第三戦「降臨せし龍鷹が槍」/ 二



 反攻作戦を開始した藤丸勢は破竹の勢いで大隅を席巻した。
 藤丸方主力軍は廻城攻略を鹿屋利孝率いる大隅勢二五〇〇に任せて北上、一気に国分城へと押し寄せた。
 国分城攻略戦は元城主である鳴海直武が采配を振るい、元城主ならではの抜け穴からの侵攻を行い、わずか二刻の攻防戦で陥落させた。
 国分城留守居――加藤長泰は本丸にて自害する。
 藤丸勢は作戦開始から四日で旧本拠――国分城を奪還したのだ。
 さらに別働隊として機能していた絢瀬・佐久勢は病身を押して総大将を務めた絢瀬吉政の采配で一五〇〇の聖炎軍団を撃退し、大口城に入城していた。
 七月二日、廻城を総攻撃にて陥落させた鹿屋利孝が合流する。そして、大口方面軍と主力軍は加治木城を解放後、加治木城西方の崎森川と別府川に挟まれた湯湾岳の南麓で合流する予定だった。
 一気呵成。
 まさにこの一言に尽きた。






前哨戦scene

「―――後少しだ・・・・」

 絢瀬晴政は山道をしっかり踏み締めながら呟いた。
 日は傾いている。
 朝から続く強行軍は確実に兵を疲弊させていた。
 晴政の父――絢瀬吉政を総大将とする絢瀬・佐久・山野辺連合軍約九〇〇は足早に別府川東岸を駆けている。
 大口城は山野辺邦通の一門たちが固めており、絢瀬・佐久勢の後から駆けつけた未編成の傭兵集団が入城している。
 大口城攻撃に躍起になり、背後の警戒が疎かになっていた聖炎軍団に痛撃を与えた以上、聖炎軍団が大口城に食指を伸ばす可能性は低かった。
 そのため、この軍勢は山野辺勢二〇〇が先鋒を駆け、中堅及び本隊として絢瀬勢五〇〇、後備として佐久勢二〇〇という一応、長蛇の陣で主力軍との合流を目指している。
 小林城から大口城まで走り、一戦を交えてわずか一晩休んだだけで今度は錦江湾向けて走っている。
 この強行軍は確実に軍勢を蝕み、総大将である父――吉政をも蝕んでいるに違いなかった。しかし、吉政は身代こそ小さいが、若い頃は龍鷹軍団の先鋒として、南日向を制圧した経歴がある。
 また、兵力的に父がいなければ自分が総大将だったが、山野辺はともかく、佐久勢を抑えることは難しいだろう。
 そのために吉政は病身を押して戦場に出てきたのだ。

(早く・・・・早く父を休ませなくては・・・・)

 晴政は吉政には相談していないが、合流すれば藤丸に吉政を国分城代に据えてもらうつもりだった。
 主力軍と合流さえしてしまえば、晴政が絢瀬勢を率いても何ら問題がないからだ。

「ん?」

 己の思考に沈んでいた晴政は前方が騒がしいことに気が付いた。
 人馬の喧噪に紛れ、銃声が聞こえるような気がする。

「・・・・銃声ッ!?」

 思わず叫んだ晴政の耳にはっきりと前方からの声が聞こえた。

「敵襲ぅっ。敵襲ぅっ」
「敵の伏兵だぁっ」
『『『―――っ!?』』』

 その場の全員が一斉に顔を引きつらせる。
 その声はまるで物理的衝撃を伴ったように絢瀬勢はのけぞったのだ。

「総員戦闘準備ッ」

 小者が連れていた馬に飛び乗り、槍持ちに持たせていた馬上槍を小脇に抱えた晴政は大声で下知を下した。
 歴戦の物頭たちは晴政に言われるまでもなく、麾下の兵を掌握する。しかし、状況が分からない以上、晴政の部隊は立ち往生するしかなかった。
 前線から聞こえてくる爆音や悲鳴は居並んだ兵たちを不安にさせ、両脇に広がる林に敵が潜んでいるように思える。
 当然、組頭を筆頭に少数の物見部隊が繰り出されており、何の音沙汰もないことから伏兵は潜んでいなかったと思われた。だが、音もなく、十数名が一瞬で殺されたことも否定はできない。

「伝令ッ」

 戦闘準備を整えた絢瀬勢先鋒より伝令が駆けてきた。
 それは待ちに待った情報を持っている。

「敵勢は貞流方っ。山野辺勢を西方から攻撃中ッ」

 走ってきた彼は晴政の前に片膝を付いた。
 晴政がいる位置は全軍の中間より少し前。
 彼には絢瀬勢一五〇人を指揮する侍大将の地位がある。
 伝令が情報を伝え、全軍の行動に波及するには彼の主である山野辺邦通以外では最前線にいると言えた。

「敵方はおよそ一〇〇〇。偃月の陣にて戦っているのは一番備と二番備ですっ」

 敵伏兵は林から出てきたこちらの先鋒に気付いて攻撃を仕掛けたに違いない。だとすれば、今頃、この林の中に入ってこちらの索敵を開始しているはずだ。

「申し上げますッ。物見部隊、敵物見部隊と交戦中ッ」

 案の定、林に分け入らせた物見部隊が交戦状態に入った。

「弓隊及び徒歩武者は林より侵攻してくる敵部隊に備えよっ」

 晴政は腹心の物頭に六〇ほどの兵を与えて林の中へと送る一方で、まとめた情報と意見具申を後方の本陣――父親の元に送る。しかし、その意見具申は事後承諾の形にしなければ、全軍が崩壊する。

「残りは迂回、敵本陣を衝くぞっ」

 晴政隊一五〇名が林道から姿を消せば、道の出口で苦戦する山野辺隊が後退する空きができる。そして、後方の本隊と合流すれば、隘路での戦いとなるために無駄な消耗戦となる可能性があった。
 その間に晴政以下八〇名弱は林道を大きく迂回して敵本陣に突撃するのだ。
 小林盆地は防衛上、山岳戦に秀でる必要がある。
 そのため、晴政率いる部隊は健脚が揃っていた。

「全軍、進軍っ」

 何より、この長蛇の陣形は正面だけでなく、側方・後方からの攻撃でも練度さえ高ければ機敏に反応できる陣形である。
 この扱いに特化した絢瀬勢は緊密な連携を維持して応戦を開始した。
 状況を理解した吉政は徒歩武者を中心とした戦力を山野辺勢に送り込み、騎兵を中心とした部隊を息子に合流させる。そして、さらに虎の子とも言える部隊を合流させていた。
 だが、それ故に本隊を守る兵数は確実に減り、絢瀬吉政と山野辺邦通は大苦戦に陥る。
 戦線崩壊は時間の問題だった。

「で、出た・・・・」

 晴政はようやく抜けた林道に、ため息と共に額の汗をぬぐった。
 離れた戦場では銃声や霊術が爆発する音が響いており、激戦中と言うことは容易に知れる。だからこそ、敵勢は山野辺勢撃破に集中しているはずだった。

「行くぞ、絢瀬の若頭」

 そう言って声をかけたのは重装甲の歩兵隊を率いる佐久頼政だ。
 彼が率いる軍勢は重装備というのに林の中を駆け巡っていた。
 さすがは小林盆地を越える過酷な戦場で戦ってきた人吉勢だ。

「鉄砲隊の一斉射撃後、俺たちが突撃する。その後で、お前の騎兵隊は敵の隙間を付け」

 佐久勢は歩兵中心で山岳戦を展開したが、絢瀬勢は騎兵中心の山岳戦を得意としている。
 お互いの長所を発揮する、堅実な戦法と言えた。
 さらに佐久勢の戦闘力は白兵戦にて発揮され、先の大口城救援でも聖炎軍団相手に獅子奮迅の働きを見せたところである。

「行くぞぉっ」

 頼政が得物を振り上げ、進軍を告げた時、戦線を支えていた山野辺勢が大きく崩れた。
 旗が揺れ動き、貞流勢の旗が山野辺勢深くに突入していく。
 ついに戦線が崩壊したのだ。

「こっちも急ぐぞ」

 佐久勢の攻撃は、ようやく空いた堅陣に打ち込んでいく貞流勢の横っ面を弾き飛ばす。
 三〇挺ほどの鉄砲が一斉射撃が血気盛んに襲いかかっていた貞流勢の足軽を吹き飛ばした。そして、思わず振り向いた部将たちは顔を引き攣らせた。
 先陣を駆ける旗指物は≪藍地に白の丸笠≫だ。
 これは人吉城と共に玉砕したと思われる佐久勢の旗指物。
 聖炎軍団は己の武勇が傷つかぬために確かな情報を渡していなかったのだ。だから、貞流勢は佐久勢が先頭に出られるほど生き残っているとは思っていなかった。

「う、うわぁ」

 恐怖に戦いた鉄砲隊が放った弾丸は明後日の方向に飛び去り、佐久勢は圧倒的な衝撃力を以て激突する。
 絢瀬勢本隊を包み込もうとしていた貞流勢はその横撃に動揺した。

「ふんっ」

 頼政が振り下ろした大身槍が敵足軽を真っ二つにする。そして、その血を振り飛ばす勢いで旋回した刃がさらなる敵兵を切り倒した。

「く、くそ・・・・どうして・・・・佐久勢が・・・・ッ」

 青い顔して麾下の足軽が蹴散らされる様を見つめていた足軽大将は馬の上で棒立ちとなる。そして、奇襲攻撃では誰を狙えばいいか、佐久勢の足軽は心得ていた。

「く、来るなっ」

 十数人の足軽が槍を持って自分に向かっていることに気がついた足軽大将は咄嗟に霊力を叩きつける。
 数人がその奔流に呑み込まれ、血飛沫を上げて吹き飛んだ。しかし、その行動がさらに足軽を引きつける格好となる。

「うわわわわわぁぁぁっっっ」

 足軽大将は暴れ回り、数人の足軽を撃退した末、十数本の穂先を体内に埋め込まれて絶命した。
 彼に統率されていた足軽たちが崩れ始め、その隙間をさらに佐久勢は進んでいく。
 敵将に手が届き、敵将を討てばそれだけ兵が動揺する。
 これが奇襲の戦果だった。

「む・・・・」

 霊力を込めた一撃で群がってきた足軽数人を吹き飛ばした頼政は敵勢の動きを察した。
 すなわち、敵勢が佐久勢の奇襲から立ち直り始めている。
 この混乱が回復してしまえば、佐久勢は打撃を受けるだろう。だがしかし、軍勢を大きく動かす場合、そこに必ず隙ができるのだ。

「今だぞ、若頭ッ」

 そう叫びつつ、頼政は苦戦していた味方の足軽を助けるために槍を繰り出した。



「全員騎乗」

 林道を抜けた後、もみ合う両勢を横目に晴政率いる騎兵隊は下馬したまま回り込んでいた。そして、佐久勢に対応するために大きく陣形を動かした敵本陣に狙いを付ける。

「止まらず駆け抜けよっ」

 そう告げるやいなや先頭に立って馬腹を蹴った。
 百を超える馬が、その四倍もの蹄が奏でる轟音は大地を震わせる。

「き、騎馬隊の突撃だ・・・・ッ」

 音に振り返った兵が恐怖に顔を歪めた。
 それだけの威力が騎馬隊にはあるのだ。

「てぇーっ」

 必死に走ってついてきた鉄砲兵十数人は折り敷くなり、敵兵が密集している場所向かって揃えて発砲した。
 轟音と共に吐き出された六匁弾は立ちすくんでいた兵をなぎ倒す。そして、その歪みを目指して突撃した騎馬隊は―――

「はぁっ!!!」

 暴風と化して突進した。
 乗馬を許される兵は地位だけでなく、戦闘力に秀でた者たちが選ばれる。
 そのため、霊力を以て事象を引き起こすことのできる者たちも多く含まれていた。
 至近距離で起きる霊力の爆発は隊列を乱し、軍勢を両断していく。

「貴様ッ」

 風圧とも思える霊力の壁を実力で破ってきた敵兵が晴政の前に立ちはだかった。

「反乱者の分際でぇっ」

 霊力が凝縮した穂先が見事な速度で晴政に迫る。しかし、晴政も絢瀬家の跡取りとして幼少から武術だけでなく、霊術を学んできた猛者だ。

「ふっ」

 触れた瞬間に爆発するという霊術だと見破った彼は穂先ではなく、柄を下段から跳ね上げた槍で弾く。
 そうして敵兵の穂先は宙を目指し、彼の胴ががら空きとなった。

「せいっ」

 その胴に駆け抜けざまに振るった柄が当たり、敵は情けない声を上げて落馬する。さらに敵には災難が襲いかかった。
 絢瀬勢は騎馬突撃中であり、晴政の後ろにももちろん続いている。
 つまり、彼は馬蹄に踏み潰されてあっという間に魂を飛ばしてしまったのだ。

「抜けたっ。・・・・隊列を再編して再突撃するぞっ」

 人垣が急になくなり、晴政は後方を振り返った。
 百数十騎の騎兵は目立った損害がないように思える。
 この様子ならばものの数分で再突撃できるだろう。

「よし、次は―――」

―――ドーン、ドーン、ドーン・・・・

「・・・・え?」

 打ち鳴らされる太鼓の音は退き太鼓。
 だが、問題はそれではない。

「ど、どこから・・・・」

 太鼓は敵本陣からではない場所から鳴り響いていた。
 思わず指揮を忘れた晴政の目の前で、乱れていた敵勢は苦労しつつも隊列を整え、潮が引くように撤退していく。

「あ・・・・」

 徐々に遠ざかっていく敵勢を見送っていた晴政はなにやら周りの兵が騒がしいことに気がついた。

「若殿、増援ですっ」

 馬廻が喜色を浮かべながら報告する。

「え、増援・・・・?」

 振り向いた晴政の視界に入ったのはこちらに駆けてくる黒い奔流だった。
 その兵たちの背には旗指物があり、それは≪茶褐色に黒の丸柊≫だ。

「―――どうやら、吉政殿は迎撃すると同時に合流予定だった本隊に連絡を取っていたようだな」

 やってきた頼政は頼もしそうに駆けてくる軍勢を見遣る。
 長井勢の後方にも軍勢が続いており、藤丸主力軍が急ぎ崎森川を渡河して駆けつけたことを示していた。
 だから、貞流勢は退いたのだ。

「しかし、あの太鼓はどこから・・・・ッ」

 周囲を見渡した頼政の顔が驚愕に歪む。

「どうし・・・・ッ」

 それはその視線を追った晴政にも伝染しただけでなく、遠方から駆けつけてきた長井勢・武藤勢の足を止めさせるほどの衝撃力を孕んでいた。

「な、なぜ・・・・」

 湯湾岳に突如翻った膨大な軍旗。
 それは≪紺地に黄の纏龍≫を筆頭に≪白地に黒の四重銭≫などが混じっている。

「四重銭・・・・有坂だと!?」

 湯湾岳中腹に翻るその軍旗は貞流主力軍を構成する戦上手――有坂秋賢の存在を示すものだった。



「やられたな・・・・」

 前線からの報告を聞くまでもなく、鳴海直武がいる藤丸主力軍本陣からも湯湾岳に布陣する軍勢が確認できた。
 その数はおそらく一万を下ることはないだろう。
 間違いなく、貞流主力軍だ。

「父上・・・・まさか・・・・」
「ああ、計られた」

 貞流はわざと大口城から守備隊を撤退させたのだ。
 山野辺邦通は元々藤丸に近い立場だったが、貞流方の先制攻撃を受けて貞流方に留められていた。
 その貞流方の圧力がなくなった瞬間、反旗を翻すことは分かっていたのだろう。

「つまりは、貞流様は我々が動く時期を調整した・・・・」

 となれば、疑問が残るのは大隅平定戦である。
 大隅に展開していた貞流方は廻城、国分城を併せても一五〇〇に届かない。
 待ち受けていたとは思えない戦力だ。

「鹿屋信直は貞流様にとって同盟軍という扱いだったのではないかな」

 つまり、ある程度自由に行動させている代わりに自分の身は自分で守れ、ということだ。

「そして、戦力的に我々に敵わないことを知りつつ、それを放置した考えの根幹は・・・・」
「捨て石、ですか?」
「そうだ。そして、その捨て石は効果的だった」

 信直の味方であるはずの貞流勢が来援せず、国分城まで奪還した藤丸主力軍は完全に貞流勢を出し抜いたと勘違いした。だが、全ては貞流勢の戦略の内だったのだ。

「信直勢を捨て石にして得られたのは我が軍が貞流勢に対して主導権を握っているという錯覚。その錯覚によって我らは不用意に前進した」

 藤丸勢は別所川東方を制圧し、川を防波堤にして半途撃つを実行したかった。
 古来より、川は自然の防波堤として有効であり、劣勢の軍勢は好んで野戦に使用してきた。また、野戦決戦主義である龍鷹軍団はいち早く戦場を優先し、この地の利を得ることに固執している。
 貞流はその考えを逆手に取ったのだ。
 川の防衛力が発揮できない以上、野戦では陣城を築かぬ限り、両軍の地の利に違いはない。
 そうなれば、戦局に寄与する最も大きな力――兵力が大きく幅をきかせることになる。
 逆を言えば、兵力に勝る側はどうにかして、その力が最大限発揮できる戦場を用意する必要があるのだ。
 結果的に見れば、貞流勢は藤丸勢に自然の防波堤――河川、人工の防波堤――陣城を築くまもなく、決戦場におびき出すことに成功しただけでなく、もうひとつの自然の防御力を発揮する土地の高低差――高所を取ることにも成功していた。
 戦場に到着するまでに可能な限り勝率を高める軍略――戦略の分野では今回の決戦において、貞流方が完勝とも言える。
 両軍は夜討ち朝駆けを除けば、明日の日中に決戦を挑む以外に選択肢はなくなってしまっていた。

「覚悟を・・・・決める必要があるな」

 今更背後の崎森川を渡河できない。
 もし、無理矢理渡河すれば、大挙として貞流勢は攻撃を仕掛け、主力軍は決戦に及ぶまもなく壊滅するだろう。
 今ならば、まだ、何とか戦える。

「別働隊を収容し、後退する。急げ」

 襲いかかっては来ないだろうが、陣地を用意するだけの時間は多いことにこしたことはない。
 陣地といっても馬防柵や竹束といった敵も用意しているであろう防御物だ。

「辛い・・・・戦いになりそうだ・・・・」

 藤丸から兵の指揮権を任された名将は大きなため息をついた。






主将scene

「―――かかった・・・・っ」

 貞流は湯湾岳の中腹に敷いた本陣で思わず膝を叩いた。
 物見の報告では大口城からやってきた軍勢と貞流勢の先手が交戦し、それに誘われて藤丸主力軍が崎森川を渡河したという。
 これで最大の懸案であった戦場の限定が成せた。
 主力同士がぶつかったえびの高原の戦いでは巧みに戦場へと誘い込まれ、苦い苦い敗北を喫したが、今度は貞流が戦略勝ちした。
 夜の行動を許さぬよう、一部の隊に見張りをさせ、明日は決戦に持ち込む。
 この兵力差が最も出るはずの布陣の前には如何に長井・武藤といえども抑えきれないだろう。

「弘綱、よくやった」

 貞流は笑みを浮かべながら本陣に座していた佐々木弘綱を褒めた。

「はは、ありがたき幸せ」

 戦場であることから軽く頭を下げただけだったので、居並んだ諸将はその自慢げに緩んだ顔を目の当たりにする。

「そして、裏切り者の山野辺邦通を討ち取った。これで全軍の士気は青天井だ」

 一連の攻防で貞流勢は山野辺勢に大打撃を与え、その主将――山野辺邦通を討ち果たしていた。
 晴政と頼政の迂回部隊が突入しようとした時、抗戦していた部隊が崩れたのはそのためだ。

「これで山野辺勢は物の数ではない。絢瀬勢にも打撃を与えることができたわ」

 貞流にとって、絢瀬勢は不倶戴天の敵とも言える憎々しい軍勢である。
 えびの高原の戦いにて、勝利を目前にしながらそれをひっくり返されたのは絢瀬勢などの援軍だ。

「もはや藤丸は戦力を出し尽くした。これで小癪な別働隊などおらぬ」

 最も別働隊として機能するだろう鹿屋家も集結しているようである。
 鹿屋信直がどうなったかは分からないが、どちらにしろ、貞流が目指す龍鷹侯国に鹿屋家はいらない。

(もうすぐだ・・・・もうすぐで、真の意味の『龍鷹侯国』が誕生する・・・・)

 国人衆の顔色を窺うことのない、本当の強国。
 それが貞流の目指すものだった。

「貞流様、油断めされるな。目の前に布陣する鳴海直武の粘りは尋常ではありませんぞ」

 相川貞秀が諫めるように進言する。

「それにこの動員のために国力は確実に疲弊しましょう。ここは確実に勝利を疲労だけでなく、できうる限り損耗を控えねばなりません」

 次に発言したのが有坂秋賢だ。
 ふたりは弘綱の見事な戦略に感服はしたが、未だ決戦は始まっていない。
 ここで油断をすれば、思わぬことで足をすくわれかねない。

「ん、そうだな。当面のところ、大規模な軍事作戦は控える必要がある」

 そう言った貞流は大量の松明を点け始めた軍勢を見下ろした。
 総勢一万二〇〇〇。
 各地に守備兵を割かなければならなかった貞流勢は確実に通常動員力以上の動員をかけている。
 全てはこの決戦に勝つため。

「ただ今後のことは戦が終わってから考えるべきだな」

 貞流は先手衆を収容し、その被害状況を調べさせる間に主力軍に陣替を命じていた。

「鳴海直武だけでなく、奴についた者たちは猛者だ。その軍勢を相手にすると言うのに、損害をできるだけ抑えるなどという考えはいかん。それがすでに油断だ」
「「―――っ!?」」

 びくりとふたりの部将が震える。

「全力を以て叩き潰す。それだけを明日は考えろ」

 貞流は立ち上がり、幔幕の出口に向かった。

「今宵は戦意を昂揚させ、ゆっくり休め」

 そう言って貞流が本陣から去ったことで、軍議が終了する。
 決戦は明日。



―――だがしかし、戦いはもう始まっていた。



「―――藤丸様、いよいよ決戦ですね」

 夜空を見上げていた藤丸の隣に幸希が立つ。
 彼は星ではなく、闇の向こうに見える松明の明かりを見ていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・藤丸様?」

 何も話さず、空ばかり見ている藤丸を訝しみ、幸希も空を見上げる。
 夜空には雲がかかっており、星は思うように見えない。しかし、その雲の向こうに月があるのが、ぼんやりとした明かりが雲の形を照らしていた。

「あのとき・・・・」
「?」
「内乱が始まった夜も・・・・こんな月夜だった・・・・」

 突然起こった異変。
 佐々木弘綱率いる軍勢に取り囲まれた屋敷から脱出できたのは加納郁のおかげであり、鹿児島城から脱出できたのは加納猛政のおかげだった。

「俺は・・・・何か自分でしたかな・・・・」
「・・・・藤丸様・・・・」

 えびの高原の戦いも、結局は身を挺して戦ったのは鳴海盛武だ。そして、藤丸たちが行動を起こす時間を作ったのは武藤家教だ。

「俺は直武のような名声も衛勝のような武勇もない」

 名将と名高き鳴海直武、龍鷹軍団最強と謡われる長井衛勝。

「昌盛のように情報収集もできないし、統教のように一から軍勢を纏めるなんて不可能だ」

 何でもない情報を形にする御武昌盛、壊滅した軍勢を再生させた武藤統教。

「どうして・・・・みんな俺についてきてくれるのかなー」
「え、えっと・・・・」

 幸希が困った顔でおろおろする。

「悪い、決戦前に言うこと―――ふぶっ」

 パカーンと後頭部に何かが命中し、目の前がチカチカした。

「らしくないことで悩んでるんじゃない・・・・ですよ?」
「郁、テメェ・・・・」

 ズキズキと痛む後頭部を押さえ、しゃがみ込んだ状態で後ろからやってきた郁を見上げる。
 見れば彼女は共に歩いてきた瀧井信輝から軽い手刀を額に喰らっていた。

「俺の脇差を投げるな」
「いや、怒るところそこかよっ」

 ズレた注意に思い切りツッコミを入れるが、信輝は当然の如く無視して転がっていた脇差を拾いに行く。

「くそぉ〜、こいつら俺をなんだと思って・・・・」

 こんなの主君への態度ではない。

「一応、主君でしょ? あなたは悩まず、進めばいいのよ」
「?」

 郁が言ったことが理解できず、首を傾げた。

「細かいところなんて、父上とかその辺の人がするわ。それが仕事なんだから」
「じゃあ、俺は?」
「あなたは決めるのが仕事よ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「父上からの命令だって言っても、動かない兵はいるけど、藤丸様からの命令だって言って動かない兵はいないわ。まあ、いたらいたでおもしろいけど」
「面白くない面白くない」

 ぶんぶんと首を振っている幸希が滑稽だ。

「実際、北薩の戦いで藤丸様が動かなければ、戦術だけでなく、戦略でも聖炎軍団に敗北していましたよ」

 脇差を拾った信輝が戻ってくるなり話に加わった。

「川内川で敗北した後、鹿児島城で援軍が到着するまで激戦が展開され、その間に人吉城が陥落して大口・出水は失陥していた可能性があります」

 これを言ったのは幸希だ。

「即断即決即行動でいいじゃないですか」
「まあ、振り回される私はたまったもんじゃないけどね、それ」

 郁は腰に手を当て、脇に置いた大斧槍で前方を指す。

「それに、もう始まってるんだからうだうだ言うんじゃない」

 思わず振り向いた藤丸が見たものは、松明に照らされた白亜の巨城だった。










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