第一戦「炎からのレコンキスタ」/二



「―――茂兵衛」
「はっ」

 十一月も下旬になり、ぐっと冷え込んでいた。
 そんな中、例にも漏れず、忠流は熱を出してぶっ倒れている。
 因みに都井岬からの帰途に発病したため、国分城に留まっていた。
 必要な作業は一足早くに帰還した従流が代行している。
 国分城に留まっているのは忠流を護衛する近衛衆と紗姫、昶だけだった。

「鈴の音の主、あれからどうだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 忠流が聞いた内容が内容だったためか、どこかに潜んでいた霜草茂兵衛が姿を現す。そして、忠流の枕元に平伏した。

「手の者に八方探させておりますが、一向に」
「そうか」
「やはり幻術関連故に、霧島・・・・紗姫様にご相談されるのがよろしかろうと」

 黒嵐衆は優秀な忍び集団だが、幻術を専門とした忍びは少ない。
 というか、真っ二つに分かれて内乱を戦った黒嵐衆も大勢の手練れを失っており、再建途中なのだ。
 だから、霊術の専門家であり、幻術などの直接的な攻撃力のない霊術でも知っていそうな霧島神宮に相談するのもひとつの手だった。

「ダメだ」

 しかし、忠流はその献策をほぼ即答で却下する。

「幻術の知識を持つと言うことは容疑者であることには変わりない」
「そ、そんな・・・・」

 謀略の世界に生きる茂兵衛ですら、忠流の言葉に衝撃を受けたようだ。
 霧島を疑っていると言うことは、紗姫を疑っていると言うことになる。
 ふたりのじゃれ合いにも似たやりとりを知っている者からすれば、忠流の考えは信じられなかった。

「何驚いてんだ? 奴も一組織の長、いろいろ思惑はあるだろう」

 特に紗姫が鹿児島城に住んでいる辺りが怪しい。
 紗姫は再建がほぼなった霧島神宮には戻らず、あそこには神官長代理を派遣するだけで自分は分祀された鹿児島城内に留まっている。
 尤も、分祀をして居座ってもいいと言ったのは忠流だ。
 その霧島騎士団が留守居戦力になると期待したのも本当である。しかし、本音を言えば、紗姫を手元に置くことで監視する。そして、強大な霧島騎士団を分散させ、その本体を鹿児島城に据えることで、近衛衆や宮内省直属鹿児島城守備隊、兵部省直属正規兵の監視下に置くことが目的だった。

「紗姫はこの重圧の中、帰ることもできた。でも、それをしなかった」

 ならば、この重圧に耐えるだけの意味が、国政の中枢にあるのだ。そして、その国政の中枢に打撃を与えた事件こそが鷹郷朝流暗殺事件に他ならない。

「雪乃は何も兆候は捉えられないと報告しているが・・・・奴も狸だからなぁ」
「雪乃も間諜だったのですか・・・・」

 雪乃とは霜草雪乃と言い、茂兵衛の妹である。
 内乱の縁で、今でも紗姫の護衛をしている。
 まさか、雪乃の残留を決定した忠流が、紗姫側の情報を探らせているとは思わなかった。

「とにかく、あの鈴は厄介だ。これから行おうと思ってる国土回復戦争まで邪魔されたら堪らない」

 体を起こして己の手を見下ろす。

(俺の寿命が尽きるまでに・・・・龍鷹侯国を万全にしなくては・・・・)

 そのために、長年の宿敵を打倒しなければならなかった。






嫁候補scene

「―――はぁ・・・・若はいつまでも変わらないな・・・・」

 大隅国の要衝――国分城。
 内乱で二度陥落するも、大きな損害が与えられなかったこの城は簡単な補修だけですんでいる。しかし、本丸まで戦い尽くした加治木城は再建されることなく、瓦礫を撤去した状態で放置されていた。
 元加治木城主である武藤家は垂水地方へと移封しており、加治木の地は直轄地となっている。
 尤も、年貢の管理などは鳴海家に任されており、鳴海家は五万石に加増されていた。さらに鳴海直武が陸軍卿であることから、さらに給料が加算されている。
 独力で約二〇〇〇の兵を集めることができ、他の与力衆を集めれば二五〇〇を率いることが可能だった。
 ただ、内乱の傷跡が大きいので、書類上、としか言えないが。

「父上もやはり若を持て余しているようだな」
「ふふ、そのよう。・・・・と言っても、最近では近衛に任せているようだけれど」

 鳴海盛武は本丸御殿の縁側で、忠流の従医である沙也加と話をしていた。
 小さい頃から知り合いのためか、沙也加は他の士分に対する言葉よりは砕けた口調になっている。

「鳴海家のこともあなたにお任せになったんでしょう?」

 盛武は直武が陸軍卿に就任したことで、鳴海家を継いでいた。
 このため、国分城主は盛武と言うことになる。
 盛武自身も兵部省の人間だが、一年中鹿児島城に詰めておかなければならないほど重職ではない。
 都農合戦のように主力軍が動かない戦いで軍監を担当するくらいだ。

「まあ、元々嫡男だったから、苦労は少ない。鹿屋家に比べれば、な」

 盛武は直武の嫡男であり、ずっと前から鳴海家を継ぐことが決まっていた。
 その時期が早まったとはいえ、家臣団からの反発はない。しかし、鹿屋家は大変である。
 鹿屋家の嫡男は鹿屋信直だったが、内乱で貞流方に付き、藤丸方の攻撃を受け、敗死してしまった。
 その代わり、内乱で鹿屋勢の指揮を執った鹿屋利孝は父親の利直が治部卿となったために家督を継いでいる。だが、名代として活躍したのは内乱だけであり、その決戦でも堅実な戦いぶりだったが、決して目立ったわけではなかった。
 また、鹿屋家は信直のこともあり、加増されることなく、本領安堵で家臣団の不満もある(実際には役職による給与があるため、実質的には加増されている)。

「龍鷹軍団は・・・・若返ったよね・・・・」
「ん?」
「だってそうでしょう? 侯王はまだ十四歳。その名代を務める従流様も十三歳。国内最大石高を持つ鹿屋家当主も二十代、次の鳴海家も十九歳。日向方面軍のまとめ役も二十代、と」

 指を折りながら数えるように言う沙也加。

「でも、最前線となる出水城将や大口城将は百戦錬磨の部将で、中央の卿たちは経験豊富な方々だぞ?」
「それでも、第一線に出る部将が大きく若返ったことは事実でしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・ごめんなさい」

 それはそれだけの犠牲者が出た、ということだ。
 特に中堅指揮官――三十〜四十代――の喪失は大きい。
 今の軍人の多くが二十代である理由もこれに直結する。また、内乱初期から戦い続けた鳴海家も多くの武将を失っていた。
 その中には盛武の側近に数えられる青年武将もいたのだ。

「・・・・これが戦だ、仕方ない。それに残された子どもたちも一方的に不幸な訳じゃないよ」

 忠流はこういった事情で家を保つことができず、仕方なく改易した家の子どもたちを呼び集め、鹿児島城で生活させている。
 いずれ、忠流子飼いの武将として活躍し、没落した家を再興させることだろう。

「子どもで思い出した」

 話を変えようというのか、沙也加は掌を打ち合わせるという仕草で言った。

「鹿児島城の重鎮たちは侯王の嫁探しで必死みたい」
「ぶっ」
「きゃあ!?」

 変わった話の内容に、盛武は思わず茶を噴く。

「げふげふ・・・・よ、嫁ぇ?」
「そう。正確には正室問題」
「・・・・ああ、なるほど」

 名家の御曹司というものは幼い頃から許嫁がいるものだが、忠流は三男であり、国分城に引っ込んでいたためにそんなものはいなかった。また、家臣団も微妙な力関係なので、内部から正室をとることはないと分かっている。
 このため、忠流の正室問題は対外問題と混ぜて、つまりは政治的問題に発展しているのだ。

「確か、燬峰王国の姫君が滞在してるんだっけ?」
「ええ、確か・・・・結羽様。侯王のひとつ下で、従流様と同じ年ね」
「使節団と来たって話だが・・・・何でまだ?」

 使節団は早々と引き上げている。
 元々、龍鷹侯国は燬峰王国との国交がなく、両者の間には天草諸島が立ちはだかっていた。
 燬峰王国は最近、五島列島を制圧した関係で、有力な水上戦力を有している。
 その水軍で龍鷹侯国まで来たのだろう。しかし、聖炎国も北薩の戦いで甚大な被害を受けたとはいえ、哨戒艇くらいはある。
 このため、頻繁なやりとりは不可能だった。

「侯王の話では、燬峰軍団は北肥前の豪族たちと真正面からぶつかる予定で・・・・敗北した場合、血筋を残すためにこの国に置いているのではないか、と」
「はぁ・・・・血筋を残すため、ね・・・・」

 燬峰国王からすれば、鷹郷家の誰かと婚姻すればめっけもの、ということだろう。

「そういえば・・・・」

 婚姻関連の話題で沙也加はもうひとつ思いついた。

「盛武殿は結婚しないの?」
「ぶっ」

 今度も盛大に噴いたが、予想していたのか、沙也加は距離取っている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
「いや、結婚。盛武殿も名門・鳴海家の嫡男で、もう十九でしょう? 遅いくらいじゃない?」
「あ、あー・・・・いたんだけどな、許嫁は。会ったことないけど」

 盛武の許嫁は対中華帝国戦の折に父と兄を失い、悲嘆に暮れてその数年後になくなってしまった。

「一応、会ったことはないにせよ、許嫁だろ? だから、父上が三年は喪に伏せ、と」
「はぁ・・・・まあ、さっさと別の方と婚姻すれば、その方と家を蔑ろにするからね」

 婚姻は当人同士の問題ではない。
 家と家が結びつくため、両者の面子に関わるのだ。
 龍鷹軍団の重鎮である鳴海家と婚姻を交わすはずだった家も薩摩で有力な豪族だった。しかし、内乱では貞流に屈し、許嫁の伯父は最後まで貞流方として戦い、有坂秋賢と共に自害して滅亡している。

「―――その喪も開けたのだろう?」
「「―――っ!?」」

 後ろの障子が開き、その奧から忠流の声がした。
 そう、ふたりは忠流の寝室前で話していたのだ。

「若、もう立って大丈夫なのですか?」
「盛武、もう『若』じゃないと何度言えば分かる?」

 軽口を言い合うふたりの間を縫い、沙也加は忠流の脈を取る。

「ふぅ・・・・正常ですね。霊力の流れも安定しています」
「曲がりなりにも霧島山系は神域。その近くの国分城にあれば安定するさ」

 忠流は緩んでいた帯を結び直し、部屋の外に出た。

「う・・・・」
「その格好で外に出るの、寒くないですか?」
「寒いに決まってます! さあ、侯王、早く部屋に入って!」
「ああ、外の光を俺に・・・・ッ」

 反論虚しく、沙也加は容赦なく忠流を部屋に押し込む。そして、ピシャリと障子を閉めた。

「・・・・我が儘な若も、医者には勝てない、か」

 バタバタと暴れる忠流を抑えつける沙也加の声がする中、盛武はため息をつく。そして、数十人の足軽が訓練する三ノ丸へと歩き出した。

「しかし、嫁探し、ねぇ・・・・」



「―――こっち向きの景色は変わらない」

 紗姫は久しぶりに戻ってきた霧島で、いつもの光景を見下ろしていた。
 霧島神宮の再建は進んでいるだろうが、側近にいちいち口出しする気はない。
 というか、あいつならば喜んで自分色に儀式場などを染め上げていることだろう。

(ある意味、叛乱と言えないこともないかな)

 くすくす、と小さく笑った紗姫は背後に気配を感じて振り返った。

「―――このようなところに抜け出して・・・・護衛が見たら卒倒しけるぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・人のことが言えたクチですか?」

 巫女装束の紗姫とは違った、それでも仕立てのいい装束を着た昶が風に靡く髪を抑えながら微笑んでいる。しかし、これまで老獪な狸たちにもまれて育ってきた紗姫にはその笑顔が作り物だと分かっていた。

「妾には護衛がおる」

 彼女も作り笑顔だとバレているのは承知の上だろう。
 その上で演技を続けるのだ。

「朝廷・・・・いや、桐凰家には全国各地の情報を伝達する機関がある」
「いわゆる、朝忍ですか」

 朝廷の公家たちが地方に赴く時の護衛やその地方の情勢などを調べる機関だ。
 表向きは存在しない機関であるため、誰が頭目として指示を出しているか分からない。
 ただ、確かなのは高い情報収集能力を有し、天下統一に乗り出した桐凰家の快進撃を支えている、ということだ。

「私にも霧島騎士団が存在しますよ」
「でも、ここにはあらぬな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 霧島騎士団はあくまで武力だ。
 忍びのような隠密性は兼ね備えていない。

「それで、何の用ですか?」
「いやなに、ここに来れば『龍鷹侯国』を見られる、ということらしく、の」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 龍鷹侯国の象徴は霧島と錦江湾だ。
 霧島は霧島神宮を示し、その存在は鷹郷家の正統性と朝廷の繋がりを示す。
 錦江湾は薩摩国・大隅国を中心とした領国を意味し、さらには精強な龍鷹海軍を示す。

「確かにここならば見られますね」

 霧島とその象徴である"霧島の巫女"と錦江湾で訓練する海軍の艦艇。
 それらを視界に収め、京都盆地を本拠と置く桐凰氏の皇女は何を思うのだろうか。

(いや、何を考えているのか・・・・)

 忠流が調べた昶の情報は奇っ怪なものだった。
 昶は現桐凰家当主の長女であり、桐凰家が乱世に乗り出す前は伊勢国伊勢神宮の斎宮を務めていた。
 乱世が始まり、斎宮派遣は危険であると取りやめられていたが、止まない戦乱に厭いた朝廷は斎宮を再び派遣することで神道による願いを強化しようとしたのだ。
 この時、その安全を誓ったのは伊勢・志摩守護を仰せつかっていた七尾家である。
 七尾家は朝廷の貴族が伊勢に下向したのを始まりとし、朝廷に忠誠を誓う戦国大名だ。
 鷹郷家当主が「薩摩侍従」と呼ばれると同様、七尾家当主も「伊勢侍従」と呼ばれるほどの重臣だった。
 彼らは伊勢国・志摩国合わせて約六〇万石の石高を持ち、約二万の軍兵を持つ。
 その同盟は現在、破棄されているが、当時は強い繋がりを持っていた。
 このため、代々の斎宮は伊勢神宮入りし、平和な生活を送っている。
 斎宮は天皇の御代が任期であり、普通は解任されることはなかった。しかし、現天皇が乱世に打って出ると決意した時に斎宮だった昶は呼び戻されている。
 故に現在伊勢斎宮はなく、その事実が桐凰家と七尾家の障害になっていた。
 何せ、七尾家は何の相談もなく、権力の源であった斎宮制度を白紙に戻され、その関連で地方の豪族が叛乱を起こしたのだ。
 七尾家が怒って当然と言える。
 だから、桐凰家は七尾家を刺激しないために南進はしていない。
 もし、大和国や伊賀国に侵攻すれば、途端に七尾家の大軍勢が牙を剥くことは必至だった。

(本来、こんな風に皇女を派遣しなければならないのは七尾家のはず。どうしてここに?)

 鷹郷家は桐凰家との関係も良好であり、特別に結びつく必要はない。
 それよりも近い七尾家との関係を修復し、畿内平定に弾みを付ける方がよっぽど戦略的だ。

(って、首を捻ってた)

 忠流にも昶の意図が分からないらしい。
 案外、燬峰王国の結羽嬢と同じく疎開かもしれない、と言っていたが、ここまで自由に動いている姿からとてもそうは思えない。

「不思議そうな顔をおるな」

 昶は顔を錦江湾に向けたまま、視線をよこした。

「妾が『ここ』におる理由か?」

 『ここ』とはこの場所に、ではなく、龍鷹侯国に、という意味だろう。

「大した理由ではない。桐凰家は名字を名乗りしも神官よ。その意図を合理的な戦略思考だけで推し量るのは無理、というだけよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 つまり、昶は神の啓示に従い、龍鷹侯国へ赴いた、ということ。
 それはただの戦略的思考よりも大事だった。

「狙いは『私』ですか?」

 "霧島の巫女"・紗姫。
 確認された神装であり、神道の長である皇族が興味を持っても仕方がない。

「魔槍・≪龍鷹≫、か。確かに重要な霊装よな」

 紗姫が霊装である事実は龍鷹侯国の首脳陣でも一部しか知らない事実である。
 それを誰からも教えられずに知っていると言うことは、さすがは国の巫女――斎宮に選ばれたことだけはある。

「そして、戦乱に揉まれた伊勢神宮よりはよっぽど神域がしっかりしておる」

 昶は大きく深呼吸して見せた。

「案ずるな、龍鷹の巫女よ。妾はこの国の行く末を案じておる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それにの、妾は今の生活が非常に楽しいぞ? そなたのように似たような立場の者がおり、そして、仲良くしてもらっておる」

 今度こそ紗姫の方を向き、唯一開いている左目を細めて微笑んでみせる。

「腹を割って話すことができぬ仲とは言え、それを承知でこのような話ができるものなど、そなたと・・・・侍従くらいであろう?」
「・・・・え?」

 最後の言葉は低く、鋭い口調だった。
 昶は首を巡らせ、林の奥に声を放つ。

「出て参れ。盗み聞きなど、大和男児のなすことではなかろ?」
「―――大和男児には忍びなどもいるが?」
「ならば訂正いたす。一国の主がなすことではなかろ?」
「それはそうかもしれないな」

 言葉遊びをした後、茂みの向こうから町人の姿をした忠流が現れた。

「また抜け出したんですか?」
「いやぁ、もう治ったのに沙也加の奴が寝室に監禁するものだから」
「医者として当然だと思います」
「妾もそう思うの。七尾の御曹司も無茶な奴だったが、貴様はそれに輪をかけて変だ」

 巫女ふたりの容赦ないツッコミに忠流の表情が凍りつく。

「それで何の用ですか?」
「別に? ただふらふらと歩いてたら、おもしろそうな話が聞こえたから、ちょっと盗み聞きしてただけだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ジト目で紗姫は忠流を見遣るが、今度は堪えなかったようだ。

「皇女様」
「昶でよい」

 左目の奥に鋭い光を灯したまま、昶は言う。

「いやいや、太政大臣を呼び捨てにするものを、一介の侍従が呼び捨てにできるものか」
「すでに口調は対等の者に対するものだが?」
「今はお忍び、公式の対面ではないだろ?」
「くく、違いない。だが、ならば尚更、名で呼ぶがよかろ」

 昶は本当に言葉遊びが楽しいのか、飾らない笑みを浮かべた。

「ふむ、ならば昶」
「何だ?」
「龍鷹侯国は・・・・どうだ?」

 ひどく抽象的な問い。

「そうなぁ・・・・」

 それに対する答えを探すように昶は空を見上げる。

「皇国の果てに君臨せし孤高の武家、という印象があったが・・・・今はそうではないな」
「ほう?」
「龍鷹侯国は皇国の守護者ではなく、日本列島の守護者であり、革新的、先進的な武家であり・・・・」

 昶は言葉を切り、忠流を覗き込むようにして言った。

「うかうかしておれば、桐凰家をも呑み込むかもしれぬ、強大な国だ」
「・・・・光栄だな。瞬く間に周辺国家を従えて見せた桐凰帝国の令嬢にそう評価されるとは」

 ふたりとも油断ならぬ笑みを浮かべて見つめ合う。
 それでいてどこか楽しそうなやりとりに紗姫はため息をついた。

「はぁ・・・・これだから権力者という者は。いやいや、年はとりたくないものです」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 客観的な評価にふたりは紗姫を見る。

「同い年とかじゃないのか?」
「せめてひとつ下とかであろ?」

 因みに忠流と昶は十四歳だ。
 十分若い。
 それを年寄り扱いするとは紗姫はいくつのなのか。

「私は十一です」
「「嘘!?」」
「む、それは私が老けてるとか言いたいんですか!?」

 大人な雰囲気を全て吹き飛ばし、両手を挙げて驚いて見せたふたりに紗姫は頬を膨らませて殴りかかった。
 因みに狙いは忠流である。

「その狙い目の抜け目なさがとてもその年に―――ぐわぁっ!?」

 さり気なく昶が回避行動を妨げたため、忠流は少々では済まない打撃を目立たない場所――腹に喰らった。



「―――ああ、忙しい・・・・」

 要人三人がじゃれ合っていた頃、鹿児島城本丸御殿の侯王執務室で従流はため息をついた。
 忠流が都井岬に出かけてから、溜まり続けていた案件を片付けているのだ。
 多くは判子や花押待ちといった部類だったが、それを処理して本当に忠流の採択が必要なものを分けていく。

「はぁ・・・・兄上は太政官制度も導入すればいいと思います・・・・」

 太政官はまさにこういう仕事を行う機関である。
 せっかく官省制度を導入したのだから、実務機関である太政官は必須だろう。
 それを自分の知らないところで重要な案件が処理されないためだけに、忠流は太政官制度の導入を見送ったのだ。

「御武幸盛やその他の側近が行っている部分もあるといいますけど・・・・」

 それでも、ここまで上がってくる数の案件は多い。
 何せ、龍鷹侯国は複数の改革を同時進行中なのだから。

「はぁ・・・・煙硝国産計画、大隅国農業改革、海軍艦艇刷新計画、龍鷹軍団再編計画などなど・・・・」

 国家予算を投入した事業は多岐に渡り、以後数年はかかるであろう大改革だ。
 その資金は内乱で傷ついた重要拠点改修費を削減して得られている。
 特に鹿児島城に至っては脆くなった場所の改修くらいで、その防御力はがた落ちだった。
 攻防戦があった枕崎城、加治木城、蒲生城、国分城、高隈城、廻城、飫肥城、大口城といった城砦もその改修は城主及び城将の裁量で任されている。
 もう一度、龍鷹侯国全土に渡る大規模な戦争があれば、龍鷹侯国が長年築き上げてきた支城群は壊滅するだろう。
 だが、忠流はそんな防御力を捨て、新しい龍鷹侯国を作ろうとしていたのだ。
 多すぎる城を破却し、交通の要衝に建つ城のみを残し、城主や城将を派遣する。そして、兵の多くはその城に集中することで、軍勢の動員速度を早めようというのだ。
 数ヶ月から数年後、この制度が龍鷹侯国全土に広がれば、龍鷹軍団の様態は周囲の戦国大名とは一線を画した戦力になるだろう。

「ダメだ・・・・僕には無理です・・・・」

 龍鷹侯国の改革に関われることは光栄だが、元々従流は忠流と国政について語り合った仲ではない。
 確かに従流は忠流の弟であり、龍鷹侯国の重鎮である。だが、それは血筋だけの問題だった。
 忠流が行おうとしている政策に関しては鳴海陸軍卿や武藤式部卿、鹿屋治部卿など、内乱を戦い抜いた者たちがよく知っているだろう。

「はぁ・・・・」
「―――はい」

 もう一度ため息をつき、執務机に突っ伏した従流の傍に湯飲みが置かれた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 じーっと置かれた湯飲みを見ていた従流はそろそろと視線を上げる。そして、笑顔を浮かべてお盆を抱えていた少女を見て凍りついた。

「後藤殿に案内して頂きました」

 後藤とは、従流の側近、後藤公康のことに違いない。
 後藤家は中華帝国の戦いで一族郎党が壊滅状態に陥るまで奮戦した過去があり、公康が元服するまでは離散状態だった。しかし、公康が旗本衆に数えられ、忠流と共に内乱で勇戦すると、忠流の命で復活したのだ。
 今では二〇〇〇石の知行を持つ後藤家当主である。

「結羽様・・・・」

 恥ずかしいところを見られた従流は顔を赤くしながら体を起こした。

「兄上はまだ帰られていませんよ」

 さりげなく書類を片付け、視線だけで部屋の隅に控えていた小姓を呼ぶ。
 彼はすぐに立ち上がり、書類を持って別室へと下がっていった。

「いえ、今日は弟君に用があったのです」

 話をするためか、自分の湯飲みを掲げて見せ、彼女は微笑む。
 燬羅結羽。
 南西肥前を領する燬峰王国の王女だ。

「僕に? ・・・・あいにく、僕に軍団のことを聞かれても困りますよ?」

 都農合戦でもお荷物になったのだ。
 隠居した方々に話を聞いているが、経験不足は否めない。

「いえ、軍団について知っても、兄には必要のないことです」
「ああ、燬峰王の武勇はここまで轟いておりますよ」

 燬峰王国国王――燬羅尊純は燬羅家当主になってから負けなしの大将として有名だ。
 戦だけでなく、政策でも先見の明があるようで、知勇兼備の部将として報告を受けている。

「今日、お聞きしたいことは・・・・当主の兄弟としての気持ちを知りたい、と」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 従流は湯飲みに手を伸ばし、一口すすった。

「修行中の身で還俗しましたが、まだ僕の僧籍は残っているようです。何でもご相談下さい」
「ええ、では・・・・内乱中の心境を聞いてもよろしいですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 単刀直入の質問に苦笑しつつ、従流は言葉を探す。
 従流――当時、光明――は鷹郷実流が殺され、貞流と忠流――同、藤丸――が戦う中、鷹郷家の菩提寺に滞在していた。
 忠流が鹿児島から追い落とされると、貞流の軍勢が菩提寺を取り囲み、従流の引き渡しを要求する。
 従流の実兄は実流であり、彼と敵対した以上、従流は貞流の敵になる可能性があったからだ。また、藤丸ではない、第三勢力が彼の身を利用する可能性があったからとも言える。

「鷹郷貞流は先代とその長男を手にかけたと聞きます。そして、現侯王とも戦をしましたから、従流殿も殺されるところだったのではありませんか?」
「いえ、僕は僧籍に入っており、政治的には死んでいます」

 龍鷹侯国は朝廷の慣習を受け継いでいる部分が多い。
 かつて、皇族はその皇位を得るためにライバルを島流しや出家に追い込んだことは歴史を学んだ者ならば誰でも知っているだろう。
 そういう意味では従流は出家したために侯位継承権がなかったのだ。
 それは今もだ。
 忠流に何かあった場合、従流が後見人となって実流の忘れ形見が当主となる。

「貞流兄さんも僕を亡き者にする理由はなかったんですよ」

 むしろ、貞流が従流に手を出せば、未だ状況を見守っていた部将たちが一気に忠流につきかねない。

「・・・・でも、貞流公は霧島を滅ぼしました。霧島は我が国で言う、雲仙なのでしょう?」
「そう、そこが謎なんです。兄上は黒嵐衆に命じ、その辺りを調べているようですが・・・・」

 貞流も、実戦指揮を執った佐々木弘綱も岩剣・平松城攻防戦で戦死しており、傭兵集団も貞流の手で粛正されていた。
 事の真相を知る者たちは実に巧妙に消されていたのだ。

「はぁ・・・・なるほど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」

 何気なく話していて、従流は違和感に首を傾げた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 にこにこと笑いながら結羽は小首を傾げる。

「もしかして僕、乗せられました?」
「何のことですか?」

 にっこり。

「・・・・恐ろしいですね、あなた」

 結羽はやはり燬峰王国が送り込んだ間諜の役目も果たしているようだ。
 忠流は放っておけと命じているらしく、彼女に対しての監視はない。

「内乱の真相なんて調べても国益にはなりませんよ。龍鷹侯国を率いる兄上は・・・・何の後ろ暗いこともないんですから」

 忠流は霧島を救い、人吉城救援に駆けつけ、そして、劇的な戦略で強大な敵を打ち破った。
 そこに、非道と言われる要素は一切ない。
 例え、内乱について詳しく調べても、今の龍鷹侯国を転覆する術はないはずだ。

「いえ、もうひとつ、謎があるでしょ?」
「?」
「・・・・鷹郷朝流暗殺未遂事件」
「―――っ!?」

 直後に起きた北薩の戦いと、内乱のせいで陰りつつあるその事件。
 未だ下手人は分かっていないが、その後に貞流が朝流を殺したため、巷では貞流の手によるものと判断されていた。しかし、貞流が鈴の音に操られており、茂兵衛が貞流の奇妙さを見ていたため、忠流以下諜報集団は別の犯人による犯行だと断定している。

「単刀直入に言いますと、我が燬羅家でも似たようなことがありました」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「先代は武雄を中心とした肥前衆との和議に出掛け、彼ら諸共変死しました。その結果、血みどろの戦いになっています」

 結羽は湯飲みを傾け、舌を湿らす。

「私は両国当主の暗殺事件を追うために兄上によって龍鷹侯国に派遣されました」
「・・・・どうして、兄上ではなく、僕に言うんですか?」
「最初に言いましたでしょう?」

 ふふ、と邪気が無さそうで、実に邪気に満ちた笑みを浮かべた結羽は身を乗り出し、従流の耳元で囁いた。

「当主の兄弟としての気持ちを知りたい、と」






「―――この国は・・・・変わろうとしている・・・・」

 外ばかりに目を向けていた龍鷹侯国。
 その対外国用に整備された軍備を、内に向けていれば、龍鷹侯国の版図はもっと大きかっただろう。
 特に大隅を取り込み、名実共に南九州の覇者となった龍鷹侯国を、聖炎国が阻めるわけがない。
 たとえ、難攻不落の居城をいくつも抱えようと、自力が違う。
 数十年の戦歴があれば、徐々に追い詰めていくことは可能だったはずだ。

「その分、外国が押し寄せてきた場合、不利になりますけどね」

 歴代の侯王たちは名君であるが故に、それを分かっていた。
 大隅国を取り込み、宮崎を手中に収めたのは、対外国戦で邪魔されないためと、朝廷との交通網構築のためだ。
 それが完了したことで、龍鷹侯国の拡大は終わった。
 時同じくして、戦国時代は小康状態を迎えることとなり、国家意識育成が始まっている。
 龍鷹侯国は始まった中華帝国の侵攻に対して全力で臨むため、ただ一度の決戦で聖炎軍団を撃破している。そして、全力で臨んだ戦いに勝利した。
 誰もそのことを責めやしない。
 むしろ、褒めることだろう。
 だが、それは内に起こっている問題を無視し、外に目を向けているだけだ。
 守っているようで、守れていない。

「でも、この国は変わった」

 龍鷹侯国として国土が宿敵と言いながらも格下に見ていた聖炎国に奪われた。そして、内乱で、象徴とされてきた霧島が陥落した。
 数十年かけて培われてきた国家意識が崩壊したのだ。

「これからは―――」
『―――様ぁ!?』

 自分を呼ぶ声がする。
 どうやら探しているようだ。

「私が変えた。ならばその変化の中で藻掻く侯王を見ることも・・・・大事ですね」

 そう呟き、彼女は屋根裏部屋にいた僕に視線を送る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 彼は何の感情も見せることなく、まるで影のように消えた。










第一戦第一陣へ 龍鷹目次へ 第一戦第三陣へ
Homeへ