第三戦「降臨せし龍鷹が槍」/ 四



(―――止められなかったです・・・・)

 七月三日、鹿児島城。
 本丸に用意された屋敷で、紗姫は暗雲を背負って落ち込んでいた。
 屋敷の足軽までも動員した鷹郷貞流が率いる一万は出陣してしまい、今頃、藤丸勢と出会っている頃合いだろう。
 決戦の時というのに自分はここで何をしているのだ。

(私が・・・・私が、決めるのに・・・・)

 事実を言えば、紗姫はただの目だ。
 彼女が見たものを高次元の存在が考え、判断を下す。
 言わば、紗姫はその者にとっての式神だった。
 自分が決めるわけではない。がしかし、自分が見なければ、そもそも判断も下せない。

(霧島があれば・・・・)

 霧島神宮が健在であるならば、すぐさま霧島騎士団を動員して決戦を観察に行く。そして、そこで判断を下せばよかった。
 紗姫は藤丸と貞流、ふたりの侯王候補に出会ってはいるが、まだまだ様子が見たいのか、決戦の結果を待っているのか、結論は出ていない。

(どうすればいいの・・・・?)

 紗姫は部屋から出て、空を見上げる。しかし、月は雲に隠れて見えなかった。

(本当にどうすればいいのですか・・・・?)

 鼻の奥が痛み、瞳が潤み出す。
 茂兵衛のおかげで流されるだけではいけないと気付いたが、囚われの身であることには変わらないという事実に改めて打ちのめされた。

(私ってこんなに弱かったの・・・・)

 一筋の涙が頬を伝い、地面へと吸い込まれる。
 まるでそれが合図だったかのように背後に気配が生まれた。

「―――紗姫様」
「・・・・ッ!?」

 いつまで経っても、背後から気配なく近付かれることに慣れない。

「なにやら騒がしい様子。手の者に屋敷の防備を固めさせます故、中にお入りください」

 振り向いた先にいた霜草雪乃は厳しい表情のまま、懐から短刀を取り出した。

「これを」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 人肌に温められているが、間違いなく人を害せる無骨な短刀。
 それを両手で受け取る。

「万が一、何かありましたらお使いください」

 これで戦うのも良し。・・・・・・・・・・・・喉を突いて自害するも良し。
 ここに幽閉されてからこのようなものを持たせてはもらえなかったが、それを許すほどの緊急事態が起きているのだろうか。

「・・・・ッ」
「わきゃっ」

 突然、雪乃に突き飛ばされ、紗姫は顔面から部屋の中へと飛び込んだ。

「な、なにす―――」

―――ドォッ!!!

 紗姫の文句は屋敷の塀を吹き飛ばした攻撃の轟音でかき消される。

「何奴ッ」

 鋭く誰何の声を放ち、忍びだけに分かる声音で雪乃は攻撃を命じた。
 それに声もなく応じた忍びたちは一斉に棒手裏剣を投擲する。そして、それらは数で未だ砂塵が晴れない塀崩落地点を覆い尽くした。だがしかし、それは硬質な音を響かせて弾かれる。
 弾かれた棒手裏剣のいくつかが紗姫向けて飛んできたが、それを雪乃が叩き落としたため、彼女は攻撃のタイミングを逸した。

「―――名を聞きながら攻撃とは・・・・やはり、武士と忍びの価値観の違いだな。・・・・俺としては忍びの方が好みだけど」
「え、えっと・・・・」

 風が流れ、砂塵が晴れ渡る。

「あ・・・・」

 現れた人物に紗姫はぽかんと口を開けた。

「迎えに来たぜ」

 人物を見極めて硬直する雪乃の脇を通過した彼は紗姫に向かって手をさしのべる。

「・・・・・・・・どうして」

 紗姫はその手のひらを不思議そうに見つめた。

「おいおい」

 籠手をはめた左手で頭をかく。

「約束したろ」

 そう言った少年武将――鷹郷藤丸は呆然としていた紗姫の手を取った。






鹿児島城攻防戦scene

「海軍陸戦隊は軍港の確保と維持をっ」

 七月三日子の刻。
 鹿児島城鹿児島軍港に二ヶ月ぶりとなる藤丸の声が響いていた。
 すでに軍港自体は制圧下にあり、正規の軍港守備隊と指宿港から連れてきた海軍陸戦隊は海軍第一艦隊副司令長官が統一指揮を受け持っている。

「宮崎港守備隊は大手門方面、屋久島守備隊は三ノ丸方面、種子島守備隊は搦め手方面だ」

 あらかじめ決めていた役割を改めて命じ、藤丸は各部隊が動き出すのを見届けることなく、馬腹を蹴った。
 前線では先鋒を受け持った旗本衆が展開している。
 藤丸の目的は誰ひとりとして、鹿児島城から逃がさぬこと。

「黒嵐衆、食い潰せッ」

 藤丸の意を受け、かつて茂兵衛が率いていた黒嵐衆が城内を守る忍びに襲いかかる。そして、その音のない戦いの下を暴風の如き藤丸本隊が突き進んだ。

「な、なぜ、ここに―――っ!?」

 顔を引きつらせ、刀だけ掴んで出てきた部将を郁が大斧槍で殴り飛ばす。そして、右往左往していた足軽たちを猛政以下数人が叩き伏せた。

「武装させるなっ。無力化しろッ」

 白兵戦に特化した旗本衆は次々と武家屋敷に突入し、兵たちを指揮する部将たちを制圧していく。

「猛政、ここを頼むぞッ」
「藤丸様!?」

 二の丸の武家屋敷制圧は猛政率いる三〇〇弱の旗本隊に任せた。
 今や藤丸を守るのは郁を中心とした旗本衆十数人と、宮崎で雇い入れた藤丸子飼いの武芸者たちだ。しかし、その眼前に立ちはだかったのは鉄砲衆を引き連れた六〇人ほどの軍勢だった。
 そう、これまで以上の数であり、「軍」としての体裁を保った部隊は前線に火縄をくすぶらせた鉄砲兵十名弱が折り敷き、間隙を埋める役目として十名の弓兵、その後方には槍を立てた歩兵三〇名ほどが屹立し、その中心に当世具足を纏った士分たちが見える。
 彼らが布陣するのは本丸と二の丸を繋ぐ城門だ。そして、その門は急ぎ閉じようとしていた。
 おそらくはその軍勢が時間を稼ぐ内に城門を閉じ、本丸だけでも組織的な抵抗を試みようという魂胆なのだろう。

「閉じさせるなッ。奇襲の利点を失うぞッ」

 馬を走らせる藤丸に難なく付いてきた本隊はその言葉を受けて加速した。
 それでも、今にも引き金を引こうとしている鉄砲衆には届かない。

の陣ッ」

 隣を馬で駆けていた御武幸希が己の霊力を変革させ、炎の事象を引き起こした。
 それは鉄砲衆の眼前で爆煙を上げ、視界を覆い尽くす。
 目当てを失った鉄砲衆は軽い混乱状態となった。

「構わんッ、撃てッ」

 部将の指示が飛び、鉄砲衆が再び引き金に手をかける。だがしかし、それは遅かった。

「はぁっ」

 煙を突き抜けて飛び込んできた郁が大上段から大斧槍を振り下ろす。
 今度こそ、本当の目の前に突き刺さった大斧槍はその斧で地面を粉砕。
 無数のつぶてが鉄砲衆に襲いかかった。

「うわぁっ」

 鉄砲は間合いを取ってこそ最強兵器である。
 近距離ではただ重いだけで取り回しがきかない兵器だ。

「一番槍ィッ」

 地面に埋まった斧を引き上げ、霊力と共に振り切る。
 その衝撃波だけで鉄砲衆は蹴散らされた。

「くそぉっ」

 士分の者たちが槍をしごいて前に出る。
 士気が緩みつつある時こそ、武士が前で戦うのだ。
 敵だと言え、同じ龍鷹軍団に属する猛者が同じ心意気でいることは嬉しい。だがしかし、決戦に連れて行かれず、留守居などと言う役割に甘んじた士分と全龍鷹軍団中最強に近い白兵戦能力を有する旗本衆とは格が違いすぎた。
 ものの数合で叩き潰された城門守備隊はしかし、それでも戦略的に勝利した。
 重厚な音を立て、大手門の城門が閉まったのだ。

「く・・・・」

 さすがの郁も力任せで城門を破壊できない。
 最後の門である本丸の城門は大規模な霊術にも耐えることのできる、堅牢な門だった。

「止まるなッ」
「―――っ!?」

 城門の前で立ちすくんでいた旗本衆を藤丸は怒鳴りつける。

「止まればいい的だぞっ」

 藤丸の身でも使いこなせるように鍛えられた太刀の鋒を今まさに火縄銃を突き出そうとしている銃眼に向けた。そして、そこから放たれた霊力の固まりが鉄砲足軽を吹き飛ばす。

「一直線にここに向かってたから、ここが一番早く閉じたはずだ」

 幸希やその馬廻が霊術で銃眼を攻撃し、少しの間だけ鉄砲を封じ込めた。そして、その間に鉄砲の射程距離から後退する。

「逆に言えば、他は手薄の可能性が強い。どの部隊でもいい。中に入れば全軍を引き入れられる。探せッ、一番最初に入った者こそ真の一番槍だぞッ」
「「「応っ」」」

 武芸者たちが十数人という単位で散らばっていく。

「あ、お前らもな。郁は小さいけど、さすがに武装してたら無理だろ」
「は?」

 ぽかんとする甲冑で着ぶくれした郁を放っておき、藤丸は二の丸にある井戸に身を投げた。

「えー!?」

 慌てて郁は井戸を覗き込む。

「大丈夫大丈夫。この井戸は本丸からの脱出用なんだよ・・・・子どもの」

 壁からせり出した部分に着地していた藤丸はひらひらと手を振る。

「この穴から本丸の井戸に移動できるの。緊急脱出路は基本だろ?」

 悪戯っぽく笑う藤丸の傍に同じくらいの体格である幸希も着地した。しかし、彼らよりも背丈の低い郁は甲冑のために通れそうもない。

「くっ、何としても突破するわよっ」

 井戸の上の方で物々しい声と共に旗本衆たちが離れた。
 それを確認した藤丸は目の前の空間へと歩き出す。

「黒嵐衆の一部が本丸に侵入して、城門を開けてもらうまで待てばよかったんじゃありませんか?」
「時間ないだろ。下手したら、貞流の軍勢は近くにいるんだぜ」
「まあ、海にいましたから、向こうがこちらの情報を掴んでいないと同様、僕たちも向こうのことを知りませんからね」

 海。
 そう、藤丸と鹿児島城を襲っている軍勢は薩摩と大隅の間に横たわる錦江湾からやってきたのだ。
 簡単に言えば、今、国分城に押し寄せている藤丸主力軍はあくまで"主力"であり、"本隊"ではないのだ。
 廻城を発った藤丸勢は三つに分かれていた。
 ひとつは鳴海直武が率いる鳴海勢・長井勢・武藤勢・御武勢・楠瀬勢という主力軍。
 ふたつめが廻城を攻める鹿屋勢。
 そして、最後が旗本衆・瀧井勢・寺島勢だ。
 藤丸が率いる三つめの軍勢は垂水港に集結していた海軍の輸送艦に乗り込み、錦江湾上で海軍第一艦隊と合流。さらに種子島・屋久島守備隊といった武藤晴教・兵藤信昌が統率する軍勢を収容し、戦力を整えた。

「早く、本丸へ・・・・っ」

 数千という軍勢の盾を捨て、自ら敵の本城――鹿児島城に乗り込んだのは、全ては囚われている"霧島の巫女"奪取だった。
 仮に貞流勢の主力決戦に勝利したとしても、貞流を討ち取れなければ、彼は鹿児島城に籠城するだろう。そして、巫女を、紗姫を人質にする可能性がある。
 だがしかし、大勢が未だ決していない今、貞流主力軍が藤丸主力軍と決戦を覚悟して出撃するというならば、鹿児島城の戦力を底ざらえするだろう。
 だから、今この時こそ、その絶好の機会なのだ。
 そこで、藤丸も切り札を使うことにした。
 それが鹿児島城を攻めている軍勢だ。
 海軍第一艦隊に属する陸戦隊四〇〇、武藤晴教・兵藤信昌が統率する大隅諸島守備隊は約八〇〇だが、奄美黄島の軍勢はやはり琉球王国を警戒するために来援せず、二島守備隊約五〇〇が合流している。
 また、北日向の国人衆が攻め寄せる危険が薄れた以上、御武昌盛が統括していた宮崎守備隊四〇〇も投入できたのだ。
 そこに旗本衆三〇〇、瀧井勢二〇〇、寺島勢二〇〇を併せれば二〇〇〇。
 旗本衆を除けば、貞流が戦力として換算していなかった軍勢だ。
 瀧井勢は海軍と共に指宿港に籠もっていると考えられており、寺島勢に限っては壊滅したとされている。
 場所こそ違うが、湯湾岳東麓で貞流先手勢が佐久勢を見ておののいたことと同じ状況が起きていた。

「よし、誰もいない・・・・もとい、誰も何も気にしてないな」

 本丸の井戸から顔だけ覗かせた藤丸は周囲を確認する。そして、思った以上の慌ただしさに呆れた。

「どうしてですかね、自分で言うのはなんですが、怪しいと思いますよ、僕たち」

 本丸を歩きながら幸希が首を傾げる。

「んー、まあ、所属不明だからな、俺たち」

 藤丸たちは部隊の所属を示す旗や袖印といった合標をつけていない。
 旗は井戸を通るのに不便だからであり、袖印は藤丸ほどの部将なら必要ない。
 敵味方が間違うはずがないからだ。

「それに・・・・足軽たちが俺らに声をかけられるわけないだろ」
「あー」

 藤丸たちは歴とした甲冑を身につけている。
 明らかに士分である藤丸たちにおかしいと思っても足軽たちが咎められるわけない。しかし、士分の者たちも明らかに少年である藤丸たちを咎めることはない。
 それどころではないこともあるが、彼らは藤丸たちを突然の攻撃に晒され、とりあえず武装した少年武将と思っているからだ。

「まあ、これが認識の隙間って奴だろうな」

 足軽からすれば畏れ多い士分の者。
 士分からすれば取るに足らない子ども。

「そもそも押っ取り刀で飛び出してくれば、具足着てるわけないですよね~」

 「押っ取り刀」とは急な場合に腰に差す間もなく、急いで刀を手に取ることをいう。
 つまりは具足を着ている暇がないということだ。

「ま、不自然に思われれば終わるけど・・・・」
「本丸を攻撃している軍勢は五〇〇を超えますから、早々気付かれることがないでしょう」

 貞流が鹿児島城に残した軍勢は訓練で負傷した兵や軍団編成上不適切と判断された兵が中心である。
 だから、軍勢としての編成はできておらず、出会った敵と戦うという戦術も何もない戦いになっていた。
 それ故に勢いがものを言う。
 本丸で侵攻が食い止められれば、それだけ鹿児島城勢が冷静になる。
 鹿児島城は南九州屈指の巨城であるが、虎熊宗国の福岡城や聖炎国の隈本城と比べると城全体の防御力不足は否めない。だがしかし、本丸単体では先に挙げた難攻不落の巨城に匹敵する。
 海軍の大砲を用いたとしても打ち抜けない大手門の門扉を中心に霊術がふんだんに使われた本丸はそれだけで城郭と成す。
 激戦の最中、本丸を守り通したと判断した敵軍が立ち直れば、藤丸勢に勝ち目はないかもしれない。

「それで、僕たちはどうするんです?」

 鹿児島城には五〇〇弱の兵力があると予想され、その内二〇〇ほどは本丸に詰めているはずだった。

「この本丸の指揮を執ってる奴は三つある城門の内、四〇ほどを城門に向け、残り八〇を天守閣に集結させているはずだ。逆に言えば、城門と天守閣にさえ近付かなけりゃ見つかる心配はない」
「・・・・どうしてそこまで正確に分かるんですか?」
「分かるさ。きっと、天守閣には自分の身と我が子が命の女がいるんだぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 鷹郷朝流の正室であり、鷹郷貞流の実母。
 彼女こそ、藤丸の母を鹿児島城ではなく、国分城に住むようになった原因だ。そして、母の死後も鹿児島城に藤丸が戻れなかったのも正室が邪魔をしていたからである。

「まあ、いい。あいつがいるおかげで見てもいないのに本丸内の布陣は分かる。だから・・・・」

 藤丸は足を止めた。
 彼の視界には本丸に居を構える武家屋敷がある。
 それは公家などの高貴な客人をもてなすための屋敷だ。

「まさかですが・・・・」

 嫌な予感がしたのか、微妙に顔が引きつっている幸希。

「その、まさかだ♪」

 藤丸はその幸希に可憐な笑顔を見せ、屋敷の外壁に手を当てた。

「ちょっと待―――」
「ふっ」

 己の体内に宿る霊力を活性させ、奔流となったそれを壁に押しつけた左手に集中する。
 想像するは前方への爆砕。
 瞬間、霊力が手のひらから溢れ出した。

―――ドォッ!!!

 多少の霊術でも耐えられるように作られていた外壁は高密度の爆風を受けて崩壊する。そして、耐火性のために挟んでいた砂が舞う中、前方から誰何の声が聞こえてきた。
 それに胸を張って応えようとした藤丸だが、息を吸い込んだところで幸希に突き飛ばされる。

「くっ」

 幸希は両手のひらを突き出し、早口に何かを詠唱した幸希は飛来した棒手裏剣をことごとく跳ね返した。

(おいおい・・・・)

 あのまま応えようとしていたら、見事穴だらけになっていただろう。

「名を聞きながら攻撃とは・・・・やはり、武士と忍びの価値観の違いだな。・・・・俺としては忍びの方が好みだけど」
「え、えっと・・・・」

 突き飛ばされていた藤丸は立ち上がり、苦笑いをする幸希を押しのけた。
 風が流れ、砂塵が晴れ渡る。

「あ・・・・」

 久しぶりに見た少女は最後に見た時よりも覇気が失われているように見える。
 藤丸は小さく息を漏らし、ぽかんと口を開ける少女――紗姫をまっすぐ見た。

「・・・・ッ、あ・・・・」

 歩き出したことを制止しようとした幸希を手で制止し、藤丸は庭へと入る。
 途端に突き刺さる忍びたちの視線に回れ右をしたくなるが、首領格であろう忍びの女性は動かなかった。
 おそらく、藤丸だと言うことが分かっているのだろう。

「迎えに来たぜ」

 忍びの脇を通過した藤丸は紗姫に向かって手をさしのべた。

「・・・・・・・・どうして」

 近くで響き渡る銃声や喊声が遠く感じる。
 そう認識するほど、風の音にすらかき消されそうなか細い声が藤丸に届いた。
 紗姫は差し出された手のひらを不思議そうに見つめている。
 目を見る限り、本当に驚いているようだ。

(どうして、か・・・・)

 どうして、主力を率いて貞流と決戦に及ぶはずの藤丸がここにいるのだろうか。
 どうしてこの激戦続く鹿児島城で本丸まで辿り着いたのだろうか。
 どうして―――自分を助けに来たのだろうか。

「おいおい」

 問いの真意に気付き、藤丸は籠手をはめた左手で頭をかく。

「約束したろ」

 そう言って藤丸は呆然としていた紗姫の手を取った。

「あ・・・・ッ」

 小さく声を上げ、引っ込めようとする手を強く握り、藤丸は怯える少女のような瞳を覗き込む。

「迎えに来いって言ったのはお前だろ?」

 陥落しようとする霧島神宮から外れた場所で、藤丸は約束したつもりだった。



『迎えに、来てくれるよね?』
『ここから私がいなくなっても・・・・来てくれるよね?』

 念を押すように問われた言葉に藤丸は力強く頷いている。

『ああ。迎えに行くよ。俺が生き長らえさせた軍勢を率い、貞流の下からお前を奪ってやる』



「ちゃんと約束通り来たぞ。生き長らえさせた軍勢を率いて、な」
「―――っ!?」

 驚愕に目を見開き、信じられないものを見るように紗姫は藤丸の眸を見返した。

「・・・・馬鹿?」
「こらこら」

 ぽつりと呟かれた言葉にガクリと脱力した藤丸は空いた左手で紗姫の小さな頭を掴む。

「人が約束を破らないように戦略を考えたってのになんだその反応は」
「え、えっと・・・・」

 こちらの本気を悟ったのか、頬を紅潮させて目を泳がせる紗姫。

「だ、だって、私を助けても何の利益もないじゃないですか。そんな得にならないこと、する意味は―――」
「馬鹿だろ、お前」

 早口にまくし立てる紗姫を遮り、呆れた口調で藤丸は言った。

「利益って言うなら、貞流が持ってる継承には不可欠な"霧島の巫女"を奪取するという戦略的価値がある。・・・・けど、それは後付というか、重臣連中を納得させるための方便だな」
「え!? そうだったんですか!?」

 後ろで幸希が驚きの声を上げるが、無視。

「父上に言われてたんだよ。俺たちの仕事はひとりでも泣く奴を少なくすることだってな」

 そう言って、藤丸は頬に残る涙の軌跡を撫でる。

「あ・・・・」

 少々荒っぽいが、優しい声音で囁かれた言葉に紗姫の涙腺を突き崩された。

「ふぇぇ・・・・」

 くしゃっと崩れた顔のまま涙をこぼす紗姫の頭を撫でる。

(とりあえず、ひとつの目的を達成したな)


「―――そこな侵入者っ、覚悟せいッ」


 轟音を聞き届けた本丸御殿付の足軽たちだろう。
 彼らは明らかに不審人物である藤丸と幸希に狙いをつけていた。

「藤丸様は下がってっ」

 幸希が霊力を活性化させながら叫ぶ。だがしかし、その霊術が放たれるより先に、足軽たちが吹き飛んだ。

「―――どりゃぁっ!」

 まるで暴風のように突っ込んだ小柄な鎧武者が手に届く者全てを殴り飛ばし、ものの数秒で数名を鎮圧する。

「藤丸様っ、あんた無茶苦茶ッ」

 そして、顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。

「おー、郁。ご苦労」
「そんな軽く―――」
「ってわけで、本丸を落とすぞ」
「え、あ?」

 意気込んできた郁を躱し、藤丸は屋敷の外に出る。
 そこには足軽たちを無効化した旗本衆がいた。

「他の部隊と合流する。本丸に侵攻した部隊は天守閣を包囲するように命じろ」

 藤丸の意を受け、数人が駆け出していく。
 鹿児島城攻防戦は佳境に入っているのか、喊声が本丸のあちこちから聞こえていた。

「あの・・・・」

 手を握ったままだったので、引きずられるようにして外に出た紗姫が困惑した声を出す。

「お前も来い。俺の傍が一番安全だぞ」
「誰のおかげよっ」

 郁が何か言ったが、藤丸は無視して軍勢と合流するために駆け始めた。




 鵬雲二年七月三日未明、鹿児島城陥落す。
 鹿児島港に上陸した藤丸本隊は電光石灰の勢いを以て鹿児島城の重要箇所を攻略した。
 本丸は組織的な抵抗を示したものの、貞流の母親が積極的な防衛作戦を許可しなかったことで"霧島の巫女"が奪取される。そして、結果的に防衛戦力を集中した天守閣も包囲され、四半刻ばかりの射撃戦にて抵抗力をほぼ失って降伏した。
 これは貞流方の戦略的敗北を意味する。
 貞流勢は切り札であった"霧島の巫女"は奪取され、後方策源地を失った。
 当面は問題ないが、戦が長期化した場合、貞流勢は食料や武器弾薬が枯渇し、何より疲労で戦えなくなるだろう。
 貞流は「決戦地への戦力差確定という戦略」で勝利したが、藤丸はそもそも勝負を野戦決戦に賭けてはいなかった。
 戦局を決戦地とは別の場所から覆す。
 これこそ、北薩の戦いで藤丸が行ったことだった。










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