錦江湾を見下ろした。
 そこには佐敷から引き上げてきた輸送艦隊が航行している。
 兵力が戻り、平時を取り戻しつつある龍鷹侯国は、国家元首なしで佐敷川の戦いの後処理に追われていた。






「―――う、あ・・・・」

 所変わって霧島内に設けられた鷹郷忠流の病室。
 彼は霧島に運ばれてからも高熱にうなされていた。

「はぁ・・・・うぅ・・・・はぁ・・・・」

 白磁の肌を持つ頬も、赤く染まっており、その曲線を玉の汗が流れ落ちる。
 元々華奢だった体からさらに肉が落ち、長い闘病生活を思わせた。
 事実、今回の不調は長い。
 佐敷川の戦いによって発症した高熱が今も続いているのだ。
 最も効果的と思われる霧島神宮への移送という切り札を切った以上、医師団にできることはもうない。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 その夜も、龍鷹軍団が誇る近衛衆が周囲を警戒する中、忠流は用意された一室で寝ていた。
 彼の意識は戻ったり、戻らなかったりのため、栄養補給は充分にできていない。
 このため、ただでさえ華奢な体はやせ細り、快復したとしても日常生活に戻るには時間がかかるだろう。
 だが、弟は自分でなければ侯国は侯国でなくなると言った。
 兄を殺して手に入れた侯王の座を、無責任に投げ出すなど忠流にはできない。
 だから、忠流は必死に生きようとしていた。

―――シャンッ

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 全ては龍鷹侯国を混乱に陥れ、覇道を歩まざるを得なくした『鈴の音』を捕らえるために。

―――シャンッ

「・・・・す、ず・・・・?」

 静まり返った境内に、屋敷に、霧島中に鈴の音が響き渡る。
 同時に喧噪が伝わってきたが、それはあまり気にならなかった。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 ふわふわと不思議な感覚が体に満ち、忠流はむくりと体を起こす。そして、枕元に置いていた太刀を握って立ち上がった。

「ははっ、これはまずいな」

 体力が落ちた体で立ち上がれるとは、体が操られているようだ。
 膨大な霊力を保有している忠流だが、それは今乱れている。
 大軍も規律がなければ烏合の衆となるように、今の忠流は霊的攻撃に対して無防備だった。

「幸盛は・・・・?」

 こんな時のために、別室に御武幸盛が控えているはずだ。
 忠流は隣に襖を開ける。
 どうやら、操られていると言うより身体能力が補完されているだけのようだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なるほど」

 襖の向こうには寝息を立てる護衛たちがいた。
 燬羅結羽に追い詰められた時と同じらしい。
 あの後、幸盛たちに霊能士を集めさせていたが、『鈴の音』は彼らよりも数段上らしいかった。

「いや、違う・・・・。この煙か・・・・?」

 視界の闇がわずかに紫色を孕んでいる。
 ここに加納猛政がいれば、鷹郷実流が事切れた鹿児島港を思い出すだろう。しかし、彼は今、この屋敷とは別の建物を本部としていた。
 そう、霊能士たちは霊術に負けたのではなく、この紫煙に無効化されたのだ。

―――シャンッ

「・・・・分かってる。そう焦るな」

 耳元に響いた鈴の音にそう返し、襦袢の帯に太刀を差して外に繋がる障子を開け放つ。

―――シャンッ

「あそこ、か」

 呼んでいるのだろう。
 忠流には鈴の音の音源が手に取るように分かった。
 因みに、障子の前に布陣していた数名の近衛も昏倒している。
 彼らは龍鷹侯国が誇る精鋭であり、これらを手玉に取る『鈴の音』は手強い相手なのだろう。

「郁も、ダメだろうな」

 忠流は境内に出て、静まり返った屋敷を振り返った。
 護衛の近衛はおろか、近侍すらいない状況でも忠流に焦りはない。

「さって、行くとするか」



 それから、忠流は馬も使わずに下山を始めた。



「―――やっと・・・・着いたッ」

 膝に手を当てて、荒い息をつく。
 忠流はようやっと、目的の場所に辿り着いた。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 如何に身体能力が補完されていたとしても、先程まで床に伏せっていた忠流にとって、この行程は辛い。しかし、どうしても辿り着かねばならなかった。


「―――そんなに必死になって、どうしたのですか?」


 両膝に手を乗せ、前屈みで荒い息を吐いていた忠流に声がかかる。

「・・・・っ、お前・・・・ッ」

 声に反応し、忠流は力を振り絞って顔を上げた。
 その視線の向こうで『鈴の音』と思しき影は、真後ろが崖というのに悠然と構えている。
 声色やシルエットから判断する女。
 長い髪は風に遊ばれ、着物の裾がはためいている。
 そして何より、その小さな手がひとりの男の顔を掴んでいた。

「それは・・・・」

 男の顔を確認しようとした時、ちょうど今まで隠れていた月が雲の中から現れる。そして、月明かりに照らされた彼には見覚えがあった。

「霜草・・・・久兵衛・・・・」
「ああ、そのような名前でしたね」

 パッと手を離すと、完全に脱力した久兵衛の体は地面に倒れ込む。
 その体からはすでに御魂が離れており、凄腕の透波があっけない最期を遂げたことが分かる。

「仲間じゃなかったのか?」

 霜草茂兵衛が集めた情報によると、鷹郷朝流暗殺未遂の犯人は久兵衛だ。
 最もあの庭を襲撃しやすく、そして、毒にも詳しい彼ならば容易だったに違いない。
 誤算は朝流の体力だった。
 一命を取り留めた朝流はより厳重な警備の下、静養を開始。
 そこで、『鈴の音』は貞流を操って亡き者にしたのだ。

「仲間? 下賤な忍びの輩が・・・・仲間? ふ、ふふふ」

 それを一瞥し、邪魔とばかりに蹴り転がした。

「貴様・・・・ッ」

 死者を虐げることは、例え相手が敵とは言え許されることではない。

「びっくりしましたか?」

 シャランと鈴を鳴らし、忠流を見遣った少女は冷ややかに笑った。
 着ている服は一般的な巫女装束だが、その口元は布に覆われており、人相は確認できない。
 それでも、彼女の声は知っているような気がした。

「正直、な。もっとおとなしい奴だと思ってたぜ」
「この眼もびっくりでしょう?」

 巫女はそれまで閉じていた目を開ける。
 そこには紫色の光を放つ瞳が隠されていた。

「この瞳が伝えることこそ私の正義。そのためならば、私は何だってしますよ」

 彼女は小さく鈴を鳴らして両手を広げる。

「熊の東征を開始させ、牙の抜けた国々の主を暗殺、内乱にて鷹の目を覚まし、炎との戦いで筑紫全体を活性化させる」

 虎熊宗国の山陰・山陽並進作戦。
 肥前国講和会議襲撃事件である竜造寺の変。
 鷹郷朝流暗殺事件から龍鷹侯国の内乱。
 佐敷川の戦いにおける決戦誘因。

「それも全て、この国に落ちる影を祓わんがため」
「・・・・お前は、何を言っている?」
「その影を祓う鍵は、あなた」

 忠流の問いに答えることなく、『鈴の音』は続ける。

「だから、これからも幾度も会うことになるでしょうね」

 それは忠流に対する宣戦布告のつもりなのだろう。
 しかし、忠流は別のことを考えていた。



「分かった、俺はお前を正室として迎え入れよう」



 刻が止まった。

「な、何を・・・・ッ」

 超然とした雰囲気を放っていた『鈴の音』がうろたえる。
 少しだけ、幼い気配を漂わせた彼女は震える声で忠流に問うた。

「貴様、正気か?」

 熱病のせいで脳が溶けたのかと。

「正気も正気だ」

 忠流は自分の胸を叩く。

「俺は自分の意志で聖炎国との関係を変えた。それは鈴がもたらした効果じゃない」

 そう。
 聖炎国に向け、本格的な攻略軍を繰り出したのは忠流の意志である。
 確かに佐敷川の戦いでは決戦を回避しようとしたが、それはあの時点での決戦を回避しただけで、雌雄を決する決戦は数年以内に勃発したはずなのだ。

「俺は筑紫を・・・・いや、列島全土を変える、その道しるべとなる。それはお前の望みとも合致するだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 呆気にとられたのか、少女はパチパチと瞬きを繰り返す。
 闇夜に輝く濃紫色の瞳が、神秘的ではなく、可愛く見えた。

「私は・・・・あなたにとって仇ですよ?」
「別に珍しい事例じゃないだろう?」

 攻略された城の姫は、時に攻略した武将の妻となることがある。

「・・・・私はまだあなたに負けていませんが?」
「だったら勝ってやるよ。お前を見つけてやる」

 忠流はビシッと少女を指さした。

「こんな呼ばれる形ではなく、お前の行動を読み、『その姿である時に見つけて』やるさ!」
「な、な、な・・・・」
「じゃ、そろそろ限界なんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 言いたいことだけ言うと、忠流は電源が切れた機械のように動きを止める。そして、すぐに体勢を保てなくなり、受け身も取らずに顔面から地面に激突した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」

 『鈴の音』は万が一のことを考え、忠流から距離を取って従者に呼びかける。

「久兵衛」
「・・・・はっ」

 これまで死んでいた霜草久兵衛が唐突に起き上がった。

「行きますわ」
「御意」

 久兵衛を従えた『鈴の音』は徐々に術を解除しながら歩く。

「これから忙しくなりそうです」
「は・・・・?」
「龍を掲げた鷹の一族から鬼ごっこを申し込まれました」

 うつ伏せで倒れ伏す忠流を振り返った彼女は、そのオッドアイを楽しそうに揺らしていた。










第二戦第六陣へ 龍鷹目次へ 
Homeへ