第三戦「降臨せし龍鷹が槍」/ 三
鵬雲二年四月二九日より始まった内乱は大きな爪痕を龍鷹侯国に残していた。 兵馬が駆け回った田畑は荒れ地となり、先行きに不安を感じた商家は交易に二の足を踏む。さらには肥後人吉地方を失った。 だがしかし、最も打撃を受けたのは内乱の主力となり得る兵力――龍鷹軍団だった。 これまでに犠牲になった部将たちは鷹郷朝流・実流父子、武藤家教、埜瀬義定、湯浅兼家、寺島春国、鹿屋信直、加藤長泰、山野辺邦道となる。 これらの部将たちは誰もが龍鷹軍団の第一線で活躍してきた勇将たちであり、その喪失は痛手だった。 だが、これから行われる決戦はそんな前哨戦を吹き飛ばすほどの人命が失われるに違いない。 それでも、野戦決戦は龍鷹侯国が戦国時代を生き抜き始めた時からの御家芸だった。 鵬雲二年七月三日、大隅国姶良郡錦江崎森川西岸。 この地に龍鷹軍団の中核が勢揃いしていた。 湯湾岳中腹に本陣を置き、南東に広がる総勢一万二〇〇〇余を数える鷹郷貞流主力軍。 湯湾岳から南東に下がった地域に布陣する約八〇〇〇の鷹郷藤丸主力軍。 両軍の布陣は同じ龍鷹軍団と言うことで、よく似ていた。 まず、戦場北西に布陣する貞流勢。 先鋒に向坂由種一一〇〇、その隣に布陣する植草憲正八〇〇。その魚鱗の陣を形成するふたつの陣の後方には先鋒を包むように有坂秋賢が二〇〇〇を率いて布陣している。そして、その両翼には相川貞秀、村林信茂が麾下の部将たちをまとめて布陣していた。 各翼二〇〇〇、合計四〇〇〇が藤丸勢の両翼に対応し、中央軍との間隙には左翼側に大久保康成五〇〇、右翼側には堀尾景照五〇〇が布陣する。 本陣は湯湾岳中腹に置かれ、鷹郷貞流が直卒する二五〇〇。さらに退路を確保するように佐々木弘綱が四〇〇を率いて後陣と成していた。残り二〇〇は分散して万が一の伏兵に警戒している。 併せて一万二〇〇〇余。 これが貞流主力軍だった。 対するは戦場東南に布陣する藤丸勢。 先鋒はいつもと変わらず、長井衛勝率いる八〇〇、左後方には武藤統教率いる五〇〇が布陣しており、両者で雁行の陣を形成する。そして、有坂勢と同じ位置づけで鳴海直武率いる二〇〇〇が中核として布陣していた。 両翼は左翼に鹿屋利孝率いる大隅衆一五〇〇、右翼に御武勢を中心とした日向衆一二〇〇が布陣し、鳴海勢と右翼の間には楠瀬勢四〇〇が布陣する。 本陣は約七〇〇であり、鳴海勢の後方に布陣し、綾瀬勢五〇〇、佐久勢二〇〇が予備兵力として布陣する。また、総勢二〇〇の傭兵を各陣の隙間を埋めていた。 併せて八〇〇〇余。 これが藤丸主力軍だった。 決戦Tscene 鵬雲二年七月三日、辰の刻。 早朝に降っていた雨も上がり、草が濡れて朝日に輝く中、両軍は互いに闘気をぶつけ合っていた。 貞流主力軍は有坂勢と本陣の間には馬防柵などの堅固な防衛陣地が築かれている。しかし、藤丸主力軍を圧迫するように進出した有坂勢などは移動式の竹束や簡易的な柵、盾が並べられているだけだった。 これは不意な決戦に持ち込まれた藤丸主力軍も同様であり、防衛戦闘は両者が苦手とするところであろう。 だからこそ、決戦に持ち込んだ貞流勢が先に動いた。 「―――折り敷けぇっ」 貞流主力軍先鋒――向坂由種勢一一〇〇は砂塵を上げ、藤丸主力軍先鋒――長井衛勝勢八〇〇向けて突撃した。そして、長井衛勝の左斜めに布陣する次鋒――武藤統教勢五〇〇には植草憲正勢八〇〇が攻撃を仕掛ける。 向坂勢は車仕掛けの竹束を使ってのろのろと前進した。 その隙間にはビッシリと銃口が覗いており、射撃戦を望んでいることは明白だ。 「鉄砲衆前へッ」 大将の長井衛勝が指示するまでもなく、一番備物頭――小幡虎鎮の命令で鉄砲衆一〇〇名ほどが前線に展開した。 藤丸勢は武藤勢の影響で、ひとつの円居には統一した鉄砲衆が編成されていた。 これまでの円居の一部隊ずつでは火力が分散し、効果的な火網を作り出すことができないからだ。 ただ、それは鉄砲衆が蹴散らされれば一瞬で火力を失うという危険性を孕んでいた。 それを回避するには鉄砲衆を後方に下げる部将の判断力と、その交替をスムーズに行う歩兵の訓練度に依存する。 その点では長井勢は宮崎に駐屯してから戦うことなく、兵力の再編という名目で訓練を積んでいたので問題なかった。 「撃てぇっ」 鉄砲組頭が射撃を許可し、五〇名が引き金を引く。 轟音とともに飛び出した弾丸の多くは竹束に弾かれたが、その進撃速度を緩めることに成功した。 「続けて二段目っ」 五〇名の後方にいたもう五〇名が前に出るなり、発砲する。 「弓衆、間隙を埋めよッ」 未だ訓練度不足で、鉄砲の間隙を鉄砲で埋めることはできない。しかし、速射性に優れた弓矢は補って余りあり、直線的な鉄砲と放物線を描く弓矢の遠距離攻撃はかなり効果的だった。 そのおかげで長井勢前方三〇間辺りにて向坂勢は停止し、両軍は射撃戦に従事し始める。そして、その西側を猛然と植草勢が通過していった。 「目当てつけぇっ」 武藤勢の物頭が大音声で指示し、一〇〇名近い銃兵が火縄銃を頬付けする。 火縄の煙が目に染みるが、それに堪えて照星の向こうに映る敵兵を睨み付けた。 「撃てッ」 ズンッと腹に響く反動に堪え、弾丸を吐き出す。 六匁弾は長井勢と同じく、多くが竹束に跳ね返されたが、それでも竹束に隠れていない部位を撃ち抜かれた敵兵が悲鳴を上げて転がった。 「撃ち続けよッ」 物頭の指示を受けた銃兵は一斉射撃から個々の装填技術に依存する連続射撃に移る。 銃身を掃除し、早合を落とし、火縄・火薬に点火させ、引き金を引く。 そんな一連の作業をするただの機械となった銃兵たちは次々と鉛玉を撃ち出した。 龍鷹軍団最強の鉄砲集団である武藤勢の前に植草勢は応射できない。 「ん?」 武藤勢本陣で床机に座っていた統教は疑問を露わにした。 「敵は応射できないのではなく、しない・・・・?」 植草勢は全面に竹束を押し出し、ゆっくりと、しかし、確実に距離を詰めてくる。 時折、弾丸が命中して血飛沫が上がるが、武藤勢を相手にしているには被害がなさ過ぎた。 「こ、これは・・・・ッ」 植草勢は反撃しない代わりに反撃によって盾から兵が体を晒すことをなくしたのだ。 勝ち目のない射撃戦は行わず、白兵戦に持ち込むつもりに違いない。 「長井は・・・・?」 視線を向けた長井勢は未だ飽くなき射撃戦に興じていた。 とても、植草勢の横面を乗り崩す余裕はないようだ。 (まずいのではないか・・・・) 七月の熱波の中、統教は冷たい汗を背筋に感じた。 「ふむ・・・・」 武藤勢から数十の弾丸が火炎とともに吐き出され、押し寄せた植草勢鉄砲隊の十数名が吹き飛んだ。 鉄砲戦では敵わない。 そんな事実は分かっているので、植草勢は討ち死にした戦友を乗り越え、遮二無二盾を手に突撃していく。 本来ならば、その横合いを長井勢が押し崩すのだが、数に勝る向坂勢は長井勢を完全に押さえ込んでいた。 長井・武藤の両勢は間違いなく、龍鷹軍団の最強部隊である。だがしかし、その地位を望む向坂・植草は激しく攻め立てる。 向坂勢は鉄砲の比率を上げて、できるだけ火器で対抗し、植草勢は早く接近戦に持ち込むために盾を多用した。 その関係で、武藤−植草戦線は早くも槍交ぜに移行しており、武藤お得意の遠距離による隊列崩壊はできなかった。また、長井−向坂戦線では向坂勢が三〇間前方で停止し、射撃戦に従事し始めたため、待ち戦の長井勢は不本意な射撃戦を展開している。 「むぅ・・・・」 鳴海勢二〇〇〇の中央に座する鳴海直武は唸りを上げた。 (さすがは貞流様。戦術研究を怠ってはいませんな) 対長井・武藤戦術を確立したのは貞流本人だろう。 彼は作戦を起案することが得意だった。 (それでも、長井・武藤相手に机上の作戦を実現させるとは・・・・) 直武の視線は軍勢のただ中にあり、必死に采配を振るっているであろうふたりの部将に向けられる。 (向坂由種、植草憲正。・・・・二ヶ月前とは別人やもしれぬな) そんなことを考えていた直武の下に騎馬武者が一騎駆け込んできた。 彼は向けられる槍に躊躇することなく、馬から飛び降りて片膝を衝く。 「申し上げますっ。それがし、長井衛勝が手の者、主人より鳴海様への意見具申に参りましたっ」 「聞こう」 衛勝からの意見具申は珍しい。 長井衛勝は数千の軍勢を率いても精強さを発揮できる部将である。 大抵のことは自分で処理してしまう。 (敢えて許可を得に来ると言うことは戦局全体に関わると言うことか・・・・) 戦が始まって、半刻。 まだまだ序の口と言う時にもう戦が動こうとしている。 「向坂勢、射撃戦に従事し、槍交ぜに及ぶ気配なし。ここは我が軍より寄せて、敵を崩すのはどうか、と」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 即答できなかった。 鳴海直武以下、主要な部将たちは持久戦を念頭に戦っていた。 鷹郷貞流、有坂秋賢が統率する軍勢を正面から撃破することは難しい。 だからこそ、この戦場で求められる戦術は守りを固めることであり、衛勝の発案はそれに反した攻めの戦術だった。 もし崩せたとしても、後方に控える有坂勢を抜けるとは思えない。 (だが、動かねばすりつぶされるだけ、か・・・・) 「よし、許可する。首尾良く向坂勢を崩せば元の位置に戻るように厳命する」 「ははっ」 若者は頭を下げると馬に飛び乗って自陣へと駆け戻った。 「作戦変更を本陣へ伝えろ」 この戦で全軍の指揮権を委譲されているのは直武だが、戦術だけでなく、戦略に関わりそうな変更を伝えないわけにはいかない。 事後報告でも知らせるのが筋というものだ。 「盛武へ伝令っ。すぐに動けるように兵を整えるように促せ」 直武は向坂勢から脱出する場合の援護をさせるために盛武に戦闘準備をさせることにする。 盛武はこの内乱を通し、混戦でも部隊を統率することのできる勇将へと成長していた。 その信頼から鳴海勢の二割に及ぶ四〇〇を任せている。 「ん? どういうことだ!?」 両翼の様子はどうかと確認した直武は思わず床机から立ち上がった。 左翼を任せた鹿屋利孝はさすが鹿屋家の跡取りと思える戦いを相川貞秀勢と繰り広げている。しかし、問題は右翼だった。 「楠瀬勢を回せっ」 指示を出しながら直武は歯噛みする。 問題の戦場は村林勢と御武勢が揉み合っていた。だが、明らかに御武勢の旗は動揺し、後退している。 (誤算だった。・・・・村林がああも苛烈に攻めるとは・・・・) 貞流勢が掻き集めた軍勢は中間指揮官こそ精強だが、一円居を手足の如く動かす部将は欠けていると思っていた。 だからこそ、貞流は他の万石取りの大名を取り込もうと必死だったのだ。 典型は貞流と秋賢に挟まれた大久保勢と堀尾勢である。 だがしかし、最も大物なのは出水城将――村林信茂である。 彼は対聖炎国最前線を任されるほどの猛将である。しかも、猪武者ではなく、与えられた任務を全うするための忍耐などを有し、籠城戦にかけては龍鷹侯国一の技量を誇っていた。 (奴が・・・・これほど野戦に強いとは・・・・) 二〇〇〇の村林勢はこれまで籠城戦しか戦わせてもらえなかった鬱憤を晴らすかのように爆発的な攻撃力を以て、御武勢を蹂躙する。 右翼軍は御武勢六〇〇と綾城勢二〇〇、傭兵衆四〇〇を加えた一二〇〇だ。 兵数でも二倍近い開きがあっては辛いだろう。だがしかし、予備兵力として前哨戦で打撃を受けた、楠瀬勢四〇〇が布陣している。 「後陣を形成する絢瀬、佐久勢にも戦力を整えるように命じよ」 (何か・・・・嫌な予感がするぞ・・・・) 歴戦の強者である直武だからこそ感じる、確かな違和感があった。 「突撃ぃっ」 大身槍を構えた騎馬武者が長柄隊の切れ目に突撃するなり、血飛沫が辺りを染め上げた。 時折、霊術による爆発が生じ、大きく旗差物が倒れる。また、地面に組み倒された部将が無念の形相のまま首を上げられる。 戦場では誰もが生き残るため、喉をからして敵に刃を向けていた。しかし、勢いにおいては村林勢が勝っている。 「くぅ・・・・強い・・・・ッ」 圧力を直接受ける右翼先鋒――綾城主・西園吉豊は采配を握り締めながら呻いた。 「鉄砲隊の再編急げッ。徒士武者衆は何としてでも敵を食い止めろッ」 急ぎ指示を出すも、白兵戦の強さは村林勢の方が上だ。 日向衆は後詰めでよく野戦を戦うが、村林勢は決戦戦力とされる薩摩勢の中でも特に過酷な状況に置かれる部隊である。 はるかに格下である日向衆に負けて堪るかというばかりに損害を省みず突撃されては整然とした集団戦法を駆使できなかった。 「うりゃぁっ」 御武家の徒士武者が槍を振り回し、数人の足軽を薙ぎ倒す。しかし、すぐに村林家の武士がやってきて、その徒士武者と打ち合いに入った。 鉄砲衆が早期に蹴散らされたことで、御武勢は白兵戦で押し返すしかない。しかし、その白兵戦をするにも兵の数が圧倒的に足りなかった。 「申し上げますッ。東前方の楠瀬勢に動きあり。寄せ手参る模様です」 猛攻を仕掛ける村林勢の本陣に物見の兵が駆け込む。そして、自分で見たことと見解を述べた。 「鳴海殿が動かれたか。後方の予備兵力を楠瀬勢に当てよ。楠瀬の武者衆は大隅の戦いで消耗しておる。ひと思いに押し潰せ」 村林信茂は鹿屋信直と違って、多くの情報が貞流から与えられている。また、彼自身も忍び者を使って内乱を見つめていた。 楠瀬勢が鹿屋信直と戦い、少なからぬ打撃を受けていることは分かっている。 「折り敷けッ」 温存されていた四〇〇が楠瀬勢前面に展開するなり、数十挺の鉄砲が突き出された。 楠瀬勢は横合いから突撃することを念頭に行動していたため、鉄砲衆や盾などは後方に放置している。 「い、いかんっ」 最前線を駆けていた楠瀬勢先鋒を任された部将は顔を引き攣らせて手綱を引いた。 「撃てっ」 思わず止まってしまった楠瀬勢目掛け、数十発の弾丸が赤熱しながら飛翔する。そして、鋼を貫く異音を発しながら体内へとめり込んだ。 「ぐふ・・・・」 五発以上の命中弾を受けた彼は唇の端から血を流しながら馬上で体勢を崩す。 命中した旗差物が千切れ飛び、彼が落馬すると共に大地へと沈んだ。 「敵は怯んだ。突撃ぃっ」 突進の勢いは殺したと判断した予備軍の部将は采配を振り下ろし、自ら馬腹を蹴って楠瀬勢へと突撃していく。 激しく両勢は揉み合い、消耗戦を展開し始めた。 これで、援軍だった楠瀬勢は押しとどめた。 「申し上げます。綾城主――西園吉豊を討ち取りました」 「おおう、それはすごいな」 見れば、御武勢前線がかなり崩れている。 あの様子では本隊に村林勢の鋭鋒が届いている可能性があった。 「本陣へ伝令。道を作る故、しっかりついてきてくれ、と」 「はっ」 信茂は本陣向けて走り去る伝令を見送るなり、槍持ちに持たせていた大身槍を受け取る。 「全軍突撃。敵を蹴散らせぇっ」 『『『オオッ!!!』』』 開戦半刻を過ぎた辺りで、戦局は大きく動こうとしていた。 「―――ほう、さすがは村林だ」 貞流勢本陣にて、貞流は満足そうに頷いた。 「やはり、布陣を吟味する時間がなかったのが痛かったな、藤丸」 昨夜の内に決戦の布陣を整えた藤丸主力軍に対し、貞流勢主力軍は本日早朝に湯湾岳を下り、藤丸勢に対応する布陣で決戦に臨んでいる。 その貞流の戦術眼が見抜いた欠点は敵軍右翼――御武勢だった。 だからこそ、貞流は向坂・植草に何としてでも長井・武藤に自由を与えてはならぬと厳命し、打ち破るのではなく、拘束せよと命じている。また、翼将としての能力が発揮されないよう、鹿屋勢には相川勢を当てるという堅実さを見せた。 「村林殿は真、猛将でございますな」 脇大将の老将が頼もしそうに目を細める。 「日向衆の田舎者が薩摩衆に敵うわけなかろう」 老将の言葉に幾人かの幕僚が冷笑を浮かべた。 貞流が選んだ決戦戦力は村林勢本隊六〇〇を中心にした北薩の軍勢である。 北薩の軍勢は北薩の戦いにおいて、不利を承知で援軍を送ろうとした貞流に感謝しており、それらを纏め上げる村林信茂はようやく訪れた、野戦に逸っていた。 その闘志を打ち込まれた御武勢は寄せ集めとも言える軍勢であり、一撃で守勢となる。 その状態でも支え続けているのは高鍋城勢の強さだった。だが、綾城勢三〇〇が壊滅し傭兵衆は四散しつつある。 「伝令っ。村林信茂より伝令です」 村林勢から一直線に駆けてきた騎馬武者は貞流の旗本によって下馬を促され、本陣の幔幕まで徒歩でやってきた。 「申し上げます。我が軍は楠瀬勢を抑え、敵右翼先鋒――西園吉豊を討ち取り申した」 「おお、綾城主をか」 「綾城勢は壊滅。我が軍の鋭鋒は御武勢本隊を蹂躙しつつあり申す」 この報告は本陣が出している物見の報告や本陣から見える戦況と一致している。 「して、村林殿はなんと?」 「ははっ。『道を作る故、しっかりついてきてくれ』と」 聞く方からすれば、傲岸不遜な物言いだった。 だから、何人かの幕僚が憤りを露わにするが、貞流は涼しい顔をしている。 「相分かった。ならば、すぐさま突撃準備をしよう」 思ったより早く訪れた本陣を投入する突撃は間違いなく、藤丸本陣を押し潰すだろう。 村林勢二〇〇〇に加え、貞流本隊二〇〇〇と四〇〇〇が左翼から攻め上がれば、本陣の前に立ちはだかろうとする鳴海勢が対応する暇もなく、本陣に到達できるはずである。 (藤丸。最後は我らで決着を付けるぞ) 意気込み、立ち上がる貞流。 「全軍出撃準備。村林勢に続くぞ」 「―――それはお待ち下さいますか」 突然、本陣に一陣の風が駆け抜けた。 「誰だッ!?」 幕僚たちが刀に手をかける中、貞流はそれらを手で制して声の主に応じる。 「どういうことだ、久兵衛」 報告を受けるため、貞流は床机に座り直した。 「まず、お人払いを。事は大事すぎます」 「む・・・・わかった」 貞流は現れた久兵衛の額に汗が浮かんでいることから大事が起こっていると分かり、退席する者に軍勢の出撃準備を任せる。 「よし、聞こう」 貞流に選ばれた者たちは緊張した面持ちで床机に座していた。 「単刀直入に申し上げます」 片膝を衝いた久兵衛は同様に緊張した面持ちで、ゆっくりはっきりと言上する。 「鹿児島城が陥落しました」 幔幕内の空気が制止した。 辰の刻より始まった大隅国姶良郡錦江での決戦は卓越した戦術眼で、藤丸主力軍の弱点を見抜いた貞流主力軍が猛攻を仕掛けていた。 兵力差も四〇〇〇と、大きく開いている。だが、戦っている兵は未だ全軍ではなく、戦いはまだまだこれからと言えた。 だからこそ、貞流は早々に本陣を投入し、趨勢を決しようと準備したのだ。 そこに飛び込んできた鹿児島城陥落の報。 ここから、藤丸の反撃が始まる。 いや、「反撃」という言葉は語弊がある。 何せ、藤丸の攻勢は七月三日子の刻を少し回った頃から始まっていたのだから。 |