前哨戦「花嫁候補集結」/5
都農合戦。 後々にこう名付けられる龍鷹侯国と~前氏との戦いはその名の通り、都農地域全域で行われた。 八月十八日に行われた戦いは龍鷹軍団の戦略を一転させる。 龍鷹軍団は~前軍の本陣奇襲を重く見た。 このため、光明本隊一〇〇〇は都濃川北岸都農神社の北西に陣所を設けている。そして、その他の軍勢は都農地域各地で~前軍と局地戦を繰り広げた。 元々、~前軍は中日向衆を野戦決戦に持ち込みたかった背景があるが、今それを行うと高い確率で敗北する。 だから、局地戦でちまちまと龍鷹軍団にダメージを与えているのだ。 「―――なかなか、~前軍の尻尾をつかめないようです」 前線からの報告を瀧井信成が光明に伝えた。 光明は一応、都農神社確保の名目でこの地に駐屯しているが、絢瀬晴政以下日向衆に厄介払いされたことに変わりはないだろう。 軍監である鳴海盛武もそう遠くない位置に布陣しており、しきりに物見を放っていた。 ここにやってくる中日向衆の動向も盛武からのものに違いない。 「―――も、申し上げます!」 バタバタとひとりの兵が本陣へと入ってきた。 「如何した?」 瀧井信成が反応すると、兵は片膝をついて報告する。 「~前軍主力部隊が美々津港に入港、こちらに向けて急進して参ります!」 「・・・・え?」 龍鷹軍団と~前軍の緒戦は遭遇戦であり、その決戦もやはり、遭遇戦となった。 初陣scene 「―――ほぉ・・・・なるほど」 八月二一日、未の刻。 ~前持豊は物見の報告を受けてそう呟いた。 ~前軍主力二五〇〇にて一息に龍鷹軍団本隊を踏み潰そうとしたのだが、光明本隊一〇〇〇は陣所を捨てて名貫川方面へと撤退を開始する。 その代わりに鳴海勢八〇〇、香月勢七〇〇が堅陣にて布陣しており、本隊を逃がそうという形だった。 総大将が不明確なので、各円居の主将が思い思いに戦する方法に変えたのだ。 「両軍布陣しての堂々の会戦にも憧れるが・・・・贅沢は言えんなっ」 最前線を駆けていた~前兼豊率いる八〇〇が同数の鳴海盛武勢へと襲いかかった。 鳴海勢と言えば、龍鷹軍団を代表する軍団である。 ならば、手を抜くわけにはいかない。だがしかし、それで敵本隊を逃がしてしまっても意味がない。 だからこそ、~前軍は精鋭である~前兼豊勢に鳴海勢を抑えさせ、総攻撃にて香月軍を粉砕し、敵本隊追撃の作戦に出た。 「一切の躊躇なく、敵を食い尽くせっ」 自慢の鉄砲隊が一斉に折り敷く。 三〇〇挺を超える鉄砲が咆哮する中、~前主力軍は龍鷹軍団と激突した。 「さすが・・・・~前軍最強の男・・・・ッ」 鳴海盛武は必死に采配を振るいながら歯がみした。 盛武が相手するのは~前家にその人ありと謳われた~前兼豊である。 火力戦だけでなく、騎馬を中心とした衝突力はかつて突進力を得意とした有坂家に準じるほどの勢いだ。 さらに「ただ耐えろ」と命令されている鳴海兵と違い、兼豊が指揮する~前兵は鳴海勢を押し退けることを明確にしている。 壊滅させるのではなく、勢いを以て無理矢理光明本隊へと通じる道をこじ開けようというのだ。 もちろん、鳴海勢を足止めすることが目的ではあるが、~前家最強を自負する兼豊は主力が香月勢を押し潰すと同時に鳴海勢を敗走させようと意気込んでいた。 香月勢を押し潰したとしても、それは龍鷹軍団を破ったことにはならない。 鳴海勢を破って初めて、龍鷹軍団の中核を撃破した、という証明になるのだ。 「せめて、光明様を絢瀬殿の援護が受けられる位置に逃がすまで、一歩も退くなっ」 絢瀬晴政率いる南日向衆は西都農に攻め入っており、この方面で川澄豊政率いる日知屋勢と激戦を展開している。 現在、鳴海勢と共に戦っている香月勢は北都農を、こちらに急行するように伝令を出した小室勢は東都農を担当していた。 盛武は形勢不利と見れば裏切る可能性がある中日向衆を一ヶ所に集めることで、光明への危険性を減らそうとしたのだ。 絢瀬晴政がしっかりと日向衆をまとめられるか、その判断を任された軍監だと誰もが考えているが、陸軍卿より命じられた内容は中日向衆の動向調査である。 「今のところ、香月勢は大丈夫か・・・・」 もちろん、裏切らない、という意味だ。 ~前軍の猛攻を受け、早くも陣形が乱れ出しているが、旗を巻き替える様子は見受けられない。 「・・・・って、香月勢が押し崩されてもダメだろっ。チィッ、ならば多少無理矢理にでも・・・・ッ」 盛武は前線で足軽たちを指揮する米倉直繁に全部隊の指揮を任せ、騎乗した。 「ちょいと乗り崩しをかけるぞっ」 馬腹を蹴った盛武以下十数騎が無理な攻勢で綻びを見せていた敵軍の一部に打ち込む。 霊力や霊術が弾け、人馬が宙を舞った。 騎馬突撃は騎馬隊という兵種の効果もあるが、士分の者たちが使う霊術の関係もあり、非常に攻撃力が高い。そして、乗り崩しで襲いかかる場所はたいてい、効果的な迎撃ができない場所である故、たった一撃で大きな穴が生じることも多々あった。 「はぁっ」 顔を引きつらせて迎撃した足軽を大身槍の一撃で跳ね飛ばし、盛武はこの辺りを指揮していた物頭を討ち取る。 戦術面では拙い部分はあるが、個人の武勇は長井衛勝譲りの剛勇だ。 その辺りの武者では彼を止めることは不可能である。 「そこな若武者ッ。このまま我が兵が蹴散らされるのは見るに耐えん! 勝負せいッ!」 さすがに盛武だけに兜首二つ、足軽十数名が討たれていては堪らないのだろう。 本陣から母衣をつけた武士が駆けてきた。 「我は~前兼豊が臣、柳兼敏!」 堂々と名乗りを上げた武士に対し、盛武は大身槍についた血潮を吹き飛ばしながら応える。 「我は鳴海盛武!」 あまりの大物に驚く柳に向かい、盛武は霊術を発動させた。 武士の世界において、一騎打ちに霊術を使うことは反則ではない。 霊術は己を錬磨しなければ使えない、一種の才能だ。 それを開花させることは、武術の奥義を会得すると同じ意味だった。 だからこそ、一騎打ちを挑んだ以上、両者は霊術の攻撃を覚悟している。 「甘いッ」 柳は目の前に障壁を展開し、盛武の一撃を防いだ。しかし、余波で周りにいた足軽が崩れ立つ。 「・・・・あ」 足軽たちを守るために出てきたというのに、戦いに足軽たちを巻き込んだ事実に柳の動きを止まった。 「お前こそ甘いわッ」 一瞬で柳の懐に潜り込み、大身槍から手を離して太刀を引き抜く。そして、一閃された刃が柳の喉首を掻き切った。 「ぅ、ぅわぁ!?」 「や、柳様が・・・・ッ!?」 家中でも有名だったのか、柳の討ち死にを見た足軽たちが一斉に崩れ出す。 さらに好機と見た米倉直繁が兵力を盛武が切り開いた道に投入したため、攻め寄せていたはずの兼豊勢が防戦に入った。 「これで・・・・何とか・・・・」 守るよりも攻めている方が兵たちの心には優しい。 同時に香月勢も勇気づけられるだろう。 「とりあえず、戻るか・・・・」 ここにいても、危ないだけで全体が見えない。 「ああ、いたっ。盛武様!」 戻るために敵足軽を蹴散らしていた盛武に一騎の騎馬武者が駆け寄った。 「どうした?」 彼が来やすいように霊術を発動させて敵を遠ざける。 「米倉様より伝言です。香月勢の壊滅は時間の問題とのこと」 「・・・・・・・・・・・・え?」 敵中なので囁くように伝えられた内容に、盛武は呆然とした。 「―――退け退け!」 「う、うわぁぁ!?!?」 盛武が~前兼豊勢に乗り崩しを掛けた時、~前主力軍も総攻撃を開始していた。 元々、香月勢は七〇〇であり、一七〇〇の~前主力軍とは数が違いすぎる。 光明が退却するのに香月勢に与えた指令はできうる限り戦線を支え、支えきれないと判断したならば戦線を離脱せよ、というものだった。しかし、~前軍の勢いはそう簡単に躱せるものではなく、香月勢は隊列を乱され、乱戦に巻き込まれている。 今は各指揮官の周りだけで交戦しており、組織的な交戦は臨めなかった。 「若様、こちらへっ」 「うん!」 若様と呼ばれた少年は護衛たちが集まる一角へと駆け込む。そして、始まった槍合わせの中、動悸が収まらない胸を押さえた。 「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」 彼の名前は香月高知。 この軍勢を指揮する香月邦知の嫡男であり、此度が二度目の出陣である若武者だ。 「これが・・・・野戦・・・・」 初陣は味方数十、敵も数十と言った小競り合いであり、本陣でぼーっとしていれば終わった。しかし、今回は自分も槍を取って戦わなければ容易に討ち死にしてしまうほどの激戦だ。 高知自身、数人の足軽を手にかけている。 「若様、全体的に押されています。しかし、まだまだ押し返すことも可能です」 「そ、そうだな・・・・」 元々、香月軍は強くない。 龍鷹侯国に最も近かった香月氏は龍鷹侯国を刺激しないために大規模な軍事訓練を行っていない。 このため、長柄戦や鉄砲戦と言った集団戦法を用いる戦闘が不得手なのだ。 その関係で、決戦状態になったこの戦いは負けることは当たり前だった。 それでも、白兵戦ならば活路はある。 「せぇぃっ」 目の前に現れた足軽に穂先を突き出し、その左肩を突いた。 足軽は悲鳴を上げて武器を放り出す。 「次っ」 足軽を殺すことは無駄である、と高知は考えていた。 足軽は敵の領地に住むただの農民が多い。だから、無理に殺せばそれだけ敵地を攻略した場合の統治がうまくいかなくなる。 このため、高知は父――邦知から足軽はできるだけ殺すなと教えられていた。そして、味方は助けよ、と教えられている。 「はっ」 馬上槍を振り下ろし、味方足軽に刀を振り下ろそうとしていた足軽の頭を打つ。 「あ、ありがとうございます!」 昏倒した敵足軽の下から抜け出した味方足軽は高知にお礼を言うと、再び戦場へと走り出した。 「鳴海勢はさすがだな・・・・」 街道の東側で戦う鳴海勢は香月勢が倍の人数で襲いかかっても跳ね返すであろう~前兼豊勢とほぼ同数で戦っているのに関わらず、互角の戦いをしている。 さすがは南九州一の剽悍な兵を持つ龍鷹軍団の中核をなす軍勢だった。 突破を阻止するどころか、乗り崩しをかける余裕すらある。 (聖炎軍団との戦いに明け暮れ、東洋最大・最強軍団である中華軍団を相手に獅子奮迅の働きをした・・・・) もし、そんな戦闘力を持つ龍鷹侯国が野望を持ち、日向国や肥後国を征服し始めればどうなのだろう。 龍鷹軍団と聖炎軍団の因縁は近いうちに決戦を誘引させるだろう。 龍鷹侯国が一歩も退かなかった国土防衛線は内乱時に突破されてしまった。 その失地回復戦争を起こす場合、確実に両軍主力は激突し、何らかの決着がつけられることだろう。 それを覚悟するならば、先に日向の問題を片付けておく必要がある。 「・・・・もしかして、侯王はそこまで考えて・・・・内乱時に父上とこの約束を・・・・?」 今は亡き、龍鷹侯国からの使者を務めた御武時盛を思い出した。 彼は高城に来るなり、龍鷹侯国の内乱への不干渉を求め、この戦いを約束する。 本来ならば、彼が総大将としてこの地に来ていたであろうが、彼は内乱の決戦で戦死し、その後継者である絢瀬晴政が実質的な総大将として送り込まれた。 忠流の目的は龍鷹軍団の主力軍が肥後奥深くに侵入した時、日向国を脅かす敵戦力がいないようにするためだ。 だからこそ、龍鷹軍団は~前主力軍を誘引しようというのだろう。 間違っても中日向を取り込もうとしたものではない。 「ならば・・・・香月家にできることは龍鷹軍団が反撃態勢を整える時間を作ること・・・・ッ」 突き出された長柄槍を霊力が籠もった一撃で粉砕し、真っ青になる長柄足軽を石突で跳ね飛ばした。 戦場往来の期間が短いとはいえ、高知は歴とした士分であり、物心ついた頃から武術の鍛錬を受けている。 数度の戦場を経験しているとはいえ、所詮は農民である足軽に負ける道理はなかった。 「でりゃぁっ」 穂先に込めた霊力を寄せてきた騎馬武者に叩きつける。 槍合わせまで距離があると油断していた騎馬武者は堪らず落馬し、甲冑の重さに体が軋んだ。そして、立ち上がるのに手間取っている間に距離を詰めた高知の穂先がそののど頸を掻き切る。 (武士とも・・・・戦える!) 今は高知のまわりに護衛の武士たちが集っており、暴風雨の如き働きを見せていた。 それは全て、高知を討ち取らせないために邦知からつけられた香月家最高峰の武人たちである。 「あ、突破された!」 後方を見遣ったひとりが叫びを上げた。 見れば、香月勢を突破した一団が南方で陣を整えている。 その数は続々と増しており、香月勢の抗戦は無意味なものになりつつあった。 同時にそれを認識した香月勢の兵が揺れ出す。 戦線の突破こそ、香月勢の敗北を意味する視覚的な情報だった。そして、それは勝利を目前とした~前軍の猛攻を前に踏み止まることも難しくなる。 天秤は傾いた。 後は坂道を転がるように香月勢は数を減らしていくだろう。 「これまで、だな。―――ここから脱出。その後、乗り崩しをかけながら多くの兵を脱出させるぞ!」 高知の護衛隊長はそう判断し、前線に出て足軽を跳ね返す。 「皆、戦場を離脱する! はぐれぬように!」 彼は馬首を返し、戦場を横断し始めた。 途中、阻止しようとしてくる~前兵に必要以上構うことなく、突進していく。 「ま、待て! 父上は!?」 見れば本陣は~前軍の猛攻を受けて揺らめいていた。 あそこに邦知がいることは間違いない。 「・・・・御館様も何らかの方法で離脱されるでしょう」 チラリと本陣を見遣った護衛隊長は顔を顰めながら言った。 「それに今からあそこに戻るのは自殺行為です。辿り着くことはできないでしょう」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「今は自分たちが脱出することを考えましょう」 話をしていたためか、突破速度が落ちている。 戦線離脱を敏感に感じ取った~前軍の騎馬隊が迫っていた。 「・・・・分かった」 護衛のひとりが進み出て、弓矢にて敵を射すくめる間に高知は頷く。そして、己の体内で練り込んだ霊力を解放させた。 空気が一瞬で圧縮を始め、その圧力に耐えきれなくなって爆発する。 その衝撃波は高知と騎馬隊のちょうど中央で発生し、戦場に空白を生じさせた。 「今だっ」 突進速度を殺された追撃部隊は落馬した仲間に邪魔され、なかなか進撃を開始できない。 その間に高知たちは進軍を開始し、戦場から離脱した。 「―――申し上げます!」 都農神社を放棄し、名貫川を臨める辺りにまで後退した光明本隊は四方に伝令を放ち、~前主力軍の到来を告げていた。 すでに西都農で日向勢の指揮を執っていた絢瀬勢は反転しており、西都農に展開していた戦力も奇襲を仕掛けてくる敵勢を楠瀬・寺島の繰り引きではね除けている。 絢瀬勢一三〇〇がこちらに急行している以上、~前主力軍の一方的な勝ちはなくなっていた。 光明本隊一〇〇〇を率いるのが光明であれば、激突した瞬間に崩れ去っていたかもしれないが、本隊を率いるのは瀧井信成だ。 内乱では貞流勢を枕崎城にて迎え撃ち、以後は忠流直属部隊として転戦し、岩剣城の戦いでは遊撃隊として武勇を轟かせている。 基本的に攻めの戦が得意ではあるが、守りに入った時も心強い部将である。 「香月勢壊滅! 香月邦知様の安否は不明!」 「―――っ!?」 ビクリと光明の体が震えた。 「それで、~前軍は?」 「~前兼豊殿は鳴海盛武殿ががっちりと抑えており、戦場に到達することはなさそうです。~前持豊殿は主力軍をまとめて一斉に南下を開始しました」 さすがに軍を乱したまま追撃はしてこなかったようだ。 「それで・・・・数は?」 光明の問いかけに伝令兵は胸を張って答えた。 「およそ一五〇〇。香月勢はかなりの戦力を道連れにしたようです」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 七〇〇の戦力が壊滅した以上、その死傷者は三〇〇近いだろう。そして、~前勢にも二〇〇人近い死傷者を出した戦いは確かに、二倍以上の敵を迎えて行った戦いにしては上出来と言える。 ただ、欲を言うならば――― 「壊滅だけはしてほしくなかったです・・・・」 これで、龍鷹軍団は退けなくなった。 中日向衆の一が壊滅するほどの打撃を被って作った時間。 それを無駄にすることは中日向失陥に繋がるだろう。 光明本隊は名貫川を背に、~前勢と詰めの戦に臨む必要ができたのだ。 「光明様、よろしいか?」 進軍を停止し、迎撃命令を請うてきた信成に、光明は頷いた。 「やりましょう。そもそも、僕たちはこのために来たのですから」 光明はすでに馬に乗ることに諦めている。 用意させた輿を屈強な兵士に担がせ、周囲を瀧井家の武人が取り囲んでいた。 「軍の指揮を、お任せします」 ゆっくりと頭を下げた光明に会釈を返し、信成は全軍に聞こえるほどの大声を放つ。 「全軍反転! 急進する敵を討つ! 騎馬隊は手筈通り、前面には鉄砲隊を配置、長柄隊はその両脇を固めよ! 弓衆は鉄砲隊の後方に布陣、各隙間に一から五までの白兵戦部隊を配備!」 旗本衆はただの軍勢とは違う。 元々、集団戦をするために訓練された軍勢である。 たった一ヶ月とはいえ、厳しい訓練に耐え抜いた兵士たちはその成果を示すために闘志を燃やしていた。 何より、緒戦はたかが田舎大名と侮っていたために不覚を取り、光明を危険に晒している。 もう、失態は許されない。 「これが・・・・旗本衆・・・・」 伝統的な円居を形成した戦いはしない。 旗本衆全体がひとつの円居として機能し、それを統一指揮する。 言わば全軍で戦うので、長期戦は不可能だが、短期戦であれば絶大な戦闘力を発揮できるはずだった。 「申し上げます! ~前主力軍先鋒、北方半里!」 陣形を整えた光明本隊に物見の報告がやってくる。そして、同時に絢瀬勢からも伝令がやってきた。 「行軍路に敵伏兵が出没しており、救援は若干、遅れそうです!」 彼自身も手傷を負っており、彼の言う伏兵をかいくぐってきたのだろう。 「どれほどまで近付いている!?」 「北西一里半!」 通常ならば一刻もかからない距離だが、伏兵が出没しているならば一刻以上かかるだろう。 「信成殿、絢瀬殿が来援すれば・・・・勝てますよね?」 「光明様・・・・。はい、絢瀬勢は一三〇〇。それが横撃するとなれば確実に~前軍は崩れます」 「なれば、ここで踏みとどまりましょう。ちょうど、背水の陣です」 背水の陣。 誰もが聞いたことがある言葉だろう。 由来は楚漢戦争において、漢軍方の韓信が用いた迎撃戦術である。 三〇万と呼称する趙軍と戦った韓信軍約三万は川を背にして布陣し、総攻撃をかける趙軍を決死の覚悟で迎え撃ったのだ。 容易に勝てると思っていた趙軍は増え続ける損害に嫌気が差し、軍勢を返す。 戦いは戦場に最後まで残っていたものが勝ち、と言われることもあるので、韓信の勝利は疑いようがない。だが、話をここで終わってしまっては「背水の陣」の一部しか語ったことにならない。 韓信は事前に別働隊を趙軍の本拠地に向けて進撃させており、空になっていた本拠に戻った趙軍が見たのは自軍の城に翻る、大量の旗。 本城が落とされたと動揺した趙軍に韓信本隊が襲いかかり、これを撃破した。 これが有名な「背水の陣」の由来となった、井?(セイケイ)の戦いの経緯である。 「僕たちにできることは耐えることです。増援部隊の展開を待ち、反撃に転じるまで、相手に出血を強います」 光明にとって、別働隊である絢瀬勢は延岡城に向かったわけではなく、この名貫川に向かっている。 だから、独力で押し返す必要はない点が、韓信よりも戦局を容易にしていた。 攻め寄せるは屈指の火力を有する総帥"北日向の雄"・~前持豊。 迎え撃つは龍鷹軍団総帥の弟であり、此度が初陣である鷹郷光明。 「陣替完了!」 「~前軍、来ました!」 「敵鉄砲衆前進! 鉄砲戦の構え!」 次々と本陣に飛び込む情報を元に瀧井信成は判断を下して伝令を送り出す。 (僕は・・・・無力です。・・・・でも、軍勢の指揮以外なら・・・・) そうしてまた、光明は懐から取り出した数珠を握りしめた。 鷹郷忠流side 「―――本当に知らせずともよかったのですか?」 紗姫は潮風に靡く髪を抑えながら、隣に立つ鷹郷忠流を見遣った。 忠流は甲冑を着ており、臨戦態勢だ。そして、引き連れる軍勢も旧旗本衆を中心とする近衛衆一〇〇である。 「いいんだよ。あいつは余計な考えをしすぎるから。情報を与えすぎると混乱する」 「あなたはもっと考えた方がいいと思います」 「考えてるぞー。おーい、世間一般の俺への評価は『考える―――」 「―――葦』、ですか?」 「何それ?」 「さあ?」 ふたりして腕を組み、首を傾げた。 「何馬鹿なことやってんのよ」 呆れた口調で加納郁が声をかける。 「ほら、準備ができたそうよ。せいぜい、座礁しないことを祈るわね」 「何を言っているのですか、この私がいるんです。日向も"私"の範疇ですよ」 自信満々に<龍鷹>を宿す紗姫が胸を張った。しかし、それに忠流が茶々入れる。 「お前、どちらかというと山だろ?」 「うるさいです」 臨戦態勢にある中、ふたりの会話はどこかのほほんとしていた。 |