前哨戦「花嫁候補集結」/2



 六省。
 これが鷹郷忠流が侯王になるなり、侯国軍事・行政などに関わる官省として設置した制度だった。
 兵部省・・・・国防、龍鷹軍団の管理。
 式部省・・・・兵器開発、将校育成。
 民部省・・・・民政・貿易。
 治部省・・・・宗教・外交。
 宮内省・・・・王族の世話。
 近衛省・・・・王族直轄軍。
 これまでは大事な懸案は全て評定にて決定し、その担当者を決めていたが、それでは時間がかかるためにある程度の権限を持たせた専門部署を作ったのだ。
 このため、各省の役職を持った武将たちはその線に強いと判断された者たちだった。
 例えば、兵部省の双璧――陸軍卿には鳴海直武が就任した。
 彼は有坂秋賢亡き今、龍鷹侯国最高の戦術家であり、適任である。
 また、海軍は海軍で海軍卿を置き、陸軍卿と同列にすることによって陸軍と海軍の差別をなくした。
 これは海上輸送能力を有する海軍は陸軍の速やかな展開に期待できるとし、それを維持するには制海権を握っている必要があったからだ。
 各役職に就いた武将たちは山積みになっている侯国再建事業に躍起になっていた。






鷹郷忠流side

「―――あー、あづい・・・・」

 忠流は本丸御殿の自室で大の字になって転がっていた。
 耳には鹿児島城の補修工事による木槌の音や蝉の声が届いている。
 侯王就任から約一ヶ月が経った八月一日。
 忠流は真夏の暑さにだれていた。

「ひま〜」

 侯国はようやく始まった再建事業に忙しいが、トップである忠流は各官省に任せっきりで暇な毎日を送っている。
 最も、再建優先順位の制定や破壊された施設の放棄などは手早く済ませていた。
 兵部省がまず行っているのは各城砦の強化である。
 最前線である出水城や大口城はもちろん、枕崎城などで破壊された要衝も含まれていた。しかし、蒲生城や加治木城などは放棄が決まっている。
 忠流は無駄な城を減らし、直轄地を増やすことで侯国全体の収入を増やすと共に部将を鹿児島城に集めていた。
 これは龍鷹軍団集結速度を速めるためだった。
 普通の戦国大名は各領主の手勢が各城に集まり、それから集結地点に集まる仕組みである。
 これに不満を持っていた忠流が改革に乗り出したのだ。
 このため、龍鷹軍団は鹿児島城やその他の重要拠点に集中配備された。
 よって、忠流が声を発した瞬間、鹿児島城に集結した六〇〇〇もの軍勢が動くのだ。
 同時に出水城二〇〇〇、大口城一五〇〇が動けば、対聖炎国用の即応戦力は九五〇〇となり、聖炎軍団主力とも互角に戦えるはずだった。
 南方からの脅威は枕崎城一〇〇〇が抑える手筈であるが、この一〇〇〇は海軍と連動しており、必要があれば、海上輸送されて北方に運ばれる予定だった。そして、同じく錦江湾を輸送された大隅勢が加われば、龍鷹軍団は一万五〇〇〇を数日中に展開できると言うことになる。

「あ〜」

 この方式は亡き朝流と考えていたものであり、その体制を敷くため陸軍卿の鳴海直武、海軍卿の東郷秀家、民部卿の御武昌盛、式部卿の武藤晴教が尽力していた。
 忠流は指示するだけでもう動いてはいない。

「―――全く、だらしがないですね」

 畳に寝そべっている忠流を見て、紗姫がそう言った。

「そういうお前はどうなんだよ、霧島神宮再建は」
「新神官長と騎士団長が頑張ってます」
「お前も一緒じゃねえか」

 因みにずっと前から紗姫も忠流の隣に寝転んでいる。
 彼女も組織の長ではあるが、やることはやったので暇なのだ。

「―――全く、だらしがないですね」

 奇しくも、先程の紗姫と同じ言葉がふたりに降り掛かった。

「兄上、お久しぶりです」

 忠流と紗姫がむくりと体を起こすと、部屋の入り口に女性と少年が立っている。
 女性は小袖姿の三〇代、少年は法衣を着ており、僧だと言うことが分かった。

「お体は如何ですか?」

 にこっと笑みを浮かべ、少年は入室して正座する。

「兄・・・・?」

 言葉の意味を確認するため、紗姫は忠流を見た。

「確かに久しぶりだな、光明」
「あ・・・・」

 内乱で斃れた長男・実流、次男・貞流以外のもうひとりの兄弟。
 四男・光明。
 鷹郷家の菩提寺――鷹聚寺にて、鷹郷家の繁栄を願っていた。しかし、忠流しか一門がいない状況では問題があるため、忠流の命で還俗させられたのだ。

「それで、私まで何の用です?」

 女性は光明の生母――秋美だ。
 因みに実流の生母でもある。

「私は夫と息子の菩提を弔いたいのですが?」

 朝流の正室が反忠流である以上、その菩提を弔う役目には不十分である。しかし、忠流は聡明な秋美を必要としたのだ。

「秋美さんは宮内卿として、この鹿児島城の奧を取り仕切って頂けませんか?」

 本来、当主の正室が行う仕事だが、忠流に正室はなく、また、正室も長い間生活してなければ勝手が分からない。
 忠流も鷹郷家当主とはいえ、国分城で育っていた。
 そのため、十数年間この城に住み、奧を知っている秋美に頼んだのだ。

「鹿児島城の守備については猛政と相談してくれ」
「・・・・承りました」

 加納猛政は近衛省のトップ――近衛大将に就任している。
 旗本衆改め近衛衆の統一指揮を任されており、平時の鹿児島城守備は彼らに一任されていた。しかし、近衛衆は三〇〇と少なく、そのために内乱で士分に取り立てた者たちを用い、宮内省が自由に使える戦力にしたのだ。
 これを指揮するのは宮内省次官――宮内大輔・絢瀬吉政だ。
 吉政は絢瀬家を嫡男・晴政に譲り、鹿児島城で闘病することにした。
 忠流が出陣する場合、鹿児島城の留守居として守る役割を持っている。

「それでは兄上、僕は何をしたらいいですか?」

 秋美は宮内卿としての仕事ができたが、一門衆である光明はあくまで一門衆だ。

「特定の役職には就けない。お前は俺の代わりに方々に行ってもらうと思う」
「あなたが行くと、行った先で倒れますからね」

 視線を逸らしてわざとらしくため息をつく紗姫。
 強く言い返せないのが痛いところだ。

「兄上の名代、ということですか?」
「ああ、とりあえず、日向へ行ってくれるかな?」



「忠流様、光明様を名代にして軍勢を送り出し、どうするつもりですか?」

 五日後の八月六日、鷹郷光明は近衛衆五〇名と式部少輔・瀧井信成率いる一〇〇〇と共に日向国高鍋城へと出発した。
 同時に高鍋城に小林城、都城、飫肥城といった主要拠点より軍勢を集結させ始め、二〇〇〇強の軍勢が高鍋城に集結する予定である。また、国分城からも軍勢が送り出され、鳴海盛武率いる八〇〇が光明勢と合流した後に日向へと向かう。
 結果、数日後には高鍋城には四〇〇〇近い軍勢が集結するはずだった。

「どういうつもりだと思う、直武」

 北上していく軍勢を見下ろしながら、振り返ることなく問いかけた。

「この時期に軍勢を動かすことには必ず意味があります。そして、その意味とは内乱中に作られた可能性が高い」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 忠流は振り返り、にっこりと笑みを浮かべる。

「それに幸希・・・・おっと、御武幸盛もおりませんな。幸盛は幼少と言えど、中日向豪族衆との折衝を任されていた時盛の後継者」
「なるほど、密約があったのですね。反攻作戦の折、日向領が荒らされないように、と」
「そういうこと。一応、公約、ってやつだからな。そして、国家間の約束だ。相応の地位にある奴が軍勢を率いる必要がある」

 何故か直武の隣にいた紗姫の結論にそう返し、龍鷹軍団を統べる軍神を見上げた。

「それに、これはもうひとつの反攻作戦に関わる軍事作戦だ」
「ならば、主力を動かしては―――」
「いけないんだよ。これはただの国境線作成作戦でなければならない、一見はな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 忠流は天守閣の欄干から手を離し、広間に戻ってくる。

「直武、あの軍勢の指揮は?」
「日向陣代である絢瀬晴政となるでしょう」

 絢瀬晴政は家督を継ぎ、小林城から高鍋城に移っている。
 高鍋城主であった御武時盛は戦死、家督を継いだ幸盛は幼く、家政を取り仕切る祖父・昌盛は民部卿として鹿児島城に詰めることとなった。
 このため、忠流は思い切って御武家を鹿児島城下に招き、代わりに絢瀬家を高鍋城に移封したのだ。

「従うかな?」

 晴政は二三歳の青年武将だ。

「大丈夫でしょう。えびの高原の戦いや決戦での奮闘は日向衆の目に焼き付いている」

 直武は太鼓判を押す。

「さて、俺も仕事するかな〜」

 忠流は龍鷹侯国の地図を広げさせた。

「直武、聖炎国の動向はどうだ?」
「水俣城には目立った動きは見られず、人吉城には二〇〇〇ほどの軍勢が集結しています。しかし、佐久殿が目立った行動をしないように、と注意したために国人衆はおとなしくしているようです」
「ま、いたずらに乱を起こされるよりマシ、だな」

 戦死した山野辺秀邦の嫡男は鹿児島城に呼び戻され、大口城将には佐久頼政が指名され、一五〇〇の軍勢を率いて人吉城を睨みつけていた。
 出水城は城将・村林信茂の処罰はなし。
 当然、不満が噴出したが、彼以外に国境を任せられる人物はいなかった。
 ただでさえ、内乱で貴重な指揮官が数多く戦死しているのだ。
 藤丸方で言えば、鷹郷実流、武藤家教、御武時盛、山野辺秀邦。
 貞流方で言えば、鷹郷貞流、有坂秋賢、相川貞秀、寺島春国、植草憲正、向坂由種、加藤長泰、堀尾吉明、鹿屋信直。
 大名級だけで一三人。
 その他、中間指揮官まで数えれば数十人の指揮官を失っている。
 兵の数も数千を失っており、龍鷹軍団は甚大な被害を受けていた。
 この状態であれば、生き残った指揮官たちは何が何でも現役でいてもらわなければ困る。

「式部卿、育成機関の方はどうだ?」

 式部卿・武藤晴教に忠流は問う。
 式部省の仕事は文官の人事や礼式などを司るほか、軍人の教育などをも行う。
 このため、式部卿を校長とする士官学校は設立された。

「三ノ丸の一角に設けた建物はもうそろそろ竣工するそうじゃな」

 この建物こそ、士分の子弟を集めた中間指揮官育成機関である。
 各大名家から大名の息子やその重臣の息子などを推薦式で一年に一回受け入れる。
 まず、即戦力が必要なことから、衰退した軍団を支える中で新たに物頭に任命された部将たちを集め、簡単な訓練を行っている。
 教官に就いている者は利直同様、隠居した部将や怪我のために指揮を執れなくなった部将たちで構成されていた。また、元服前の子どもたちを集め、初等教育も行っている。
 これは人質だという者も少なくはなかったが、領国にいるよりも遙かに高度な教育がなされることから概ね好意的に受け止められている。
 初等教育者は数年がかりで戦略や戦術などを叩き込まれるのだ。

「まあ、建物自体はすぐにできるじゃろう」

 建物を作っているのは戦時急造陣城などを用意する龍鷹軍団の工兵部隊である。
 大工などに弟子入りし、専門技術を習得した者たちだからきっと素早いに違いない。
 忠流はこうした工兵も徐々に増やしていくつもりだった。

「とりあえず、龍鷹軍団を再建しない限り、安心はできないからな」
「まあ、聖炎国の速攻は鹿児島城に戦力を集中することで回避できますから、こちらから攻める戦力が整えば十分でしょう」

 直武が応じる。
 確かに国力がかなり損失したと言っても、それは聖炎国と同様である。そして、忠流の政策により、龍鷹軍団の即応力は向上しており、奇襲を受ける可能性はかなり低かった。

「衛勝、兵の調練は、どうだ?」
「まだ始めたばかりですので何とも言えませんが、すでに内乱時に行ったことですので、精鋭を作って見せますよ」

 兵部大輔に就任した長井衛勝は蒲生城を引き払い、家臣たちを鹿児島城下に住まわせている。そして、彼らは新しく志願してきた兵士たちに調練を行っていた。
 因みに兵の志願制は内乱以後に行われた新制度である。
 彼らは忠流を総大将とする旗本衆に組み込まれ、組単位やいくつかの組を物頭が統率し、他の大名に戦力――与力として貸し与えられる。
 これらを旗本衆とするため、加納猛政率いる前旗本衆は近衛衆と名を改めていた。

「即刻、国力を回復しなければならない。俺たちの敵は未だ生きているのだから」
『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 沈黙が広間に満ちた。
 龍鷹侯国の当面の敵は肥後人吉城を奪取した聖炎国である。しかし、忠流は貞流から新の敵の手がかりを得ていた。
 現在、朝流襲撃事件の容疑者である霜草久兵衛の行方を追うと共に、黒嵐衆は鈴の音について調べている。

「ま、各改革の計画書は渡してあるから、何かあったら探してくれ」
『『『え?』』』
「じゃあねー」

 そう言って忠流は呆気にとられている諸将を置き去りにして大広間から飛び出す。

「さあて、鹿児島城下はどんなかなー♪」

 いつの間にか庶民の服に着替えた忠流は内乱時に侵入した経路を通って城外へと飛び出した。


「―――おうおう、これが鹿児島城下かぁ・・・・」

 南九州一の都市に繰り出した忠流は感嘆の息をついた。
 防衛面において、海の傍にある城は危険だが、海の傍に町があると言うことはそれだけで栄える。
 海路によって運ばれてきた物資が次々と陸揚げされ、商人たちの呼び声や町民たちの笑い声などで活気に満ちていた。
 鹿児島城下は内乱でも大軍による抗戦が起きなかったことでほぼ無傷である。
 忠流が城から脱出する時に海軍第一艦隊より艦砲射撃を受けたが、その大部分が鹿児島城に飛び込んでいるため、砲弾による被害はなかった。
 それでも、内乱という空気を感じ取っていたのだろう。
 それが取っ払われた瞬間に彼らははしゃぐように平和を享受し始めていた。

(ごめん)

 忠流はそんな民衆に声に出さずに謝る。
 龍鷹侯国が龍鷹侯国であるためには戦を起こさずにはいられないのだ。
 この中の何人かが直接に戦で命を落とすだろう。そして、その数よりもはるかに多い民が悲しみに涙するだろう。

「『ひとりでもつまらないことで泣くことのないように』、か」

 朝流がかつて忠流に言った言葉。
 そこには決して犠牲を減らすことができないという現実的なことも含まれていた。

「うーん、こう見てると大きいな・・・・」

 商業用の鹿児島港の隣には龍鷹海軍第一艦隊に所属する安宅船を集中配備した第一戦隊が停泊する鹿児島軍港が存在する。
 軍港自体は鹿児島城の縄張が海にまで続いており、一般人が立ち入ることはできない。しかし、軍港に停泊する四隻の安宅船は確認できた。

「ん?」

 何やら安宅船周辺が騒がしい。
 水兵がしきりに縄ばしごを移動しており、接舷した艦舷と同じ高さまで組み上げられた土台から砲弾とも思しき球体の物体が次々と運び込まれていた。

「・・・・あれは・・・・」

 鹿児島軍港のはるか向こう――指宿港の方面から立ち上る一本の赤い煙。
 それは海軍が連絡用に使う烽火だ。

「赤ってことは・・・・っ」

 忠流は地を蹴り、走り出した。
 行く手を阻む人間は驚いたように飛び退くが、そんな迷惑など考えずに全力疾走に近い速度で軍港入り口を目指す。
 軍港入り口となる城門は水兵が槍を持って警備していたが、むしろそれは好都合だった。

「侯王の忠流だッ。この中に入れろッ」
「「は!?」」

 返事を待たずに開きっぱなしの城門を潜った忠流は制止の声を無視して乗ったことのある安宅船向けて突撃する。
 騒ぎを聞きつけた水兵たちが肩に抱えていた荷物を下ろし、腰から刀を引き抜いた。しかし、忠流は安宅船の甲板にいる壮年の部将に声を掛けた。

「秀家っ。・・・・海軍卿・東郷秀家っ」

 水兵たちに包囲される中、忠流はその男だけを見遣る。
 騒ぎに気付き、また、己を呼ぶ声に気が付いた東郷は忠流を見下ろし、何故か盛大にため息をついた。そして、口の中で何か呟く。

(『全くこの一族は』?)

 正確に唇の動きを読んだ忠流は首を捻った。
 東郷が知っている鷹郷一門と言えば、鷹郷実流が第一に浮かぶ。
 兄と忠流を指しての言葉だったのだろうか。

「何か御用ですか、忠流様。我が部隊が見ての通り、出陣準備をしているのですが?」

 それは部下を死地で待たせている部将の言葉だった。
 ここで浪費した時間は戦死した兵の数で購われる。

「俺も連れてけ」
「拒否―――」
「―――いいよ」

 忠流の言葉に間髪入れずに返そうとした東郷の顔が歪んだ。

「早く乗りなよ」

 ひょこっと東郷の背中からひとりの少年が顔を出す。

「侯王にも陸の上だけじゃなく、海の上の戦いも理解してもらった方が便利でしょ?」
「〜〜〜〜〜ッ、ええいっ、水兵たち、侯王を旗艦へお連れしろッ」

 両手で頭を掻きむしった東郷は顔を真っ赤にしてそう命じた。






異邦人との戦いscene

「―――見事な手際だ」

 ゴドフリード・グランベルはつかず離れずの距離を保ちながら付いてくる小舟に言った。

「艦長、陸地です。島ではありません。海岸線が続いています」
「うむ、中華人の海図は正しかったようだな。となると、あの哨戒船は彼の陸地の海軍のものか・・・・」

 場所は薩摩半島南方三里、薩摩半島と硫黄島を結ぶ線の上を彼らは北上していた。
 哨戒船は硫黄島付近からずっと付いてきているが、帆船であるこの船を追うのは非常に疲れるのだろう。
 先程から若干、距離が開き始めていた。

「艦長、やはり、海軍が出てくるでしょうか」

 副長はゴドフリードの耳元で囁く。
 この軍艦は臨戦態勢で、各砲には弾薬が運び込まれていた。
 その気になれば、あの哨戒船を撃ち沈めることも可能である。

「間違いなく来る。中華帝国海軍を撃滅した海軍が、な」

 無駄玉を撃たない理由はやってくるであろう龍鷹海軍に対しての備えだった。
 硫黄島から上がった烽火に気付いた敵艦隊が大挙としてこちらに向かっていることは明白である。

「あ、もうひとつ狼煙が上がりましたっ」
 メインマストに設けられた見張り所から報告が入った。

「一時の方向にもう一隻、哨戒船! 烽火を上げていますっ」
「敵艦隊の前方哨戒船だっ。総員、戦闘配置っ」
「戦闘配置っ」

 水兵たちは手慣れた動作で、各砲の試し打ちを始める。
 まずは空砲で、問題がないかを確かめ、実弾を発射して射角を確認した。

「全砲門使用可能っ」
「うむ、長い航海でも一門も欠けることのないとは実に見事」

 ゴドフリードは練度の高い麾下の水兵に満足し、海岸線を睨みつける。

(哨戒船は海岸線との間に現れた。しかし、敵艦隊はその向こうにはいない・・・・)

 まさか諸外国にまで轟く海軍を持っていながら、水際迎撃で来るとは思えない。

「見張り要員、海岸に敵は認められるか!?」

 副長もまさかとは思い、確認するために声を上げた。

「・・・・・・・・・・・・旗を見ることはできませんっ。少数はともかく、百を超える軍勢が布陣しているようには見えませんっ」
「やはりか・・・・」

 哨戒船に見つかってから二刻以上経っている。
 急報を受け、即応体制の海軍ならば四半刻で出港できるはず。
 倭国の船は艪で動かす旧式だが、凌波性がいいという。
 ならば、よほど離れた場所に根拠地がない限り、やってきてもおかしくはない。

「ん?」

 西日を受けて白く輝く海面に何か見えたような気がした。
 ゴドフリードは左舷に歩み寄り、まぶしさに堪えながらも目をこらす。
 白い光の中に小粒の影とそれよりも大きな影が動いている。
 いや、ほとんど動いていないが、徐々にその影が大きくなっていた。

「・・・・まさか・・・・いや、なるほど・・・・ッ」

 思わず艦舷を叩いて歯がみする。
 敵艦隊は早くからこちらの位置を掴み、行動していた。
 敵司令官は根拠地から一直線にゴドフリードが座乗する軍艦に向かうのではなく、一度通り過ぎてから西日を背負って突撃する方法を選んだのだ。
 目視に頼る索敵方法は当然、明かりに左右される。
 このため、太陽を背に侵攻してくる敵に対しては太陽光の水面反射や監視員のまぶしさによる視界減衰が原因で索敵能力が著しく低下する。
 龍鷹海軍はこれを巧みに利用し、ゴドフリードたちが逃走しないよう、距離を詰めたのだ。

「左舷より敵艦隊ッ。左砲戦よぉーいっ」
「敵艦隊、大型艦四、中型艦八、小型艦二〇ッ」

 総勢三二隻の大艦隊だ。
 もっとも、隻数ではそうだが、西洋海軍の常識で言えば、軍艦はわずか四隻である。

「こちらからの射撃は禁止するっ。相手の出方を待つっ」

 航法によって逃げることができなくなったゴドフリードだが、いざ直接砲火を交えれば負ける道理なしとばかりにふんぞり返った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そんなゴドフリードの背中に送られる視線がひとつ。
 水兵の慌ただしさから船倉から甲板に出てきた少女は虚ろな視線をゴドフリード――父に向ける。そして、その視線を太鼓の音で陣形を整えていく、敵と思しき艦隊に向けた。

「ホントに・・・・大丈夫?」



「―――敵艦、発見っ」

 見張り員からの報告を受けるまでもなく、龍鷹海軍第一艦隊は敵艦を発見していた。
 西洋船の特徴である三本の大きなマスト。
 何よりも大きい船体。
 かつて、戦った中華帝国海軍の帆船とはまた違う作りだ。

「砲撃用意っ」

 東郷が叫ぶと同時に太鼓の音が変わり、安宅船はそれぞれの方向に散開して各々の射程に敵艦を捉える。
 龍鷹海軍の戦法は遠距離によって敵艦隊向けて砲撃を敢行して大型艦の動きを止め、関船らによる突撃で最終的には沈める手法を採っている。
 これは大砲は命中すれば威力があるが、肝心の命中力が低いために結局、主力は関船以下の白兵戦部隊だったのだ。
 中華帝国の大軍相手に龍鷹海軍が勝てたのは中華帝国が密集隊形を組んで関船らの突入に対抗したところに砲弾が集中して被害艦が続出。
 最終的にはそれら被害艦のために身動きが取れなくなり、次々と沈められたのだ。

「秀家、気をつけろ」
「はっ。心遣い感謝なれど、敵は単艦。我が第一戦隊が動いた以上、逃げ道はないかと・・・・」

 海軍卿である東郷が敬語を使う相手は忠流ではない。
 注意したのは齢十歳の少年だった。

「敵の艦舷に設けられた砲門数が多い。甲板はもちろん、艦腹にもあるぞ」
「何ですって!?」

 見張り員顔負けの視力を発揮した少年の名は鷹郷源丸。
 忠流もつい先程知った、従兄弟である。

「あの形状だと、艦首もしくは艦尾を押さえた方が散布界を小さくできる」
「くっ、陣替えだぁっ」

 さすがの安宅船も数発以上の砲弾を喰らえば無事では済まない。

「侯王、これが海の戦いだよ」
「あ、ああ、すごいなぁ・・・・うっぷ」

 伝令が駆けることなく、太鼓の音色だけで陣形が変わっていく。そして、潮流があるにもかかわらず、一糸乱れぬ統率は陸上を駆ける兵ですら難しい。

「・・・・源丸、お前が指揮を執るのか?」
「まさか、俺はまだまだ勉強中だよ」

 源丸の血統は忠流の従兄弟と説明したが、その父は内乱初期に謀殺された鷹郷実流である。
 だからこそ、内乱中は指宿港にあり、貞流は手が出せなかった。そして、海軍も実流の後継者を世に出すことなく、留め置いたのだ。

「でも、変だな」
「何が?」

 首を傾げる源丸に忠流が問いかける。
 この空間だけは慌ただしく動く水兵たちから取り残されていた。

「あの艦腹に並ぶ砲門からして・・・・なんか吃水が深すぎるような気がする・・・・」

 確かに、あの位置に砲扉があった場合、射撃中に波がかかるのではないのだろうか。
 事実、現在、砲扉は開かれていない。
 甲板の水兵たちは慌ただしく動いているため、甲板の砲門は開かれているようだが。

「おおっとっと・・・・」

 呑気に話をしているが、両艦隊は好位置を占めようと高機動中だ。
 敵艦は巨体である分、波に翻弄されないが、それでも大きいと言うことは旋回半径が大きい。
 対して龍鷹海軍が全体的に小振りで波に翻弄されるも、持ち前の凌波性で波を噛み砕き、小さな旋回半径で徐々に敵艦に近付いていた。
 両艦隊の距離が二町を切った時、ガクリと西洋船が傾く。

「―――っ!? やっぱりっ」

 源丸は走り出し、艦舷の手すりに手をついた。

「浸水してる・・・・ッ」

 敵艦の状況に気付くや否や、源丸は己の霊力を活性化させる。

「全艦、攻撃を中止ッ。救助態勢に入れっ」
「・・・・ッ!? 源丸様!?」
「秀家、奴は手負いだ。艦首前方に破口がある。そこから浸水しているぞっ」

 源丸が指差すと同時にまた敵艦が傾いた。

「石火矢より、実弾を取り出し、空砲を撃ち放てっ」

 東郷の命令に旗艦の全砲門から実弾が抜かれ、次々と空砲を撃ち放つ。
 空砲の意味は「我が砲に戦意なし」である。
 この当時の大砲は連射が効かないため、一度撃ち放てばすぐには戦えない。

「来た、やっぱりっ」

 やがて、敵側からも空砲が鳴り響いた。
 音量は旗艦の数倍だったが、空砲であることには変わりない。
 こうして、西洋船は龍鷹海軍の第一艦隊と砲火を交えることなく、ともに陸地向けて航行し始めた。










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