第三戦「降臨せし龍鷹が槍」/ 七



「―――撃てぇっ」

 長井勢一番物頭――小幡虎鎮の大身槍が振り下ろされ、後方の鳴海勢から増援を受けた鉄砲衆が一斉に引き金を引いた。
 轟音が弾け、百を超える弾丸が飛翔し、射撃戦に従事していた向坂勢鉄砲衆を打ち崩す。
 合戦開始から二刻が経とうというこの時、開戦直後から撃ち続けている火縄銃の砲身は限界に来ていた。
 射撃戦を主とする武藤勢は鉄砲兵一人につき、二〜三挺の火縄銃を用意しているが、そこまで経済的余裕のない通常の軍勢は一人当たり一挺である。
 つまり、開戦から時間が経てば経つほど軍勢の中の鉄砲は数を減らしていくのだ。

「押せぇっ」

 ただでさえ、鉄砲が少なくなり、砲身を濡れ布で冷やしていた向坂勢に長井・鳴海鉄砲衆の一斉射撃は痛撃だった。
 三〇名近い兵が死傷し、鉄砲組頭も討ち死にする。
 戦線崩壊の危機に陥った向坂由種は仕方なく、長井勢の突撃を同じ長柄衆にて受け止める決意をした。

「長柄衆、前へっ」

 最後の反撃とばかりに数挺が押し寄せる長井長柄衆に発砲し、逃げるように後退する。そして、四〇〇名を超える長柄衆が整然と前に出た。

「三段目は石突を地面に固定、二段目は水平に、一段目は上から振り下ろせ」

 三段目は目の前に突き出された穂先を見て、敵兵に突撃を躊躇わせる。
 二段目はそれでも突撃を敢行した敵兵を串刺す。
 一段目は止まった敵兵も突撃した敵兵もまとめて叩き潰す。
 歩兵密集隊形の一般的な布陣だった。

「さあ、来てみろ、長井勢・・・・。最強の呼び名も今日までだッ」

 そう息巻いた物頭の耳はあらぬ方向からの轟音を捉えた。

「なっ・・・・」

 見れば、鉄壁の一角が血飛沫を上げて吹き飛んでいる。

「あそこだっ」

 悲鳴のような声を上げ、ひとりの長柄兵がとある方向を指した。
 思わずそこに目を向ければ、激戦を続けているはずの隣――武藤・植草戦線から少し外れたところに三〇名ほどの兵士がいる。
 その内、十数名は片膝を付いていた。

「またか!?」

 火縄銃の有効射程距離は一町、二町は最大射程距離に近い距離だ。
 六匁弾如きでは風の影響を無視できず、命中しても装甲を貫通できない。
 威力を発揮するならば装甲に守られていない場所――喉や顔面などの急所だけだ。

「・・・・これが・・・・武藤だと・・・・ッ」

 おののく彼をあざ笑うかのように加治木城から統教と共に脱出した武藤兵は、愛銃を頬付けするなり狙いを付けて撃ち放った。
 その弾丸は先程空いた穴の両脇を撃ち抜き、さらにその穴を広げる。

「しまった・・・・っ」

 鉄壁とはいえ、遠距離攻撃を喰らえば崩される。
 早く対応しなければ、それは致命的なものとなる。

「四段目はその穴に―――」

 言い終わる前に長井勢から幾条もの火線がほとばしった。
 それは余さず「穴」と呼称した位置に命中する。
 隣が不安になり、少しだけその穴を埋めようと動いていた足軽が奔流に巻き込まれ、火達磨になって地面に転がった。

「霊術か・・・・っ」

 本来ならば敵の霊術攻撃を防衛するための術者が等間隔に配置されている。しかし、武藤勢の狙撃はその者を的確に捉えていたのだ。

「徒歩衆、その穴を埋めよッ」

 敵長柄隊はすぐ目の前だ。
 今、長柄衆を動かせば全面崩壊に陥る。
 そのため、その穴は武士による白兵戦で押さえるしかない。だが、長井・武藤はそれが狙いだったために最強の一手を打った。

「はぁっ」

 大身槍が旋回し、まとめて三人もの武士が命を散らす。

「蹴散らせッ」

 穴に楔として打ち込んだ"長井騎馬隊"は一瞬で徒歩衆三〇名を蹴散らすと、左右に展開して長柄衆を蹂躙し始めた。そして、混乱した向坂長柄衆に長井長柄衆が襲いかかり、点だった崩壊が瞬く間に面となる。

「戸沢、武藤勢の援護へッ」

 衛勝は一番物頭の小幡虎鎮が敵戦線を崩壊させたことを見て取り、三番物頭を務める戸沢可成に命じた。
 戸沢騎馬隊八〇が一斉に迂回し、白兵戦に興じていた植草勢に突撃する。

「長井三番物頭、戸沢可成が植草憲孝を討ち取ったぁっ」
「ははっ、逸っておるな」

 植草勢は一門衆を討たれたことで大きく動揺していた。
 その動揺を衝き、武藤勢は一斉に距離を開け、温存していた鉄砲衆を前進させる。

「撃てぇっ」

 自らも鉄砲を構えた統教が直接射撃命令を下した。
 距離二〇間からの五〇数名による一斉射撃は全弾命中し、五〇名弱を瞬時に戦闘不能に追い込んだ。
 その中には一番物頭である植草憲宏も含まれている。
 わずかな時間だけで貞流勢先鋒が大きく崩された。
 これこそが龍鷹軍団が誇る長井・武藤の強みであり、それを効果的に使いこなすのが鳴海直武の手腕だった。

「右翼を解放せよっ」

 長井勢が前進することで、長井−楠瀬−御武の戦線に隙間が生じ、その隙間向けて鳴海盛武率いる四〇〇が突撃する。
 目指すは敵左翼後方。
 右翼奥深くに突入している敵左翼軍を包囲し、殲滅することだった。しかし、貞流から指揮権を委譲された有坂秋賢は直武の策を読み、一手を打っていた。

「むっ」

 盛武は村林勢後方に襲いかかろうとしていたが、すぐさま反転する。

「鳴海直武の嫡男か、手合わせ願おうぞッ」
「有坂秋賢の双璧・・・・久本繁政かッ」

 両主将の霊術が激突し、激しい爆発が起きた。
 連発する爆発の間に距離を詰めた両勢の長柄衆が激突し、徒歩武者は得物をぶつけ合う。
 久本隊は四〇〇であるため、盛武隊はその総力を投入しなければならず、藤丸勢は戦局打破には至らなかった。しかし、中央軍の戦況は徐々に藤丸勢有利に動き出す。
 それでも主力軍野戦決戦の趨勢が決するまで、まだ数刻の消耗戦は必要であった。






岩剣城攻防戦U scene

「―――放てぇっ」

 銃眼から銃口を突き出し、合図と共に引き金を引いた。
 その視界の向こうでは直撃を受けた足軽が血飛沫を上げて崩れ落ちる。
 ここ、旧平松城では三方から貞流勢の攻撃を受けていた。
 守るは吉井直之率いる三〇〇だ。

「我らにできることはただ戦うのみだッ」

 直之は元・貞流の子飼いである。
 攻め寄せる他の子飼い衆とは違い、「貞」の字はもらってはいないが、かつて、えびの高原の戦いでは円居を率いて参戦していた。
 あの時、貞流の行いには義がないと判断し、藤丸方に寝返った。
 その行動に後悔はない。

(立派に育たれましたな、貞流様)

 前までの貞流ならば兵力差を武器に遮二無二に突撃したに違いない。だが、今はしっかりと他の藤丸勢を牽制しながら、この旧平松城に兵力を集中していた。
 戦術の冴えにも磨きがかかり、この戦場までの戦略も見事だった。
 大戦略は分からないが、軍事に関しては藤丸以上の才覚を有していても不思議はない。

「絶対に取り付かせるなッ」

 平松城は城といっても平時の政務を行うための政庁としての城だ。
 一重の堀と土塁、土塁上には土壁が張り巡らされ、四隅の物見櫓があるだけであり、その内部も城壁が一重あるのみで防御力は低い。
 侵入されれば兵力で押し潰されることは必至だ。

「ん?」

 咆哮を続けていた海軍の艦載砲が砲撃目標を変えた。
 これまでは旧平松城西方だったのに、今度は東方となったのだ。
 確かにその方面からの圧力は大きく、押し崩されそうだった。

「しかし、あちらに戦力は・・・・って、迂回戦術かッ」

 吉井が叫ぶと共に敵左翼軍――平岩勢四〇〇の横手から藤丸勢が突撃する。

「押し崩せッ」

 瀧井信成率いる二〇〇が一斉に穂先を揃えて前進し、横腹を見せていた平岩勢を突き伏せ出した。
 最初の突撃で長柄が倒れ、旗がざわめき、混乱していることが遠目からでも分かる。
 さらにその混乱した後方から騎兵八〇騎がえぐるように突撃した。

「平岩貞吉殿はどこだ!?」

 食い止めようとする徒歩武者と打ち合うことなく、霊力で吹き飛ばした瀧井信輝は戦場を見回す。
 大混乱に陥った平岩勢は信成率いる歩兵隊によって鉄砲隊が制圧されつつあり、旧平松城への圧力は減じていた。
 藤丸の、旧平松城への攻勢減衰戦略は成功しており、後は平岩勢を撃破することができれば、戦局に大きく影響するだろう。

(だからこそ、敵将を討つッ)

 兵器に大きな差がない戦いでは指揮官の優劣が大きく勝敗を分ける。
 このため、敵将を討ち取ることができれば、それだけただ集められた兵――足軽を統率することができず、軍勢は瓦解する。

「いたッ」
「ムッ」

 必死に足軽を統率していた壮年の武将が信輝の言葉を受けて振り向いた。
 立派な兜に肉厚な胴丸をつけたその武将は大身槍を手に歯噛みする。

「瀧井家の荒小僧かッ」

 信輝は先の枕崎城攻防戦で相川貞秀率いる征討軍と激しく戦っており、その名と顔を知られていた。
 また、士分のほとんどが修練している瀧井流槍術の後継者として早くからその武勇を認められている。
 戦場で会いたくない武将としては「槍の弥太郎」の異名を持つ、長井衛勝と並ぶだろう。しかし、衛勝は圧倒的な霊力と武威で軍勢を蹴散らすが、信輝は敵将を討ち取る、一騎打ちにおいて無類の強さを発揮する。
 狙われる側である者からすれば変わらないが、信輝が討ち取ると決めた以上、一騎打ちは免れない。

「近付けさせるなッ」

 やや取り乱した平岩の命を受け、眦を決した馬廻の若武者たちが馬腹を蹴り、その郎党たちが押し寄せる。

「若、先へっ」

 それを迎え撃ったのは信輝の馬廻たちだった。
 精鋭中の精鋭を選りすぐった騎馬武者は騎兵と歩兵の両方を相手にしても有利に戦いを運んでいく。そして、邪魔者のいなくなった信輝は平岩向けて突進した。

「くぅ・・・・ッ」

 苦し紛れに放った霊術と狙い澄まされた信輝の霊術が激突し、砂塵を巻き上げる。
 その砂塵の中、信輝は素早く下馬した。そして、貞吉の右手を駆け抜ける愛馬とは別に自身は左へと回り込む。

「な、いない!?」

 砂塵を目眩ましと考え、馬蹄の響きから位置を予想して穂先を突き出していた平岩は空の鞍を見て驚愕した。

「ふっ」

 そんな驚きで硬直した平岩の背中から具足の合わせ目目掛けて穂先を突き出す。
 具足は正面の防御力を重視した作りであり、動くためにそこかしこに余裕を持たせた作りとなっている。
 背後からはその自慢の装甲は役に立たないことが多かった。
 まさに、背中を見せれば負け、である。

「平岩貞吉討ち取ったぁっ」

 喊声の中に思わず硬直を伴わせる衝撃を以て信輝の声が駆け抜けた。
 主将が討たれた。
 それはその円居が組織的戦闘力を喪失したに等しい。
 主将が討たれても戦闘能力が維持できるのは、次の指揮官が誰か指定されている場合か、属す軍兵ひとりひとりに徹底した訓練を施し、戦の意義を理解させる必要があった。
 後者は非常に金がかかるために成し遂げているのは龍鷹軍団でも全士分で構成されている旗本衆ぐらいだ。
 前者は数百くらいならば、主将と数名の組頭で統率できるため、次席指揮官を決定していない場合が多い。
 つまり、平岩貞吉を失った平岩勢は自分たちの中でこの混乱を収拾するカリスマを持った指揮官がいない限り、外部からの介入を受けて立て直す必要がある。
 それができるのは総大将である鷹郷貞流のみ。
 だからこそ、藤丸は貞流から最も遠い場所に布陣した平岩勢を奇襲したのだ。

「平岩貞吉様、御討ち死にッ」

 本陣に届けられた凶報は十分に予想できたものだった。
 平岩勢は寸断され、各組頭が数十の兵を統率して交戦している。
 奇襲されたとはいえ、半数の瀧井勢に翻弄されていることから、その指揮系統が消滅している可能性が高いと思っていたからだ。

「瀧井は旧平松城の南に回ったか」

 子飼いの戦死は辛いが、戦に犠牲はつきものだ。
 むしろ、その死は勝利を以て供養すべきである。

「前野に前進を命じろ」

 旧平松城を包囲するように展開した平手−生駒−平岩勢とは別に布陣している前野勢の前面には、貞流の予想では伏兵が展開しているはずだ。
 そう伝えているため、前野もしっかりと警戒して前進するはずである。
 前野勢が大きく崩れることはないだろう。
 だから、その伏兵戦力を引きつけることはできるはずだ。

「決着をつけるぞ、藤丸」

 貞流は馬を呼び、その背にまたがる。

「これより本陣は藤丸本隊へと突撃するッ」

 采配を放り捨て、大身槍を受け取った貞流は穂先で藤丸本隊を示した。
 その分かりやすい指揮を見た貞流本隊は士気を上げ、前進を始める。
 先程まで前面にいた平手勢は城内戦に移行した旧平松城をさらに攻め立てるために本陣ごと移動していた。
 このため、貞流と藤丸、双方の本隊は距離と高低差があるが、相対しているに等しい。

(藤丸の代わりに指揮を執っている者がいるのだろうが・・・・)

 前野勢と藤丸の伏兵――寺島勢が交戦を始めた。
 銃声がひっきりなしに響き渡り、兵の喊声が聞こえる。
 旗の動きを見ると、高低差を利用されて苦戦しているようだが、あしらわれているようには見えない。

(この者は円居単体ならば縦横無尽に駆け引きするのだろうが、複数の円居を動かすことはまだまだなようだ)

 迫る脅威に対応することは比較的簡単だが、その脅威の先にある別の脅威を予想することは難しい。

(この戦、もらったな)

 旧平松城に籠もる戦力を激しく攻め立て、わざと厚くしておいた左翼に藤丸の前を守っていた戦力が迂回攻撃を仕掛けた。
 平岩貞吉が討ち死にしたのは誤算だが、敵戦力を藤丸から引きはがすことに成功する。そして、前野勢によってもうひとつの戦力を縛り付ける。
 ここに藤丸の予備戦力は本隊三〇〇だけとなり、貞流本隊五〇〇をまともに受ける必要があった。だが、戦場全体から言えば戦力差は一対二、藤丸からすれば、一〇〇を引きつけた方と言えよう。


―――戦場に到着している貞流勢が二〇〇〇だった場合は。


「烽火を上げよッ」

 貞流は本隊同士が鉄砲の射程距離に入った時にそう命じた。




「―――な、何だ・・・・?」

 鉄砲衆と共に霊術を押し寄せる貞流本隊に放っていたひとりの旗本がふっと顔を上げた。
 貞流勢は竹束を前に鉄砲を撃ちながら前進してくる。
 対する旗本衆は斜面を後退しながら一定の距離を放って交戦していた。
 放つ霊力も貞流本隊の霊術士の防壁の前に虚しく威力を散らしている。だが、一部は着弾し、足軽を四散させる。
 銃声だけでなく、霊術が弾ける爆音が轟く戦場で、彼はかすかな音を捉えた。

「これは・・・・弓弦ッ!?」

 練り上げた霊術を音源の方に向けて解き放とうとした彼よりも早く、それらは飛来する。

「ガハッ」

 胴丸を貫通し、数本の矢が突き刺さった。
 練り上げた霊術は暴走し、その威力を旗本衆の陣で解放させる。

「いったい何があった!?」

 思わず藤丸は床机から立ち上がった。

「申し上げますっ。新手は約四〇〇、佐々木弘綱勢と思われますっ」
「・・・・っ、そうか・・・・っ」

 物見の報告で全てを理解する。
 貞流は二〇〇〇余の主力を行軍させつつ、別路に佐々木勢を迂回させていたのだ。
 藤丸は揚陸してから貞流を発見し、無条件に一部隊だけだと判断していた。
 貞流は藤丸の揚陸を予想して行動していたのだから、迂回行動は貞流の戦略的判断と言える。

(兄さん、戦略を学んだのか・・・・)



―――ドォッ!!!!!!!!



 派手な閃光と爆発が旧平松城で生じた。

「な・・・・な・・・・?」

 藤丸は知らなかったが、旧平松城に籠城した吉井直之は討ち死にを覚悟していた。
 このため、旧平松城の城壁に予め自爆用の霊術を仕込んでおり、城内戦が本丸内に移行した瞬間、霊術を発動させたのだ。
 城内の城壁が破壊され、散弾となって敵へと打ち出される。
 さらにその内部で戦っていた敵味方も爆発に巻き込まれて死傷した。
 ここに残って戦っていた兵はえびの高原で生き残った二〇〇名を主力とした部隊だ。
 すでに吉井に命を預けているために躊躇いはなかった。しかし、その覚悟に付き合わされた貞流勢はたまったものではなかった。
 特に元同僚の命を奪おうと城内に突撃していた生駒貞長は馬廻と共に霊術の直撃を受けて戦死する。
 爆発から免れた吉井勢は茫然自失する貞流勢へと襲いかかり、旧平松城での戦いは完全に乱戦へと突入した。
 貞流勢は予想以上の損害を被ったが、旧平松城の組織的な抵抗を排除したのだ。

「吉井・・・・」

 それを確認した貞流本隊の旗が大きく動き、迎撃する藤丸勢と衝突する。そして、急速に旗が山頂向けて動き出した。

「ダメだ、突破されるぞ・・・・ッ」

 幾多の戦闘を経験しても大きく数を減じることのなかった旗本衆。
 それは強襲白兵戦という最も戦力を発揮できる戦闘方式であったことが理由のひとつに上げられる。しかし、今回は集団戦を挑んでくる軍勢であり、攻勢ではなく、守勢だ。
 貞流勢を迎撃しているのは御武時盛以下五〇名とその指揮下に入っている旗本一〇〇名、増援に差し向けた加納父娘率いる一五〇名の、合計三〇〇名。
 藤丸の本陣にはまさに最後の戦力である五〇名しか残されていない。

「やっぱり、俺も・・・・」

 藤丸は立ち上がった。

「幸希、頼むぞ」

 御武幸希は御武家が抱えていた数名の霊能士の頭だ。
 貞流勢から霊術攻撃を受ければ、彼らが防ぐ手筈となっていた。
 吉井直之の玉砕から分かる通り、霊術の威力は準備していれば劇的である。
 ここに集った旗本衆を投入すれば、貞流を押し返すことも夢ではなかった。

「よし、行くぞッ」


「―――お待ち下されッ」


「・・・・ッ!?」

 前方から放たれた一喝に藤丸は思わず足を止める。

「短慮はなりませぬぞ、藤丸様」

 やってきたのは前線で戦っていた加納猛政だ。
 返り血で真っ赤に染まったその様は、藤丸を蒼褪めさせるほどの威圧感を持っていた。

「今ここで藤丸様が戦場に現れれば、貞流様は好機とばかりに襲いかかってきます」
「ぐ・・・・っ」

 冷静な物言いに藤丸は歯がみする。
 藤丸も分かっている。しかし、目の前で家臣が壮絶な討ち死にを遂げているというのに自分はただ座っているだけなど嫌なのだ。

「兵を思う気持ちは分かります。しかし、今戦場に出られれば、邪魔なだけです」
「・・・・ッ」

 容赦ない一言に藤丸は俯いた。

「あの、加納殿・・・・。言い過ぎでは?」

 さすがに気の毒に思ったのか、幸希がおずおずと言葉を発す。

「いや、ここははっきりさせておかなければならない。前線に立つならばそれ相応の武術や霊術を習得してもらわなければならない」

 ただの兵ならばまだいい。
 しかし、藤丸は総大将だ。
 藤丸が討たれた瞬間、彼らは戦う意義を失う。
 ただの敗北ではない。
 滅亡なのだ。

「貞流様の攻勢は無理があります。きっと損害に耐えられなくなり、一度戦線を立て直すために退くはずです」

 確かに旗本衆は大きな損害を被っているが、それ以上の損害を貞流勢は被っている。
 それでも押せているのは兵力差があるからだ。しかし、それも圧倒的というものではない。
 必ず、この攻勢には限界があった。
 予想外の攻撃によって藤丸は旧平松城を見殺しにせざる得ない状況になったが、その旧平松城を攻めていた三つ円居の内、ふたつが主将を失っている。
 この戦いで組織的な戦いが出来るのは平手勢のみだ。しかし、その平手勢も前哨戦で損害を被っていた。
 貞流本隊と佐々木勢が攻めあぐめば、貞流は戦力を再編するために下がる必要がある。

「大丈夫です。御武殿は戦場で采配を振るうのが得意なお方です」

 だからこそ、小勢力と小競り合いの絶えない日向国龍鷹侯国領最北端を任されたのだ。
 如何に貞流と弘綱に奇襲されたとはいえ、そう簡単に後れを取るものではない。しかし、その考えはいささか甘かった。

「富永信義様、御討ち死にっ」
「何!?」
「佐々木弘通、弘敏殿を討ち取りましたが、佐々木勢足軽隊に包囲されて無念の・・・・」

 富永信義は旗本衆で五〇名を預かる組頭だ。
 この戦いでは時盛に付けられていた。
 また、佐々木弘通、弘敏は弘綱の伯父たちであり、実質的な佐々木勢の大将たちだ。
 本来ならば、退いてもおかしくはない損害だ。

「馬鹿な・・・・」

 猛政は信じられないとばかりに呟く。
 駆け込んできた物見が合図となった。
 前線を支えてきた旗本が崩れ、いくつもの突破口に貞流勢騎馬隊が打ち込んでいく。
 戦術も何もない、ただの力攻め。
 霊能士と徒歩武者は蹴散らされ、名もなき足軽に包囲されて首を上げられる。
 抵抗しているのか、中央では激しい霊力のぶつかりあいが起きていたが、それも止んでしまった。

「猛政、やはり俺もっ」
「それだけはなりませんっ」

 共に冷静さを失い、声を荒上げ。だが、次にもたらされた報告はその焦りすらも吹き飛ばした。

「御武時盛様、貞流様に一騎打ちを挑まれ、激しく戦われるも、武運拙く御討ち死にされましたぁっ」
『『『―――っ!?』』』

 その報告に全員が息を呑む。そして、それは戦陣の中で確実な隙となった。

「「「・・・・ッ」」

 短い呼気と共に打ち出された三本の棒手裏剣。
 それは音もなく、電撃を受けたかのように硬直する藤丸の胴を―――

「がぁっ」

―――ドドドッ

 霊力が込められていたのか、棒手裏剣が突き刺さると共に爆発が起き、"加納猛政"が吹き飛ぶ。

「猛政!?」

 硬直から立ち直った藤丸は地面に倒れた猛政の体に刺さる棒手裏剣を見て、初めて奇襲されたのだと気付いた。

「チィッ」

 地面に着地した忍び三人は背中から刀を引き抜き、かばう者のいない藤丸を今度こそ討ち取らんと滑るように接近する。
 十四歳の少年である藤丸にひとりで三人もの戦乱波を相手にできるわけがなかった。
 周りの旗本たちも咄嗟のことで動けない。

「・・・・ッ」
「「ぐわぁっ」」

―――故に、動いたのは兵ではなかった。

 横合いから打ち込まれた炎がふたりの忍びを捉え、ひとりは黒こげに、もうひとりは爆発に吹き飛ばされる。

「トドメをっ」
「は、はいっ」

 鋭い声に命じられた旗本が手に持った槍で、衝撃から立ち直れない忍びを刺し殺した。しかし、飛び退いたもうひとりに襲いかかった三人は瞬く間に血飛沫の中で崩れ落ちる。

「く・・・・っ、茂兵衛か、厄介なっ」
「兄上、ここは武人の戦場、我々忍びが出る幕ではありませんっ」

 旗本を相手にした隙に距離を詰めた霜草茂兵衛が襲撃者――霜草久兵衛に襲いかかった。

「茂兵衛っ」
「ここはお任せをっ」

 思わず声をかけた藤丸に応え、ふたりは木々の中へとその姿を消す。
 それは一瞬の攻防だった。

「・・・・ッ、猛政」

 忍びはとりあえず、忍びに任せるしかない。
 そう判断した藤丸は急いで猛政の下へと急いだ。

「無事か?」

 如何に霊力を込めた棒手裏剣と言えど、胴丸の上から致命傷を与えられるとは思えない。だから、比較的、ゆっくりとした歩調で猛政に近づいた藤丸だったが、先程の予想は完全に覆された。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 思えば完全武装の武士を仕留めるためにやってきたのだ。
 ただの棒手裏剣であるはずがない。

「猛政ッ」

 慌ててその傍に膝をついた。

「毒、毒か?」
「・・・・その、ようです・・・・」

 滝のように汗が流れ、顔が白くなっている猛政は絞り出すように言う。

「藤丸様、お怪我はありませんか?」
「―――っ!?」

 自分が毒で苦しんでいるというのに彼は藤丸の身を案じた。
 その事実に猛政の覚悟を知った。

「うん、大丈夫。守ってくれてありがとう」

 猛政や他の旗本衆は鷹郷朝流を守れなかった過去がある。だからこそ、今度こそ、主君を守ると意気込んでいるのだ。
 だったら、自分はどうだ?
 彼らに守ってもらえるような人間か?

「誰か、猛政を後方へ。金瘡医に見せろ」

 藤丸は立ち上がり、何か言いたそうにこちらを見ながら運ばれていく猛政に頷いた。

(さあ、覚悟を決めろ、藤丸。ここで刀を取る理由は?)

 藤丸は振り返るなり飛んできた霊術を持ち前の霊力で跳ね飛ばす。
 視線を向ければ、幸希は父の戦死に動揺し、使い物になりそうになかった。
 周りの旗本衆は突撃してきた敵と交戦に入っているが、多勢に無勢。
 さらに言えば、止めようとした相手の馬廻に妨げられ、相手はその間に藤丸目指して突撃してくる。

(戦ってる奴らに申し訳ないから?)

 これはさっきまで自分が思っていたことだ。
 しかし、これは実際に戦っている者たちからすればその行為に対する冒涜である。
 兵士たちは戦うことで、藤丸にその命を預けたのだ。
 兵士たちが藤丸にして欲しいことは共に戦うのではなく、戦闘を自分たちの勝利で終わらせることだけ。
 一緒に戦うなど、先のことを果たしながら一緒に戦う戦闘力を持った猛将がすることだ。
 よって、藤丸が刀を取る理由。
 それは―――

「―――藤丸ぅっ、覚悟をぉっ」

 貞流が馬上で引き絞った穂先に濃密な霊力がまとわりつき、閃光となる。

(この戦、終わらせるっ)

「やあああぁぁぁっっっ」

 藤丸は同じく霊力を纏わせた太刀を繰り出された穂先向け、"勘"で振り切った。
 その瞬間、音が消える。

「「「・・・・ッ」」」

 戻ってきた轟音は衝撃となり、周囲へと撒き散らされた。










  第三戦第八陣へ