第三戦「降臨せし龍鷹が槍」/ 一



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 少女は縁側に座り、宙に浮いた足をふらつかせていた。
 見遣るは闇夜を照らし出す丸い光源。
 兎が住むという伝承があるその天体はただ等しく、昼の覇者である太陽の光を反射して夜闇を軽減させている。

―――シャラン、シャラン

 彼女が手にしている装飾品が鈴の音を奏でた。
 幾人もの感情を弄んだその鈴は無邪気に跳ね回っている。そして、今も暴走する者たちの感情を縛り付けていた。

「・・・・いよいよ、ね」

 その鈴を見下ろし、少女は表情を曇らせる。

「―――その通りです」
「・・・・ッ!? あなたは・・・・」

 突然、屋根から影が落ちてきた。
 思わぬ来客に叫びを上げそうになった少女だが、顔を上げた男に見覚えがあり、先程とは違う驚きで体を強張らせる。

「お久しぶりです。ですが、今は再会を喜ぶ時間はありません」

 彼女の前に降り立った狩衣姿の青年は早口でそう言った。

「・・・・・・・・聞くわ」

 彼がここに来ている事実よりも重要なことが起きている。
 そう判断した少女は震える手を膝に戻し、毅然とした表情を浮かべた。

「藤丸が動きました」
「―――っ!?」

 覚悟していたが、それを上回る衝撃が少女に襲いかかる。

「ついに・・・・」

 自らが引き起こし、主導していたとも言える内乱。
 それが終焉向けて走り出した。

「見届けねば・・・・」

 そう言い、少女は借宿としていた屋敷から抜け出した。






大隅国侵攻戦scene

「―――撃てぇっ」
「一歩も入れるなぁっ」

 鵬雲二年六月二九日、大隅国財部。
 この地で、貞流方と藤丸方は衝突した。
 都城盆地から国分城を睨むために都城城主――楠瀬正成が築いた北俣砦が攻め立てられている。
 楠瀬は戦闘用にこの砦を作ったのではなく、大隅方面から敵方に侵攻した場合の物資集積地として建設していた。
 故に守備兵は数十名程度であり、砦自体も周囲の農民を動員して掘らせた空堀とその土を盛った土塁、土塁の上に建てられた柵が主力である。そして、出入り口としての城門は門扉のない冠門だ。
 攻め寄せるのが数十の野盗程度ならば十分に撃退できるが、数百の軍勢には耐えられない。しかし、その砦が一刻以上も攻防戦を繰り広げていられるのは、ただ単に砦自体が平時ではなかったからである。

「はぁっ」

 冠門から侵入しようとした敵兵に霊術をぶつけ、本日三度目の守り手側から突撃が開始された。
 先頭を駆ける兜武者の名は楠瀬正成。
 そう、彼は反攻作戦が近いことを知り、昨日に主力軍四〇〇を率いて北俣砦守備隊と合流していたのである。

「鉄砲隊は筒先を揃えて撃ち続けろッ。弓衆は武者隊の援護をッ」

 大身槍を振るい、恐怖に震えながらも立ち向かってくる足軽を弾き飛ばしながら彼は采配を振っていた。

「せっ」

 左手で手綱を操りながら右手一本で槍を振り下ろす。そして、背後より走り寄っていた徒歩武者を肩口から切り下げた。

「ぐっ」

 その瞬間、肩に矢がかすり、血が飛び散る。
 弓兵に気付いた馬廻衆のふたりが突撃し、その隊列を乱した。

「何としてでも押し返せッ」

 状況は最悪と言える。
 押し寄せている兵は≪新緑に臙脂の抱き茗荷≫であることから、鹿屋信直の指揮下にある戦力だ。
 数も七〇〇以上おり、信直勢本隊と言えるだろう。
 対して楠瀬勢は四五〇。
 普通ならば砦とは言え、戦闘用ではないのだから籠もる必要はない。しかし、昨日、楠瀬勢と共に入城した大量の物資、それを運んできた人夫が砦内にある。
 これらを守るため、楠瀬勢は戦わなければならなかった。
 守るものがないならば、楠瀬は信直勢を認識した瞬間に砦に火を放って退却したに違いない。

(ここで我々が敗北すれば、宮崎港に蓄えられていた物資が奪われる)

 物資は武器弾薬や兵糧など、流浪を経験した藤丸からすれば、本当にありがたいものばかりだ。
 これから反攻作戦を展開するに当たって、最も必要な"先立つ物"である。

(勘当されたとはいえ、さすがは"鹿屋"・・・・ッ)

 "翼将"という、鹿屋家当主に送られる異名は、主力軍とは別に行動し、敵軍の戦略を挫くという働きによるものだ。
 近い話で言えば、川内川の戦いで勝利した聖炎軍団の前に立ちはだかった大隅勢を率いた鹿屋利直だ。
 その軍勢の存在が勝利に沸いていた聖炎軍団の肝を冷やした。
 このように主力軍と別行動する鹿屋勢は敵に回せば、本当に厄介だ。

「退けッ」

 これまで穿ち抜いていたという感覚から、誘い込まれるという感覚に変わったと判断した楠瀬は素早く命じると共に馬首を返した。
 鹿屋勢は突撃した楠瀬主従を逆に取り込むことで討ち果たそうとしたのだろうが、陣形を変えると言うことはどこかに必ず綻びが生じる。
 その綻びをどこまで小さくできるかは部将の采配と兵の練度だが、気づけるか気づけないかは仕掛けられた部将の勘だ。

「チィッ」
「ふっ」

 思惑が外れ、逃がすまじと追いすがった騎馬武者を反転して突き出した穂先で葬り、引き上げてくる騎馬武者たちを出迎える。

(・・・・二〇名弱、取られたか・・・・)

 当然、無傷では済まないが、今回もその損害に見合う戦果は得られたはずだ。しかし、こちらの突撃に対する対応速度が徐々に早くなっていることから、次の突撃は危険であることも分かった。

(藤丸様が来られるまで・・・・耐えてみせる)



「―――むぅ・・・・簡単に落とせると思えば・・・・存外にしぶとい」

 鹿屋勢本陣で信直は歯がみした。
 北俣砦での存在は割と早くから気付いていたが、どうせなら反攻作戦が始まるその出鼻を挫くために残しておいたのだ。
 確実に藤丸方の戦力をそぐためにはこの方法しかないと判断し、それを実行した信直は確かな戦略眼を持っていた。しかし、楠瀬勢の抵抗力は予想以上だ。
 信直は知らないが、楠瀬勢などの日向衆には大隅衆に負けてなるものかという闘争心がある。
 そこからくる士気の高さは霊術の威力や精度を向上させ、戦局に寄与していた。

「だがしかし、たかが豪族風情がこの俺を止められると思うなよっ」

 彼は床机から立ち上がる。
 確かに笠野原の戦いで、信直は敗北した。だが、兵力差もあり、何より小戦しか知らぬ楠瀬勢に劣る謂われはない。

「一番備を後退させ、二番備を前進させよ」

 楠瀬勢が突撃を行わないであろうことを見切った信直は大規模な陣替を決断した。
 それは必死に戦うしか知らない楠瀬勢にとって考慮の他であり、絶好の付け入れ機会を亡失する。

「土塁上の敵兵には牽制射撃。車仕掛けの竹束を前進させ、城門を一点突破っ」

 今まで全周囲から攻撃を仕掛けていたのは敵を散開させるためだった。
 本命は本陣に残る三〇〇による総攻撃。
 籠城している砦の中にさえ入れば、後は一方的な虐殺だ。

「全軍、突撃ッ」

 馬に飛び乗った信直が槍を振り下ろして下知を下す。そして、その意志を受けた軍勢が走り始めた時、それは起こった。

「何だッ!?」

 北方から攻め寄せていた陣地から巨大な爆発音が轟く。
 着弾の衝撃は爆音と大地の震動、そして、多くの兵が上げる悲鳴だった。
 思わず視線を向けた信直が見たものは火炎に焼かれて逃げ回る兵たちだ。しかし、その地獄の光景を背景にしながら整然と突撃してくる軍勢の方が衝撃的だった。

「援軍!?」

 一団の最前線をかけるは百騎ほどの騎馬武者たちだ。
 その後方に数百の歩兵が続いている。
 彼らが一様に指す旗指物は―――

「≪茶褐色に黒の丸柊≫・・・・ッ」

 援軍の正体は藤丸方最強軍団――長井勢だった。

「く・・・・」

 北方の軍勢には別の軍勢が襲いかかっているのであろう。
 火系霊術の一斉射撃を喰らい、混乱しているところに横撃された彼らは早くも隊伍が崩れ始めていた。

「チィッ、後詰め部隊に殿をッ。その他の部隊は反転して廻城へと退却せよっ」

 同数で戦えば必ず負ける。
 ただでさえ、奇襲されたという事実で軍勢が揺れていた。
 ここは「三十六計逃げるにしかず」だ。
 戦力をまとめ上げるのは苦労するだろうが、敵本隊の先鋒がやってきた以上、交戦は不可能だった。

「これは負けではない・・・・負けではないのだっ」

 そう自分に言い聞かせ、信直は戦略的戦果が何ら得られぬまま全軍を反転させる。

(廻城は難攻不落。そこに藤丸方の戦力を引きつけることこそ、翼将である我がなすこと・・・・っ)

 信直は"翼将"という名に縋り、それだけで動いていた。



 藤丸方の反攻作戦は急だった。
 貞流が大口城の警備に聖炎軍団を受け入れたことに反発した大口城将――山野辺邦通が藤丸方に裏切ったことが全ての始まりだ。
 藤丸は小林城の絢瀬勢と佐久勢を増援として大口城に送り、それ以外の全軍は一路、都城方面から大隅へと出る進路を突き進んだ。
 途中、先行させた第一陣――長井・武藤勢は北俣砦で交戦中の信直勢を蹴散らし、廻城へと退却させる。
 戦略拠点である北俣砦にて戦略物資を補給した藤丸方は鷹郷藤丸を筆頭に、鳴海直武、長井衛勝、武藤統教、加納猛政、御武昌盛・時盛親子、瀧井信成、寺島春久、楠瀬正成以下四五〇〇だ。
 呼応しているであろう鹿屋利孝勢二五〇〇と併せれば、七〇〇〇。
 対する大隅展開兵力は廻城の鹿屋信直七〇〇、国分城の加藤長泰四〇〇という計一一〇〇だ。
 藤丸方が手に入れた、初めて数的優勢。
 だが、鹿児島城に約一万人の貞流主力軍が展開している以上、その来援前に両城を落とし、敵戦力を削がなければならなかった。
 これが藤丸方の大隅攻略戦における勝利条件だ。



「これが・・・・廻城か・・・・」

 六月三〇日、藤丸は主力軍を率い、廻城を取り囲んでいた。
 御武昌盛の情報では、垂水方面から進軍している鹿屋勢も後数刻で到着するらしい。
 垂水方面には信直が配置した不正規戦部隊が展開していたらしく、進軍が遅れていた。しかし、その奮戦も信直本隊で藤丸主力軍が撃破できない以上、無駄になりつつあった。
 攻城戦は守り手の三倍を用意することが原則だが、藤丸方の戦力は守り手の十倍だ。

「この兵力を前にすれば、如何に廻城とはいえ、早期陥落は免れないでしょう」

 脇に立っていた御武幸希が同じく見上げながら言う。

「ここでまた、名のある部将を失うのは痛すぎるしな」

 大隅国廻城。
 福山城という名前を持つ中世の雰囲気を色濃く残すこの城は数十年前、鷹郷家と鹿屋家の間で壮絶な攻防戦が繰り広げられた城である。
 鷹郷家は総大将であった当主の弟が戦死し、その後を継いで総大将となったもうひとりの弟が病を得て陣没するなど、兵的損害よりも人的損害を大きく被った城である。
 結果的に城を落とすことができたが、三ヶ月に及ぶ攻防戦は鷹郷勢を疲弊させ、一気に鹿屋城へと侵攻しようとした鷹郷家の意図を挫いていた。

「―――藤丸様、全ての部将たちが集まりました。どうぞ中へ」

 本陣の幔幕から顔だけ出した瀧井信輝が告げる。

「じゃ、行くか」
「はい」

 藤丸と幸希は未だ元服もしていない少年が考案した作戦を実行する部将たちが待つ本陣へと踏み込んだ。

「まず、礼を言っておきたい」

 野外であるために用意された床机に座ることなく、彼の登場で立ち上がった諸将に向けて言い放つ。

「常識的に考えて、あちらに付くのが道理だと思う。地位、名誉、武力。その全ては俺よりも貞流の方が上だ」

 次期侯王と目されていた貞流。
 数的劣勢ながら川内川の戦いで獅子奮迅の働きを見せた貞流。
 薩摩全土を掌握し、一万人以上の戦力を率いる貞流。

「それでもなお、こんな餓鬼がいう、父上暗殺犯を信じてくれてありがとう。内乱勃発以後の振る舞いを天秤にかけ、俺についてくれてありがとう」

 前者は鳴海、長井、武藤へ。
 後者は御武、楠瀬、鹿屋へ。

「だからこそ、俺は全てを話そうと思う」

 藤丸は床机に座り、諸将を促した。
 突然の宣言に戸惑いを示す諸将だったが、代表格である鳴海直武がさっと座ったことで彼らは着席する。

「まず、霜草茂兵衛が・・・・父上が暗殺された日、その部屋で貞流から奪い取った、父上の隠居宣言状・・・・今では遺言状の内容だ」
『『『―――っ!?』』』

 藤丸は語った。
 朝流が隠居した後、周囲に喧伝していたとおり、侯王は貞流に譲られるはずだった。そして、海軍を実流の下で陸軍から独立した機関へと成長させ、藤丸は元服した後に宰相として国政を司るはずだったとを。

「だから、貞流が侯王の座に着くことは父上的には間違ってはいない。いや、父上亡き後、国家元首は貞流だ」

 問題は貞流が朝流を斬り殺し、実流を手にかけ、最終的には霧島神宮をも陥落させた。
 今ならば分かるが、貞流は霧島神宮という超法規的処置を施せる機関をどさくさに紛れて葬り去ろうとしたのだ。
 貞流本人が考えたことではないにしろ、そんな思惑があって実行したに違いない。

「貞流が統一した龍鷹侯国は新しい龍鷹侯国となるのは間違いない」

 それは古来の風習や因縁を吹き飛ばした、まさしく新しい龍鷹侯国だろう。だがしかし、同時にこの列島国家にありふれた、"戦国大名"として脱皮するであろう。
 かつて、守護大名として君臨していた武家は下克上によって食われるか、"戦国大名"に脱皮を果たした別の守護大名に食われるかで消滅している。
 戦国時代以前からの役割を果たしている武家など、この龍鷹侯国以外に存在しなかった。

「俺はそれが悪いとは思わない。時代の流れはホントに貞流に同調している」

 『しかし』と藤丸は続ける。

「"戦国大名"への脱皮は・・・・龍鷹侯国から見れば退化だ」

 生き残ることを至上の目的とし、裏切り裏切られ、滅ぼし滅ぼされる儚き存在。

「龍鷹侯国が"最果ての王国"と呼ばれたのは西海道の端にあるからだけじゃない」

 この異名はただ地勢的なものではなく、象徴的なものも含まれる。

「旧時代的、と他の人は言うかもしれない。でも、それは伝統と置き換えられる。由緒ある寺社仏閣の存在に圧倒されるのは積み重ねた歴史が不可視の圧力として、俺たちにのしかかるからだ」

 藤丸はいつしか立ち上がっていた。

「だから俺は・・・・元に戻ることはなく、可能な限り、龍鷹侯国の伝統を残したまま、進化した国を作りたい」

 貞流の侯国は退化であり、藤丸の侯国は進化という。
 言うのは簡単だ。
 だからこそ、この中で、最も客観的に振る舞ってきた彼が発言した。

「―――ふむ、ならば問いましょう」

 軍勢を率いるのではなく、藤丸に会うという目的でやって来ていた初老の部将は鋭い視線で藤丸を見遣る。

「具体的には、どのような政策を?」

 当代"翼将"・鹿屋利直。
 父は龍鷹侯国史上最大の敵として、自身は龍鷹侯国発展の立役者として関わってきた者だ。
 薩摩出身の鷹郷家にとって、最も近しい外国――大隅の代表だ。
 よって、藤丸は居住まいを正し、年長者に対する礼儀を忘れず、口調を改めた。

「龍鷹侯国は薩摩が首脳部、大隅・日向はそれを補う位置にいましたが、その垣根を取り払います」
『『『―――っ!?』』』
「ほう・・・・大隅衆や日向衆の自治を侵すといいますか」

 すっと目を細めるだけで、半世紀以上の戦歴を誇る名将の威圧感が藤丸に襲いかかる。

「・・・・っ、そうではありません。父上までの侯国は薩摩から拡大した侯国です」

 薩摩統一戦、大隅平定戦、肥後人吉・南日向侵攻戦、聖炎国攻防戦・・・・
 これらが戦国時代突入から朝流までの侯国が歩んだ道である。

「ですが、この内乱は龍鷹侯国を一度、バラバラにしました。鷹郷家というくびきから解き放たれた薩摩衆、大隅衆、日向衆は独自の才覚で乱世を生き抜く必要に駆られました。さて、ここで皆さんに問います」

 藤丸はぐるりと諸将を見渡した。

「"龍鷹侯国と袂を分かち、独立しよう"と考えた方はいますか?」
『『『―――っ!?』』』

 今度こそ、利直ですら目を見開いた。

「その様子ではいないな」

 藤丸は意地の悪い笑みを浮かべ、口調を元のものに戻す。

「ご愁傷様。すでにお前たちは"龍鷹侯国に取り込まれている"」

 左右縦一列に座した諸将の中心を歩き出した。

「ここに龍鷹侯国の内部には国衆という概念は消え去った。あるのはただ、とある国の一部に住んでいる者たちだけ」

 ひとりひとりの顔を覗き込むようにして藤丸は言葉を紡ぐ。

「俺たちはとっくに新生・龍鷹侯国として再結晶している。今更、貞流が作るであろう"戦国大名"如きに堕ちる謂われはない」

 生き残るためでなく、貞流政権との違いを明確に示す藤丸。

「さあ、者共、時代の流れに流され、自分たちを見失おうとしている奴らを引っぱたき、正気に戻させるぞッ」
『『『応ッ』』』






紗姫side

「―――もうしばらくの辛抱だぞ、巫女」

 藤丸が廻城を取り囲んだ日、鹿児島城は出撃準備で大騒ぎとなっていた。
 兵士たちが武器を掴み、彼らに先行する形で小荷駄隊が走り出していく。
 部将たちの点呼に兵が応じ、逸った馬のいななきが厩から聞こえてくる。

「後半刻もすれば、我が軍勢は出撃する」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 鷹郷貞流は紗姫の屋敷を訪れていた。
 目的は出陣を告げることと、もうひとつ。

「この戦に勝ち、俺が侯王となれば・・・・そなたの宿命から解放しよう」
「・・・・え?」

 ふたりが話すのは屋敷の中に造られた背の低い物見櫓だ。しかし、背が低いとはいえ、ここは本丸の一角、鹿児島城にひしめく軍勢と鹿児島港に入港する輸送船が見渡せた。

「最早、"霧島の巫女"など不用。言ってしまえば、藤丸がここまで抵抗したのも、霧島神宮が鷹郷家の当主を決める権限があったからだ」

 他国ならば、間違いなく、貞流がそのまま当主の座についている。

「この内乱は侯国の悪い点が浮き彫りになった。侯王になれば、これを正さなければならない」
「・・・・霧島神宮を、滅ぼすのですか?」
「そうではない。霧島神宮は鷹郷家の氏神として、瓊瓊杵尊を奉りながら民衆を治めていればいい。言わば、宇佐神宮と同じ存在だな」

(・・・・それは、滅ぼすと同義です)

 紗姫は応えることなく、物見櫓から出撃を待つ軍勢を見下ろした。
 おおよそ一万。
 その全てが屋外にいるわけではないだろうが、聞いている数はそれだけだ。しかし、それでも龍鷹軍団の三分の一を掌握している事実は変わらない。

「霧島が超法規的存在ではなくなれば、そなたもその年で重責を負うことはなくなるぞ」

 貞流は紗姫の表情が優れないことから、見当違いの心配をした。
 どうやら、この男は紗姫が不相応の責任から萎縮しており、辟易していると思っているようだ。

「確かに・・・・それもいいかもしれませんね・・・・」

 何も知らなかった幼少時代。
 町娘・村娘のように振る舞っても許されたあの頃は毎日が楽しかった。

(でも・・・・)

 そっと紗姫は胸を押さえた。
 その奥に宿る、人の身ではどうしようもできないものを感じる。

「どちらにしろ、私から"霧島の巫女"という運命は奪えませんよ?」
「・・・・霊術関連は攻撃霊術だけならば知っているのだがな・・・・」

 憎々しげな表情を浮かべる貞流。
 彼ら戦術家からすれば、強大な霊術の存在が許せないのだろう。
 霊術は戦術の常識を覆すことができ、その可能性は果てしない。
 そんな物理法則に囚われない事象を計算に入れて戦いを進めることは至難の業だった。しかし、味方にすればこれほど力強いものもない。
 だからこそ、霊術は個人の裁量で習得する者は、実は多数派だった。

「私に霊術だけが関わっているではありません」
「? なら、何だというのだ?」
「私は巫女です。神、以外の何者でもありません」
「下らん。神などと・・・・」
「・・・・高千穂峰の麓にある国を治めようという方とは思えませんね」
「忘れたか? 俺はその高千穂峰に弓引いたのだぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 どこが自虐的に思える笑みに紗姫は沈黙する。

「・・・・本当に、どうしてこうなったのだろうな」
「・・・・ッ」

 ぽそりと呟かれた言葉に紗姫が何らかの行動を示す前に、物見櫓に人の気配が沸き上がった。

「貞流様、万事整いましてございます」

 片膝を付くのは霜草久兵衛だ。
 彼が告げた事実はいつでも出撃できるということだ。

「分かった、すぐ行く」

 貞流はそう言い放つや、久兵衛を伴うことなく、物見櫓のはしごを下りていく。

「さっきの、どういう・・・・ッ!?」

 発言の意味を問おうと駆け寄った紗姫は叩きつけられた殺気に立ちすくんだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 恐る恐る振り返った紗姫が見たものはまるで、能面のように表情が溶け落ちた久兵衛の顔だ。
 その距離は一尺もない。

「―――っ!?」

 悲鳴はどうにかして呑み込んだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瞳に浮かぶは何もない、虚無。
 まるで作り物のように、
 久兵衛は瞬きひとつすることなく、ただ一言もしゃべることなく、物見櫓から飛び降りる。

「・・・・ハッ・・・・ハッ・・・・ハッ」

 後には膝をつき、荒い呼吸で震える紗姫だけが残された。










  第三戦第二陣へ