第二戦「金色の龍による電撃戦」/三



 弁財船。
 これが列島に割拠する戦国大名が整備した、箱形の輸送艦である。
 喫水が浅いため、浅瀬に作られた港湾にも入ることができ、非常に使い勝手が良かった。
 また、全長に対して全幅が広く、大きさの割には積載量が大きく、また、操舵に必要な人員も少なく経済的だった。
 しかし、竜骨がないために沖乗りの性能が悪く、外洋に適さない短所もある。
 弁財船の大きさは「石」という単位で表され、例えば一〇〇〇石の積載量を誇る船を「一〇〇〇石積」と表現していた。
 一〇〇〇石積みとは、文字通り、一〇〇〇石(約180,000リットル)の物資を輸送できる、ということだ。
 重さにするならば、米一石は約150kgであり、米を満載すれば約150tの積載量を持つ。
 因みに龍鷹侯国では米俵一俵を四斗(約72リットル)で統一されており、その米俵一俵の重さは一六貫(約60kg)だ。
 つまりは米俵二五〇〇俵を積載できる輸送艦が「一〇〇〇石積船」である。

 ではこの輸送艦がどれだけの戦力を輸送できるのか。

 これは一〇〇〇石とは容積のため、実際にはこれより少ない結果となる。
 一〇〇〇石積弁財船の格納庫床面積は約100m2
 ひとり当たり、1m2とするならば、わずか一〇〇名の人員しか派遣できない。
 ただし、これは一日限定かつ武器弾薬や食糧を外した数値であり、一〇〇〇石積弁財船一隻が二〇日間の戦闘を予定した部隊を派遣する場合、その数は五〇名程度だろう。
 もちろん、これは水夫を抜いた数値である。
 ただ、数千の兵を輸送するためには数十隻の船が必要となることに間違いはない。
 実際に、日本三大奇襲のひとつである、厳島の戦いでは毛利軍における水軍戦力は数百隻に至っていた。
 これだけの隻数があれば、一〇〇〇石積船よりも小型であったとしても四〇〇〇~五〇〇〇と言われる毛利軍を輸送することは可能だっただろう。

 今回、龍鷹軍団が数度における海上輸送を行ったが、一度に行った輸送は約五〇〇〇である。
 単純計算で言えば一〇〇艘必要であり、武器弾薬を併せればさらに数十艘が必要となる。
 龍鷹海軍は軍船と輸送船を分けていたために、ひとつの海域に約百数数十艘の輸送艦とそれを守る数十艘の軍船が展開することになる。
 実際にはそれをはるかに多い数が投入されていた。
 一〇〇〇石積弁財船は大型輸送艦であり、如何に龍鷹海軍と言えどそう数はない。
 また、龍鷹海軍にとって、大型輸送艦は竜骨を持つ外洋輸送艦であり、これらは浅瀬に入れないために、沖合で短艇を下ろして乗員を輸送する。
 龍鷹海軍はこの戦いで民間から徴発した輸送艦を含めて大小併せて五百数十艘を投入した。
 恐るべき海上戦力だが、陸軍戦力が佐敷川に展開した以上、輸送艦の大半は役目を終えている。そして、輸送艦を警備していた海軍軍艦も、本来の役割である聖炎水軍の押さえ込みに入るはずだった。
 だがしかし、その軍艦の役割は失敗した。
 聖炎水軍本隊が護衛した聖炎軍団の輸送船団は無事に肥後田浦に到着し、聖炎軍団本隊の補給及び経戦能力の維持を成し遂げた。
 それは龍鷹軍団本隊が実施していた急進作戦の頓挫を意味する。
 龍鷹海軍は忠流の戦略を台無しにしたと言ってもいい大失態をどうして犯したのか。
 いや、忠流が笑って言った海軍の任務とは何なのか。
 それを語るには佐敷地方侵攻の一日前に戻らなければならない。






天草諸島攻略戦scene

「―――てぇー」

 十二月七日未明、牛深港沿岸にて、石火矢十数門による一斉射撃が開始された。
 砲門を開いたのは、いずれも龍鷹海軍第一艦隊に所属する安宅船だ。

「近弾なし! 全弾命中!」
「当然だぜ。この距離から外したなら、砲術員たちは全てクビだ」

 第一艦隊の旗艦でふんぞり返っているのは鷹郷源丸だ。
 隣に海軍卿もいるが、この船で一番偉そうにしているのは彼である。

「弾薬は使いすぎるなよ」
「分かっています。この砲撃は牽制以外のなにものでもありません」

 海軍卿――東郷秀家は着弾で崩壊した櫓を見ながら言った。
 そう、第一艦隊主力部隊の役割は牛深港を封鎖し、牛深城の陸軍戦力を拘束することにある。
 今頃、牛深城の本城である久玉城へと早馬が走っていることだろう。

「おもしろいねぇ。俺たち海軍が陸戦の趨勢を左右する、か」
「ええ、このような作戦、奄美大島奪還戦争でもありませんでした」

 海軍重鎮ふたりが唸る中、マスト上から声が降ってきた。

「烽火です! 久玉城より聖炎軍団が出撃! 色からその数は三〇〇~五〇〇!」
「こちらも中継船へ連絡! 『久玉城より敵勢三〇〇~五〇〇出撃! 今が好機!』と伝えよ」
「了解!」

 ほどなくして旗艦より新たな烽火が上がる。
 それは牛深地区に潜入させていた黒嵐衆の報告をさらに遠い場所へと伝えた。
 無線がない時代、烽火は最速の情報伝達技術だ。
 色や本数にて伝達内容を変えれば、意外なほど多くの情報を伝えることができる。
 それは地形に遮られない海上ならばさらに効果的だ。

「じゃ、頼むぜ、"翼将"」




「―――肝付勢は久玉城より出撃した敵戦力に横撃をかけよ! 主力はこのまま久玉城を落とす!」

 烽火の報せにより海上に待機していた輸送船団は久玉城へと敵前上陸を敢行した。
 久玉城は石垣を持つ、最古の海城としての歴史を持つ。
 龍鷹海軍による天草諸島上陸を阻み続けてきた堅城であり、北薩の戦いでも艦砲射撃に耐えていた。
 この城を落とすには牛深港に入港後、遠見山東方を走破していくしかない。
 敵前上陸など、久玉城鉄砲隊のいい的だ。
 だからこそ、海軍の艦砲射撃にて牛深港を攻撃し、陸兵を移動させた後に主力部隊が上陸したのだ。
 散発的な抵抗を排除した海兵が港湾部を確保すると、短艇に乗った陸兵が上陸。
 各曲輪向けて進軍を開始した。
 従来の籠城戦術が使えない以上、堅城の名が嘘のようにあっけなく陥落。
 本丸には龍鷹侯国の≪紺地に黄の纏龍≫が翻る。

「動揺激しい久玉城勢四〇〇を撃破! 討ち死に手負い合わせて一〇〇余名を残し、他は遠見山山中に退却しました」
「うむ、久玉城も損害軽微。守備兵を残し、我々も出撃するぞ」



 龍鷹軍団が牛深―久玉戦線に投入した陸軍戦力は一八〇〇。
 彼らは三〇〇を残して輸送艦に再び収容され、輸送艦は接舷からわずか三刻で抜錨した。
 久玉城陥落の報は天草諸島を駆け巡っているだろう。そして、本国が龍鷹軍団本隊に侵略されている以上、効果的な援軍は望めない。
 各地に散開して警備隊の役目を果たしていた兵は天草諸島警備隊の本拠地――本渡城に集結するために動き出していた。
 だが、龍鷹軍団もバカではない。
 今頃、中田湾中田港に四〇〇が上陸しているだろうし、一町田川河口にも四〇〇が上陸しているはずだ。
 前者は天草下島を縦断する主要街道の東側を走る補助街道を抑えるため、後者は西側を走る補助街道と主要街道との合流点を抑えるための上陸だ。
 どちらも大名が指揮する直属軍であり、円居としての精度は高い。



「ここまで来たか・・・・」

 人が消えた港に上陸した鹿屋利孝は呟いた。
 夜のとばりが降り始めているとはいえ、まだ日付は久玉城を落としたものと同じだ。
 陸軍の行軍速度は一刻二里だが、海軍のそれは一刻に十里だ。
 あっという間に利孝率いる大隅衆二〇〇〇を五色島正面の船着き場(現天草市舟津)に送り込んでいた。
 途中で龍鷹海軍第二艦隊が護衛してくれたからこそできた上陸戦である。
 数十隻に上る戦船や撃ち込まれる砲弾の嵐に、町民だけでなく、港湾警備隊までもが逃散したこの場所に、龍鷹軍団は無血上陸していた。
 ここから天草諸島を統治する本渡城まで約二里。
 今日の夜には辿り着く。
 海軍の前に聖炎軍団が頼む、天草諸島の急峻な地形が敗北したのだ。
 本渡城には未だ兵は集結しておらず、おそらく一両日中には攻略できるに違いない。

「殿! 港湾代官所を攻略。抵抗は軽微で、こちらに死傷者はありません」
「うむ。急ぎ兵をまとめ、我々も行くぞ」

 すでに先遣隊は本渡城向けて動き出している。
 本隊が急追せねば、城から打って出た敵兵力に思わぬ敗北を喫する可能性があった。



 龍鷹軍団天草諸島攻略部隊。
 これが鹿屋利孝が率いる南大隅衆の名称である。
 目的は部隊名通り、天草諸島の攻略だ。
 天草諸島はこれまで、龍鷹軍団の攻勢にさらされたことは数えるほどしかない。
 これは天草諸島北方は燬峰王国であり、聖炎国以外の軍事国家と国境を接することに、歴代の侯王たちが消極的であったからに他ならない。
 また、聖炎国も天草諸島の防衛は対龍鷹軍団用に整備しつつも、ここ数十年は更新されていない。
 龍鷹軍団を久玉城で迎え撃ち、天草諸島の軍勢を本渡城に集結させ、本国から来援した戦力で主要街道を下って野戦決戦を挑む。
 これが基本戦術だった。
 このため、主要街道の脇――特に西方に回り込まれたようには富岡城が詰の城として機能する。
 この富岡城は本渡城が万が一陥落した場合、上島方面からの増援を迎えた敵を挟撃するために作られていた。
 故に富岡城にも本渡城とは指揮系統が異なる部隊が集結している。
 数は五〇〇ほどなれど、聖炎国式築城術で築かれたそれは堅城だった。



「―――くそ、どうなっている!?」

 本渡城主・国木田政恒は城下町に現れた龍鷹軍団を見て怒鳴った。

「どうして奴らがもうここにいるのだ!?」

 その怒りを家臣に向ける。

「そ、それは・・・・どうやら、舟津に上陸してきた模様です。先程、港湾代官所の者が逃げて参りました」

 家老を務める男は、主君の怒りにビクつきながらも報告した。

「水軍はどうしていた!?」
「す、水軍は先の戦いで損耗しており、未だ再建ならずでして・・・・」
「ええい、役立たずめ!」

 国木田は途中で話を切ると、荒々しく物見櫓から降りる。

(これだから田舎大名は・・・・ッ)

 国木田は兄と共に親晴入嗣についてきた武将であり、出身は虎熊宗国だった。そして、天草諸島の防衛を任されたことから、地方に偏見を持っている。

「どれだけの兵が集まった!?」

 本丸に降り立った国木田はそこに控えていた、同じく虎熊宗国出身の家臣に問うた。

「おおよそ六〇〇です。集結できなかった兵は富岡城や壱岐城に行くように命じております」
「敵は?」
「おおよそ一五〇〇です。しかし、港湾部や上島との連絡路などにも兵が散っており、総勢で言えば二〇〇〇弱かと」
「おおよそ三倍強、か」

 物怖じしない返答に気をよくした国木田は本丸御殿に据えた本陣へと歩き出す。

「三倍であればそう気を病むものではない。この城は五倍の戦力にも耐えうるように作られているのだからな」

 本渡城は連山の東端尾根に位置し、標高76mの惣陣山を本丸にした山城である。
 本丸を三方から曲輪が取り囲み、本丸から南西及び南東方向はそれぞれ堀切と幅約8m、長さ100m以上の急な尾根となっていた。
 確かに久玉城の失陥は痛手だ。しかし、天草諸島の縦深防御は本国の縮図だ。
 そう簡単に、隈本城に相当する本渡城が陥落することはない。

「敵将判明いたしました! 本陣に翻る≪新緑に臙脂の抱き茗荷≫と"三階傘"の馬標、敵は鹿屋利孝率いる大隅衆です!」
「"翼将"の小倅か。ふん、内乱では同族争いを演じたという地方大名の代表とも言うべき存在だな」

 物見の報告に頷き、国木田は戦評定のために本丸御殿へと入った。

「龍鷹軍団は本国だけに飽き足らず、この天草諸島にまで押し寄せた。これは千載一遇の機会である。ひと思いに敵軍を粉砕し、二度と天草の地を踏めぬようにしてやろうではないか!」

 いかにも猛将という出で立ちの男の声に、指揮官たちは鬨の声を上げる。
 国木田が大広間に入った時、天草出身の部将たちが演説を繰り返していた。

「これ、佐山。殿の入室じゃぞ」

 後ろを国木田の後ろから家老が注意し、戦意を猛らせていた部将たちは落ち着かぬとばかりに音を立てて畳に座る。

(田舎侍どもが・・・・ッ)

 虎熊宗国の部将たちであれば、このように無駄に騒ぐことなく、指揮官の登場を待つだろう。
 演説を繰り返し、己を鼓舞するなど、敵を恐れている証拠に他ならない。

「これより戦評定を始める。まずは現状確認から」

 牛深港を砲撃した龍鷹海軍に誘われて出撃した久玉城の守備隊は久玉城敵前上陸した鹿屋勢の急襲を受けて壊滅。
 久玉城も守備隊を喪失し、短時間で陥落。
 鹿屋勢の別働隊は天草下島の街道を制圧し、久玉城を攻略した主力軍はその日の内に本渡城南東に上陸し、城を包囲した。
 これが十二月七日の出来事である。
 対して、聖炎軍団は本渡城に六〇〇、富岡城や壱岐城にも数百の後詰部隊が集結していた。
 下島南部の聖炎軍団三〇〇は街道を封鎖されたために戦力外だ。

「本国からの増援は龍鷹軍団主力軍を撃破しない限り、ありえません」

 そう決断した瞬間、高揚していた部将たちは沈黙した。
 敵はこちらの数倍であり、増援はない。
 そのような状況下において、独力で敵を撃破するしかない。だが、敵は高名な"翼将"である。
 その事実が冷水を浴びたような気分にさせていた。

「龍鷹軍団は現在仕寄を築いており、明日早々にも攻撃してくると思われます」

 家老は努めて無表情に宣ったが、やはり顔色は蒼褪めている。

「うむ、皆、聞いたように、本渡城は数十年ぶりに実戦の機会を得た」

 因みに数十年前に攻撃を行ったのは国木田の出身――虎熊宗国だった。
 それを棚に上げ、国木田は続ける。

「その折もこの城は陥落していない。敵が如何に当方の三倍強であろうと、な」

 自信満々に言った国木田はてきぱきと担当部署を決めていく。
 それは本当に的確だったが、一城で対軍と戦う場合に欲しい、城外戦力を作り出すことまでは頭が回らなかった。
 いや、回らなかったのではなく、最初から考えもしなかった。
 同僚の名島父子ならば、必ずしたこの一手。
 国木田政恒の敗因は、この城外対策の不備に集約することになる。



「―――かかれぇ!」

 十二月八日、龍鷹軍団主力軍が佐敷城を取り囲み、名島重綱と激突したこの日、鹿屋利孝は本渡城向け、総攻撃を開始した。
 本渡城は北を山、東西南の三方が崖となっている地域に築かれた山城だ。
 西から南にかけては町山口川が流れ、天然の堀として機能している。
 こちら側からの攻撃は川を越える時に鉄砲の射程域に侵入するために損害が多く、自然と攻撃正面は東側となる。
 そこで、本渡城は本丸から南東に向けて尾根が伸びており、ここで段階的に敵を受け止めるような縄張になっていた。
 ここに馬鹿正直に攻めるのは愚の骨頂だが、他の東側も多くが侵入不可能であり、攻略軍は敵の防衛正面から力攻めするしかなかった。

「前へ!」

 先鋒を任された侍大将が槍を振るい、その意を受けた物頭が組頭に命じ、竹束を抱えて前進を始める。
 竹束の後ろには鉄砲兵と弓兵が続いており、まずは射撃戦を行う手順だった。
 当然、高所に陣取る聖炎軍団からは丸見えであり、金比羅山を任された部将は柵から鉄砲を突き出させ、敵の接近を待っている。
 竹束の被弾経始は球形の鉛玉には最適であり、如何に撃ち下ろしと言えど貫通できるか分からない以上、無駄弾を撃つわけにはいかなかった。
 このため、ジリジリと接近する龍鷹軍団に対し、聖炎軍団鉄砲隊は伏せ撃ちの格好で火縄の燻る煙に眼を痛めながら待つしかない。

「まだ、待て! まだ撃つな!」

 目の痛みだけでなく、極度の緊張が鉄砲足軽の指先を震わせていた。

「撃てぇっ!」

 代わりに龍鷹軍団の鉄砲隊が火を噴く。
 制止した竹束の隙間から突き出された銃口から鉛玉が飛び出し、数十の弾丸が板盾に突き刺さった。
 木っ端を散らすだけで被害はなかったが、それが聖炎軍団鉄砲隊の我慢を限界に持っていく。
 応射するように聖炎軍団も火蓋切り、両勢の間に激しい射撃戦が展開された。
 その間合いは約二五間であり、竹束が貫通されるギリギリの距離だ。

「ええい! 止めぃ! 煙硝がもったいないわっ」

 装填と射撃を機械のようにこなしていた聖炎軍団鉄砲隊は物頭の声を受けてその手を止めた。そして、それを隙と見た龍鷹軍団は一気に寄せ出した。
 距離にして二五間(約45m)。
 急な崖であるために、ある程度距離を詰めてしまえば、鉄砲は乗り出さなければ攻撃できない。
 となれば、竹束の隙間から飛び出した梯子を持った兵たちを狙撃する暇はなく、彼らは崖下に容易に取りついた。
 鹿屋家侍大将の見事な采配と言えた。
 わざと焦らし、竹束有効防衛圏内にて射撃戦を行わせて損害を最低限に抑え、敵鉄砲物頭が不毛な射撃戦を中止した瞬間に押し寄せる。
 故に最低限の損害で崖に取りつくことができた鹿屋勢はさらに前進した鉄砲隊による援護射撃の下で次々と梯子を登り始めた。
 城方は曲輪から身を乗り出して槍を振るい、上ろうとする龍鷹軍団を突き落とす。しかし、その兵も狙撃されて崖下に転落した。
 そうした、血で血を洗う激戦が展開され、やがて兵力と援護射撃に勝る龍鷹軍団が防衛線を突き崩す。
 それは侵入した士分による霊術で板塀の一部が吹き飛ぶと、一気に龍鷹軍団は突入した。
 金比羅山曲輪にて白兵戦が展開され、士分は手槍を、足軽は打刀を振り回して戦う。
 狭い曲輪での戦いは決着はなかなかつかなかったが、龍鷹軍団が城門を突破すると、兵力差が如実に表れた。
 聖炎軍団は曲輪の放棄を決定し、一段上の円尾山曲輪の援護を受けて後退する。
 付け入りを狙った一部の部隊は敵鉄砲隊の射撃を受けて後退。
 龍鷹軍団も鉄砲隊を引きつけ、両者は再び射撃戦を始めた。
 攻城戦は射撃戦から侵入戦、侵入戦から白兵戦、白兵戦から後退戦・殲滅戦と推移し、ひとつの曲輪を陥落させると、次の曲輪へと進む。
 このように段階を踏んで推移していく。
 城方は曲輪を絶対死守するのではなく、想定する戦果を得られたないし、これ以上の損害は釣り合わないと判断した時点で後退するのだ。

「先鋒、須藤義一殿より伝令! 『金比羅曲輪を制圧。討ち死に手負い併せて六〇』とのこと」
「ふむ、まずまず」

 聖炎国が誇る堅城、本渡城の曲輪ひとつを制圧するのに被った損害としては少ない方だ。
 この進撃路ならば、金比羅山曲輪、円尾山曲輪、高尾山曲輪と続き、最後に本丸である惣陣山曲輪となる。
 ひとつの曲輪に六〇というならば二五〇名前後の損害で制圧できる。
 それは攻略軍の一割六分に相当し、かなりの損害だが、本渡城を相手にするならば少ない方である。

「そう、うまくはいかない、か・・・・」

 昼過ぎには円尾山曲輪を制圧することに成功したが、龍鷹軍団は先程利孝が予想した損害に達していた。
 つまり、円尾山曲輪攻防戦で、龍鷹軍団は二〇〇名近い死傷者を出したのだ。
 これは高尾山曲輪からの側射を喰らったことに起因する。
 高い塀を持つことはその曲輪自体を守るには効果的だった。しかし、陥落した後、攻略した部隊を攻撃するには籠城側の障害になる。
 本渡城の金比羅山曲輪は低い土塁を持ち、その外に逆茂木を置くことで進軍を阻み、土塁の上には柵を張り巡らせる。
 射撃戦は柵に立てかけた板盾を防壁にして戦う。
 城門も板門で防御力は低い。
 高石垣に、漆喰城壁が特徴である聖炎国流築城術とは思えないほど、だ。だが、それが罠だった。
 陥落した金比羅山曲輪とは比べものにならないほどの防御機構を備えた円尾山曲輪の攻略に手間取った寄手は高尾山曲輪からの側射をまともに喰らって被害を増大させるのだ。
 ただ守るだけでなく、城を攻撃道具にすり替える縄張術は、籠城戦術を基本とする聖炎国らしい築城と言えた。

「はっはっは! 見よ、龍鷹軍団の奴らは攻めあぐんでおるぞ!」

 本丸の物見櫓で戦況を確認していた国木田は大声を上げて笑ってみせる。
 その余裕の態度に本丸守備の兵たちは戦況の有利さを悟って安堵のため息をついた。

「はっ。さすがの龍鷹軍団も先の攻防戦で大損害を被ったと思われますな」

 家老は頭を下げ、円尾山曲輪に布陣した龍鷹軍団を見遣る。
 その快進撃は止まっており、高尾山曲輪攻防戦は聖炎軍団有利に推移していた。

「未確認情報ですが、先鋒を率いていた部将が負傷した、という目撃情報があります。事実ならば、先手を変更するのではないでしょうか」
「一度止まったならば、なかなか高尾山曲輪には寄せられんぞ」

 円尾山曲輪から高尾山曲輪までは細長い道が続いており、鉄砲隊の援護を受けにくい。そして、高尾山曲輪からは一方的に撃ちまくられていた。
 それでも龍鷹軍団は先手を交換し、国木田が示した躊躇などなく攻め寄せる。
 逆に対鉄砲戦を意識した寄せ方であり、損害は激減。
 城門に向けて丸太を叩きつけ始めた。

「・・・・高尾山には何人いる?」
「金比羅山、円尾山両曲輪の守備隊を併せて約四〇〇です。討ち死に手負い併せて約八〇です」

 敵に比べれば微々たる損害だが、やはり死傷者は一割を超えている。

「本丸からも兵を回せ。高尾山曲輪は死守する」
「はっ」

 国木田の命を受け、五〇名からなる戦力が高尾山曲輪へと向かって行った。
 兵力が増幅した高尾山曲輪攻防戦は激しさを増し、早朝から続く本渡城攻防戦は四刻を経過している。
 徐々に闇が迫ってきており、龍鷹軍団の攻撃もあと少しだという想いが聖炎軍団に奮闘させていた。

「鹿屋様、まもなく時間です」

 城東方へと本陣を進めていた利孝の下にひとりの忍びが舞い降りる。

「物見狩り、首尾良くいったな」
「というか、ほとんど仕事がありませんでした」

 忍びが高い身分を持つ武士に直接物を申し、その逆もなされた。
 内乱以前ならば絶対に見られない光景だったが、利孝は割り切っている。
 そもそも効率を求めるならば絶対に今の方がいい。そして、忍びとはいわゆる専門集団である。
 尊敬こそすれ、蔑む者ではない。
 この考えになれない幕僚たちは不満そうな顔をしているが、利孝は以前とは比べものにならぬほど早く伝わる情報に満足していた。

「退き太鼓を叩け!」

 利孝は立ち上がり、指示を出す。
 その時には忍びの姿は掻き消えていた。しかし、情報収集が仕事である忍びにとって、戦は専門外だ。
 故に、戦を専門職とする武士たちが動き出す。

―――ドーン、ドーン、ドーン

「退け、退けぇっ!」

 間延びした退き太鼓が戦場に鳴り響き、龍鷹軍団の攻め手が緩んだ。
 龍鷹軍団は高尾山曲輪を抜くことができず、潮が引くように退却を開始する。
 それを聖炎軍団はそれを追撃せず、足軽たちは疲れ果てたようにその場に座り込んだ。
 結局、両者は五刻の間もほとんど休みなしで戦っていた。
 疲れて当然である。
 戦っている時は疲れを忘れていたが、終わればどっとそれが出た。
 だから、座り込む足軽を注意する士分もなく、士分すらも槍に縋って立っている状態だ。
 それほどまでに、龍鷹軍団の攻撃は凄まじかった。
 まず、火力が内乱以前とは段違いだ。
 従来、龍鷹軍団の火力集団は総勢の一割だった。
 これは同時代の戦国大名と比較しても若干多いのだが、今回の鹿屋勢はそれを上回っていたに違いない。
 しかも、一般的な六匁弾を放つ火縄銃よりも大口径である大鉄砲を多数配備していた。
 これは海軍の火器を借用していたものだが、攻城戦に大いに役に立つ。
 石垣ならば効果は薄いが、板盾や塀、柵などは命中と共にその後方にいた兵諸共木っ端微塵にしたのだ。
 それでも突破を許さなかったのは、縄張が攻撃正面圧力を軽減する機構であったことが上げられる。
 もちろん、守り手が奮戦したこともあっただろうが、それだけでは守れなかった。


―――故に、本渡城の兵たちに、戦う力は残っていなかった。


「敵襲! 敵襲だぁっ!」

 龍鷹軍団による攻撃が終了してから四半刻。
 双方共に夕餉の準備をしていた時、それは起こった。
 突然、本丸に数十の兵が侵入したのである。
 高尾山曲輪は健在であるため、本丸守備隊は完全に油断していた。

「う、うわぁ!?」
「ぎゃぁっ!?」

 そこかしこで白刃が煌めき、松明が倒れる。
 突入した部隊は数人一班で行動し、このような戦いに慣れていることが分かった。

「ええい! さっさと討ち取らんか!」

 状況を理解できなかった国木田は手槍を握って本丸御殿から飛び出す。
 本丸の守備兵は龍鷹軍団の夜襲に備えて戦力を高尾山曲輪に送っていた。
 代わりに、高尾山曲輪攻防戦で疲弊した兵力を収容しており、彼らは爆睡の真っ最中だ。
 従って、変事に対応する戦力は侵入した戦力とほぼ同数だった。
 これでは、対応に苦慮するのは当たり前である。
 そもそも本丸が奇襲されることがおかしいのだ。

「いったいどこから・・・・」

 そう言って周囲を見回す国木田は無防備そのものである。
 手槍こそ持っているが、具足を着用しておらず、護衛の武者たちも似たようなものだ。
 これでは完全武装の武者集団に襲われてはひとたまりもない。
 それを知らない国木田ではないのだが、やはり奇襲に混乱していたようだった。だがしかし、襲撃者は当然冷静だった。

「―――そこにいるのは、本渡城城主・国木田政恒だな?」

 混乱していた足軽数名を霊力の爆発が吹き飛ばす。そして、舞い上がった砂塵の中から青年の声が聞こえた。

「だ、誰だ!?」
「肥前森岳城城主―――」

 砂塵の向こうから現れた、金髪塗鯰尾頭形黒漆塗大形輪貫前立兜を着用した青年は胸を張って名乗りを上げる。

「燬羅尊純、だっ」

 彼は名乗りと同時に手に持っていた大薙刀を振り上げた。






 鵬雲二年十二月九日、肥後国天草諸島の要衝――本渡城が陥落した。
 城主、国木田政恒は戦死し、高尾山曲輪に籠もった聖炎軍団は夜明けと共に降伏する。しかし、城を接収したのはこれまで攻めていた龍鷹軍団ではなかった。
 激戦痕残る本渡城に翻る軍旗は≪朱地に黒の遠山≫。
 肥前国森岳城に本拠を構える山岳宗教国家――燬峰王国。
 数十年ぶりに聖炎国の軍旗が引きずり下ろされた本渡城より、九日には軍勢が出撃した。
 総勢二〇〇〇を数える燬峰軍団は、残る天草下島の要衝――壱岐城と富岡城向けて進軍を始めたのだ。
 対して、龍鷹軍団は鷹郷源丸率いる使節団を残し、天草上島へと上陸する。
 ちょうどその頃、肥後国葦北郡にて東西に流れる佐敷川を挟み、龍鷹軍団と聖炎軍団双方の主力軍が対峙した。










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