前哨戦第四陣

「―――龍鷹侯国、か････」

　八月十四日、日向国延岡城。
　この城は北日向を領する神前氏の本拠として戦国時代が始まる前から拡張されている城だった。
　祖母山や大崩山周辺の尾平鉱床区、その日向国側から得られる鉄、錫、銅、硫黄の採掘で財をなしている。そして、その鉄や硫黄から多くの鉄砲を保有することなり、弾丸である鉛も鉱業から得ていた。
　このため、地方豪族にしては豊富な火力集団を有し、十年前に日知屋城を攻略し、細島港を制圧することに成功すると、以後は富国強兵を続けている。

「龍鷹軍団は内乱で疲弊しております。ここは気にせず、中日向衆撃滅を目指すべきです」

　上座に座る神前家当主――神前持豊に発言したのは、持豊の嫡男――兼豊だった。
　彼は神前軍の侍大将として歴戦の司令官であり、主力軍を率いる立場にある。

「しかし、兄上。高鍋城に集結した龍鷹軍団は四〇〇〇です。我が軍の三〇〇〇を上回っています」

　兼豊を「兄上」と呼ぶ青年は持豊の次男で、日知屋城の川澄氏に婿入りした豊政だ。
　神前氏は農業収支より六万石を領す。
　一万石につき三五〇名を動員するとすれば、その戦力は約二一〇〇。
　だが、細島港からの収益などで神前家の石高は九万石。
　地方有数の戦国大名なのだ。
　それでも、龍鷹侯国と比べるには格が違いすぎる。

「龍鷹軍団が都農地方へと侵攻するのはおそらく、十六日以降になるでしょう」

　豊政は貿易港を管理する関係から、神前氏の情報収集係をしていた。
　今回、龍鷹軍団の来襲を予見したのも彼である。

「私はもう出ます。急ぎ、全軍に出撃要請を」

　龍鷹軍団四〇〇〇と香月・小室両氏を併せて五五〇〇、神前氏三〇〇〇。
　その決戦は指呼の間に迫っていた。

都農合戦Ⅰscene

　八月十七日、日向国名貫川南岸。
　龍鷹軍団が都農地域への進軍を開始した瞬間、神前軍は機敏に反応した。
　都農神社周辺に布陣していた神前軍が一斉に名貫川を渡河し、建設途中であった物資集積基地を急襲する。
　当初、龍鷹軍団首脳陣は戦力差をなくすため、兵力を集中して乾坤一擲の勝負を仕掛けようとしていると判断していた。
　黒嵐衆の報せでは都農地域の神前軍を統率しているのは次男・豊政だ。
　都農地方に常駐させていた軍勢を吸収して八〇〇となった軍勢は「龍鷹軍団迫る」の報を受けると撤退を開始し、名貫川北岸に布陣した。
　防衛戦である神前軍は優秀な火力部隊を前面に押し出した迎撃戦を展開すると予想される。そして、侵攻戦である連合軍は最も火力戦に慣れた龍鷹軍団が先鋒を務めるはずだった。
　その先鋒は久本繁政殿である。
　有坂家家老だった久本繁政、南郷繁満は降伏した折、絢瀬家に仕えることになった。
　大幅な加増が決まっていた絢瀬家はその軍団を指揮する指揮官に苦慮していたため、有坂秋賢の副将として活躍したふたりを歓迎している。だがしかし、他の日向衆への示しとして、今回は困難な先鋒の任務に就けているのだ。
　渡河戦で最も損害を被るであろう久本の軍勢は併せて三〇〇だ。
　その後方には絢瀬家筆頭家老・永瀬政包が四〇〇を率いて布陣する。
　基本的にこの七〇〇が第一陣として機能し、敵八〇〇を正面にする。そして、龍鷹軍団特有の両翼軍には右翼軍として小川館・小室真茂勢六〇〇、左翼軍として高城・香月邦知勢七〇〇が布陣。
　さらにその両翼の後方には目付役として右翼・楠瀬正成勢四〇〇、左翼・寺島春久三〇〇が布陣する。翼軍としては右翼軍一〇〇〇、左翼軍一〇〇〇。
　中央軍の後方には絢瀬晴政が直卒する六〇〇が布陣し、さらに後方には鷹郷光明を総大将とする一〇〇〇が布陣。
　後陣として鳴海盛武率いる八〇〇が本陣を守るように展開していた。
　総勢五三〇〇。
　残り二〇〇は物資集積地の防衛兼建設員である。

「―――明日、対岸の神前軍に総攻撃をかけます」

　香月氏や小室氏の部将たちが出席する戦評定で、鷹郷家の威厳を示すために総大将である光明が開口一番そう告げた。

「前面に展開する川澄豊政は神前家の頭脳、ここで息の根を止めておく必要があります」

　そんなことは幾度も苦杯を舐めさせられた中日向衆には分かっているだろう。だから、光明は具体的な戦術の説明に入った。

「第一陣が夜明けと共に名貫川を渡河、敵軍と激突します。橋頭堡を確保すれば、敵軍は第一陣を追い落とそうと攻勢に出るはずです。その時、両翼が渡河を開始、敵軍を包囲します」

　疑問の色がないことを確認すると、光明はさらに続けた。

「その後、追撃しつつも都農神社を確保。このとき、絶対に神域には進軍せず、もし敵軍が都農神社に籠城した場合、周囲を包囲して攻撃をしかけてはいけません」

　これは都農神社が日向衆にとって、龍鷹侯国の霧島神宮に近い位置づけであるからだ。
　龍鷹軍団が容赦なく都農神社に攻め入った場合、最悪、香月氏と小室氏が反旗を翻しかねないのである。
　内乱時の貞流勢の二の舞だけは避けなければならない。

「異論がないようならば、明日のために解散―――」
「―――も、申し上げます！」

　バタバタと幔幕を跳ね上げ、ひとりの武士が光明の前に平伏した。
　突然の出来事に、諸将は床机から立ち上がり、護衛たちは刀を引き抜いている。しかし、武士の袖についた印は絢瀬軍久本隊の所属を示すものだった。

「名貫川北岸に敵軍の姿なし！敵軍は松明だけを灯し、退却した模様です！」
「「「―――っ！？」」」

　立ち上がっていた諸将は思わず名貫川の方向を見る。
　もちろん、幔幕があって敵陣は見ることはできない。しかし、思わずそうしてしまうほど、この知らせには重みがあった。

「････詳しく話して頂けますか？」
「は、はい」

　居住まいを正した武士はチラリと久本を見遣り、静かに話し出す。

「久本繁政様の弟君――南郷繁満様は敵陣が静かすぎると違和感を抱かれ、数名の兵士を名貫川に入れ、敵陣を視察させました」

　暗闇に紛れ、水面から顔だけ出して索敵したのであろう。

「すると、敵陣に人影はなく、さらに疑問を抱いた繁満様は上陸を許可され、敵軍の不在を確認しました」
「追撃だ！追撃をするべきですぞ！」

　勇ましい発言をしたのは小室真茂だ。

「敵軍はまだそう遠くへは行っていないはず。すぐさま追い打ちをかけ、撃滅すべき！」

　小室の言うことは一理ある。
　敵軍は名貫川という防壁を失い、次の川までの平野部を移動しているに違いない。
　絢瀬勢や寺島勢が保有する騎馬隊を繰り出せば、捕捉することは容易だろう。だがしかし、捕捉したならばすぐに合戦が始まる遭遇戦になるはずだった。
　この遭遇戦が厄介だ。
　通常、兵力に勝る龍鷹軍団が有利なのだが、夜という時間と行軍隊列のまま突入する遭遇戦は兵力差を打ち消しかねない。

「････････････････････････････････」

　光明はチラリと絢瀬晴政を見遣った。
　彼も困った顔をしているが、やはり追撃には反対なのだろう。

「真茂殿、急な追撃は危険じゃろう」

　小室を諭したのは香月邦知だ。

「川澄豊政は若いながらも戦上手。急進した部隊は痛手を被るに違いない。何より、先鋒を受け持つ久本殿はこの都農地域は初めて。地の利は完全に神前のものなのだから」
「む････な、ならば････」

　龍鷹軍団の部将ではなく、同じ日向衆の中から出た反論に小室は勢いを失った。

「とりあえず、名貫川北岸に上陸せぬか？せっかく敵軍が退いたのだ。今のうちに川を越えておくことは利点になると思うのだが」
「ふむ、それは確かに････」

　香月は小室の提案に頷くと、光明に向き直る。

「名貫川を無血にて越えられることにこしたことはありません。ですから、今のうちに軍を進めてもよろしいのではないでしょうか？」
「････････････････････････････････」

（ど、どうしましょう････）

　戦略的に朝になってから気をつけて渡った方が安全だ。しかし、ここで要求を突っぱねれば日向衆が拗ねてしまいかねない。
　連合軍というのは一度足並みが乱れると、あっという間に烏合の衆と化すのだ。

「夜半と言うことですし、第一陣と絢瀬勢本隊、それに本隊が渡河すればよろしいのではないでしょうか？」
「鳴海殿？」
「中央軍が渡河した後、奇襲を受けたとしてもすぐに翼軍が渡河すれば後詰めできます」

　鳴海盛武の視線は光明に向いているが、焦点は合っていない。
　おそらくは香月、小室の反応を見ているに違いない。
　盛武はこう思っているのだ。
　両氏が神前家と結託し、罠にはめようとしているのではないか、と。
　もし罠だった場合、奇襲を受ける可能性がある。そして、受けた場合、両勢は一気に矛先を転じるだろう。
　それを避けるためには中央軍を渡河させ、中日向衆を渡河させない。そして、中日向衆の目付である楠瀬勢、寺島勢の後詰めに盛武率いる八〇〇がつくことで、容易に南岸も敗北しない。

（ここが････妥協点、ということですかね？）

　視線で問いかけると、晴政は渋々頷いた。

―――だがしかし、光明の懸念は的中した。

「―――撃ち返せッ」

　鉄砲組頭の号令一下、鉄砲兵は一斉に引き金を引いた。
　黒色火薬に点火し、その爆発力によって飛翔した鉛玉は装填作業をしていた敵鉄砲兵を撃ち倒す。
　目がくらむような射撃戦は四半刻ほど続いており、そろそろお互いの銃身も限界に近づきつつあった。

「そろそろか････」

　龍鷹軍団先鋒――久本繁政は敵軍の動きを見ながらそう呟く。
　神前軍が攻め寄せてきたのは名貫川を越えた次の朝だった。
　朝食の準備を仕様とした久本勢に突然、銃撃が行われ、騎馬隊が突撃してきたのだ。
　すぐに応戦した久本勢だったが、奇襲隊は一当てするとすぐに後方へと退き、その四半刻後には歩兵隊を伴って攻め寄せてきたのだ。
　朝食準備をしていた龍鷹軍団の反応は鈍く、特に名貫川南岸の日向衆は全く対応できていなかった。
　鳴海盛武は行軍序列に従い、中日向衆から渡河するように命じているため、寄せてくる神前軍の対応は第一陣と絢瀬勢本隊、そして、光明本隊の合計二三〇〇にて行っている。

「本陣より伝令！後陣が渡河する場所を空けるため、前進せよとのこと！」
「相変わった。繁満！」
「おう！」

　盛大に太鼓が打ち鳴らされ、久本鉄砲隊が後退した。そして、すぐさま長柄衆が突撃を開始する。
　当時に久本隊全体が前進するために動き出した。

「敵陣を切り崩せッ！」

　先程の命令は全軍を名貫川北岸に上陸させるためのものである。
　昨夜の渡河は光明本隊を名貫川北岸ギリギリに上陸させたものであり、いざとなれば行軍序列を逆転して南岸に対応する布陣だった。しかし、神前軍の奇襲から一刻近く経っても日向衆は裏切る気配がなく、本当に慌てて戦闘準備をしていることから裏切りはないと本陣は判断する。
　こうなれば、全軍で押し出すのが最も効率的であったが、全軍で押し出すには翼軍はともかく、後陣である鳴海勢が上陸するスペースがないのだ。
　だからこそ、最前線を押し上げることで北岸の軍勢を前進させ、そのスペースを作ろうというのである。

「ん？」

　久本は馬に乗って寄せながら、敵軍の不審な動きに首を傾げた。

「これは････？」

　鉄砲隊を下げたのはいい。しかし、長柄隊を出さずに撤退を開始するではないか。

「あくまで射撃戦に従事するつもりか････？」

　龍鷹軍団を構成する兵士は内乱で磨り潰されたものの、南九州最強と謡われるほどの練度を誇っている。
　同数でぶつかり合った場合、負けることはほとんどないと自負している久本は敵軍の後退もその当たりを考慮しているのではないかと考えた。

（何にせよ、前進できるならばいいか････）

　歴戦の猛将としては納得いかないが、本陣からの命令が達成できそうならばよしとするべきだろう。

「敵先鋒、前進を開始。呼応して北岸に上陸せし全軍が前進を開始しました！」

　物見が帰ってきて、見てきたことを報告した。
　当然、ここからもその報告内容は見られるが、物見の報告はそれだけではない。

「香月軍は準備が完了し、もうまもなく渡河を開始するとのこと。小室軍はもうしばらくかかるようです」
「なるほど。香月軍は一連の戦いで統一されているが、元々小室氏は連合だからなかなかまとまらない、か」

　報告を受けているのは川澄豊政である。
　現在、彼が指揮する八〇〇が久本勢と干戈交えていた。

「敵左翼に隙間が空きますね。例の部隊を突入させましょう」

　久本勢が突撃し、その後ろを永瀬勢がひた走り、さらには絢瀬本隊が駆けていく。
　元々、実戦部隊として練度の高い絢瀬勢は急な進撃でも崩れることなく怒濤の進撃を行っていた。しかし、後方の光明本隊は違う。

「鷹郷家直属部隊――旗本衆、ですか」

（ですが、できて間もない部隊を投入するとは････鷹郷忠流もまだ子ども、ということですか）

「退却します！」

　川澄は颯爽と馬に乗り、後退するために走り出した。
　一斉に退却を始めた神前軍を追い、絢瀬勢は追撃戦に出る。
　昨夜とは違い、今は明るく、懸念していた軍勢も目の前にいた。
　奇襲を受ける心配はない。

「光明様、馬に････」
「は、はいっ」

　急に動いた戦線に光明は慌てて馬に乗ろうとした。しかし、二、三日練習したぐらいで馬に乗れるのならば、馬術の鍛錬など必要ない。

「あ、あれ？」

　乗る人の緊張が伝わるのか、馬が光明を嫌がった。

「ちょ、ちょっと待って下さい？はっ････っとと」

　どうにか乗馬に成功した光明だったが、こうしている内に旗本衆第一陣との距離も空いてしまう。

「い、急がなくては････っ」

　光明がいる旗本衆中陣は三〇〇だ。
　第一陣の五〇〇は瀧井信成が率いており、絢瀬軍の後詰めについている。
　残り二〇〇は手明であり、工兵部隊だった。
　つまり、光明が率いる軍勢は五五〇〇もいるのに、光明を守る兵は三〇〇しかいないのだ。

―――ダダーンッ！！！

「―――っ！？」

　至近距離での銃声にビクリと光明は肩を震わせる。と思ったら、急に馬が体勢を崩して地面へと倒れ込んだ。

「うわぁっ！？」

　放り出された光明は甲冑の重さも相まって、受け身も取れずに地面へと叩きつけられる。

「つつつ････いったい、何が―――っ！？」

　兜のどこかが地面に当たったのか、衝撃でクラクラする頭を振りながら突然倒れた光明は馬を見遣って硬直した。

「あ、ああ････」

　虚ろな眸をした馬は胴体に三つの赤黒い穴を生じさせ、息絶えている。
　辺りを見回してみれば、先の銃撃が命中したのか、苦悶の表情で呻く兵士やそれを助け起こしている者たちがいた。

「これが････戦場････」

　動揺する兵士たちに叱りつけるように指示を出す組頭。
　慌てて刀を引き抜く徒歩武者。
　そんな彼らの視線が一斉にとある方向へと流れる。そして、わぁっと歓声が上がり、光明の周囲が忙しくなった。

「乗り切りだぁっ！？」

　誰かのその声と共に大地が震え出す。
　数十騎の騎馬突撃が銃撃で混乱した光明本隊を襲ったのだ。

「お、弟君を守れっ」
「馬鹿、そんな大声で言ったら―――」
「―――そこかぁっ」
「「キタッ！？」」

　まだ起き上がれないでいる光明の前に立ちはだかったふたりの兵士に向け、三騎が一斉に突撃した。
　元々、徒歩武者が騎馬武者に敵うはずがない。
　訓練云々の前に兵種的相性がある。
　誰もが見上げる相手を苦手とするものだ。

「ぐふっ」

　案の定、わずか二合でふたりは討ち取られた。そして、残るは光明のみ。

「覚悟ぉっ」

　鋭い穂先がピタリと光明向けられ、その鋒にて胴の中心を貫かんとばかりに繰り出された。

「ヒッ」
「「「どぉっ！？」」」

　恐怖に爆発した霊力が三人を跳ね飛ばす。
　さすがは鷹郷家の人間。
　ただの霊力だけでも大の大人を押し返す力があった。だが、抵抗もここまでだ。

「く、この小童めぇっ！」

　素早く光明を組み伏せたひとりが鎧通しを引き抜いた。

「死ねぇっ」

「―――させるかぁっ」

「ごぶっ」
「―――っ！？」

　突然、男の横腹に槍が貫通する。

「な、なに奴！？ぐわっ」

　槍を投げたであろう青年は瞬く間に残りふたりも斬り下げ、光明の傍に跪いた。

「光明様、ご無事で！？」
「あ、ああ････はい････大丈、夫です････」

　ドキドキする胸に手を当て、ほうっと一息つく。
　奇襲されて苦悶する者を見た。
　自分を守ろうとした者が目の前で殺された。
　自分自身、なすすべもなく殺されかけた。
　本の一時の間に寺では味わえない、死線という魔物を見た。

「若殿、奇襲部隊は離脱しました。絢瀬殿も追撃を中止した模様です」
「分かった。とりあえず、乱れた隊列を整えて、父上の軍勢と合流しよう」
「････････････････････････････････････････」

　光明は自分よりも四歳年上なだけの信輝を見て思う。

（はぁ････僕ってダメダメですね････････････）

　落ち込んだ後、強くなろうと光明は懐から数珠を出し、それを力強く握り込んだ。

「―――さすが神前家が誇る知能袋。初心者の小僧を丸裸にしたか」

　名貫川南岸に布陣するとある軍勢の本陣で、その主将が呟いた。

「これはまさか････ふむ、いけるやもしれないな」

　じっと対岸で軍勢を整える光明本隊を見ていた主将に伝令が駆けてくる。

「鳴海盛武様より伝令！至急、名貫川を渡河せよ、とのことです！」
「相分かった。南日向衆だけに任しておれば、次いつ奇襲されるか分かったものではないからの」

　主将は嫌みな笑みを浮かべると、軍配を大きく振るった。

「行軍序列に従い、渡河を開始せよっ」

　主将の采配に従う軍勢の動きによどみない。
　あっという間に、全く停滞することなく、彼の軍勢は名貫川を渡り切った。

訪問者side

「―――見えましたな」
「はい」

　八月二〇日、男女諸島東方七里。
　そこに龍鷹侯国へと近づく船団があった。
　安宅船ほどではないが、大ぶりの船を旗艦とし、三隻の関船が周囲を護衛しながら波を噛み砕く。
　向かう先には龍鷹侯国海軍第二艦隊根拠地――川内港が見えていた。
　すでに周囲は警戒する第二艦隊の主力艦隊に囲まれている。
　東洋最強と謡われる龍鷹海軍に包囲されたというのに、彼の船団は悠々と川内に向かっていた。
　それは帰属不明の西洋船ではなく、しっかりと艦舷に帰属を示す紋章が描かれているからかもしれない。
　帰属が分かっている以上、撃沈してしまえば確実に外交問題に発達するだろう。
　海軍にできることはいつでも撃沈できる構えを取りつつ、陸軍や鹿児島城に伝令を送るだけだった。
　すでに川内に駐屯していた陸兵一〇〇は川内港に布陣しており、民衆も避難している。そして、早馬が鹿児島城に駆け込んでいることだろう。

「ホントに驚いてると思うな」

　潮風が少女の髪を弄ぶように、彼女は、彼女の国は龍鷹侯国を翻弄する。

「結羽様、あまり艦舷に寄られては狙撃されるやもしれませんぞ」
「一番近い船から約二町離れてるのに、さらに海の上だというのに狙撃できるものなの？」
「龍鷹侯国には狙撃部隊とも言える武藤家がございます」
「むぅ････」

　百発百中とも謡われる龍鷹軍団の武藤家は彼女の耳にも届いている。
　内乱で壊滅したようだが、その生き残りの活躍によって忠流は侯王に就いたと言っても過言ではないはずだ。

「････････････････････････････････」

　そっと手すりから手を離し、船中央へと戻った。

「お、面舵ぃっ」

　船長が慌てて命令を発し、旗艦が急転舵する。

「きゃぁっ！？」

　倭国製の船でなければ衝突していた距離に岩礁があったのだ。

「こ、これは････っ」

　通過してみて初めて分かる、人工の岩礁。
　それは川内に通じる一般的な航路上に置かれた罠だ。
　周囲の第二艦隊はここに座礁させることを目論んでいたらしいが、それが失敗した以上、彼らは本気で川内入港を阻むだろう。

「結羽様、もはやこれまでですね、停船許可を」
「････任せます」

　女とはいえ、彼女はこの中で最も高貴な血筋を持っている。
　だからこそ、結羽の国の重臣である彼も一応、停船許可を願い出たのだ。

「停船！無駄な抵抗をせずに停船せよっ」

　旗艦は大きく舵を切った体勢で制止する。そして、その周りに護衛艦が停止し、さらに外周を第二艦隊が取り囲んだ。
　第二艦隊は現在の海軍卿が指揮を執っていただけあって、第一艦隊に並ぶ練度を誇っている。
　完全な包囲網を一瞬で形成し、波の中でも停止していた。

「小早が近づいてきます。あ、傘を回しています！」
「軍使か。梯子を下ろせ。使者を迎え入れる」
「あ、その前に旗を揚げなくていいの？」

　すでに軍艦には紋章が刻まれているが、これは結羽の国の水軍の紋章である。
　水上戦力――水軍は龍鷹海軍とは違う存在だった。
　龍鷹海軍は龍鷹侯国が設立した国営の水上戦力である。だがしかし、他の国が使う水軍はその運営を国家がしているわけではない。
　水軍の殆どがその水域を縄張りにする民で構成されていた。
　海賊行為を働いたり、通行する船に通行料金を求めたりといった行いをしているが、通行料金さえ払ってしまえば、彼らの縄張りでは絶対に襲われることはない。
　水の上を渡ることができる一種の専門集団。
　それが水軍の正体である。
　だから、水軍が現れたからと言って、彼らが従う国の命令とは限らないのだ。
　つまり、ここで結羽の国の旗を揚げると言うことは、龍鷹海軍に正式に結羽の国の軍隊であることを示す、ということだった。

「そうですね、揚げましょうか、我らの紋章を」

　そう言った兄の重臣は旗持ちの武士に合図を送る。

「霧島山････」

　龍鷹侯国の聖域であり、高千穂峰はこの倭国の聖域だ。
　いや、むしろ神域と言ってもいいかもしれない。

「あなたたちにとって、掛け替えのないものがあるように････私たちにもそれがあるんだよ」

　結羽が呟いた時、旗が揚がった。
　その紋章は≪朱地に漆黒の遠山≫である。
　これは西肥前を領し、雲仙岳を霊峰とする武家――燬峰王国の紋章だった。